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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3888
性別 男性
年齢 53歳

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41.  キー・ラーゴ
嵐の夜に、ギャングに立てこもられたホテル、というシチュエーションが、はっきり言って、ソソります、じゅるじゅる。舞台劇が元になっているそうですが(観れば明らか)、映画作品として見事に再構築されています。客の集う昼のホテルと、営業時間外の夜のホテルの対比。しかもその夜のホテルたるや、中はギャング、外は嵐と、そりゃもう大変。それを挟むように、映画の冒頭と終盤ではホテルの外が舞台となるんだけど、そこでも、のどかな海辺の光景と、船上の対決の緊張感が好対照。伏線も効いていて、なかなか秀逸なサスペンス。だと思ったんですけど、ダメすか?(もっと点数高いかと思ってた)
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-17 15:28:23)
42.  虎の尾を踏む男達
さてここでも、「映画はなぜ、おなじみ“勧進帳”をわざわざ取り上げるのか」という問題が(しかもこんな苦しい時代にわざわざ作った映画だよ)。もしも映画という芸術が「特定の“文脈”の中で捉えられるべきものではない」「独立し完結したものとして鑑賞されるべき」というならば・・・ならば、なぜ、「○○○を映画化!!」みたいな安直なコトをするのか。映画はまず外部との連関を拒絶する努力を徹底して行うべきではないのか(って、勿論、してる作品はしてるんだろうけどね、えへへ)。“音楽”という芸術は、20世紀に、血の滲むような努力、ってか、試行錯誤をとめどなく繰り返してきたぜ。で、それは、きっと、失敗だったのかもしれないけど・・・。すみません、これ以上書いても結論なんぞ到底結論なんて出ない。別に不満があるわけでもない。今のところ何となくぼんやり考える、だけ。で、とりあえず、本作の話。いや、実はここでも、本作がそのヒントになるのかも。最近よく聞く“○○○の完全映像化!”とかいうのとは、まったく異なって、ここでは、パロディとしての味わい。特にエノケンという狂言回しの存在が、本作をひとつの新しい作品へと導いており、こういう映画に触れると、何となく、「原作があり、そして、映画がある」という、すでにアタリマエになってしまっている図式に、改めて「ああ、なるほど、そういうことか」と納得できてしまったりするのです。それにしても。後半の、スタジオ感バリバリの雰囲気、音響とかにも十分に気を使っていない(使えていない)感じがするのですが。でも、その不自由さが、(妙な所に)綿密なクロサワ映画に加えられたことで、一期一会の絶妙な味わいを醸し出した、という気も。また、せめて最後にもう一度、屋外シーンを見せて欲しいなあ、と思っていたら、これもしっかりと、とっておきの「空」を背景にラストシーンを見せてくれて、うれしくなっちゃうのでした。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2009-05-04 21:52:47)
43.  ガス燈(1944)
ガス燈が時々暗くなっただけで騒ぎすぎなんだよ~、と言いたくなるのだけど。さらに、犯人バレバレやんけ~、とも言いたくなるのだけど。犯人バレバレな分、はたまたヒロインが妙にカンが悪かったり良過ぎたりする分、見どころは「展開をどう見せるか」にあるわけで、陰影に富んだ映像とともに、物語はどこに行きつくのやらわからない微妙な展開を見せ(あとで考えれば結構無難な展開だったナーという気もするが)、よく出来たサスペンス映画でした。ケチをつけるなら、「出来すぎのサスペンスには必ずしもハラハラさせられない」ってトコですかね(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-14 18:16:44)
44.  チャップリンの独裁者
