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21.  古都(1963) 《ネタバレ》 
近代化によって変化する京の伝統や町屋の風景など、「失われゆく美」に対する愛惜の情を数奇な運命を辿る双子に託して表現している。 美を象徴するのは双子姉妹。別々に育った二人だが、共に実の両親を知らない。これは切れた凧のように運命に抗うことができないことを意味している。 千重子は呉服問屋の一人娘として両親の寵愛を受け、何不自由なく育った。自分が捨て子だったのを知り、両親の云う事には何でも従う覚悟がある。父親から幼馴染の真一の兄・竜介を婿養子にする話を持ちかけられると結婚をすんなり承諾する。自立していないのではなく、受容的な性質なのだ。意志が弱いのではなく、番頭に帳簿を質すなど、芯の強さは持っている。相手が自分のことを愛しており、両親も勧める結婚ならば、反対する理由などない。その胸底には、昔ながらの商売の伝統を守ろうとする決意がある。 苗子は両親の元で育てられたが、物心がつく前に両親を亡くして孤児同然の身だ。北山杉の製材所で働き、自活している。彼女は、双子の姉妹・千重子を知って喜ぶが、育ちの違い、身分の違いを自認しており、千重子を「お嬢さん」と呼び、自分の存在が少しでも彼女の幸せに支障をもたらしてはいけないと考えている。だから西陣織職人の秀男から求婚されても断わろうと考えている。何故なら、、秀男は自分に八重子の幻を見ているのであり、万一結婚した場合、自分の存在が八重子の周囲に知られてしまうのを恐れているからだ。その背景には、双子を不吉とする迷信がある。 苗子が八重子を思い遣る気持ち、自分を勘定に入れずに献身的に相手に尽くす気持ちこそが「失われゆく美」だ。苗子が望んだのは、八重子の呉服屋で共に一夜を過ごすというだけのもの。それも周囲の目を慮って、夜に来て、早朝に帰るという慎重さ。雪の残る町屋を早足で去っていく苗子の姿こそ原作者の理想の姿で、「謙譲の美」とでも呼ぶべきか。幻想的ですらある。 音楽も映像も端麗で、四季を通じての古都の美を堪能できる秀作である。 ただし、スッポン料理は若い男女が食べるものではなく、不似合いだ。老年だった原作者の趣味を持ち込んだだけである。
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-13 15:34:38)
22.  愛と死をみつめて 《ネタバレ》 
軟骨肉腫という難病に冒され、21歳で散った女性ミコと彼女を支えた恋人マコの悲恋の物語。二人は病院で出逢い、淡い恋心を抱き合い、二年間文通が続いた。病気が悪化したミコがマコに別れに手紙を出したのは、相手を思い遣ってのことであり、それを読んで激怒したマコが上京して真意をただしたのは純粋であればこそだ。この一件があって、二人の絆は深まった。しかし若き生命を燃やして愛し合う二人を病気が無残にも引き裂いていく。やる瀬なくも暗鬱たる内容だが、何と言っても特筆すべきは病魔の恐ろしさで、 怖じ気がひしひしと胸に迫り、気鬱になった。肉腫が眼球と鼻骨の間に出来、何度か手術を受けるが肉腫の浸潤は止まず、それが頭蓋骨の底部に広がらないように、左眼と左頬骨、上顎の左半分を摘出する外科手術が必要になる。これは左の顔のほぼを半分を失うことを意味する。手術が成功しても、2年生存率3割程度、5年生存率ゼロに近いという厳しさだ。女性が顔半分を失うのはどんなに辛いことだろうか。想像を絶する。自分の身に起ったと考えるだけでぞっとする。この激烈たる悲劇性が、万人の心を打つ要因となっているのは皮肉なことだ。彼女が自殺を考えたのも無理からぬことだ。恋人の前では美しく居たいという気持ちは痛いほど分かる。いっそ一緒に死んでくれたらと、思いつめる気持ちも理解できる。しかしマコは自殺を断固否定し、ミコに最後まで病気と戦うように諄諄と説得する。情に流されない立派な態度だ。これで二人の絆の強さは決定的となった。だから彼女は死を受け入れることができた。死を覚悟し、身の回りの整理をする為に人形を燃やすときの静穏な顔は神々しい。。観葉植物を老患者に譲る心根の優しさにも感じ入る。彼女は、この世に恨みや未練を残して死に赴いたのではない。十分に生き、愛し愛されたという充足感に抱かれながら永眠したと思う。力を尽くした生き方が胸を打つのだ。老患者の「わしが変わって死にたかった」という絶叫は本心だろう。乙女の死は悲痛だ。主演女優の熱演は認めるが、関西弁はなっていなかった。ミコを脅して、化け物扱いした女優の演技が光っていた。憎まれ役は必要だ。原作を読んで映画化を熱望したという吉永小百合。彼女が映画撮影の合間を縫ってミコの実家を訪れると、両親と妹の歓待を受け、請われてミコの着物を着て、丸一日彼女の代りをして過ごしたという逸話が残されている。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-12-12 03:45:06)
23.  フィツカラルド 《ネタバレ》 
