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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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221.  スノープリンス 禁じられた恋のメロディ 《ネタバレ》 
主人公の少年はともかくとして相手役の少女は怒っても泣いても可愛らしく、また犬もストーリーには直接絡まないながら健気な感じに見えており、あえて突っ込まなければそれなりに見られる娯楽映画と感じられる。 ストーリーに関しては、個人的には「フランダースの犬」に「野菊の墓」の縁談話をくっつけたような印象があり、また祖父の存在は「おしん<TV>」(1983)の脱走兵のようでもある。そのような別作品を思わせる各種要素が劇中で効果を上げていたとも思えないが、ほかに当然ながらこの映画独自の趣向も用意されていたようであり、サーカス小屋での少年少女とピエロのやり取りは素直によかったと思える。  ところで終盤の現代の部分について若干の苦情を書かせてもらうと、戦前の少女が本気で泣いていたにもかかわらず、現代の本人は終始うすら笑いしているようなのはどうしても違和感がある。「おしん」のように戦前生まれの人だから、表面は穏やかに見えても実は悲惨な過去を心に秘めている、という感覚なのかも知れないが、その直前に観客が号泣したはずの悲劇も悲劇として認識しておらず、甘く切ない初恋の思い出に浸っているだけのようでは本人の人格が疑われる。 一方で孫娘は容姿が現代的で適役に思われる。この人が最後に述べたことを聞くと意味としては理解可能であり、あるいは別映画で残した悔いをここで挽回しようとしたのかも知れないとも思えるが、しかし言葉があまりに軽いのがまた残念なことである(役者のせいとは思っていない)。
[DVD(邦画)] 4点(2013-10-15 22:52:55)
222.  おくりびと 《ネタバレ》 
大変申し訳ないが率直に書かせていただくと、基本的には登場人物が泣くのに合わせて観客を泣かす作りの映画と感じられる。序盤のコミカルな箇所は気に障るが、まあこういうのがないと娯楽映画として成り立たないのだろう。  ところで劇中では人間の生死に関する複数のエピソードが並列的に出ているが、そのうち映画の構成上は全編の最後、父親の遺体の場面が最重要なのだと考えられる。ここは単純な親子の情愛(和解)の表現にとどまらず、人間の“生の意味”を伝える場面、つまり子(主人公)が生きて、さらにその子(胎児)に生を受け継いでいくことが、父親(峰岸氏)の生きた意味にもつながることを主人公が悟る場面だろうと思われる。 しかし映像を見ていても“これをこうすればこう見えるはずだ”といった説明的な印象しかなく、意味はわかるという以上のものではない。鮭の遡上風景はこのラストにつながる布石ということだろうが、これも貧弱な造形物のため多少の脱力感なしには見られない場面だった。“一度きりの人生だから個人の生を輝かせなければ”という、何か強迫的にも思われる観念が一般化している今日、もう一度根本に立ち返って生の意味を問い直すはずの場面が印象的に見えていないのは、個人的にも残念に思う。  それから主人公の妻の問題発言については多くの人が唐突と感じるだろうが、これはまあ当該個人の意識の問題と取れなくもない。しかし地元在住の旧友その他の一般住民までが蔑視を当然のものとし、かつその感情を当人に向けてまともに表出することをためらわないというのはいつの時代のどこの話なのかと思う。必ずしも詳しい事情がわかって書いているのではないが、単に田舎だからで済ませられる話でもなく、少なくとも個別地域の社会事情と無関係にストーリーの味付け程度の感覚で軽々に取り扱っていい問題のような気はしない。  以上のようなことで、自分としてはあまり高く評価する気にならない。今さら何点付けようが大勢に影響はないという前提で、思い切って低い点を付けておく。
[DVD(邦画)] 2点(2013-10-15 22:52:49)(良:2票)
223.  闇の子供たち 《ネタバレ》 
まず題名については「子供」でなく「子ども」と書く方が適切である。社会問題を扱っているつもりなら言葉には気を使って当然だろう。 解説文によるとこの映画は「社会的なドラマ」とのことであるから、やはり何らかの社会的メッセージを観客に投げかけることが製作目的と解される。そのような前提で書いておくと、個人的感覚としては臓器売買や「幼児売買春」(字幕より)が実在すること、及びその前提として、人間を叩き売り(切り売り)可能なモノとしか見ない輩がこの世界に存在すること自体は否定できないと思っている。 しかしこの映画はあくまでフィクションであるから、劇中に出たような「日本人に」「タイ人の」「子どもの」「心臓を」「移植」といった各要素を限定的に、かつ密接不可分なものと捉えるのは適切でないと考えられる。