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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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21.  原子怪獣現わる 《ネタバレ》 
レイ・ブラッドベリの短編「霧笛」をもとにした映画とのことで一応それも読んでみると、劇中では灯台のエピソードに化けていたようである(形だけだが)。全体として「ゴジラ」(1954)の元ネタになっているというのはその通りかも知れないが、北極圏から出現するとか灯台を襲うところなどは「ガメラ」(1965)でも真似しているように見えた。 そういう面で歴史的意味はあるのだろうが、しかしこの映画自体にはどうにも褒める材料がないので困る。定評のある特撮部分を除けばほとんど取り柄のない映画であって、これに比べれば「ゴジラ」などは特撮技術とメッセージ性の両面で全く新しいものを創造したというくらいに言ってしまっていいのではないかという気がする。 まず苦情を言いたくなるのは、全編の3/4程度は怪獣がほとんど出ないので人間を見ているしかないわけだが、その間のドラマ部分が非常にかったるいことである。精神病扱いされてまでモンスターにこだわる主人公の気が知れず、どうせそのうちニューヨークに出るのだから放っておけばいいだろうと言いたくなる。ちなみにタコをサメに食わせる水族館映像をしつこく見せられるのもつらい。 やっと怪獣が上陸してからはそれなりに見ごたえがあるが、しかしその怪獣が人間にとって致命的な病気をばらまくという展開は唐突で変である(ちなみに日本語字幕で「細菌」「病原菌」と出るのは不正確で、また「分子」は明らかに誤り)。その必然性がどこにあったかというと、当時の科学の最先端だった放射線でなければ除去できなさそうな感じの危険な性質を怪獣に付与しようとしたかったようで、要は人類の未来を担う核技術バンザイと言いたかったらしい。しかしそういう強力な放射線を使うには作業着のようなものを着れば安全だと思ったのか、また怪獣が死んだ後でも死体に残った放射性物質の危険性は変わらないという意識があったのかは不明である。そもそも主人公は最初から身辺が放射能だらけのように言っていて、とても長生きできそうにない男であるから、ヒロインは早目に別れてしまって生涯の伴侶を別に求めた方がいいだろう。 そういうことで、古い映画をわざわざ見ておいてけなすのは大人気ないと思うが、ここは見た通りの点数をつけておく。ちなみに映像表現としては、高圧電線に触れた時の光の明滅と、怪獣が火のついた構造物を跳ね上げたところが印象的だった。
[DVD(字幕)] 4点(2016-09-17 19:59:32)
22.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
90年代にVHSのレンタルで見たのが初見だが、その時点で印象に残ったのは近代科学への警鐘でもなく愛する人の幸せを願いながらの悲しい自己犠牲ということでもなく、ゴジラ襲来後に収容された重傷者や母親を呼んで泣く子ども、立ち働く白衣の天使と女学生の歌声だった。これは先の大戦に直接関わる慟哭の思いと鎮魂の祈りの表現としか思われず、この映画だけは他のゴジラ映画と異質だというのが率直な感想だった。 また今の目で見直すと、放射線量の測定機器を子どもに直接向ける光景が、5年前の現実の事故のことを思い出させて非常に痛々しい。放射能を帯びた怪獣との設定はその後も一応引き継がれていたわけだが、これが虚構のキャラクターの単なる一属性というだけでなく、いつの時代にも再現されうる現実の脅威を表現したものであったことを改めて思い知らされる。 そのほか単なる怪獣映画として見た場合にも、特撮映像は昔の映画ながら文句をいう気にならない迫力があり、巨大な生物に対して地べたを這う人間の恐怖感が表現されている。この映画では魚・牛・豚(と娘っ子)を食うことになっていたが、こういう肉食の習性はその後に引き継がれなかった設定と思われる。また出演者では何といっても河内桃子さんが可憐で可愛らしい(やたらに触るな、と宝田明氏に言いたい)。巡視船PM20こうず、PM21しきねの撮影協力もご苦労様でした。  [2024/5/25追記] 「-1.0」を見た機会に再見。上の本文には2011年の原発事故関連のことが書いてあるが、今回は2024年の米アカデミー賞映画「オッペンハイマー」との関連を思わされた。大量破壊兵器の開発に科学者が手を貸していいのか、というのはまさにその映画のモデルの人物を思わせるテーマだが、この映画では科学者本人が人間の弱さを自覚して、最後の良心を死守した形になっている。そのような厳しい姿勢を科学者には求めたいということだろうが、しかし公開70年後の現代では、それがいわば古風な律義さ、あるいは昭和的な素朴さにも感じられるのが皮肉なことだった。昔は真面目でちゃんとした人が多かったらしい。 また前回見た時と同じく河内桃子さんにやたらに触るなと宝田明氏に言いたくなったが、言いたくなった理由は特に、触った手の親指で河内桃子さんの肌を撫でるからだった。大事に思う表現だとしても気色悪いのでやめてもらいたい。
