21. モロッコ
ディートリッヒの圧倒的な存在感に脱帽。もちろん、『嘆きの天使』や『上海特急』でも、彼女の枕詞たる「退廃的美」は存分に味わえます。が、本作冒頭のバーにおける登場場面ほど、このフレーズが完璧にマッチするシーンはないのではないでしょうか。美しいとか色気があるとか、そんな次元の話ではない。あらゆる形容詞を超越した容姿には、ただただ唖然、呆然。で、その立ち居振る舞いに圧倒されているうちに、あまり上手くない歌が始まり、そこでふと我に返るのでした。(歌の巧拙は個人的好みによる。上手くはないけど味わいはあります) 9点(2004-02-29 17:04:45) |
22. カサブランカ
似たような体験の後に観てしまったので(もちろん映画ほどにはカッコよくないけれど)、ボガートの心境がある程度分かり(全部分かるなどと大それたことは申しません)、ラストは胸が痛くて仕方ありませんでした。心から愛する女性。その人のことを真剣に思えばこそ…。ツラくなったので、このくらいで。(苦笑) 8点(2004-02-29 15:56:01) |
23. 勝手にしやがれ
一度は憧れ、真似してみる男は少なくないんじゃないですかねえ、ミシェルのような着こなし、仕草、台詞。洗いざらしのストライプのシャツに、ソフト帽とグラサンできめて、斜に構えて煙草を燻らす――が、鏡の中の自分は、どう見てもただのチンピラでしかなく、「粋」とは程遠いのでした。改心(?)した後も二回ほど観ましたが、十年位前のアホな学生時代がどうしても頭をよぎり、苦笑なしには画面を正視できない。あまりに個人的事情に左右されて、冷静な評価は…。 8点(2004-02-29 14:56:11) |
24. 我が家の楽園
仕事は、最低限の生活の糧を得るためと割り切って、ほどほどに。それ以外の時間は、趣味のためなどに、自由に使いたい。現在、ほとんどの一般大衆は、こうした人生を指向しているのではないでしょうか(もちろん私自身も)。それは、ある程度の経済的富裕を成し遂げた社会において、ほとんど必然といってもよいほどに表れてくる国民性でしょう。本作当時のアメリカも、フォーディズムの完成に象徴される通り、まさにそうした社会でした。しかし、その後に来るのものは――自由という名の退屈、豊かさと裏腹の不遇感、何物にも囚われずに生きたいという願望の先に忍び寄るニヒリズム。単に拘束から解放されたいだけの「○○からの自由」ではなく、自分はこれをやりたいんだという「○○への自由」なくしては、そうした「自由の陥穽」にハマってしまうのでしょう。それぞれの生きる道を見つけ、生き生きとした表情で人生を謳歌する『我が家』にこそ、「自由」の本源的な価値が見出されます。 8点(2004-02-29 11:29:30)(良:1票) |
25. 街の灯(1931)
物心ついた折から、何度繰り返し観たことか…。本作を超えるものには、未だ出会っていません。よって、私にとって10点は、これ1本のみ! 10点(2004-02-29 11:02:51)(良:1票) |
26. 素晴らしき哉、人生!(1946)
《ネタバレ》 幸福を培養するものは「フェイス・トゥ・フェイス」の関係であるということを、家族や地域などの濃密な人間関係を舞台にして描いてあります。ニヒリスティックな個人主義でもない、いけいけドンドンのナショナリズムでもない、個人と国家の中間にある具体的対人関係を等閑にしては、幸福の実感など夢のまた夢――。個人主義の極たる守銭奴のポッターはいうまでもなく、国民的英雄たる撃墜王の弟でさえ、決して幸福を実感させる描写とはなっていません(単なる主人公の引き立て役)。100%完全に孤独の人間など、この世にはいない(生まれてくること自体、独力ではないのですから)。いかなる人も、生かし、生かされ、自立し、依存し。自らを取り巻く重層的な人間関係の束(それは時としてウザイものだけど)から生じる瑣末な人生の断片にしか、天使は降臨しない(幸福は宿らない)のでしょう。そして、いかにツラい現実があろうと、そこから目をそむけることなく、冷静に受け止め、肯定する姿勢こそが、幸福の第一歩であるのでしょう。 9点(2004-02-27 23:54:56) |