チャップリン演じる主人公の散髪屋。戦争で記憶喪失になり入院していた彼は、まだ入院して数週間しか経ってないと思っている。その彼がある日、「例のチャップリンスタイルで」、自宅に帰る。彼が「そのチャップリンスタイルの服を脱ぎ」、ふと自宅の理容店を見回すと、数週間しかたっていないはずなのに「いつのまにか」、理容店はホコリまみれ、クモの巣まみれ。それでも彼は営業を開始する・・・。これって、何か、この映画自体と重なるものを感じます。もはや時代遅れとなったサイレント喜劇。『モダン・タイムス』では、トーキーでありながら意味のあることは全く喋らないという荒業を用いたが、そんな手が何度も通用したりはしない。しかし、当時の暗雲漂う社会情勢に、黙っていられなくなったチャップリン、河島英五のごとき、“良き時代遅れ”の彼が、敢えてトーキー作品を引っさげ、映画界に復活する・・・。その姿をふと思い起こさせます。その本作、やはりサイレント映画風のパントマイム喜劇と、その一方で「しゃべっていいんなら、しゃべりまくってやるぜ!」とばかりの熱いメッセージ、両者が同居し融合した印象的な作品となりました。残念ながら、正直言って“笑い”に関してはイマイチとなってしまったのは、セリフを持ったトーキー映画の分別クサさが、邪魔をしているのかもしれません。しかしサイレントで鍛えられた「見せる」ことへのコダワリは、確かなもの。やや被写体を追いかけ過ぎるカメラ(笑)。その一方で、例えば、主人公の店舗が焼き討ちにあうシーンでは、彼の顔を写さず後姿で絶望を表しているのが印象的でした。・・・・・・で、ではこの映画のメッセージをどう受け止めたらよいのでしょうか。確かにこの時代にこの映画を作るのは一つの「勇気」ではあるかも知れませんが・・・あまりに単刀直入に過ぎないか?という気も。ヒトラーをパロディにする、というのは、あまりに作品の意図が形式化され過ぎているのではないか。最後の演説は『モダン・タイムス』で訴えていたテーマにも相通ずるものが反映されていたにも関わらず、作品全体の印象は所詮、「ナチスドイツ反対!」という一過性のものになってしまった気がします。しかも、だからと言って例えば、この映画を当時のドイツの人々が観たとして、「ああ、戦争は良くない、止めよう」と思うでしょうか? 普遍性という深みに達しきれない憾みが残ります。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2007-09-22 23:25:02)(良:1票)
45.  西部の男
やはり、ジョン・ヒューストンの『ロイ・ビーン』を観る前にコチラを観ておくとよいでしょう。オスカーを受賞したW・ブレナンのロイ・ビーン役、コレの後ではさしものP・ニューマンもきっと役作りに困ったに違いない!とイジワルな視点でヒューストン版を観るのもまた楽し。本作でロイ・ビーン役のブレナン、演技がウマイのヘタだの、そういう問題は関係なく、とにかく何だかビンボー臭い視線が実にタマラないのです。この雄弁に語る眼差しは、さしずめ「みのもんたに匹敵する」という最大級の賛辞を送るに値します(みのもんたならこの役できると思う)。さて、そうは言いつつも、主人公はあくまでゲイリー・クーパー。いやはや、乗馬がウマイ!実に姿勢がよいですね。ええと、他に褒めるところはないだろうか。ダメだ、どうしても記憶に甦るのはブレナンの視線ばかり(笑)。それはともかく、クーパー演じる主人公、私立判事ロイ・ビーン(こう書くとカッチョいい)と農民達の間に立って、何とか仲裁しようとするが、農民の家や畑が焼き討ちにあうに至り(このシーンのとってつけたようなダイナミックさ、やっぱり『風と共に去りぬ』の影響なんかもあるのでしょうかねえ??)、ついにロイに立ち向かう、ってな話。ギスギスしておらず、映画全体にユーモアがちりばめれてます。クライマックスなんかもう、はっきり言ってかなりムチャな展開。面白いです(笑)。
8点(2004-05-03 01:51:54)(笑:1票)
46.  酔いどれ天使
黒澤映画っていかにも演技が「芝居じみた」感じがあるのですが、この映画の志村喬、大袈裟に「フン!」と鼻を鳴らして大見得を切ったり、ちとやり過ぎ(鼻を鳴らすんじゃなくて、明らかに「ふん」と言ってます)。まあしかし、この映画がこれ程印象的なのは、そういうややコミカルな志村と、殺伐とした三船との関係など、その強烈な「対比」にあります。白眉はなんと言っても、例の、状況にまったくそぐわない音楽「カッコーワルツ」の挿入ですね(何しろインパクトあり過ぎて、街角の信号が「ピッポー、ピッポー」と鳴っているのを聞いただけでこの映画を連想しちゃうのよね)。今、映画で同じ事やったら随分ベタな映画になるかもしれませんが、つまりそれだけ、こういう表現方法が定着してきたという事でしょう。
