1. ドラえもん のび太の太陽王伝説
あの歌で100mくらいスクリーンから引いちゃったんですけど・・・作詞したF先生も草葉の陰で引いていると思う。 2点(2004-07-22 20:05:21) |
2. ドラゴンハート 新たなる旅立ち<OV>
この映画が存在すること自体「ネタバレ」という気がしないでもないが・・・(苦笑)前作で(フツーの意味で)感動した人はたぶん見ないほうがいい。スケールは大幅にダウンしてるしセットはちゃちだしなぜかカンフーが出てくるし。このセンスの悪さはある意味格別です。最悪センスで突っ走るラウレンティスに3点(笑) 3点(2004-06-24 20:42:10)(良:1票) |
3. ドラゴンハート
西洋人はドラゴンが大好きだ。キリスト教的価値観の下、悪魔的存在に変わってしまってもファンタジー作品の「敵役」としては絶大だ。かつては悪魔ではなく、むしろ単なる小悪党であったり、逆に神の遣い的な要素が強かった彼らへの、無意識のうちの罪悪感がそうさせるのか。そこで出てきたのがこの「ドラゴンハート」、実は元ネタと思われるゲルマンの伝承がある。小悪党が財宝を守るためにドラゴンに姿を変えた。だからかそのドラゴンは凶悪というよりどことなく愛嬌があり、心臓を食べると生き物の言葉が分かるという特徴もあった。これが後に「ニーベルンゲンの指輪」となり、この「ドラゴンハート」にも繋がった。それまでの倒されるために存在するドラゴンとは違い、善なる存在、というよりは善悪を併せ持ち、人間を上回る叡智を持つ存在(「人類がまだ幼かった頃・・・」の話が象徴的)として描かれている。21世紀が目前となった時にこの映画が作られたのは決して偶然ではあるまい。まずは価値観の変化。キリスト教的価値観が以前ほど絶対的ではなくなり多様な価値観を認めるようになり、ファンタジーやSF小説では善のドラゴンも登場するようになった。そしてCGという技術革新は、操演では不可能だった複雑な動きを可能にした。この二つの変化が、人語を話し、叡智と愛嬌を併せ持ったドレイコを誕生させたといっても過言ではない。長々と書かせていただいたが、映画の出来以上にこのドレイコががまさに「現代」を象徴する存在であり、またキリスト教以前の原点に回帰した古くて新しいドラゴンとして稀有な魅力を持つドラゴンだと思っているからである。姿を見せず声だけのショーン・コネリーはこのドレイコがまさにはまり役で、その存在感と愛嬌がドレイコにも反映され、私などはだんだんドレイコの顔がコネリー自身に見えたほどだ。映画そのものはいい意味でラウレンティス一家らしい出来で、英雄箪にコミカルな要素を加えて飽きさせない(どこか間の抜けたピート・ポスルスウェイトがいい)。ラストシーンは感動のほかに、父ディノが製作した「フラッシュ・ゴードン」を思わせる演出もあって憎らしい。いろいろな意味で楽しめるお得な作品。 9点(2004-06-23 22:43:20) |
4. トロン
《ネタバレ》 これ封切りされた当時私は小学生で、テレビや雑誌の記事を見て子供心に「すごい!」と思ってわくわくして・・・だけど親に連れて行ってもらうことはなく、その後もなかなかお目にかかれない映画として20年・・・ようやく近所のTSUTAYAで発見し、幼い日の念願はかなった。かなったのだが・・・小学生の当時見ていたらきっと感激していただろう映像も、今じゃチープなB級SFと大して変わらないように見える。古くて画面が暗い印象もあるせいだろうが、それはいい。だが肝心の話が全然ダメ、というか脚本が体を成してない。脚本の粗さには割と寛容な(って言うかあまり気付いてない)私でありますが、そんな私が「ダメ脚本!」と思うのだからかなりひどいものだと思います。タイトルにもなっているトロンの扱い方が雑すぎる。