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あにやん‍🌈さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 2517
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ホームページ http://coco.to/author/aniyan_otakoji
自己紹介 レビューを相当サボってしまってるの、単に面倒になっちゃってるからなんですよね。トシのせいか、色々とメンド臭くなっちゃって。
映画自体、コロナ禍以降そんなに見に行かなくなったのだけど、それでも年に70~80本は見てるワケで(でも今年は50本行かないかな?)、レビュー書けよ自分、って思ってる、でもなんか書かない、みたいな。
これからは今までよりも短文でレビューを上げてゆきたいな、と思う次第であります・・・微妙だけど。.

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21.  マリリン 7日間の恋 《ネタバレ》 
表面をサラリサラリとなぞるだけのもどかしい映画。ローレンス・オリビエを演じるケネス・ブラナーはなかなか人間クサい面白い存在感を見せておりますが、主人公となるコリンがいけません。終始ニヤけているばかり、ただ下半身で思考するバカって感じで、ラストに至り、成長した?どこが?みたいな(成長をわざわざセリフにしちゃうあたりが、なんつーかもう・・・)。この映画、結局は『カイロの紫のバラ』の実在版みたいなモンなのですが、決定的な弱点が、その主人公の品性と、そしてマリリン・モンローという存在の捉え方。ミシェル・ウィリアムズはマリリンを好演しております。スクリーンに映る彼女はマリリンに見えない事もないです。でも、ノーマ・ジーンではないです。ノーマ・ジーンとしての彼女を捉えなければならないであろう幾つものエピソードが、まるで生の存在感を見せようとはせずに逃げ続けているような感じ。人としての存在感は既知の表面的なエピソードばかりで回避され、カメラのフレームの外側の描写であっても、ただ持ち前の性格で男を手玉に取るだけのシンボライズされたマリリン・モンローでしかない状態。そここそをドラマとして描いて見せて欲しかったのですが。登場人物それぞれが、映画製作の背後に存在する虚と実のギャップに悩むハナシであるのに、この映画そのものが虚の部分ばかりで実に迫れていないって、どんな冗談なのよ?という感じではありました。つーか、ラストの酒宿のシーンでカタルシスを与えようってな了見であるならば、所詮マリリンを捉える視点ってその程度だったのかっていう、こりゃまた随分と安い、意識の低い映画ですなぁ。ノーマ・ジーンを描き分けられてこそ、マリリンである事の意味というのが浮き上がってくる訳ですからねぇ。
[映画館(字幕)] 4点(2012-03-29 23:26:55)(良:2票)
22.  マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙 《ネタバレ》 
ちょっと肩すかしではありました。認知症を患った状態で回想されてゆくマーガレット・サッチャーの記憶という表現スタイルは、めぼしいところを見繕って抓むかのように断片化され、見応えのあるエピソードをずっしりと味わわせようとはしてくれません。少女が政治に目覚めてゆく過程も、一介の議員が首相にまで登り詰めてゆく過程も幾つかの短いエピソードに集約され、省略されてしまうので、全体的に物足らなさが残ります。彼女がオックスフォード大学に受かった事を喜ぶ父と、拒絶するかのような態度を取る母、彼女の家庭の状況、立場をあれだけで表現するのは上手いというよりは、もう少し突っ込んだドラマを見せてよ、って感じで。ですが、メリルの演技によって、イギリスの歴史に名を残す女性首相の存在感に関しては「もの凄い」レベルで伝わってきます。メリルの演技は『ジュリー&ジュリア』の時のように、ある意味、役を楽しんで作っているんじゃないか?って感じもありますが(あの発声っぷりはいかにも彼女の「芸」ですよね)、妻であり母であり首相であったマーガレット・サッチャーという人物の生が流れ込むように伝わってきて、見ている間、何度もメリルとサッチャーの両方の顔を思い出さないと頭の中で区別がつかなくなってくるような感じで。一人の女性と一国の主との狭間でいかに自分であり続けられるのか、その辛さ、重さ、痛み、それは映画の力というよりはメリルの力によって説得力を伴って描出されていた感じがしました。
