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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  十二人の怒れる男(1957)
ほとんど密室で描きつくされているにもかかわらず、人間性の衝突による迫力が物凄い。物語の焦点は、事件に対する判決であるが、描いているテーマは真に迫った人間性である。その濃厚な脚本に、密室の暑苦しい空気感が加わり、文字通り密度の高い名作である。
8点(2003-11-14 23:53:31)
22.  十戒(1956)
映像の技術的には明らかに陳腐であるのに、その画面から今尚ものすごいパワーが溢れてくる。黄金時代と言われた当時の娯楽映画界のエネルギーがそのまま注ぎこまれているように感じる。もはや50年近くも前の映画である。スゴイ。アメリカの娯楽映画の歴史の大きさを感じる。
[地上波(吹替)] 8点(2003-10-07 00:52:47)
23.  見知らぬ乗客
初冬、久しぶりのヒッチコック映画を鑑賞。  列車に乗り合わせた厚かましいくらいにフレンドリーな男が、徐々にその異常な本性を現していく様が怖い。 序盤のシークエンスのみでは、列車内で初めて顔を合わした二人の男のどちらが、この映画の主導権を握っていくのか判別が付きづらい。 というのも、私生活においてトラブルを抱え、明確な「殺意」を表すのは、フレンドリーな“見知らぬ乗客”の方ではなく、主人公のテニスプレイヤーの方であり、彼が激情のあまり殺人を犯してしまうのかとミスリードされる。  しかし、次の展開では、見知らぬ男の方の狂気が、不気味に、淡々と映し出され、主人公と同様に、我々観客も戦慄させられる。  このあたりのストーリーテリングのテンポや間の取り具合が、1950年代の映画としては非常にサスペンスフルで洗練されていると思う。 殺人の舞台となる夜の遊園地や、犯行の瞬間をメガネのレンズ越しに映し出す演出など、流石はアルフレッド・ヒッチコックだと思わせる映画術がしっかりと冴え渡っている。  序盤は「交換殺人」というキーワードを主軸にしたサスペンス映画の様相だったが、男(見知らぬ乗客)の本性が現れてからは、この男がストーカー的に主人公の前に出没し続け、殺人を強要していくスリラー映画として、映画作品自体がその“本性”を現す。 その映画的な塩梅も、古い映画世界に相反するようになかなかフレッシュだった。  テニス会場のラリーの応酬に対して一斉に左右に首を振る観客席の中で、一人微動だにせずこちらを見つめてくる男の不気味さや、ラストの“超高速回転木馬”のスペクタクルに至るまで、終始観客の心理を鷲掴みにして離さないヒッチコック監督の映画づくりを堪能することができた。 そしてその“ラリーの応酬”や、ちょっと“廻りすぎなメリーゴーラウンド”は、映画の中で対峙する二人の男の「運命」を象徴させているようで、そういう隠喩表現も巧みだ。  キャストの中では、サイコパスな殺人者を演じたロバート・ウォーカーがやはり印象的。 非常に真に迫った名演だと思えたのに、名前を聞いたことが無いことを不思議に思ったが、この映画の後に32歳の若さで急死したとのこと。 どうやら少年時代から心に傷を追った生い立ちだったらしく、俳優になった後も妻の不倫やアルコール依存等が重なり、精神的な不安と混乱を抱え続けていたようだ。  そんな彼にとって、この作品の役どころはある意味まさに「適役」だったのだろうが、俳優本人の人生の不遇を思うと複雑な思いにかられた。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-12-05 00:58:55)(良:1票)
24.  透明人間(1954)