無類のオペラ好きで、「アマゾンの上流にオペラ座を建てる」という夢をわき目もふらずに追う男の暴走物語。男は他人の家で音盤を大音量で鳴らしたり、教会の鐘を連打したりする愚かな面もあるが、子供と豚と娼館の女将には好かれている。金で全てを買えると思っている人は好きじゃないと、意外と常識人だ。資金調達方法としてゴム農園を考えるが、条件を優位にする為に二つの川を隔てる陸地を船で越えることを思い付く。その実現の過程が正に奇想天外で、実に愉しい。先ず、仲間が個性的なのだ。男が廃棄した鉄道を六年間も無給で保守してきた律義な現地人。機関士で間諜の大男。大酒飲みの調理人。経験豊で信頼のおける船長。他に船員がいたが、先住民を恐れて船を放棄してしまう。そこへ先住民が襲ってくる。男は音楽を流して彼らを宥め、逆に船の陸揚げ工事の協力をさせる。巨大な船が陸を上って行く様子は真に壮観で、最大の山場だ。船が陸を越えて別の川に着水し、歓喜の祝宴をしたのも束の間、先住民がともづなを切って船を流してしまう。船は急流に投げ出され、岸にぶつかり、座礁し、破損しつつも何とか帰還する。先住民の目的は、船で急流の悪霊を追い払うことだった。事業に失敗した男は、楽団を呼び、船上でオペラを演奏させ、一時の憂さを払う。 男は単なる馬鹿では無い。多くの人を心酔させる能力がある。一時とはいえ、首狩族を服従させたのだ。こういう男が活躍する場として、植民地経営の最盛期で成金を多く輩出した南米を選んだのは正解だ。破産する感覚に興奮すると賭け事に興じ、札束を大魚に食べさせる実業家もどこか憎めない。狂っているが、狂気を楽しんでもいる。最後の一線で踏みとどまっている。植民地主義や成金に対する批判は無い。成金も男も同類なのだ。お金を追うか、夢を追うかの違いがあるだけだ。文明批判もない。理屈ではなく、お互いの思惑は異なったしても、違う文明の者同士が大勢集まって、力を合わせて一つの事を成し遂げるのは何と素晴らしいことか。それを見せてくれただけでも十分評価できる映画だ。皮相的な文明批判の映画よりは余程見応えがある。ここには人類の夢があり、希望がある。 稚気にあふれ愛すべき男だが、不気味な風貌の役者が演じているので損をしている。裏がありそうに思えるのだ。笑顔の眩しい俳優ならもっと成功しただろう。一方、娼館の女将の笑顔は輝いている。夢追人はもてるのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-12-08 02:43:52)
24.  フード・インク 《ネタバレ》 
米国の食品産業の問題点を取り上げた作品。通常の経済の仕組みでは、消費者の需要が先にあり、生産者がそれを供給する。しかし米国では違う。農業が高度に工業化され、メジャー食糧企業による寡占状態にある市場では、供給が需要に先行する。安くて栄養豊かで、しかし健康には決して優しくない食品が市場を席巻する。味が良くて、健康にも良い有機農は、値段が高くて太刀打ちできない。悪貨が良貨を駆逐している状態だ。お金の無い人は安価な食品を選ぶしかない。肉が野菜より安価なので、肉中心の食生活になり、結果健康被害に陥り、ひいては国の医療費を圧迫する。 食糧問題は最終的にコーンの問題にたどり着く。農薬耐性のある遺伝子組み換え種子を用い、農薬と化学肥料を使って大量生産し、政府が助成金をつけて世界一安値にした上で、大量に輸出する。輸入した国の農業は壊滅的な打撃を受け、畜産業は飼料をコーンに依存するようになる。恐ろしいのは、食糧メジャー企業が、お金にものを言わせ、政府、裁判官なども牛耳っていることだ。風評被害法なるものを成立させ、商品や会社に批判も言えない。「要らぬ不安を与えるから遺伝子組み換えの表示はしないほうがいい」という主張がまかり通る。反対するものは徹底的に叩く。風に飛ばされた遺伝子組み換え作物と自然交雑した近隣のコーン農家に対して、特許のある種子を保存したとして、巨額の損害賠償を請求する。裁判になると費用がかかるので、結局泣き寝入りするしかない。 メジャー企業は、商品の心象が悪くなるという理由で、家畜の飼育や屠殺の様子を見せない。消費者は聾桟敷におかれている。 「食品は一円でも安ければそちらの方を買う」という未成熟な消費者から脱却したいものだ。安いのには、それだけの理由があるのだ。それを知った上で、賢い消費をしたいものだ。良質の実録映画である。
[DVD(字幕)] 9点(2014-11-29 23:38:05)
25.  サマリア 《ネタバレ》 
【バスミルダ】聖娼婦をきどり、無垢な笑顔をふりまき売春をする女子高生ジョヨン。親友のヨジンはジョヨンを理解できない。不潔な男に抱かれて彼女の肉体が汚れていくと案じ、銭湯で体を洗ってあげる。そこに肉体は確かにあった。ジョヨンは窓から飛び降りて重態になる。客の一人に会いたいという彼女の願いを叶えるため、ヨジンは体を提供して客に病院に連れていくが、彼女は亡くなっていた。【ソマリア】親友の死を乗り越えるため、ヨジンは売春を決意する。映画「悪い女」と同じ構図だ。「悪い女」では女子大生が売春婦のまねをして売春婦を理解するが、ヨジンもジョアンのまねをすることで彼女を理解しようとする。但し、お金を貰うのではなく、ジョヨンの受け取った報酬を返すのだ。ヨジンは、売春は汚い行為ではなく、無償の愛で男を癒す聖なる行為だと理解し始める。仏頂面の多かった彼女が、ジョヨンが同化したかのように笑いが絶えなくなる。聖書のソマリアの女がイエスに出会ったことで生き方を変えたのと同じで、ヨジンも変った。ジョヨンはイエスだ。家族がいないのは当然。イエスは復活のために死を選んだ。だからジョヨンも笑顔で飛び降りた。ヨジンはジョヨンの精神を纏い、復活の準備をする。【ソナタ】ヨジンの父親は、娘の売春を知り衝撃を受ける。怒りは娘ではなく客に向けられた。石を車に投げて糾弾する姿は、聖書の「あなたたちの中で罪を犯したことのない者だけがこの女に石を投げなさい」に対応する。姦通罪の女を糾弾する人々に対してイエスが放った言葉だ。怒りで殺人まで犯してしまった父親は気付く。自分には客や娘を断罪する権利はない。自分も汚垢の社会に生きる罪人なのだと。会話は無いが、娘は父が自分の売春を知っているのを知る。父の嘔吐に対して娘は嗚咽で答える。娘が、父に殺される夢を見るのは娘にも罪の意識があるから。ヨジンが車の妨げとなっている石を取り除くが、これは石を投げた父親の罪の贖罪を表現している。父親にとって娘はイエスだ。かくてイエスは復活した。ソナタは車の名前で、運転は世渡りの象徴。父は、娘に世渡りの方法を教え、自首する。父の乗った車を娘の車がよろよろと追うが、ぬかるみに嵌って立ち往生してしまう。まだ若いヨジンには、前途に乗り越えるべき障害がいくつも横たわっているのだ。黄色い塗料には警鐘の意味がある。聖書を現代に翻訳した、残酷で美しい幻想映画だ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-10-28 11:27:33)
