21. シビル・ウォー アメリカ最後の日
《ネタバレ》 アメリカは世界一の経済大国であり、IT大国であり、エンタメ大国だ。 だが、新自由主義を推し進めたが故に格差が著しい大国でもあり、今なお残る人種差別に、 機会はあれど能力に恵まれなかった者にはひたすら容赦なく残酷だ。 それが圧倒的な凶悪犯罪率であり、大都市には麻薬に溺れた路上生活者で溢れ、絶望死した者も少なくない。 一方で成功した一部のマイノリティが己の価値観を強制するポリコレによって保守層の不満が募り、 上記の極端な事例によるトランプの台頭、やがて対立・分断し、長年の社会の歪みがツケになって顕著化した成れの果てが本作だ。 関わることを諦めた地方の無関心、そして「お前はどういうアメリカ人だ?」という問い。 そこには外部がズカズカ入り込めないアメリカの病みが詰まっている。 世界の警察やらグローバリズムやらを伝搬して、諸外国に首を突っ込んでいるクセにである。 そんな世界をジャーナリストは誰かを犠牲にすることでフレームに真実を収める。 初心な新人カメラマンが次第に冷徹な人間へと変わっていき、最後は主人公の犠牲をも手柄にしていくのは皮肉だ。 大統領の死体と兵士の笑顔が写る一枚に、アンミスマッチな曲が流れるエンドロールの居心地の悪さと来たら。 自分事にならない限り、自国の危機に誰も動かないだろう。 次期大統領がトランプになろうが、カマラになろうが、詰んでいるとしか言いようがないアメリカ。 外部から対岸の火事として見ている日本はどうだろうか? 大国にひたすら媚びへつらって搾取される側を選ぶのかね。 [映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 23:59:48) |
22. カリスマ
《ネタバレ》 刑事ものの導入部分からホラー・ファンタジーを彷彿とさせる不条理劇への移行、 時折挟み込まれるシュール・コメディな演出の数々に、 ジャンルらしいジャンルが分からない唯一無二の雰囲気が醸し出されている。 カリスマという一本の木を巡り、その存在に振り回されていく人間模様。 どの勢力にも属さないアウトサイダーだった刑事がやがて狂気の中心になっていき、 「世界の法則を回復せよ」の問いに対する「ありのまま」の対応は下界にさらなる混沌を巻き起こす。 しかし、しがらみがある以上、誰もが「ありのまま」にはなれない。 それが今の現実で、狡猾な政治屋なり、口が巧い実業家なり、寂しさに付け込んでくる宗教家なり、 彼らに振り回されて疲弊してなんて滑稽なことか。 "カリスマ"とは土壌に張り巡らされた毒そのものだ。 『CURE キュア』をさらに難解にその一歩先を行く世界をラストで描いているわけだが、 "何か"に縋り付いて自由を失った普通の人と、執着を手放しありのままを受け入れた刑事、 どちらが正常でどちらが狂っているのだろうか? 一度破壊された世界に"カリスマ"が新たな秩序を形作っていく。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-10-03 22:56:47) |
23. Cloud クラウド
《ネタバレ》 黒沢清の映画は多作故に当たり外れが非常に大きい。 本作は明らかに後者。 タイトル通り、雲のようにあやふやで掴みどころがない。 それは主人公のはっきりしない対応であり、転売で当たるかどうか分からないギャンブル要素であり、 ネットで増幅する姿の見えない悪意である。 悪びれることなくどこか他人事で、常に棒読み台詞で人の形をした空虚みたいに。 射幸心。 一山当てたいがために中毒性のある一過性の幸福を手に入れ、ひたすら視野が狭くなっていく。 主人公の関心は如何に安く仕入れた大量の商品が高く売れるかで、 物欲大好きな恋人よりも、猟友会の男が死んでも、殺人による死の危機を脱しても、 売り物が無事であるか、そして売れるかどうかしか見ていない。 