欧米では過去数十年に渡って幾度も映画化されている「透明人間」という題材。 その殆どが、SF作家のH・G・ウェルズ原作の映画化のようだが、日本でも「透明人間」という映画が存在していたとは知らなかった。  しかも1954年という公開年が益々興味深い。 1954年といえば何を置いても、「ゴジラ」第一作の公開年である。日本の特撮映画史におけるエポックメイキングと言える年に、特撮映画の一つとしてこの「透明人間」が製作されていたことは中々意義深いと思える。  第二次大戦中に秘密裏に存在していた透明人間部隊の生き残りの男を描いた悲哀は、時代的な背景も手伝って深いドラマ性を孕んでいる。 そして、その透明人間の主人公が、“ピエロ”の姿で“正体”を隠し、サンドウィッチマンとして生計を立てているという設定も、非常に映画的な情感に満ち溢れていたと思う。 (そのキャラクター的な特徴と立ち位置には、映画「JORKER ジョーカー」の逆説的な類似性も感じられ益々興味深い)  戦争における人間の功罪を、文字通り一身に背負う主人公の孤独と絶望は計り知れない。それでも彼が生き続け、守り続けた希望は、この時代にこの国で製作された映画だからこそ殊更に意義深いテーマだった。 “透明人間”という怪奇を映像的に表現した円谷英二による特撮も白眉だったと思う。 また、70年近く前の東京の風俗描写をつぶさに見られることも、時代を超えた映画的価値を高めていると言える。  この時代の特撮映画として不満はほぼない。 が、一つ不満があるとすれば、その後日本では「透明人間」という映画が殆ど存在しないことだ。  アメリカでは、1933年の「透明人間」以降、H・G・ウェルズの原作をベースにした作品だけでも4~5作品以上は繰り返し映画化が行われている。 それは、「透明人間」に関わらず、“ドラキュラ”や“フランケンシュタイン”しかり、古典的な怪奇映画の中では、時代を超えて普遍的かつ本質的な人間ドラマを見出せることを、映画産業としてよく理解しているからだと思う。  日本においても特撮映画隆盛期の1950年代から1960年代においては、今作以外にも、「ガス人間第一号」や「電送人間」「美女と液体人間」など、タイトルを聞くだけで印象的な数多くの怪奇SF映画が製作されている。 そういった往年の特撮映画を「古典」として、移り変わる時代の中で継承することができていないことが、この国の映画産業の弱体化の一因ではなかろうか。  今一度、今この時代の日本だからこそ描ける「透明人間」に挑んでもいいのではないかと強く思う。
[インターネット(邦画)] 7点(2020-11-08 01:54:25)
25.  黒い罠
恥ずかしながら、初めてオーソン・ウェルズの監督作を観た。 冒頭の長回しは勿論のこと、随所に散りばめられた映画手法は、まさに革新的かつ秀麗。 50年前にこのような多彩な映画手法を生み出した天才が、もし今現在に蘇ったなら、一体どんな「革新」を打ち出し、映画という表現を進化させて見せてくれるだろうか。 そんな夢想をしてしまう。  ただ、この作品のストーリー展開そのものは、大味というか曖昧さが目立った。 特に主人公二人のキャラクター性があまりに大雑把に思えた。 チャールトン・ヘストン演じるメキシコの麻薬捜査官は、輝かしい実績を持った英雄らしいが、どうにも箔がなく、相手役の大物ぶりも相まって小物感が払拭しきれていなかった。 一方、その相手役であるオーソン・ウェルズ演じるアメリカのベテラン刑事は、その豪胆な存在感は抜群だが、結局過去の栄光にすがった小悪党の域を出ず、展開に伴いトーンダウンしてしまっている。 この二人の人間性が、ストーリー上でも濃密に描き出されていれば、同じストーリーテリングであったとしても印象は大きく変わっていたことだろう。  しかし、そんなストーリーそのものへの”ケチ”も、オーソン・ウェルズという映画史に燦然と輝く巨星は、自らの演出と演者としての存在感で蹴散らしているようにも思える。 緻密に計算され尽くされた画作りによる緊張感と緊迫感は、ストーリー展開すらも無視して観る者を圧倒する。 この巨星が、現在の「映画」そのものを生み出したと言っても決して過言ではないのだろう。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2014-10-26 21:21:58)
26.  恐怖の報酬(1953)
