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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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581.  牛首村 《ネタバレ》 
「恐怖の村シリーズ第3弾」である。 今回は「坪野鉱泉」と「牛首トンネル」という2つの心霊スポットを取り上げているが、題名のとおり牛首関係の方が中心で、廃ホテルとはエレベータなど“落ちる”場面で本筋とのつながりをつけている。「村」に関しては実在の地区名があるようだが(江戸時代は牛首村)、八坂神社(祇園社)の祭神である牛頭天王に由来するのであれば別に呪われた地名などではない。ほかに牛首つながりとしては“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”という「牛の首」説話とか、予言獣「件」(くだん)とかいうネタを出しており、また「七つまでは神のうち」など各種要素を積極的に(やたらに)取り込んでいるのが特徴的ともいえる。 この映画に何かまともなテーマがあるとすれば牛というより双子に関することのようで、昔あった「畜生腹」という言葉と、具体的な動物としての牛を無理やり結び付けた形かと思われる。現代日本で双子を忌み嫌う風潮などはさすがにないだろうが、それでも多胎児家庭は虐待リスクが高まるため支援が必要という声もあり、また世界的にはなぜか多胎児の多い地域があるようで(食物の関係?)、それが人権問題につながっている場所や時代もあったのかも知れないが、そういう社会的な問題提起のようなものがこんな映画に込められているわけもなかろうという気はする。 以上に関して無理にいえば、関連性の曖昧な各種要素を逐次投入して観客を眩惑させておき、最終的に真のテーマに導く意図だったと取れなくもないが、単にまとまりがないだけのようでもある。さらに今回は邦画ホラーらしい怖さも特になく、適度にふざけた部分もないので真面目に見えるが面白味がない、というのが素直な感想だった。  ほか今回は地元PRにも気を使っていたようで、Aクラスの蜃気楼が出た時は実際に魚津市役所がアナウンスするとの噂もある。映像面では魚津駅の大雨が印象的だった。 登場人物に関しては、芋生悠という人が全く可愛くない役だったのは残念だ(本人がよければいいが)。またレギュラー化した突撃ユーチューバーが「オカルト特集第3弾!」と言っていたので、この人が犬鳴村と樹海村から無事に生還できた世界での話かも知れない。せっかくなので、この人のYouTubeチャンネル「アッキーナTV」で定番だった「ハロー!アイムアッキーナ!世界の皆さんこんにちは〜!ども、アキナです!」をフルバージョンでやってもらいたかったがそうでもなかった。同行のミツキちゃん(演・莉子)も愛嬌があって可愛いので、次の機会にまた生き返って出てもらうのもいい。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-07-23 09:44:01)(良:2票)
582.  風鳴村 《ネタバレ》 
原題は“風車の大虐殺”だろうが、日本国内向けには邦画ホラーの「恐怖の村シリーズ」を思わせる題名とイメージ画像(顔付き)を作っている。内容としては観光バスツアーに参加した客が殺人鬼に順次惨殺されていく展開になるが、見るからに作り物なので嫌悪を催すほどの残虐さは感じない。腹部から出た腸を胸部に戻そうとするなと劇中の外科医には言いたくなった。 オランダ映画ながら登場人物は外国人ばかりで台詞は英語だが(一部は日本語)、一応オランダらしく風車小屋が出て来て、そこへ行くまでの干拓地の風景も見られるのは有意義だ(チューリップは出ない)。水路沿いに丸い池が2つあって堤防上の道路が迂回していたのは何だったのか知りたい。ちなみにアムステルダムは売春宿の栄える頽廃の都のイメージなので地獄行きの出発地にふさわしい。 