8点(2003-12-20 08:11:13)
47.  自転車泥棒
本当に何でもない話なんですよね。予定調和みたいなものもない。ただ精一杯生きている姿を、ズバっと切り取って、容赦なく突き付けてきます。単にトーシロ(その言い方やめなさい)を起用しただけではこれだけの説得力は出ないでしょうね。デ・シーカの人間観察力のスゴさ。ここで示される人生のキビしさを、普遍的なテーマとして受け止めることができます。
8点(2003-07-21 11:20:38)
48.  我が道を往く 《ネタバレ》 
いい話っちゃあ、いい話、なんだけど、しかしこれって、ジジイをダマくらかして良い気分にさせて甘やかしてるだけの話じゃないのかい。しかも、最後はおカネで解決、かい。 となると、いい話どころか、だいぶタチの悪い話、ということに。 そういうタチの悪さの言い訳のための、何らかの背景を描く訳でもなし。 という点は、作品の弱点のようにも思えるけれど、むしろそういう言い訳めいたものをそぎ落としたところに、持ち味があるのも確か。 ダマされてる方が、ダマされてる事に気付いてないように、ダマしてる方もダマしてる事を意識していない。すべてはごく自然に、ゴーイングマイウェイの結果、もたらされたもの。 ふらりとやってきた主人公は、あるがままに行動し、周りの人々にちょっとした変化を起こして、またふらりと立ち去っていく。 作品の弱点と感じられた部分も、実は、作品自体が「我が道を往」った結果、であるように思えてきます。 という
[インターネット(字幕)] 7点(2021-05-22 12:52:38)
49.  白い恐怖(1945)
グレゴリー・ペックが、若くて線が細くて、やたらイイ男。ではあるのですが、そこは女優優先、明らかにイングリッド・バーグマンに照明の光が集まっており、そのゴージャスさの前には、やや見劣りしてしまいます。でも、いいんです、どうせ、ちょっと頼りない役どころなので。 男前でキレ者のドクターかと思いきや、事態は意外な展開に。シマシマ模様がコワイ、という設定は、見てる我々に伝わりにくいところですが、とにかくそういうメンド臭い設定を引きずりつつ、サスペンスを維持して、割とストレートな物語設定に引きこまれます。 ラストも、ちょっと強引とは言え、スッキリしています。 ただ、あの「実際に滑ってる感が皆無の」スキーのシーンなどは、ドキリとさせる幼少時の回想シーンのインパクトを帳消しにしてしまうくらい、ショボいし、明らかにデカ過ぎで明らかに作り物の「銃を持った手」なども、映画への集中を削ぐものがあって、この辺りは少々、策を弄し過ぎ、という印象を持ってしまいます。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-05-01 19:51:28)
50.  レベッカ(1940) 《ネタバレ》 
以前そこにいた誰かと比べられるのって、ヤだよねえ、という映画。悪くすると、パワハラ。そしてそれをやって見せるのが、ヒッチコック。 冒頭から霧が立ち込め、陰鬱な雰囲気が漂う。最初はローレンス・オリビエと知り合って何だかトントン拍子、だけど、結婚して大邸宅に住むとなると、ヤな感じになってくる。居心地の悪さ。大邸宅までもが彼女をイジメているかのような。 結局のところ、ローレンス・オリビエのダメさ加減というか、胡散臭さというか、いかにも(主人公にとって)役に立たない感じが、この作品では陰の立役者、になってますな。終盤で、意外に使える人(?)というのが発覚するワケですが。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2021-02-25 18:37:25)
51.  戦場(1949)
