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目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2251
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 52歳
自己紹介 あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

2024.1.1


※映画とは関係ない個人メモ
2024年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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561.  見えざる手のある風景 《ネタバレ》 
ネタバレあります。ご注意ください。  エイリアンによる地球侵略を描くSF映画ですが、戦前戦中ではなく戦後の「経済侵略」や「文化浸食」を描くのは珍しいかもしれません。形態は人間の植民地支配と何ら変わりません。エイリアンは見た目こそ違えど内面は人間と同じということでしょう。奴らは「特異な価値観」を有し「コミュニケーション」が可能でした。言葉が理解できる分かえってタチが悪い。言葉が通じない相手なら気持ちを分かってくれなんて思わないのに。 人類が「主権奪回」のために戦った形跡はあるものの長くは続かなかった模様です。それはテクノロジー(戦力)の違いというより植民地支配が成功している証。手法は「アメとムチ」「生かさず殺さず」「同化させる」。その第一歩が「教育」にありました。かつての脳神経外科の権威はエイリアン専用運転手に成り下がり、同居人家族は誇りを捨てました。静かに、ゆっくり、確実に、人類はアイデンティティを奪われてゆく。見た目以上に恐ろしい物語でありました。人類に希望が残されているとすれば、主人公が見せた芸術家としての矜持でしょうか。彼が取った「愚かな選択」の中にこの支配を脱するヒントが隠されていそうです。人類が目覚めるのが先か、はたまた飼い慣らされ家畜に落ちるのが先か。かなり分が悪そうな戦いではありますが。 ところでエイリアンの造形はまるで寄生獣(原作:岩明均)でしたが何かしら影響を受けているのでしょうか?また奴らが人間の言葉を話す仕草が何とも面白い。手の動きはハエがモチーフですか?SFパッケージとしてユニークな装丁であり、独特なテンポを持つブラックコメディとして一見の価値がある映画だと思います。エンタメ的に凄く面白いかというとそんなことはありませんけども(失礼)。最後にタイトルについて。一般的に「見えざる手」とはアダム・スミスの『国富論』に由来する経済用語であり「市場における自由競争が最適な資源配分をもたらす」の意味だそう。あるいは「神の見えざる手」とも。難しい事は分かりませんが「自由な市場競争バンザイ」と捉えて良さそうです。でタイトル『見えざる手のある風景』に戻りますが、これは本編ラストカットをこれまで主人公が描いてきた絵画(奴らが言うところの人間芸術)に見立て、名づけられた表題でありました。要するに皮肉です。この荒廃した世界のどこに自由競争の恩恵があるんだよ。あんな気持ちの悪いお尻フェイスな生き物が「神様」では貧富の差は開くばかりじゃないか。一応体裁はSFですが、本質的には現代のリアルな巨大資本経済の弊害を憂いた風刺映画でありました。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-12-26 18:21:58)
562.  アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち 《ネタバレ》 
本作はミステリーです。ネタバレありますのでご注意ください。  時は19世紀末。世紀の変わり目であり時代の転換期。精神医学においては黎明期でしょうか。舞台はイギリスのとある精神科病院。医学実習生=エドワード・ニューゲート氏を通じて当時の「治療技術」や「患者の置かれていた立場」といった「精神医療の現在地」が描かれます。其処には相対する視点がありました。医師と患者。あるいは常識とされる治療法と先進的なアプローチ。立場が変われば見方が変わり、価値観が変われば正義も変わる。観客は精神科講師の言葉「聞いたことは信じるな。見たことは半分だけ信じろ」を頼りに事象の真偽、そして善悪を見定めることになります。観返してみると最序盤から実に巧みなミスリードが施されており感心します。人は他者を記号化して認識するのですね。ミステリーとして上質で、最後の最後に明かされる「真相」は、はたと膝を打つ切れ味でした。果たして主人公は「何者」と評価されるのが妥当なのでしょう。狂人か詐欺師か、はたまた医者か。どの「半分」を信じるかで真実は形を変えるでしょう。エンディングは「酷い話だ」かもしれませんし「いやいやハッピーエンドだろ」かもしれません。どちらの受け取り方も間違いではありません。多角的な観方が可能な「奥行がある」物語で私の趣向に沿うものでした。ただし一か所だけ異を唱えたい点が。それは看護師役の少女の死について。彼女は何故殺されたのでしょう。本作を極めて単純化するなら「ラブストーリー」です。