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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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481.  踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 《ネタバレ》 
絶望感しか覚えなかった「3」、そしてやはり失笑することしか出来なかった先だって放送された「THE LAST TV」を観て、決して“希望”なんて持たずに“事故り”に行ったのだから、怒りなんかしない。 ただただ、面白くなかった。それだけのこと。  と、このシリーズのファンでなければ端的に割り切れられるのだけれど、やっぱりそうもいかない……。 冷静に振り返ろうとすればするほど、あまりのお粗末さに怒りと呆れを禁じ得ない。 シリーズを通じて15年の長きに渡り、同じ俳優が同じキャラクターを演じ続けているのに、「3」も含め、揃いも揃ったキャラクター達に、かつてあった「魅力」を微塵も感じることが出来なかった。  シリーズが長い年月に渡った故の、俳優達の必然的な老いや喪失が、影響していることは仕方が無い。 ただ問題はそういうレベルのことではない。キャラクターに魅力が無いのは、俳優達のせいではない。 間違いなく、監督と脚本家とプロデューサー、この3人のせいだと断じてしまって構わないと思う。 「3」の時にも大いに感じたことだが、このシリーズを生み出したのはこの3人であり、このシリーズを味がなくなるまで噛んで吐き捨てたのもこの3人である。残ったのは、悲劇的に無惨な食べカスだった。  少し踏み込んで言及するならば、“犯人”となる3人のキャラクターが可哀想なくらいに祖末過ぎる。  犯人役を演じたこの3人に限ったことではないが、演じた俳優が可哀想に思える程に見せ場が無く、薄っぺらなキャラクター描写が、この映画における最大の「敗因」であり、それを通したシリーズの“創造者”たちが諸悪の根源であることは間違いない。  ああ、ほんとうにきりがない。 ラストの阿呆みたいな仰天シーンや、室井にギャグ的台詞を連発させる愚かさ等、他にも言いたいことは尽きないけれど、そろそろ終えて、この最後の2作品の存在を忘れて、15年前のテレビシリーズから今一度見直したい。  今作における唯一のハイライトは、過去作のシーンを羅列したオープニングタイトルの高揚感のみだ。   「踊る大捜査線」の大ファンだからこそ敢えてはっきり言う。 きっぱり「駄作」、「希望」はない。
[映画館(邦画)] 0点(2013-10-12 08:31:03)(良:3票)
482.  10人の泥棒たち 《ネタバレ》 
一人のカリスマによって集められた10人の“泥棒”たちが、マカオのカジノを襲撃するという、まさに韓国版「オーシャンズ11」。 基本的なプロットは似通っているが、韓国映画らしくエグいところは結構エグく、必ずしも安直なハッピーエンドは迎えない。  「オーシャンズ11」との最も大きな違いは、“アンディ・ガルシア”的なターゲットは存在するものの、そのターゲットがそのまま「敵」というわけではなく、「敵は内にいる」ということだろう。なので、よくあるタイプのケイパームービーとは、娯楽性の気質が異なり、少々面食らう。  そのあたりが、韓国映画の「流石」と言える部分で、同じようなプロットで日本で製作したとしても、ただただハリウッド映画の表面をなぞっただけの迫力の無い映画に仕上がることだろう。 たとえ内容が似通っていても、そこに独自の価値観や行動原理、つまりは“お国がら”を加味することこそが、映画が世界中で作られることの意味だと思う。 そういうことが出来る出来ないの部分で、韓国映画との差は大きい。  この映画は、詰まるところ泥棒集団の愛憎が絡んだ“内輪もめ”を描くので、前述の通りよくあるタイプのカタルシスは得られない。 主人公タイプのキャラクターが意外な側面を見せ始めるので、時に困惑してしまう。 ヒーロー的なキャラクターは一人もおらず、全員が利己的な欲望と愛を追い求めて失墜へと突き進んでいく。 クライマックスは想定を超えるバイオレンス性を伴ったアクションシーンが展開され、また良い意味で驚かされる。  と、このまま突き進むと日本語タイトルに反して“重い”映画になってしまいそうだが、そこは時に軽妙に描かれるキャラクター造形でバランスを取っている。 特にチョン・ジヒョン演じる女盗賊は、“キャッツ・アイ”ばりのアクション性と美貌でとても魅力的だった。  その語学力で日本人夫妻に化けるのは無理があるだろうとか、中国人チームの若いニーちゃん最終的にどうなった?とか、諸々と突っ込みどころもある。 それに138分という尺は少々長過ぎるようにも思う。色々な要素が盛りに盛られていることは良いが、そうであればもう少しテンポ良く展開してほしかったと思う。  ともあれ「泥棒映画」としてクオリティーは高い。 結局、全員が悪党なわけだが、そりゃ当然。  「俺は泥棒だ 何が悪い」  主人公の台詞が明瞭に表している。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-09-06 14:44:18)(笑:1票)