26.  猿の惑星 《ネタバレ》 
SF映画史上燦然と輝く屈指の名作。衝撃の最終場面がつとに有名だ。 戦争を繰りかえす人類をこれほど痛烈に、辛辣に、壮大な規模で批評した作品は他に知らない。冒頭の独白は、最後を見てから振り返ると、胸締めつけられる。「宇宙では、人間のエゴが空しい、寂しくなる。宇宙の奇跡である人類、偉大な生物人類、相変わらず互いに戦い、子供を飢えさせているか?」悲しいことだが、現代にも通じる箴言だ。 テイラーを科学者肌の温厚な性格にせず、やや粗暴で闘争心旺盛な性格にしたのは、人間の愚かさを強調する演出だろう。彼が戦争で滅亡した先文明人の象徴となっている。 作品が面白いのは“驚き”が連続するからだ。宇宙船の墜落事故。女性飛行士の死。人間による服を奪われる。馬に乗った猿による人間狩り。喉が傷つき話せない。もう一人の宇宙飛行士の脳外科手術。銃、カメラ、宗教など人間に類似する猿の文明。ザイアス博士は頑迷蒙昧なのではなく、すべてを知っていた。高度文明の危険さを理解していたからである。そして、衝撃の最終場面。畳み掛ける展開で飽きさせない。時代背景も重要だ。当時世界は冷戦の緊張下にり、核戦争の恐怖が蔓延していた。そこにこの映画は、戦争の愚かさと文明滅亡の恐怖を示し、人類に警鐘を鳴らした。その意義は大きい。核戦争が避けられた理由の一つに、この映画が挙げられるかもしれない。そうなら、世界文明遺産に指定する価値がある。 不備な点もある。二千年にしては猿の進化が早すぎる。人間が話せない理由が不明。調査で土壌は何も育たないというが、植物はある。調査で放射能汚染は無いというが、核戦争はなかったのか?猿が英語を話すなら、地球とすぐ分る。これが最大の疑問点だが、これは原作を改変した功罪だ。原作との違いを挙げる。不時着した星は地球ではない。ロケットは湖に沈まない。猿は猿語を話し、姿は地球の猿と違う。自由の女神は出て来ないが、別の衝撃の最終場面がある。 最後に、「『猿の惑星』は原作者ピエール·ブールが日本の捕虜になった経験を基にして書かれた」は、都市伝説である。仏語版ウィキペディアに、彼は、仏領インドシナで、親ナチス・ヴィシー政権への抵抗運動に参加したが、1942年に仏軍に捕まり、重労働を課せられ、2年後に脱走したとある。「戦場にかける橋」が実状とはかけはなれた内容であることもこれで説明がつく。捕虜の経験は無いのだ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-12 16:49:51)(良:1票)
27.  有りがたうさん 《ネタバレ》 
心が洗われるような隠れた名作である。低予算でも良い映画が作れる好例だ。伊豆は天城の二十里の街道を悠々と走る長距離バスでの道中物語。牧歌的で快活な音楽が流れる中、舗装道路も電信柱も一切ない、真に鄙びて閑閑たる山村風景が写しだされ、乗客はみな実に悠然たる語勢で会話をする。運転手は道を譲ってくれる総ての人に「有難う」を言うので、付いた綽名が「有難うさん」。鶏にまで礼を言う律義さだ。道行く人から言付けや買い物を頼まれれば快く応じる。心根が優しい上、街道一の二枚目なので、若い娘達は放ってはおかない。シボレーを買って開業するのが夢だ。 一見安穏として朴訥たる乗客の姿に見えるが、その背後には、昭和恐慌の深刻な不景気の影響をまともに受けた農村の疲弊という悲劇が隠れている。 その代表が、身売りに出される娘だ。娘は我が身を恥じ、知人の姿を見れば隠れ、母に何度も説諭されても泣く。東京見学帰りの裕福な娘から声をかけられるが、心は上の空。運転手を思慕する気持ちも見え隠れする。娘に対する哀憐の情を隠せない運転手だったが、簡潔な別れの言葉をかけるのが精一杯だった。 そこに居合わせたのが、酸いも甘いも噛み分ける流れ酌婦風の女。二人の想いを察して、運転手の肩を押すように言う。「シボレーを買うお金があったら、ひと山いくらの女がひとり減るのよ」 ここで大胆な省略法が使われ、次の場面は翌日の帰りのバスの中。身売り娘と母が乗っている。「渡り鳥ならまた帰ってくるがね」「あの人いい人だったわねえ」何があったかはっきりしないが、劇中に「有難うさんも嫁を貰わなくちゃ」とあることから、二人は結婚を決めたのだろう。清新な演出。娘も運転手も峠を越えるように運命を潔癖に受容する。それが「長生きのこつ」なのだろう。 最も憐憫の情を禁じ得なかったのが朝鮮女の逸話だ。流れの道路工夫だった父親が死に、信州に行くので、墓の世話を運転手に頼む。「一度日本の着物を着て、有難うさんの自動車に乗って通ってみたかったわ」駅まで送るというと、女は疲れ果てて山道を歩く同胞の姿を顧みて、「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に」慎ましい願さえも叶わない、異郷で辛い仕事に従事する女の悲哀。この逸話で作品の重みがぐっと増した。 運転手があまrに現実離れしすぎている懸念があり、好みの別れるところ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-06 03:24:34)
28.  ひめゆりの塔(1953) 《ネタバレ》 
