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1.  二人で歩いた幾春秋
入学式のあたり木下節快調。金網越しに親子が並行移動する。この金網は学歴の差なんだろう。『二十四の瞳』では船に乗っている修学旅行の同級生と、奉公人となって働いている松っちゃんが並行移動し、『野菊の如き君なりき』では若坊ちゃんと奉公人がやはり並行移動する。一緒に進みたい者たちが、遠慮や気後れから離れて同じ方向へ進むとき、木下映画では泣けるんだ。本作では父と子がそれをやる。佐田啓二は木下に見いだされて『不死鳥』でデビューしており、二年後に亡くなる彼は木下作品ではこれが最後の主演だろうが、渋い境地を見せ始めていた(せがれの恋人が倍賞千恵子という年齢)。佐田・高峰の夫婦で若山彰の歌が入るという明らかな『喜びも悲しみも幾歳月』の二番煎じだが、五年おいて二番煎じやるってのもすごい自信だ(本作は道路工夫の話)。
[地上波(邦画)] 6点(2013-09-12 09:52:19)
2.  豚と軍艦 《ネタバレ》 
長門裕之、ちょっと演技過剰だけど「滅びゆく豚の代理人」としてその愚かさを否定的でなく描いている。ヤマ場で豚に向かって「逃げろ」と叫ぶのは、初めて恋人吉村実子への真摯な語りかけだったんだろう。アメリカに寄生する豚のような人間たちを豚が押し潰していく60年安保直後の夢の爆発、アメリカに色目を使うネオンサインを機関銃で破壊していく爽快な夢。でも本人は便器に顔を突っ込んで死んでいくわけで、夢でない現実は吉村実子のこれからに託されるわけだ。ラストの超望遠で口紅を拭き取るシーン、以後も今村でよく目にする望遠の効果の代表例となる(その対極のように豚とそれに潰されていくやくざの顔が画面にミッチリ詰め込まれたカットもあった)。基地に寄生するという形で現実を生きていく女たちも、批判的ながらイキイキ描かれていた(70年安保のときにもう一度横須賀をドキュメンタリーで描いた『にっぽん戦後史』で、そういうマダムを対象にする)。でも本作が記憶に残るのは日本では珍しかったブラックユーモアの連発で、癌ノイローゼのやくざという造形が傑作。自殺できない気の弱さから殺し屋に「知らない間の射殺」を依頼するも、その後勘違いが分かって逃げ回るという滑稽。それ以上に記憶に刻みつけられるのが加藤武で、ニコニコ笑いながら「へへへ、シルが出たよ~」と死体処理の汚れを人につけて楽しんでいる。「豚から入れ歯」のシーンも、彼のニコニコ笑いがあるのでさらに弾ける。小沢昭一のエッセイにはよく加藤の話が登場し、生粋の江戸っ子なのね、彼。本作のニコニコ笑いを見てからずっとファンです。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2012-09-27 09:49:15)
3.  フレンチ・ドレッシング(1964)
60年代ってのは、ポップの時代ってことで世界的にトーンが一貫してますなあ。『ナック』『茂みの中の欲望』などイギリスだけでなく、ヌーベルバーグだって、あれポップのバリエーションと見ることが出来るんじゃないか。ヨーロッパの伝統の重みから身軽になりたい、って気分。K・ラッセルの異才もルーツをたどると普遍的なポップという土壌に行き着きそう(本人によるとなんでもジャック・タチ・スタイルを意識したそう)。これをギトギトケバケバに煮詰めていったところに、独特の作家性が生まれたんでしょう。で本編がデビュー作。この人の好きな四角い舞台(ボクシングとか)が、もうこれのローラースケート場で出てくる。式典性。盛装をチャカす。パレードの舞台の歴史劇。それを見ていたヒナ壇がズルズルと後退して…。このひなびた田舎町に英国の自画像を見ているみたい。自嘲でもあるか。ガールフレンドのジュディはこの時代の子ですなあ。長い髪を風になびかせてボーイッシュで健康的で。
[映画館(字幕)] 6点(2012-02-21 09:51:42)
4.  不意打ち 《ネタバレ》 
タイトルのところはかっこいい。が、そこまで。家庭用エレベーターの中に宙吊りで閉じ込められた老婦人の恐怖、って設定があんまり生きてこないんだ。なんせ中盤でエレベーターのドアがお婆さん自身によって開けられ、密閉感が減じる。一応飛び降りられない高所ってことになってて、彼女の視線からだとずいぶん高いんだけど、据えたカメラ目線で見るとそれほどでもなく(腰を傷めてることになってるが)、スリラー演出上、中盤で開けちゃった意図が分からない。入り込んできたチンピラが力ずくで初めて開けたほうが効果あるのに(閉じ込められた場所が防御の場所になってたのに、という展開の妙)、あんまりそういう計算はなく、ただ若者の無軌道ぶりだけが前面に出てて単調だった。彼女自身が息子にとっての檻だった、という皮肉も、だから生きてこない。先に忍び込んでた浮浪者らもチンピラによって家に閉じ込められるが、その閉塞感も薄い。いくらでも逃げられそうなのに、ただグズグズしてるだけに見えちゃう。「閉じ込め」がこのスリラーのモチーフなのに、それをちゃんとやってくれないので、空気が抜けっぱなしでぜんぜん圧力が高まらない。この作品の価値は、『風と共に去りぬ』のオリヴィア・デ・ハヴィランドと『ゴッドファーザー』のジェームズ・カーンが共演してる映画があるの知ってる? と人に言えること。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2012-01-23 10:46:13)(良:1票)
5.  フェイシズ(1968)