483.  イップ・マン 葉問
邦題「イップ・マン 葉問」は、同じ人名がただ並んでいるだけで意味不明だが、原題「イップ・マン2」もなんだか安いヒーロー映画みたいに思える。ただし、このタイトルには意味があると思う。  前作に引き続き、反日感情、さらには反英感情の鬱積した思いが、過剰に描写されていることは、映画ファンとしてよりフラットな視点から観たい者として、居心地の悪さに繋がっていることは否めない。 ただし、前作鑑賞時と同様、抑えきれないその“感情”を描けることが出来るのは、当然その国の人間だけであり、これが映画である以上、他国民には理解し難い描写があることは致し方ないとも思えるし、それは映画表現においてある意味大切なことだとも思う。  そして、この優れたカンフー映画に対して、そういうどうにもならない感情と表現に対してあれこれと難癖を付けることは、無粋だと思う。 ドニー・イェンとサモ・ハン・キンポーが真っ向から拳を交えるという、この映画の最大の見所、それを心の底から楽しむということ。それが真っ当な映画ファンが取るべきスタンスだと思う。  前作は、日中戦争の渦中を舞台にし、主人公の武術家としての盛衰をドラマ性豊かに描き出したことに対し、今作は戦後の香港を舞台にして、より分かりやすい娯楽性を伴って仕上げられている。 プロットとしては、諸々のブルース・リー映画、ジャッキー・チェン映画、さらには「ベストキッド」やら「ロッキー4」やら、各国のカンフー映画、スポ根映画をごちゃ混ぜにしたような話になっている。  実在の人物を描いているとはいえ、とても“リアル”とは言い難い。 でも、もはや「イップ・マン(葉問)」という人物は、近代中国武術とそこから生まれたカンフー映画における「伝説」であり、タイトルに示された通り、特に中国人にとっては紛れもない「ヒーロー」であるのだろう。 ならば、真実のみを描くことが必ずしも正しいわけではないと思う。  ラストの小さな“李小龍”登場も含めて、中国国内に向けたこの映画のサービス精神、娯楽映画としての在り方は、圧倒的に正しいと思う。
[インターネット(字幕)] 7点(2013-09-03 17:15:08)(良:1票)
484.  ONE PIECE FILM Z
連載中の長編漫画の映画化において常にマイナス要因となり得るのは、長期連載だからこそ描くことができる各エピソードの膨大なボリュームを、番外編的な扱いとはいえ映画作品の2時間前後の尺で収められるわけがないということだろう。 特に「ONE PIECE」の場合は、敵が強大であればあるほど、そのキャラクターのバックボーンまでしっかり描くことが常なので、限られた尺の中では到底そういう部分を描くことが出来ず、結果極めて希薄なエピソードに仕上がってしまうことは必然的だ。  しかし、今作では、そういった映画化における必然的な「弊害」を最小限に抑え、映画としてのオリジナリティを加味することに成功していると思う。 巧かったのは、敵方のキャラクター設定とそれに伴うストーリー展開だ。  最大の敵「Z」を、海軍の元大将というキャラクターにしたことが、最大の勝因だと思う。 海賊に対しての深い「怨恨」と、海軍が掲げる正義に対する「不満」とが混じり合い、文字通り一気に爆発したというキャラクター設定は、極めてベタではあるけれど、長編漫画におけるスピンオフとして、とてもまとまりが良かった。  この映画は、“麦わらの一味”の活躍を描くという大前提の一方で、「海軍」という公の正義の内外における“矛盾”を描いており、その要素が感動を生んだ最大の要因だと思う。 加えて、“麦わらの一味”が「新世界」に突入したばかりという舞台設定は、“センゴク”や“ガープ”が一線を退き、彼らが次世代のリーダーに推した“青キジが去った海軍の“暴走の兆し”を誘引しており、このストーリーを描く上でのタイミングも非常に巧いと思える。  更に特筆したいのは、アニメーションの迫力とサービス精神。 アクションシーンは、見せるべきカットを見せるべきタイミングでしっかり見せてくれ、この漫画特有の目まぐるしいバトルを充分に表現していた。 そして、ナミ&ロビンの“メルモちゃん”描写、ミニチョッパーの可愛さ、フランキーの過剰なまでのロボ描写、戦闘担当キャラの入浴シーンに至るまで、麦わらの一味各人の“萌え”ポイント羅列の特別サービスが、あざとくも素晴らしいと思った。  いやあ、長々しくなってしまったが、想定外に熱弁を振るいたくなる作品であることは間違いない。  それにしても、青キジ、海軍辞めたからって自由に活躍し過ぎ!イロイロ曝け出し過ぎ!歌い過ぎ! 