誰が主人公ということもなく、ある部隊の行軍が描かれていきます。誰に特別スポットが当たる訳でもない代わりに、各々がある程度個性的に描かれていて、それぞれが主人公。それぞれの存在が心に引っかかりのようなものを残します。 いやそれこそ、映画の前半で言えば、一人の兵士がかっぱらってきた「生卵」だって、主人公の一人と言ってもいいかも知れません。はたしてこの卵は、誰かに無事食べられるのか否か。目が離せません。 後半は、「雪」も重要なファクターになります。兵士のヘルメットに降りかかっては解ける雪、あるいはすでに降り積もってサラサラとした雪。非常に印象的です。 一連の戦闘を潜り抜けた後の、映画ラストの行進。それはやっぱり、訓練の時とは明らかに異なる行進、なんですよね。で、そのまま他の隊とすれ違って映画が終わる。これをカッコイイと言ってよいのかどうかわからないけれど、感無量、絵になるラスト、です。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-08-31 21:42:01)
52.  深夜の告白(1944) 《ネタバレ》 
主人公の男がこれまでの経緯を録音機に「告白」する、という体裁なので、映画全編に彼の独白が散りばめられており、少々煩わしい気がしない訳では無いんですが、要するに「これは一人称の物語なのだ」、ということなんでしょうか。ハードボイルドらしい乾いた印象には、確かに繋がっています。 もう一つ。殺人シーンを敢えて画面外で描くのはいいとしても、その後の死体処理のシーンまで、死体をあまりはっきりと写さないのは、映画の時代背景もあるのかも知れないけれど、いかにも無難な感じがして、ちょっと迫力不足、とでもいいますか。でもこのシーン、いや~な雰囲気はよく出てるし、クルマのエンジンが掛からない、なんていう描写のイジワルさも効果的。 誰が何を考えているのか、それとも何も考えていないのか。エドワード・G・ロビンソン演じる、一番わかりやすそうなオッサンが、一番煮ても焼いても食えないような存在で、暗い作品の中にユーモアをもたらしています。 途中、BGMがなぜか未完成交響曲になったりするのは少し違和感もあるけれど(それと同時に、意味も無く『素晴らしき日曜日』を思い出したりも)、ミクロス・ローザの音楽、この先の展開を暗示するように和声を切り替えたりするあたりは、オペラ的でもあり、なかなか聞かせます。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2020-06-01 20:42:07)(良:1票)
53.  ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー
この映画を観ても、主人公のジョージ・M・コーハンというヒトの何がどうエラいのか、サッパリわからん、ってところが、いいじゃないですか。 こまっしゃくれた少年時代から、大人になってもあまり進歩がなく、無理に良く言えばいつまでも若々しい、そんな主人公をジェームズ・キャグニーが演じていて、ちょいワルな表情が妙に愛嬌を感じさせます。進歩がどうこうよりも、舞台興行の世界に徒手空拳、立ち向かっていく、みたいな姿が、我々を惹きつける・・・のですが、映画自体はそんなこともそっちのけで、ミュージカルシーンを脈絡なく積み重ねるようなところがあって、しかもこれといって馴染みのある曲が出てくるワケでもないので、ますますこの主人公がよくわからなくなる。 その、よくわかんない中で、挿入されるエピソードがキラリと光ります。妻に捧げた「メアリー」という歌を取られちゃう場面、そんな大したエピソードじゃないんだけど、主人公の申し訳なさそうな様子とか、それに対する妻の姿とか、本当にイイんですね。 ミュージカル俳優としてのジェームズ・キャグニー、自信満々にダンスを演じていて堂々たるものですが、アステアあたりの超人的な動きというほどではなく、それがまた妙にこの映画の主人公像にマッチしてます。 ところで本作、戦時中の製作ということもあってアメリカ万歳的な面も多々感じさせ(それにしては主人公像が地味であるところがユニークですが)、劇中でも、これぞアメリカ!という曲がジャンジャン流れます。なのに、そのうちの一曲が、なぜかイギリス国歌?・・・これは、このメロディ、アメリカでは別の歌詞がつけられた愛国ソングだったら。チャールズ・アイヴズの「アメリカ変奏曲」も、このメロディに基づく変奏曲でした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2019-06-22 08:54:14)
54.  三人の騎士
