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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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【製作年 : 2010年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  蜂蜜 《ネタバレ》 
どもる少年というとタルコフスキーの『鏡』が思い出され、そのせいか後の展開でも、タルコフスキーの空気をベースに感じていたみたい(テーブルにミルクのコップが置かれていると、静かに振動しだすんじゃないか、と思ってしまったり…)。どんな文化圏でも、ああいう過度に目を凝らさずにはいられない映画が生まれているってのは嬉しいことだ。目だけでなく耳も澄まさなければならない。最後のタイトルのとこでは、読めない言語の国のでは倍速にしてしまうこともあるのだが、今回はずっと耳を澄ましながら森の音に聞き入っていた。鳥や虫の声、風が葉を揺するささやき、遠雷、そして遠くの枝のしぜんに折れる音、それらを縫って少年の息が聞こえている(たぶん)。これはこの映画のエンディングとして完璧な装置で、作品後半で湧き上がった興奮をゆっくり沈澱させてくれているような心地よさがあった。トルコの生活にうとい私は作品にちりばめられているあれこれの寓意をほとんど理解できていないだろうが(ミルクと蜂蜜はイスラム教と関係がありそう)、そんなことはどうでもよくなる。一つ一つのカットの光と影に、意味以前の陶酔が備わっている。どもる少年もただ弱者なだけではない。宿題のノートを隣の子と交換してしまうずるさも持ち、褒美のバッジを貰えば嬉しがる普通の子どもだ。父の不在の不安を、電気を点けたり消したりするいたずらでまぎらしている普通の子どもだ。その子が父の死をこれから受け入れていく前に、しばし森の自然のどもらない音の中に逃げ込んでいる、というラストと見たが(肩をかすめて飛ぶ鳥!)、そこに聖なるものが包み込むように感じられてくるのが素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-03-03 12:29:16)
22.  海炭市叙景
海炭という地名からは、滅んでいった炭鉱町のイメージが呼び起こされ、最初の造船所のエピソードの絶望的な組合運動の姿なぞ歴史を思い出させる。消えるまぎわの炭の最後のほのかな明るみみたいなものを描くのかと思った。きれいなんだ、あれ。でも観ていくと、これ炭の最後の明るみと言うより、ほとんど灰の世界。グレーで一貫している。全員うなだれ、負のカードばかり拾い集めているような侘しさが募る。暗い屋内で市の暗いニュースを報じるテレビ画面ばかりが明るい。たしかに題名で「叙景」と断わっているのだから、芯のような手応えを求めてもお門違いなんだろうが、とことんうなだれたこの世界は、ちょっとキツかった。いっそ叙景に徹し、息を殺して見詰めないではいられない映像で押してくれれば、こっちもそういう姿勢をとったものの、こちらの眼力が弱かったのかも知れないが映像にそれほど引きつける力が感じられず、中途半端に「文学」が残ってしまっている気がした。その「文学」の部分だけでは、「なるほど現在の地方都市はこうなのか」と新鮮な角度からの発見は得られなかった。こちらが勝手に「ルポルタージュ」を求めてしまっていたのかも知れない。最後路面電車を巡って、登場した人たちが出てくるあたりはちょっと浮き浮きしたが、あまり絡み合わず、ここもあくまで「叙景」。プロパンボンベのそばでの煙草が一番ドキドキした。
[DVD(邦画)] 5点(2012-02-27 11:01:24)
23.  今度は愛妻家 《ネタバレ》 