例えば「大人の」「腎臓を」なら劇中にも出ていたが、これだと意味が違って来るだろうし、あるいは「某国の」「死刑囚の」臓器という例の存在も考えられる。 またタイ以外の国で、インド洋大津波(2004)の孤児が人身売買の犠牲になっているとの噂が立ったこともあり、問題がタイ限定という気はしない。売買春に関しても、劇中では日本人と英語・フランス語・ドイツ語を話す白人の客しか出なかったが、他にもカネのありそうなアジア系外国人でも出せばもっと真実味のあるものになったと思われる。問題は国籍・民族の違いよりまず所得の大小だろうと思われるからである。 これを見た観客が映画の内容を丸呑みにして終わりにするのでなく、劇中世界をこえた国際社会のさまざまな出来事に広く思いを致すようであればいいとは思うが、しかし実際にこの映画が影響力を及ぼすのは主にこういった問題が存在すると思ってもみなかったナイーブな人々に対してだろうから、果たしてどこまで期待できるものか。初めから趣旨に賛同している人々なら喝采するだろうが。表向きは正論を掲げておいて実はわが国の名誉を貶めようとするかのような行動は卑劣である。  ところで最初の方で、タイ人の男が車を運転しながら歌っていたのは昭和の日本アニメ「タイガーマスク」のエンディングテーマだったようだが、この歌は最後まで聞くと素直に泣ける。極貧でも矜持をもって生きるのが厳しいのは日本でも同じだったのであり、これが指摘されている点では案外良心的な映画なのかも知れないと思える。
[DVD(邦画)] 2点(2013-10-15 22:52:45)
224.  おっぱいバレー 《ネタバレ》 
当時ポピュラーだった曲が多用されているのは世代の近い人間として理解できるが、やりすぎのようでうるさく感じられる。ラストに「微笑みがえし」を持って来たのもベタというか卑怯に思われたが、途中で別の曲に変わるのがまたかえって苛立たしく、始めたのならせめて最後までやれと言いたい。  ところで自分としては最初からこの映画を何となく冷たい目で見ていたが、それは主演女優が個人的好みの範囲外だからである。ヒロインが気に入らない映画など見て何の意味があるかと思うが、見てしまったので仕方ない。 一方で序盤から出ていた女子バレー部の生徒(演・小島藤子)が非常にまともな人物だったのは印象に残った。他の生徒が教員に対する不快感を表明しているのを本人の目にあえて触れさせ、かつ自分も同じ見解であることをはっきり示しながらも黒板消しだけは手伝ってやるというのは非常に理性的な態度であり、バカ男子と比べれば人格レベルが二段階くらい違っている。せっかくこういう魅力的な女子が出ているのに、みな綾瀬はるかのおっぱいのことしか頭にないというのは納得できない。だいたいこの子が最後にどうしたのか説明がないではないか。  そういうことで、バカ男子に言及するまでもなく評価が確定したので、これで終わりにする。こんな連中に付き合っていられない。 なお主人公の関係では、いわゆるパラパラマンガの花の絵が妙に泣けた。いい所がないわけでもない。
[DVD(邦画)] 4点(2013-10-15 22:52:41)
225.  モリノキオク 《ネタバレ》 
これが「小野真弓 初主演作品」とのこと。 東京のOLという設定はCMのイメージの延長だろうが、そのほか見ていて連想させられる映画としては「もののけ姫」「あしたはきっと…」「時をかける少女」(1983)と「風の谷のナウシカ」が挙げられる。何にせよ自分が思いつきそうなものしか思いつかないわけだが、魂の故郷は山(森)にある?というような考えはこの映画固有のものかも知れず、そうすると山中の子どもらは「もののけ姫」のコダマと同じではないらしい。それから途中でこれはホラーかと思わせる展開があったのはかなり驚かされた。  内容に関しては、宣伝文に「大自然の…ヒーリング・ムービー」とある通りで、まともなドラマではあるがそれほど深刻な話でもない。主人公はまだ入社2年目の設定だろうから多少うまくいかないのも仕方ないことで、おそらく祖母が元気でいさえすればわざわざ屋久島に行って怪奇現象にまであわなくても済んだだろうと思われる(現に劇中の祖母は大したことは言ってない)。しかし個人的には泣かれてしまうと弱いところがあるので、終わってみればまあよかったねと言ってやりたい気分にはなるのだった。  そのほか主演女優は魅力的に映されているが水着場面は控え目で、劇中では何となく手~腕の色っぽさが強調される場面があったように感じられる。また顔の表情については、ドラマであるからお疲れだったり泣いたり寝ていたりと様々だが、終盤で東京に戻ってから元気に仕事をしている場面を見ていると、やはり主人公というか小野真弓はこういう笑顔が一番かわいいと思わされる。おちこんだりもしたけれど、屋久島のおかげでCMの笑顔が戻りました、というのがアイドルムービーとしてのオチだったかも知れない。 なお屋久島の風景では海の見える坂道が印象的だった。実際行けばただの漁村だろうが。
[DVD(邦画)] 5点(2013-10-03 19:58:00)
226.  歌謡曲だよ、人生は 《ネタバレ》 