原作「ひめゆりの塔」の他、数多の資料を渉猟し、体験者の聞き取り調査も行っているので、描写が細部にまで行き届いている。綿密な脚本が成功の要因だろう。予算の関係か、米軍の描写がほとんどないので、沖縄地上戦の肉弾戦の凄惨さや臨場感は伝わってこない。機銃照射が当っても血が出ない。が、それでも戦争映画の最上部類に入る。何より、洞窟を利用しただけの不衛生な野戦病院で、医薬品も水も食糧も水も乏しい中、懸命に声をかけながら負傷兵を看護してまわる乙女等の純真な姿が胸を打つ。この場面だけでも観る価値がある。他に感銘を受けたのは、「戦争の犠牲になって散った乙女達」という暗鬱な主題であるのにも関わらず、青春の真っ盛りである彼女達の無邪気さ、天真爛漫さ、そして肉感的なまでの生命の躍動感というものをみずみずしく描ききっているいることだ。歌を唄いながら行進する場面、友達のもの真似をしてはしゃぐ場面、沖縄民謡を舞う場面、川で水浴びをする場面、髪を解かす場面、久しぶりの朝日を浴びて 欣喜雀躍する場面、キャベツを投げあって遊ぶ場面、死を決意して敢えて制服に着替える場面など、結末がわかっているのでそれらの場面が一々胸に迫ってくる。その彼女達が次々と命を落としていくのだから、感情移入しないわけがない。被弾場面では、他のどの映画よりも至近距離で爆発しているように見える。体当たりの演技に脱帽する。監督も俳優も心血を注いだ作品だ。他にも印象的な場面が多い。最初の方で、ある母が娘に同行を頼む場面で、少女が「生徒は学校と行動を共にしなければならないの。私を卑怯者にしたくないでしょ」とさりげなく、当時の彼女等の置かれた立場を明らかにしている。軍医が少女らに「夜でも見えるようになる」と飴玉をあげる場面、これは覚醒剤入りだ。乙女達が自殺用青酸カリを欲しがる場面、持っている友人を羨みもする。死を願う程追い詰められた心理状態が伝わってくる。誰かが母親のことを言いだしたら、みんな泣きだす場面。強がっていても所詮はうら若き乙女に過ぎず、まだまだ母の懐に甘えたい年頃だ。洞窟に付いてきた孤児を乾パンを上げたのだからと突き放す婦長。幼子にとっても容赦ないのが戦争だ。優しかった軍医が洞窟を出て行こうとする乙女を射殺する。衝撃的だが、その後手榴弾が投げられ、壕内大爆発し、衝撃に拍車がかかる。奈良岡朋子に似た生徒が出ているのが気になった。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-03 23:12:18)
29.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
史劇の最高峰に位置する伝説の作品。ローマによるユダヤ属州の圧政、かつての親友への怨讐、ガレー船による戦闘、四頭馬車競争、癩病、キリストの奇跡と内容は盛りだくさんだ。変容の物語としても読める。 ベンハーは、友人メッサラの姦計により冤罪をこうむり、ユダヤ豪族からガレー船の漕ぎ手という奴隷身分に堕とされるが、臥薪嘗胆の末、海戦中に助けた司令官の養子に迎えられてアリエス二世となり、宿願の帰郷を果たす。ベンハーは、最初はメッサラとの再会を喜び旧交を温めることを望んでいたが、密告を要求されたため断交する。奴隷になってからはメッサラへの復讐心に燃えるが、メッサラの死後は圧政の根源であるローマ帝国への反抗へと怒りの矛先が変わる。しかし、磔上のイエス・キリストの「敵を許す」という箴言に触れ、心から怒りの感情が消えるのを覚える。魂の浄化である。変容は他にもある。ベンハーはメッサラに復讐するつもり、つまり殺害する気でいたが、それが四頭立て馬車競争にすり替わる。メッサラが事故死したので復讐を果たした結果となった。物語は途中までベンハーの復讐譚だが、終幕はキリスト受難劇へと変貌する。これらの劇的な展開が感動を呼ぶ最大の要因だろう。映画では触れられていないが、二人が短気なのが災いの元だ。密告をめぐる諍い程度で絶交することはない。かつての親友でもあるし、お互いに立場上の利用価値も高いのだから。瓦落下事件のとき、メッサラはベンハーに恩を売って友情を回復させることもできたし、母妹の助命を条件に密告させる方法もあった。短慮が身を滅ぼす結果となった。気になる点がある。ベンハーが奴隷になってもエスターからもらった指輪をはめている。エスターの父親が急に登場しなくなる。メッサラが、ベンハーが自分の母妹は死んだものと思っていることを知っている。キリストに帰依してないのに母娘の癩病が瞬時に治る。尚原作では、メッサラはベンハーの財産を奪い、エスターの父親に現金の在処を尋問して下半身不随にしてしまう。馬車競争の時アラブの族長が賭けを申し出たのは、財産を奪い返す意味があった。メッサラは馬車競争事故を生き延び、ベンハーに刺客を送る執念を見せる。ベンハーと、東方三博士のバルタザールの娘との間に艶聞がある。1925年映画ではキリストは死んだ赤ん坊を蘇生させる。
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-30 14:55:18)
30.  去年マリエンバートで 《ネタバレ》 
人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。
[ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36)
31.  キューポラのある街 《ネタバレ》 
眉目秀麗で成績優秀のジュンだが、貧しくて高校に行けないという不条理な現実が重くのしかかる。楽して高校に行ける人には負けたくないという負けん気でバイトをしながら受験勉強に励んでいたが、父が仕事を再び辞め、母が酒場で男に抱かれながら働いている姿を見て気持ちが折れてしまう。修学旅行を取りやめ、悪友とバーで踊り、酒を飲んで寝込んでしまう。不良達に乱暴されそうな所を辛うじて逃げ出せたのは幸いだった。登校拒否を続けていたが担任の説得により復学し、卒業後は就職して夜学に通う道を選ぶ。自分で選んだ道だから安易に変えたくないという彼女の気持ちは健気だ。 弟タカユキは幼いので貧困はまだ切実ではなく、笑い飛ばしている。それが一服の清涼剤となって作品に彩りを添えている。 ジュンと同様に不幸な境遇にいる朝鮮人の友人が北朝鮮に帰郷するとき、もっと話をしたかったと言い交すのは泣かせる。 牛乳配達の少年が牛乳を盗んだ子供らに対して、お前らのせいで病気の母の薬代が消えると泣きながら石を投げるも忘れがたい。 