この手の趣向は珍しくなくなったが、けっこう好きなんだ。たぶん映画で一番イキる趣向なんじゃないか。フィルムはもともと「現実の記録」の手段として誕生した来歴があって、そこを突かれるとグッと来る。作るほうも趣向だけに頼らなくなって、シナリオを練ってくる。セリフもいろいろ良かった。「俺が想像もつかないようなこと言ってくれよ」とか。本作の味わいの一つは、軽いトヨエツ。最近は「眉間にシワ」な役に定着しかかっていたところ、違う役が来て楽しそうに演じているのが心地よい(昔は軽い役も好んでやってた。床屋の髪形写真のモデルになってたのは何だったっけ…)。とりわけ前半、ランコに妻の死を嘘泣きっぽく告げるとこなんかの喜劇タッチ。ここらへんに喜劇タッチがあるので、後半が生きてくる。演技も設定に合わせて舞台劇っぽく線のハッキリしたものにし、そのクサみも作品のトーンと合っていたと思う。沖縄旅行から帰って、現像もしてないほどカメラから離れていたことが分かってくる後半、「眉間にシワ」的にはなるものの、それは前半のハシャギのいわば解説だ。石橋蓮司は、まあこれぐらいはやるだろうという役者なので、さして驚かぬ。「差別されなかったらオカマやってるカイがないじゃない」ってセリフは、いいとこ突いてた。浜田岳が出てくると仕掛けがある気配が漂ってしまうのは、彼の責任ではないな。
[DVD(邦画)] 7点(2012-02-09 12:22:25)(良:1票)
24.  キャタピラー 《ネタバレ》 
若松監督作品に、普通の意味での映画的陶酔は期待していない。「永遠のシロート」と言うか、シロートっぽい表現のくどさがときに、洗練の対極の異様な力を感じさせることがある。その一瞬を待ち受けるように観ている。もっぱらそれは暴力がらみの場面で起こるのだが、今回は違った。いや、妻が旦那の軍神を殴るところもかなり「異様な力」なのだが、本作で一番キたのは、旦那をリアカーに積んで村を回るシーンだ。精神的な暴行。闇の中でうごめいていた夫を、軍神として陽光の中にさらけ出す。世間に対しては貞節な軍神の妻としてまっとうしながら、同時に夫を辱める(「五体不満足」の乙武さんの覚悟を逆に思った)。辱めているのは夫だけではなく、村の人々もだ。「これがあなたたちの軍神です」と巡る。軍神というフィクションを一度迎えてしまった人々は(夫も含め)、その辱めを辱めと感じなくとも受け入れていかなければならない。敬礼して佇立する。農家の嫁はけっきょく、おしっこの処理と性欲の処理と、もっぱら下半身の処理のための存在だったことを如実に示したあとでの復讐。もちろんそこには強姦された中国女性たちの亡霊もかぶさってきているだろう。いくさは日本と中国の間で起こるより前に、男と女の間で起こっていたのだ。それを踏まえた上で「歴史の被害者」としての夫が、もっとクッキリ出ても良かったのではないか。
[DVD(邦画)] 5点(2012-02-04 10:18:39)(良:1票)
25.  ソーシャル・ネットワーク
D・フィンチャーの新作を観てみる、というより、「フェイスブック」ってものが分かるか、という興味のほうで観た。“アラブの春”のとき、ニュースや新聞でさかんにフェイスブックについての解説はあったが、も一つよく分からなかった。プライバシーにうるさい社会で、自分をサラケ出すような仕組みがヒットするのか、という点が疑問だった。映画はそれの成立の話で、中身はやっぱよく分からない。ネットのバーチャルな世界という安心感からサラケ出せるのか、あるいはそれほどまでに現代人はつながりたがっているのか、そこらへんのほうが面白そうだったが、なんせ旧世代の人間なので、とんでもない勘違いをしているのかもしれない(でも考えてみればこのサイトだって、映画をダシにして自分をサラケ出したがってる面があるようでもあり…)。この映画をちゃんと味わうには、私は基本知識が欠如してたよう。21世紀の『市民ケーン』と観たが、それでいいんでしょうか。ラストの味わい(エリカ)まで含めて。今までの映画だったら単純に対比されるものが、微妙にズレて向き合わないところが面白かった。