一応最後まで飽きずに見ていられる作りだが、風車以外はそれほど特徴的な点もなく、悪くはないが平凡な印象の映画ではあった。よかった点としては、オランダから逃げればいい、と子連れの男が言ったのがちょっと意表をついた発想で、これは本人が隠していたものが図らずも外部にはみ出てしまったことの表現として効果的だった。  ほか背景設定には不明な点が多いが、個人的に興味深かったのは悪魔と契約した男が、「風のない日も風車が回るよう」にして財を成したが周辺住民に殺されたという昔話だった。ここで風車はオランダ独自要素としても、同様の話はヨーロッパの別の場所にも伝わっているとのことだったが、日本でも憑物筋と言われたのは地域社会で富裕な家系だったという説もあり、それと似たようなものとすれば悪魔というより周辺住民の妬み嫉みがもとになった話とも考えられる。この辺は意外に邦画「犬鳴村」にも通じるところがある。 また拙い日本語を話す変な東洋人は日本語だったからには日本人と思うしかないが、この男が真言を唱えただけで悪霊が退散したのは、東洋の神秘的な力が欧州では無敵だというようで感心させられた。どうせこんなのは二番目くらいで無惨に死ぬだろうと思っていたらそうでもなく、祖母との関係性や終盤の行動を見ると、わりと肯定的に扱われた登場人物だったらしい(子ども・女性・有色人種を優遇)。最後は日本でいう「ほんとに怖いのは人間」的な結末だったようである。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-07-23 09:43:59)
583.  クナシリ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦生まれでフランス在住の監督が国後島で撮ったドキュメンタリーである。クがKOUでシがCHIなのはフランス映画だからである。 日本人が普通行けない場所なので何かと物珍しいが、特に自然景観が美しく撮られており、爺爺岳(1822m)の姿が見事と思わせる場面があった。対岸には知床半島らしきものが長大な山脈に見えていたが、島は戦車とゴミだらけという印象も出している。 地元社会を映した映像もあり、戦勝記念日の式典ではちゃんと軍事パレードをしていたが、モスクワでやるのと違って貧弱だったのは微笑ましい。夜には貧弱な花火も上がり、地元民にとっては年中行事のお祭りのようなものかと思った。 登場人物では、戦後の一時期に日本人と一緒に暮らした記憶のある老人の、日本の文明度や文化性に対する評価が高かったのは驚かされた。昔を知るからこそのいわば親日派が最低1人はいるらしい。  全体構成としては老人が言った「共存すればいい」というのと、会社経営者?の「議論の余地はない」が対置されたようにも見える。ただ会社経営者?の話はロシアの公式見解そのままだろうから、まともに聞けば誰でも同じことを言うだろうが、本音としてはみな老人のように思っているはずだ、というのが制作側の考えかも知れない。 一方でこれを日本人が見た場合、現時点の荒れた世論のもとではとにかくロシアとプーチンを悪として叩く、あるいは安倍元総理もセットで叩く、といった反応が出てきそうだが、さらに戦後以来の日本の風潮として、日露区別なく民衆を不幸にする国家の存在が悪だとする立場もありうるわけで、配給側としてはその辺に近いのかと思われる。個人的には特に考えがあるわけではないが、少なくとも現地住民のためだけに日本が一方的に譲歩する義理はないとはいえる。  なおこの映画とは別に、2016年に日本の読売テレビが取材した番組(最近YouTubeに上がっていた)を見たが、その中でも元島民の人物がロシア人とは仲良くしていたと語る場面があり、ロシア人の子どもらがとにかく可愛く見えたという話は印象的だった。この映画で語られていたのも単なる老人の繰り言というよりは、現実に人々が共存できた時代があったという証言と解される。 最終的には「共存」がこの映画の中心的なメッセージに思われたが、しかしこれを公式サイトのコメントのように否定的に言及して腐すのでは、映画を真面目に見ようとする気までが失せることになる。そもそも制作時点から世界情勢が変わり過ぎて公開適期を外した気もするわけだが。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:53)