一目惚れしたあの人を探し出し添い遂げるまで。でもやっている事は狂気の沙汰ですし、倫理的にも完全にアウト。その不都合な事実をカモフラージュしロマンスの体裁を整えるために少女の死が利用されたのではないか。2人の未来を阻む障害を除去し、悪党(敵)を明確化してサスペンスを成立させる一石二鳥の仕掛け。彼女はドラマの都合で殺されたと感じます。このあたりがご指摘のレビュワー様もおられるように「安っぽい」と感じられる所以かと。結局のところ「不倫逃避行」という事実は変わりません。ならいっそ少女も連れて行けばよかったのにと思うのです。エピローグは庭園で踊る2人を見つめる少女の笑顔。一体この先どうなるのか見当もつきません。でも2人にそこまでして茨の道を進む覚悟があるなら、納得できた気がします。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-22 20:58:54)
563.  愛ちゃん物語 《ネタバレ》 
成長に必要なこと。良質な栄養を適切なタイミングで摂取すること。多過ぎても少な過ぎてもいけませんし、タイミングを逸してもいけません。また有害物・阻害物を取り除くことも重要です。農作物の場合は主に「水」「肥料」「農薬」を用いて品質管理をしますが、人間の場合も変わりません。ほったらかしでは育たない。しかも「心」と「からだ」両方の面倒を見なくてはいけません。考えれば考えるほど子育ては「無理ゲー」だなと思うわけです。ですから愛ちゃんを「箱入り娘」にした父親の気持ちは理解できます。とりあえず悪い虫が付かなければ安心ですから。でもこれで万全でないのは言わずもがな。もし愛ちゃんが父の課したルールを従順に守り高校生活を終えていたらと考えると・・・。女子高生の成長に必要なのは「おしゃれ」「お化粧」「門限破り」「友達とカラオケに行くこと」で合っています。たぶん。とりわけ心の栄養は「経験を積むこと」「様々な価値観に触れること」で供給されます。もちろん「良いもの」だけを選べればベストですがそれは無理。そもそも何が「良い」かも分かりませんし。ですから「一般的なこと」を「しかるべきタイミングで」「きちんと経験しておくこと」が心の栄養のリスク管理的に適切と考えます。そういう意味で聖子さんとの出会いは僥倖でした。愛ちゃんは良きタイミングで箱から出られたと思います。亡きお母さんの愛情が、聖子さんを通じて愛ちゃんに届いたのかもしれません。 主演は坂ノ上茜さん。BS-TBS『町中華で飲ろうぜ』の『伝道師』としてお馴染みの元気娘。もちろん成人しており実年齢と役柄との年齢差は10歳程度かと。よく見れば成熟していますがこの程度なら許容範囲でしょう。顔立ちも可愛らしい童顔なので全く問題ありません。一方女装家の聖子さんを演じたのは黒住尚生さん。劇中の設定だと愛ちゃんの母親と同級生ですが全然そうは見えません。愛ちゃんより少し年上くらいでしょうか。実年齢は2歳差だそう。つまり坂ノ上さんは10歳若くサバを読み、黒住さんは20歳ほど老けサバを読んでいる計算になります。同年代の2人が同一方向へサバ読んでいるならいざ知らず、反対方向にサバを読んでいるため違和感が半端ありません。この年齢差は女装メイクで誤魔化せる範囲を超えていました。だから「キャスティングに難あり」と言うつもりはなく、聖子さんから「母親の同級生」という設定を無くせばいいだけだと思います。それで物語から深みが消えるわけでもありません。2人以外の役者さんについては「難あり」かな。あるいは「味」かな。演技がちょっと気になる人もいるかと思います。 ポジティブ且つライトな少女の成長物語。不穏な展開になる要素を孕みつつも、コメディテイストが強めに効いており終始心穏やかに観ることができました。最近ストレスフルな事ばかりだったので、今の私にとっては「丁度良い塩梅」の楽しい愛のお話でした。6点と7点の中間くらいですが、伝道師加点で繰り上げとします。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-12-09 18:59:17)
564.  メランコリア 《ネタバレ》 
「ネタバレのイントロダクションなど不要!」と言いたいところですが、『100日後に死ぬワニ』方式の演出と捉えれば納得できます。何気ない日常も「まもなく地球が消滅する」枕詞が付けば別物に変わる。実際ジャスティンの態度は一般的なマリッジブルーの症状と何ら変わりなく、彼女が抱えていた「憂鬱」の正体を知らないままでは、詫びも寂びもあったものではありません。真実を見通せる能力を持つ彼女いわく、地球は宇宙で唯一生物が存在する惑星とのこと。我が身可愛さで嘆くような次元の話ではなく宇宙規模の大事件。「イチからゼロ」に変わる運命の瞬間が迫っているのだとしたら憂鬱度も一層増すというものです。とはいえ地球が消滅しようと自分だけが死のうと、自意識レベルの結末は同じ。たぶんジャスティンは「大して変わらない」と思い、クレアは「全く違う」と認識している気がします。人間らしいのはクレアの方。一方ジャスティンは「悟りの境地」とも言えますが、真実を誰とも共感し合えない孤独の先に行き着いた心境でもあり、どこか哀れに思えます。彼女が最後に考えたキャッチコピーが「無」というのも、さもありなん。 