主人公のネットかじりつきオタクとボート部の上流階級。きれいに対比されそうなものが、現代では単純な対立物になれず、適度に噛み合ってはズレていく。そして主人公はどんどん裏のほうへ・虚のほうへ掘り進んでいく感じ。何も創造しない虚業と言えば虚業だけど、でもそれが“アラブの春”という現実の変革の立役者になったところに、世界の在りようの「単純でなさ」をしみじみ感じた。私にはもう実感として理解できない世界だが、たぶん21世紀初頭の記録として残る作品となるんだろう。ビートルズの“ベイビーユアラリッチマン”が流れたところで旧世代の人間は、これなら俺の守備範囲内だ、と嬉しかった。
[DVD(字幕)] 6点(2012-01-29 10:28:20)
26.  モンガに散る 《ネタバレ》 
最初のほうの仲間たちを紹介していく乱闘シーン。ロマンチックなムード音楽に乗ってスローモーションのダンスのような格闘が楽しく、市街での乱闘へとつながる気合いにかなり期待が高まった。でもあとが定番の型にはまってしまい、膨らんだ期待を若干しぼませる。顔にアザのある娼婦との純愛は、いらなかったんじゃないか。部分部分ではいいところもあるのよ。子分の詰めた指を食事中の箸で転がしてどかしながら、それを包んできた新聞の記事を読んでるゲタ親分のスケッチ。その前に、料理屋のただのオッサンみたいな登場をさせていた親分だけに、ここで凄味を感じさせるシーンだ。あとあちらの極道は研修旅行をやるのね。日本のやくざ映画では見た記憶がない。山に籠もって武術の鍛錬をするの。日本のやくざの「どうせ俺っちは社会のハグレモンだからよー」といった、すねた不貞腐れのような翳りが感じられない。台湾の極道は極道にしちゃ健康的すぎる。主人公側のやくざは伝統的に刀一筋、敵対する側は卑怯な飛び道具、っていうあたりは日本の任侠ものと同じ構図だ。終盤いよいよ抗争が始まると緊迫、ただいささか詠嘆的で絶叫調がくどく、親子に関する仕掛けが潜んでいるのも湿度を上げていた。過剰な湿度のベットリ感がときにぬくもりに変化するのが台湾映画・ひいてはアジア映画の魅力でもあるんだけど。監督・脚本ニウ・チェンザー。出演もしている。
[DVD(字幕)] 6点(2011-12-25 10:24:38)
27.  富江 アンリミテッド 《ネタバレ》 
シリーズ八作目・末広がりの今回は、ホームドラマで始まって学園ものに移行し、再び家庭に戻って最後は社会に出てオチを付ける、という波瀾万丈。まあいつもの「富江」パターンで、それぞれは閉じた世界の中で異常を異常とも感じさせず血みどろやってるだけなんだけど、なんか久しぶりだったせいもあるのかなあ、終盤の畳み込みはけっこう嬉しかった。放課後の校舎を首なし女生徒がバタバタと駆け回る賑わい、ムカデ人間と化した富江が壁や天井を這い回るゾワゾワ感(今回は本当に富江が増殖するの、ムカデになったり弁当箱の中で)。包丁でグサグサやるのは現実感なく平気だけど、ハサミで上唇切ろうとするのはコタえた。この監督はセーラー服出すとやはり生き生きしてくる、女性の口に何かが突っ込まれるシーンも昔から好きだし。あと風呂場での解体シーンはシリーズの旧作を思い出して懐かしかった。何より驚いたのは製作者が「富江とは何ぞや」というテーマのようなものを考えていることで、主人公月子(富江の妹)のコンプレックスってのがモチーフになっている。人に嫌われないよう地味に地味に生きてきた彼女が、終盤に先輩や友だちに「おまえなんかなんとも思ってなかったよ」とののしられ、常に憧れの対象だった姉富江に憑依されて世間へ出て行く。彼女は「誰かに必要とされる特別な存在」の富江としてエンディングを迎えることになる。うーん、「作者の言いたいこと」、テーマってヤツだよ、これは。「現代人の孤独」と言うか。コンプレックスと共に生きることが出来なかった月子の物語。たとえばアカデミー作品賞を獲った、コンプレックスと共に生きることを選んだ英国王の物語と対になるよ、これは!
