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1.  オリバー!
フェイギン一党が物語の中心に「やくざな連中」としてあるのに対し、カタギの人たちがその前後で「実直な労働」の世界を群舞で展開している。下町の労働者グループと屋敷町の物売りたちの世界。それが悪の世界よりも見どころになっている。ミュージカル映画で楽しいのは踊りそのものより踊り始めるときの緊迫・日常が非日常に移るスリルだが、下町ではオリバーたちが逃げ込んだ路地裏で女たちがキャベツを盛った籠をえっさえっさとこちらへ運んでくるところ。以下労働のリズムでダンスが繰り広げられ、肉や魚を振り回して配分していたり、地固めやってる男たちやらと楽しい。後半では舞台が屋敷町に移り、まず花売りの一人の朗唱があり、次第にミルク売りやイチゴ売りらと呼び交しあっていく(前半のオリバーを売り歩く雪のシーンの朗唱が思い返された)。ミルク売りの脚が揃って伸ばされ、労働がダンスに変容していく。ダンスはさらに子守たちや窓拭き連中に広がっていく。残念なのは悪の連中にこれに拮抗するだけの魅力がないことで、まさか倫理的判断でそうしてるのではないだろうが、フェイギンに縛り首のキワで生活している緊迫感はなく、どこか「愉快なおじいさん」に傾いている。せっかく悪の魅力を得意にした映画監督なのに、舞台ミュージカルの映画版として仕上げていた。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-03-13 09:35:19)
2.  女と男のいる舗道
あっけなさというのがこの監督の重要な要素。ラストもそうだけど、初めて客をとってしまうところも、それらしい逡巡や決意の表情やらを見せず、出来事は不意に訪れる。街頭でのドンパチも、観客が「なんだなんだ」と戸惑ってしまうような仕掛け。観客に対する親切が紋切り型を作ってしまい、出来事を遠ざけてしまう、ということなんだろう。出来事は常に隣り合わせに起こり、ある種の自由の感覚がある。流動していくものを肯定する気持ち。人はいつも不意に状況の中にいるんだ、って。冒頭ヒロインのシルエットにタイトルが被さってるんだけど、音楽が中断しつつ流れる。音楽の中にゆったりと浸れない、沈黙が緊張を強いる。出来事が不意に起こるように、今続いているものが不意に消えることもあるってことか。
[映画館(字幕)] 7点(2013-02-11 10:25:06)
3.  大きな鳥と小さな鳥
タイトルを朗々とレシタティーヴォで歌い上げる陽気さでまず度肝を抜かれた。中間部の聖フランチェスコのエピソードがもう監督ならではのリズムで嬉しくなっちゃう。『奇跡の丘』の次の作品だが、『デカメロン』三部作のタッチ。ニタニタ笑う四人組にからかわれるシーンなんか、サイレントドタバタ風。コマ落としの多用。雀とは身振りで会話するという発想。鳥の群れとの会話。『アラビアンナイト』の鳥も感動的だったが、この人、鳥にひときわ愛着があるみたい。ラストで大きな鳥として飛行機が出てくるのは少し露骨過ぎたか。日本語字幕なしの上映だったので、やや想像頼りの部分はある。三部でカチューシャのメロディが流れたのは、ロシア革命と何か関係があったのかな。
[映画館(字幕なし「原語」)] 7点(2013-01-07 09:56:32)
4.  おしゃれ泥棒 《ネタバレ》 
夜の公共施設って誰でも夢見たことがあるんじゃないか。美術館以外でも、学校とかデパートとか劇場とか、夜中にふと目覚めたりすると、昼間にぎやかだった「あそこ」は今どんな感じなんだろう、と想像してみること。そういうロマンが本作の底にはあって、そこにさらに「異性と一緒だったら」と想像を広げれば、恋愛のロマンスも自然に絡んでくる。見どころはいかにして美術品を警備の厳重な美術館から持ち出すかで、ブーメランやら鍵の位置の計測など、いったい何やろうとしてるんだろう、というハテナを前もって観客に提示しておいてから、盗みの夜を迎え、ひとつひとつ種明かしをしていくという趣向。壁を這い進んでいく鍵など楽しい。二人が潜む階段裏の物置が、盗みの支度部屋と恋愛の密会部屋の重なる空間となり、出ていくときにオードリーが記憶にとどめとこうと見回すのがいい。本作で主役の二人は、役者としてよりも映画スターとしての華やかさや洒脱さを前面に出しており、だから観客は、トイレはどうしてたんだろう、なんて心配してはいけないのだ。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-08-13 10:09:59)