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-08-31 14:30:54)
485.  パシフィック・リム
上映前に買った飲み物をカバンに入れたまますっかり忘れてしまっていて、上映後興奮してカラカラに渇いた喉に一気に流し込んだ。 映画は常に没頭して観ているつもりだけれど、それでもこれほど“無我夢中”になった映画はあまりない。 そして、これほど監督をはじめとする製作スタッフに「感謝」を捧げたくなる映画も珍しい。  冒頭、いきなり異次元から“怪獣”が問答無用に襲撃し、人類側の最後の砦である“巨大ロボット”が、文字通りの肉弾戦を繰り広げる。 実際、ひたすらにそれの繰り返しの映画である。ストーリーなんて明らかに後付けで、突っ込みどころ満載。 しかし、その“ほつれ具合”こそ日本人が生み出し、愛した「怪獣映画」「ロボットアニメ」の真髄であろう。  もはや巨大な鋼鉄の“建造物”であるロボットが大勢の技術者によって“起動”し、パイロットによって“駆動”する様の一つ一つに対して、高揚感が治まらず、思わず座席から身を乗り出して終始ニヤニヤしてしまっていた。 怪獣の襲撃シーンで用いられている音楽は明らかに“伊福部昭オマージュ”に溢れており、怪獣の重量感による地響きと共に響く旋律に涙が溢れそうになった。  そして繰り広げられる大攻防戦。「これぞ大スペクタクルだ!」と古風な言い方を敢えてしたくなる。 日本の本多猪四郎、米国のレイ・ハリーハウゼン、映画史に名を残す“怪獣映画の父”たちにこの映画を捧げたギレルモ・デル・トロ監督の意志は紛れもなく崇高で、日本人映画ファンとして感謝の念が尽きない。   普段は絶対に字幕版しか観ない主義だが、「これは米日合作映画だ!」と一方的に現実逃避を決めて、今回は敢えてIMAX3Dの日本語吹替え版で鑑賞した。 製作スタッフの、日本のアニメ文化への崇高な尊敬の念に対して呼応するように揃えた豪華声優陣が功を奏して、素晴らしい吹替え版に仕上がっていると思う。 何よりも、この映画に限っては、怪獣映画、ロボットアニメに純粋に興奮した「あの頃」に完全に立ち返って鑑賞すべきであり、字幕を追うなんて無粋なことを避けることもまた一興だろう。  兎にも角にも超最高!ありがとう!ギレルモ・デル・トロ! 続編、スピンオフ、ロン・パールマン並みのしぶとさで期待しております。
[映画館(吹替)] 10点(2013-08-21 23:47:08)(良:7票)
486.  ワールド・ウォー Z
どこかの悪大佐じゃないが、「人がゴミのようだーーー!」と思わず叫びたくなる“見せ場”は、トレーラーで何度も観ていてもやっぱり衝撃的で、個人的にはその過剰なまでの仰々しさが非常に好ましかった。  「ゾンビ映画」ということを大々的に触れ込むと、客層が限定されると思ったらしく、いやに“家族愛”を強調した国内プロモーションには辟易したが、言うまでもなく、この映画は紛れもない“怒濤”の「ゾンビ映画」である。  ただし、基本設定として描かれるストーリーテリングは、あくまで感染症のパンデミックであり、必然的に全世界的にゾンビが大発生している状態であるので、前述の通り良い意味で仰々しい映画世界は、恐怖性というよりもエンターテイメント性に富んでいて、僕のようなホラーが苦手な者でも程よい恐怖感と共に終始楽しめる「ゾンビ映画」に仕上がっていると思う。  “人体”そのものが虫の大群のように襲いかかる衝撃のビジュアルもさることながら、印象的だったのは、主演のブラッド・ピットの“目尻の皺”だ。 「ああ、もうこんな深い皺があるんだ」と稀代のハリウッドスターの老いを感じる一方で、これまでのブラッド・ピットの主演作のどれよりも、彼の「生身」の姿が投影されている映画のように思えた。  国連の紛争地域担当エージェントという他の映画ではあまり聞き慣れない役柄が、私生活のパートナーであるアンジェリーナ・ジョリーの国連親善大使としての活動から着想を得ているだろうことは言うまでもなく、途中両親を亡くした少年を家族の一人として受け入れる様なども、難民の子供たちを養子としている私生活の投影そのものだろう。  そういう意味で、プロデューサーでもあるブラッド・ピットが、俳優業を礎にして積み上げてきた己の人格そのものを反映したとてもパーソナルな映画であるとも言えると思う。 それがただの自己満足に終始するでなく、きちんとした娯楽性を備えた作品に昇華されていることが、ハリウッドのトップをひた走る映画人として“エラい”ところだと思う。  どうやら例によって続編の企画もあるらしい。 今作では、都合の良い解決策で安直なハッピーエンドを描いているわけではないので、ここからどう展開していくのか非常に興味深い。  まあいずれにしてもはっきり言えることは、「全力疾走」が出来るゾンビほどコワいものはないとうことだろう。 
[映画館(字幕)] 8点(2013-08-11 00:13:59)
487.  紙ひこうき
ディズニー映画「シュガー・ラッシュ」の同時上映短編アニメーション。 たった7分という時間の中で、無限のドラマ性と、エモーションを生むのは、アニメーションならではの「チカラ」だと思う。  「街中で紙ゴミを撒き散らかし過ぎだろ!」とか、「そんな嫌々仕事したらそりゃ上司から嫌な顔もされるよ!」とか、もちろんそんな無粋なことを言うべきではなく、ファンタジックな小さなロマンスを堪能すべき。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2013-07-31 15:20:08)
488.  シュガー・ラッシュ