終末世界を描く映画の中では刺激度はかなり低めだったと思います。暴動や略奪、集団自殺なんて物騒な描写はありません。これは民衆に破滅が予告されていなかったせいです。もちろん天文学者がこの結末を予想できないはずがなく、各国政府が事実を隠蔽していたと推測されます。しかしこれは「嘘も方便」の類。こんな時に「知る権利」が発動していたら地獄絵図は不可避でした。唐突に、抗う術がないから救われる。それが「死」の本質という気がします。ここから尊厳死の意義について考えるのは飛躍し過ぎでしょうか。木の枝で組んだ魔法陣は気休めの象徴。大した覚悟も無く迎える最期というのも悪くないのでは。 私が今まで観てきたラース・フォン・トリアー監督作品の中では、最も「観易い」映画でした。鬱度はさほど高くありません。ただこの監督の場合、これが誉め言葉にはならないのがユニークなところ。貶しているつもりはありません。でも些か冗長だったとは思います。大監督が制約無く創った芸術作品とでも申しましょうか。歓迎すべきなのでしょうが、多少制限があった方が客観的に「良いもの」が出来たりして。「名作は2時間超が当たり前」の風潮ですが、2時間以内に収めてくれていたら8点でした。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-11-28 19:29:49)
565.  宇宙人のあいつ 《ネタバレ》 
ネタバレあります。ご注意ください。  主要登場人物それぞれに「課題」が設定されていました。長男・夢二は「結婚」、長女・想乃は「未婚の妊娠」、三男・詩文は「元級友からの復讐」、そして次男・日出男こと土星人トロピカルは「故郷に誰を連れて帰るか」。長男の件は兎も角も、残り3人の課題はかなりシリアスな部類。どう決着をつけるのかと固唾を呑んで見守っておりましたが肩透かしを食らいました。三男は何故和解できたのか謎ですし、長女の案件についても対応が的外れ。戦っているようで、実は全然戦っていません。極めつけはメインストーリーである次男の課題。物語冒頭で「結果」が開示されていました。『コロンボ』『古畑』スタイルのミステリーならいざ知らず、いきなりネタバレとはこれ如何に。このケースで考えられるのは「意外な真相」パターン。てっきりビッグ鰻を家族として連れて帰るものと予想していましたが大外れでした(そういう伏線ありましたよね)。つまり日出男ことトロピカルの課題は何も解決していません。振り返れば長女だって本当にそれでいいの?という決着。そう、本作の課題解決スタイルは「問題に正面から向き合わない」でした。細かいエピソードなら「サイドミラー破壊事件」、大きな括りなら「家族のかたち」にもこの法則が当てはまります。大人4人が食卓を囲み、何かあれば家族会議。微笑ましいと感じる一方、どうにも心がざわつきます。日出男が抜け、想乃の子が加入する未来。この「家族のかたち」を維持していくのが本当に幸せなのでしょうか。家族に縛られていたら自分の人生を生きられないのでは。特に心配なのが長男・夢二です。両親を亡くしてからは家業を継ぎ、大黒柱として一家を支えてきました。それが彼のアイデンティティ。「家族のかたち」は「幸せのかたち」でもあります。でも20年、30年先を見据えたらどうでしょう。いつかリセットボタンを押す日が来るかもしれない。その時、夢二は何歳ですか。勉学、恋愛、就職、結婚、出産、育児。かつては半ば「義務」であったこれら人生の課題には「適齢期」があり「家族」の形式維持に必要でした。その点、現代日本で必修課題は無くなりました。何をして、何をしないか「自由」です。ただしその結果は引き受けなくてはいけません。まさにトロピカルには自身の選択に対する清算が待っている訳ですが。私は当初夢二の課題を軽視しましたが、本当は一番真剣に取り組まなければならない、切羽詰まった課題なのかもしれません。 役者の皆さん芸達者揃い。キャラクター造形も素敵ですしファミリードラマ&SFコメディとして上質だったと思います。構造は「古き良き日本の家族、その愛と絆に笑いを添えて」が包皮、「日本人の価値観変化と社会が抱える課題」が中身と判断します。外側は口触りが良く楽しいので、そこだけ食して気分よく終わるもよし、丸ごと噛み砕いて芯に隠された苦みまで味わい尽くすもよし。公式HPをみると前者推奨のような気もしますが、監督としては当然後者を望んでいるはず。違いますかね?伏線未回収や問題解決のポイントずらしは故意としか思えず、私は監督を「一筋縄ではいかない曲者」とお見受けしました。でも「考えすぎ」も否定できません。いずれにせよ私の力量では本作のみで監督の正体を見極めるのは困難であり、予想外に「難しい映画」だったという評価です。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-10-04 18:55:56)
566.  岸辺露伴 ルーヴルへ行く 《ネタバレ》 
