1. ブーリン家の姉妹
《ネタバレ》 次々嫁チェンジしてたヘンリー8世のことや、2番目の妻にしてしたたかなアン・ブーリンのことは多少知っていたけど、妹まで巻き込んでいたとは知らず、とても面白かった。 また、ブーリン姉妹以外の、親や叔父の、娘(めい)を利用してでも権力と地位を欲しがる様も見ごたえがあった。 そういえばチャールズ皇太子も、最初はダイアナの姉と付き合って、そのあと妹のダイアナと付き合ったわけだけど、スペンサー伯爵家の父親が、この映画のブーリン姉妹の父親や叔父みたいに、必死で娘たちを売り込んでたのかな…なんてイメージもしたりして。 英国王室は、こういう世継ぎのための結婚と、妾制度っていう歴史が当たり前のように継承されてきたから チャールズに対しても、愛情をもてないダイアナと結婚をしても失敗して離婚したのもさもありなんという印象。 それにしても、スカヨハは演技の幅が広い。 SFやアクション映画で勇ましい戦うキャラを演じてみせたかと思えば、こういう歴史上の控えめな淑女も完全になりきっちゃうし。 ナタリーポートマンは、眉毛をヘニョヘニョな形にゆがませた泣き顔が本当にお得意で、この映画でもその表情で何度も何度も悲しい顔を見せてくれます。 レッドメインとかカンバーバッジとか、ほんの脇役も味のある英国人俳優使っていているのも贅沢で良かった。 アンブーリンの肖像画を見たことあるけれど、Bのマークのペンダントも再現されていてよかった。 ヘンリ―8世は、兄が早くに死んで王になったので、次女であるメアリーに、次男次女の苦労という意味でシンパシーを感じていたのかなって思ったり。 (それを感じさせるセリフも劇中に入っているし) [インターネット(字幕)] 7点(2021-03-29 16:32:39) |
2. プラダを着た悪魔
2020年に初めて見て、劇中でマドンナの大昔のヒット曲「VOGUE」がかかっていて 「え…これってそんなに古い映画!?」って驚きました。 まぁアンハサウェイやエミリーブラントがめちゃくちゃ若いのでそれくらい古いものだとは思っていましたが。 ミランダが着ているコートの毛皮率が高かったのも、古い印象。 今では動物愛護の観点で、毛皮を扱わない宣言をしているハイブランドがほとんどですから。 女のキャリア追求っていうテーマも古さはあります。 時代を反映してる映画の宿命ですね。 それでも次々出てくるステキなファッションは見ていて目の保養になるし、自分も特に太っているわけではないけれど、もっと体をひきしめたいなっていうモチベーションにも繋がりますね。 スタンリーおじさんは、字幕では通常の男言葉だけれど、ちょっとオネェ入ってるイメージ。 「あんた、ダサい恰好してるとナメられちゃうわよ?ほら、この靴をあげるから履いてみなさいな!」 みたいな。 映画の内容というより、それこそVOGUE誌のページをめくるような、見ているだけでいいやぁ~っていう気分にさせてくれるオシャレな映画。 [インターネット(字幕)] 6点(2020-09-27 18:25:18) |
3. プレステージ(2006)
《ネタバレ》 そっかぁ、SFかぁ。 考え見れば、ノーランって「インセプション」「インターステラー」「メメント」「バッドマン・リターンズ」そして「テネット」…って、基本的にSF要素がないと撮る気が乗らない監督なのかも。 でもそれより、え?そもそも、この二人の憎しみ合いの発端って、ボーデンがプロ意識強すぎて、カッターの反対を押し切って、助手でアンジャーのワイフの両手を二重結びにしたせいでしょ? 助手はマジシャンじゃない。 万が一のことだってあるのに、100%安全じゃない状態で助手の両手を二重結びしてる時点で、これって事故も承知の上での殺人ですよね。 悪いのはボーデンなのに、なんで最後の最後で勝つのはボーデンなの? 後味悪すぎ。 アンジャーは仕返しに、ボーデンの左手に銃を発砲したことと、アンジャーの瞬間移動をパクっただけ。 一方ボーデンは、アンジャーのワイフを死なせてそもそもの発端を作った張本人のくせに、さらにアンジャーの舞台で小鳥のマジックを失敗させて観客に返り血を浴びせるわ、瞬間移動のマジックを舞台上で邪魔して大恥かかせるわ、舞台下にあったクッションを隠して左足に大けがを負わせるわ…ほんと極悪非道なクズ男。 (小鳥マジックの妨害なんて、なんの関わりもない観客の女性を私情に巻き込んで洋服や顔を血だらけにさせてトラウマにさせたあたりが本当に本当に頭にきた。 舞台上で営業妨害っていうのだって、アンジャーは1回だけなのに、ボーデンは2回もやってる。なんで?悪いのはそもそもボーデンだったでしょ。 私でさえ、ボーデンに激しい殺意を覚えた。) アンジャーはワイフを殺された恨みを晴らそうとがんばったのに、結局相手に仇討できず、相手に殺されるって何この救いようのない物語。 ボーデンが、自己犠牲払ってでもマジックが大事とかいうきれいごと言ってましたが、いやいや、あんたひとりが偽の人生歩いてるならいいですけど、それなら結婚もしちゃだめだし、子供も作っちゃだめでしょ。 誰にも迷惑かけないように一生ひとりぼっちで生きるべき。 中途半端に人生を楽しんで、あげくに自分が原因でアンジャーのワイフを死なせてるくせいに逆恨みして最終的にアンジャーを銃殺ってどういうこと? それで気付いた。 これって、悪魔VSエクソシストの映画ですね。 悪魔がボーデン。アンジャーがエクソシスト。 悪魔のしでかしたことを、エクソシストが必死で悪魔を祓おう(滅亡させよう)とするが、悪魔のほうが強すぎて、エクソシストのほうが殺られる(あるいは負けて終わる)っていうバッドエンドは、悪魔映画の王道ですからね。 (スカヨハがどの場面でもどの角度から見てもお顔とオッパイが美しいところだけ悪魔映画ぽくなかった。) [インターネット(字幕)] 2点(2020-09-23 00:51:13) |
4. ブレードランナー/ファイナル・カット
レプリだって恋をするんだ! レプリだって長生きしたいんだ! そんなレプリの悲哀感を、”夜”、”雨”、”ネオンの光”…の中でシンプルに描いた作品。 逆光を多用し、たばこや立ち込めるスモークや、水に濡れた床や地面に反射するネオンの光など、光を巧みに操り、ひたすら美しい場面作りに終始している。 一番気に入っているのはJFセバスチャンの怪し過ぎるお部屋。 不気味な人形、小人症の方の演じるナゾのロボット…どれもアートの香りがしてたまらない。 CG技術のない時代のSFの方が、昨今のCGばりばりのSF映画より面白いものが沢山ある。 「エイリアン」、「スターウォーズ・エピソード4」そして「ブレードランナー」等。 実に、レトロかっこいい。 あちこちに出てくる、へんちくりんな日本文化…つまり、外国映画でよくやらかされちまう”中国と日本の文化を一緒にすんな”的なものが随所に出てきて、それはそれで、混沌とした感じが面白いではないか。 強力わかもと!! [DVD(字幕)] 7点(2020-08-28 17:41:02) |
5. ブロークバック・マウンテン
《ネタバレ》 ジェイク・ギレンホールが大好きなので、彼が出ているからという理由で鑑賞。 序盤でジャックが、イニスに「ひつじを撃って食べちゃおう」って誘った場面を見た瞬間、「ジャックがウケで、イニスがセメだな」と直感で分かりました。ルールを破ることをそそのかす、まるでそれはアダムとイブのイブのよう。ゲイはどちらも男だけれど、やはり男役を受け持つ側と女役を受け持つ側がある。ジャックはあきらかに女のほうだと思った。 その後テントで初メイクラブのときも、最初はジャックから襲いかかったものの、すぐさまジャックがウケの態勢に・・・やはり直感どおり。 さてそんな目線(ジャック=女、イニス=男)でこの映画を見ていくと、まことに男女の恋愛そのものである。 ジャックの言動を見ていれば、まるで女そのものだ。 世間体とか気にしないで「一緒に農場やろ!」って無邪気に何度も誘うところといい、イニスが離婚したとわかったら車すっとばしてかけつけて「引越し先さがしてきたよぉ~!」ってニコニコうれしさ200%な表情を見せるところといい、イニスとなかなか会えないことを愚痴って「アタシ、もっと一緒にイチャコラしたいっ!」ってキ~ってなるところといい、イニスに冷たくされて帰りの車でクスンクスン泣いてそのあと誰でもいいから抱かれたいってなって路上の男を拾って抱かれるとことといい、いやまさにジャックの女っぷりがその女そのものな微妙な表情の演技によって痛いほど伝わる。 