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1.  バッド・インフルエンス/悪影響
ジェームズ・スペイダー君が、セーター着て普通のサラリーマンを好演。ちょっと小心なとこが、やっぱり彼なの。ちょっと屈辱的な場面で・世間に対してチクショーと思っている場面でロブ・ロウが登場するってのが、分身の登場のようでもあってなかなか意味深。主人公は「世間に対してたかをくくること」を教育されていく。感化されていく。「世間なんてこんなものよ」と結局スーパー強盗にまでなり、同僚を殴り(と思い込む)、で怖くなってくるのは、ロブ・ロウがいなくなってから。財布を取りかえして戻ってきた部屋でのビデオによる殺人の記録シーン。時間のずれが重なる。血のあととか。ここらへんうまいですな。世間が敵になる。兄がロブ・ロウの指紋をとろうとする怪しいバーのシーン。蛍光灯振り回して女が踊ってて。世間から集団で逃げてるような人々。主人公の分身であるというより、『エクソシスト』みたいな純粋な悪の抽出、ってことになるのか。
[映画館(字幕)] 7点(2014-02-11 09:52:42)
2.  バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3
ディズニーランドに、開拓の国があるのが子どものころは不思議で、「おとぎ」と「冒険」と「未来」は並列できるが、「開拓」ってのはなんか違うジャンルの世界なのじゃないか、「ひとつ仲間外れが混ざっているのを選べ」という問題みたいだ、と思っていた。その後アメリカ映画を見るようになって、あの国にとって開拓時代ってのがほとんど神話なんだと納得するようになったが、本シリーズでも最後に開拓時代を置いているのは、そういう重石になるからなんだろう。ブラウン博士は歴史を変えてはいかんと言いながら、ストーリーではどんどん歴史を改変していくのがアメリカ精神の発露で、『素晴らしき哉、人生!』と同じ「未来は変えられる」という基本態度だ。ちゃんとダンスパーティも行なわれる。最後には20世紀末の映画っぽいスペクタクルが用意され、機関車の煙の色の変化で緊迫感を煽るのが、趣向。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-01-12 09:29:13)
3.  バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2
本作は未来篇ということになっているが、実質上のお楽しみは後半のダンスパーティで、一作目のややこしいパーティにさらにもう一本ストーリーを絡めたギュウ詰めのおかしさがたまらない。私はここが本シリーズで一番楽しんだところ。両親の若かりしころを現代の息子が眺めるというパーティだったのを、さらにもう一つの視点から見ていくその視線の絡まり具合がハンパでない。父がビフを車で殴りだしているのをマーティが窓越しに目撃する、とか(だからこれは1の記憶がまだしっかりしているうちに見るのが正しく、公開時もひとつピンと来なかったのは仕方がない)。時間と空間を飛び回っているようでいて、同一場所・同一家族(先祖・子孫)・同一脇メンバー、からはみ出さない「一座の芝居」という決まりを守っているのも良い。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-01-11 09:39:54)(良:2票)
4.  バック・トゥ・ザ・フューチャー
笑いの中心は85年と55年の時代差によるもので、スラングの変遷なんかはアメリカ人ほどストレートに笑えないのがもどかしい。救命胴衣とかレーガンならOKだが。現代と過去とで同じモチーフが繰り返されることの面白さは(主に両親に関して)生きている。叔父さんが檻に入っているところまで。そういう言葉で説明できる笑いを軸に、ぐんぐん押していったコメディだ。その「ぐんぐん」のリズム感のよさが、20世紀末の明るさだろう。母親が恋心を抱いてしまい慌てる面白さは、ちょっと間違うと粘ついてしまいかねない微妙な危うさを含んでいるのに、こういうところをきれいにクリアできるのがアメリカ映画の良さ。つまりそれを承知で笑いの種に出来るのが、アメリカだと言い換えてもいい。最後に天気が崩れてきてクライマックスへ盛り上げていくうまさも、(これはあの時代に限らないが)アメリカが一番得意としている気がする。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2014-01-10 10:14:45)
5.  パシフィック・ハイツ 《ネタバレ》 
