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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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581.  マージン・コール
「マージン・コールとは」と、Googleで検索し用語解説を読んでみたが、結局よく分からなかった。 したがって、この映画が描き出す金融世界の専門的な表現の部分は、観終わった今も殆ど理解出来ていない。ただし、この映画が描く物語構造自体は何となく理解出来たつもり……。  勉強不足により細かい部分の理解が伴っていないのは我ながら情けない限りだが、それでもこの作品が非常に面白い映画であることは、否応無しに理解出来た。 今なおその余波が吹き荒れる世界的金融危機の引き金となった“リーマン・ショック”の「前夜」を、架空の投資銀行を舞台に生々しく描きとった紛れもない傑作だと思う。  まさに「人的災害」の発生を目の前にした当事者たちの、綺麗事の無い“そのまま”の人間描写が秀逸。 ある者は未曾有の危機に戦慄し、ある者は良識を掲げ、ある者は会社と己の保身に走り、ある者は他人事のようにあざけ笑い、ある者は達観するように社会の仕組みを断ずる。  興味深かったのは、結局すべての登場人物が、カネに縛られ、最終的にその呪縛から誰も逃れきれなかったことだ。 それこそがまさに、今の社会に生きる人間の否定できない姿だと思った。  すべては拝金主義に走った人間の業などと否定すれば、いかにももっともらしく聞こえるけれど、もはや世界はそんな道徳的な「言葉」だけでは何の救いにもならない状態にまで陥っているように思えてならない。 長く果てしない世界的な金融危機により、世界中の末端に至るまで無数の悲劇が生まれた。しかし、もっとも根幹に居た当事者たちは、結局のうのうと生きている。それが現実である。  この映画は、「誰が何をどうしたから悪かった」などという局所的な非難を描いていない。 危機を起こしたすべての原因は、今の世界そのものに蔓延し至る所に巣食っているという「現実」を雄弁に語っていると思う。  映画のラストで、ジェレミー・アイアンズ演じる独善的なCEOが、いけしゃあしゃあと社屋の上層階で食事をしながら、会社の行為を批判するケビン・スペイシーに対して、自らの正当性と社会の仕組みを静かに諭す。 それはあまりに傲慢で利己的な発言であるが、この歪んだ社会の中では真理であり、それがこの映画の登場人物のみならず、現実の世界中の人々の行動原理になってしまっている。  その現実こそが、具体的な金融危機以上に圧倒的な恐怖なのだと思った。
[DVD(字幕)] 8点(2012-02-19 01:14:42)
582.  ヒックとドラゴン
“ドラゴン”がメインで登場するファンタジー映画にあまり良作は無い。というのが、個人的な見解だったこともあり、この映画が劇場公開されていた際も、頻繁にTVCMは見ていた気がするが、完全にスルーしていた。 ドラゴンと少年が出会い、親交を深め、感動を紡ぎ出す……そういうストーリーが容易に想像でき、そこに目新しさなどあるわけがないと思った。  実際映し出されるストーリーの大筋は、あくまで王道的でベタだった。正直、斬新な展開などないのだけれど、そこには映画としての絶対的な“巧さ”が溢れている。 どこかで観たことがある物語であることは確かだが、その圧倒的な巧さが問答無用に感動を生み、観たことの無い物語に初めて触れたような錯覚さえ生んでいる。  落ちこぼれのバイキングの少年がドラゴンとの交流により、精神的に成長し、自分たちが進むべき道筋を見出していく。その様は表面的にはとても分かりやすく、世界中の子供たちが楽しめる物語を構築している。 ただ、それと同時に、時に非常に辛辣な現実描写もきっちりと備えている。  そもそも、一族の中で「不適合者」と烙印を押されている主人公は、リーダーの息子でありながらメインストリートとは明らかに区別されたポジションに追いやられている。 それは、どれほど意欲があろうとも最終的には能力に秀でたものが優遇されるという現実社会の「常識」を表していると思う。 また、決死の覚悟で臨んだ勇気ある行為においては、そのリスキーさに対してしっかりと「代償」が主人公に与えられる。 その「代償」は子供向けのアニメ映画としては驚くくらいに悲劇的なことだけれど、それを映画世界の基本設定とバイキングというキャラクター設定を生かして、ある意味英雄的活躍に対する「勲章」という側面を併せ持たせており、そういう部分も非常に巧いと思った。  とにもかくにも、少年とドラゴンが互いに信頼を築き、少年を背に乗せたドラゴンが空高く飛翔する様に身震いし、涙が溢れた時点で、この映画の価値は揺るがないと思った。  基本的には子供向けの映画であることは間違いないし、出来るだけ多くの子供たちに観てほしい映画だと思う。 そして、その子供たちが大人になって観ても隅から隅まで楽しめる映画であることも、また間違いない。
[ブルーレイ(吹替)] 8点(2012-02-16 23:57:08)(良:2票)
583.  コンテイジョン 《ネタバレ》 