【 】内は話数、[ ]内は評点。   【一】曲の世界の発展型、真面目な佳作。伴杏里を探してしまう。[5]  【二】おバカな感じで標準的な面白さ。いまいち乗れずに戸惑う彼女の表情が可愛い。[5]  【三】オチがあまりにも安易。女優が可愛い(見事に停止している)ことは認める。脚もきれいだ。[2]  【四】激しく可笑しい。最優秀主演男優賞+ベストヒロイン賞。2001年で始まり猿の惑星で終わる印象。ステレオタイプな原始時代のイメージを実写映像で再現、クラシックの使い方がベタなのも評価のうち。後半では曲と映像のシンクロに爆笑。千崎若菜がどこに出るかと思ったが、ちゃんとそれなりの役で出ていて安心した。[8]  【五】関西ムービー。この人は本物ではないか(合掌)。やりとりが結構可笑しい。どうしようもなくくだらない。しかしみんながハッピーになり、曲の魅力も最高度に発揮。終盤に一瞬の板谷由夏、これは青春映画というものか。最後の最後まで余韻を引っ張る。京都ですねえ。[7]  【六】前話から一転して真面目な話、しかし素直に頭に入って来ない。意味を考えるのが面倒くさい。[4]  【七】別に不条理でもなく予定調和的に悪人を成敗。白昼の惨劇だが遠方の通行人は普通に歩いている。真っ赤なドレスの彼女の表情が好きだ(+1)。[7]  【八】話の中身はありきたりだが高橋真唯は可愛い。最後も羽目を外し過ぎずしみじみまとめた感じで結果的に好印象。[6]  【九】伊藤歩が足の裏をチラ見せ。ポストに出したら戻って来るだろうが(笑)。バカばっかりで呆れるが最後はやはり伊藤歩が一番いい役。自分が伊藤歩フェチに思える(+1)。[7]  【十】名優ぞろいの顔の表情。子どものままの同級生が不幸といえるほど今が幸せかはそれぞれの問題。こういうのには感動したくない。[5]  【ED】ほのぼの。こんな風に花の東京を回ってみたい。[6]    以上、全体としてはなかなか面白い。エンディングの選曲のせいもあって心地よく終わる。使われる曲は古いが(歌謡曲という言葉自体が昭和の昔)、制作に当たっては曲の世界観をそのまま映像化しないという条件だったらしいので、あくまで現代の映像作家それぞれの創意の発揮と捉えればいいのだと思われる。ただし時間が短いためオチのついた小噺的なものが多くなり、笑いを取ったもの勝ちという感じになった面はあるかも知れない。評点は全11話の単純平均を四捨五入。
[DVD(邦画)] 6点(2013-09-30 18:59:54)
227.  スキトモ 《ネタバレ》 
冒頭の場面でドアを開けてセーラー服の女の子が入って来るので、これは美少女に違いないと思ったらそれほどでもなく拍子抜け。美少女でない上に色気も乏しく、友人の色香にも明らかに負けている。私服になると体型が貧弱なのが余計に目立ち、服装そのものも含めて小学生のように見える。兄と比べると年齢も体格も著しい差があって、実の兄妹でないとはいえまともな恋愛対象とはとても思えない。 しかし、それだからこそかえって一途な思いがいじらしく、妙によからぬ企みをするのも微笑ましい。兄に叱られて拗ねた場面で初めてこの子が愛らしく見えたが、終盤に至ると女性的魅力も幾分増し、また他者へのいたわりを含んだ柔らかな笑顔は文句なしに可愛らしい。そういうことで自分にとってのこの映画は、いわゆるBLというより妹萌えの映画のように思われたのだった。妹役の小松愛梨という人も好演だったように見える。  以上で終わりでもいいが全体的なことも一応書いておくと、とにかく純粋で清々しい映画で、登場人物も善意の人ばかりで安心できる(妹が最も邪悪)。薄目のBL風味にあえて反発せず、また「お兄ちゃんなんて大っきらい!」という感じの展開も冷笑せずに受け入れられるなら、ほとんど万人が楽しめる作りになっている(どことはいわないが爆笑する場面もある)。まったくこんな映画とは予想もしていなかった。 ただ個人的に気にかかるのは、途中まで出ていた気のいい大学生のお姉さんはその後どうしたかということである。見ているとこの人もかなり魅力的であるから放っておく手はないはずで、個人の嗜好はあるにせよ、わが国の出生率を向上しようとする観点からすれば、やはり基本的には異性間の結合を求める方向での行動が広く望まれるところである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-30 18:59:50)
228.  しあわせのかおり 《ネタバレ》 