[DVD(邦画)] 5点(2011-12-19 10:23:07)
28.  悪人 《ネタバレ》 
『告白』もそうだったけど、最近「へらへら生きる者」と「本気の者」の対比の映画が多いな。「本気」に生きる難しさ、って言うか(この二作に岡田将生はどちらにもトホホな役で出演していて偉い)。デートの後で金を渡され傷ついた深津絵里が車で送られたとき、「本気やったと、ダサかやろ」と呟く。「呟き」だけれどほとんど「叫び」であり、つい観ながら「そんなことない、そんなことない」と呼びかけてしまう。そのあと妻夫木君も洋服店を訪れ「本気やった」と告げる。「そうそう、それでいい」とこちらもうなずく。岡田将生一人がへらへら役を任されててちょっと気の毒なんだけど(あと松尾スズキの催眠商法男も、社会にタカを括っている点でへらへらに分類されるか)、彼に関する柄本明の「大切な人はおるか」のモノローグが流れ、それぞれの大切な人が描かれていくあたりはキュンとした。言ってみれば道徳演説で普段なら抵抗を感じるところだが、前に「ダサかやろ」で深津絵里に釘を刺されているので、ダサく感じることを許されない。全体、いろいろ引っかかりかけるところで、あのおずおずとした「ダサかやろ」が蘇ってきて、観ててへらへら小馬鹿に出来ないのだ。ずるい。映画としていいなと思ったとこは、妻夫木君が食事中に母親から警察が来たことを知らされるあたりの演出。ビクッとしたりオドオドしたりがなく、黙々と食ってていきなり吐くのがいい。あと深津絵里の店員としての客への応対。日常の倦怠感をことさら出さず、熟練さを見せて長くこの仕事をやってきた心の裏を感じさせる。この事件に外側から巻き込まれていく深津と柄本の仕事場に、どちらも鏡という世界を裏返しに見返す装置があるのは偶然か。
[DVD(邦画)] 6点(2011-12-14 10:26:29)(良:1票)
29.  英国王のスピーチ
これはもう「あがり症の王様」って設定が秀逸で、実話なんだろうけど、よくぞ取り上げた。人生のほとんどを公式の場にいる王族が吃ったら、そりゃ地獄だわな。職業が「公人であること」なんだもん。普通の対人恐怖症は「笑われる」ことを気に病むんだけど、彼の場合は「哀れまれる」という地獄。だから彼が気の毒だという視線が、さらに彼を傷つけてしまう。大観衆の視線から先祖の肖像画までが脅威となって迫ってくる。転職も出来ない(兄貴に先を越されてしまった)。脅威の対象だった一般市民との間に、次第に友情が育ってくるところがポイント。映画は結果が分かっている展開を、淡々と進んでいった。それが物足りなくもあるが、たとえばもし「演説の天才ヒットラーに対する怒りによって流暢に語れた」なんて話になったら、それはそれで安っぽく感じてしまっただろう。こういう「人生の不安」に対しては特効薬はなく、彼のようにただただ匍匐前進していくしかないのだ、という勇気をたたえる物語でいい。それにしても先代の王様が卑猥語を狂ったように叫ぶ映画が作れる国はいいなあ。もし昭和天皇が卑猥語を叫ぶ映画を日本で作ったら(あの人も幼少時にプレッシャーきつかったのか、しゃべりが流暢ではなかった)、街宣車が走り回ってスクリーンはズタズタにされるんじゃないか。
[DVD(字幕)] 6点(2011-12-11 09:53:12)(良:2票)
30.  武士の家計簿
ユニークな映画が出来てるのではないかと期待してしまった。小説ではない人文系の書籍をベースにして劇映画にしたってことで、市川崑の『私は二歳』のような風変わりな作品を期待した。同じ才人監督だし。侍たちが並んでソロバンをはじいているなんて、あんまり見たことない図で、事務職としての侍の職場を描いた珍しさなんかいい。それで主人公の「ソロバン馬鹿」ぶりを具体的に展開していくのかと思っていると、それほどでもなく中盤に至り、そうか一家の倹約作戦を細々と見せていくのか、と膝を乗り出すも、その話は大ざっぱに収まり、いつのまにか幕末になってけっきょく歴史をソロリと撫でただけで終わってしまった。原作にあっただろう(読んでないので想像で言っちゃうのが弱いのだが)エピソードを、あたりさわりのない話(父と子の確執とか)に変換して繋いだって感じ。