オムニバス作品、というか、個々のエピソードにストーリーが無くなっていって、もはやドナルドダックが悪いクスリやってトリップしてしまったような作品です。と思って観れば(そんな事思う必要ないですが)、賑やかに歌って踊ってドタバタして、楽しい作品。手描きした線路を汽車が走ったりする、アニメーションならではのハチャメチャな世界をスピーディに見せたり、はたまた一方では、実写とアニメとが絡み合い、のんきにじゃれ合って見せたり。 さすがにコレは脈絡なさすぎでしょう、と思わんではないけれど、楽しけりゃ脈絡なんて無くってもいいじゃないの。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2016-10-23 08:24:07)
55.  カンサス騎兵隊
ごんべさんの赤ちゃんがカゼひいた~でお馴染みの、奴隷解放活動家ジョン・ブラウンが、ここではだいぶイッチャッてる原理主義者として描かれてます。目をギラつかせたその顔からあふれ出る、強固な意志。そして、その彼に立ち向かう騎兵隊の若造ふたり、これがエロール・フリンとレーガン大統領。マヌケ面が(失礼)なんとも頼りないのです。逆に言えば、彼らのプチ成長物語でもある訳ですが、ま、さほど成長はいたしません、ハイ。 それはともかく、片や狂信的なジョン・ブラウン、片や甘っちょろいところのある若き兵士、その間には、騎兵隊を追い出されブラウンの手下になった者がいたり、逆にブラウンに愛想をつかす息子がいたり、そして何といっても、両者の争いに巻き込まれる形で運命を左右される黒人たちがいたりする、というあたりには、ドラマの多層性というものも幾分、感じられます。 が、理屈抜きに、やっぱり見どころは戦闘シーンですかね。ちょっとした戦争映画です、これは。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-09-12 22:25:28)
56.  バグダッドの盗賊(1940)
ディズニーアニメ『アラジン』の原点。というか、そのまんまですやんか。アブーにジャファーにジニー。いやそれより、ジャファーにたぶらかされる王様のおまぬけな表情が、あんまりソックリなもんで。それにしても特撮満載、アイデア満載の、実に楽しい作品。そりゃ多少はチャチなシーンもあるけれど、巨大クモの動きとか、人間を乗せてスーッと向うに飛んでいく空飛ぶ絨毯とか、目を奪われるシーンも多々。ヒーロー役がヘナチョコで何とも頼りなく魅力に乏しい点、これには目をつぶる必要がありますが。あとはツボから現れた巨人の赤フンがいろんな意味で目にまぶしい、1940年カラー作品。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-05-04 11:40:22)(良:1票)
57.  誰が為に鐘は鳴る
スペイン内戦を素材にしたヘミングウェイの小説の映画化。内戦終結から間もない1940年に発表されたこの小説を、早速映画化し、43年に公開、ってんだから、ものすごーくタイムリー(しかも実際は、内戦が終結したというより、戦火が第2次大戦へと拡大したのがこの時代)。ということを思うと、意外におとなしい作品、という気もします。打倒ファシスト!みたいなプロパガンダ色は感じられず、ベストセラー小説をそのまんまスペクタクル映画に焼き直してみました、というノリでしょうか。細かいことは抜きで、とりあえず戦争映画だからスペクタクルです、恋愛もあります、ちゃんとスターを起用してます、どうかよろしく、と。ハードボイルドな原作に比べると、やはり映画の方はいかにも軟派な感じで、愛想のよい作風。主人公ロバート・ジョーダンから受ける印象も、「ひたすら行動の人」と言う感じではなくて、結構ベタベタな恋愛シーンを繰り広げてくれちゃったりする、人間的なオジサン。恋愛ありアクションあり、まさに娯楽作品の王道、な訳ですが。ただこの映画、原作の細かいエピソードやらセリフやらを、あまり深く考えずにバカ正直に脚本に取り入れちゃったりしていて(細かくない所はカットするくせに)、ちょっと節操が無い気もします(そのエピソードなりセリフなりが、原作においてどういう意味を持つのか、映画の中でどういう意味を持たせるのか)。もうちょっとオリジナリティを発揮しちゃったりしてもよかったんでは・・・。ところでこの作品、観ているとどうしてもクーパーとバーグマンの二人に視線が行ってしまうのですが、何しろこの二人以外は皆、顔に薄汚れたメークをして、岩肌みたいな顔の色してるもんで、まるで保護色。まるでカメレオン。二人が目立つというより、二人以外が目立たないのです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-14 23:01:33)