調理の過程を丁寧に扱っているのがこの映画の大きな魅力なのだろうが、もともと食い物に関心がない人間のため、必ずしもそれがプラス評価には直結しない。また残念だったのが食事会の場面で、ここでは料理を食うために動員された人々が演技として美味そうな顔をしていただけのように見えるので、料理の価値そのものが怪しく思えて来る。  それより自分としては、全編を通じて主人公の表情に目を引かれる場面が多かった。この人は、一見しっかりしているようでも顔がどことなく病的で内面の脆弱さを感じさせるのだが、そのためにかえって毎日の定食や早朝の陽光、師匠の心遣いといった暖かいものの一つひとつが心に染みて、癒されていくのが目に見えていたように思われる。終盤の厨房の場面に至れば表情も毅然として動作に迷いが感じられなくなるが、一方で料理が上達する過程は必ずしも映像に出ていなかった気がするので、観客としては本当に大丈夫なのかと一応心配になる。しかし、それを見ている自分の位置が、弟子を見守る師匠の位置と同じと気づくことで、師匠が黙って見ているなら観客も安心していればいいのだと思わされる。追加注文の「トマト卵炒め」を作る場面では、何度見ても主人公の表情に泣かされてしまう。  ところで、最後に出る歌はいかにも唐突で選曲もわざとらしく、また中華料理店で英語というのもミスマッチという感じはするが、ただし文語調の「埴生の宿」より英語そのままの方がまだしも内容を素直に伝えているのは間違いない。劇中ではこの歌声が、良縁に恵まれた両家はもとより「自慢の娘」とその“父親”、さらには児童相談所の役人のところにも届いているのが映されていた。 映画の結末としては、厨房に置かれた右側の写真と主人公の父娘の写真が重なって、さらにその側に新しい肖像が加えられていくことが見通されているのだろう。そのようにして地味に確実に、家族のささやかなしあわせがつながっていくことを期待したくなる映画だった。料理というのは食文化の創造という面で社会的な意義を持ちうるのは当然だが、この映画での料理は何よりまず家族を結ぶもの、という意義づけがなされていたように思われる。
[DVD(邦画)] 8点(2013-09-17 19:58:28)
229.  屋根裏の散歩者(2006) 《ネタバレ》 
主人公はやることなすこと全てが馬鹿に見えて苛立たしく怒鳴りつけたくなる(焦げたドラム缶などいちいち覗くなボケ)。他の登場人物が全て共犯関係にあることは容易に予見できる上に、主人公がこれほど馬鹿では共感を寄せる相手がおらず、見ていて気分が荒むばかりである。また終盤ではとにかく物理的にやかましいのを何とかしてもらいたい。そういう感情を鑑賞者に催させるのがこの映画の狙いなのだろうから、不快感をそのまま点数に反映させることにする。女優が裸になっていることでの加点はしない。  さらに加えて、少女の場面で使われているピアノ曲も気に障る。当然ながら曲が問題なのではなく、それを使うこの映画の方が腹立たしい。すでにさまざまな人々がそれぞれの思いを寄せているはずの著名な曲を、エログロ映画のストーリーにあわせて恣意的に使おうとするのでは反感を買って当然である(子役を悪くいうつもりはない)。  なお、冒頭の病室の場面では主人公に深刻な外傷があるようには見えず、そうすると終盤の猟奇的場面の結末もたかが知れているということになるわけだが、その辺は問題ないのか。個人的には別にどうでもいいのだが。
[DVD(邦画)] 1点(2013-09-17 19:58:25)
230.  ドッジGO!GO! 《ネタバレ》 
一応は合作ということになっているが、これだけ無邪気な映画であっても日本でしか公開されなかったとのことで、一方通行の友情もいい加減にしろという気になる。専門家のコーチを呼んで本気でトレーニングして作ったのだから、せめて国内の普及促進にでも役立てないと作った甲斐がないように思うが、そうすると妙な友好ムードがかえって異物になるようにも思われる。どういう事情でこうなったのかわからないが。 内容としては主に子ども向けの映画だろうから、多少リアリティに欠けるところはあっても大目に見て構わない気がする。直前にかき集めた連中をいきなり試合に出したり、試合中も息抜きのような形でコメディが入っていたりするが、それでもおバカな映画に見えたりしないのは、映画がこの競技に対して真剣に向き合っている様子がちゃんと映像化されているからだと思われる。またエンディングで出ていた国境を越えたボールパスも心温まるものがあり、製作目的に対して極めて誠実に取り組んだ映画には見える。  ところでこの映画を大人が見た場合、主人公の母親が家を出たという設定は著しく不自然に思われる。こんな子がいれば、普通の親なら可愛くて仕方ないだろうから置いて行くなど考えられず(劇中に顔も出さない)、一方で母親に捨てられたはずの子どもが、これほど屈託なく前向きなのも奇跡のようである。まあこの子もパパのことが大好きだったようだし、父親も溺愛とは言わないまでも可愛がっていたようなので、愛情には不足していなかったのだろうとは思う。劇中でこの子が笑ったり泣いたり一生懸命だったりする姿が、この映画の価値をかなり高めているというのが実感だった。 なおこの子役は外見的にはボーイッシュというか男の子のようにしか見えないが、いま見るとなかなか魅力的な女優さんになっているようで、時間が経つのは早いものだと思う。これも一応は21世紀の映画なわけだが。
[DVD(邦画)] 7点(2013-09-09 19:58:05)
231.  絵里に首ったけ 《ネタバレ》 