27. ウエスト・サイド物語(1961)
クソガキ連中の不良ゴッコか…と、あくびを噛み殺しながら観ていたのですけれど、途中からのシリアスな展開には素直に引き込まれてしまいました。歌やダンスの評価を云々できる者ではないので、その点は留保するとしても、ビジュアル面でもサウンド面でも「静」と「動」のコントラストは、感覚的に心地好かったです。ラストの静寂さは身に染み入りました。黒人差別解消を訴えた公民権運動など、当時はまさに民族問題の大きな転換期でしたが、そのあたりの微妙さが皮膚感覚で分からないので、点数はこのくらいにとどまるわけでして…。 8点(2004-02-22 20:01:50) |
28. 雨に唄えば
ジーン・ケリーを観るだけで元気づけられる、という人は結構多いのではないでしょうか。全身から醸し出される、底抜けの明るさ。マヌケとスケベが紙一重の、爽やかな笑顔。一見軽薄な言動の裏にある、誠実さと思いやり。深刻な現実がアホらしくなるような、シンプルで軽快なノリ。しかも、本作では、これまた愛すべきキャラであるD・オコナーが、これら要素をさらに一段とパワーアップ。『巴里のアメリカ人』同様、終盤で展開される「いかにもミュージカル」的な長いダンスシーンは、個人的には苦手。が、それを割り引いても、何度も繰り返し観てしまいます。で、観終わった後には、「気分がスカッとした!」という陳腐な言葉が、恥ずかしげもなくついつい口をついて出てきてしまう、そんな愛すべき作品です。 9点(2004-02-22 14:56:19)(良:1票) |
29. 或る夜の出来事
高貴な身分の女性と無頼な新聞記者による逢瀬といえば、一般的には『ローマの休日』でしょう。言うまでもなく、キャラの違いで、こちらの方が、より庶民的(?)です。が、しかし、男女の言動や細部の描写は、こちらも勝るとも劣らず、実に上品なんですね。会話の内容は古典的な意味で「粋」だし、しょーもないラブシーンなんかがあれば興醒めにもなりましょうが、当然そんなものはない。こういう具合に、現実と虚構の皮膜(その膜は薄いようでいて限りなく厚いけれど)を感じさせてくれる映画は、何度観てもいいものですね。 9点(2004-02-17 23:09:28)(良:1票) |
30. 老人と海(1958)
老人の静かな矜持と諦観。俺は俺なりに、という誇りと、そうはいってもこの現状では、という諦め。巨大魚との格闘で、その、半分眠りかけた誇りが一気に目覚めるものの、やはり失意へと至る、その描写が胸をうつ。 7点(2004-02-11 17:16:20)(良:1票) |
31. 道(1954)
エロス的関係(=取替えのきかない人間関係)は相互に依存しあうもの、という基本を、見事に描いてあります。個人的な話で恐縮ですが、私の祖父は寝たきりでした。排泄から食事まで祖母に委ねきっている様を横目で見ていた少年時代、彼の無力さに対する同情プラス若干の軽蔑、彼女の尽力に対する感嘆プラス半ば呆れた感情、それら複雑な思いを抱いていました。が、彼の死後、彼女が語ったのは――「私は、あの人の世話をすることで、あの人に頼っていたんだよね」。祖父は祖母に生かされていたのではない、祖母もまた祖父によって生かされていたのでした。ザンパノに言われるがまま、どこまでも健気についていこうとしたジェルソミーナ。しかし、それは、彼女が一方的に依存していたわけではない。ザンパノもまた、彼女に依存していたのである。ラストシーン、そのことを思い知らされたザンパノ…。 9点(2004-02-11 10:00:28)(良:8票) |