結局のところ真の貧困や悲惨さは描かれておらず、父親が都合よく職場に復帰できるなど予定調和で終っている。それでいいのだろう。少女が逆境にめげず、明日を信じて自分の進む道を探しだす姿を描くのが眼目だ。苦境から抜け出そうと懸命に頑張る姿を見ると応援したくなるものだ。頑張る人が成功すると爽快になる。スポーツを見ているようなものだ。それがこの作品の成功の要因といえるだろう。 それにしても主演女優の美少女ぶりには目を見張るものがある。まさに掃き溜めに鶴だ。体を張った演技も好感が持てる。例えばジュンの友達役の誰かが主役を演じていたとしたら、この作品はさほど注目を集めなかっただろう。また子供達に自然な演技をさせた監督の力量も賞賛に値するものだ。脚本に無駄がなく、工場や学芸会の場面など一つ一つ、丁寧に手堅く描かれている。窓を開けると夕陽に染まる街並みが見えるなど印象深い場面がいくつかあった。これが初監督作品で、脚本も自分で書いている。才能のある人だ。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-06-24 01:58:31)
32.  河(1951) 《ネタバレ》 
河は悠久を流れる時間の象徴であり、人々が交差する人生の象徴だ。インドのベンガルを舞台に恋を夢みる三人の少女と、青年との出会いと別れの物語。ハリエットは詩人と作家を夢見ている。隣家の親戚で米国から来たジョンにのぼせあがってしまう。自分を印象づけようとあれこれ策を講じるが袖にされる。大人びたバレリーはジョンに魅かれつつも「片脚」などと残酷なことも言う。ジョンから冷酷なことを言われるが最後は和解する。メラニーはインド人とイギリス人の混血で、西洋学校を卒業して家に戻ると服や生活をインド式に改めた。ジョンに魅力を感じるが、西洋人を理解できず、彼女に思いを寄せるインド青年とも距離を置く。そんな自分が嫌いだ。ジョンは傷痍軍人。戦争中は「英雄」だが、戦後はよそ者扱いされ、傷心のうちにインドに流れてきた。義足の醜態をバレリーに見られ、つい怒鳴ってしまう。自棄になりインドを去ることを決めるが、メラニーからあるがままの自分を受け入れるように忠告される。そんな時ハリエットの弟が蛇に咬まれて死んだ。隣家の主は「大人は子供を学校に押し込めくだらん戒律を教える。抵抗の余地もなく戦争に駆り立て無邪気な彼らを殺戮する。真実の世界は子供たちのもの。木を登り草を転げまわる。子供達は蟻、自由に飛ぶ鳥、動物は恥じたりしない。重要なのはネズミの誕生や木の葉が池に落ちること」と金言を漏らす。弟の死に責任を感じたハリエットは家を飛び出し、舟で川を下るが、漁師に助けられてあっけなく家出は終る。迎えに来たジョンに「人の心は生死を繰り返す」と諭され、「君の詩は西暦4000年でも残っているかも」と誉められると嬉しくなり愛を告白し、おでこに接吻をもらう。ジョンは「手を貸せよ。片脚だぞ」と義足の負い目を払拭する。春の祭の時、ハリエットの家に新生児が誕生した。感動する三人。原作が素晴らしさを生かしきっている。優美なインドの風景と文化が堪能できる。特にディワリ祭とホーリー祭は必見だ。少女の初恋・成長物語だけではなく、文明とは何かを問いかける深い内容になっている。自然や神に対する畏敬の念を失わずに、伝統に則って生きるインド人の素朴な生きざまには共鳴を受ける。インドに行きたくなった。「10分前は赤ちゃんはいなかった」と感動する感性は見習いたいもの。演技力のなさで青年の苦悩は伝わらなかったのは残念。秀作です。
[DVD(字幕)] 9点(2014-05-18 22:24:39)
33.  シュガー・ラッシュ 《ネタバレ》 
登場人物がゲーム・キャラクターと、完全に子供向けの設定で、期待はできないと思いつつ鑑賞した。が、予想に反して、後半から張られた伏線が次々と回収され、ぐんぐんと惹き込まれた。鑑賞後感も爽快で、秀作である。 悪役ラルフは物を破壊する役目に対する嫌悪感と、善役フェリックス達から仲間外れにされている疎外感にと悩み、自分を失う。そして心機一転、ヒーローのメダルの獲得を目指す。メダルは何とか獲得できたが、紛失してしまう。それを拾った少女ヴァネロペは、カーレースに出て優勝するという夢があり、メダルをコインの代替えにして出場権を得る。優勝すればメダルが貰えるので、二人は一致団結して優勝を勝ち取ろうとする。この二人の友情を描くのが物語の本流だ。これを阻む者としてキャンディ大王がいる。大王によればヴァネロペは欠陥品で、彼女がレースに出ればゲーム機が壊れていると見なされ、廃棄処分になってしまい、そうなればヴァネロペは生き残れない。だがそれは表向きの説明で、裏には驚異の姦計が隠されていた。本当の理由は、実は大王の正体はゲームを乗っ取ったよそ者で、全員の過去を変えていたのだ。ゲームの本来の主人公はヴァネロぺだった。ここから物語は俄然沸騰してくる。もう一つ物語の面白さに貢献しているのは、真の脅威、サイ・バグの存在だ。これが増殖すると本当にゲーム機が壊れてしまう。この設定によって真剣味が増し、感情移入する。。たかがゲームじゃないかと高を括っていられなくなるのだ。 フェリックス達もラルフが居なくなったことで、ゲームが成立しなくなり、ラルフの存在意義の大きさに始めて気づく。ラルフを探しに行ったフェリックスの活躍とラルフとの友情も見逃せない。その上、サイ・バグを生涯の仇として狙う、悲劇のカルホーン女軍曹を登場させ、観客を釘づけにする。加えてフェリックスとカルホーンの恋愛要素も加わるのだから鉄壁だ。全く無駄がない。主要人物四人が縦糸と横糸のように濃密に絡み合い、多彩な物語を紡ぎ出し、脇キャラも存在意義を失わない。アニメのお手本のような脚本で、感心しきりである。難を言えば、キャンディ大王に最後まで改悛の情が見られないこと。
[DVD(字幕)] 9点(2014-02-02 20:53:28)(良:1票)
34.  僕の村は戦場だった 《ネタバレ》 