5.  おとうと(1960) 《ネタバレ》 
崑てモダンなんだけど、日本の家の暗さを描くと一流なんだ。日本の家屋の古さにモダンを見ている。描かれていることは陰湿と言ってもいいのに、観ている印象から言うと、湿り気が感じられない。田中絹代の母が、一家のあまりの「背教的態度」に、ああーと絶望の声を上げるとこなんか、陰湿さであるはずのものが客観的な笑いを生んでいる。この距離感が、崑のモダンたるところ。暗い話を、監督は一緒に閉じ籠もって暗く見てはいなく、外から見ている。田中・岸田がひっそりと話し合ってるあたりに漂うユーモア。弟の内面をほのめかすシーン、死なせた馬が可哀想と繰り返したり、アイスクリームで人に伝染させちゃいけないと言う場面などでは、常に姉を立ちあわせている。姉の目を通した弟にしている。そんなに悪い子じゃないのよ、って。姉にだけにはそう見せたい弟の甘えでもあるのか。そういうとこに、この二人だけの親密さが漂う。あるいは鍋焼きうどんで姉を試そうとするあたりも。外の人間に向かわない自分たち姉弟だけで閉じている親密さを、これじゃつまんないな、と弟が病床で述懐するところが切ない(これがけっきょく彼の最期の言葉になったのか)。日本映画では、ラストをピタッと決めるのがうまく出来ないのが多いんだけど、崑はうまいね。パッと断ち切る鮮やかさ。俳優では暗い田中絹代が素晴らしく、彼女の長い俳優歴のなかでも異色の代表作と言っていいだろう。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2011-06-30 12:15:48)
6.  女の中にいる他人
降り続く雨で、湿っぽいトーンが決定される。室内の陰影の味わいは横からの光が主になっているのだが、全体がモワーンとなにやらタレコメてる感じ。つまり湿っぽいのだ。フェイドアウトの多用も、その湿度上昇に関与してるか。あと顔が二つ以上、向きを変えて画面を埋める構図。妻と小林君。焼き場で草笛光子と小林君が何となく気になりあうシーンなど、いわゆるサスペンスの興奮とは微妙に違うような、でもやはりサスペンスの一種なのか、いい。停電の最中に告白しちゃうシーンもあったな。顔を合わせたがらない人々。まず観客はこの男と事件の関係をいろいろ想像するサスペンスがあり、次にそれがバレるかどうかというサスペンスがある。このつながり具合が、も一つうまくいってなかったようにも思う。それに題名がちょっと喋りすぎてる。輪郭線がにじむような画像処理など珍しいこともやっており、花火の夜の風景はストレートに美しかった。花火の音の効果もよろしい。次の『ひき逃げ』とともにこれは珍しいサスペンスものだが、気の弱い男としっかり女、という基本線は成瀬の本道だったわけだ。
[映画館(邦画)] 7点(2011-03-21 10:09:01)
7.  狼王ロボ 《ネタバレ》 
家族が出来たロボがインディアンの廃墟に住む、ってのは原作がそうなってるのか。ロボより先に土地を追われたものへの視線は、どの程度意図的だったのだろう。60年代後半だと、そこに批評的な眼がありそうだが、この映画が作られた前半は微妙な時期。少なくとも現在観るものにとっては、インディアンとロボが重なって見えてくる。そして伝説に流れ込んでいくあたり、展開としてはうまい。シークエンスの間に入るロボの歌が、カウボーイの伝説としての味を出している。こういう動物ものってのは映画でしか出来ないな。舞台でぬいぐるみでやったら悲惨だし、人形劇だと舞台が狭く、伝説というより童話になってしまう。ま、放送劇ならなんとか可能かもしれないが、視覚を伴うとなれば、実写かアニメかの映画しかないだろう。それはやはりフィルムがもともと記録のためのものだからで、とりわけロボの子ども時代は物語よりも記録性が強く、こういう「語り」はフィルムでのみ可能だ。