それはSNSの「いいね」にそのまま当てはまる。 不特定多数の何かに依存し、四六時中ウォッチして、「いいね」が少なければ人は病んでしまう。 黒沢清ならではのダークな画作りと演出に、おおっと思わせるシーンはあった。 ところが中盤以降の廃工場のガンアクションで映画が既視感だらけの薄っぺらになってしまった。 ほぼ『蛇の道』のクライマックスのまんま。 助手にパソコンを使われたり(パスワード掛けろよ…)、主人公が攫われて殺されるかもしれないのに忍び込む恋人、 なぜか主人公に執着する狙う側の元職場の経営者と守る側の助手(どこかボーイズラブらしさがある)、 それぞれの背景がはっきりしないまま終わってしまった。 100%描き切れば良いわけではないが、この曖昧さのバランスの悪さが足を引っ張っている。 素性がバレ、恋人に裏切られ、これから巨大な組織に取り込まれるだろう主人公には深い地獄の入り口が待ち受けている。 自業自得と言えばそれまでで転売ヤーに対する目が厳しくなっている以上、 彼らに一切関わらない、ネットに依存しすぎない、真面目に働こう、という教訓が得られるくらいか。 [映画館(邦画)] 5点(2024-09-27 22:58:18) |
24. エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス
ネットで検索すると時折、魑魅魍魎な映画が存在していることを知る。 噂には聞いていた特級呪物がアマプラをはじめサブスクで配信されているという狂気。 確かに軽い気持ちで、気の知れた家族や恋人や友人と見るものではない。 エロ・グロ・バイオレンス全開の傍ら、アバウトすぎる設定にナンセンスでコントのようなやり取りが同居し、 不愉快・不潔・不謹慎も合わさって闇鍋のようなカオスな様相が強烈なパワーとなって怒涛の如く押し寄せる。 全編シリアスなら見るに堪えない(これでも監督・主演コンビの『八仙飯店之人肉饅頭』よりはマシらしい)。 今の時代なら絶対に作れないし、案外しっかりとしたエンタメで最後まで目を離せなかった。 いろんな意味で記憶に残る映画で、鬼畜っぷりもここまで来ると清々しいレベル。 私はこの手の映画、一か月先はお腹いっぱいです。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-21 00:26:01) |
25. 風が吹くまま
《ネタバレ》 物語の行く末を左右する100歳越えの老婆は最後まで姿を見せることなく、 独自の風習が残る村の葬儀目当ての都会人であるテレビマンが振り回される。 携帯電話で会話するにも電波が届く、くねくね曲がる道の先の丘まで車で走らなければならず、 他方で村の人々はのんびりマイペースな分、滑稽に映る。 とは言え、一見美しい黄金の麦畑が広がる長閑な村でも、 家族への忠誠のため、面子のために辛い因習に従わざるを得ない現実がある。 死を待っていてもやって来ることなく、苛立ちを隠せないテレビマンが、 村人の生き埋め事故を切っ掛けに人命を救う側に回っていく。 このまま放っておけば珍しい葬儀を取材できるのにである。 撮影して放送して、ただエンタメとして消費されるだけ。 裏側を見ない我々は普段提供されているものに対して、それを期待しているのではないか? そこに人間の矛盾と不可思議さが感じられる。 キアロスタミの芳醇な会話劇は今作も健在で、医者の詩の引用にハッとさせられる。 「天国は美しい所だと人は言う、だが私にはブドウ酒の方が美しい」。 "風が吹くままに"生きられたらどれだけ素晴らしいのだろうか。 仕事に雁字搦めのテレビマンは執着を手放し、現実に折り合いをつけてこれからの人生を生きていく。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-20 23:59:02) |
26. わんだふるぷりきゅあ!ざ・むーびー! ドキドキ♡ゲームの世界で大冒険!