ゲームセンターに通ったという経験はなく、そもそもテレビゲームを子どもに与えることにそれほど積極的ではない家庭だったので、テレビゲームに対しての傾倒はそれほど深くはない。 とはいっても、ファミコンからプレーステーションまで基本的なゲーム機は浅く経てきているので、ゲーム世界の裏側を描いた世界は充分に楽しめた。  世界観の構図は、すばり「トイ・ストーリー」+「アベンジャーズ」のテレビゲームキャラクター版。 メタ的要素がこれでもかと散りばめられており、少しでもゲームで遊んだことがある者ならば、楽しくないわけがない映画世界が構築されている。80年代から90年代のゲームをやり込んでいるゲーマーなら、その娯楽性は倍増することだろう。  ただのゲームキャラクター大集合映画で終わっているわけではなく、そこは流石のディズニーブランド、ストーリーは極めて大衆的でありながら、誰もが感動できるドラマ性を内包している。  社会における個人の存在と役割、その中で生じる差別やヒエラルキー。 世界中の人々がそれぞれに苦悩している普遍的な社会の病理性が、時に辛辣に描かれている。 最終的なハッピーエンドは結果オーライ的な印象も受けるけれど、この作品があくまでも“子ども向け映画”であることのスタンスを貫いている以上、この展開は極めて真っ当だったと思う。  登場するキャラクターの中では、主人公(悪役キャラ)のホームであるゲーム世界のヒーローキャラクターの存在が光っていた。 この手の展開だと、実際のゲーム世界の設定と一転して性格の悪いキャラクターとして描かれがちだけれど、正真正銘の“良いヤツ”として描かれており、主人公並みの活躍をみせ、ロマンスまで成就させてしまう様が愉快だった。   最後に一つだけ苦言。ザンギエフは悪役じゃないよね? ただの勘違いだとは思うが、米国映画が「ソ連」の国旗を背負う彼を悪役に位置づけちゃうと、色々と時代錯誤的な面倒臭さが頭を出してしまう……。
[ブルーレイ(吹替)] 7点(2013-07-25 15:08:04)(良:1票)
489.  クラウド アトラス
無数のクローン少女たちが、何も知らぬまま「死」への歩みを進める。 その不穏さに溢れたシーンが、手塚治虫の「火の鳥」における人間の精神を受け継いだ万能ロボット“ロビタ”の“死の行進”と重なった人は多かろう。  この奇妙で荘厳な映画を観終えてやはり何よりも先ず思ったことは、「火の鳥にそっくりだ」ということだ。 そして、手塚治虫のライフワークであった「火の鳥」の“崇拝者”である僕にとって、この映画に対してのその感想は、最大級の「賛辞」であることは言うまでもない。  時空を超えた6つのストーリーにおける複数の“同一の魂”を描いた映画世界は、非常に複雑で、混沌としているように見える。 しかし、まさに散らばったパズルのピースが組み合わされていくように、次第に複数の支流が絡み合い、結びつき、大きな一つの流れに集約される。 そうして紡ぎ紡がれた一つの結末に辿り着いた時、すべての疑問や謎は、そんなもの最初から無かったかのように綺麗に解消され、主人公が見上げる星空の如く美しく澄み渡る。  誰もが「映像化不可能」と考えた原作は未読だが、前述の通り、手塚治虫の「火の鳥」の映画化と考えれば、それを成立させた「構成力」だけを取っても映画としての価値は揺るがないと思う。 しかも、複数の独立したエピソードを章分けするでなく、すべてを同時進行で描き連ね、最終的に一つの物語に“繋げた”ことは、もはや奇跡的ですらある。 ウォシャウスキー姉弟とトム・ティクヴァ、この3人の監督が導き出した映画世界は、原作の持つテーマと世界観を完璧に再現し、更にそこに誰も見たことが無い映画のマジックを加味してみせたと思う。  勿論、時代も人種も性別までも超越した複数の人物像を演じた俳優たちも素晴らしい。 彼らがそれぞれのキャラクターすべてにおいて見事に息づいているからこそ、6つの物語は本質的な部分で結びつき、一人のキャラクターではなく、一つの魂を持ったキャラクターに感情移入出来たのだと思う。  兎にも角にも、この映画の凄さは、いくら言葉を並べても表現出来るものではない。 ハリウッドの大作映画としては珍しい程にとても実験的な作品であることは間違いなく、評価は大きく二分されることも頷ける。 ただし、結局のところそれは実際に観てみないと分からないだろうし、結果がどうであれ「観た」ということの価値が大きい映画であることは間違いない。
[ブルーレイ(字幕)] 10点(2013-07-15 23:13:10)(良:3票)
490.  遊星からの物体X ファーストコンタクト
ジョン・カーペンターの傑作「遊星からの物体X」の“前日譚”というコンセプトではあったけれど、実際のところはほとんど“リメイク”だったように思う。 それくらい、ストーリー展開が酷似していて、あまりに目新しさが無かったことは否めない。  前日譚と言うからには、1982年の公開時に世界に恐怖とトラウマを与えた“物体X”の「正体」に少なからず踏み込んでいってほしかった。 前作と同じ舞台の極地で、“宿主”の宇宙人を掘り出した地球人チームが、前作同様に紛れ込んだ“物体X”との死闘を繰り広げるだけでは、工夫がなさ過ぎる。  「何おんなじこと繰り返してんねん」と、前作主演のカート・ラッセルに、お門違いなツッコミを入れたくなってしまう。  ジョン・カーペンター監督が生み出した世界観を出来るだけ壊さないようにした製作意識は好感が持てる。 しかし、残念ながら続編としてもリメイクとしても、作品としてのオリジナリティーを付加するには至っていない。  この映画の見所である“人体変形”描写に“思い切りの良さ”はあったが、決してクオリティーが高いとは言えず、新しい観客を惹き付けるだけの“センス”も無かった。