でもあくまでこれは劇映画であり、そこが割り切れているから、たとえばテレビの動物ドキュメントなどでよく見られる中途半端な擬人化による不潔感は、かえって感じなかった。とはいえ、この手の映像がさかんにテレビで流れる現在見るといささか素朴で、その懐かしい素朴さが味わいと言えば言える。ロボは、徒党を組んで牛を襲い賞金が出ていると解説的には知らされるが、映像ではもっぱら家族レベルで描かれてたので、ラストで急に仲間がわらわらと出てきたのには、ちょっとつながりが悪かった。でも締めとしては効果的なスペクタクル。そうそう、こういうのはずっと音楽が鳴りっぱなしなんだよね。ちょっとした動作にもそれに合った音楽がいちいち付いて(「逆ファンタジア」か)うるさくはあるけど、これもなんか懐かしい。
[CS・衛星(吹替)] 6点(2011-02-09 09:59:26)
8.  女が階段を上る時 《ネタバレ》 
高峰秀子は、木下作品で明るくしっかり、成瀬作品で暗く不貞腐れ、と松竹と東宝で昼と夜を繰り返してたって印象があるが、今度「自薦十三作」で何を選んだか興味があった。そしたら断然「夜」の成瀬の勝ち。木下作品で選ばれたのは『二十四の瞳』一本だけで、ほかの作品のコメントでも、『喜びも悲しみも幾年月』は「演ってて面白くなかった、優等生すぎて」とか『永遠の人』は「脚本があんまり陳腐なんで」など、まるで成瀬映画の登場人物のようにグダグダ言ってる。もちろんこのコメントは演技者としての評価なわけだけど、高峰が木下作品の役にあまり満足していなかったのが分かって面白い(一観客としては木下の高峰も好きよ)。で成瀬作品で選ばれたのが三本、つねづね思い入れをエッセイなどで語っている『放浪記』と、公的な最良作『浮雲』の二編と本作。ちょっと意外な気もしたが、これでは彼女が“衣装”でスタッフに名を連ねており、そんな点でも思い入れが深いのかも知れない。いかにも成瀬的な、すがれ気味のバーの雇われマダムの話だが、脚本が黒澤映画の菊島隆三で(たぶんこれ一回きりだと思うが)どうもいつもと違うゴワゴワした手触りになっている。そのせいかどうか、高峰を含む女優陣よりまわりの男優たちの適材適所ぶりが光った。常連客の関西の実業家中村鴈治郎、銀行の支店長森雅之、こういったいかにも銀座のバーに出没しそうな男に混じって、加東大介が場違いの客として誠実そうにニコニコしている。また彼女の実家が佃島で、銀座の近くでありながらひなびた感じが漂い、そこにうだつの上がらない兄の織田政雄がピタリとはまる。ヒロインが病んだとき佃島に見舞いに来るのは、森ではなくその風景にピタリとはまる加東の方。加東はさらにひなびた、上流の千住のお化けエントツの近くに住んでいることもあとで分かる。子どもの三輪車がうるさく回るそのお化けエントツの見える荒涼としたシーンは、シュールな美しさが漂った。こう男優たちが東京の地理にふさわしく配置されているのが面白く、そういった非銀座的な男が絡むシーンが光るので、単なる風俗映画に閉じてしまっていない。
[DVD(邦画)] 7点(2010-05-28 12:14:23)(良:1票)
9.  大喧嘩 《ネタバレ》 
大川橋蔵と丹波哲郎がロウソク以外は闇のセットに立ち、大川がそのロウソクをパッと跳ね上げてタイトルになるの。山下耕作の様式美が展開するかと思っていると(『関の弥太っぺ』の翌年の作なので)それほどでもなく、川原での大でいりも、ごちゃごちゃとしてチャンバラの妙味に欠けた。十朱幸代も困惑顔ばかりなので、前年作よりブスに見える。いいのは脇役連中、金を貰っていながらいざとなるとソーッと逃げ出して丹波に斬られる西村晃、この人はみじめに殺されるのが実に似合う(『十三人の刺客』に冷徹な剣豪の役で出てて、『七人の侍』の宮口精二を思わせる貫禄。でもラストで狂った男に追いかけられ、地を這いずって逃げ回り、犬のように殺されていくってのが私が見たなかでは最高にみじめだった)。あと卑怯者の金子信雄があっさり丹波に斬られるとこで、場内に笑いが起こったと記憶する。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-03 10:51:32)
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