《ネタバレ》 ネタバレ踏む前に鑑賞したが、内容が内容だけにこの手の映画は敷居が高すぎる。 恒例のシリーズ作品の映画版ともなると追加戦士が登場するが(実は本作を含め2作しか見てない)、 ただの追加戦士ならともかく、「2年連続で男子プリキュアが登場するのか」という情報が錯綜し、 界隈では意見が分かれる事態になっているからだ。 当初は「女の子だって戦いたい」というコンセプトだったが20年も続く現在において、 メインターゲットの女児による売上が少子化で減少し、 次第にリアルタイムで当時のシリーズに触れ、成人になって出戻ってきた層にシフトしている。 それが後日談だったり、舞台版のぼくプリだったりするわけだ。 そう、新陳代謝を促すために、去年はレギュラー初の男子プリキュアであるキュアウイングを発表し、 個人は個人としてそれなりに受け入れられているものの、 これが恒例になっていくことでシリーズのアイデンティティーが逸脱していくのではないかという懸念がされていた。 それで結論を言えば……出る。 ペットと飼い主の関係性がテーマであるが故に、男子ペアが登場するのである。 71分の短い上映時間の中で、詰め込むだけ詰め込んだ"お祭り映画"として頭空っぽに楽しむ内容なので、 ストーリーの整合性とか映画の深い背景はなく、歴代シリーズのクロスオーバーにワクワクして、 とにかく暴力的なまでの映像の洪水がカオスの如く押し寄せて体感するしかない。 近年の邦画でよく見られる薄っぺらなメッセージや安い感動でゴリ押ししてくるより、 映画館に見に行く人たちを第一に楽しませる姿勢において誠実だろう。 アカデミーやカンヌで賞を取るような映画ではないし、数年経てばファン以外から本作の存在を忘れ去られるかもしれないが、 短い間だけでも非日常を楽しみたいという意味ではエンターテイメントとして健全な姿だと言える。 ただ、映画館での謎の一体感みたいな、そういう異様な空気は多分忘れないだろう。 今頃、お待たせしましたと言わんばかりに追加戦士のファンアートが捗っているはずだ。 [映画館(邦画)] 6点(2024-09-14 00:26:34) |
27. 消えた声が、その名を呼ぶ
《ネタバレ》 「娘に会いたい」。 処刑から生き延びるも声帯を切られ声を失った父親が地球半周を渡り歩き、生き別れの娘たちを追う8年間。 シリアスドラマからコメディまでジャンルを分け隔てず活動する、 ファティ・アキンのフィルモグラフィーの中では最もスケールが大きい。 1910年代のオスマントルコによるアルメニア人虐殺を題材にしたあたり、 加害者のトルコをルーツに持つ監督の思いはあるだろう。 アルメニアはキリスト教を国教と認めた初めての国であり、 オスマントルコでも富裕層として成功して政治にも関わる影響力があったものの西ヨーロッパとの関係を強固にしたことで、 オスマントルコ側のムスリムとしてのアイデンティティーが脅かされる恐怖が虐殺の背景にあったようだ。 これがアルメニア人のディアスポラになった。 信仰で救われることなく強制労働で次々に倒れていく同胞、生き残るためなら簡単に棄教する現状を目の当たりにし、 死にかけの義姉を手に掛けなければならない苦しさに、宗教がどれだけ愚かで虚しいものであるかを突き付けられる。 避難先のアレッポで初めて見たチャップリンの無声映画に自分の境遇と重ね合わせ、 娘たちが生きていることを知って、生きることの根源を取り戻していく。 たとえ盗みも暴力も働き、獣に墜ちてしまおうとも、死ぬわけにはいかないという執念。 いくらでも傑作になりえた題材なのに、国家の罪と罰をストレートに描かなければならないわけではないが、 最終的に単なる親子の感動ドラマにスケールダウンしてしまったのが惜しい。 娘と再会するまでの過程が終盤につれて偶然で片付けられていく脚本の杜撰さが鼻につくし、 心震わせることなく次第に冷静に見てしまいました。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-09-08 23:20:15) |
28. TITANE/チタン