[ブルーレイ(字幕)] 3点(2013-06-30 19:12:29)
491.  ヴァンパイア(2011) 《ネタバレ》 
「これはあなたの夢?」  “ヴァンパイア”の、おそらくは最初の“献身者”となった女の最期の一言。  この映画の主人公である“ヴァンパイア”の「彼」にとって、“血液を啜る”という行為の意味は、果たして何だったのだろうか。 心の隙間を埋めるための一種の趣向だったのか、行き場を失った孤独を癒す“温もり”を感じるための唯一の手段だったのか。  結果として、繊細で優しい殺人鬼と化した主人公の得た結末は、幸福だったのか、不幸だったのか。  ラスト、己の業が明るみに曝された主人公は、思わず逃避に駆られる。 どこまでも逃げようとするけれど、その足は次第に宙空に浮き、無情にから回る。  それはおそらく、彼の深淵なる“夢”の終わりの時だったのだと思う。  孤独の淵に立たされた主人公が、妄信的に辿り着いた“ヴァンパイア”という生き方。 物語の吸血鬼のように、己の存在が「永遠」でないことは、他の誰よりも本人がよく知っていたことだろう。  「血は命そのものだ」と、“ヴァンパイア”は語る。 「血」を追い求めた彼の姿は、「生」を渇望する弱々しくも必死な、人間という生物そのものの本質的な在り方に見えた。   「花とアリス」以来8年ぶりとなる岩井俊二監督の長編映画。勿論、映画館で鑑賞したかったけれど、地方都市住まいの悲しさにより叶わず……。 とうにレンタル開始はされていたけれど、万全のタイミングを探るべく、日々が過ぎ去った。結局、劇場公開から10ヶ月近く経過した今ようやく鑑賞。   淡々と、空気を呑み込むような、あまりに美しい映像世界。 独創的な世界観は、人によっては独善的で独りよがりに映るのかもしれない。  でも、僕にとってそれは、十代後半で初めて触れ、心の底から愛した映画世界そのものだった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2013-06-30 11:30:04)
492.  オブリビオン(2013)
きっと多くの人から“叩かれる”タイプの映画なのだろうとは思う。 ストーリーに新しさがあるというわけではないし、粗も大いにある。 ピークを過ぎたスター俳優が、自ら築き上げてきた“ヒーロー像”にしがみついているように見えなくもない。  “ただし”、僕はこの映画を大絶賛したい。誰が何と言おうとも。  エイリアンの侵略により崩壊した地球。侵略に対して何とか勝利はおさめたが、他の星への移住に向けて、残された資源の“監視”をする任務に就いている二人きりの男女。 絶望的な未来世界を描いたいわゆる“ディストピア映画”は、長いSF映画史において数多生み出されているので、この映画の設定自体もやはりどこかありふれている。 それでも、何とか観客を驚かしてやろうという気概は確実にあり、工夫は凝らされていると思う。  結果として、ストーリーの「真相」において驚きがあったかどうかは、必ずしも重要ではない。 多少ベタなストーリーであっても、その展開において真っ当なプロセスを踏み、相応の娯楽性をきちんと生み出してくれたならば、当然感情は高揚するし、存分に映画世界を楽しむことが出来る。 この作品の勝因はまさにその部分で、見せるべき娯楽性を、見せるべきタイミングとビジュアルでしっかりと見せてくれたからこそ、ベタ的なラストの顛末で高揚出来たのだと思う。  そして、今作におけるそういった“真っ当な映画づくり”を牽引しているのは、やっぱりトム・クルーズに他ならない。 ピークを過ぎようが何だろうが、このスター俳優の「存在感」があるからこそ、この映画のエンターテイメント性は成立している。 どんな“裏技”を使っているのかは知らないけれども、まあとても50歳には見えないし、スタントなしのシーンでの動きや肉体を見る限り、相当の鍛錬をしていることも明らかだ。 映画製作に対してのその真摯な姿勢こそが、彼が“トム・クルーズ”であり続けられる「理由」だと思う。  「否定」は多かろうが、この映画の方向性と存在意義はまったく間違っていない。 「oblivion」の意味は「忘却」。ストーリー的な未熟さをカバーし、「絶望」の中に取り残された人々の叙事詩として導いてみせた“SFセンス”が素晴らしい。 声高らかに、新たなディストピア映画の傑作だと断言したい。
[映画館(字幕)] 8点(2013-06-27 22:41:05)(良:2票)
493.  スノーホワイト(2012)
このところのシャーリーズ・セロンは、“役選び”がとてもうまい。作品自体の善し悪しは別にして。 「ヤング・アダルト」しかり、「プロメテウス」しかり、そしてこの「スノーホワイト」しかり。  アカデミー賞を受賞した「モンスター」以降、与えられた役においてとことんまで“汚れられる”ということが、この美しい女優の最大の強みだろう。 類稀な美貌と表裏一体の「劣化」を伴うキャラクターを演じることにおいて、今彼女以上の適性を持ったスター女優はいまい。  そんなわけで、今作におけるシャーリーズ・セロンの“魔女役”はまさにハマり役だった。 何やら暗い過去を抱えつつ、他人の若さと美を吸い尽くし、残虐非道な悪役を貫き通す様は、彼女のクールな美貌に相応しい。 そして、正義に敗れ文字通り仮面が崩壊する様の恐ろしさも、彼女だからこそ成立した表現だったと思う。  と、悪役でありながら今作において殆ど主役扱いのアカデミー賞女優のパフォーマンスは賞賛に値するけれど、正直この映画の見所はただそれだけと言っていい。  