ワタナベ夫人は面白かった。日本のおばさんらしさがよく出ていた。控え目に振舞いながら喋りまくってる感じ。で話のほうだが、法律を悪用する犯人てのが、サスペンス映画の材料としては向かないんだ。こういう人間がいるという情報としては面白いんだけど。サスペンスの悪人にふさわしいのは、犯罪組織の人間とかサイコ系がいい。それも理解不能のきちがいではなく、我々が共通に持っている心の暗い細部を思いっきり拡大したようなサイコね。このマイケル・キートンもラストで「家族の面子が立たないじゃないか」と興奮しているあたりは、そういういい悪人になりかかっている。警察に電話入れといてから殴られにいくの。ピストルで撃ってから正当防衛のための凶器を握らせる。
[映画館(字幕)] 5点(2014-01-01 09:28:14)
6.  白昼の通り魔 《ネタバレ》 
コミューンが崩壊し、インテリは自殺し男は死刑になり、女シノだけが生き残り続ける構図。「見殺しにすること」というモチーフが次の『日本春歌考』につながっていったか。理想が空回りする小山明子、ニヒリズムに落ち、村会議員になって自殺する戸浦六宏。本作から『儀式』まで、60年代後半から70年代頭への大島が一番元気がいい時代の始まりであり、常連たちが大島ワールドとしか呼べないものの構成単位となって自在に演じだす。村と東京の対比があり、それは「村から東京」というベクトルかもしれない。60年代後半は学生運動の沸騰した時代だが、『日本の夜と霧』で熱くなった気負いはこれらの作品からは感じられない。そのひとつ冷めた自省が黄金期たらしめたのだろう。コミューンが崩壊した60年代と来たる70年安保闘争を、新幹線が繋ごうとしたようでいて、その繋げない距離の存在を予告したようでもある(いまだからそう思うのかもしれないが)。
[映画館(邦画)] 7点(2013-12-03 09:44:03)
7.  ハリウッドにくちづけ
『スターウォーズ』のレイア姫がメリル・ストリープで、その母『雨に唄えば』のデビー・レイノルズがシャーリー・マクレーンとなかなかイメージしにくい世界(レイア姫が、すぐ別れたとはいえポール・サイモンと結婚したのも当時は全然イメージしにくかった)。冒頭、長回しの果てにマネーとマミーと間違える。この錯誤が心理学的に説明できる仕組みになっている母と娘のドラマ。マクレーンはさすがに鬱陶しい母親やらせるといい。退院祝いの席で、母親のほうが生き生きと歌う場面が充実している。ショーの密度のほうが映画の密度より濃いっていうのも困ったものではあるが。二人の口喧嘩も濃い。母と娘が病院で入れ替わりマクレーンに化粧を施していくとことか。以上が見せ場。でもサボテンに縛られたりモーターボートで追いかけたりしている撮影中の女警官の映画のほうが面白そうだったなあ。禁断症状の苦しみにぜんぜん触れないのも中途半端。
[映画館(字幕)] 6点(2013-11-27 09:55:03)
8.  博士の愛した数式
素数好きなもので、この原作は大好きだったんだが、映画には向いてなかった。でも映画で生きそうなところもあったのに使ってない。制限時間が80分ってのなんかすごく映画的に使える気がするが、あまり興味を示さない。2日目の訪問をナレーションで済ませてしまうもったいなさ。終盤の次第に時間が短くなっていくサスペンスも省かれた。周囲を牧歌的な風景にして、「癒し」の話にしてしまった。この監督は素数にドキドキした経験がないのではないか(たとえば最近ではおととし2011年が素数年だった、次は2017年だ、2040年から2052年までは素数の暗黒時代だが、2080年代には4回素数がめぐる、というようなことにドキドキするかしないか、ってこと。素数とは違うが今世紀最大のドキドキは2の11乗の2048年)。タイガースの試合を観にいくのを、周囲の牧歌的風景に合わせてリトルリーグに変更したのは、手間を省いたってことでもあるんだろう。それでも「友だちとしてきたんです」のところではホロッとしてしまった。
[DVD(邦画)] 6点(2013-11-04 09:25:57)
9.  ハバナ
キューバンリズムに乗ってハバナの街に人物たちを導きいれていく出だしは快調。なんでも自分のストーリーに持ち込んでしまうハリウッドの力はやはり認めたい。今回はキューバ革命。歴史なんてみんな同じことの繰り返しで、すべてハリウッドのデータに存在している、という達観があるんでしょうな。舞台の違いが作品の個性になる。R・レッドフォードは、あんまり「流れ流れてきたさすらいのギャンブラー」というヨドミが感じられないのが、つらい。ボーイスカウトやってたみたいで。いろいろとキザなせりふがあり、昔の美男なら合ったかもしれないけど、ちょっと浮いちゃう。「中国の蝶が羽ばたくとカリブにハリケーンが起こる」なんてのは、いわゆるバタフライ効果を中国→キューバの革命の伝播になぞらえている。「あたしを待ってたのね」「ああ生まれたときからさ」なんてなると、現在メロドラマ作る難しさのほうを思ってしまう(現在と言ってももう四半世紀前か)。体制の激変とメロドラマは相性いいはずなんだけど。着飾った人々と兵士の取り合わせってのがいいんだ。人を脅すときに空の皿をレンジにかけると効果がある。賭場のシーンで盛り上げが欲しかった。
[映画館(字幕)] 6点(2013-10-11 09:43:33)
10.  パッチギ!