『デビルマン』や『北斗の拳』を引き合いに出すまでもなく、ファンタジー漫画やアニメの実写化が難しいのは衆知の事実です。爆死必至の禁断のジャンルにあって、TVドラマ版『岸部露伴は動かない』は稀有な成功例のひとつと言えましょう。成功の要因は、ひとえに実写作品に必要な「リアリティ」を担保した事と考えます。奇しくも岸部露伴が好きな言葉。パッケージの再現に気を取られることなく「作品の本質=魅力の源泉」に注目した制作姿勢が功を奏しました。一度かみ砕いてからエッセンス・旨味成分を抽出し現実にフィットさせる手法は、原作、いや荒木飛呂彦ワールドに対する深い理解と敬意が成せる業でありました。本作はそんなTVドラマ版のキャスト・スタッフが再集結した映画だそう。TVドラマ版のファンであれば違和感なく楽しめる作品であったと感じます。  以下ネタバレを含みます。ご注意ください。気になった点を2か所ほど記載します(ちなみにジョジョは6部までコミックを所有、岸部露伴シリーズは本作を含め未読多数)。まずキーパーソン「奈々瀬」について。彼女の正体は絵師・山村仁左衛門の妻でありました。つまり青年露伴が出会ったのも、ルーブルで助けてくれたのも幽霊ということ。ここで疑問。何故彼女は和服ではないのでしょう。理由の一つは観客に死者であることを悟らせないため。いわゆるミスリードです。だとすればアンフェアな表現では。いえ、これはセーフ。露伴が見たのは「奈々瀬」の魂。有形ではありません。露伴の固定観念や先入観、あるいは理想等が反映されていたとしても不思議ではありません。もっともこれは考察から辿り着く仮説であり、和服であればより納得感はあったと思いますが。次に物語の構成について。サスペンスとしてはルーブル地下決戦で終了しています。そこにエピローグ「実はこんな裏話がありました」が20分。重要な種明かしであり蛇足ではないものの、流石に長い。ジョジョ5部の最終エピソードもこんな感じでしたし原作どおりかもしれませんが、仁左衛門との戦いの中に組み込んだ方がすっきりした気がします。いや、それだと間延びしてしまうのかな。巨人の星と比べれば可愛いものだという気もしますけども。 相変わらず高橋一生さんの露伴は素晴らしい。キャラクターを自分のモノにしています。だからコスプレ感がありません。飯豊まりえさん映じる泉京香も実に愛らしい。黒い絵の呪いにかからないのは鈍感なのか、あるいは無垢なる魂ゆえでしょうか。2人のコンビネーションは鉄板の面白さでした。映画でもTVでも構いませんが続編を強く希望します。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-09-26 19:30:01)(良:1票)
567.  BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ 《ネタバレ》 
ネタバレ禁止映画です。未鑑賞の方はご注意ください。  タイトルの「Bodies」とは「死体」の意。また劇中披露された「人殺しゲーム」の呼称でもあります。くじで殺人犯役となった者を会話で探り出す人狼ゲームのような遊び。アメリカではお馴染みのゲームなのか、はたまたこの映画だけのオリジナルなのか不明ですが、いずれにせよ「遊びのはずだったのに・・・」パターンのサスペンスです。観終えてみれば「そんなことだろうと思ったよ」ですが、パニックになると人はとんでもない間違いを犯すという事でしょう。ただ、それにしても本作の登場人物の錯乱ぶりは酷いものでした。お口あんぐりのアングリーです。 失礼しました。 彼らが判断を誤った要因は大きく2つに区分できます。外的要因と内的要因。外的要因とは「状況」であり、「嵐」「停電」「通信不通」「車のバッテリー上がり」そして「友人の不審死」が該当します。これら要素が積み重なり彼らの中で「緊急事態」と認定されました。緊急事態と平時では、判断基準が変わるのは当然です。思い切った決断が求められる事もあるでしょう。しかし今回のケースは緊急事態でも何でもありません。この状況を緊急事態に「格上げ」してしまったのは、内的要因、すなわち彼らの「心理状態」が影響していたと考えます。具体的には「日頃の人間関係」そして「経験不足」。端的に言えば「子どもだから間違えた」。未熟なパーソナリティに飲酒とドラッグが追い打ちをかけ、慌てふためいた挙句に日頃の人間関係の鬱憤を暴発させてしまったと。客観的には「なんだそりゃ」って話です。ただし、かくいう私も彼らと一緒に浮足立ちました。反省いたします。ただ言い訳させてもらえるなら、それだけ伏線やミスリードが上手かったということ。1人目、3人目の死の真相は「事故死」でしたが、ぱっと見「他殺」です。つまり偶然が2度重なった状況。ミステリーの流儀としては多少アンフェアな気がしないでもありませんが、描写にも配慮がありギリセーフ。またパーティ参加者唯一の大人を早々に退場させたのもお見事でした。ラストのセリフがまた何というか脱力もので、騒動の本質を突いています。先にざっくり「経験不足」と断じましたが、正確には「教養不足」かもしれません。知識や学力ではなく教養。彼らの言葉一つ一つの軽薄さが気になりました。正しい判断には確かな教養が必要です。パーティ参加者の中に一人でも教養を身に着けた者がいたなら、結末は全く違ったものになっていたはずです。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-09-08 14:18:13)
568.  ゴーストマスター 《ネタバレ》 