映画全編通して映像に一定のクオリティーは備わっているものの、すべてのシーンが他作の使い回しのように見え、オリジナリティーがことごとく無かった。 もし、「ロード・オブ・ザ・リング」や「もののけ姫」などの作品がこの世に無いのならば、手放しで感嘆できるのだろうけれど、もちろんそうでない以上生じるのはチープな二番煎じ感のみだ。 それなりにレベルの高いスタッフは揃っているのだろうが、そこに「作家性」が皆無だったことが致命的だったのだと思う。  この映画の本来の主人公スノーホワイト即ち白雪姫は、彼女を守るべく倒れていった数々の“屍”の上に立ち、“統べるもの”へと成長していく……という風に描こうとはしている。 世界一有名な御伽話をベースにして仕立て上げられたダークファンタジーのその方向性自体は良かったと思う。 が、それも充分な尺のわりには酷く中途半端で、主人公の成長自体を描ことが出来ていないので、作品としての深みを生むには至っていない。  そして個人的に何よりもこの映画のマイナス要因となったのは、予告編で映し出されてたいくつかの印象的なカットが本編には無かったこと。 映画のプロモーションにおいてはしばしば見受けられることではあるが、どういう事情があるにしても観客に対してはあまりにアンフェアだ。
[ブルーレイ(字幕)] 4点(2013-06-27 22:35:38)
494.  SR3 サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者
シリーズ通してひたすらに貫かれた“ワンシーンワンカット”という手法(意気込み)。登場人物たちの生々しい姿を切り取ったその手法と効果は、3作目にして極まったと思う。 主人公がイベント会場にこっそりと立ち入る場面から始まる十数分に渡るクライマックス。気が遠くなる程に延々と緻密に組まれたロングテイクが物凄かった。  まずこれまでのシリーズ作品とは明らかに一線を画す程にハードな映画世界に面食らった。 想像を遥かに超えたバイオレンス描写から物語は進み、主人公をどんどんと奈落の底へ叩き落とす。 「もうどうしようもないじゃないか……」と愛着のあるキャラクターの転落劇に、思わず気が滅入ってしまった。  入江悠監督の方向性はシリーズ通して終始一貫している。 日本語ラッパーの現実とそれに伴うであろう悲喜劇を真摯に捉え、主人公たちに決して安直な帰着は許さない。1作目、2作目同様、映画が終わっても主人公が抱える問題は一切解決してない。 ただ、それでもその先を生きていかなければならない。彼らに与えられるのは、その一筋の光とも言えない現実的な一つの「道筋」だけだ。  でもその厳しさこそが、このシリーズがラップという音楽に対する造詣に関わらず多くの人に勇気を与え、愛される理由だと思う。  と、映画としての価値の高さを認める一方で、個人的には一抹の不満も残る作品でもあった。 意欲的に描かれたハードな世界観は、実際の現場の人たちからするとある程度「リアル」な描写らしいが、知らない者にとってはどうにも「非現実感」を拭うことが出来なかった。 ハード描写そのものに現実感が無かったというよりも、その世界とこの映画シリーズのレギュラーキャラクターたちが絡むということに現実感を見出せなかったように思う。 主人公にのしかかる悲惨な現実の一つ一つが、何だか取って付けたように見えてしまったことは否めない。  クライマックスのロングテイクは素晴らしかったが、それだけにその後のシリーズにとってのある種お約束とも言える“場違いな”熱いラップシーンが、少々蛇足に感じてしまった。  ただし、そういった「難色」は、シリーズ全作品を認めた上で「2」が大好きという個人的な趣向によるものであろう。 したがって、このシリーズ完結編がエネルギーに溢れた凄い映画であるということに異論は勿論無い。
[DVD(邦画)] 6点(2013-06-27 22:34:00)(良:1票)
495.  エージェント・マロリー
“素材”の魅力に惚れ込んだスティーヴン・ソダーバーグが、ハリウッドにおける自らの人脈を最大限に駆使してスタンドプレーで撮った、格闘家出身の主演女優ジーナ・カラーノのための“プロモーション・ムービー”のように見えた。  どんな形であれ、この手の女スパイアクションもサラリと撮ってしまうあたりには、ソダーバーグ監督の相変わらずのマルチぶりを感じずにはいられない。  そして、確かに主人公に抜擢された(というか彼女ありきの作品なのだろうが)、格闘家ジーナ・カラーノはアクションヒロインとして充分過ぎるほどに魅力的だったと思う。 類い稀な美貌と、プロ仕様の“実用的”なローキックだけも、女優として勝負できることは間違いないし、想像以上に演技力も備わっていたように見えた。  ストーリー的には、凄腕スパイである主人公が所属する組織の陰謀により命を狙われ戦いを挑むという、あまりにありきたりなものなのだが、御大マイケル・ダグラスをはじめとして、新旧のスター俳優が顔を揃えたキャスティングが成功したのは、監督の人脈ばかりではなく、彼らが主演女優の魅力に文字通り“ノックアウト”されたからに違いない。  というわけで、ストーリー展開だけを捉えれば何の捻りもなく、シーンによっては肝心のアクションにもキレが足りない部分もあり、凡庸極まりないアクション映画なのだけれど、“素材”の発見という唯一のトピックスのみで娯楽映画として成立させていることは、ある意味潔い。  生身で本格的なアクションをこなせる女優として、各種エンターテイメント映画における需要は確実にあると思うので、ジーナ・カラーノの今後の活躍には期待したいところ。
[ブルーレイ(字幕)] 5点(2013-06-27 17:27:43)