584.  良いビジネス 《ネタバレ》 
アマゾン・プライムビデオで公開されている5分弱のショートムービーである。主に異星生物のCGと皮肉なストーリーが注目されていたらしい。 異星生物には大中小の3種類がいたようで、大は家畜か何か、中が普通の人、小は別種族か子どもかも知れない。世評でキモカワイイとか言われていたのはこの小のことであり、その他は「キモ」だけである(「第9地区」(2009)を思わせる)。  【以下は個人的解釈】 劇中惑星は地球人が普通に歩ける重力で、普通に呼吸できて適温という非常に都合のいい場所であり、こんな所まで普通に行っているからには相応の未来と思われる。言葉が英語で、武器は地球の20世紀に開発されたものだったようなので、地球人に見える生物は実際に地球人だったと思っておく(スターウォーズのような設定でなく)。 出ていた地球人2人は会社員のようで、相手に合わせて旧式の武器も売るといえば武器商人かも知れないが、業務として戦闘もするなら民間軍事会社のようでもあり、あるいは惑星の支配を企んでいるなら不動産開発業者かも知れない。グローバル企業というよりユニバーサル企業ということだ。 地球人も問題なく暮らせる場所だとすれば、会社としては人が住む前提での利用方法を考えていたかも知れない(知的産業の開発拠点とか、惑星まるごと富裕層の別荘地とか)。しかし問題なのは変な害虫が蔓延していたことで、これをどうやって駆除するかを考えたのが「会社の方針」ということになる。 地球と事情が違うのは害虫に知能があったことで、これに安価で使い勝手のいい武器を与えて害虫同士で駆除し合いさせれば、殺虫剤とか核兵器などで惑星環境を損なうことなく目的が達成できることになり、それで成功するなら会社にとっては良いビジネスである。なお劇中の社員が死んだとすれば会社にとってはコストだが、プロジェクト全体では恐らく微々たる損失である。  ちなみにこれを見て思い出したのは、第一次世界大戦時に地中海へ派遣された日本艦隊にイギリスから駆逐艦2隻が貸与されたが(「橄欖」と「栴檀」…読めない)、これはゴキブリが大繁殖してどうしようもなくなっていたのを日本海軍に押し付けたという説があったことである。ゴキブリに知能があれば老獪なイギリス人が分断工作をして自滅させただろうが、そうでなかったので真面目な日本人が駆除させられたということだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:52)
585.  花咲くころ 《ネタバレ》 
1992年のグルジアの話である。ソビエト連邦から独立した次の年だが、独立しただけで人々が幸せになるわけでもなく、内戦が起きたりして不穏な情勢が続いていたらしい。 季節は春から夏にかけてとのことで、領内で独立を求めていたアブハズ人、オセット人とグルジア国家との間で紛争が起きた時期に当たる。冒頭から民族意識を高揚させるラジオ放送が聞こえ、その後の字幕でも「スフミ」「アブハジア」「ツヒンヴァリ」といった紛争地の地名が出ていた。  劇中で見える現地は殺伐とした雰囲気で、国家と少数民族が戦う一方、近隣社会も家族もみな苛立って争っている。また権威主義とか男尊女卑といった社会の体質も問題視されており、略奪婚などというものに加え、嫁に行ってしまうと学校に行かない(やたらに外出しない?)風習も残っていたようで、義務教育は一体どうなっているのかと呆れる。 物語としては、結末がどうなったのか正直わからなかった。途中まではとにかく男が悪いと言いたいのかと思ったが、最後に主人公が父親のところを訪ねたのはどういう意味だったのか。結婚を無理強いされた親友が、実家の父親の方がまだましだという場面もあったが、主人公としても自分の家族を見直すために、まずは父親の実像を見極めようとする決心がついたということか。民族同士や人間同士が争う中では家庭が年少者を守れる場でなければならず、それによって/そのためにも、社会全体を穏やかな方向に変えていこうという意味と思えなくはない。 