突如として発生した高致死率の新種ウィルスが瞬く間に世界中に広がっていく恐怖を描いた映画。 というイントロダクションを聞いて真っ先に連想してしまうのは、やはり「アウトブレイク」だ。「アウトブレイク」が、殺人ウィルスそのものの猛威とそれに対峙する主人公のヒーロー性を描いたエンターテイメント作品だったのに対し、今作はプロットこそ似通っているが世界観のテイストはまったく異なった映画に仕上がっている。  リアリティを追求していると言えば確かにそうだが、必ずしもすべての描写が「リアル」というわけではなく、随所に非現実的だったり、作為的に誇張されている部分もあったように思う。 思うに、この作品が描いているものは、未知なるウィルスそのものの恐怖ではなく、その“感染”による“パニック”に対応しきれないであろう全世界の社会体制自体の脆弱さ、そしてそこに“巣食う”人間そのものの恐怖だったのだと思う。  映画の冒頭数分で死に至ってしまうグウィネス・パルトロウの描写を皮切りに、文字通り死が伝染する様は恐ろしい。 しかし、それ以上に、ジュード・ロウが演じたような人間から発される作為的な「情報」によって伝染していく個々の人間のパニックが何よりも恐ろしく、結局彼のような人間の存在を治めきれない現代社会の「現実感」に非常に脅威を覚えた。  アカデミー賞クラスのビッグネームを揃えたキャスティングによる群像劇には、流石に迫力はあった。 その一方で、個々の人物描写が希薄に映ったり、そもそも物語が中途半端であるという批判も分からないではない。 リアリズムに振れるにしろ、エンターテイメントに振れるにしろ、もう少し踏み込んだ展開があれば、もっと印象的に化けた映画になっていたようにも思う。  ただ、この映画で描かれるまさに「今そこにある危機」を紡ぐにあたって、この物語の中だけで完結していない半端さは、逆に問題意識を巡らすための余白を生んでいると言え良かったのではないかと思う。 そういう意味では、いつもスティーブン・ソダーバーグ監督作品に感じる、“何だか物足りない”感じが、意図的にか偶然かは分からないけれど効果的に反映されている映画であると思った。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2012-02-15 14:01:44)(良:2票)
584.  ドラゴン・タトゥーの女
決して「駄作」だとは思わない。しかし「傑作」と呼称するには明らかに何かが足りない。流れ始めたエンドロールを見据えながらそういう印象を覚えずにいられなかった。  まず期待に及ばなかったのは、ストーリーの顛末だ。 イントロダクションの段階では、斬新なミステリー展開を期待したが、実際繰り広げられたミステリーは想定外に古典的だった。そのありふれたプロットに、拍子抜けしてしまったことは否めない。 そして、仰々しくミステリーの風呂敷を広げた割には、明かされた「真相」は“ありきたり”の範疇を出ず、驚きに欠けていたと思う。  また、主人公二人を始めとするキャラクター描写にも物足りなさを感じた。 ダニエル・クレイグとルーニー・マーラの主人公コンビが醸し出す雰囲気は非常に良く、滲み出る二人の空気感だけで、言葉にならない期待感が膨らんだと言っても過言ではない。 彼らはとても“頑張っていた”と思う。ただそれが、そのまま「もの凄く良い演技」という印象には直結しなかった。 それはやはり、人間描写そのものの薄さにあると思う。彼らのバックボーンを含めた人物描写が希薄なので、行動原理に理解が及ばず、すんなりと感情移入出来なかったことが致命的だったと思う。 特にルーニー・マーラ演じるリスベットというキャラクターは、その風貌から言動まですべてがエキセントリックで印象的だったけれど、彼女が現在に至る経緯や成長過程があまりに明確にされないので、人間味を感じることが出来なかった。 ルーニー・マーラは、見事な役づくりとそれに伴うパフォーマンスを見せたと思うが、そういう人物描写の薄さからキャラクターとして「好き」になるには至らず、単なるエキセントリックガールに映ってしまったことは残念だ。  監督の卓越した映画術によって、全編通してしっかりと作られていることは分かる。しかし、何かしらの「特別感」がこの映画からは伝わってこなかった。  今作は三部作の原作の第一章であり、映画としても三部作構成で企画されている。今作で乗り切れなかった分、続編での挽回に期待したい。  それにしても、あの“モザイク”は無い。「20年前のAVかよ」と思わず突っ込みを入れたくなり、大いに興が冷めてしまった。無名女優が己の未来を切り開こうと、体を張って熱い演技を見せているのだから、そのあたりをちゃんと汲んだ映像処理をしてほしい……。
[映画館(字幕)] 5点(2012-02-14 11:17:53)(良:1票)
585.  ハンナ
まるで拷問器具のように見えるデンタルケアセットを几帳面に並べ、自らの歯間を血が出るほど磨き続けるCIAエージェント役のケイト・ブランシェットが怖い。 “追跡者”として珍しく悪役を演じる彼女のキャラクターはとても印象的で、劇中でも表現されるが「魔女」という比喩があまりに相応しい役所だった。   赤子の頃から凍てつく森の奥に閉じ込められ、ひたすらに殺人の術を叩き込まれてきた少女。彼女の存在の“解放”と、秘められた謎を追うストーリーは、正直ありきたりと言える。 ただ、ただモチーフとして用いられている「グリム童話」が示すように、映画世界そのものがある種の“寓話”として描かれており、垣間見える非現実感が独特の世界観を構築していたとは思う。 冒頭からどこか達観した主人公の少女のたたずまいや、概念的な台詞回しに引き込まれたことは間違いない。  