[DVD(邦画)] 8点(2016-07-30 21:40:53)(良:1票)
23.  宇宙人東京に現わる 《ネタバレ》 
子どもの頃、東京のビル街に巨大な宇宙人が立っているスチル写真を見た記憶があるが、実際に映画を見るとそういうものでは全くなかったので騙されたと気づいた。他の写真を見てもあからさまな嘘が多いが、こういうのは突っ込まずに笑って済ませることが期待されていたらしい。 また宇宙人の着ぐるみは、アクションが不要だからか中の人に合わせる気がないようで、頭と手足が全て同じ大きさで揃えてあるので均整が取れている。しかし立っていると着ぐるみに皺ができ、いかにも布のような薄手の素材で作ったように見えるのはシーツを被ったオバケのようでもあるが、制作側としてはこれで特に問題があるとは思っていなかったらしい。  内容的には、前半は普通の娯楽映画のようで気楽に見られる。市井の人々の会話が楽しいが、学者一家がまるで身分の違う人のように扱われていたのは当時の社会通念を示したようで興味深い。また当時の東京郊外の風景や(杉並区?)、開発初期の小型ロケットが出ていたのも時代を感じさせる。しかし後半はあまりにも適当な展開になってしまうのが残念なことで、博士を誘拐した悪党連中は行方不明で終わり、また満を持したかのように宇宙人が介入したタイミングも合理的には説明できない。 テーマとの関係で見れば、人類を救うための使用を最後にして原水爆が地上から消えた、という感じのハッピーエンドにしたかったのかと想像される。しかしそれに心から共感するためには、実物が失われても知識や技術や保有の動機は失われていないはずだ、と考えないようにする必要があるので難しい。反核にしても観念論にとどまっており、とても「ゴジラ」(1954)のようなインパクトは感じられない。 また最後のミサイルは宇宙人が製造したわけだが、これは心正しい人々が正しい目的で核兵器を使うのは容認されるということなのか。一般に反核というのは核兵器の存在自体が悪なのであって、目的を問わず製造・使用などとんでもないというのが普通だろうが、この映画では保有国によっては批判の対象から除外するのと同様の印象があって理不尽に思われる。 ただ、他のレビュアーが書かれているように、ラストの妙なほのぼの感が非常に印象的な映画ではあった。
[DVD(邦画)] 4点(2016-06-04 09:23:56)
24.  戦艦大和 《ネタバレ》 
制作時に本物の副長が関わっていたとのことで、艦内の様子などは実際の雰囲気に近いのだろうと想像される。最初に巡検場面が続くのは廊下の長さ(艦の大きさ)を感じるべきなのだろう。ラッタルの上り下りをカメラが追うとか、床のハッチから人が出て来るといった上下移動があるのも軍艦っぽさを出している。艦長が昼飯のタイミングまで考えているのは御苦労様だった。 これを見て意外だったのは、特殊撮影にかなり力の入った映画だったということである。日本では戦時中からミニチュア特撮の実績があったわけではあるが、この時点で(ゴジラの前年)まともに特撮で見せようとする映画があったことは初めて知った。また大したことではないが、出撃場面で中間部を含めた軍艦行進曲の全曲を流していたのは少し感動的だった。ラストも型通り「海行かば」で締めている。  ストーリーに関しては、当然かも知れないが特に政治色は感じられない。また原作ほど難しい印象もなく、登場人物の人間模様を淡々と描くのが中心のように見える。原作にあるエピソードは位置や形を変えながらも結構拾っているが、登場人物としての山添一等水兵は映画独自の存在だったらしい。序盤で主人公(吉村少尉)は、この少年への指導方法が誤りだと臼淵大尉に指摘されていたが、それでも結局は最後まで自己流を通していたようである。大尉の言うように娑婆と軍艦の違いはあるだろうが、成人と年少者の別もあるはずだというのが主人公の考えだったかも知れない。映画全体としては戦時下の軍艦を再現しているようでも、もしかするとこの点だけはささやかに平和な時代の感覚を持ち込もうとしたのかと思ったりもした。  なお真面目な映画に不謹慎なコメントで申し訳ないが、劇中の軍医長が酔っ払い扱いされていたのは笑った。もしかすると西暦2199年のヤマトの佐渡先生は、この映画の軍医長がモデルだったのか(飲んでいたのは洋酒だったが)。
[DVD(邦画)] 8点(2015-10-24 23:46:36)
25.  東京物語 《ネタバレ》 