また武器に関しては、暴力の抑止のために持つのはやむを得ない状況があるにしても、殺すために使ってはならないという割り切り方だったかも知れない。冒頭のラジオでは国民が「武器を備えるべき」と言っていたが、いずれは誰もが武器を捨てる社会(少なくとも国内では)を作ろうとするのは当然のことである。  以下余談として、グルジア側の要請により日本政府は2015/4/22から英語由来のジョージアという名前でこの国を呼んでいるが、グルジア側としてロシア語由来の名前を嫌うのはわかるとして、何で現地語のサカルトヴェロでないのかと普通は思う。 これに関して最近思ったのは、あえて英語名にすることで西側に近い国だとアピールし、ナショナリズムよりもグローバル志向のイメージを出そうとしているのかと思った。この映画で見る限りはとても親近感を持てそうにない国だが、この時から30年も経って現地の状況も変わってきているものと思っておく。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-21 09:45:14)
586.  チャイコフスキー 《ネタバレ》 
2022年2月にロシア軍がウクライナに侵攻して以降、3月には国内各地の演奏会でチャイコフスキーの「1812年」を中止する動きがあり、また4月にはチャイコフスキーの名を冠した国際コンクールが世界連盟から除名されたとの報道もあった。それぞれに妥当な対応だろうとは思うが、国際的な波乱の中では芸術文化も聖域にならない雰囲気は出ていた。チャイコフスキーはウクライナ・コサックの家系の出だから免罪されるという説もあったようだが、個別の曲はともかく作曲家自体の善悪を国で分けるものではないだろうとも思う。  そういう情勢のもと、いわば野次馬感覚でこの映画を見たが、いい加減な動機で見るには長い映画だった。基本的には伝記映画というのだろうが、その人物にあらかじめ関心のある人々が見るもののようで、基本的な説明が省かれているのはつらい。ちなみにソビエト時代の映画らしく革命運動に触れたところもある。 ドラマ的には主に主人公の半生と人物像、及びパトロンのフォン・メック夫人との関係性を整合的に描写しようとしていたようで、主人公と夫人が心を支え合う関係を表現するとともに、同性愛と言われた件についても微妙な説明をつけていたように見える。ほかの登場人物では召使いが誠実で賢明な好人物だった。 音楽面では実際の曲を使うほか、メロディ部分をアレンジした背景音楽も作っている。冒頭以降、交響曲第4番を主に夫人との関係で使い、また第6番は本人との関係で、精神的危機のときに第1楽章、人生の頂点で第3楽章、その後の終幕で第4楽章を使っていた(2楽章がない)。歌劇については手紙の件以降、歌と映像(白樺など)で「エフゲニー・オネーギン」の創作過程が表現されていたようで(多分)、歌詞がそのまま主人公の心情を語ったように思わせるところもある。終盤では、ホラー映画かと思ったら「スペードの女王」(多分)の一場面だったという趣向もあった。また気にしすぎかも知れないが、背景音の馬蹄の音が4番3楽章のピチカートに聞こえた。  なお主人公を貶めようとした男が偉そうに「時が評価を下すのです」と言う場面があったが、チャイコフスキーの音楽はその後のソビエト体制下でも封殺されることなく、今も世界で愛されているのは間違いない。個人的にはこの作曲家に特に強い思い入れはないが、若い頃は交響曲第5番に励まされることもあったように憶えている。今は「四季」Op.37aが好きだ。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-14 09:45:57)
587.  リベンジコード 盗まれた正義 《ネタバレ》 