大量のニトログリセリンを荷台に積んで悪路を延々運転する主人公に、同乗する相棒が言う「2000ドルは運転の報酬だけではない、恐怖に対する報酬でもあるのだ」と。 それはまさにその通りで、後半の主人公は年老いて恐怖におののく相棒を罵倒し続け、「お荷物だ」と悪態をつくが、もし一人であれば到底この任務を全う出来る筈はなく、早々に逃げ出していたことだろう。 そういう極限状態の中で左右される人間の心理が、巧みな演出の中に盛り込まれた映画だったと思う。  有名な映画なので、タイトルはもちろん「ニトログリセリンを運ぶ」という大体のプロットも認知していた。 そのことも影響したのか、主人公たちが置かれている環境と人間関係をつぶさに描いた導入部分は、少々冗長に感じてしまい、「いつニトロが出てくるんだ?」と間延びしてしまった印象は否めない。 序盤の人間模様が不要だとは思わないが、このストーリーで約150分の尺はやはり長過ぎると思えた。 “オチ”をああするのであれば、もっとシンプルな構成にした方が、「恐怖」とそれに伴う人間の心理が際立ち、映画としての娯楽性が高まったのではないかと思う。  ただ、繰り返しに成るが、中盤以降の演出は極めて巧みだ。 度重なるハプニングがバランスよく配置され、ニトログリセリンを運搬するトラックを二台描き出すことにより、どちらがいつ危機を迎えるのかという緊張感が効果的に持続された。 決して主人公のみをヒーロー的に描き出すのではなく、運搬にあたる4人それぞれの人間性をしっかりと描き、彼らが陥っている生活環境と、非人道的ですらある危険任務に自ら身を捧げざるを得なかった状況が、ドラマの中にきちんと盛り込まれていた。  最大の危険を乗り越え、一服しようとした瞬間、フッと巻き煙草が飛び散る。的を得た非常に良い演出だったと思う。 大ラスの言葉の通りの“オチ”については賛否が分かれるところだろう。実際、思わず呆気にとられてしまった。 しかし、この作品がフランス映画あることを思い出すと、ある意味「真っ当」な顛末のようにも思えた。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-11-09 16:01:10)
27.  めまい(1958)
往年のサスペンス映画やスリラー映画は、どんなに名作であっても総じて“テンポの悪さ”を感じてしまう。 最新作品の展開の早さやそれに伴う“衝撃性”が、そういった過去の名作を礎にして生まれていることを考えれば、一概に否定することはもちろん出来ない。けれど、率直に楽しむことが出来ないことも否めない。  アルフレッド・ヒッチコックの「名作」の誉れ高い映画も何作品か観てきたが、そういった印象はやはりあり、今作についても同様にシンプルなカタルシスは得られなかった。 しかし、流石は映画史に残る巨星の作品である。一度観れば終わりという単純な衝撃性に頼らない、映画作品としての深みを併せ持っている。  高所恐怖症により職務中に同僚を死なせてしまった元刑事が、学生時代の知人から彼の妻の監視を依頼されることから、ストーリーは展開していく。  「めまい」というタイトルが暗示する通りに、映画全体が主人公の主観的な歪みや屈折によって捉えられ、その巧みな展開力が観客をスリリングな映画世界へ引きずり込んでいく。 他のヒッチコック作品とくらべると、幾分かストーリー自体が入り組んでいて、結末も含めて非常に特異な映画なのだと思う。  ラストの顛末はあっけにとられてしまったが、よくよく振り返り、結局どこまでが現実で、どこからが主人公が陥った妄想なのかということを考えていくと、未だ見えていないこの映画の持つ本質が見え隠れしてきた。  また観直す機会があれば、新たな心象を得られるだろうと思う。そう思わせることが、良い映画監督の良い映画ということなのだろうと思う。   P.S.この時代の映画としては尺が長くて、展開が遅い分殊更に長く感じてしまった。あと主演のジェームズ・スチュアートが、あまり格好良くないというか、主人公のキャラクター性に対して、少々愚鈍で老け過ぎている印象を持った。その点が、主人公に対して感情移入できなかった要因とも言える。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2010-05-06 16:08:54)(良:1票)