見る人によって受取り方が違って来る映画らしいが、個人的感覚でいえば、劇中の長男・長女の対応はごく自然に見える。また次男の元妻は、いわば嫁の立場として極めて誠実に対応していたようでご苦労様だった。 この長男をはじめとした子どもらもいずれは両親と同じ立場になり、最後には老夫婦だけが家に取り残されることになるのかも知れない。現代だけでなく、この映画の時代や前近代においても跡継ぎ以外は全員家を出るのが当然だったわけで(劇中の三男もそういう感じ)、昔と今が違うとすれば跡継ぎさえも残らないことだが、それは人情の問題というより家という観念の希薄化である。老いた親を見守るためなら誰か一人が地元に残るだけでも十分であり、劇中の末娘なら適任だったかも知れない。 老夫婦としても、この境遇をまあ幸せだと納得しようとしていたようだが、ほとんどの人間にとってもこのあたりが納得のしどころではないか。次男は別として、生きている子は既にそれぞれの社会的地位や家庭を築いており、自分らの生きた証はちゃんとこの世に残っていく。決して慰めなどではなく、本当に幸せだったではないですか、と自分としてはこの老夫婦に言ってやりたい気がする。 なお次男の元妻に関しては、いくら昔の人とはいえ作り笑いが過ぎるのではと思いながら見ていたが、最後になって本音を言ってもらえたのはよかった。  ところで末娘は可愛らしく見えるので女学生かと思ったら教員とのことで、道で会った児童は頭を下げて挨拶し、教室での様子を見てもきりっとした立派な先生である。しかし社会的にはそういう立場でありながら、兄から見れば子ども扱いなのか大事な家族会議にも入れてもらえず、また姉からは小間使いのように使われていた。古い家族観が崩壊すればこういう理不尽な扱いもなくなるのかも知れない。
[DVD(邦画)] 8点(2015-08-03 23:58:11)
26.  巨大アメーバの惑星 《ネタバレ》 
冒頭のドラムマーチが勇ましいので期待が高まる。続く管制室の様子がけっこう本物らしく見え、管制員も本当に何らかの仕事をしているように見えて感心する(これは本物を撮影したのか)。火星の風景映像は単純な技法なのだろうが異世界の感じは出ており、これで造形物の貧弱さもある程度ごまかされている印象がある(が、ただの絵だけのものはさすがにごまかせない)。 当方としてはコウモリグモの映画と思って見たわけだが、そのほかの火星生物も出て来るので結構豪華である。まあ邦題の生物は出ない方が変なわけだが、人が食われるところなど見ているとThe Blobのようで結構恐ろしく、これに食われるよりなら感電死の方がまだましだと登場人物も言っていた。火星人ははっきり見せてしまうと失笑モノだったろうから、半分隠れているくらいにしておいてよかったと思われる。 またコウモリグモ(字幕ではコウモリ蜘蛛)は英語で"Rat Bat Spider"と言っており、日本語にはないネズミも入っているが、それでもカニ(エビ?)の特徴を捉えていないので一言では言い切れていない。撮影手法のおかげもあって結構怖く見えるが、フワフワ(トツトツ)と動く様子はクモの感じを出していて面白い。  ところで異星人が地球からの進出を歓迎しないという話は、日本では「ウルトラQ」第3話(1966年放映)を初めとして何例かあるが(「地球防衛少女イコちゃん」でも言っていた)、そういう発想はこのあたりが出所だったかと思われる。ラストでは、敗戦後に日本人が言われたようなことを地球人類が言われていたが、この頃の日本はすでに一億総懺悔して謹慎中であるから、これはいつまでも経ってもインディアン征伐を続けているつもりのアメリカ人に向けたものだろう。劇中でネズミコウモリグモが退散していく様子は哀れにも見えていたが、そもそも原因は地球側の狼藉だったのであるから向こうに非はないのであり、これはこの連中のトラブルメーカーとしての本質を象徴的に示したものと思われる。アメリカ人はネズミコウモリグモに謝れ。
[DVD(字幕)] 5点(2015-06-01 22:12:17)
27.  地球へ2千万マイル 《ネタバレ》 
序盤で子どもが出るので、この子どもが最後までつきまとって煩わしい映画に違いないと思っていたら、金をせしめた後は出なくなったのがドライな印象だった。代わりに外人男女が親密になっていく様子が描かれていたが、事件が終了したとみた途端に2人でどこかに消えてしまったのは無責任で好きになれない連中である。またラストで科学者の博士が意味不明瞭な教訓を述べていたのはわが国の怪獣特撮にも見られる特徴である。 劇中ではアメリカ軍が執拗に金星竜を捕獲しようとしていたが、これは金星の大気中で人類の活動を可能にする秘密を探るためとのことだった。そのために最後は死人まで出てしまったようで、ここは人間の功利的な態度が手痛いしっぺ返しをくらったというように理解したいところである。しかし実際はその前に科学者連中が一定の成果を出してしまっており、結果的には人間(と金星竜)の生命を犠牲にしてでも欲しいものは獲った、という形になっていたのは共感しがたいものがある。 ただシチリアの現地警察があくまで人命保護を優先し、アメリカ軍への協力を拒否して独自に行動していたのは、人類の進歩を一人で先導しているかのような顔の傲慢な大国に対して一定の意地を見せていたといえなくもない。  ドラマ的には以上のような感じだが、撮影技術の面ではさすが侮れないものがある。金星竜の動きが非常に丁寧に作られており、合成も結構上手いと感じられる場面が多い。またゾウの重量で車がつぶれたあたりも実物感がある。そのほか構図の取り方も格好よく見えたりして、映像面では文句をつける気にならない出来だったとはいえる(が、ロケットを絵でごまかしたのは感心できない)。
[DVD(字幕)] 5点(2015-06-01 22:12:13)(良:1票)
28.  大怪獣バラン 《ネタバレ》 