一方イニスはまさに男であり、いかにも女な感情的なジャックに対して、無口なくせに実はツンデレな男を見事に演じきってくれた。 私の中では、同性愛映画というと、どちらかといえば「モーリス」や「アナザーカントリー」のように、登場人物のイケメン俳優がからむ場面で萌えとか、そういう需要のためにあるというイメージだった。しかしこの映画は、そんな既成概念をふっとばすような、内容ありきな、すばらしい映画だったと思う。 この時代におけるゲイに対する偏見が、不倫という障壁と共にふたりの前にたちはだかり、「そんなの気にしないモン!」っていう無邪気なジャックと「いやそれやっぱむりでしょ」という現実主義のイニスの、お互いへの想いは本音であっても、どこまでも交われない平行線の建前が、心をしめつける。そう、この映画は男女のロマンス映画では描ききれない、ゲイだからこその苦悩を、それぞれの妻、あるいは恋人、仕事先、実家の家族・・・あらゆる関係者を巻き込んで、これでもかこれでもかという勢いで、完全に描ききった作品なのだ。 それを証拠に、この映画の受賞歴はおびただしい数。ゴールデングローブ賞作品賞、監督賞、脚本賞、アカデミー賞でも脚色賞、監督賞・・・やはりこの映画、だたのゲイ映画というククリでは終わらない、深いものを持っていることは確実。 ところでジェイク好きでジェイクのいろいろな作品を見てきた私の意見だが、ジェイクがイニスを見つめるときの色っぽい目つき、これ、女優相手の普通のラブシーンで見せてきた演技のどれよりも色っぽい。その他にも、イニスがらみで見せる、いろいろなシチュエーションでの喜怒哀楽やそれがにじみでるようなとても繊細で美妙な表情・・・すべてが色っぽい。ゲイの女サイド・・・という立場を演じているから、特に意識しているからだと思うけれど、とにかくイニスがらみで見せる表情がドキドキすぎて、ジェイク出演作品の中で一番ジェイクの”艶”が出せている作品だと思う。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2018-07-25 17:36:17) |
6. フライトプラン
《ネタバレ》 ジョディが機内にいたアラブ人を疑ってかかったことについて、アラブ人にいっさい謝ってないことについて問題視する批評もありますが、あのアラブ人、通路を突進してきたジョディをひっつかまえて座席にガツンとぶつけてノウシントウの刑を食らわせてますので、ケンカ両成敗ですね! ****** それはさておき「娘を乗客誰一人も見てないなんてありえない」という意見が目立ちますが、あえてこの映画を弁護させてください。前列の子連れ家族が来たとき、娘は座席下にあった飛行機のおもちゃを拾おうとして座席から降りそのまま座席下におもちゃをイジりながら体を縮めていました。だから前列の家族連れの親は視界に入らない。もし娘がそのまま座席下で遊んでいたら後から来たであろう後ろの席の客も視界に入らなかったでしょう。前列の子連れ家族はお互いにガヤガヤしてそもそも人のことなど眼中にありません。フライトアテンダントもビジネスクラス以上の客には一人一人笑顔で入口であいさつしているので、ある意味乗客の顔や年齢をチェックできますが、エコノミーは「勝手に入って座ってろい」状態なので、誰がどこに座ったかなんて記憶できないでしょう。さらに夜の機内では、上客は寝てるか映画見てイヤホンしてるので気づきにくい時に、ジョディは娘といっしょに一番後ろの空席にこっそり移って座席一列(ジョディが中央の1列分、通路はさんで、娘が窓際の一列分)を使って寝ていたのです。ジョディが寝ている間に、寝ている娘を席の後の出入口から人目につかず拉致するのは簡単です。そして決定打として、機内を「娘はどこよ!」と走りまわり絶叫し誰かれかまわず疑うようなモンスターペアレント・オバサンに「私見たかもしれません」なんてへたに手を挙げようものなら「まさかあなたが犯人?きっとそうよ!捕まえて!」なんて展開になりかねません。へたに協力するより黙ってたほうが身の安全です。そういう見方が妥当だと思います!!!(で・・・・・もし一番後ろの席に二人が寝ないでいたら、犯人は乗客のまっただ中の座席からどうやって娘を拉致するつもりだったの?という質問については黙秘権を行使させていただきます!!w) [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-11-05 14:18:46) |