そこに何かしらの“含み”を持った曲のあるキャラクターたちが息づき、印象的な世界観をさらに深めていったと思う。 また画面には、常に今この瞬間に凶弾が襲ってくるかもしれないという緊張感が溢れ、上質なサスペンススリラーが映し出されていた。  しかし、最終的には物足りなさが先行したままエンドクレジットが流れ始めてしまった。  結局、寓話的な曖昧さが全体を包み込んでしまい、ストーリーに説得力が無かった。 キャラクターそれぞれに魅力的な存在感は備わっていたが、彼らが抱える過去の葛藤や人間性の描写が中途半端なままで、つまるところ何がしたかったのかが伝わってこない。  ジェイソン・フレミングが父親役で登場する家族との交流も、何だか中途半端で、捕らえられた家族があの後どうなってしまったのかとても気になって仕方が無い。 そういったあらゆる部分での人間描写があまりに中途半端過ぎたと思う。  「心臓外しちゃった」という主人公の台詞を、オープニングとエンディングで絡ませた演出は格好良かったけれど、ストーリー自体に今ひとつ中身がないので、「結局、ソレやりたかっただけじゃね?」と本来生じて欲しかったカタルシスを感じられなかった。  あとほんの少し脚本に小気味良い工夫があれば、圧倒的に素晴らしいアクション映画になっていた可能性は大いにあるだけに、とても勿体ない。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-02-04 14:20:55)
586.  カンフー・パンダ2
この“パンダカンフー映画”シリーズを立て続けに観て思ったことは、最新アニメーション映画において「声優」のキャスティングはこれまでとは少し違った意味で重要になるなということだった。 一昔前までは、客寄せのために著名な俳優を声優としてキャスティングするよりは、本職の声優を起用した方が良いと思っていた。  しかし、アニメーション技術の更なる進化により、造形されるアニメキャラクターの言葉遣いや仕草までもが、声優を担当する人間そのもののキャラクター性に合わせられるようになった。 詰まる所、映画の中で動き回っているのはデブのパンダだけれど、それを演じているのは明らかにジャック・ブラックだと思わずにはいられなくなった。 もし、何らかの事情で、このデブパンダの声をジャック・ブラック以外の人間がやることになってしまったら、その映画はもの凄くチグハグで違和感たっぷりの映画に成り下がってしまうだろうことは容易に想像ができる。  もはやこの映画はアニメーションだけれど、ジャック・ブラック主演でアンジェリーナ・ジョリーやダスティン・ホフマンらが脇を固める映画シリーズだと言わざるを得ない。 アニメーション映画のクオリティーはそういうレベルにまで達しているのだということを改めて感じる質の高い映画であることは間違いない。  ただし、そういったアニメーションの高い技術や、ハリウッドの一流俳優たちが演じるキャラクターの安定感に対して、ストーリーそのものにあまりに意外性がないことも事実。 「王道的」と言えばそうかもしれないが、だからと言って面白味が薄いのであれば、それはやはり問題だろう。 前作に対して、主人公には劇的な成長は無いし、敵役やその他キャラクターとの対立構造も薄い。  更なる続編も企画しているのかもしれないが、ストーリーにひねりや毒っ気がもう少し無ければ、尻つぼみになってしまうことは避けられないだろう。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2012-01-29 11:23:24)(良:1票)
587.  スーパー!
想定を大いに超越する“トンデモ”映画だった。 同時期に製作された「キック・アス」と殆ど同じプロットだと思っていたが、これはまさに“似て非なるもの”で全く「別物」の映画と言っていい。同様のカタルシスを得られると思って観てしまうと、とんでもないしっぺ返しを食らうこととなるだろう。実際そうだった。  この映画で描かれているものは、「キック・アス」のような新たなヒーロー像を構築したエンターテイメントでは決してない。 己の人生に絶望し、それを歪んだ正義感に繋ぎ合わせ、悪に対する憎しみを最大限に増幅させてしまった凡人の“狂気”の様だ。 主人公の想定外の暴走は、観ている者の心を問答無用にかく乱し、「衝撃」なんて飛び越えて、唖然とさせる。  自ら去った愛する妻の奪還、心のよりどころである神への信心、主人公を突き動かす要因は様々だが、そのすべてはほんの小さなきっかけに過ぎなかったのではないかと思う。 “ヒーロー”の「仮面」を被り、悪の抹殺行為が過剰に加速していく様は、主人公の男がそして人間そのものが元来持ち得る「衝動」が、膨らみ、弾けてしまった結果のように見えた。  あらゆるものを失い、主人公は“一応”目的を果たす。 ラストではそれでも何かが救われたように描かれているけれど、それこそがまさに“フェイク”で、偽物のヒーローが辿り着いた先はやはり「悲劇」だった。  映画において、何と言っても衝撃的なのは、エレン・ペイジである。 即席ヒーローと化した主人公に呼応し、相棒役“ボルティ”に扮するリビーを演じた彼女のパフォーマンスは、文字通りに終始“弾けている”。癇癪玉のように突如として弾け、これでもかと弾け続け、ふいに弾けとんで終わる……。 主人公が徐々にその狂気性を高めていくのに対し、リビーはそもそものキャラクター性が暴走的で狂気じみている。 リビーの行動を引き起こしたのは主人公だが、主人公の行為を破滅的に深めたのはリビーであるという絶妙な関係性が、この映画の肝と言っても過言ではない。  その重要な役所を、相変わらずの小さな体で“妙ちきりん”に魅せたエレン・ペイジこそが、この映画の最大の見所と言ってもいいだろう。  前述の通り、決して気分の良い映画ではない。ただ、批判も肯定もとにかく観てみないことには何も始まらない。