[映画館(字幕)] 7点(2012-03-18 15:47:59)(良:2票)
23.  マネーボール 《ネタバレ》 
古臭くて疲弊した世界ってのは日本のプロ野球界にも通じるところがあって、今、世間を騒がせている読売ジャイアンツの内紛なんかも当事者以外から見れば野球の娯楽から遠く離れた、とてもみっともない事だったりして、でも、この映画は実のところ、データに基づいた理論的な野球こそが時代に相応しいのである、って言ってるのではないんですよね。野球の本質的な魅力、楽しさって一体何処にあるんだろ?って考えた時に、ブラピ演じるGMの勝利のための徹底した理論的合理的割り切りこそにあるという訳ではないというのは、あの大切な試合で放たれたホームランで判ります。本来彼に与えられた使命は四球で塁に出る事であって、あの一発は理論の中に組み込まれていた訳ではなく、そしてあそここそが長嶋終身名誉監督言うところの「メイクドラマ」であったりするワケです。その言動こそ尖っていて過激にも思えるGMの、実は輪の中に馴染めず、小心者で神経質という姿(ロングの画の中に一人だけというショットの多さは彼の孤独を物語り、ラジオやテレビの電源のオンオフを繰り返す姿は彼の心の弱さを物語り)を通して、本当の野球の愉しみに目覚めてゆく過程を見せてゆくのは、一見地味なドラマに見えつつエンターテイメントの王道という感じ。それゆえ、意外に判り易くて深みは足らないな、って思うのは贅沢ですか。GMというちょっとジミな立場から見た、だけど王道な野球映画という感じでした。でも、ちなみに私はアンチジャイアンツで西武ライオンズファンで、「あにやん」という名前は松沼(兄)から来ていて、だけどこの十数年、野球から全く興味が無くなった状態だったりして、今の日本プロ野球界には色々と幻滅状態。
[映画館(字幕)] 7点(2011-11-24 20:52:07)(良:2票)
24.  マイティ・ソー 《ネタバレ》 
この映画、一体いつになったら本題に入るの?と思ったら1時間半くらい経ったクライマックスまできてやっと、って。そこまで行って、やっとこさヒーロー誕生。そこに至るまでの話、あんまり面白くなくて。設定的に『プリンス・オブ・ペルシャ』とか『パーシー・ジャクソン』とか思い出しつつ、最近安売り状態なナタリー・ポートマンがつまんない役やってるなぁ、とか、前半~中盤の敵が政府機関ってのがこれまたつまんないなぁ、とか。そんな中では、ポートマンにくっついているアシスタントのメガネキャラ(アンジェラ・アキ似)が私にとっての唯一のお楽しみポイントでしたが、いてもいなくてもどうでもいいような、途中でメガネの設定すらどっか行っちゃう、酷くぞんざいな扱いでまたガッカリ。大スターが出ていて、それなりのバジェットの映画なのに、延々とローカルな小さい話が続いてゆく状態(まあ、CG臭がプンプンしてくるアッチ側の世界はそれなりに大ゴトにはなっておりましたが)に、いいから早くヒーローものとしての大仕掛けを見せてよ、って。だけど、やっとヒーローになってからの展開が予算の関係かナンか知りませんが、今度はやたら駆け足で。アッチ側でケリを付けるあたりに至ってはダイジェスト状態にまでぶっ飛びまして。なんだかかなり薄味な映画という印象でした。ヒーロー誕生までの騒動記でもいいんですけど、どうにも出てくるキャラが揃って面白味の薄い状態で、そんな人々にハンパなドタバタを繰り広げられてもねぇ。あと、数多の3D映画の中では立体効果のある方でしたが、大ロングなカットにまで立体感を付けるものだから、スケール感がおかしくなって、ミニチュア風に見える映像続出。どんなカットにでも立体感付ければいいってモンでもないです。最後に出てくる人が、またこの人?って思ったけれど、考えてみればアレと繋がってるワケで、つまりこの映画は長い長い予告編だったという事で。世界をキチンと楽しみたければちゃんとアレコレ見とけよ、って面倒臭い世の中だな・・・
[映画館(字幕)] 5点(2011-07-05 21:03:35)(笑:1票) (良:1票)
25.  マイ・バック・ページ 《ネタバレ》 