劇中の岩屋集落の所在に関しては、最初の方で出た日本地図が不正確なため特定するのが困難だが、おおむね一関市や平泉町に近い奥羽山脈沿いのようである。ただし大怪獣のいた湖は、自衛隊の地図では猪苗代湖と同じ形をしている。桐野洋雄氏の台詞で「なるほど日本のチベットだよ、あまり気持ちよくありませんね」と言っていたのは東北の山村とチベットに対して失礼だろうが、本多監督も実はそういう場所の生まれだったはずである。  ところでこの映画では陸海空自衛隊の大活躍が目立ってしまって本来のテーマが埋没したような感じだが、序盤の千田是也博士の言葉(「いやあ、信じてはいないがね…」)を聞けば、こんな映画の中にもそれなりのメッセージが含まれていたように思われる。 まず科学の発達ということに関して、明治以後に近代文明が浸透していく過程では、一般庶民のレベルでも“科学的でない”との理由で俗信を軽侮する風潮が生じ、この映画の時点でもそのような態度が幅を利かせていたと想像される。これに対して通俗的知識や固定観念にとらわれず、まずは世界を虚心に見つめる態度が必要であり、それこそ真に科学的だ、というのがここでの主張と考えられる(もっともその具体例が怪獣出現というのでは少々寒い結果だが)。 また社会的な面から見れば、その時点の常識で迷信や悪習と思われても、我々と同じ知能を持つ人間が継承してきたからには必ず何かの意味があるはずである。確かに、かつての意義が失われて惰性的に継続しているだけのものもあるだろうが、それでもむやみに革新ばかりを言いたてて、何の考慮もなく全てを切り捨てるのが正義とはならないだろうということである。 宇宙ロケットを飛ばすような科学万能の時代でも、自然や人間に対してあくまで謙虚であるべきだという主張が、ここでの博士の言葉に凝縮されていたように思われる。そうすると、いかにショボい感じの怪獣映画でも、やはりそれなりの敬意をもって対しなければとの思いが個人的には持たれるのであった。  なおこの映画のヒロイン役は園田あゆみさんという人で、ふっくら系で可愛らしく見えなくもないので自分としては嫌いでない。劇中では新聞記者なので生意気な面もあったが、わずかながらにこやかに笑う場面もあったのが嬉しかったりする。もう少し若いうちなら普通に可愛らしかったかも知れないが(外部情報によると当時25歳)。
[DVD(邦画)] 5点(2015-05-16 16:00:04)
29.  空の大怪獣ラドン 《ネタバレ》 
まず背景設定はいい加減な感じである。この頃からすでに地球温暖化が問題になっていたというのは少し驚いたが、そのせいで異変が起こったわけでもなく核実験の影響とのことで、やはりどうしても怪獣映画は核の脅威と無縁でいられないらしい。 またドラマ部分も貧弱であり、前半こそ若い2人が互いの愛情を確かめ合う過程を描いていたが、後半は特撮に重点が移ってしまうために白川由美さんと東宝特撮初主演の佐原健二氏(若い)も存在感がなくなってしまう。ラストの一同の表情も取ってつけたような感じで、ここは若い2人が怪獣のつがいに同じ立場で同情を寄せた、という解釈ができればいいのだろうが、実際のところは兄弟だったのだろうからそうとも言えない。  ところでこの映画で個人的に最も注目するのは、何といっても昭和30年代初めの九州各地の景観である。まずは昔の本物の炭坑と炭住風景が興味深い。 また福岡市の場面では、怪獣は上から吊られているのが明らかだったりするが、ミニチュアセットの迫力の方は圧倒的である。風圧で瓦は飛ぶわ外壁が失われて骨組みまで飛んでいくわで大変細かい作り込みになっており、また戦車が砲撃する前面に電線が垂れているのが邪魔に見え、これが市街戦というものだと実感させられる。道路の植栽を戦車が半分踏みつけにしているのは痛々しく、また風で飛ばされた車両が「豊楽遊技場」(パチンコ店)に突っ込んで火災が発生し、隣接の「軽食 喫茶 筑紫」に延焼していくのは無残だった。特定の商標が出る場面も多く、森永ミルクキャラメルのネオンサインなら他にも例があるが、アサヒビールとか武田薬品工業とかは協賛をもらったのか。昔のカルピスの看板をわざわざ踏み倒して戦車が進んでいくのは何かの寓意だろうかと勘繰ってしまうがこれは単に受け狙いかも知れない。こういうのが見られた当時の福岡市民の皆さんは大喜びだったのではないかと思うと非常にうらやましい。 福岡のほかにも佐世保市内の実写風景が映ったりするので、当時を知る人がいれば懐かしいかも知れない。西海橋の場面では、バスガイドの誘導が適切なため観光客に被害がなかったのが幸いだった。変なところに感動してしまったが。
[DVD(邦画)] 7点(2015-05-16 16:00:00)
30.  巨人獣 《ネタバレ》 
特撮ファンには昔から知られていた映画のはずだが、最近になってやっとDVDが出たので長年の希望が果たされた。 ただし中身は淡々としたもので、真面目なお話ではあるが正直面白くはない。劇中で最も信頼すべき人物までがケダモノ扱いしているのに、実の妹だけが懸命に昔の思い出を語りかけるのが切ないのと、最後に一言、妹の名を呼ぶのが唯一の台詞であって、人間の心を取り戻した代わりに生きていられなくなったという展開が悲しいとはいえる。 またこの妹が美形なのは見ていて少し救われる。怪物の身内というつらい立場ながら兄への献身姿勢を変えない筋の通った人物であり、せめて悲劇の後には相手役の少佐と幸せになってほしいと願うところだが、そういう兆しをみせることもせず例によって無造作に映画が終わってしまうのは残念なことである。この妹役のサリー・フレイザーという人は金星ガニの映画にも重要人物で出ているので、そういった方面に関心がある者としては記憶にとどめておかなければならない。