[DVD(字幕)] 9点(2012-01-29 10:46:48)(良:1票)
588.  マイティ・ソー
マーベルコミックのヒーロー大集合のお祭り大型企画「アベンジャーズ」は、大いなる疑心も付きまとうが、それを遥かに凌駕する期待感が先行している。イロイロ特色を持ったキャラクターが大集合!って設定は手放しでテンションが上がってしまう性質なので。  それはそれとして、神話世界のヒーローを描いた今作「マイティ・ソー」までが、そのプロジェクト・アベンジャーズの一端に食い込んでいるとは知らなかった。 まさに“神”レベルのキャラクターである“ソー”と、基本的には普通の人間である“アイアンマン”こと“トニー・スターク”らが同列に並んで成立するものなのだろうかと思う。 まあ、その懸念は実際に「アベンジャーズ」が公開されてから見極めることとしよう。  単体でみた今作を一言で言うと、「あらゆるイマジネーションが氾濫した映画」というところだろうか。 映し出される映画世界は、まさに“洪水”のような勢いで押し寄せ、入り交じり、混濁している。 実際に描かれているストーリー自体は、お伽噺的なものでシンプルなのだろうけれど、その氾濫具合によって訳が分からなくなってくる印象を受けた。  序盤は“神々の世界”の途方も無さに少々置いてけぼりになり、更に地球へ追放された主人公の立ち振る舞いや、唐突な溶け込み方に呆れた。 そのまま「駄作」と断じてしまってもよかったけれど、何となく拒否しきれない不確かな魅力が、結局のところそれを回避した。  色々な点で突っ込みどころは満載だ。描かれる物語は詰まる所、親子の確執や兄弟の確執の範疇を出ておらず、その当人たちがたまたま「神」だったから全宇宙を揺るがすほどの仰々しい騒動になってしまったという風に見える。 ただそれがこのコミックの世界観だと言われれば、正直批判する余地は無いようにも思えてくる。   鉄の巨人が突如地球上に現れて、それを目の当たりにした政府の人間たちが何を言うかと思えば、 「スタークのものか?」「いや聞いてない」というやりとり。 それを聞くなり、自分の中の“ワクワク感”がひょいっと頭を出してしまった時点で、この映画自体が面白かろうが面白くなかろうが、“マーベルのお祭り”にまんまとノせられている者としては受け入れるしかないのだろう。   (2018.5.7再鑑賞) 初鑑賞時は“ソー”というマーベル・コミックのキャラクター自体に対してビギナーだっため、どういうスタンスでこの「雷様」を捉えるべきか分からず、この映画世界を味わうに相応しいテンションを見出だせていなかったのだと思う。 結果的に、繰り広げられるイマジネーションが混濁しているように見え、「駄作」という印象さえ禁じ得なかった。  しかし、「アベンジャーズ」を含めて、その後のシリーズ作をすべて経てきた今となっては、再鑑賞した今作の印象が一転したことは言うまでもない。 改めて観返してみると、神話にまで通ずる超宇宙を股にかけた崇高なスペースオペラであり、生きる世界の垣根を超えた壮大かつ愛らしいラブ・ストーリーとして、見事に仕上がっている。 「宇宙戦争」「地球の静止する日」等の古典を彷彿とさせるクラシックSFとしての側面も味わい深い。  そして、屈強な雷神に愛されるヒロインとして、ナタリー・ポートマンの魅力的な存在感はあまりにも相応しい。  マーベル・シネマティック・ユニバースの作品群の中では、世評的にも興収的にもそれ程褒められた結果を得られた作品では無かったけれど、“ソー”という明らかに異質なスーパーヒーローの立ち位置を確立させ、紛れもなく愛すべきキャラクターとして成立させてみせたことは、この直後に公開された「アベンジャーズ」成功の最たる要因と言えよう。  贅沢かつ的確なキャスティングを成功させ、この難しい企画をまかり通してみせたケネス・ブラナー監督の手腕と、功績は大きかったと思う。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2012-01-15 01:32:11)(良:2票)
589.  聯合艦隊司令長官 山本五十六―太平洋戦争70年目の真実―
今年初めての映画鑑賞を終えて映画館を出た。映画館の屋上の駐車場から沈み始めたばかりの夕日が見え、その輝きの思わぬ美しさにしばし見入った。 様々な価値観はあろうが、僕自身のこの人生が、同じようにこの国に生きた数多くの生命の上に成り立っていることは疑いの無いことで、こうやって美しい夕日が見られるのも、彼らの生命のおかげだと思った。  伝記映画として、戦争映画として、この映画に目新しいドラマ性は殆どない。 逆に言うと、世間一般の知識が乏しい山本五十六という人物の人間性を真正面からきちんと描いている映画だと言えると思う。 実在の人物や歴史を描いた数多の映画と同様に、今作が総てにおいて真実を描いているとは思わない。 しかし、たとえ一側面であったとしても、山本五十六の人間ドラマは充分に感じることができたし、それに伴う歴史の無情さや愚かさも深く感じることができた。  