親父の一つ語りの門の片面だけを塗った話、みたいな「何の教訓にも変換されない」具体的な手触りの感じられるエピソードをもっと聞きたかった。原作の人文書そのものから膨らませるのではなく、既存の物語の型に当てはめただけに見えた。もったいない(歴史学の本を劇映画にするのは実際大変だろうとは思います)。ただ最近小林正樹の『切腹』見たばかりだったので、江戸時代のアタマと終わりでの侍の対比となって面白かった。とりわけ刀の扱いの違い。侍が官吏になり士道がソロバン道になっていったが、別にそれは劣化だったわけではなく、それなりの一生懸命が必要だったんだ。息子の祝いの席で出た絵の鯛を持って縁側を(縁「川」に見立て)人々が行くシーンが、唯一映画として生き生き感じられた。
[DVD(邦画)] 5点(2011-12-09 10:23:02)(良:1票)
31.  十三人の刺客(2010) 《ネタバレ》 
暴君を仕留めたいのか、柵で囲ったテーマパークで遊びたいのか、見てて分からなくなる。絶対有利な高いところに立っての弓を放棄して肉弾戦に移るのは、ありゃ遊びたい気持ちのほうが勝っているからとしか思えない。その前だって火牛が登場したり、よく考えると効果の分からない見た目の派手さを選んでいる。いや、派手結構よ。それならそのエンタテイメント精神で一貫してくれればいいんだけど、「命を軽んずる武士道は立派だろ」イズムがしばしば見え隠れしてて不快。だいたい「立派な切腹」シーンてのが気持ち悪く(歌舞伎みたいに完全に様式の中に閉じ込めてしまえば、切腹だろうが子殺しだろうが大丈夫なんだが)、それが頭と中盤に二つもあるのは辛かった。宿場であんな大普請してたら噂が伝わっちゃうよな、とか、どっちも金がふんだんに使えるんだ、とかブツブツ思ってしまうのも、エンタテイメントに徹してくれてないから。エンタテイメントとして楽しめるのも弓を放棄するまでの、仕掛けが繰り出されるあたりまでで(一応ワクワクしました)、大人数のチャンバラになると至って退屈。他人がテーマパークで遊んでるのを長々見せられてもなあ。良かったのは前半の屋内シーンの廊下の暗がり。
[DVD(邦画)] 6点(2011-11-16 10:21:26)(良:1票)
32.  ゲゲゲの女房
ヒロインのむっつり顔は、人がお化け屋敷を歩いているときの顔だろう。どういう人間かよく分からずに結婚し、たちまち東京での暮らし、周囲が未知の妖怪変化のようなもので埋まってしまう。ビクビクしながら手探りで歩いているときの顔だ。頼りとすべき夫は、腰砕け気味の笑いを「ハッハッハッ」と片腕の体から不意に発する。豪快な笑いに似合わない貧相な体つきで。これこそ妖怪である。いや一番妖怪みたいなのは気がつくとそこらにうずくまっている姑か(エンディングタイトルまで誰が演じているのか分からなかった)。しばしば画面に平気で妖怪が映り込んでくるが、それら周囲の人間との差別がない。嫁にいくとは、こういうお化け屋敷に入っていくことなんだ。まだ「内助の功」なんて言葉が生まれる以前の、ビクビクもんの新妻を描いて新鮮で面白かった。マンガが動き出す白黒のアニメも、そのザラッとした貸本タッチがいい。ロケはまた深谷市か。ここでロケした映画はたいてい悪くない。昭和の空気を残しているっていうよりも(実際わざと巨大マンションを画面に入れたりしてる。現在の「東京駅」とか狙いはよく分からないが、妖怪が映り込むのと似た効果か)、ここ深谷には何か空間の広がり具合に映画を豊かにしているものがあるようなのだ、具体的にうまく指摘できないのが残念。
[DVD(邦画)] 7点(2011-11-09 09:49:39)
33.  冬休みの情景 《ネタバレ》 