映画愛を詠った映画には違いありませんが、その愛情表現は歪です。恨み辛み不満込々。映画をこんなに愛しているのに、映画は自分を愛してくれないのか。主人公の昇華されぬ映画への愛憎が、彼の分身ともいえる脚本に命を吹き込み、異世界の扉を開けたのでしょうか。その不満の源は映画業界を覆う富や機会分配の不均衡に由来するものかと。万年助監督の主人公だけでなく、30年生のベテランカメラマンが家賃7万6千円のアパート住まいという現実が痛いです。遣り甲斐搾取?でもそうしないと廻らない業界事情も理解できてしまうのが恐ろしい。もし隅々にまで適正なギャラが払われたら、制作される映画の本数は激減するでしょう。チャレンジングな企画は通るはずもなく、実績ある監督にしか仕事はまわって来ないのでは。そんな閉じた業界が繁栄するはずもなく。でも、だから、現状を容認するしかないの?いや、それは違うだろう。愛しているが、恨んでもいる。そんな光あたらぬ制作現場の人々の遣る瀬無さが、物語を通じて伝わってきます。きっとこの心情を表現するために「特撮」(SFX)が必須だったと思われます。かつて隆盛を極めた特撮も今は昔。CGに取って替わられ、映画業界において失われていく技術なのは間違いありません。アナログからデジタルへ、いやコストパフォーマンス至上主義の潮流に逆らう事など何人もできません。でも、不遇な人、切り捨てられる者にだって矜持があります。「特殊メイクも結構やるじゃん」「CGには無い味がある」そう思わせたら報われる。本作は映画を愛する全ての「勝てなかった者」に捧げられた鎮魂歌だと思います。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-08-28 21:29:28)
569.  世界の果てまでヒャッハー! 《ネタバレ》 
事件が起こりました。真相は不明です。映像記録が手に入ったので確認してみましょう。『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の手法ですが、コメディゆえ『ハング・オーバー』を想起させます。どちらもお下劣ですし。POVならではの臨場感は担保しつつ、手ぶれで視認性を損なうミスを犯さなかったのは流石です。 「おバカ」「非常識」「やりすぎ」「人種差別」「エロ」「嘘」「犯罪」「下ネタ」「謎の感動」。笑いの構成要素はグローバルスタンダード。万人受けする濃い味がゆえに、侘び寂び出汁文化の日本人には合わないかもしれません。私は何でも美味しく頂けるタチ(貧乏舌)なので、素直にくだらねーと大笑いさせてもらいましたが、テクニカルにツボを突かれるというより、条件反射で笑わされている感覚でした。こういう強引なのも嫌いじゃない私です。 てっきりアメリカ映画かと思いましたが、フランス映画と知り驚きました。フランスコメディってこんな感じでしたっけ。もう少し洒落た笑いの印象でしたが。もっとも邦画喜劇だって山田洋次から河崎実までいろいろですものね。レッテル貼りはいけません。笑えれば何だってOKであります。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-08-23 20:15:44)
570.  #フォロー・ミー(2020) 《ネタバレ》 
ネタバレ厳禁映画です。予備知識なく鑑賞することをお勧めします。なお結構な精神的ダメージが想定されますので注意喚起しておきます。「ユーチューバーとかインフルエンサーなんて調子のり、いけ好かねえから痛い目を見ればいいんだよ」な方にはいいかもしれません。以下は鑑賞済み、鑑賞する気がない、ネタバレ上等な方のみでお願いします。    当初は一般的な「デスゲームもの」との認識でした。そう予告されておりました。人気ブロガーが配信用に「脱出ゲーム」にチャレンジしたところ、実際は本物の「デスゲーム」でしたオチ。如何にもな設定です。そこで肝心のデスゲームですが、宜しくありません。凡庸なアイデアで謎解きに面白みがなく、全体尺に対してボリュームが不足しています。ゲームとは関係ないところで人が死ぬ始末。これはハズレでしょう。でも想定の範囲内でもありました。「デスゲームもの」で当たりを引くのは、宝くじ並みなのは学習済み。しかしながら、これら不満点が全て消し飛ぶ驚愕の結末が待っていました。脳内ではお馴染み「蒲田行進曲」が再生される有様(もちろん劇中では流れていません)。と同時に襲われる虚脱感と絶望感。ああ観るんじゃなかったと大後悔です。思い返してみれば、なるほどと思ったり思わなかったり。その描写はフェアですか、そうですか。やはり舞台が「ロシア」ってところがミソだった気がします(ロシアだからサワークリームですか)。いずれにせよ見事に騙されました。こういう作品を観ると『水曜日の〇ダウン〇タウン』なんか本当に怖くなります。ギリギリを攻めるエンターテイメントは面白いですが、一線を超えると大惨事です。リアリティショーも同じ危険性を孕んでいると言えましょう。そう、この映画の教訓は「何事もやり過ぎ禁止。匙加減って大事」であります。 正直あまり高い点数をつける気になれませんが、「絶対に忘れない」のは間違いありません。「二度と見ない」も確定ですけど。毒にも薬にもならない映画と比べれば、毒でも薬でもある本作の価値はある気がしますが如何でしょうか。ちなみに、ここで言う「匙加減」が神レベルの傑作サスペンスが存在します。鑑賞済みの方であれば、すぐにピンと来ることでしょう。タイトルは明かしませんが、気になる方は本サイトにも登録されていますので探してみてください。でも探して観ると魅力半減なので、偶然出会うのが理想ですね。平均点は6点台後半です。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-08-21 22:26:13)