映像表現に秀でた傑作。画に象徴性をもたせ、映像で語る。芸術の領域だ。主題は、戦争の犠牲となる弱い子供。無理心中を強いられたゲッペルスの子供達の実写映像を出すことでそれを補強している。少年の思い出で始まり、思い出で終る循環構造。冒頭、どこまでの健やかに延びる若杉を俯瞰でとらえ、疾走する少年を遮断する黒く歪んた老木を仰視でとらえて終る。少年の顔をすっぽり囲む若杉の蜘蛛の巣が少年の未来を暗示する。戦争という蜘蛛の巣に捕まった少年。戦争は彼から家族を奪い、子供らしい心を剥ぎ取った。憎悪に燃え、復讐の鬼と化す。最後に登場する老木は、奇形化した少年の心の投影でもあるだろう。自らの歪んで怪物化した心に殺されたともいえる。少年を変貌させたのは戦争で、戦争の邪悪さ、悲惨さが浮き彫りになる。思い出の場面は、半裸の少年、夕立を浴びる兄妹、微笑む母、収穫の林檎とそれを食む馬と、あくまで甘美でまさにエデンの園。兄妹はアダムとイブだ。生命の象徴としての水の映像が鮮烈だ。母が運ぶバケツの水、少年が屈んで飲む水、眠る少年の指に滴る雨漏り、昼でも星を映す井戸水、林檎を運ぶトラックに降る夕立、浜辺の陽光の綺羅を放つ水面、地下壕の中でもしばしば水滴の音が響く。戦争場面では雨は降らず、渡川後の大尉は雨さえ降れば少年の足跡が消えるのにと悔しがる。代わりに初雪が降り、最後の捕虜収容所では焼却灰が降る。蓄音機を修理した古参兵はレコードを聴けずに死に、マーシャ軍医をめぐる大尉と中尉の恋の鞘当ても虚しく終り、少年も落命する。戦争は何も生まず、物質だけでなく、心も破壊する。傾いた十字架、燃える木、剥げた聖画像、壁の落書き等がそれを象徴する。カッコー、キツツキの声、銃弾、照明弾の音が効果的に使われる。特筆すべきは、偶然を装って人物を活写する演出法。少年の尋問中にランプが爆ぜて中尉がそちらを向く、女軍医が机に触るとメモが落ちる、白樺林で大尉と会話中の女軍医が突然蜘蛛を振り払う、中尉が塹壕でよろめき大尉に笑われる、大尉が小舟に乗ろうとして尻餅をつく、少年ら三人が渡川中に木が倒れる、レコードをかけた大尉が振り向くと顔にコードが当りよける、捕虜収容所で置いた少年のファイルが階下に落ちる。観る者に、あたかもその場にいる居るようなリアリティを与える効果がある。女軍医が浮いているのが残念だが、宙ぶらりでキスされる場面は印象的。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-18 21:10:03)
35.  ベティ・ブルー/インテグラル<完全版> 《ネタバレ》 
男と女が惹かれあって恋に落ちる。魂と魂をぶつけあうような情熱的で本能的な恋。男はそれで満足、「30歳で初めて生き始めた」。女と一緒に居られるなら、どんなことでも厭わない。女は男の全てだった。だが女は「透明な感性を持つ奇妙な花」だった。男の作家としての才能を認めると、男が作家デビューできるように全力で応援し、愛の結晶である子供を欲しがった。女は無垢な少女であり、同時に男を叱咤激励し、成長させる母親でもあった。だが両方共得られそうもないとわかると精神が崩壊し始めた。男は女に与えられるもの全てを与えた。花、ケーキ、車、広大な田舎の土地、果ては強盗までして島をプレゼントしようとした。女は「この世に存在しないものを求めていた」。女にとって、この世に理想は存在せず、「どこもかしこも血の海」だった。傷ついた魂は自傷に走り、遂には自分の目玉をくり貫いてしまう。ショック状態と薬の影響で、意識の戻らない状態となった女。男は「二人で旅に出よう」と声をかけ、安楽死させる。魂を開放し、男の側に留まらせるのだ。これで男はいつでも女と一緒だ。男は作家となるべく原稿を書き続ける。女の求めた夢の実現のために。◆映画のエッセンスの凝縮された秀作。“映画愛”が伝わってくる。恋愛映画というより監督の情熱を投影した「ノンストップ青春映画」。随所に構図、ライティング、カメラワークの妙がある。時に原色、時に透明感のある画面と使い分けている。場面と場面を結ぶカットが多彩で美しい。輝く夕日か朝日を背景に、船、電車、車、海岸、猫、犬など、動くものを配する美的感覚。とりわけ小汚い親父に、夕日を背景にサックス、それもテーマソングを奏でさせるセンスには脱帽した。炎の演出も秀逸。女の情熱を象徴させるべく、コテージは大炎上させる。ベットで愛し合う二人の背後で燃える大きな薪の鮮烈さ。チリ・ビーンズを煮るガスの青い炎。チリ・ビーンズは男の生活の象徴で、最初と最後に登場する。最初は一人で寂しく食べ、最後は見えない女と一緒に食べる。ユーモアたっぷりで、酔うとぶっ飛ぶピザ屋の主人、作家くずれの警察署長、おバカな警備員、色情狂の主婦、父親になったことに酔う警察官、オツムの足りないヤク売りと、変な人ばかり登場する。女装はやり過ぎと思ったが、病院に忍び込む伏線ともなっているので納得。「ヒトラー回想録」もギャグだが、笑えない。フリチンは不要。
[DVD(字幕)] 9点(2013-09-12 20:24:27)
36.  LOOPER/ルーパー 《ネタバレ》 