そもそもコンピュータ内の擬人化されたプログラムたちの顔の区別がつきにくくそれだけで分かりづらいのに、「トロン」と名前で呼ぶ場面が少なすぎて、後半になっていきなりトロンが現れたように思えるし、「トロンは死んだ」なんて言われてもそういう場面がばっさり抜け落ちているので私としては「えっっ?????」と画面の前で混乱するしかない。蛇足ですがあくまでもコンピュータ内のプログラムに過ぎない登場人物たちが水を飲んだりキスするのって・・・カナーリ違和感あります。高度にプログラムされたコンピュータが意志を持ち、人を支配しようとするというアイディアは嫌いじゃないけどどこかで見たような気もするし、それよりそんなコンピュータが内部の反乱分子に苦心しているようじゃアカンでしょ(笑)コンピュータ内部ではなくて猿の惑星みたくした方がこういうのは面白いと思う、個人的には。・・・ほんと、これは幼い日の美しい夢のままにしておいた方がよかったのかもしれない。 2点(2004-06-20 02:36:19) |
5. トゥルーライズ
(7/21記)今回10点に格上げするにあたり、10点をつける自分なりの基準についてここで説明したいと思う。ここに登録してもうすぐ2ヶ月、だんだん自分なりの点数のつけ方が分かってきたのだが、「最高に面白い!ブラボー!!」という作品はあえて9点なのである。ではどんな作品に10点をつけるかというとそれプラスアルファが必要で、例えば自分の価値観に決定的な影響を与えたとか、コレだけは絶対に何があっても自分の手元に置いておきたいとか、何がしかのプラスの影響が強く出たものに10点をつけている。そういう意味ではこの作品はまさに私自身の映画の楽しみ方に決定的な影響を与えた作品であった。最初のシュワが女の手を取り「タンゴを?」と言った瞬間にフロアの音楽がタンゴ調に変わってしまう、この時点で私は「ああ、そういう映画なんだな」と理解した。そしてその瞬間、無意識のうちに「映画とは所詮スクリーンの中の虚構の世界、ありえない事を楽しみに変えるのが極意なり」と理解したのである。キャメロンがスクリーンで繰り広げる「ボケ」の数々に内心「ありえねぇぇ!!!」とツッコみながら、さあ何でもかかって来い、こっちはどんどん面白がってやる!と思っているうちに、全てがマンガのようなスコーーーンと突き抜けた馬鹿馬鹿しさがなんとも心地良くなってきた。映画なんだから、いくらありえなくたっていい。変にリアリティが追及されて現実を見ているような映画より、脳天突き抜けるほどのありえない世界に浸って目の前の不可思議を味わいたい。それまでどちらかというとスクエアだった私が、こうしておバカ映画を愛するようになってしまったのである。「常識破壊」というキャッチコピーのごとく、私はキャメロンに自分自身の常識を破壊された。もう、ことごとく湯水のごとく金を使いまくった超絶バカ映画(バカだとちゃんと自覚している映画)は、後にも先にもこれ以上のものはないと思うし、今でも仕事で心身疲れきったときはつい見てしまう。そして見るたびに、常識やこの世の仕組みやルールなんてモノは完璧に置き去りにして脳内旅行へ旅に出る。私にとっては、ある意味究極のファンタジーでもある。 10点(2004-06-05 09:50:58)(良:2票) |
6. ドグマ
この映画の楽しみ方は、目の前で繰り広げられていることに突っ込みを入れるのではなく、某マンガの「ぴよ彦」のごとく頭の中で「ガビーン」といいながら見ることにある。「な、なぜカモノハシ・・・」ガビーン。「イエスがヒッピーだよ!!」ガビーン。「しゃ、しゃべってるよサイレントボブ!!」ガビーン。そして・・・「ベン・アフレック、これって地だろ?」(爆) 8点(2004-06-05 01:01:01) |
7. 閉ざされた森
シリアスで緊迫感あるサスペンスだったのに、ラストで台無し。何じゃあのおちゃらけは。ま、トラボルタとジャクソンだからしゃあないっちゃーしゃあないかも。 5点(2004-06-04 20:48:14) |