オックスの失神騒動で始まって、ひょうひょうと変身していくオダギリジョーなど、当時の風俗回顧的楽しみがあった。「かわいそうな被害者」としてマイノリティを描くまい、という意志が感じられ、彼らは“なんじゃこらっ”と踏ん張っている。しかしこれも別の「型」になってしまってはいなかったか。キムラ緑子の、特別な見せ場を与えられていない存在感のほうが印象深かった。鴨川がイムジン河となり、争う二派がなにやら祭りをやっているようなニギワイを見せる乱闘の場。看護婦・真木よう子の跳び蹴りがよい。あとギャグとして好きなのは、ラジオ局でディレクターが上司をつまみ出し、血を流しながら戻ってきて「話はついた」とニコニコ笑ってるとこ。
[DVD(邦画)] 6点(2013-09-23 09:51:03)
11.  春が来れば
日本で公開される韓国映画は都市部のが多く(単に私がそういうのしか見てなかったのかもしれないが)、これは炭坑の町、韓国の田舎の空気を味わえたのが一番の味。眼病が流行ってるの。あれは炭坑ゆえの地域病なのか。といって公害告発には進まない。最後に主人公の音楽講師も眼帯をして、町に溶け込んだことを示す。世話焼きの母親もいい。あくまで比重は主人公の大人であり、生徒は脇。親の理解を取り付けるときにふさわしいのは「威風堂々」。あの曲のように至って正攻法のドラマで、その正攻法ぶりが心地よかった。(今思い出したが最近の『昼間から呑む』ってのも地方色を味わえる韓国映画だった)
[DVD(字幕)] 6点(2013-09-20 10:20:53)
12.  薄桜記 《ネタバレ》 
立ち回りってのは、立ってやるものだったが、これは寝てやるのがミソ。立って刀を構えて相手のスキを探して互いにグルグル回るから「立ち回り」なんだろうか。戸板に寝て、しかも右手がなく、片足も負傷している。素人の私にはスキだらけに見えるが、そこは雷蔵、強いのだ。刀を杖に体を起こそうとしているときなど、もう全身スキのようだが、敵は刀を構えてたじたじとするだけで、雷蔵が体を起こし終わってから斬られに突っ込んでくる。武士道である。倒れているときには、ワーッと叫んでただ雷蔵の上を跳び越したりしている。半分歌舞伎の立ち回りと思って見ればいいのか。ああいう様式とリアリズムの中間の不思議な世界であった。悲壮美ではある。敵方の一人が短筒で仕留めようとするのを止め、代わりに出ていった別の敵があっさり斬られちゃうのも武士道である。前半は、千春に襲い掛かる凶暴な「お犬さま」がやけに人懐こそうだったり、飛び掛かっているというより投げつけられてるようだったりなど、なかなかノレなかったが、右手を斬られるあたりから凄絶さを秘めた伝奇的な雰囲気が漂い出した。夕焼けの橋の上での立ち回りには、あとで五人の手負いの経過を思い出すところも含め、やはりリアリズムから遊離しかけた美しさがある。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2013-09-11 09:53:46)
13.  ハートに火をつけて
愛は屈折する。一途な愛ってのははたから見ると滑稽になってしまうもので、現代ってのは「はたから見る」時代だから、そういう話が多くなってしまうのか。D・ホッパーが木の陰からドキドキしながらJ・フォスターを見守ってるあたりおかしい。募る愛に苦悶するとサックスがむせび泣く。この湿った音色がかえってカラッとしたギャグになってしまっている。異様にくどく身元調査をさせるの。殺し屋としての執拗さが、そのまま恋する男の執拗さに、質感が同じまま横滑りしてしまった男。C・シーンがあっさり処理されてしまうのも嬉しい。テクノ芸術の現代から、羊のいる開拓時代へさかのぼっていく旅のようでもある。情熱は隠すことが出来ない、ってなセリフがありましたな。なんか公開にあたって揉めてた映画。
[映画館(字幕)] 6点(2013-08-27 09:56:45)
14.  ハンガリアン