素晴らしい脚本だ。タイムマシンをマフィアものに適応する新視点。SF、暴力の姿を借りているが主題は「人間愛」で、真摯な命題を含む。謎の出し方が巧みで、最後までサスペンスが持続する。タイムマシンがマフィアの処刑に使われるという奇抜な設定。処刑人ルーパーの無機質な仕事・生活ぶり。将来の自分を処刑する苛酷な運命。未来でレインメイカーという素性不明のボスが君臨し、ループを閉じる。ヤングジョー(YJ)はオールドジョー(OJ)を処刑したが、そのYJが未来で妻を殺され、未来を変えるために再びYJの元へ現れるというパラレル世界の提示。子供のシド(未来のレインメイカー)が「ママを死なせちゃった。止められなかった。今のママは本当のママじゃない」と口走る。シドの驚異的なTK(念動力)。YJの最後の意外な選択。と中だるみがない。一見無関係に見えるシドの母サラの登場場面が多いのは、実は「母」が隠れた命題だからだ。YJが悪に染まったのは母親の育児放棄が原因で、育ての親のボスに恩義を感じている。優しい母の思い出は、頭を撫でられたこと。それで売春婦に頭を撫でてもらう。エンディングでサラが死体のYJの頭を撫でるが、これはサラが母親として再生したことを示す。サラが母の自覚をもち愛情深くシドを育てることで、シドがレインメイカーとなる運命は消滅する。結果、現在から消滅したOJは妻と平穏に暮らす。YJは、シドがレインメイカーとわかったとき殺害しようとしたが断念した。情が移ったからだ。サラと肉体関係を持つことで彼女をより深く知ることができた。OJはレインメイカー候補の、結果として無垢な子供を殺し、組織メンバーも大勢殺し、シドも殺そうとした。それでも未来は変えられなかった。未来を変えたのは、YJの愛を信じる信念だ。YJは自身の生い立ちと母親との関係を鑑み、サラとシドが母子の絆を取り戻すことが最上の結末であると知り、二人にはそれが出来ると信じた。だから自分の命を捧げた。キッドが育ての親のボスに対して想像以上の愛情を感じているのも命題を補完している。不要と思えたウエイトレスが後に意味をもつなど、無駄な場面がない。フランス行きを中国行きに変えたのは、未来(OJの処刑)が現代を変えることの象徴。残念なのは低予算のため、舞台を麦畑にしたこと。麦畑の隣に簡易食堂があったり、女手ひとつの農場など無理がある。TKの必然性は薄い。
[DVD(字幕)] 9点(2013-08-03 18:17:36)
37.  ロレンツォのオイル/命の詩 《ネタバレ》 
一つの命を支えるのにどれだけの犠牲と献身と努力が必要であることか。命の重さを噛みしめる映画だ。内容は重いが希望もある。子供が難病にかかったらどうするかが主題。普通の親なら不運を歎き悲しみ、周章狼狽し、治療は医者任せにするだろう。だがこの映画の両親は違った。医者が治せないのなら自分達で研究し、命を救おうと決意する。副腎白質ジストロフィー(ALD)は、X染色体の異常で、体内の脂肪酸の分解酵素が欠損している為に、脳に炭素数24と26の長鎖脂肪酸が蓄積し、これが白質のミエリン(髄鞘)を溶解してしまう病気だ。発症すると、徐々に脳の機能が低下し、体の機能が衰え、2年程で死を迎えるという。最初に長鎖脂肪酸を含む食べ物を制限する食餌療法を試みるが、検査値は却って悪化した。原因を調べると、食事から長鎖脂肪酸が得られないと、生合成による長鎖脂肪酸が増産されてしまうということが判明した。そこで一計を案じ、体に無害な長鎖脂肪酸を摂取することで、体に「今は十分な長鎖脂肪酸がある」と思い込ませ、長期脂肪酸の生合成を阻止するという案を思いつく。試行錯誤の結果、炭素数18(オイレン酸)と22(エルカ酸)の長鎖脂肪酸の4対1の混合液を摂取することで血中長鎖脂肪酸値が正常値に戻ることを突き止めた。この混合液がロレンツォのオイルだ。次に破壊されたミエリンの再生研究に取りかかるが、これは現在進行中ということで映画は終る。事実を元にしたドキュメンタリー風で、時系列に沿って事象が淡々と描かれるが、特筆すべきは、心理描写の巧みさと深みだ。演技も演出も秀逸で、海よりも深い子を思う親の気持ちは勿論、自己犠牲の葛藤、パートナーを思いやる気持ち、患者の親睦会や医者との軋轢、看護婦や親族との衝突、安楽死の示唆、絶望と希望など、両親の精神は混乱を極め、愛情と狂気がないまぜになって迫ってくる。両親の奮闘以外にも、善意からエルカ酸の抽出を買って出たイギリスの老科学者、自ら治験を買って出た妻の妹、同じ病気の子を持ち夫婦に理解を示す近所の主婦、そしてアフリカから看病にやってきてくれた幼馴染の青年など、周囲の温かい心にも支えられた。ロレンツォ君も苦痛に耐え、必死で病気と戦った。これらが感動を産むのだ。オイルは万能薬ではないが、多くの患者を助けたのは事実で、医療史としても画期的な出来事だったと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2013-06-13 08:30:01)(良:1票)
38.  E.T. 20周年アニバーサリー特別版 《ネタバレ》 
地球を調査しにきた宇宙人E.T.の一人が置き去りになる。E.T.を発見した少年は彼を家に匿う。E.T.は仲間と連絡をとり、迎えにきた宇宙船で帰ってゆく。たわいもない話である。それなのに感動するのは何故だろうか。それは少年の純真な心に打たれるからだろう。相手を信用する力だ。相手は正体不明の宇宙人である。大人であれば何より警戒心が先に立つ。例えE.T.と意思疎通が出来て、彼の境遇に同情したとしても、時間がたてば危険回避心理や売名心、義務感等から当局に通報してしまうだろう。しかし、少年は違った。もしE.T.が大人に見つかれば解剖されるであろうと予想できたからである。ここには演出の妙がある。少年の父は不在だ。愛人とメキシコに旅行中という設定で、少年の母は心を痛めている。ここに大人に対する不信感がある。家族を裏切る父、即ち大人は信用できない。加えて、少年が孤独であるということ。少年は年少なので兄とその友達から仲間はずれにされていて、妹はまだ幼い。多忙な母とは距離がある。少年は気が置けない親友を欲している。そこに少年と同じような境遇のE.T.と会遇する。二人の気脈が通じ合うのも当然だ。その心の通じ方も独特で、興味深い。脳波が一致してしまうのだ。離れていても、E.T.が酒に酔えば少年も酔うし、テレビで接吻場面を見れば少年も学級の女の子と接吻してしまう。そしてE.T.の危機を暗示する蛙の解剖の授業の演出。二人の相即不離の関係を表現して余りある。もう一つの感動する要素は「浮遊感」だ。自転車がぱっと浮いた瞬間、開放感を味わう。鬱積していたものが雲散霧消し、晴れやかな気分になるのだ。浮遊だけでこれだけの効果を上げるのは、見せ方が絶妙だからだ。浮くのは子供だけで、ここにも大人に対する対比がある。不満もある。E.T.が死んだとみせる演出は観客に危機感を煽る常套手段として許せるとして、E.T.が何故瀕死の重態に陥ったのかという説明がないののだ。川辺で倒れていたが、E.T.が水に弱いということはない。動物に襲われた気配もない。大事な点がすっぽりと抜け落ちている。E.T.が飛行能力を持つのなら、宇宙船に置き去りにされることはなかっただろうと考えるのは、“大人”の考察だろうか。純真だった子供の頃を思い出させてくれる貴重な映画で、その輝きは永遠だろう。「人を信じる意味」を自問したい。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-23 06:13:09)