[DVD(字幕)] 4点(2014-05-03 18:56:23)
31.  戦慄!プルトニウム人間 《ネタバレ》 
放射能(放射線)のせいで生物が巨大化するというのはよくある話だが、この映画では生身の人間を怪物化させることでショッキングな感じを出しており、これは日本でいえば「ウルトラQ」第22話や、「シルバー仮面(ジャイアント)」第18話(着ぐるみだが)にも通じるものがある。巨大化の原理については意味不明なところもあるが、全体としてそれらしい理屈をつけているようには聞こえた。また劇中では主人公が中年体型なのが生々しさを出していたが、これをほめていいのかどうかは微妙である。 そのほかこの映画で少し注目したのは、自分を見世物にすればいいだろうと主人公が自嘲する場面で、この映画の題名そのままの言葉を口にしていたことである。そもそもサーカス用のテントにいたせいもあるだろうが、この映画自体がいわばフリークスの見世物小屋のようなもので、それを興味本位で物珍しげに見ている観客が見られている本人から指弾されているように感じられるのは皮肉だった。そういうことからしても貧相な特撮映画と切り捨てがたいものはあるわけだが、全体として華がない感じ(ヒロインが好みでないため)なのが若干残念だった。
[DVD(字幕)] 4点(2014-05-03 18:56:20)
32.  宇宙からの侵略生物 《ネタバレ》 
敵の秘密工場は、ロンドン近郊のテムズ川河口にあったシェルヘブン製油所(Shell Haven (Oil) Refinery)という場所で撮影したらしく、これで当時としては現実離れした未来的な風景だったのかも知れない。内容としても前作よりSFらしさが増しており、反撃のためにいきなり「原爆ロケット」(原子力推進のロケットを地表から発射するらしい)を飛ばし、敵星を破壊してしまうというのは豪快である。 またドラマ部分も適度にスケールが大きく、映画の開始時点ですでに政府機関の内部に敵勢力が浸透していて、国家予算を敵の計画に取られたために教授の月計画が頓挫したということだったらしい。劇中の下院議員が「公的資金を投入したばく大な損失の隠蔽」といった、それっぽいことを疑っていたのも結構まともな感じに見えている。 一方で、アンモニアで腐食されて死ぬ男が出るとか、パイプの中に人間を「つぶして詰め込んだ」とかいう話が出て来ていたのは、子どもの頃に見ていれば結構イヤな印象を残したのではないかと思われる。映像的には終盤までずっと地味で、どうせ最後までこの程度だろうと侮っていたところ、最後は一応のミニチュア特撮になっていたのは少し驚いた。 以上により、個人的には前作よりは退屈せず、それなりに見るものがあると思わせる映画だった。なお敵の秘密工場を襲った村人の集団が銃器の扱いに慣れていたのは大戦からあまり間がない時期であり、また戦後の兵役に従事した者もいたためではないかと想像される。
[DVD(字幕)] 5点(2014-05-03 18:56:15)
33.  原子人間 《ネタバレ》 
最初から好意的に見ようとはしていたのだが、残念ながらその好意を持続できなかった。いきなり冒頭の男女の行動からして呆れてしまい、夜間に屋外でライトをつけてまでやることかと問いたくなる。またロケット内部の造形が貧弱なのは仕方ないとしても、本体が頭から地表に突っ込んでいるのに内部は横倒しのように見えるのはさすがに変だと思われる。 一方でストーリー自体は堅実な感じだが、進行がのろいのでかったるい。問題の生物に関しては、中盤までは人型だったのに動物園以降はナメクジのようだったらしく(移動跡がそのように見える)、さらに最後は結局タコになっていたのはかなり唐突に思われた。いろいろ事情はあるにしても観客が変化の過程をイメージできないのは困ったことであり、映画ではそのために縮小版としてネズミ入りのケースを見せたということだろうが、それでも納得はしかねるものがあった。また映画自体のせいではないが、邦題も結果として意味不明に終わっている。 そういうことでSF的な見方からすればあまりほめるところはないが、劇中で微妙にユーモラスな場面があって、羽目を外さない範囲で笑わせていたのは趣味がいい。また教授の人物像についてはTVシリーズで確立していたのだろうが、人命の犠牲にも頓着なく科学の発展のため邁進する不屈の男、というキャラクターは斬新に思われる。
[DVD(字幕)] 4点(2014-05-03 18:56:12)
34.  蝿男の逆襲 《ネタバレ》 