中国映画はかくも文化大革命から遠く離れたとこまで来たのか。前向き・力こぶ・希望・明朗といった文革時代の表象は、その後の文革批判の映画でも現われていて、いつも底にはそういった傾向があったように思う。でもこれはどこにも力こぶのない映画だ。退屈しきった日常、手応えの感じられない社会、都市部の若者の世界的テーマが、中国の、しかも内モンゴル自治区から生まれてくるとは。ジャームッシュやカウリスマキにも通じるミニシアター系の脱力ドラマ(コメディと言ってもいいんだけど、言い切るのは若干ためらわれ)。上海でなく内モンゴルでこういう映画が生まれるまでに、世界は均一化してるってことか。シークエンスとシークエンスの間に入るかったるいスキャットも含め、ひたすら脱力している。そして(毛糸をほぐして帽子をこしらえた恋人の)親は離婚しようとしてるし、友人とは些細なことで絶交しようとしている。それもいたって淡々とで、一日たてば消えてしまいそうないさかい。子どもは大きくなったら孤児になろうと言うし、かつて文革で団結を叫んでいた中国人民は、今は解散したくてたまらないようだ。解散の日までの日常をぼそぼそとしのいでいる感じ。登場人物が笑顔を見せたのはたぶんテレビを見ていた老人とオバサンが顔を見合わせたとき一回だけで、そのオバサンもなにがあったのか怒って帰っていった。人はどこも別れる準備をしている。町中に響いている音は何なんだろう。旧正月の花火? どこぞの砕石場? それすら空のうつろさを確認しているように感じられる。退屈しきった休暇が終わり学校が始まって、初めて力こぶが感じられる熱血教師が出てきたと思ったら、教室を間違えてて去っていった。休暇ボケだったのだ。「社会に役立つ人になるには?」という問いの前で脱力し続ける学生らの背後で、初めてビートの効いた音楽が鳴ってエンディング。これがどの程度内発的に作られた映画なのかは監督の別の作品を目にするまでは疑問符をつけておきたいが、町の死に切ったたたずまい(とりわけ怒声なしで淡々とカツアゲされる空き地)や白菜売り場の光景など忘れられそうにない。監督リー・ホンチー李紅旗。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-11-02 10:10:44)
34.  アイス・カチャンは恋の味
少年の初恋ものと聞いてたので、するとアンジェリカ・リーもとうとう母親役をやるようになったのか、と思ってたら、初恋相手の「気の強い少女」であった。ラストの「少女のその後」で、やっと現在に追いついた感じ。『アイ』で初めて観たときだってもう「少女」というより「娘」だったし、あれが十年くらい前の映画。本サイトの情報でいま確認したら1976年の生まれだそうだから、このときは三十代半ばか。いい度胸だ。ま映画としても年齢不明の人ばっかり出てきてて、さして無理でもなかったかもしれない。これ香港コメディから動きのキレを抜いて泥臭さだけを残したような映画で、音楽が鳴りっぱなしなのも苦痛だった。お父さんがバクチやってる小屋とその前に広がる海に、かろうじて東南アジアの匂いを感じた。あとは、不意に生まれた四組のカップルが四辻の四方向から顔を合わせる俯瞰のカットぐらいか。今までに作られてきた「初恋もの」の部品を組み合わせてみたってだけで、自分なりのオリジナルなものを発見しようとしていない。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2011-10-26 10:19:29)
35.  ケンタとジュンとカヨちゃんの国
全編に漂う「恨みがましさ」に、若干辟易させられた。たしかに個人の踏ん張りではどうしようもない生まれながらの格差はこの国にあり、それもより深く広がりつつあるけれど、それに対する苛立ちがただ「恨みがましさ」だけに収斂していってしまっている。「連帯」とか「革命」とかの言葉はもう輝きを失っているが、それに代わるものを模索する努力を放棄し、ただ「恨みがましさ」に寄りかかってしまっている。映画はその若者を批判的に見ているようでもなく、けっきょく「出口なし」の状況の悲劇性に陶酔してしまったのではないか。ただ「辟易」の度合いを「若干」としたのは、こちらに今の若者の閉塞状況を分かってないかもという弱みがあるからで、もうここまで追い詰められている可能性もときに感じられるからだ。網走に行けばなにか次が見えるかも、という出たとこ勝負のロードムービーという設定に、いまの若者の切羽詰ったとこが反映されていたのかも知れない。なにも若者に限ることでもあるまい。原発労働者の境遇は黒木和雄の『原子力戦争』のころとまったく変わっていないことに(さらに使い捨てシステムが合理的に進化しているか)最近驚かされたばかりである。映画の流れとしては、カヨちゃんとの再会の場や、先輩との対決にもうちょっと段取りがほしい。期待した安藤サクラの怪演も、ふわふわと登場するシーンではワクワクさせられたが、あとはまあ無難な演技といった線。