太平洋戦争勃発時の司令長官として、戦中戦後に渡り山本五十六に対する世間の風評は大いに揺れ動いたように思う。時には過剰すぎる程に神格化され、時には諸悪の源として蔑まれていたことだろう。 実際にこの人物がどういった人間だったのかは、タイムマシンでもない限り知る由もない。が、少なくともこの映画を観た限りでは、そういった世間の盲目的で安定しない風評に反するかのように、自分の目で世情を見据え揺るぎない信念を持ち続けた人間だったのだなと素直に感じた。  混沌とする世界の中で、一国の重圧と期待と悲しみを一身に背負い生き抜いた一人の人間の姿を見ることができた。 同時に、戦争とそれに伴う悲しみは、“誰か”のせいで生まれるのではなく、その国全体の“愚かさ”によって生まれるのだとういことを思った。  役所広司の演技にも目新しさは決してないが、安定しており、何よりも“説得力”が備わっていた。 主演俳優の演技に呼応するように、作品全体に安定した説得力のある良い映画だったと思う。  「歴史」を描いている以上、あらゆる価値観から賛否は渦巻くのだろうけれど、少なくとも今現在この国で生きている自分は、より責任を持って今この時を生きていかなければならない。  そして、今この国に生きる人々の多くは、太平洋戦争から70年を経た今だからこそもっとこの戦争の事実を知らなければならない。  そういったことを何よりも強く感じた。
[映画館(邦画)] 8点(2012-01-08 22:51:01)(良:2票)
590.  劇場版 神聖かまってちゃん/ロックンロールは鳴り止まないっ
エンドロールまでしっかり観終わった後、ラストのライブシーンを繰り返して、主人公の女子高生が大きく息をついてからガッツポーズを決めるカットを二度観た。 その後も特典映像の劇場版予告編を見終わったまま、DVDをプレイヤーから取り出せないでいる。 まさに余韻に浸っている状態だ。沢山の映画を観ていると稀にこういう状態に陥る。  実在のバンド「神聖かまってちゃん」のライブまでの日々を軸にし、まったく関わりのない別々の環境の人間たちのくすぶる心情と葛藤がつらつらと描かれる。 作り手が自らの趣味趣向を全面に押し出したマスターベーション的な映画世界が繰り広げられるんじゃないかという危惧は大いにあった。 そもそも、某ラジオ番組で話題に出ていなければ、こんなタイトルの映画は見向きもしなかったろう。 “見向きもしなかった”ことを考えると、本当にぞっとする。  冒頭から安っぽいデジタル撮影の映像が映し出され、上手いのか下手なのか、はたまた自然体なのか素人くさいのか判断に悩む出演者らの演技が繰り広げられる。 作り手の自己満足が入り交じったチープな映画世界が展開しているようにも見える。  しかし、すべてが終わった後には、無駄なものが何もない映画に思えるから不思議でならない。 “チープ”という印象がいつの間にか消え去り、“良い映画”という印象も覚えぬまま、気がつけば“大好きな映画”になっていた。  「神聖かまってちゃん」なんてふざけた名前のバンドはその存在すら聞いたこともなかったし、必然的に作品の中で流れてくる彼らの音楽にすんなりと共鳴できたわけでもなかった。 しかし、ラストのライブシーンでは彼らの音楽とともに、登場する様々な環境の人物たちの様々な思いが混じり合うようにして流れ込んでくるのを感じた。  プロ棋士を目指す少女は将棋盤を睨みつけ汗を拭う。 くすぶっていたそれぞれの火種が、バンドの音楽とともに突如として燃え上がる。 彼らの問題がそれですべて解決したわけでは決してないけれど、そこには次に進むための一筋の光が見える。  「感動は理屈ではない」なんてよく言うけれど、本当に自分の中で理屈が成立する前に訳が分からぬまま気持ちが高揚し、涙が溢れ出そうになってきた。  まだまだ吐き出したい思いは溜まっているけれど、うまく言葉にできない。 年の瀬、想定に反してスゲー映画を観てしまった。
[DVD(邦画)] 10点(2011-12-30 12:07:56)(良:2票)
591.  SOMEWHERE
父親を起こすエル・ファニングの愛らしさ。 ヘリコプターの爆音で伝わり切らない父親の謝罪。 痛いくらいに青く美しい空。 幸福な時間とそれに伴う虚無感。  想定外にストーリーに起伏がなく、映画スターだが自堕落な生活を送る父親と別れて暮らしている娘との束の間の時間の共有をただただ切り取っただけの映画だった。 両者の関係性に劇的なドラマがあるわけでもなければ、何が起こるわけでもなく映画は終わる。  絶対に退屈な映画であることは間違いないのに、それを忘れさせ、不思議な心地よさの中で愛おしい時間を見つめていた。   ソフィア・コッポラの真骨頂という触れ込みは間違っていない。 こういう何気ない描写を何気ないまま映し出し、そこに言葉にならない情感を生むことにこの女流監督は本当に長けている。 プロットとしては、同監督作の「ロスト・イン・トランスレーション」にとてもよく似ている。映画の美しさにおいては負けずとも劣らない独特の秀麗さを見せてくれている。  ただしかし、「ロスト・イン~」が“傑作”と疑わなかったのに対して、今作は絶対的な物足りなさは感じる。 それが主演俳優の差か、微妙なシナリオ構成の差か、はっきりとは分からないが、映画としての美しさは溢れているものの、“面白味”に欠けてしまっていることは間違いない。  それでも、冒頭に記したようなとても印象深いシーンが幾つかあるだけで、良い映画だとは思う。
[DVD(字幕)] 7点(2011-12-27 01:06:47)