むかし怪獣図鑑などで慣れ親しんだハエ男の写真(ヴィンセント・プライスと一緒に映っている)は、前作ではなくこの続編の方だということがわかった。より本物に近いようだが頭がでかすぎて、中の人が大変そうな感じに見えている。  内容に関しては、古い映画のためか浮ついたところがなく真面目に見える。当初は陰謀含みのサスペンス調かと思ったが、結果的にはそれほど大した話に発展するわけでもなく、要はモンスターに殺される悪人を準備するための設定だったと思われる。 また物質転送機については前回と同じ構造だろうが、今回は転送の過程を分解と再生の二段階に分けて説明しており、これは原作に出ていたような、時間差をつけての融合をやってみせるためのことだと思われる。しかし基本的には“前回やり残したことをやってみました”というだけの内容であり、それも何の工夫もなしに同じ過程を再度行うのではさすがに考えが足りない。さらに本来は人類史に残るはずの偉大な発明の成果が、今回はただの化物製造機にしかなっていないのは情けない。  ところでハエ男が生成してしまった後の、人間としての意識の所在が前回と異なっているのは新しい趣向である。今回はハエ男が明らかにモンスター扱いになっており、相手が悪人とはいえ劇中で二人も惨殺しているが、頭が完全にハエだったのなら主人公が道義的な負い目を感じなくて済むことになり、これはハッピーエンドのためには都合がいい。この点はリメイク版より配慮が行き届いていると感じられる。 一方で、ハエにならなかった右手だけが人間としての情を示していたりするのは微妙な表現である。今回はヒロイン役が若い独身女性のため美女と野獣的な人員配置になり、美女の寝室にハエ男が忍んでいくなどという場面もあったりするが、これほど衝撃的な事件をものともせずに最後は若い男女がめでたく結ばれるという能天気な結末は、後のリメイク版の先駆けかとも思われる。  なお劇中の悪人(悪徳業者)の本業が葬儀屋だったのを見ると、北米にも「おくりびと」的な偏見があったのではないかと疑われる。
[DVD(字幕)] 4点(2014-01-27 20:48:57)
35.  蝿男の恐怖 《ネタバレ》 
物質転送機という発想はいかにも荒唐無稽である。音や映像が遠くに送れるなら物体も可能というつもりだろうが、“原子が空中を光速?移動”するというなら電話やテレビなどとは原理が根本的に違うだろうし、それよりなら「どこでもドア」方式の方がまだしも現実的に思われる。ただしわが国の「電送人間」(1960)をはじめ、その後の各種特撮の小道具として使われるようになったことからすれば、その独創性だけは評価しなければならない(映画でなく原作の方だが)。USSエンタープライズの転送装置も、このような事故を繰り返しながら改良されていったと考えると恐ろしい。  それで内容に関しては、昔の映画らしくきっちりまとまった印象を受ける。基本的には屋内中心の静的な環境の中で話が展開し、リメイク版のバイオホラーと違うのはもちろん、昔の特撮映画のイメージからもかけ離れている。そのため初見時(10数年前)にはとにかく地味な映画としか思えなかったが、改めて見ればそれなりに見所はあると感じられる。 劇中で一応の問題提起と思われたのは、人間とそれ以外とをどこで区別するのかということである。当初、妻は「理性」「知性」「心」を重視しており、またこういったものが失われかけたことで夫も死を決意していたことから、精神面が重要だということは夫婦間でも一致していたらしい。しかし一方、妻が内心で葛藤しながらも冷徹な表情で夫の殺害に協力し、事件後「あれは死んでよかったんです(I'm glad the thing is dead.)」とまで言っていたのは、要は夫の顔を見てしまった嫌悪感の方が主な動機ではないか。自分としても、夫がハエ面のままで妻にキスをしようとした場面には非常な違和感を覚え、たとえ人間の心があったにしてもハエ男が人間の女性を愛することは許容できなかった。劇中人物は妻を含めてみな理性的な人々だったが、それでも心が大事などというのは綺麗事という冷たい現実を淡々と突きつけているようでもあり、この点はリメイク版との大きな違いに思われた。  ところで劇中では、兄も実は弟の妻に心惹かれていたが2人の意向を尊重する形で譲り、その後はずっと独身で通してきたらしいことが示されていた。事件の結果、弟は失われたがその名誉は守ったまま、愛する女性とその息子と3人の安定的で穏やかな生活が実現していたようで、これは素直にハッピーエンドとして受け取れる。続編などなければよかったのだが。
[DVD(字幕)] 7点(2014-01-27 20:48:53)
36.  怪獣ゴルゴ 《ネタバレ》 
この映画を見てまず驚くのは、台詞のある女優がほとんどいないことである。字幕に出るのは「もう無理 走れないわ」という老婦人だけであり、ヒロイン役のいない怪獣映画など存在しうるのかという疑問を生じる。お父さんサービスのお色気場面もないので児童映画としてまことに健全ではあるが、しかし余計な要素を削ぎ落したようないわば機能主義の怪獣映画よりも、自分としてはやはり万人の娯楽を目指した和製特撮の方に共感せざるを得ない。確かに当時の怪獣映画としてはいい出来だとは思うが、そのような理由で味気なく感じられるのが基本的な難点に思われた。  一方でこの映画を見て気づくのは、都市破壊場面で瓦礫の下敷きになる者が多いことである。これが結構真に迫っていて、思わず“わっ危ない”と言いたくなる場面が多い。