冒頭でいきなり「岸和田少年愚連隊」(1996)を連想させるものがあるが、キャストも一部共通しているのでわざとだろう。またその後に教師が女性の魅力で男子生徒を奮い立たせるという展開は「おっぱいバレー」(2009)と同じではないかと思うわけだが、制作年代については明らかにこっちが早いので、何やら「岸和田少年愚連隊」と「おっぱいバレー」をつなぐミッシングリンクを発見したかのような印象があった。ネタの出所がどうなっているのかはわからないが。  ところで映画の全体像としては、笑って泣ける青春映画のようなものを目指したのだろうと想像される。しかしそれは理屈で考えるとそうだろうということであって、実際そう感じられたわけではない。まず前半に頻出するギャグは贔屓目に見ても5回に1回程度しか笑えない。個人的にはいかにも人工的なギャグより、たこ焼き屋のおばちゃんとのやり取りのような日常生活からにじみ出るものの方がかえって可笑しいのだが。また全編を通じてコメディ部分とシリアスなストーリーとのかみ合わせが素直に納得できず、どこをどれだけ真面目に見ればいいのか真意を図りかねるため、泣こうにも泣けないというのが正直なところである。特に役者の年齢のせいか、登場人物がワルぶってはいても根は純情な高校生という雰囲気になっておらず(男女とも)、いい歳の連中が茶番劇をやっているようにしか見えないことが困惑の原因のような気がする。 それと、こういう品性下劣な映画に子どもを引っ張り出すのはやめにしたらよかろうと思う。  そういうわけで、少なくとも個人的には取り柄のない映画に思える。 ただ主演女優に関しては、胸がどうかは別として本当にすらりと背が高い人なのが印象深く、服装とメイクを変えて出たラストの場面では柔らかな雰囲気で心なごむものがあった。またDVD特典の舞台挨拶(対談)では、酒気帯びの男ばかりの中で、この人が司会役になって爽やかに場を和ませていたのが好印象だった(あとは監督含め全員悪印象だった)。
[DVD(邦画)] 2点(2013-09-09 19:58:02)
232.  容疑者Xの献身 《ネタバレ》 
原作も読んだが、映画では省略された箇所や付加された場面があることで印象が微妙に違っている。 まず、映画では終盤に至っても花岡母子の側に破綻の兆しがなく、そのため湯川が花岡に真実を告げさえしなければ全てが問題なく収まった可能性も高いと思える。今さら何をしても死人が生き返るわけではなく、「誰のしあわせにもならない」のだから、湯川がしたのは結局余計なことだったとの感が強い。  また映画では、石神に対する花岡母子の態度がより好意的に見えており、例えば花岡の娘が外で彼に声をかける場面などは印象的だった。そのように何の必然性もない行動は彼にとっては心外なことだろうが、しかし感情問題として嬉しくないはずがない。それまで彼は、自分の存在など他人にとっては“ない”に等しいはずと思っていただろうから、この母子が自分を“ある”ものとして扱ってくれること自体が、いわば無償の愛のように感じられたのではないか。また手紙の中で母子それぞれの名前を挙げて礼を言っていたことからしても、花岡(母)への単純な恋愛感情の問題として捉えるのでは不足と思われる。こういった方向性自体は原作でも同じらしいが、映画の方がより強調されていると感じられる。  恐らく石神の考えでは、もともと自分の存在など他人にとっては“ない”に等しいはずだから、本来のあり方に戻すのも簡単であり、単に“自分のことなど全て忘れろ”と言えばいい。母子の幸せを最優先するなら、それが合理的判断として正しいことは花岡にも理解できるはずである。にもかかわらず彼女は、捨てろといったはずの茶封筒をいつまでも保存しており、また湯川の追及をぎりぎりでかわした最後の目論見までもひっくり返してしまった。誰の目にも明らかな合理的判断に従わないのがなぜなのか彼には理解できず、それで自分の完璧なプランが崩れてしまったことへの失望感もあったろう。しかしこの重大時においてもなお、彼女が”無償の愛”を自分などに向けてくれたこと、いいかえれば、自らを大事に思うのと同じように石神をも大事に思ってくれたことは、感情問題として嬉しくないはずがなかったと思われる。  以上のように考えれば、映画では石神への感情移入を強める方向での誘導が働いているように感じられ、感動もより大きい。しかし、それがかえって第二の殺人に関する倫理性との間で齟齬を生む結果になっているらしいのは残念である。
[DVD(邦画)] 8点(2013-08-11 18:26:03)(良:1票)
233.  60歳のラブレター 《ネタバレ》 