58.  肉体の悪魔(1947)
レイモン・ラディゲ16~18歳の時の作品『肉体の悪魔』。彼はその後『ドルジェル伯の舞踏会』なる驚くべき作品に到達し、人生を猛スピードで駆け抜けた挙句に豆腐の角に頭をぶつけて死亡。まさに夭折の天才。一方、若き日の三島由紀夫は「オレも相応の作品を作らねばならぬ」という強迫観念に駆り立てられ、やはり16歳で『花ざかりの森』なるワケワカラン作品(失礼)を生み、さらにラディゲに真っ向挑戦した『盗賊』なる偉大な失敗作を世に問うた後、独自の世界へと飛翔、さらに肉体改造によって、肉体の悪魔ならぬ悪魔の肉体となり、ターミネーター、コマンドーで一躍スターとなってカリフォルニア州知事へ。と、それはともかく。そもそも、ラディゲなり、スタンダールなり、こういう、解剖学的な心理小説とも言うべきものを、なにゆえ、「映画」というやつは、あえて“映画化”してしまうのか。文学だからこそ到達できた世界に、なぜ映画が、映像というむしろこの世界とは相容れぬ武器を手に、関わろうとするのか。こういったところから、私の「そもそも、映画って、何?」という疑問、ジレンマが、始まるわけで。しかしまた同時に、この作品にはすでにその解答、とまでは言わぬまでも、そのヒントが顕れているようにも思われます。なぜなら現に、この作品を、原作を離れて、映画として、楽しんだのだから。映画はあくまで心理への切り込みよりも映像による“劇”として展開、その分、やや軽いノリという印象もあるのですが、恋愛サスペンスとして観ても十分楽しめるオモシロさも。結局のところ、小説と映画の関係を、「材料は同じでもカレーと肉じゃがは全然違う」という立場で捉えるか、「カレーも肉じゃがも、材料をたどれば同じもの」という立場で捉えるか、という問題なんでしょうね(と、意味不明の納得の仕方で唐突に終わる)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-05-02 16:13:49)
59.  續・姿三四郎
へなちょこボクシングや、へんてこカラテとの、異種格闘技戦の火花を散らし、ますます妖怪映画(?)への道を突き進む三四郎シリーズ。冒頭の不良外人とのやりとりなど、細かいカットによるコミカルな演出がなかなか楽しかったりします。特に、新弟子の左文字が入門後、徐々に上達していくのを表現する場面での、見事なまでの手抜き、いや違った簡潔さ、これにはつい笑ってしまいました。クライマックスの雪山での死闘、なんでわざわざこんな場所で戦うのか、と言えば、それは「クロサワ映画だから」としか答えようがないのですが、今作の場合、敵役のカラテが、できそこないのカンフーみたいにぎこちなく、観ようによっては「あー、極寒下のロケが過酷過ぎて、体がかじかんでこんなにギクシャクしてるんだなー」とも思えてしまうのですが(笑)。三四郎シリーズ、この先もっと続編が作られてたら、どこまで“壊れて”いったことか、気になりますね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2008-11-24 07:28:15)(笑:1票)
60.  姿三四郎(1943)
舞台は明治15年、これは講道館創設の年、まだヤワラの道にはナゾの流儀が横行していた時代。って、ほんまかいな。劇中に出てくる、ダイナミックすぎるほどの投げ技の数々、今なら金メダル間違いなしですね(いやこれが、ホントに遠くまで投げちゃうんだ)。フィルムの一部が失われた短縮版、ということですが、確かに、途中の1エピソードまるまる字幕で説明されたりして、どうもヘン。しかし、黒沢監督のデビュー作ということで、全編に工夫が凝らされた、まさに力作になってます。彼がこだわり、かつ彼が抜け出せなかった“黒澤ワールド”が、ここにあります。要所要所に映される雲が印象的。嵐の中の命懸けの対決のあと、最後に出てくる機関車が、カワイイですね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2008-08-23 14:16:05)
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