第二次大戦の記憶が各国でどう違うのかよくわからないが、日本の「ゴジラ」などでは米軍の空襲で火の海になる東京がイメージされているのに対し、ロンドン市民にとっては爆撃やV2号の着弾などで堅牢な建物が倒壊するイメージの方が強かったのだとすれば興味深い。まあそれは火を吐かない怪獣だからという面もあるだろうが(火を吐くなら見世物にはできない)、何にせよ逃げ惑う群衆の描写に迫力を感じる映画だった。 また、同じ監督の別映画で最後に怪獣が死んだことに関し、監督の娘が「パパは良い怪獣を死なせた」と言って泣いていたのを教訓にして、この映画はハッピーエンドにしたという話は少々涙を誘うものがある。これが後に家族愛を謳う感動作「大巨獣ガッパ」(1967)の製作にもつながった?のであり、わが国怪獣映画の発展?にも貢献したという意味で大きな意義が認められなくもない。
[DVD(字幕)] 5点(2014-01-06 23:46:14)
37.  地球防衛軍 《ネタバレ》 
「地球防衛軍」というものの古い事例として、自分としては「ウルトラセブン」に出る組織をまず思い出すが、日本で最初にこの言葉を使ったのはこの映画なのではなかろうか(根拠なし)。この後、特撮モノから近年のゲームソフトまで用語として一般化しており、Wikipedia日本語版では普通名詞のように扱われるに至っているが、その発端となったところにこの映画の揺るぎない価値が認められる(と思う)。  それでこの映画では、まず気恥かしいほどあか抜けないリズムを刻む(スタタタ スタタタと聞こえる)勇ましいマーチが非常に強く印象に残る。 また映像面でも古いなりに健闘しており、光線兵器で戦闘車両が白熱するのは怖いし、円盤の映像もなかなかよくできている。森永チョコレートの広告塔の背景に、高空を飛ぶ円盤が見える場面は印象的だった。ほか特に、富士山麓の宿場町のような場所に超近代的?ロボット怪獣が現れて、高度成長期前の伝統家屋を光線兵器で攻撃するというのは現代の目で見るとミスマッチだが、逆にいえばこういう時代にこういう映画を作ったのだということが改めて思い知らされる。このロボット怪獣は世間では笑われることが多いようだが、山道の途中で崖から出て来たのは実際に直面したら怖いだろう。またヒロインの入浴場面でも、素っ裸の状態で窓の外にこんなものが見えたら、もうどうすればいいかわからなくなるのではと思う。 一方でストーリー的には、最初の方こそ何かが起こりそうな期待感と不安感の入り混じった展開だが、後半では地球側が正面攻撃を延々と続ける印象があって(よく見ると山も谷もあるのだが)、正直退屈なのが残念である。  ところでこの映画の形式上のヒロインは白川由美さんの方だろうが、河内桃子さんもほとんど同格の存在感があって、ダブルヒロインの豪華状態である。二人ともきれいな人で、他の拉致女性と比べてもすらりと背が高い。また河内桃子さんは相変わらず可愛らしい人だが、敵の意図を知らされたことで泣き出してしまう場面はまことに痛々しい。こんな女性を人身御供に出してはならないと思えば、男が戦いに赴く動機の原点を描いた映画だと評することができなくもない。
[DVD(邦画)] 7点(2013-07-01 21:32:10)
38.  濡れ髪剣法 《ネタバレ》 
題名の「濡れ髪」の意味がどうしてもわからないが、「水もしたたる」と同じような美男の形容なのかも知れないと現時点では考えておく。自分としてはこの主演俳優がどういう人なのか年代の関係でほとんど知らないのだが、ただの二枚目役者でないことはこの映画でよくわかった。 中身としては笑いあり涙なしの痛快時代劇で、よくできた娯楽映画という印象である。若殿が「キ印」から始まって五万三千石の跡取りまで自力で上りつめるのは、話としては出来すぎだが見ていて飽きず、また最初と最後の野駆けの場面は清々しい。 それから登場人物としては、とにかく姫さまが稀に見る美形の上にお茶目でツンデレっぽいのがたまらなく可愛らしい。大和屋のおみねさんも意外に(といっては失礼だが)可愛いが、途中から身分違いをわきまえて、尽くすだけの立場になったのはかわいそうかも知れない。また柳橋芸者の蔦葉姐さんも艶っぽく世話好きで人懐こい感じなのに惹かれる。ほか男の登場人物としては、長屋仲間の与平次の最後の場面が鮮やかに決まっていたように思われた。   ところで、どうせ誰も読まないだろうから少し余計なことを書いておくと、劇中の大和屋はいわゆる口入屋だったようで、武家奉公人の派遣業務を中心に営業しており、その取引先がたまたま遠州佐伯(架空)の松平家だったということらしい。皆で剣術の稽古をしていたのは、映画に出たように市中で不良旗本やら何やらと衝突するのが常態だったということか。そういうのが考証的にどうなのかはわからないが、モノになりそうな人間を仕入れるために経営者(親分)が常に目配りしていたらしいのは、今回のストーリーにとって好都合な設定である。 また、終盤で立ち回りをやるのはこの手の映画として当然の展開なのだろうが、自分のところの家臣(江戸詰)が全滅しそうになるのはさすがにまずいのではないか、と見ていて心配になる。しかしこれが家臣団のリストラにつながり財政改革に役立つと思えば、まもなくの家督相続に当たって幸先がいいともいえる。とぼけたようでいてちゃっかりと結果を出す若殿である。