大変ハートウォーミングな映画で、医者と魚屋に関してはまあ素直に共感できる。 ただし中村雅俊氏の役は感情移入が難しいキャラクターだけに、最後の締め方もアクロバティックというか突然ファンタジー調になった感じで、これが映画的な盛り上げというものかも知れないが少々無理がある。この男だけは、これまでの積み重ねを怠ったために因果応報ということでもよかったのではないかと思うが、だからといって元妻と人気作家がこのままうまく行くというのも変であり、見ている側としては困ってしまった。団塊世代の大量退職を背景にした企画というのはわかるにしても、それまでの行状にかかわりなく60歳というだけで免罪してしまい、とにかく全員にエールを送らなければ済まないというのでは、“年齢関係なく”という脚本家の言葉も説得力が薄れる気がする。  なお個人的な見どころとしては、医者をめぐって対決する中学生女子と50代女子が、それぞれ本気で一生懸命で愛らしく見えることだった。それから綾戸智恵という人は映画の外でも相当に可笑しい人物であるらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2013-08-11 18:25:22)(良:2票)
234.  あしたはきっと… 《ネタバレ》 
最初は葡萄畑だけ見て甲府盆地かと思ったが、実は大阪府羽曳野市のあたりだったらしく、そうして見れば「ブタのケツ」などという言葉も地域性を示しているように感じられる。実際の登場人物は全部大阪言葉(河内弁)でしゃべっているのを、映画では東京言葉に吹き替えたような形になっているのだろう。この「ブタのケツ」の場面では、女の子連中がとにかくやかましくてもう何を言っているのかわからなくなるのが可笑しい。  ところで、この映画を見る上で考慮に入れた方がいいと思うのは、この監督が原田知世のファンだ(と別映画のメイキングで言っていた)ということである。その原点は、ほぼ同世代の男ども(自分を含む)と同じように「時をかける少女」(1983)だっただろうから、この映画はそのリメイクのような感覚で作っていると考えれば、ストーリー中で時間が前後するのもそれほど奇異には感じられない。 ただし話の中身は1983年版とは全く似ていない。劇中では時間の繰返しが二度(範囲は異なる)行われていたが、そこで表現されていたのは自分にとって都合のいい結果のセットなどというのはありえず、現実にはいま自分の持てるもので一つひとつに立ち向かうしかないということなのだろう。ここには否応なしに変化を迫られるこの年代を暖かく見守ろうとする視線が感じられ、1983年版のように趣味的にひん曲げたようなストーリーよりはるかに素直に受け取れる。むしろ2006年アニメ版との類似性が強くなっており、あるいはその元ネタがこの映画だったのではないかとも思われる。時かけファンの立場としては、1983年から2010年に至る時かけ系列映画の関連作としてこの映画も位置づけておきたい気がする。  そのほか登場人物に関しては、主人公は個人的趣味の範囲内ではないが、ピュアでまっすぐな人物像がきれいに映像化されているとは思える。先輩への告白の場面(1)では、話の流れをぶった切って正面攻撃したもののあえなく撃破された(逃げ足も速い)のが印象深かった。また個人的には「葡萄畑の女の子」(役名)が個性的で可愛いと思ったが、これが若いのに何となくばあちゃんぽく見えるのも面白い。
[DVD(邦画)] 7点(2013-08-11 18:25:17)(良:1票)
235.  テケテケ2 《ネタバレ》 
今回は死人が9人で残骸が17個、ほか1個は行方不明(自走して逃亡?)という結果である。出演者には申し訳ないが(特に主役)、今回は冒頭の1人を除いて個人的に死んでほしくない人物がおらず、かえって1人残してしまったのが心残りという感じだった(役名は小西佐季)。 また最初は少々勘違いして真面目な学級委員長が主役なのかと思ったが、それにしては怖い顔だし、そもそも後に“富江”役を務めるほどの人であるからただの優等生で済むはずがない。この人がメイキングで「みなさんもテケテケには気をつけましょう」と言っていたのでそのようにした方がいい。  ところで都市伝説というのは、多少なりとも“現実にあったこと”っぽい雰囲気で語られるからこそ「伝説」に分類されるわけだが、この映画ではこれをさらに一歩進めて、都市伝説→現実化→また都市伝説化→また現実化…というサイクルを想定している。さらに、その都市伝説が口承を経て様々に変化した場合は、変化した状態で現実化することになるらしい。 今回は赤い色が決定要因ではなくなる一方、歩道橋(跨線橋)より線路が重要となり、踏切はもちろん鉄道が近ければ屋内(便所)も活動範囲だという事実が明らかになったりして、何か基本条件がめまぐるしく変わる印象があるが、これは誰かが話を適当にアレンジして語っているのがいちいち現実化した結果なのだろう。また前回から出ている通り、そもそも都市伝説などかなりいい加減な話なわけだが、いい加減なままで現実化するのがこの映画の怖いところであり、漢字の構成要素で生死が分かれるなど合理性のかけらもない話でも無理に納得させられてしまう。これはもう最強の屁理屈といえる。 それから防御用の「呪文」に関して、劇中では幸い2つ目で効果があがっていたようだが、こういうものは噂が伝播する過程で何種類にも分化するのでどれが効くのかわからず、心配なら全部憶えておくしかないのが現実である。ウイルスの変異でワクチンが効かなくなるようなもので、これは非常に恐ろしい設定といえる。  そういうわけで、死人の数よりむしろ基本設定が面白いので、少しだけいい点を付けておく。 なお、これを見終わって部屋の窓を開けたところ隣家の窓も開いていて、子どもが廊下をトテトテトテと走って行く音が聞こえた、というのが自分にとってのオチだった。