571.  MONDAYS このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない 《ネタバレ》 
ループ現象の代名詞として「オール・ユー・ニード・イズ・キル」と「ハッピー・デス・デイ」を引き合いに出した同僚に対し、そこは「恋はデジャブ」でしょと返した映画オタクと思しき眼鏡くんが微笑ましい(彼は「インディ・ジョーンズ」も「インディアナ」だと正していましたね)。前出の作品だけでなく数々の傑作を輩出している超優良ファンタジー設定。現象そのものが面白いだけでなく、人生の教訓を示唆する作品も多く、本作は特にその傾向が強いと感じました。要するに寓話ですな。 似たような一週間を繰り返すのは割とよくある話であり、ある意味幸せなことです。一般的にルーティンと呼ばれるもの。これは「平穏」に通じる状態であり、決して否定されるものではありません。しかし引き換えに「時間」や「可能性」「機会」を失っているのも事実であり、利益と損失が本当に見合っているか時々検証する必要はあるでしょう。『齢五十にして天命を知る』上司(マキタスポーツ)が、強い後悔の念から超常現象?を誘発したのも、妙に説得力を感じてしまいます。嘘です。 人生に後悔は付きものですが、なるべく少ない方がいいのも間違いないので、自己実現と社会的役割、義務と権利のバランスを保ちながら、程よい頃合いのエンディングを迎えたいものです。そう、劇中漫画の結末なんか最高じゃないですか。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-07-27 16:26:45)(良:1票)
572.  君たちはどう生きるか(2023)
宮﨑駿監督が全てを捧げた集大成たる「名残し」の映画。やりたい放題でありながら、きちんと大衆性を担保し優れたエンターテイメント作品に仕上げているのが素晴らしい。今の私の稚拙な知識や経験で解釈するのは申し訳ない、というより勿体ない。今後100年は充分に楽しめる映画でした。もっとも私の場合、残された時間は30年くらいのものなので30年かけてこの映画を自分なりに咀嚼して理解したいと思います。ですから点数は現時点での数値とお考えください。死ぬまでに私の中で10点にするのが目標という意味です。大変なお宝を頂戴しました。劇場で観られて幸運です。感謝しかありません。
[映画館(邦画)] 7点(2023-07-27 11:18:57)(良:2票)
573.  騙し絵の牙 《ネタバレ》 
(ネタバレご注意ください)  組織内で逆境を跳ね返し出世していく「半沢直樹」カテゴリーのドラマではなく、組織に固執することなく独立に希望を見出す「お金がない!」タイプの物語。あれ?これだと主人公は速水(大泉洋)ではなく高野恵(松岡茉優)になっちゃいますか。でも個人的には速水より高野の方にシンパシーを感じましたし、胸のすく結末も好みでした。終身雇用制度が崩れ、6次産業化が推奨される日本。社会構造の変革が成されつつある今、本作のようなイノベーションドラマがこれから主流になっていくのでしょうかね。 どうやら原作小説は大泉洋をイメージして当て書きされたそう。確かにいつもより輝いていたような。ただ彼以上の存在感を示したのが松岡茉優でした。意識高い系というより、信念の人。強い思いが前に進む原動力となる。大変魅力的でした。やっぱり本作の主役は彼女だったと思います。 ちなみにキャッチコピー「騙し合いバトル」はやや盛り過ぎという気がします。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-07-26 10:28:12)
574.  映画 おそ松さん 《ネタバレ》 
新潟万代シティの立ち食い蕎麦屋に評判のカレーライスがあります。芸能人のファンも多く、ご当地B級グルメとしてテレビ等でも度々取り上げられ今や全国区の知名度となった通称『バスセンターのカレー』。昔懐かしの黄色いカレーで、とんこつスープが隠し味となっており昼時には行列が出来るという、おっと映画の感想から大分逸れてしまい失礼しました。私が言いたいのは、このバスセンターのカレーにはレトルト商品があるという点です。一箱1.5人前で590円也。最近少し値上がりしたのかな。このレトルトも美味しいのですが、本物と比べると大体60〜70%くらいの美味しさなのです。で、何が言いたいのかというと、本作も本物と比べると大体同じくらいの面白さということ。ここで言う本物とは元ネタのアニメ『おそ松さん』ではなく、脚本を担当された土屋亮一さんが代表を務める演劇『シベリア少女鉄道』の公演と比べてという意味であります。シベリア少女鉄道、シベ超ならぬシベ少。計算し尽くされた緻密な脚本で展開されるパロディや時事ネタ、悪ふざけを旨とする混沌と狂気の舞台。