[DVD(邦画)] 7点(2013-06-24 18:58:41)
39.  マックィーンの絶対の危機(ピンチ) 《ネタバレ》 
邦題には変遷があるが、原題は一貫して”The Blob”である。 以前「消えるヒッチハイカー」という本を読んだ時に、アメリカの都市伝説で夜間に車で出かけた若い男女が恐ろしい目にあう話が書いてあり、なるほど映画でもそういうパターンのがあるなと思った。その時に何となく念頭にあったのがこの映画で、その時点ではこれをアメリカの恐怖映画の代表のように思っていたわけである。実際、幼少時に見たときは非常に怖かったように記憶しており、最初からずっと夜の場面が続くので怖いまま息抜きができず、ラストに至って北極の場面だけが明るい青空なので少しほっとするが、そこでまたさらに?が出るのでもうやめてくれ、という感じだった。  しかしいま見ると、問題のブロブなどあまり出番はなく、出ても少し固目のをモソモソ動かしたり、粘度の低いのを押し出したりするばかりで、特撮映画としては極めてショボい。人が実際に食われる場面は映像化を回避して画面に出さず、またクライマックスの巨大ブロブはアニメーションでごまかしたりしている。そもそもオープニングテーマからしてノホホンとしてとぼけた感じだし、劇中でも主人公とヒロインが、穏やかな音楽をバックに信頼と愛情を深めていく場面が延々と続いたりする。どうも世評の通り初めから青春映画のようなノリで作っているらしく、古き良き時代の愛すべき娯楽映画という感じである。昔と今でこれほど印象が違う映画も珍しい。 また映画の中身と直接関係ない話だが、DVD封入のリーフレットを読むと、撮影が行われたペンシルバニア州チェスター郡フェニックスビルの映画館では毎年「ブロブ祭り」というのをやっているとのことで、映画館の公式サイトを見てみると実際に”Blobfest 2013”のPRをしていた。どうやら地域住民に今なお愛されている映画であるらしいことが窺える。  なお1958.9.12米公開のこの映画と直接の関連があったのではないかと疑われるのは、同年6.24公開の東宝映画「美女と液体人間」で、両者を比べればわが国の誇る昭和特撮の方がまだしも勝っていると思うのだが、ここでの現時点での平均点はこの映画の方が高くなっているのが悔しい。思い切って1点とか付けて点を下げてやるかとも思ったが、この映画はこの映画で愛着があるためそういうこともできず、適正と思われる点を付けるしかない。結果として、かえって平均点を上げてしまった。
[DVD(字幕)] 7点(2013-06-24 18:58:33)(良:1票)
40.  美女と液体人間 《ネタバレ》 
前の方のレビュアーが(もう何年も前だが)「ウルトラQ」第19話や「怪奇大作戦」第8話に言及されているが、この映画からそういったものを思い出すのは自分も同じで、特に後者は小学生の頃に夢に出た。その元祖のような存在であることから、個人的には特別に思い入れの深い映画になっている。 発想の原点が昭和29年の「第五福竜丸事件」なのは明らかで、これは同年公開の「ゴジラ」が製作されるきっかけにもなったわけだが、この映画はまさにその直系の産物といえる。メッセージ性は特に期待できない(そもそも期待してない)が、雨に放射能(放射性物質)が含まれているというのは事件当時の不安感を再現したものだろうと思う。 また裏社会のにおいが強いのが特徴で、ヒロインも犯罪常習者の情婦という、他の特撮映画に例を見ないタイプの女性である。劇中のキャバレーは社会の表と裏の境界に位置していたらしく、その境界上にかろうじて踏みとどまっていたヒロインを、主人公が表に引き戻したというのがこの話の軸だろう。キャバレーの雰囲気はレトロで華やかだが、ここで園田あゆみさんのお姿をカラーで拝見できるのも嬉しい。  ところで、この映画で最大の見所と思うのは、女優と並んで昭和30年代の東京の風景である。最初に液体人間が出たのが兜町で、キャバレー「ホムラ」は築地とのことであり、カーチェイスの場面で見えていたのも中央区の景観なのだろう。現在は首都高速道路が通っている所が掘割(楓川)だったことは、劇中地図や恐らく映像にも現われている。 当初はもっぱら都市の裏側で事態が進行していたのが殲滅作戦の実行で一気に表面化し、住民の大々的な避難が行われた上で掘割にも火の手が上がる非日常感は、ともすれば地味になりそうなこの映画のクライマックスをきっちり盛り上げていたと思う。勇ましいマーチも耳に残る。  一方で特撮面は、当時のスタッフがいろいろ苦労されたのはわかるが、場面によって質感が一定せず、どうも液体人間のイメージが掴めないのはつらいものがある。 なお1958.6.24公開のこの映画と直接の関連があったのではないかと疑われるのは、同年9.12米公開の”The Blob”で、両者を比べればこちらがまだしも勝っていると思うのだが、ここでの現時点での平均点は向こうの方が高くなっているのが悔しい。思い切って高い点を付けておくが、それでも負けるのが悔しい。
[DVD(邦画)] 9点(2013-05-27 18:58:57)(良:1票)
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