カサヴェテスの「はしゃいでしまうこと」のうつろさというモチーフは、アメリカ版『甘い生活』とでもいうべき本作で、最も徹底している。破綻しかけている夫婦が笑い転げたあとの索漠とした静けさ、その静けさはすでに無理に笑い転げている騒々しさのときから画面の中で成長していたもので、じっと記録し続けるカメラの手法が最大限に生かされている。笑ったあとが怖くて笑いやむことが出来ない、そこでさらに笑い声を高めていく、笑ったあとの静けさとの落差の広がりが意識され、はしゃぎはひたすら加速度を高めていく。くたくたに疲れきりながら、何がおかしいのか分からなくなっても、はしゃぎを演じ続けていく。主人公が「もうふざけるのはやめてくれ」と哀願しても、ジーナが「これが普段なのよ」と答える場面もある。たしかにそうなのだ。付けまつげが素顔になってしまっている生活。外のハレの場所に出て行くのではない。祭りは部屋の中で起きてしまっているのだ。カサヴェテス作品を、シナリオ起こして別の監督に撮らせても、ちっとも映画にならないだろう(『グロリア』はリメイクされたがあれは特殊)。設定を囲った中に俳優を配置して動かし、その生き生きしたところを掬い取っていくような監督術の映画だから、そこがないとただ落ち込むだけの話。そのかわりカサヴェテスの手にかかると、本作の後半のように感動としか呼べない緊張した時間が味わえるわけだ。
[映画館(字幕)] 8点(2011-08-07 10:01:58)
6.  ブリット
10年前にヒッチコックがねっとりゆるゆると迷宮へ導いていったサンフランシスコの坂道が、サーキット場に変貌する。ボンボンと弾むのがいい。最初は本作もゆるゆるとスタートするの。視野が制限される斜面の街を生かしている。追うものと追われるものが入れ替わって、バックミラーに車が浮き上がってくるあたりの安っぽいズームアップが、わけもなく嬉しい。ベルトを締めて急発進。この序破急の序から破に移る気合いが、アクションものでは大事だな。スピードを制限させていた斜面の特質が、ここで車をボンボン弾ませる特質に移行する。悪漢たち、運転してるのが一見銀行員風、助手席が一見老教授風と、これ見よがしの悪人顔でないのもいい。終始無言ってのも大事(「しめしめ、うまく撒いたぞ」「ゲッ、まだついてきやがる」「よーし、いっちょう撃ったるか」などといちいち喋ってるとこを想像して下さい、いかに興ざめか)。で銃が登場して破から急に至る。段取り通りの展開と言えばそうだけど、でもこの映画からなんだろ、カーチェイスの作劇法が確立するのは。車だけでひとつのシークエンスを埋め切った潔さが立派。それまでだと車の疾走は、なんかのアクションと次のアクションとを繋いでいる役割のほうが多かったんじゃないかな、印象で言っちゃってるけど。というわけで、この中盤のカーチェイスが見どころとして目立ちすぎるため、あと病院や空港でもいろいろやってはいるんだけど、そっちの印象が薄くなるのが、作品としてはアンバランス感があってちょっと損してる。死臭漂う職場で生きる男の悲しみ、ってのもテーマっぽく出しているが、あんまりマックィーンには似合わない。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-06-10 10:15:18)
7.  笛吹川
この映画、特殊なカラー効果が印象に残るが、音もいいのではないか。主人公たちの家に“政治”がかかわってくるときは、橋の板を踏むバタバタいう音が、まるで歌舞伎の、あれ何て言うの、舞台の端に座ってて板を打つヤツ、あのように響いてくる。原泉の御詠歌のチリンチリンが、戦闘場面の間にも鳴り渡る。まあ原作が傑作なんだけど、傑作文学を映画化して傑作になった稀有の映画だ。やたら被害者意識のみが蔓延してた中で、戦争で生き生きとする庶民て視点が新鮮なんだろうな。つらい日常を忘れさせてくれる祭りの興奮であって、親方様にさんざん痛めつけられても、先祖代々御恩になって…、っていうとこほど戦争における庶民を批判したものはない。けっして庶民は一方的な被害者ではなく、戦争を盛り上げた当事者でもあった。一方、親方様への怨みだけで生きている荒木道子もすごく、息子ともども山門で火に包まれながら、親方様の滅びに歓喜するところ。ラストで高峰秀子が行列に着いていってしまうとこのみ、やや湿り気を帯びたが、あれは思えば『陸軍』の母親にそのまま一緒に行かせてやったものだな。一家が戻ってきたらどこに住もうか、と老夫婦が相談してる場のほうがゾクッとくる。ともかく戦争における庶民を批判する映画で、これほど厳しいものはあんまりなかったと思う。やがて『心中天網島』で夫婦をやる二人が、ここではういういしく兄妹をやってた。
[映画館(邦画)] 8点(2009-05-21 12:06:27)
8.  冬の光
とにかく渋い、冷たい金属の手ざわり。孤独な人間が手を伸ばすのに、それが何かに触れるとおびえて引っ込めてしまう、といういつものベルイマンの世界。見た日の日記には、せりふが書き抜かれていた。「あなた(神)は私を強く生まれさせて下さったけれど、私の力を使わせて下さらない。人生に意義を下さるなら、私はあなたの忠実なしもべになります」「私(トマス)は私だけの神を信じた。私を特に愛してくれる神を」「たとえ神が存在しないでも、それが何だ。人生は説明がつく」。神のテーマが前面に出されるとちょっと辛いのだが、それだけでなく「孤独と他人のわずらわしさとのせめぎあい」って方向に普遍化されるとこが、この人の映画がキリスト教圏以外の世界でも意味を持って見られる理由だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-04-01 12:18:54)
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