いわゆるフィンテック(字幕では「金融技術」)を扱った映画である。金融とか情報通信技術に苦手意識があると手を出しにくい映画だが(自分のことだ)、一般向け娯楽映画の枠内でできているので見るのにそれほど支障はない。 全体的にはそれっぽい事物や映像などを適当につないだライトなサスペンスドラマに見える。前半では転換社債という言葉を出しておいて、途中の説明がないまま結果だけ見せたのが若干のサスペンス感を出していた。後半は邦題のリベンジに向けた動きを隠したままで進んでいく形だが、最後は記者会見での一発逆転とか、ネットで多数の支持が集まるのが安易な展開に見える。真相がわかっても特に心を打たれるものはなかったが、まあ意外性のある結末にはなっていた。少し笑える要素としてはネット動画の場面がふざけた感じで息抜きになる。 なおサンドボックスというのは普通に知られた言葉のようで、たまたま見た2022/4/28朝のTVニュースでもスタートアップの支援に使える仕組みとして紹介されていた(「規制のサンドボックス制度」などを活用した経産省による法務支援、4/26から)。  具体的な題材としてはブロックチェーンや仮想通貨を取り上げているが、それ自体の具体的なところまでは突っ込んでいない。しかし細かいことはわからなくても、社会正義の実現ツールとしての意味を持たせようとしていることは台詞で説明されている。プレゼンで語られた綺麗事で終わりでなく、これで実際に公明正大で自由な経済社会が実現していく様子を見せてもらいたいものだと思ったが、まともにやれば空想未来映画になってしまうわけなので仕方ない。それはこれから主人公が追求していく可能性の中にあると思うしかない。 この映画が台湾の現状をどの程度反映しているのかは不明であり、どうしても作り物っぽい印象はある。しかし表面だけ飾って中身は腐った世界の中で、自分にも破滅の恐れがあると知りながら、あえて理想を貫こうとする若者が勇気を持って行動しようとする真直ぐな映画と思えば悪いともいえない。  ちなみに劇中では、まともな企業家(製造業?)は高級和牛を食い、汚れた連中(金融業)は犬を食う、という対比ができていたようで、犬好きの人にとっては許せない映画になっていると思われる。サル好きの人なら「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)が許せないのと同様である。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-05-07 09:29:35)
588.  52Hzのラヴソング 《ネタバレ》 
ダンスはなく歌が主体のミュージカル映画になっている。主な出演者は役者ではなく歌が本職のようで、台詞よりも歌で語らせて物語を進めていく趣向らしい。視覚効果もあってか色彩豊かでファンタジックな劇中世界ができている。 内容的にはバレンタインデー(2/14)のラブストーリーになっており、全部数えて6組12人の幸せな日を描いている。同性婚の2人が里子を迎えたのは今回のタイミングに合わせた形だったらしい。  基本はラブコメ的に気楽に見ればいいのだろうが、作り物感のせいでいま一つ乗れないでいるうちに、晴れやかなはずの合同結婚式が変に心騒ぐ場面になっていて冷めてしまう。主人公の一人である公務員にとっては落ち込む一方のイベントだったらしく、せめて法的に認められない同性婚を祝福させようとして市長に花束を渡したのかも知れないが、そこで一輪返されたのは、他人より自分を心配しろと言われたようでさらに落ち込んだということか。 多くの登場人物が物語を通じてプラス方向に動くのに対し、この公務員と彼氏の関係は最初からマイナス続きで、最後はもうこれは駄目だと思わせるところまで落ちていく。それでいて最後に逆転する形式だったのは、うまく同調できれば大感動なのだろうが、終盤の展開に納得感が全くないので勝手にしろと突き放したくなった。それ以外はまあお幸せにという気分にはさせられた。  なお合同結婚式で台北市長が、産めよ増やせよ的な発言を平気な顔でしていたのは危なっかしいので気が気でなかった。日本ならこの手の発言をした政治家などメディアに総叩きされるだろうが、ただこの柯文哲市長は実際に自由な発言で失言王のように言われた人物らしく、それを前提にしたブラックジョークのようなものと思えばいいか。 ほか登場人物としては、同じ監督の「海角七号」(2008)の出演者が大挙出ていて見た顔が多い。