無表情の長回しで、じっくりじっくり進行する。ちょっと気分が「俺は何でこの人たちに付きあってるんだろう」と離れそうになってきたあたりで、ロシアの捕虜を殺せなかった兵士が草の中で射殺される場面になり、のめりこんじゃった。カメラが行きつ戻りつして、じかに現場に立ち会ってるようなあっけなさ。リアルだった。あるいはひと夏のよき日、上等なタバコを吸って草笛吹いてのスケッチ。自転車を買う海への旅もいい。みなが適度に散らばって海へ歩いていく厳粛さ(ハンガリーは海がない。忘れないうちに書いとくと、これ戦時下のドイツへ出稼ぎに来たハンガリー農民たちの話)。雨が降ってきて自転車を濡らさぬように小屋に逃げ込めば死体があり、そういう時代なの。ドイツの人々の描写もよく、地主が息子のおもかげを農民に見るあたり実に優しい。「ドイツもハンガリーなんかと組まなけりゃ良かったのに」なんて農民がぼやく。自虐的ってわけでもない。淡々と感想を呟くだけ。音のみによる空襲シーンも良かった。露出過剰による夢のシーン、さかんに“マジャール”とか言ってて「ハンガリーとは何ぞや」についての結論的エピソードらしかったが、白地に白の字幕でまったく読めなかった。かえって言葉によるマトメがなくてよかったかも。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-21 09:25:09)
15.  ハラがコレなんで
状況としては切羽詰ってはいるのだが、気持ちで乗り切ろうとする娘を描いて、『川の 底からこんにちは』の流れを汲んではいる。あちらが中小企業という場だったのに対し、こちらは長屋が舞台。社会に対して攻める立場の企業と、社会から守る立場の長屋の違いか、どうも切れ味が悪い。「いい風吹いたら、そのときドーンと」と風待ちの姿勢を基本態度にしている。そもそも、この長屋世界を持ってきたのがパロディなのか、本気なのか、はっきりしない。福島の災厄で「地域の結びつき」が破壊されることの傷ましさを私たちが痛感していたときだから、ここで長屋ユートピアを夢想したい気持ちになるのは分かるけど、もう私たちは長屋暮らしの鬱陶しさも十分知っており、何も地下に不発弾はなくても、最初のアパートで引越してきたばかりの隣人のように警戒感抜きの態度は取れなくなっている。ラストで何もない福島に行くのは、もうそういうものが非現実的なユートピアになってしまっているってことの確認なのか。ここらへん、マジかパロディかよく分からないんだ。タクシー料金踏み倒す女が、粋だ粋だって言ってるおかしさを笑えばいいのか。石橋凌の店で男二人が陰気にカウンターに立ってる図と、子ども時代のヒロイン(大野百花嬢)はよかった。
[DVD(邦画)] 5点(2013-08-15 09:34:34)
16.  蝿の王 《ネタバレ》 
原作は「権力とは何ぞや」に迫る小説だが、これはただ「二年間の休暇(十五少年漂流記)」を引っくり返しただけにも思える。20世紀は文明が文明そのもので野蛮になった時代で、文明が非文明に退化して野蛮になったわけじゃない。人間の集団の根源を見せてくれる原作。19世紀の「二年間の休暇」の時代は、権力機構がちゃんと機能すれば秩序正しい2年が送れるという人間の組織性に対する素朴な信頼があったが、20世紀は人間の集団こそが人類の敵だとはっきり分かってきた時代。まるでレジャーを楽しむような青空、青い海。象徴性を持たされた子どもたち。それでも彼らは儀式を必要としだす。「春の祭典」に近い音楽で盛り上げていく。サイモン殺しも怖いけど、ピギー殺しの戯れのような雰囲気が怖い。ラストで兵士が「いったい君たちは何をしてるんだ」と言う。その理性的な言葉を兵士(20世紀の野蛮の代表)が言う皮肉。演出での面白味はあまり感じられなかったが、「手堅い」ってことかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-11 09:33:33)
17.  バイオレント・サタデー