496.  夢売るふたり
どこにでもいる普通の夫婦。そんな彼らの両の瞳の黒が、展開と共にじわじわと深まっていく。 映画は、序盤コメディタッチで描かれるが、ふいに垣間見えるその瞳の深い黒色が、安易な笑いを拒絶するようだった。 誰が見てもおしどり夫婦だった二人が、突然訪れた一つの“不幸”により、そのままの関係性を維持出来なくなってしまう。 それは決して劇的なことではなくて、世の中のどの夫婦にも内包されている普遍的な危険性の表れのように思えた。  自分自身、結婚をして3年半になるが、つくづく「夫婦」という関係性が一つの形に定まり続けるということはないと感じる。 結婚は決して“ゴールイン”などではなく、あらゆる試練の“スタート”だ。 その試練が幸福なものになるか、不幸なものになるか。そこには、本人たちの多大な努力と、それに匹敵するくらい大きな「運」が必要なのだと思う。  映画の中でこの夫婦が営む料理屋は、結果的にどの店も客入りが良い。 それは、この夫婦が本当に相性が良くて、その関係性に相応しい男女だったということの表れに他ならない。 でも、ほんの少しの行き違いによって、彼らは互いの相性の良さを信じ切れなかった。 それは本当に些細なタイミングのずれに過ぎなかった筈なのに、その小さなずれが大きな悲劇を生んでしまった。  ただし、だ。先に述べたように夫婦という関係性が続く以上は、その形に終わりは無い。 映画のラストで示される二人の表情には、悲劇のその先で、それでも離れ切れない夫婦の悲哀が滲み出ていて、そこには一抹の救いがあったように思う。   ストーリー展開においては強引な部分があることは否めない。しかし、それを補って余りある役者の演技力が随所に光っている。 主演の松たか子と阿部サダヲは、「普通」の夫婦の中にこそある「危うさ」を見事過ぎる程に体現していたと思う。特に、松たか子の体と心を張った演技は、彼女が女優としてまた一つ高みに上がったことを確信させた。 また豪華なキャスト陣の中にあって、風俗嬢を演じた安藤玉恵、女子ウエイトリフティング選手を演じた江原由夏、この決して有名ではない二人の女優の“実在感”が素晴らしかった。  そして、役者の印象的な演技を引き出した上で、西川美和監督は細やかな演出で纏め上げている。 長編映画4作目にして、日本映画界におけるこの女性監督の存在感は不動のものとなったと言える。
[ブルーレイ(邦画)] 8点(2013-06-26 00:15:51)
497.  アイアン・スカイ 《ネタバレ》 
ジャケットの中央に立ついかにもな“ナチ女”のキャラクターが、実際は意外に純真なヒロインだったことは、残念でもあり、キュートでもあった。  月の裏側からナチスの残党が挙党を組んで地球に攻めてくる!という何とも馬鹿馬鹿しいSF映画。 そのイントロダクションの馬鹿馬鹿しさの逆を突いて、展開自体は意外に大真面目なものが繰り広げられるのかと想定していたのだが、それもハズれ、想定以上に序盤から馬鹿ネタ満載の世界観にちょっと引いてしまったことは否めない。  しかし、最終的にはその馬鹿展開を押し通しつつも、強烈な社会風刺もとい“地球風刺”を絡ませ、なかなか独特な映画世界を構築してみせていると思う。  要は、この世界において恐ろしいものは「無知」であり、さらに恐ろしいものは「馬鹿」であるということ。 そして、無知で馬鹿なのは、時代錯誤に攻め入ってきた“地球外ナチス”ではなく、現在の地球人そのものであるという皮肉。  映画のラスト、月の裏側に取り残された主人公たちは、何も知らない人々に対しての教育に途方に暮れつつも、一抹の希望を感じている。 その一方で、「馬鹿」の極みに至ってしまった地球人たちは、地球外からの侵攻等関係なく勝手に滅んでいく。  馬鹿は死ななきゃ治らない……いや、この場合「馬鹿は滅ばなきゃ治らない」ということか。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2013-06-26 00:12:42)(良:1票)
498.  鍵泥棒のメソッド
「メッソド(method)」の意味は、方法・やり方、順序・筋道、規則正しさ・几帳面。 そして、役に没頭しその人格になりきる演技プランのことをメソッド演技という。  それらすべての意味合いを織り交ぜたストーリーテリングが、やはり面白かったと思う。 「運命じゃない人」「アフタースクール」と、傑出した娯楽作品を立て続けに生み出してきている内田けんじ監督ならではの世界観で、そのエンターテイメント性は安定している。 また、“そういうお話”を描くにあたり、堺雅人化×香川照之という今や日本の映画界を席巻するこの二人のキャスティングは、あまりにも間違いがなく、そりゃあ面白く仕上がらないわけがないという感じだった。  特に昨今の香川照之の相変わらずの好調ぶりは、凄まじいとすら思える。 記憶を無くした完璧主義の殺し屋が、突如自称役者の駄目男の人生に放り込まれ、持ち前の几帳面さで役者道を邁進しつつ、ラブコメに突入する様を映画の世界観にフィットした存在感で見事に演じてみせている。 今はや彼のスケジュールに沿って国内作品の製作スケジュールは確定しているという噂も、納得せざるを得ない。  堺雅人演じる主人公の言動が多少コント的過ぎる部分もあったが、一方で広末涼子演じるヒロインには新たな魅力が引き出せており、トータル的に見て、正しい娯楽だったことは間違いない。 今の日本にはそういう真っ当な娯楽を描き出せる人は想像以上に少ないと思う。 オーバーアクトが基本路線の映画に仕上がっているので、この主要キャストでそのまま舞台作品に置き換えても、素晴らしい作品となるだろうとも思えた。  ただし一方で、もう少し毒っ気があっても良かったかなとも思う。 コメディなので、この顛末自体はまったく問題はないのだけれど、ライトさが全面に出ているので、クライマックスの顛末における緊迫感は欠けていたように思える。 クライマックスのやり取りは、実際のところ生死を左右するものの筈なので、もう少し緩急を付けて締めるところは締めてくれると、より作品のライトさが良い意味で際立ったと思う。  ともかく、この監督は次回作も充分に期待出来る。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-06-16 22:59:43)