592.  ピラニア 3D
ラストシーン、いや“ラストカット”を目にした瞬間、この映画は絶対的に低俗で馬鹿馬鹿しい“愛すべきB級モンスター映画”の一つとして、僕の脳裏に住みつくことと相成った。  今さら「ピラニア」なんてタイトルのモンスターパニック映画のパッケージを見たところで、普通なら食指は伸びない。 ジャケットのイラストの仰々しさだけに注力したC級以下映画だろうとスルーすることが定石である。 しかし、某ラジオ番組のPodcastでやけに評価が高かったことで記憶に残り、陳列されていたパッケージを手に取った。   湖で繰り広げられるフェスタで浮かれまくり、乳と尻を振りまくる若者たちの“大群”が、古生代の凶暴過ぎるピラニアの“大群”に問答無用で襲撃され、お色気満載のボディがおびただしい“肉塊”へと無惨に変貌してしまうという、詰まるところ悪趣味極まりない映画である。  でも、エロくて面白いんだからしょうがない。   ビッグネームとしては、クリストファー•ロイドとリチャード•ドレイファスがキャスティングされいる。 両者ともちょい役だけれど、その配役にも映画ファンとしては実に軽妙なセンスを感じ堪らなかった。
[DVD(字幕)] 8点(2011-12-27 01:01:07)(良:2票)
593.  ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル
50歳手前のトム・クルーズが、とにかく走りまくり、飛びまくり、吹き飛ばされまくる映画だ。 この映画に対して「どういう映画だ?」と問われれば、こう答えたいと思う。 正直言って、彼のそのパフォーマンスだけでも「脱帽」だと言えるし、必ずしもトム・クルーズのファンでなくともその部分だけでも観る価値はあると言える。 ハリウッドの映画スターとして存在し続ける彼の在り方は、まるで一流のベテランアスリートを見ているようだ。彼自身の俳優としての鍛錬と向上心が、“トム・クルーズ”というハリウッドスターの存在性と輝きを保持し続けているのだと、思わずにはいられなかった。  映画自体は、「ミッション:インポッシブル」というスパイ映画シリーズとして「面白い」としか評する言葉は必要ないと思う。PART2、PART3の出来が決して良くないので、そもそも質の高い映画シリーズとは言い難い部分はあるが、今作は、それらを補える程の面白味を携えたPART4として仕上がっていたと思う。シリーズ最高傑作と言っても間違いないと思う。  こういったシリーズ物の悪しき特徴として、最新作の設定において前作の苦労があっけなく水泡に帰してしまっているということが多々ある。今作にしても、前作で必死になって守り切ったものが、すでに喪失してしまっているというくだりがある。 それに対しては大いに難癖を付けたかったところだったが、今作はエピローグで見事に消化してくれている。  そのこともあり、ラストのシークエンスがより爽快感に溢れ、50歳を過ぎようがなんだろうが、トム・クルーズの更なる続編に期待は膨らんだ。  とにかく映画の中のあらゆることが超格好良くて面白い。それだけの映画だ。
[映画館(字幕)] 9点(2011-12-25 23:59:09)(良:2票)
594.  トロン:レガシー
てっきり1982年のオリジナル作品の“リメイク”だとばかり思って観終わってみれば、28年の年月を経た正統な「続編」だということを後から知った。 そうであればちゃんとオリジナル作品を観てからでないと真っ当な評価にならないんじゃないかと思い、その後に感想を書こうと思った。  以降、オリジナル作品鑑賞後の感想。。。  一年前に公開されて以来、酷評ばかりしか伝わってこなかったので、「駄作」なんだろうと身構えていたことが逆に功を奏したのか、想像以上に興味深く面白い映画だった。  一流のゲームプログラマーの父親が失踪して20年。残された息子が誘われるように、電脳の世界に入り込みアドベンチャーを繰り広げながら父親と再開を果たす。 専門用語が飛び交うストーリーそのものは、アンフェアだし著しくご都合主義だとは思う。ただし、その世界観への試み自体はとても深遠で、大いに興味をそそられるものだった。 この世界観の概念を30年近くも前に描き出したのだから、映画の善し悪しはともかくとしてオリジナル作品の革新性に大きな価値があることは間違いない。  そして、オリジナル作品を観てから今作を振り返ってみると、とてもオリジナル作品のファンの愛着に応えた作品であることが分かる。 もし自分が、1982年当時にオリジナル作品を鑑賞し、その世界観に衝撃を受けた上で28年の時を経て続編である今作を観たらならば、その感慨深さはちょっと特別になるかもしれないと思ってしまう。 それは爆発的な映像技術の進歩であったり、オリジナル作品を踏襲した台詞回しだったり、引き続き同役で出演を果たしたジェフ・ブリッジスの円熟味だったり多岐にわたるだろう。  傑作だろうが駄作だろうが、映画とは鑑賞者個々人の価値観がすべてにおいて優先されるべきもの。 この映画を「駄作」と断ずる人も多いのだろうけれど、「傑作」と崇める人もたぶん結構居るだろうと思わせる。   僕自身にこの映画シリーズに対する思い入れはないけれど、少なくともこの過剰なまでの仰々しさ溢れる映画世界は嫌いではない。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-12-25 23:53:53)(良:1票)