[DVD(邦画)] 6点(2013-07-31 19:23:42)(良:1票)
236.  テケテケ 《ネタバレ》 
それなりに面白いという印象である。特に深刻な破綻もなく、大きな減点もないというのが有利に働いて、少なくとも口裂け女(2007)よりはかなりマシになって見える。また主役は絵に描いたような美少女ではないがなかなか愛らしく、必要な場面ではそれなりの表情をして見せるので好感が持てる。しかし一方、準主役(従姉)は言動が粗野なことに加え、主役(152cm)と並ぶとでか過ぎる(169cm)ので全く可愛くないが、だからといって半分に切れば可愛いというわけではない。  ところでこの映画では、怪異の原点として兵庫県加古川市という非常に具体的な地名が出るのが若干唐突な印象を受ける。標題の都市伝説そのものは北海道が起源として語られるのが普通だろうと思うが、これと関連付けて語られている別の都市伝説では実際に加古川市(と高砂市)が出るようなので、これで誤りということでもないようである。 この加古川市の場面では、地元の親父の「こんな田舎に進駐軍なんか来るかいな」という元も子もない発言が可笑しい。また赤い色を嫌う理由を老婦人が説明していたが、これもかなり適当に理屈をこねた感じである。ここでは、冒頭で児童が安易に昔の処刑場を理由づけにしていたのと同じような、怪談や都市伝説というもののいい加減さが端的に表現されているようで興味深く思われた。 ただしこの件については、実は2の方でまた新たな説明が出るので、これはあくまで途中経過としての印象である。  またこの映画によれば、一般人でも可能な対策として、まずは歩道橋(跨線橋)に行かないこと、また振り向かないことが必要とされていたが、後半になると赤いものを身につけないことが重要視されるようになっていた。何にせよその程度なら結構簡単なので恐れるに足りないともいえるが、これも実は2の方でまた新たな展開が生じる。 どうも1と2は初めから連続で見ることが期待されているようだが、別に誘導するつもりはないので、1で終わりにしてもそれまでだ、と断言しておく。
[DVD(邦画)] 5点(2013-07-31 19:23:39)
237.  制服サバイガール II 《ネタバレ》 
前作で「こんな何もない田舎」と言われていた場所が、今回の劇中の新聞で長野県須坂市であることがわかった。須坂市の人々は、こんなZ級映画にそんなことを言われて黙っていていいのか。 まず当方としては最大限に好意的に見ようと思っているにもかかわらず、その好意に全く応える気のなさそうなことに呆れ返る。そもそも女子高生の映画のはずなのに男が出るのは観客への裏切りだろうが、この男がとにかくバカ丸出しの足手まといでしかなく、代わりに仲村みうが暴れてくれればそれでいいとも思うわけだが、その後二人で学校のような建物に数日こもっているうちに仲村みうもデレっとしてしまってテンションダウンする一方となり、わずかに最後、取ってつけたような勇ましい場面も動機づけがアレでは気が抜ける。この人のほかは女子高生役の出演者も激減するため、全体としても灯の消えたような寂しさだったのは救いがない。  一方ストーリーに関しては、最初の方で真面目な顔をした登場人物が「地球全体が乗っ取られる」とか言って仲村みうがハッとした顔をした時点で、これは自らバカ映画たらんと志しているのだろうと個人的には確信したのだが、その後は意外にもシリアスな方向に話が展開していく。終わってみればバッドエンドを伴うバイオホラーであり、また極限状態のもとで若い男女が真実の愛を確かめ合う話にもなっていて、少なくとも形の上では極めて真面目な映画を作ろうとしたように見えなくもない。しかし実態としては、かったるい進行の上に台詞は陳腐で映画初出演の男も見るに堪えず、そのため終始“真面目に見る奴はバカ”と書かれたテロップが画面の隅で点滅し続けているような気がして非常に困惑するものがあった。これは一体どういう事情でこういうものができたのか知りたいところだが、要は低予算ということに帰着するのか。  そういうことで個人的評価としては最低レベルだが、それでも0点とかにならないのは、少なくとも仲村みうは真剣に演技しているように見えたからである(飛鳥凛も)。わずかに残した点数を、些少で恐縮だがこの人々に捧げたい。本当にお疲れさまでした。
[DVD(邦画)] 1点(2013-07-31 19:23:33)
238.  制服サバイガール I 《ネタバレ》 