《ネタバレ》 レビューを見て戦々恐々だったが、覚悟して挑んだら何とか見れた。 痛覚を刺激するショッキングな暴力描写で見る者の思考を停止させ、 そこからジェンダー観を云々語って、メタリックベイビー出産シーンであたかも神聖で高尚な映画であるかのように見せる。 これではカルト宗教がやってることと変わらない。 そういう意味では確かに"カルトムービー"だが。 血の繋がりのある両親からの愛情を受けられなかった女性が感じた、赤の他人である消防隊長との疑似的な親子関係。 行方不明になった息子が女装している写真を見るに、これは"受容"の物語なのだろう。 如何なる姿でも、実の息子でなくても、孤独を埋めてくれる存在への無償の愛を描きたかったかもね。 ただそれだけです。 カオスで斬新で奇を衒ったユニークさだけで観客不在。 そりゃ賛否両論のエブエブですら弱者への優しい視線はあるけど、本作にはそれがない。 どこか絵空事のような上から目線を感じるが、まあ嫌いではない。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-09-06 23:19:23) |
29. VORTEX ヴォルテックス
《ネタバレ》 人生とは、夢の中の夢なのか? それを象徴するかのような老夫婦の最期の数日間とその後。 ギャスパー・ノエらしいセンセーショナルな表現はほぼなく、 オープニングを除いて分割画面で生々しく淡々と綴っていく。 心臓病を抱えた夫が映画評論の仕事に打ち込む間に、他方、認知症の妻は人知れず街に出て徘徊している。 夫が妻の扱いに苦悩している間、妻は混濁した思考でガスの元栓を開き、一方的に夫の原稿を破り捨ててしまう。 息子は老人ホームの移住を提案しても、父親は家を離れたくないと意固地で平行線を辿ったまま。 「このような光景はあなたの家族にもいつか起こることですよ」とノエは容赦なく突きつける。 通常なら一画面で撮れそうなシーンですら分割画面であり、人は常に孤独であることと分断を強調する。 夫がストレスから心臓病の悪化で旅立ち、妻も孤独の中で後を追う。 粛々と葬儀が行われ、二人の生きた証だった、雑然としたアパートの部屋も跡形もなく片づけられる。 生きることはモノが多く積み重なることだが、死んでしまえば関心もなくなりモノは無価値になる。 人は思い出しかあの世に持っていけない。 その無常さの中で如何に人生を全うしていきたいか再確認する。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-31 02:27:12) |
30. ファミリー・ネスト
《ネタバレ》 崩壊していく、家族の巣窟。 共産主義政権下、住居難にあえぐ当時のブダペスト。 狭いアパートで三世代が同居せざるを得ず、プライバシーも金銭的余裕もなく、 傲慢な舅にいびられ、追い詰められている嫁の"リアルな現在"を切り取っている。 夫が除隊となり、国から公営住宅が提供されると思ったら順番が回ってくる様子もなく、 舅とのストレスフルな関係から残業と称して家に帰らないことも増える。 そこから不倫しただろ、アバズレだの一方的に決め付け罵る舅は、 自分は苦労していると理想の父親像を謳いながら浮気しているクズっぷり。 夫もどちらの側に立っているのか曖昧で守ってくれず、 とうとう壊れてしまった嫁は娘を連れて出ていくも帰る場所もなく、 空き部屋を不法占拠せざるを得ない世知辛い現実が待っていた。 お役所体質で部屋はないと言い張っている職員は何のために存在している? ここにあるのは息苦しさしかない社会で、強者が弱者を捌け口として蹂躙していく。 露骨な性暴力が共産主義を牛耳るソ連の暴力性とリンクしている。 当時、弱冠22歳で本作を撮り上げたタル・ベーラによるドキュメンタリータッチの台詞の応酬に、 後の作品群とは似ても似つかぬ作風だが、社会への疑念・怒りというテーマは初期から通底していた。 共産主義政権下のハンガリーでここまで反骨的なものを撮れたなと感嘆させられる。 [インターネット(字幕)] 6点(2024-08-24 02:02:21) |
31. 映画 プリキュアオールスターズNewStage3 永遠のともだち
《ネタバレ》 偶然テレビ放送されていて鑑賞した思い出。 元になったTVシリーズと歴代プリキュアに思い入れがないと評価が決め辛いのは確かだが、 そんなストーリーの整合性なんてどうでも良いくらい、"お祭り映画"として開き直っているのが良い。 本音を言えば、横浜の街の中を敵とチェイスするシーンをもっと見たかった。 ゲストキャラの一般人の少女である坂上あゆみが一時的にキュアエコーになって、 戦いではなく対話で和解するあたりがキモだろう。 「女の子も戦いたい」という歴代のコンセプトのアンチテーゼかもしれないが、近年はバトルしないプリキュアも出てきたし、 パートナー妖精と変身アイテムの力を借りずに、ただ純粋な想いの力だけで変身しているあたり、 「女の子は誰でもプリキュアになれる」という映画のテーマを見事体現している。 (とは言え、去年から男の子もペットもレギュラーのプリキュアに変身できてしまい、時代の流れに苦笑い)。 過保護、引きこもり、といった問題を暗に含みながら、現実を一生懸命に生きることの大切さを 押し付けがましくなく描く、ファミリー映画としては及第点ではないだろうか。 余談1 劇場で中学生までの入場者にプレゼントされるミラクルライトでプリキュアを応援しようというメタ的な演出がある。 メインターゲットの女児が飽きないように考案され、シリーズ恒例になっているらしいが、 何もしなかったらバッドエンドになるんじゃないかと思った。 ある意味、応援上映の先駆け。 余談2 ちなみに20年もやっていると歴代プリキュアの年齢問題が大きく引っ掛かるが、 放送当時の時間軸から召喚されたり、社会人が全盛期の中学生の姿に一旦戻って変身するらしいです。 [地上波(邦画)] 5点(2024-08-17 23:56:09) |
32. クイール
《ネタバレ》 遠い昔見たことがあるが、無味無臭で終わった映画。 実話の映画化でありながら犬が主役の映画としては焦点が合わず中途半端さを感じる。 演技する犬の労力やストレスを考えれば仕方ないが、盲導犬の啓発だけならドキュメンタリーで十分だろう。 ファミリー層を中心に盲導犬とはどういうものかを知って貰う意味で、この言い方は野暮かもしれない。 視覚障碍者の目となり、道標として自由を制限された生き方を決められ、老いて役割を終えていく。 長きに渡って連れ添ったパートナーの飼い主からしたら代わりが利かない存在だが最期までいられない。 かつて無償の愛情を受けたパピーウォーカーの元に戻り、看取られながら生涯を終える、 その一生に切なさと儚さを感じてしまう。 雇われ仕事かもしれないが、同年の『血と骨』を撮った監督とは思えない。 [地上波(邦画)] 5点(2024-08-17 23:24:08)(良:1票) |
33. アウトサイダー(1981)
《ネタバレ》 タル・ベーラの長編2作目であり、唯一のカラー長編。 ゆったりした流れのカメラワークは皆無だが、長回しと踊りと酒場は初期から存在し、 セミドキュメントらしさはある。 一言で言えば、面白くない。 ただ、ソ連支配下の社会主義国だった当時のハンガリーの生きづらさは体感できた。 アーティスト気質でありながら、刹那的で楽観主義で社会不適合者に見える主人公なら尚更。 音楽で食べていけるほど甘い世界ではなく、誰もが生きていくことに必死で普通に働くだけでも余裕がない。 妻子持ちで問題から逃げ回る主人公は中途半端に一芸があったために職も長続きせず、 音楽と踊りに明け暮れ、ディスコでの妻との痴話喧嘩すらヘラヘラしてばかりで、そのツケが徴兵となって現れる。 主人公が退場したあと、主賓をもてなすハンガリー狂詩曲を弾く音楽家との対比が鮮烈だ。 大きな夢を持つ人はいるが、何かを犠牲にしなければいけない覚悟と決断があるか。 それを先延ばしして、10年後20年後には取り返しのつかないことになっている。 映像作家として成功したタル・ベーラによる世界を変える方法は「自分を変えること」。 主人公はそれができず、夢を打ち砕かれることになってしまった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-17 02:43:08) |
34. CURE キュア
《ネタバレ》 CUREとは"解放"。 『羊たちの沈黙』『セブン』の影響は受けているだろうが、遜色のないクオリティ。 二作品と比べるとひたすら静かに長回しで進んでいくのに、どうなっていくのかという吸引力がある。 質問を質問で返す、コミュニケーションが成り立たない間宮との会話から次第に彼に取り込まれていく恐ろしさ。 日常の延長線上に突発的な殺人が起こるワンショットの破壊力。 そして精神を病んだ妻との関係で追い詰められている高部の本心もまた、 間宮に付け込まれていくきっかけを生んでしまった。 ただ、今までの加害者と違い、高部には"伝道師"としての素質があった。 間宮は後継者を探していたのだろう。 オンとオフ、どちらが本当の自分なのか? それどころか自分は誰なのか? 自分が守ってきたものは何だったのか? その自我が崩れたとき、高部は全てを放り投げ出したように"空っぽ"になった。 二度描かれるファミレスのシーン。 一度は残した料理を、二度目はきれいに平らげ清々しい表情になっている。 タバコの火を合図にウェイトレスが惨劇を引き起こすことを予見して映画は終わる。 一見、良い顔をした優しい善人だとしても心の中に常にわだかまりを抱えている。 その親切が誰にも伝わらない、見返りが感じられないものだと分かったら… 人はどこまでも孤独で、利己的で、誰かと関わる社会が存在する以上、そこから逃れられない。 エンドロールのピアノがその世界への諦観のように思えた。 [インターネット(邦画)] 8点(2024-08-17 02:17:54) |