28.  穴(1957)
ストーリーだけを見れば、相当に荒いのだけれど、そういう荒さを押し通して、娯楽作品として完成させる力強さが、当時の映画界と映画人にはあったのだと思う。 だからと言って、その強引さを現在においても用いれば良いかと言えば、そうではなく、その当時の時代の空気と価値観だからこそ生まれた映画の流れだと思う。 まあ何にしても、そういう時代の空気感も含めて、何十年も前の映画が現在も充分に“娯楽”として通じることは、とても素晴らしいことだと思う。
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-09-24 02:22:28)(良:1票)
29.  空の大怪獣ラドン
本当に、当時の東宝映画のミニチュア技術には頭が下がる。 今作で特筆すべきは、やはり、ラドンの衝撃波によって吹き飛ばされ、舞い上がる建物を表現した“巧さ”であろう。 ただ建物が爆発したり崩壊する映像は多々あるが、瓦の一枚一枚までが文字通り“吹き飛んで”いく様はなかなか見たことがなく、見事の一言に尽きる。 その反面、ラドンの操作ワイヤーが思いっきり見えたりするが、そのへんはご愛嬌というところだろう。 とにもかくにも、改めて、当時の特撮技術の偉大さが伺える。現在の日本映画の特撮に足りないものは何なのか?それはハリウッド等に対して明らかに劣る製作費などではない。技術力の低迷ということでもない。つまるところ欠けているのは、“工夫する”ということだろう。与えられた条件で、どこまで妥協を許さずに表現するか。必要なのは、“工夫”であり“想像力”だ。 そしてそれは、特撮映画に限らず、すべてのジャンルの映画に共通することだ。 そのことを、古き偉大な東宝映画は、今なお力強く示し続けている。
[DVD(字幕)] 7点(2005-07-14 11:24:59)(良:2票)
30.  シンデレラ(1950)
思ったよりもあっさりとした内容ではあったけど、あまりにも有名なファンタジーシーンには純粋に楽しめる。クラシカルな風合いのアニメーションが非常に味わい深く、ディズニーの歴史を感じる。
7点(2003-12-17 22:23:06)
31.  地球防衛軍
東宝特撮映画が大好きで、その第一人者である本多猪四郎監督の作品はほぼ観てきた。 特技監督の円谷英二と組んだ数々の特撮映画作品は、時代を超えてクリエイティブの真髄を僕たちに見せてくれ、世界中のクリエイターたちに今なお影響を与えて続けている。 本多猪四郎の最後の特撮映画作品は、1975年の「メカゴジラの逆襲」なので、1981年生まれの僕には劇場のスクリーンで観る機会は無かった。  そんな折、古今東西の名画を映画館でリバイバル上映する企画「午前十時の映画祭」で、「地球防衛軍」が上映されるという情報を得て、これは観に行かなければと数ヶ月前から心に決めていた。 「地球防衛軍」は、本多猪四郎監督作の中で数少ない未鑑賞作品だったので、これを逃す手は無かった。  普段は選択しないが、シアター内の前方席を予約し、やや見上げ気味の体勢で東宝特撮を堪能することにした。角度的にやや見辛かったことは否めないが、稀代の特撮映画を見上げながら味わうことも、この機会ならではだと思えたし、多少の観心地の悪さは、本作が公開された当時の映画館の環境を擬似的に味わえているようにも感じた。(途中聞こえてきた男性の寝息に対する不快感もまた一興) 冒頭、幾度も見てきた「東宝」のオープニングロゴに続き、「本多猪四郎」、「円谷英二」とクレジットが大写しになった時点で、感慨深さを覚えた。 モゲラによって倒壊する山村、伊福部昭の劇伴にと共に出動する自衛隊の兵機、それらの描写は、これまでも東宝特撮映画をつぶさに観てきた者にとって決して目新しいものではなく、幾度も鑑賞してきた光景ではあったけれど、劇場のスクリーンに映し出されているということが、やはり感動的だった。  映画のストーリーテリング自体は、極めてチープで大雑把なものだが、この味わいこそが特撮映画の妙味でもあるので、終始微笑ましく鑑賞することができた。 本作は、自分が想定したよりも東宝特撮映画としても、本多猪四郎監督作としても初期の作品だったようで、平田昭彦、佐原健二、志村喬ら、常連俳優たちの若々しい姿も新鮮だった。  東宝特撮映画に限らず、往年の名作、大作を、今の時代に改めて劇場鑑賞できる機会は、極めて重要に思える。地方でもこういう機会が増えることを望む。  翌日、起床した途端に首から背中がやたら痛く身動きが不自由になっていた。寝違えたのかと思ったが、このレビューを書きながら、「ああ、前方席で無理な角度で映画を観たからだ」と気づいて、激しく後悔した。