DVDの宣伝文を見ると、“女子高生アクション”をクールジャパンの旗手たるアニメに比肩しうる可能性を持った存在であるかのように位置づけており、その発想自体は買わないでもない。それを真面目にやって実証してくれれば褒めたいのだが、この映画に関しては期待する方がアホだったという結果になっている。 何しろ女子高生が7人も出ているのだから、全員に思い切り戦ってもらえば観客としても満足感が得られるだろうが、実際はゾンビ風に感染していく設定のため同士討ちが多くなり、最終的に本気で戦うのは優等生・不良グループそれぞれの中心人物だけというのが面白くない。オヤジどもが押し寄せて来るのを「七人の侍」よろしく女子高生がぶち殺していくような話だったら面白かったと思うが。 また主人公に関しては、誰に教わらなくとも薬剤噴霧器やチェーンソーの使い方を知っているのは頼もしく思われるものの、優等生らしく途中で妙に弱気になったりするのは見たくない。ただしさすがに終盤だけは頑張ってみせてくれたので、ここは花マルをあげたい。 結果的には①飛鳥凛が主演(個人的趣味) ②その他女子高生がたくさん出る、という以外に意義の感じられない映画だったので、この2つに計3点をつけておく。
[DVD(邦画)] 3点(2013-07-31 19:23:30)
239.  CUTIE HONEY キューティーハニー 《ネタバレ》 
昔こういうTVアニメがあったことは当然のように知っているが、当家では下劣でエッチな番組は見ないことになっていたためほとんど憶えがなく、特別な思い入れなどもない。しかしそれにしても、この女優が適役なのかどうかは正直疑問である。素材としては決して悪くないわけだし、本人も結構その気になってやっているのだろうが、丸顔というか縦横比の関係でハニーのイメージに合致しないのは非常に残念である。 それから普段の性格が天然というのも実写のせいか苛立たしく感じられる。映画では最後にみんなが友達になってハッピーエンドだったが、自分だったらそうはならず、うるさいあっち行け、と言って終わりになりそうなキャラクターである。  一方、映像面では序盤が面白く、特に敵の戦闘員がふっ飛んでいく可笑しさは実写ならではだろうと思う。またオープニングのアニメではハニーのかわいさが絶品で、もう全編これでやればいいのではないか、という気もする…というか実際には、まずネット上の某所でアニメ版「Re:キューティーハニー」のOP部分を見て惚れ込んでしまい、その後にアニメ本編を見て(DVD)、それからこの実写版を見た、という順になっている。アニメ版の方はエッチ度が高いし、またいかにもこの監督風のアニメとして出来上がっている(少々ベタだが)と感じられるので、それに比べると実写版はやはり少々残念な結果だったといえるかも知れない。  ただし自分としては基本的にこういうのは嫌いでないので、原作との兼ね合いは度外視した上で、サトエリと市川実日子(と片桐はいりほか悪役女優の皆さん)に敬意を表する意味を含め、ここでの平均点を少し上げる程度の点は付けておく。
[DVD(邦画)] 6点(2013-07-28 18:47:29)
240.  口裂け女0 ~ビギニング~ 《ネタバレ》 
この映画では①1968年の飛騨川バス転落事故を口裂け女の説話が発生した契機とし、②それから10年程度経過した1970年代後半に劇中人物が実験的に都市伝説として流布、③さらに30年程度経過した今回の映画で本物の口裂け女が世に出た、という設定になっている。いろいろ工夫するものだと感心はするが、都市伝説に関しての「噂とは悪意の子供である」とかいう認識が劇中で生かされたようには思われず、実際はマッドサイエンティストがバケモノを作った話になっており、ノートの殴り書きを含めて「輪廻」の殺人犯を思わせる。また心霊現象がメインになっているのは、意図してやったらしいが話が違うだろうと言いたい。 一方で単純なホラーとしては割と怖い方だとは思うが、しかし変な音響は正直やかましく、暗い場面ではまず電気をつけろと言いたくなる(特に冒頭では、お茶など出す前に部屋を明るくするのが礼儀)。また低予算ホラーにオリジナリティなど求めても仕方ないのだろうが、“眼”だけはやめてもらいたかった。  ただし、これは褒めていいのかわからないが、昼夜(明暗)の場面が頻繁に交代して時間(記憶)が飛んでいるように見えたのは、結果として妙な非現実感を醸し出していたように思える。また終盤の失われた可能性の場面では、妹が姉に甘えたところを見せるのが切ない感じで印象に残った。この場面をずっと見ていたいと思ったのは、自分としても少しは制作側の意図に乗せられていたということかも知れない。 なおメイキングを見ていると、妹役(折山みゆ)は素の状態ではけっこう可愛くて面白いキャラクターらしく、本当にこんな子が妹だったら溺愛するだろうと姉役(遠藤舞)が言っていたのは共感する。映画外のことが本体の評価に影響するのは許されないだろうが、どうせ映画に対する世間の態度などそんなもの、というのを口実に、これで点数を少し嵩上げしておく。結果的に「シリーズ最高傑作」とはいかなくとも2位の評価(当社比)となったのだった。それでも1位の半分以下だが。
[DVD(邦画)] 4点(2013-07-28 18:47:22)
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