35. 回路
《ネタバレ》 インターネット黎明期だからこそできた映画だろう。 膜に覆われたような不透明感が、ノストラダムスの予言が外れて先の見えない閉塞感が、 大海より広大なインターネット空間とリンクしている。 どこかで誰かと繋がりたい孤独な人たちが次々と開かずの間に吸い寄せられ犠牲になっていく。 だが、霊界は既に死者であふれており、現世で黒い染み=地縛霊として永遠に留まらなければならない絶望が待っている。 そして終盤のポストアポカリプスは、もはやホラーとしてはスケールが大きすぎるが、 ありきたりなホラーからどこまで解体できるか挑戦しているように感じた。 工場からの飛び降り、音で脅かすことに頼らない湿気をまとった不気味な演出は非凡なことは認めるが、 主演男優の棒読みが恐怖を半減させていて、せっかくの題材が勿体ないと感じた。 「行けるところまで行く」。 人として生きていく限り、誰かと繋がりたい。 孤独とコミュニケーションを屈折した角度で撮った視点は『CURE キュア』と一続きなのかもしれない。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-08-17 01:40:13) |
36. ダムネーション/天罰
《ネタバレ》 タル・ベーラのスタイルが確立した記念碑的作品だという。 閉塞感たっぷりのモノクロ映像に、長回しによる横移動の流麗なカメラワークが、 繰り返される滑車の連なり、陰鬱な雨、疲弊した労働者たちの刹那的なダンスと気怠い音楽によって、 観念的で異様な空間に変えていく。 タイトルは直訳すると宗教的な意味合いの「天罰」であり「破滅」を意味する。 台詞にところどころ隠喩が含まれ、生活のために違法な仕事を請け負う夫に、 激しく拒否しながらも惰性的に不倫を続ける人妻、 そして従順すぎる元カノを突き放した過去のある身勝手な主人公と、 抜け出すことのできない負のスパイラルに人は犬畜生と同然なのか。 雨は"洗い流す"という意味合いもあると思ったが、これですら罪を洗い流せないのか。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-13 08:33:12) |
37. オリーブの林をぬけて
《ネタバレ》 フィクションとして撮られた『友だちのうちはどこ?』、 大地震を背景にドキュメンタリーとフィクションが同時進行する『そして人生はつづく』、 そして3部作の最後を飾る本作は前作の映画撮影を描いた、メタフィクションに近い構成になっている。 本作は同じシーンが何度も繰り返されるので次第に興味が薄れてしまった。 『そして人生はつづく』で若い夫婦役だった二人だが、実際は夫役の青年は妻役の娘にフラれており、 そのエピソードを一本の映画にしたとのこと。 青年はウザったいくらい必死に彼女を口説くも、そっけない態度で一切無視、 撮影中、何度テイクしても彼女は映画監督の要求にも応えないのであった。 たとえ嘘だとしても好きでもない男に希望を持たせたくないんだろうね。 だったら、どうして映画に出演したのか?になるけど、本心が全く分かることはない。 あのラストのロングショットだってそうだろう。 ただ、自分は結局フラれたと思う。 地震から数年が経ち、ほとんどが都会に引っ越し、取り残された村々。 家を失い今もテント暮らしの者、労働力優先で教育を受けられず識字率の低いイランの現状が色濃く残る。 それでもこの村で生きていくことを決めた人々がいて、 『友だちのうちはどこ?』で主役だった子役の兄弟が再登場したこと、 そしてジグザグ道が出てきたシーンに3部作全て見たからこその感慨深さがあった。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-13 08:04:24) |
38. 劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re:
《ネタバレ》 テレビアニメ8話分を92分という荒業でまとめた前編とは一転して、 残りの4話分を描いた後編はそこまで駆け足でもなく、日常パートをじっくり描いてから、 クライマックスの学園会の演奏を際立たせる構成を取っている。 結束バンドのメンバーそれぞれの欠点を補いつつ学園祭の演奏を成功させ、 キラキラしたギターヒーローになった大団円で終わるわけでもなく、 いつものライブハウスで演奏してバイトする、ただの日常に戻っていく。 どこか客観的で、どこか醒めている、前編とは違う空気を感じる。 テレビ版のラストを見たとき、ひとりは一つの殻を破ったと解釈できるが、 新規カットであるその先の幼少期のシーンにどこか不安を覚える。 "ぼっち"とさえ呼ばれていなかったあの頃みたいに戻ってしまうのではないかという不安。 成功譚をコミカルに描いた妄想が強ければ強いほどに。 映画としてはなかなか楽しめる作品であるけれど、78分でそこまで思い切った編集があるわけでもなく、 一本の映画として2時間半で一気に描いて欲しかった気持ちはある。 ただ、日常4コマギャグマンガから独立した"青春の翳り"を何倍も増幅させたのはアニメ版ならでは。 [映画館(邦画)] 7点(2024-08-10 00:33:01) |
39. そして人生はつづく
《ネタバレ》 1990年にイラン北西部で起こった大地震。 前作『友だちのうちはどこ?』の舞台になったコケールとポシュテの村も例外ではなく壊滅的な被害を受けた。 主人公役の少年の安否を確かめるべく、キアロスタミ監督とその息子が訪れた実体験を再現したのが本作。 震災から6か月後に撮影されたのもあり、 復興で瓦礫を片付けるシーンや幹線道路の渋滞シーンがセットやCG合成にはない生々しさを映し出し、 劇映画とドキュメンタリーの垣根が曖昧になっていく構成に唸る。 前作にも登場したジグザグ道への郷愁といい、再会した村人との会話が印象に残った。 「地震とは腹をすかせた狼で神の仕業ではない」 「映画は年寄りをもっと年寄りに見せるのが芸術なのかね」 「死んだ人が生き返れば人生を大切に生きるようになるでしょ?」 地震で家族を喪いながらもそれでも家事をこなさないといけないし、いつ死ぬか分からないから結婚を決めたり、 ワールドカップを観るためにテレビのアンテナを立てる。 ドキュメンタリー(現実)ならではの被災者が持つ生命力と、フィクション(虚構)ならではの魔法が詰まっている。 遠方に主人公役の少年を見つけたことを匂わせながら、タンクの男と協力し合って、 ジグザグな急坂をオンボロの自家用車で登っていくロングショットの長回しはまさに「そして人生はつづく」だった。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-07-23 21:45:17) |
40. ニトラム/NITRAM
《ネタバレ》 「僕は、僕以外になりたかった」 先天的な軽度の知的障害を持ち、時折、強度行動障害を引き起こす青年の一挙一動に、 当事者・関係者ならではの胃のキリキリ感を思い出す。 衝動的な行為の数々に発達障害も持っていたと思うが、 早い段階で大規模な医療機関で治療を受けていれば症状を低減できた可能性はあれど、 舞台になった'90年代当時、その概念が今ほど定着しておらず、閉鎖的なコミュニティ故に周囲に理解者もいない。 両親は青年の対応の困難さにどこか諦めもあったかもしれない。 同じ孤独を抱えた元女優のヘレンによる無償の愛情によって、ひと時の安らぎを得られたと思うが、 仮に彼の悪ふざけによる交通事故死がなくても、二人の関係はいつか破綻していただろう。 それだけ彼は社会に害悪をなすシステムクラッシャーでありながら、 自分自身を上手く制御できず、一体どうすれば状況をより良く変えられるのかすら分からない。 青年は11歳ほどの知能しかなかったものの、 本名を逆さに読んだニトラムがシラミの卵(NIT)と掛けて軽蔑されていることを知っているし、 無免許ながら車の運転ができるし、単身でハリウッドに旅行することも、ライフル射撃もできる。 外見では分かりづらい"はざまのコドモ"ならではの疎外感が不意に差し込まれる映像美によって残酷に際立つ。 ボタンの掛け違いによる不運が次々に起き、家族とすれ違い、避けられない最悪の結末へ突き進む無常さ。 事件後、オーストラリアで厳しい銃規制が行われたそうだが、銃がなくてもやらかす可能性はあった。 なるべくしてなった事件のニュースの音声を母親は聞いているのだろうか。 上記の不運が重なることがなくても、彼が救われる要素はどこにもなかっただろう。 “ニトラム”という器から逃れられず、そういう存在に生まれてしまった男の悲劇。 では、どうしたら良かったのか、という重い自問自答が続く。 結局、最後は座敷牢に隔離か、現世からの排除なのか… [インターネット(字幕)] 7点(2024-07-12 21:44:52) |