[DVD(邦画)] 5点(2011-08-11 12:27:35)
36.  ナイト&デイ 《ネタバレ》 
1年後には細部をほとんど思い出せなくなっていることが確実な映画。でもね、最近のハリウッド映画は変に思わせぶりなシーンを入れたり、曖昧な決着にしたりして、モヤーッとした後味を残すのがけっこうあって、こういうきれいに忘れ去られるように作られてる潔さは貴重じゃないか。悪漢の手下ってのは、ただ撃たれて退場するのが多いけど、これではちょっと使い回ししてる。最初の飛行機内で撃たれた悪漢どもは、あとで機体の傾きとともにユラリと通路に倒れてキャメロンに状況を悟らせる役割りを持たされる。スペインでの手下どもが順々にヒョイヒョイと吊り去られていくのは、ただ撃たれて退場するよりは楽しい。こういうところが嬉しかったが、1年後まで覚えているかどうかは微妙。おそらく作品のポイントとして一番記憶されやすいのは、バイクでトムに後ろ向きにまたがったキャメロンの銃撃ポーズだろうが、監督はスピード感出すためのCGに夢中で、このポーズを観客にしっかり記憶させるような明確なカットを残さなかった。CGよりそっちのほうが大事でしょうが。惜しいかな。ずっと薬のモチーフでつなげてきて、このシーンの直前にエロくなる薬を飲まされてて、そしてあのポーズになる、と段取りはいいのに。悪漢につかまればトムが助けに現われてくれる、という確信なんか、アクション映画のヒロインとしてキャメロンは正しい判断をしているのに。
[DVD(字幕)] 6点(2011-08-05 10:12:56)(良:1票)
37.  告白(2010) 《ネタバレ》 
ストーリーの展開に無理が目立ち(とりわけ後半グズグズ)、また口当たりのいい映像の流れには飽きが来て、正直観ている間は低評価。でもラストの松たか子の「なーんてね」のセリフで、これはこれで今の時代の嫌な一面を突いてるな、とは思った。映画に蔓延してるのは「とりあえず小馬鹿にする態度」。いじめの本質かどうかは分からないけど「小馬鹿にする」ってのは重要な要素だろう。茶化す、ってことでもある。真剣なもの(それはときに暑苦しくもある)を避けて、クールであろうとする。クールに見えようとする。そのためには他人にとって切実なものまでを、小馬鹿にする。それは生々しいものから逃げたい臆病の変形なんだけど、現代はその必死に冷笑する気分が過飽和状態になっていて、それがあちこちで「いじめ」として結晶してるんじゃないか、そんなことを思った。そして娘の死への復讐という真剣な思いを完成させるためには、最後に「なーんてね」という小馬鹿にする言葉がトドメになる。しょせんエンタテイメント作品ではあるが、でもだからこそ、これが決めゼリフとしてぴたりハマったのが、現代の状況を射抜いていた(かつて「なんちゃってオジサン」という都市伝説があったけど、あれはまだ愛嬌があったな)。登場する全員が救いようなく壊れていく。暗い雲だけが動いていく。
[DVD(邦画)] 6点(2011-08-03 10:04:12)(良:1票)
38.  パーマネント野ばら 《ネタバレ》 
いろいろ男女問題を抱えた町の人々をおとなしいヒロインが観察していく、って設定かと思っていたら、彼女が一番問題を抱えてたってことがだんだん分かってくる話。あけすけに感情を披瀝する風土のなかでの、秘めた一途な恋が明らかになってくる。映画観終わってみると、その設定だけに寄りかかってて、あとの描写が少し雑だった気もするが(男を引っ掛けるオバサンや電柱倒すオトーサン)、一応まとまったものを観たという気分にはなる。高知県というと『祭りの準備』を思い出すが、あれでもなんか男たちはぶらぶらしてた(原田芳雄が絶品だったなあ)、そういう風土なんだ。