7. ブタがいた教室
《ネタバレ》 レニーゼルヴィガーとユアンマクレガーが出ている「ミスポター」でのワンシーン。レニー扮するポターが、田園地帯を散策中、牛の世話をしていた農夫にたずねる。「この牛は、なんて言う名前なの?」それに対して彼は答える「家畜に名前はつけません。殺すときかわいそうになるのでね」・・・・・・つまり、これが「ブタのいた教室」が0点である理由の全てなのである。 この教師は、子供達にブタにPちゃんという名前をつけさせてしまった時点で ”生き物を食べるために育てる=家畜” と ”生き物をかわいがるために育てる=ペット” の違いが分かっていない愚かな教師だ。 育ててから子供達で食べるかどうか決めさせるのであるなら、スタート時点で名前をつけず、「家畜」「ペット」の境界をニュートラルにする必要がある。しかし、すでに名前をつけて「ペット」に分類させたブタを、最終的に食べるかどうか決めさせるなんていう行為は「育てたブタを食べるかどうか?」ではなく「かわいがったペットを食べるかどうか?」と子供たちに迫る愚行なのである。 いわば「戦地で食べモノがなくなったら、死にかけの戦友を食べるかどうか?」という議論をするようなものだ。われわれとて、ペットとして飼っていた動物は食べたくもないはず。 そんな意味不明で議論のテーマにもならないことを、おおまじめな顔で議論し、見当外れの意見がとびかう教室。空いた口がふさがらないのである。 食物連鎖のピラミッドは自然の摂理。それにしがたい、生きるために上の階層が下の階層の生物の命を奪うことには罪はない。 罪があるのは、生きるため以外、すなわち装飾のために毛皮とるために殺すとか、ハンティングのような娯楽のため殺すことだ。教師が教えるべきことは、そのことであって、「生きるために動物を殺すことはアリかナシか?」ではない。人間はほかの生き物と違い「感情論」を持つ生き物であるがゆえに、生き物を殺す葛藤が生まれる。でも大事なのは、食物連鎖という自然の摂理に従い下層の生き物の命をいただき、その食べ物に感謝すること、そして、食べモノを粗末にしないことであることを伝えることが教師の役目だ。 それを伝えたうえで、毛皮はぎの現場の映像資料を見せ、食物としてでなく装飾目的で動物達が糞尿と病気が蔓延する劣悪な環境で大量に育てられ生きたままこん棒で殴ったり感電して失神させられ生きたまま泣き声をあげようが容赦なく皮をはがされ、まだムシの息で生きたままの皮をはがれた動物達の山が食べられることなく積み上げられ廃棄されている場面をしっかりと目に焼きつかせることも教師の役目だ。 子供達の母親世代には、毛皮の現状も知らずダウンジャケットのフードのフチにリアルファーがくっついているのを何の意識もなく購入して「きれいでしょ」くらいの気持ちで着用している。そうした親が子供に毛皮の罪を教えることは期待できないのなら、学校で教えるしかないだろう。 名前をつけてペットとして飼育したブタを食べるかどうかなんていう意味のない議論をするより、学校のウサギ小屋にいるウサギを教室に運び込んで「みなさんの着ている上着を飾るために、このウサギを生きたまま殴って気絶させて皮をはいで、みんなの上着に縫い付けるかどうか議論しましょう」と、毛皮の真実を教えるほうがよっぽど、命の重みを学ばせることができたのではないか? 最後にひとつ。 ディズニーピクサーの「モンスターズインク」で、外来の汚染生物であり危険な存在と認識されている”人間”の女の子。マイクはその子をどうやってモンスターの世界から追い出すか、それまでの間彼女をどう隠すか、を必死で考えているのに、マイクの親友サリーはその子に<ブー>という名前を付けてしまう。それを知ったマイクは叫ぶ 「名前なんてつけたら、愛着わいちゃうでしょ!」 そう。だから私は言いたい。 「ブタにPちゃんなんて名前つけたら、愛着わいちゃうでしょ!」 [地上波(邦画)] 0点(2014-08-04 15:37:46)(良:3票) |