39.  奇跡の人(1962) 《ネタバレ》 
三重苦を克服することは可能か、考えたことがある。結論として、生まれながらの三重苦の場合は、どう考えても無理と思った。言葉があるということをどう教える?ましてや話せるようになるなど。2才で三重苦となったヘレン・ケラーが克服したことになっているが、信じられないでいた。自伝を読んでも、釈然としなかった。水に触れさせ、今触れているものの綴りがWATERで、発音がウォーターってどうやって教える?ましてや手には触れられない物や抽象的な概念をどうやって?長年の疑問の一端が本作で氷解した。方法はこうだ。先ずふたりだけで生活する環境を整え、相手に自分を頼らせる。その意味が分からずとも、とりあえず指と指で文字を伝え、自分の顔に手を触れさせ、表情や首の振り加減で、うまくできたか、嬉しいなどの感情を伝える。躾は、ちゃんとできるまでは食事をさせなほど厳しくし、うまくできた場合は褒美のケーキを与えたりして誘導する。これを何度も何度も繰り返す。決して諦めない。そして最難関は「ものには言葉があって、今触れているものの綴りが指文字で伝えられているもの」と理解させること。これは本人が気づくのを待つしかない。 サリバン先生の熱意、母親にも勝るとも劣らない愛情には頭が下がる。体ごとぶつかり、決してくじけない、その鬼気迫る姿は胸を打つ。彼女自身かつて盲目であり、孤児として救貧院で悲惨な生活を過ごし、盲学校時代に二重苦を克服した人と出会っている。これらの経験が活かされている。逆にこれらの経験がなければ”奇跡”は成し得なかったろう。二人の出会いは神の祝福だ。 ヘレンの野獣児ぶりには度肝を抜かれた。ホラー映画顔負けの怖さがあった。エクソシストの少女のように、いまに首を180度回転させ白目を剥いて「WATER!」と叫ぶんじゃないかと想像したほど。食事を教えるシーンは屈指の名場面。 The Miracle Workerは「奇跡的な職人」で、ヘレン・ケラーのことではなく、アン・サリバンのこと。史実では先生20歳でヘレン7歳だから、役者の実年齢とはだいぶ違う。映画では触れられていないが、発音を教える方法は、生徒の指を先生の唇と喉もとに当てさせて、振動を覚えさせる。これを実際にアンとヘレンが実践説明している動画を見た。ヘレンが来日したときサリバンは既に帰らぬ人となっていた。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 16:30:05)
40.  アラバマ物語 《ネタバレ》 
原作者が少女時代を振り返るという設定。郷愁とは不思議なもので、米国の田舎町の物語なのに、子供たちが遊んでいる姿を見ると郷愁を覚える。このことがこの映画を親しみやすいものにしている。誰でも子供時代の思い出は宝物だ。 主人公スカウトは直情径行型。何でも思ったことを口にするし、納得できないことに対しては抵抗し、喧嘩も辞さない。父親似です。見ていて清々しい。子供の世界は世情の動きに関係なく、周囲の大人から守られています。ですから天真爛漫に振舞えるのであり、それを見る我々も癒される。それでも大恐慌の影響は忍び寄ってきていて、お金のない人や子供が登場する。少女は少しずつ厳しい現実を知って成長していく。前半のブーの居る隣家への冒険は重要な伏線。あれがあるのでブーは子供達のことを知り、好きになり、宝物を密かに贈る。ここで絆ができる。厳しい現実の最大のものは、無実の黒人が「白人娘強姦」で有罪にされること。公民権もなく、黒人差別が当たり前の時代ではよくあること。真相は娘が黒人を誘惑したのを知った父親ユーエルが娘を殴った。子供の世界から、法廷劇へと移るので少々とまどった。子供は裁判所に入れないはずだが、目をつぶる。少女は、白人から嫌がらせを受けながらも正義を貫く父親の姿に感動する。退出時黒人達が敬意を表して立ち上がるのは誇らしい。その後、被告は逃走して射殺されるというショッキングな出来事が起こる。そして最も長い夜が訪れた。裁判で嘘を暴かれたユーエルは逆恨みして、卑劣にもスカウトと兄を襲った。原作ではナイフを所持している。それを助けたのは、それまで姿を現さなかったブーだった。ユーエルはブーに刺殺される。保安官と父親は協議して、ユーエルを事故死として扱うことにする。正当防衛だし、内気すぎて世間の目に晒すのは不憫だし、責任能力もなさそうだ。少女もこれに同意する。「妥協とは話し合いで分かり合うこと」という父の言葉を理解したのだ。そして「相手の立場になるとは、相手の靴を履いて歩き回ること」と教えられたが、ポーチに立っただけで理解できるまでに成長した。「良い音色を奏でるMockingbirdは決して殺してはならない」のMockingbirdはブーのこと。ちなみにスカウト達は一度黒人の命を救っている。白人達が留置所の黒人を襲おうとしたときに、割り込んで入って、一席ぶったあの場面だ。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 00:41:24)
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