劇中で最も普通に可愛く見えるのはレストランの若手スタッフだったが、この人が海角のひねくれ少女の成人した姿だったのは感動した(昔から可愛かったが)。また「セデック・バレ」(2011)の主役が渋い顔で出て来て、今回もちゃんと歌を歌っていたのも感動的だった。 ちなみに台北なんてクソ食らえとかギターを叩きつけるぞとかいう脈絡のない台詞は、海角のセルフパロディなので笑った。また花屋の店主(小心花店的老闆娘)が年齢をごまかしていたのも可笑しい。この人が歌ったネコの歌(トゲの歌)は結構よかった。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-04-23 11:47:32)
589.  戦艦ポチョムキン 《ネタバレ》 
ソビエト連邦の映画である。戦艦の名前は日本人には変に聞こえるが(淀川長治氏も言っていたが)、もとが人名なので変だといっても仕方ない。皇帝エカチェリーナ2世の寵臣としてロシア帝国の南下政策に深く関わった人物なので、黒海艦隊の軍艦にはふさわしい名前かも知れない。 見たのはいわゆるショスタコーヴィチ版のようで、わかる範囲でいえば背景音楽の多くを交響曲第11番から採っていたようだった。これはまさにこのロシア第一革命を描写した曲であり、日本でも知られた「同志は倒れぬ」とか「ワルシャワ労働歌」といった革命歌のメロディが使われているので世代によっては懐かしいかも知れない。ほかに第5番の最初と最後を映画の最初と最後で使っており、途中で第2・3楽章も出ていた。うまく合わせていたとは思うが、場面によっては曲の方に映像を付けたようにも感じられたのは、映画を見る上でかえって邪魔になっていると思うべきか。 ストーリーとしては別に史実に忠実なようでもなく、当時の体制に都合のいい展開を適宜に作った国策映画である。ただし今どき革命の勝利を讃えようとする人々も多くないだろうから、政治色など現代ではほとんど無意味化しているともいえる。この映画では最後をバンザイで盛り上げていたが、歴史的経過としてはこの後まだ続きがあるわけなので、これより上記11番の終わり方が正しいかと思った。なお唐突にユダヤ人に関する台詞(字幕)が出ていたのは、この時期に起きていた反ユダヤの動き(オデッサ・ポグロムなど)と関係あるかと思われる。ここは多民族の集まる都市のためユダヤ人もかなり多かったらしい。  映画史的には先駆的な表現で知られた名画とのことで、有名な階段の動的な映像などには目を引かれる。戦艦が劇場を砲撃した場面では、主砲でなく副砲を撃った、などということばかり見ていて、寝ていたライオンさんがびっくりして起きた場面を見過ごしてしまい、映画の後でネット上の世評を読んで初めてなるほどと思わされた。こういう映画はちゃんと映像を見ていなければ駄目だ(反省)。 ほかに個別の場面では、港で死者の傍らを犬が通り過ぎたり、釣り人の側にネコが控えていたりするのが少し和ませる。全体的に深刻な雰囲気の中で、ヨットの場面の爽やかさは際立っていた。また階段の場面で両足のない男が身軽で逃げ足が速かったのは、走る技能と体力が半端でないようで感心させられた。
[DVD(字幕)] 5点(2022-03-26 09:25:21)
590.  ひまわり(1970) 《ネタバレ》 
2022/2/24撮影の動画で、ウクライナ人の女性がロシア兵に対し、ヒマワリの種をポケットに入れておけ、と言ったのを見てこの映画を思い出した。 実際にヒマワリ畑の映像はウクライナで撮影したとのことだが、しかしこの映画自体はウクライナのことなど全く意識していない。字幕を見る限りは「ロシア」としか言っておらず、映像的にもモスクワ周辺が映っている場面が多かったらしい(ネット上のロケ地紹介記事によれば)。物語の設定上も、主人公の夫が「ドン河」で戦ったのだとすれば、現在のウクライナより東のロシア領の話だったかも知れない。現下のウクライナ情勢を受けて、今こそ見るべき映画として全国各地で上映する動きもあるようだが、ウクライナという国に注目して見ようとするとちょっとずれた印象を受ける恐れがある。