499.  グランド・マスター 《ネタバレ》 
久しぶりにウォン・カーウァイの映画を観て、自分がこの人の映画に惚れていたことを思い出す。 6年前に前作「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を観たときも、同じような思いをしたような気がする。 近年決して多作ではない映画監督なので、映画を観始めてしばらくして、描き出される映画世界の特異な空気感に「おや?」となり、「ああそうか、これがウォン・カーウァイだ」と記憶が呼び起こされる。  誰もが楽しめ、受け入れられる類いの作風ではないことは明らか。 時に酷く散文的で、ビジュアル的な美しさが強調される世界観を嫌う人は多いと思う。 この映画にしても、ストーリー的にはあまりにまとまりがなく、「結局何の話なんだ?」と主題がぼやけて見えることは否めない。 詰まるところ、激動の時代における、伝説の武術家イップ・マン(葉問)をはじめとするカンフーマスターたちのそれぞれの人生模様を描いた作品なわけだが、「伝記映画」と謳っている故か、超人的なカンフーマスターたちがドラマティックに絡んでいくように見えて、実は直接的な絡みは殆どない。 アンフェアな予告編に騙されて、“カンフー映画”としてのエンターテイメント性を期待してしまうと、きっと肩透かしを食らう。  ただし、十数年前に「恋する惑星」を観て以来、この映画監督の作品に惚れてしまっている者としては、映画全体からほとばしるその「美意識」だけで、諸々の否定的要素は霧散してしまう。  ハット姿のトニー・レオンが土砂降りを切り裂くように敵を蹴散らす。薄い化粧(けわい)が秀麗なチャン・ツィイーが降雪の中で強く美しく舞う。  ビジュアル的な「美意識」だけが先行してしまっている映画という評は間違ってはいまい。しかし、その「美意識」だけで充分だとも言える。 ウォン・カーウァイがカンフー映画を撮るというのはこういうことなのだ。と、理解してもらうしかない。  兎にも角にも、映画自体の完成度はともかく、大好きな監督の最新作を久しぶりに観られたことの満足度は高い。 ああ、「恋する惑星」が無性に観たくなった。
[映画館(字幕)] 7点(2013-06-16 01:05:48)(良:2票)
500.  ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 《ネタバレ》 
美しい動物たちを背景にして、オープニングクレジットのフォントが軽やかに、踊る。 その秀麗で愛らしいオープニングを目の当たりにした時点で、「ああ、これは良い映画だな」と確信めいたものを感じるとともに、この映画は長い年月に渡って多くの世代に愛されるべき映画となるだろうとまで思えた。  やはりまず特筆しなければならないのは、圧倒的に美しい映像世界。 今回初めて「IMAX 3D」で映画を観たが、この環境で初めて鑑賞した映画が今作で本当に幸福だったと思う。  映画として素晴らしいのは、その“美し過ぎる”映像世界そのものに、ある明確な意図が存在するということ。 嘘みたいにリアルに息づくトラの造形、嘘みたいに美しく壮大な自然の姿、そして嘘みたいに奇跡的な冒険譚……。そのすべてに、この物語が語るべき本当の意味が含まれているのだと思う。  鏡面化する水面では空と海との境界が無くなり、映画世界に放り込まれた自分自身が一体何処にいるのか分からなくなる。 海面に映る自分を見つめる主人公は、次第に実像と虚像の境界を見失い、溶け込み、あらゆる生命と入り交じり、共に漂流するトラと一体化する。  旅の中で突如嵐に遭い、家族を失い、一頭のトラと共に果てしない漂流生活に突入した主人公。 その壮絶なサバイバルというエンターテイメントの果てに描かれていたことは、「信仰」というものの本質だった。 それは、宗教的な概念に留まるものではなく、数多の神々の存在を等しく信仰して成長した少年が、己の生命をかけて辿り着いた真理だったのだと思う。  「生きることは、失うこと」と、自分の人生を顧みた主人公は言う。 そこには特別な悲観も楽観もなく、達観した彼の瞳には何の迷いも戸惑いもないように見えた。 この映画は、「何を信じればいいのか?」という人間が持つ根本的な“惑い”に対して、「あなたが信じたいものは何なのか?」ということを真っ向から問いかけてくる。  きっとそれに対する答えは人それぞれで、きっと何度観てもべつの答えが導き出されるだろう。 重要なのは、何が正しいのかということではなく、“何を信じるのか”ということなのだろうと思う。  冒頭にも記した通り、この映画は老若男女問わず様々な年代の人間が様々な価値観において楽しめる作品だと思う。 我が娘はまだ1歳半だが、彼女にもいつか観てほしいと思った。
[映画館(字幕)] 10点(2013-06-15 16:58:09)(良:4票)
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