ダメなヤツら、なんですよね。彼らは時代を生きようとした。でも、時代に対する責任は負わなかったし、ケリも付けられなかった。もう、若い、青い、イタい、って連中の話で。この映画は、そういうダメっぷりを容赦なく抉ってると思うんです。松ケンが言うじゃないですか、「活動をする前は音楽をやってた」って。彼にとっての闘争はシュミで音楽やってま~す、っていうのと同レベルで、音楽の次に来たのがたまたま学生運動だったようなもので、それは早々に運動のそもそもの目的は存在していないというカラッポっぷりが明らかにされる時点で宣言されちゃっています。その上、遅れてきた後追い状態ですし。ブッキーにしても立場は違えど安田講堂陥落後の、最早地下に潜伏しつつあった学生運動にシンパシーを抱いてしまった遅れたジャーナリストだった訳で。そして、それぞれがエセではなくホンモノたろうとして取り返しのつかない、ただ青いだけでは済まされないところへ行ってしまった。その、決して同情できない痛々しさがよく表れた映画だな、って。映画が進めば進むほどに情けない表情を見せてゆく松ケンとブッキーの小ささっぷりが見事です。ちょっと1カットが長過ぎに思える箇所が散見されましたが、二人の役者に求めたものを引き出すのに必要な時間だったのかもしれません。ところで当時、責任を負わずに逃げた人達は今どこで何をしているのでしょうねぇ? って別に知りたくはなくて、もうこのまま静かにしていて欲しいだけですけど。
[映画館(邦画)] 7点(2011-06-09 22:15:24)(良:1票)
26.  毎日かあさん 《ネタバレ》 
あららら。コレ、同じエピソードを元にした映画『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』と逆なんでないの? 『毎日かあさん』ってのは毎日新聞に連載されてるマンガにしてテレ東で放映されているアニメ。サイバラながらバリバリのファミリー向けなワケですよ。ところが、それを原作とする映画はPG-12が相応しいんじゃない?って凄絶な描写が続出するシロモノになっちゃって。『毎日かあさん』と言えば、サイバラの実生活を元にしたエッセイマンガで、だけど、その凄絶な部分の描写は意識的に避けてた訳ですよ。でも、これは離婚に至るアル中暴走部分をしっかと描いていて、何度か突如として登場する幻覚シーンの暴力性がザラッとした感触を与えて、とてもではありませんがファミリー映画として相応しいとは言えないシロモノになっていて。『酔い~』はアルコール依存症が主題として存在しているがゆえに、その描写がもっと欲しかった訳ですが、『毎日かあさん』は家族の日常の面白さが主題でないの? キョンキョンは出てきた瞬間にサイバラだ(笑)ってくらいに化けてましたし、それ以上に永瀬正敏の鴨ちゃんは凄みすら感じさせる鬼気迫る鴨ちゃんっぷりで、ファンとして心動かされまくりでしたが、でも、あまりにいじり過ぎな映像表現(現実と回想、現実と幻覚を舞台的に同一画面上で描く、説明なく時間が戻る)も含めて、コレは『毎日かあさん』なのか?と。サイバラ映画は毎回若手監督の自慰的実験用素材か? サイバラ史上最もメジャーなタイトルで観客を巻き込んでソレをやっていいのか? むー。きっちり鴨ちゃんとサイバラのエピソードをそのままの名前で描いた点自体は良かったのですけど、『毎日かあさん』としては暗過ぎ。ゲージツ性は原作にある叙情だけで十分。あと、エンドクレジットの最後の1つ前の写真は反則。蛇足ですが、愛ちゃん役が『酔い~』では市川実日子、今回は田畑智子。いちいちこちらのツボを突いてきます(笑)。
[映画館(邦画)] 6点(2011-02-05 21:39:22)(良:1票)
27.  マチェーテ 《ネタバレ》 
ロドリゲスのセンスってどうにもこうにも好きになれないですし(ごく一部だけシュミがガッチリと合うところがありはしますケド・・・)、「まだ『グラインドハウス』ノリを引っ張るワケ?」とは思ったのですが、ちゃんと娯楽映画になっていて楽しめました。ワザとB級なノリを出して馬鹿馬鹿しさをメインにしていたり、毎度の常連さんを出して内輪ウケを狙ったりはしているものの、キチンとその馬鹿馬鹿しさを楽しめ、そしてこれまでに色々見ていれば見ている分だけ更に楽しいと。デニーロが狙撃される政治家を演じ、だけどクライマックスにはタクシー運転しちゃう、みたいなネタを楽しめるのならば、美味しいご馳走に溢れた映画と言えます。なんだかすっかり『二十世紀少年』の石ちゃんみたいな風貌になっちゃったセガールの省エネバトルもネタと思えばまた楽し。あくまで負けたりしないですしね。無敵のセガールが「殺されて終わり」であるハズがありませんもんね。もっとも、やっぱり個人的には「セクシー姐さんカッコいいウハー!」ってところにこの映画の価値の大部分があったりするワケで(そこだけは毎回ロドリゲス最高ですわな)、だからクライマックスの馬鹿馬鹿しいほどの姐さん達の活躍っぷりに、「マチェーテ、肝心のクライマックスにパッとしない」って欠点も些細な事にしか感じなかったりするのでした。