ただ最低限「戦争反対!」とはいえそうだ。 ちなみにヒマワリは別にウクライナ原産でもなく、ロシア帝国時代の18世紀?に持ち込まれてから現在のロシアとウクライナに広まったとのことで、現時点でのネット上ではロシアの国花と書かれている記事もある。これをロシアではなくウクライナだけのシンボルとして位置付けるのは不自然であり、両国共通に親しまれている植物と思うのが妥当ではないか。今回の戦乱によって両国のヒマワリが分断され、ウクライナのヒマワリが国際的に公認されてロシアのヒマワリが否定されるとすれば変なことになる。国で分けるのではなく人々の連帯のシンボルにでもなればいいだろうが。  ドラマに関しては、基本的には共感しづらい人物が多く、どうも外国の映画は馴染めないものがあると思わされる。ロシア人妻が可憐に見えたのはよかったが、心が乱れてしまって子どもに当たっていたのはよろしくない。 主人公は冷戦下のソビエト連邦に入ったわけだが、現地のソビエト市民は平和で友好的でそれなりに満ち足りた暮らしをしているように見える。まるで社会主義の成功をアピールするPR映画のようでもあるが、それはそもそも合作映画なので当然としても、もともとイタリアは西側の中でもソビエト連邦と友好的だった関係もあるかとは思った。主人公をヒマワリ畑へ案内した役人は、親切そうに見えて実は監視役だったのではないかと皮肉を書いておく。 なおどうでもいいことだがイタリア語で蚊はzanzare(単数zanzara)というらしい。ロシア語は知らないがНе знаюだけはわかった。
[DVD(字幕)] 5点(2022-03-19 09:57:04)(良:2票)
591.  サーチン・フォー・マイ・フューチャー 《ネタバレ》 
同じ監督の「七子の妖気」(2012)に続けて見た。今回は山形県の庄内地域を中心に撮影しており、地元の地方銀行が支援する形になっていたらしい。ちなみに田園に孤立するタワーマンションは庄内ではなく内陸地方の上山市にあるが、山形駅からわざわざここに行くのは「ミクに近づいた」どころかかえって遠くなっている。 上記「七子…」はいかにもマイナー映画だったが、今回は時間も少し長く、2015年の第9回「田辺・弁慶映画祭」で受賞もしたとのことである。その映画祭自体がマイナーなようでもあるが、“インディペンデント映画の登竜門”として扱われていたのは間違いなく、一つ前の第8回では「ひとまずすすめ」「天使の欲望」「独裁者、古賀。」「ファンタズム」といった、見たことのある映画が多く出品されていたことに改めて気づいた。第10回の「ポエトリーエンジェル」も見たことがある。  物語としては、要は主人公の男が同行者に引率されて元彼女を探す話だが、同姓同名の人物がいたりして少し意外感のある展開ではある。主人公には全く共感できないが、それまでの閉塞状態から抜けて視界が一気に開けたところまでで終わりになり、取ってつけたようなハッピーエンドでなかったのは悪くない。主人公が探していた元彼女の名前が題名と関係づけられていたことは、エンドクレジットの漢字を見るとわかる。 劇中で主人公が見た単館系映画というのは上記「七子…」だったようで、それを「お客様」の目からすればクソ映画だと主人公がけなしていたのは、そういいたくなることの意味はわかる。しかしそこで同行者が、そういうことしか言えないのはつまらない奴だ(意訳)と主人公を評していたのには共感した。映画限定の話とすれば内輪ネタのようでもあるが、悪いところでなくいいところに目をつけろというのは、人間の生き方全般に広げて考えてもその通りだと思うものはある。  登場人物としては、主人公の男はどうでもいいとして(見なくていい)、同行者の劇中監督(演・山本真由美)の方は、視界が一気に開けたところで目に入った人物として非常に魅力的に見えた(少々わざとらしいが)。また個人的には、百間堀端とナイトスポット白ばらにいた「もう一人のミク」(演・近藤奈保妃)も好きだ(少し惚れた)。ほかエンドクレジットの「スペシャルサポーター」として、上記「七子…」に妖怪役で出演していたユウコさん(チャンベビユウコ)の名前が見えたのは嬉しい。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-03-19 09:57:02)