595.  塔の上のラプンツェル
「ああ……テレビが小さ過ぎるな……」  目の前では、居なくなったプリンセスを憂いて無数の灯りが夜空に向けて上げられている。 自宅の32型の液晶テレビに映し出される、その美し過ぎるシーンを観ながら思った。 同時に、この映画を映画館で、そして3Dで観なかったという“失敗”に今さら気づき、遅過ぎる後悔を感じた。  理屈ではない。ディズニーはやっぱり素晴らしいとしか言いようがない。 ディズニー映画に対する問答無用の高揚感はもはや条件反射で、それは世界中の子供たちに行われ続けている“幸福な刷り込み”によるものだと思う。 大人になって、ディズニー映画の新作を見てもすんなりとその高揚感を味わうことは少なかったけれど、この映画にはかつて自分自身が子供の頃に“刷り込まれた”愛すべきディズニー映画の“源泉”が溢れ出ているようで、ただただその世界観に包み込まれた。  四の五のと御託は必要ない。今の自分を取り囲む“いろいろ”を一旦ソファーの横にでも置いといて、世界で最も信用度の高いブランドによる「夢の国」に入り込むべし。  P.S.残念ながらDVDやBlu-rayで観るのであれば日本語吹替で可。しょこたんギザウマス+ギザカワユス。
[DVD(吹替)] 9点(2011-12-21 15:50:43)(良:1票)
596.  ルパン三世 血の刻印~永遠のmermaid~<TVM>
毎度おなじみのテレビスペシャル版。そもそも期待もしていなかったので、最初から最後まで取り敢えず見れた分、“マシな方”という内容だったのではないか。  いつもならテレビ放映されていても大概スルーするのだけれど、今回から主要キャスト声優陣が一新されたとのことで、恐いもの見たさもあり鑑賞に至った。 銭形警部、峰不二子、石川五ェ門というメインキャラクターの入れ替えはとても残念だったけれど、それぞれのキャラクターの第一声から「違和感」と言える程の印象はなく、終始耳馴染み良く観られたことは、大いに「成功」と言って良いのだろうと思う。  「ルパン三世」も、もはや「サザエさん」や「ドラえもん」と同じく、国民的アニメであることは間違いないので、寄る年波による声優を始めとするスタッフの入れ替えは致し方がなく、これからの世代に向けて残し、新たな作品を生み出していくということに、より大きな価値があると思う。  この作品自体は、「カリオストロ」と「ラピュタ」と往年の名作アニメをパクり……もといオマージュを捧げつつ、「超人ハルク」を無理矢理に混ぜ込んだようなヘンテコな作品だったけれど。  逆に言うと、次元大介役の後釜は今回見つけきれなかったんだろうなあ……。 「最後の砦」として、引き続き小林清志さんの末永いご活躍をお祈りしたい。
[地上波(邦画)] 5点(2011-12-08 16:22:08)
597.  トゥルー・グリット
「西部劇」というものをこれまで殆ど観てこなかった。「食わず嫌い」に近い苦手意識があったように思う。 あくまでイメージとして、捻りのないストーリーのわりに愚鈍でテンポが悪いという印象が何故かあった。  今作にしても、“西部劇を観る”というというよりは、“コーエン兄弟監督作品を観る”という立ち位置の方が先行していたと思う。 結果的に、予想外に“真っ当な”西部劇を観てしまったなあと思った。コーエン兄弟が、これほどどストレートな映画を撮ったこと自体が驚きだったと言える。  決して面白くなかったということはない。リメイク作品らしく、もちろんジョン・ウェイン主演のオリジナル作品は観たことがないが、映画世界そのものがとても丁寧に描き出されていることは全編通してひしひしと伝わってきて、ストーリー云々以前にその世界観自体を堪能できた。 イメージに反し、テンポも悪くなく、各々がそれぞれの悲哀を抱えながら短い旅をする様には、ドラマの多様性があった。  衝撃的に面白いということはなく、またそういう類いの面白さを求める映画ではないと思う。 登場人物それぞれの描かれていない部分の人間性や人生を想像し、鑑賞者のそれぞれが深めていくことが正しいのだろうと思うし、そういうことが「西部劇」を観る上での醍醐味なのかもしれないなと思った。  今作のオリジナル作品も含めて、優れた西部劇は数多くあるのだろうから、少しずつ観ていきたいなとも思う。 そういう意味で、個人的には映画鑑賞の可能性をちょっぴり広げてくれたとともに、マット・デイモンのスター俳優らしからぬ使い勝手の良さを改めて感じた映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2011-12-06 17:18:24)(良:1票)
598.  プリンセス トヨトミ
決して高くはない期待を大きく下回る想定外に“滑稽”な映画だった。  原作は未読だが、人気作家の話題作の映画であるから、映画自体のの善し悪しの前に物語自体の面白さはある程度堪能出来るのだろうと思っていた。 しかし、残念ながら紡ぎ出されるストーリー自体があまりに下らなかった。 突飛な設定をまかり通す物語の説得力と整合性は皆無で、堤真一、中井貴一ら日本を代表する俳優たちの“真面目”な演技が妙に滑稽に映ってしまう程だった。  これが原作通りならば、これほど了見の狭い稚拙な小説がなぜ売れるのだろうと疑問が膨れ上がるところだったが、どうやら例によって、大いに原作の伝える世界観を無視した映画になってしまっているようだ。 そもそも面白い小説の映画化はハードルが高いものなのに、その世界観をただ踏襲することも出来ず、好き勝手に無駄な要素を付け加えて、“別物”に作り替えてしまうことに対する美意識の無さが、いつものことながら理解出来ない。  どうやら映画を観ていて感じた「大阪」という舞台設定におけるあらゆる稚拙さが、原作小説には無い要素であり、逆に舞台となった土地への造詣が深い作者ならではの濃い世界観が原作では繰り広げられているらしい。 原作自体は前々から気になっていたので、読んでみたいとも思うが、この映画を観た後では当面読む気にはなれない。  ただし、憎悪さえ生まれてもおかしくない駄作ぶりにも関わらず、どうしても憎めない自分がいる。 その唯一の要因は、綾瀬はるか嬢の“たわわ”な小走りシーンが、冒頭とクライマックスの二度に渡って映し出されるからに他ならない……。