[映画館(字幕)] 7点(2010-11-16 11:06:55)(良:2票)
28.  マザーウォーター 《ネタバレ》 
コーヒー店、ウィスキーだけの店、豆腐店、銭湯。この水に関連する4つの店を、ただ登場人物がお互い行き来するだけの映画。それだけ。あまりに何もなさ過ぎ。いや、あるにはあるのですが。水に誘われるように川の町に集った人々(三人の女店主が当初それぞれ面識はなく地元の人々との関係も薄い状態から見て、他所から最近やって来た事を匂わせます)が、そのひとときを共有し、またやがては別の時を生きてゆく、生生流転、と。その各人の居場所のモチーフとして沢山登場する椅子がキーになっています。だけど、固定もしくはゆっくりとした移動の長回しでその時を観客に共有させようって映画にしてはあまりに撮り方が雑。たとえば豆腐屋の店先が描かれるのは大抵朝なのですが、太陽の影がもうバラバラ。せめて店の表は朝は日なたなのか日陰なのかくらいは統一すべきなのに、それすらできていません。椅子を外に出してから豆腐を手に取るまでの間の、手を洗う描写を長回しゆえに映像に収めてなかったりしますし。風呂屋では飲み物をケースから出して冷蔵庫の手前に並べてしまっていますし。奥から入れなきゃぬるいの売っちゃいます。また、タイアップゆえでしょうが、具体的な商品が登場します。ウィスキーはまだしも、ラストの方で登場するビールはそれまで空想させていた数々の料理の味とは異なり、ハッキリと味が判るモノで空想もへったくれもなく、私自身がその銘柄をあまり好きでない事も手伝って(酸味が強すぎて。個人的には同じブランドでも無印の方ならばまだ良かったのですが)興ざめしてしまうのですね。このテのリアリティのない映画だからこそのデリカシーというものが必要だと思うのですが、そこが雑ゆえになんだか映画全体が繊細なフリをしながら随分と雑な生き方をしている人々の物語に思えてしまいました。
[映画館(邦画)] 4点(2010-11-08 21:06:26)(良:1票)
29.  魔法使いの弟子 《ネタバレ》 
映画を見ていて、なーんにも響いて来なくて困っちゃいました。世界が危ない、って最初にばーっと背景を説明した後は、たった主要5人のキャラがすったもんだするだけの映画で、魔法ってものの定義が明確でなくて、都合よく物語を進めるためにあるようなもので。世界大変、って言いつつニューヨークだけでドタバタしてるんで、まるで『パーシー・ジャクソン』みたいだし。主役のお兄ちゃんがね、どうにもこうにも冴えなくて、魅力が薄くて、彼にノッてゆけないので見ているのがツラいんですよね。つーか、この映画で結果的に世界を救うために最も大活躍したのは実はヒロインなのに、クライマックスでは殆どジャッキーもののヒロインみたいに忘れ去られてしまってるような感じで影薄くて可哀想(笑)。まあ、ニコラスにしても薄いんですが。頭でなくてキャラが。もう全体的に薄味。物語にもビジュアルにも役者にもちっとも惹かれなくて、途中から「あーもー、さっさと終わってくんないかなぁ」とか思い始めちゃったりして。そういう映画に限って勿体つけた展開になるんですよねぇ。ああ、なかなか辿り着けない!とか、悪の復活に、もうちと時間かかる!とか。濫造されたファンタジー映画群から何ひとつ抜きん出ていない、キビシい映画でした。一応、『ファンタジア』のオマージュ的映像が存在しているものの、あまり面白味のないシーンだし。どうせならこういうパッとしない実写映画じゃなくて、ミッキー主役の長編を作ればいいのに、って思うのですが、現在のディズニーじゃあり得ないのかな?
[映画館(字幕)] 3点(2010-08-13 21:02:05)
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