初めて観劇した2017の作品『残雪の轍/キャンディポップベリージャム!』で衝撃を受けて以来虜となり、何度も劇場へ足を運んでいます。何時も思うのは、舞台ならではの発想と表現だなということ。限られた空間と演劇暗黙のルールを逆手に取り、かつ観客の想像力をフル活用した茶番劇。もとい、知的で高度なエンタメであります。本作の脚本はシベ少舞台にフィットする仕様であり、映画向きではない気がしました。何が不都合か?舞台では想像力で補完する部分が映画であるが故に映像化されており、想像する楽しさが奪われていたような。模範解答が自分なりの正解を上回るのは困難です。やるなら圧倒的な映像力で、個々人の想像力を捻じ伏せるくらいでないと。本作の表現では物足りないと感じます。これが「60〜70%の面白さ」の真意です。このスタイルのコメディが映画技法のひとつとして浸透していないハンデもあるでしょう。ただし、元が120点なので60%でも72点。及第点超えです。生モノの舞台公演と違い、何時でも好きな時に観られる映画はファンにとっては有難い話。そういう意味でもレトルトカレーみたいな作品だと思いました。もしこのクレイジーな世界を気に入った方がおられましたら、シベ少の舞台を体験してみて下さい。口を付くのは「一体何をみせられているんだ?」極上の困惑を味わうことが出来るはずです。ちなみに私立恵比寿中学主演の舞台も円盤化されておりオススメです。今なら『エクストラショットノンホイップキャラメルプディングマキアート』が某サブスクで観られますよ。なお今回は、アニメの実写化作品として、あるいはアイドル映画としての評価視点は放棄しておりますので何卒ご了承下さい。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-05-07 09:21:13)
575.  ヴィレッジ(2023) 《ネタバレ》 
しんどい。兎に角しんどいです。オチも物語の構成的には綺麗ですが、偏見や差別を助長しかねない結末なので滅入ります。本作では袋小路・視野狭窄の象徴として「村」が選ばれていました。しかし、田舎が悪い訳でも、廃棄物処理施設が悪い訳でもありません。問題は器ではなく中身の方。お間違いなきようお願いします。 主人公は能面を付けて心を落ち着けました。彼女の魔法の言葉付きですから効果もてきめん。応急措置的に有効だと思いますが、外界から遮断され内に籠もる副作用もありそうなので注意が必要です。個人的には空を見上げるのがオススメ。飛行機から地上を眺めるのもいいでしょう。自分の悩みがちっぽけだと錯覚させられればしめたもの。解決策が見つからなければ、一番後悔しなさそうな手を打って後は運任せです。もっともそれが出来たら苦労はないんですけど。 それにしても何でもっと深く掘らなかったのでしょうか。あるいは燃やすとか。本当は見つけて欲しかった?でもそれなら発覚後は潔いはずです。隠蔽に慣れ過ぎたのか、あるいはゴミは埋めるのが常識だからでしょうか。いずれにしても不条理も慣れれば条理に変わるということ。理不尽に囲まれながら正気を保つのは困難を極めます。簡単に腐る。だから環境って大事。本当に大事です。変えられぬのならば、逃げるより他ありません。それがエンドクレジット後に示された「解決策」であり「希望」です。遣りきれませんが。
[映画館(邦画)] 7点(2023-05-07 08:27:57)(良:1票)
576.  パーム・スプリングス 《ネタバレ》 
SFギミックは元ネタありきなので評点に加えませんが、それを差し引いてもやっぱり面白いと思いました。テーマ、メッセージ性は素晴しく胸を打ちます。基本的に人生賛歌なんですよね。コメディとしても悪くありません。ただ、個人的な好みを言えばもう少しエッジを効かせても良かった気がします。エロでもグロでもナンセンスでも。この設定なら何でもありですから。エンドクレジット途中で供されるエピローグは大変気が利いていて心スッキリでした。ただし時の牢獄から出たあと、普通の生活に戻れるかは疑問。うっかり死んでしまいそう。慣れというのは恐ろしいものです。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-04-30 06:28:10)
577.  YUMMY ヤミー 《ネタバレ》 
コメディ系ゾンビ映画としてすこぶる良い出来だと思いました。設定はよく練られていますし、ゾンビものお約束の展開や演出も芸が細かく気が利いています。スプラッターやゴア描写も容赦なく、キャラクター造形もいい感じ。ゾンビパロディの最高峰『ショーン・オブ・ザ・デッド』とはまた違うアプローチで大変満足しました。ただ、最後だけが戴けません。ホラーですからバッドエンド上等ですが、納得感が欲しいところ。それまでの脚本が丁寧だっただけに雑な印象を受けました。コメディならば奇をてらわず後味良く終っても良いのでは。やはりハッピーエンドは正義だと思います。そういう意味で前述した『ショーン〜』のオチはひねりのあるハッピーエンドで、絶妙でした。「終わり良ければ全て良し」とはよく言ったものです。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-04-23 22:26:16)