ジョン・ハートの気持ち悪さがいい。決して薄ら笑いでなく、ニコニコする微笑で不気味さを出せる人。ウィークエンド・パーティ、離れた部屋の画面に不意に映ってしゃべりだす不気味さ、しかも消えなくなっちゃって天気予報のまねをするギャグつき。プールでのささいな喧嘩、夜のテレビでのスイス風景、など緊迫は高まっていって、それを見ているJ・ハート。怪物だ、とか言うんだけど、そのときゆっさゆっさ体を動かして、おどけて怪物のまねをするんだよね、気持ち悪い。レーザーガンで食堂こなごなのスローモーションのペキンパー印。ビデオ見詰め続ける男の不気味さは、現代の不気味さ一般に通じるものがあります。
[映画館(字幕)] 7点(2013-08-01 09:34:15)(良:1票)
18.  晴れ、ときどき殺人
劇の中でのクシャミってのは、ベテラン俳優でも不自然になってしまうものだが、本作での太川陽介君は良かった。あんまり自然なんで撮影中うっかり出てしまったのをそのままリアリズムっぽいので取り入れたのかと思ったら、だんだん風邪ひいていく設定になってて、演技だったのかと思い直した。役者を侮ってはいけない。意外な役者が意外な場面で光ることがある。で本作、浅香光代が死ぬまではどうなることかと心配だった。いや死んだ後も渡辺典子嬢が踊ってたりするところは、かなりヤバかった。いいのは探偵殺しのシーンの長回し、いちいちの人物のまわりをぐるっと回り、こいつはいる、こいつもいる、と点検してる感じで、観客は次第に、こりゃあの部屋で何かが起こってるぞ、って気になってくる。理にかなった長回し。全体、刑事が笑わせた。警察手帳を見せるとこ、額縁を傾けるとこ、犯人逮捕のとき「最初から分かってたんだ」と言うとこ、など。刑事の九十九一(つくもはじめ)って、でんでんなんかと同じころ芸人の勝ち抜き番組に出てて、とても面白かった記憶がある。
[映画館(邦画)] 6点(2013-07-04 09:28:16)(良:1票)
19.  バックドラフト
こういうオトコギの世界は単純なほうがいいな。犯罪がらみにしないで、父を殺した火に復讐するまでの神々しい物語にしてくれたほうが良かった。D・サザーランドはいいんだけど。賢兄愚弟もので、初仕事で救助したと思ったらマネキンだった、という恥ずかしさがトラウマとして残っている。消防士ってのはアイルランド系が多いのか? 火の表情は『タワーリング・インフェルノ』のころよりうまくなっている。這い寄って来る感じ、小さな竜巻を起こしてたり、生き物ってのよく分かる。化学工場の火災ではドラム缶がボンボン飛ぶ。手持ちのカメラシーンが多く、炎の中なんか上下が分かりづらく迫力を欠いた。あくまで男の子が消防士に憧れる気持ちを中心に持ってくるべきだった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-15 09:22:45)(良:1票)
20.  幕末純情伝
前半はいいんです。沖田総司が人や格子を斜めに切り裂くところとか、喜八や清順を心の師にしているのか、新人監督の気合いが感じられます。牧瀬里穂の二本差し姿もりりしいし。でも彼女が娘姿になってから勢いが落ちた。別に史実を守る義務なんかまったくないんだけど、せっかく沖田が女だったという嘘を一個入れたのなら、その回りは出来るだけ史実で固めたほうが、その嘘が輝いたんじゃないか。つかこうへいの原作はどうなってたんだろう。全共闘がダブって、変革とか挫折とか、そういうモチーフも入ってたな。町人たちのなかにチョイ役で漫才がいる(「ピンクの電話」って言ったか)のが、なんか懐かしかった。むかしは鳳啓助・京唄子あたりが顔出してた。ちっとも面白くないし、映画作品としてどういう効果が出てたのかは分からないけど、あの「賑やかし」の気分は、寄席の演芸で落語の合い間に色物芸が入るようなもんで、嫌いじゃない。ポスターなんかで無理におどけた顔して隅っこに写ってて、ああいう伝統しばらく絶えてたんだけど。
[映画館(邦画)] 5点(2013-05-26 10:02:25)
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