[映画館(邦画)] 6点(2023-08-19 14:25:20)
32.  宇宙戦争(1953)
正直、バリバリのVFX映画の完成形であるスピルバーグ版「宇宙戦争」を観た後では、ビジュアルの弱さに気後れしてしまうことは否定できない。映画としての緊張感という点でも、一方的に宇宙人に侵略され続けるという絶対的な絶望感を感じることがなかった。 ただ、ところどころのシーンで、その後のSF映画に影響を与えていると思われる描写は多々あり、この映画の価値はそれだけで充分あったのだと思わせる。
[DVD(字幕)] 6点(2005-11-02 11:40:48)
33.  ゴジラの逆襲
ゴジラ登場に関するシナリオの軽薄さはこの前作と比べると格差が甚だしいが、前作は日本映画史に残る大傑作だけに仕方の無いことだろう。しかし、アンギラスの登場によりゴジラ対怪獣という形式の礎を築いたことは、この後のシリーズ化を考えると評価に値すると思う。その結果今作も含めて傑作とは呼べないゴジラ映画も多く誕生するわけだが、ゴジラという世界的キャラクターの構築ということを思えば、数ある駄作もそのキャラクターの一片という意味で非常に重要である。今作においては、あくまでゴジラに対抗する人間のドラマに留めているあたりが、ドラマ性に富み見応えがある。
6点(2004-05-02 15:13:38)
34.  北北西に進路を取れ
主人公が理解不能のままとにかく逃げ惑う中盤までの展開は斬新さと緊張感に溢れた優れたサスペンスを見せてくれるが、中盤以降、主人公が妙にスーパーマン化してしまいパフォーマンスが大げさになる分、リアリティが薄れた。予想以上に平凡なラストの顛末もやや拍子抜けする。サスペンス映画はやはり終盤こそ起伏に富んでほしい。
6点(2004-01-30 18:13:45)(良:1票)
35.  怪物の花嫁
ティム・バートンの「エド・ウッド」を観てからどうしても観たかった映画。史上最低監督エド・ウッドの名に恥じず相当な駄作とももちろん言えるが、個人的にはその味わい深さが面白かった。何よりも映画全体に映し出されるエド・ウッドという映画監督の映画に対する熱情が、彼をただのどうしようもない映画監督に留まらせなかった要因であろう。最低ではあるが、映画に対する愛は誰よりも大きかったのではなかろうか。
6点(2004-01-08 19:22:27)(良:1票)
36.  七人の侍
ストーリー展開と映像的な迫力にはエンターテイメント大作にふさわしいハクがあったが、世間的な絶大な高評価には同調できない部分が残った。この手の何人かの個性的なキャラクターが団結して事に挑むという話が好きな私としては、もっと個々のキャラクターに焦点をあてて欲しかった。タイトルのわりの七人全員の印象は極めて薄く盛り上がりきれなかった。
6点(2003-12-16 21:22:57)
37.  知りすぎていた男
ああ、もうしかしたらこうなるのかもな。こうなったら面白いな。 と、卓越したサスペンスの中で、その先の用意されているだろう「顛末」に期待が大いに膨らんでいく。 しかし、ストーリーは想定外に”ストレート”に展開し、“ストン”と終わってしまう。  アルフレッド・ヒッチッコックの作品を観ていると、決まってそういう感想を抱いて、「これでおわり?」と思いながらエンディングを迎える。  残念ながら、この作品もその例に漏れなかった。  ある幸福な家族が北アフリカでの旅の途中、「陰謀」に巻き込まれる。 最愛の息子をさらわれ、誰も信じられない状況の中、夫婦は自分たちのみで息子の奪還に挑む。 