578.  ポゼッサー 《ネタバレ》 
雰囲気は80年代のSFサスペンス。レトロ感さえ漂うアナログチックな設定と映像表現に容赦ないグロテスクな殺傷シーンの相性は抜群で、個人的に大好物の作風でした。ハイセンスな映像美だけでなく物語の方も魅せます。本来主人公は蝶の標本作りにさえ罪悪感を覚えるタイプの女性。それなのに暗殺を生業としていることが悲劇の種になっていました。救いの無い結末ですが因果応報としては極めて正しい。それゆえにやるせないのです。地獄映画で気分が落ちること必然ですが、虚無感を味わう映画があってもいいでしょう。ところでブレインダイブ(?)はWiFiですか。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-04-11 22:44:35)
579.  こちらあみ子 《ネタバレ》 
『風変わりな女の子・あみ子が純真過ぎる言動で周囲を翻弄してしまう様を優しく見つめた』これは某サブスクのイントロダクション。このスタイルに則すなら『オーメン』は次のように訳せるでしょう。『外交官夫婦は孤児を譲り受け大切に育てる。夫が駐英大使に任命され息子が5才になったころ、その子の廻りで不思議な出来事が起こりはじめる。周囲を巻き込むてんやわんやに皆んな大興奮!さて息子ダミアンに隠された意外な秘密とは?』この説明を鵜呑みにしたら痛い目を見ますよね。本作もまさにそんな感じ。ハートウォーミングなホームドラマを想像していた為、シリアス過ぎる展開に面食らいました。いや、だから駄目って訳ではありません。ただ覚悟なく観始めると大変ですよと。心身共に万全の体制でご覧くださいという意味で警鐘を鳴らしてみました。  (以下ネタバレしています。ご注意ください。)  実はちょっとしたミステリー仕立て。言い回し、仕草や態度にみる親子の些細な距離や違和感は見事な伏線となっており、後半家族の秘密が明かされて膝を打つ仕組み。そして想像以上に状況は深刻であることに気付かされます。「自分の気持ち悪いところをイチから教えて欲しい」と級友に尋ねるあみ子。生気のない少女の顔に胸が潰れます。ネグレクトは大罪に違いありません。しかし両親を責めてもどうにもなりません。壊れた家族の行き着く先はもれなく絶望です。ただ僅かでも希望があるとすれば、あみ子は最後に「だいじょうぶじゃ」と言ったこと。もちろん大丈夫なはずありません。でも諦めなければ道は続きます。そこが諦めてしまった両親と違うところ。応答先のないトランシーバーだとしても、粘り強く語りかければいつか何処かに繋がるかもしれない。 凛々しい眉、大きな鼻。芯の強さを感じさせる瞳。あみ子はまるでライオンのようでした。どうかライオンのように強く生きてください。そしてライオンのように仲間を、家族をつくってください。自分の居場所を確保することは人生をかけて挑む価値がある最重要課題です。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-04-05 00:26:27)
580.  弟とアンドロイドと僕 《ネタバレ》 
(以下私なりの解釈です。誤読の場合ご容赦ください)  主人公が片足を満足に動かせないのは脳が身体を認知していないからだそう。また彼は自身の姿が鏡に映らないとも言いました。この症状はアイデンティティの喪失を意味すると考えます。母は焼身自殺。その原因をつくった父は自分を捨てた。自我を獲得すべき思春期に親のサポートを受けられなかったことが、主人公のアイデンティティ獲得を阻害したと思われます。 子の成長を見届けることなくこの世を去った母の遺言「もうひとりの自分を見つけなさい」。これが指すのもまさしく「自我の確立」でしょう。この言葉の真意を汲み取ることなく額面通りに受け取った、というよりある種の呪いにかけられた主人公は、自分そっくりのアンドロイドを自作したと推測します。もうひとりの自分=自分型アンドロイドを通じて遅れ馳せながら自我を見つけようとしたのではないかと。そんな矢先に出鼻をくじいたのが弟でした。腹違いの弟。彼もまた遺伝子的には「もうひとりの自分」に違いありません。分身が分身を、自分が分身を殺し合う地獄絵図。でもこれがこの世の理かもと思ったり。いずれにせよ主人公はアイデンティティを獲得することなくこの世を去りました。 「僕(私)はいますか」そう口にしたのは主人公のほかにもう一人居ました。おそらく身重の、アンドロイドと同じ瞳を持つ少女。彼女もまた主人公同様アイデンティティを喪失していたと思われます。そんな彼女を優しく抱きしめる主人公型アンドロイド。自分を自分たらしめる存在は、もうひとりの自分ではなく、むしろ他者なのかもしれません。 多分に哲学的でどこか禅問答のよう。出来ればハッピーエンドが見たかったですが、希望が無いわけでもありません。これもまた一興。止まぬ雨、アンドロイドの謎テクノロジーなど、現代日本に似て非なる世界。別次元と解釈してよい気がしますがどうなんでしょう。こんな面倒くさい映画ばかりは勘弁ですが、たまには小難しいテーマで頭を悩ませるのもいいのでは。
[インターネット(邦画)] 7点(2023-03-28 19:18:52)
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