そして女たちはパーマ屋で「教育上問題のある」談話をしている。漁師町の風土。男も女も、大人も子どもも、みんなよく怪我をする。活発な風土というか、暴力的風土。車で突っ込んだり車から飛び降りたり。頭より体が先に動く風土。そういう風土の中で、ヒロインのみ、じっと頭だけで過去の恋に沈澱している。子どもを母親に任せたまま「恋人」とトンネルで会ってたり、ただ一人、風土に反してしっとりとした恋愛に生きている。その痛々しさがしだいに分かってくるあたりが味わい。子どもが走り寄ったラストで、彼女は夢のような恋愛から、母親としての自覚に目覚めるのか。この荒々しい風土のなかで生きていけるかなあ。
[DVD(邦画)] 6点(2011-07-18 13:03:06)(良:1票)
39.  必死剣 鳥刺し 《ネタバレ》 
世間の噂話だけを根拠に、自分の死に花を咲かせるための暴力を行使する、って昭和にもたくさんいた愚かなテロリストの典型みたいな冒頭の事件。あんまりこんな奴に付き合いたくないな、と思いながら観続けていると、疑念を持ちながらもボスの言いなりに用心棒としての殺人を行なう。自分というものを消して、道具に徹する。使役され、善悪の判断を外部に置くスッキリした生き方ではあるが、やはり愚か。しかしそこで使役されていた意味が分かり、初めて自分の判断で「敵」を捉え乱闘から必死剣に至る。「必死」によって初めて、自分自身だけの「生」にたどり着けた男の物語、ってことか。観ながらモヤモヤしていたものが、岸部一徳の下知で「そういう話か」とスッキリする瞬間がこの映画の勘どころ。その瞬間のドキドキに比べると後の乱闘はいささか大味だった(ご別家との一対一の静かな緊張は悪くない)。使役されることの悲しみは漂った。「侍もの」では女性の描き方ってのが難しいんだな。噂話というベールは掛かっているけど、側室は分かりやす過ぎる型通りの悪女で、主人公の妻や姪は、これまた型通りの貞女。寂しく微笑むだけの存在。時代劇でも市井ものでは魅力的な女性をたくさん描けるんだけど、武家ものになるとなかなか型を破れない。それだけ女性が生きづらい環境だったってことなんだろうが。
[DVD(邦画)] 7点(2011-06-07 12:22:57)
40.  孤高のメス 《ネタバレ》 
地方を舞台に、熱血青年が古い因習に挑む、ってのは「坊っちゃん」以来の日本物語の定型で、「先生」と呼ばれる聖職ってのも大事なポイントなんだろう。イイモンはやたらかっこよく、ワルモンは俗物臭ぷんぷん。物語としてはそれでいいのかもしれないが、もし臓器移植への問題提起だとしたら、ちょっと話が都合よすぎる。ドナーの家族が、移植によって臓器の一部でも生き継がれればいい、と理想的に判断してくれて協力的。問題はすべて、移植を認めていない当時の法律や俗物の医師たちに寄せられる。これでは正解は「臓器移植」と最初から定まっていて、問題提起というより移植推進のプロパガンダだ。脳死の問題が医者の正義感だけに託されている。あの俗物の医者たちが脳死判定する可能性を除外している。脳死の問題は、たとえばずっと病院で臓器を待っている好青年がいて、そこにほとんど脳死状態の怪我人が運び込まれてくる、なんてとき、閉鎖的な日本の病院世界できちんと厳密な脳死判定がされるだろうか、という不安があるとこだ。臓器提供をためらう家族をこそ登場させなければならないんじゃないか。それでいて手術後は意外とあっさりゴタゴタは処理されてしまって肩透かし。脇筋の、子連れ看護婦の熱血医者に寄せる、敬愛と自分に言い聞かせているような恋愛感情の描き方が、押さえながらも筋を通していて味わえた。子どもが母の日記を読み、仕事一途だった母にもこういう華やぎの気持ちがあったと知る展開になっているのも良い。最後の別れの場では、ずっと「怒っている」夏川結衣が年齢相応にドタドタと車に走り寄り、「私は本当は○○○○が好きなんです」と告げるところでホロリ。ロケをした港は、震災の被害を避けられたのだろうか。
[DVD(邦画)] 6点(2011-05-27 09:57:30)(良:1票)
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