[DVD(邦画)] 2点(2011-11-30 22:18:36)(良:1票)
599.  ステキな金縛り ONCE IN A BLUE MOON
三谷幸喜。この小心者の人気脚本家は、与えられた潤沢な製作費と大衆の反応を気にするあまり、“コメディ”の面白さそのものを見失っているように思えてならない。  まずはっきり言ってしまうと、この映画に稀代のコメディ作家が織りなす“ストーリー”の面白味として特筆すべきものは何もない。 三谷幸喜が、その役割を果たせた要素は、無意味に豪華なキャストを揃えたことくらいだ。彼の実績が、単独で映画の主演を務められる俳優たちを幾人も集め、別に彼らにその役を演じさせる必要の無い端役を演じさせている。 豪華なカメオ出演に彩られて、ストーリーが面白いのであればもちろん問題はない。でも、そうではないので、やはり問題視せざるを得ない。  殺人事件裁判の証人に落ち武者の幽霊を立たせるという荒唐無稽な設定自体に文句が言いたいのではない。 そこから始まるストーリーテリングが、あまりに論理性に欠け、陳腐だ。 “下らない”要素を論理的に積み重ね、物語に面白味に長けた説得力を持たせることが、三谷幸喜という脚本家の魅力だったはずだ。 舞台設定の雰囲気と、キャストの豪華さのみに頼り、ストーリーそのものの面白さが無かったことが残念でならない。  と、つらつらと酷評を綴ったが、それでもこの映画は観客をスクリーンに惹き付ける“要素”を持っている。 それは、主演女優の愛らしさだ。深津絵里が魅力的で仕方が無い。 昨年の「悪人」で見せた薄幸のささくれた表現からひっくり返ったような可愛らしいパフォーマンスに対して、頬のゆるみを止められなかった。  主演女優の存在感が、ぎりぎりのところでこの映画の娯楽性を繋ぎ止め、盛り上げていた。そんな気がする。
[映画館(邦画)] 5点(2011-11-06 20:10:52)(良:2票)
600.  DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?
「アートであれば、裸になってもいい」と、大島優子がきっぱりと言った。 一昔前であればアイドルの言動としてはあり得ないその様を見て、これが今の時代の“アイドル”の姿なのだなと妙に納得した。  自分の価値観の中では、もうすでに“アイドル”にうつつを抜かす歳ではないという認識なので、残念ながら今この瞬間の「時代」を騒がす「AKB48」のファンというわけではない。 ただどんな形であれ、これほどまで世間の話題の中に出現し、確実に浸透度を高めていく様を見ていると、やはり興味深い存在にはなってきている。  にわかの知識で論じるのはとてもおこがましいと思うが、「AKB48」というアイドルの最大の特徴は、「アイドル」という“システム”自体を表立たせ、その“表裏”両面を“売り”としたことだと思う。 彼女たちがどのように集まり、どのように成長し、どのようにせめぎ合い、どのように生き残っているのか。 そういうことを一つ一つ“表現”することを「魅力」としたことが、成功の要因だろうと思う。  ただし、それは必ずしも包み隠さず“有りのまま”を表現しているということではない。 このドキュメンタリー映画も含め、あらゆるメディアの中に登場する彼女たちの言動が、それぞれの人間そのものの姿だとは決して思わない。 とても強く思ったことは、彼女たちはプロフェッショナルだということだ。良い悪いではなく、本当の意味で「アイドル」のプロなのだと思った。  可愛らしさや笑顔はもちろん、涙や怒りや嫉妬や滑稽さまでもが、自分たちが売るべき「商品」であることを彼女たちは認識している。 自分たちがどんな表情を見せれば、どういう効果を得られるということをきちんと計算し、勝算を持っている。 似つかわしくない言い方をすれば、「飯を食っていくため」にアイドルという仕事をしていることを、一人一人が本質的に理解しているように思えた。  そういう冷静な“割り切り”を根底に敷いた上で、自分たちに与えられた“限られた時間”を精一杯に突っ走る。 その様こそが、「AKB48」が時代に受け入れられた最たる要因なのかもしれない。   ドキュメンタリー映画としては主要メンバーのインタビューを羅列しただけのもので程度が高いとは言い難い。 ただし、それでも映し出された彼女たちの姿を見て、今更ながらうつつを抜かしてしまいそうにはなってきた。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2011-11-05 22:01:41)
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