映画は北アフリカの情緒感の中から始まり、「何が起こっているのか?」というミステリアスな導入部分から途端にトラブルに放り込まれる感覚は、上質な緊迫感に溢れていたと思う。  ただやっぱりストーリーの展開に面白味が無い。 主人公たちがバタバタとトラブルに巻き込まれるばかりで、意外性や衝撃性がまるでない。 逆に、無駄にぐだぐだとした惰性のシーンばかりが目についてしまう。  五十数年前の映画に、現在でも通用するような“驚き”の提供を期待することは酷なことかもしれない。 でも、それが映画史を代表するサスペンスの巨匠の映画というのであれば、やはり期待はしてしまう。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2010-12-10 12:10:40)
38.  裏窓(1954)
もう10年以上前のことなので白状するが、中学生の頃、自室での勉強の合間の気晴らしで、窓から見える公園の様子を双眼鏡で眺めていたことがある。 住宅地の中の何の変哲もない公園なので、特に何があるということでは無かったが、それでもいろいろな人がいろいろな表情で過ごす様を“覗き見”することは、大きな声では言えないが好奇心をかき立てられた。  詰まるところ、この映画は、そういう誰しもが持つちょっとした「好奇心」を、仰々しく膨らませたサスペンスなのだと思った。  窓から見える近隣住人に対してふと生まれた「疑念」。それが主人公の中でどんどん膨れ上がって、自らを「危機」に運んでいく。 彼の「疑念」は正しいのか、間違っているのか。このサスペンスのハイライトはまさにその部分で、観客はその狭間で揺さぶられる。  アルフレッド・ヒッチッコックの「名作」との誉れ高い作品なので、期待感は強かった。 ヒッチコック独特の心理上ので緊迫感は流石だと思った。 ただし、「結末」については、他の同監督作品と同様に”物足りなさ”を感じた。  もう60年近く前の映画なので、一概に現在の価値観ではかるべきではないとは思う。 映画の手法としてこの映画が確立しているものの価値は揺るがないだろう。  しかし、ラストもう「一転」させてくれないと、現在の映画ファンは納得できない。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2004-01-17 04:59:33)
39.  美女と液体人間
“液体人間”という「怪奇」、その恐怖と対称として「美女」を配置する構図は、映画史におけるゴシックホラーの典型であり、オドロオドロしいタイトルも含めて、“ベタ”というよりは「王道」と言いたい。  決して手放しで「面白い!」とは言えず、ストーリーも特撮も稚拙と言わざるを得ないけれど、映画としての“味わい”は確実に存在していたと思う。 “液体人間”が現れて、美女が「キャーー!」と叫ぶ。極端に言えばそれの繰り返しの映画だが、そのシンプルな内容で一つの映画世界を貫き通す潔さみたいなものが、当時の映画界のパワーであるようにも思う。  そして全編通してチープな怪奇に彩られてはいるが、そもそもの根底にあるものは、やはり「核」への危機意識であろう。 プロットには、当時実際に起きた事件や事故なども彷彿とさせるものがあり、そういった意味でも「時代」を映している映画だとも言える。
[DVD(邦画)] 4点(2011-04-01 16:40:39)
40.  死刑台のエレベーター(1958)
古き名作サスペンスには満足することがほとんどない。今作も例にもれず、何の衝撃も受けずに終始してしまった。題材的には興味を引く部分はあるのだけれど、描き方に中途半端な印象を受ける。現代映画の目まぐるしい編集に慣れきってしまっている部分もあるのかもしれないけど、やはりサスペンス映画はある程度映像で引き付けることは重要だと思う。そういうことを考えると、やはりヒッチコック映画は革新的であったのだと感じる。
4点(2003-11-18 15:30:29)(良:1票)
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