592.  返校 言葉が消えた日 《ネタバレ》 
ゲーム原作だそうだがやったことはない。ホラー風に見せているが、ホラー慣れしている立場として特に怖いところはない(提灯憲兵は何なのか)。ミステリーとしては、出来事の真相は正直よくわからなかったが、他の映画レビューサイトでネタバレ解説している人々がいたので大体わかった。 物語のメッセージとしては生きろ、そして忘れるな、といったことか。さらにいえば密告者にもそれなりの動機があったわけだが、そもそも人は善悪をあわせ持つものであり、誰でも密告者になりうるのだから心せよ、ということかと思った。 ちなみに劇中の古い歌は「雨夜花」(昭和9年発表、台湾語)だった。いかにも禁止されそうだ。  ところで劇中の読書会に関して思ったのは、人を一か所に集めてしまうのでは危ないのではないかということである。分散はリスク管理の基本であり、単に本が読みたければ別々に隠れて読めばいいだろうが、あえて集まるのはそれ自体に政治的意図があると思われても仕方ない(あると思うのが普通)。純粋な読書欲求だけで参加する者がいたとすればナイーブすぎることになる。 またわからなかったのは、この映画に糾弾されるべき悪役がいるとすれば誰なのかということである。事実としては当時の国民党政権がやったわけだが、国民党が悪なら共産党が善とはならないのは当然として、その国民党は今も現地の有力な政党であって支持する国民も多いはずであり、これを悪と断じてしまうのは政治的な問題に関わることになる。 さらに中華民国の国旗の前で残虐行為が行われるなどの場面があったのは、まるでこの映画として中華民国という国自体を悪と位置づけているようにも見えた。しかし現在の蔡英文総統も中華民国の総統なわけで、いまの台湾が拠って立つ国家の枠組までを否定しているとも思えない。あるいは国家というより国民党の定めたこの旗を嫌っていたとすれば、いわゆる独立派の感覚だとそうなるかも知れないが、何にせよ同じ自主独立の民主主義国の日本人として、他国の特定の政治的主張に簡単に同調するのは憚られることになる。 そのようなことで、現地の政治がらみで考えてしまうと素直に見られない映画だった。  なお日本では、表現の自由のもとで自国を悪と表現するのは普通に行われていることであり、また劇中の思想統制が戦前の日本を思い起こさせ、現代の体制批判にも結び付けられるという点で、どちらかというと高齢層が賞賛しそうな映画ではある。ただ実際にこの手の映画を見るのは若年層だろうからずれがあり、そこで素直に全体主義の統制社会は恐ろしいという方に意識が向くとすれば、ジョージ・オーウェルの「1984年」をイメージしたというゲーム当初の発想に沿う形にはなる。次に同様のことが起きるとすれば誰が起こすのか、ということは考えていかなければならない。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-02-05 11:04:36)
593.  スカイ・イーグル 《ネタバレ》 
トルコ空軍のパイロットの話である。邦題はいい加減につけてあるが、原題の “Anadolu Kartalları”(Anatolian Eagles)は実際にトルコで行われている国際合同演習Anatolian Eagleに由来している。トルコ空軍の協力により実機の見える場面が結構多い。 戦闘機映画として売る思惑もあるのだろうが、実際は訓練生の段階から始まるので前半はほとんど練習機であり、主人公の乗機がT-41(台詞だけ映像なし)~KT-1T(プロペラ機、なんと大韓民国製)~T-37(初等ジェット練習機)~T-38(高等ジェット練習機、F-5戦闘機の原型)と移行するのが訓練の高度化に対応していた。訓練校を卒業してからは、主人公のF-16戦闘機、同窓生のF-4戦闘機なども映っており、また曲技飛行チームTürk Yıldızları(Turkish Stars)のF-5も見えていた。  構成としては、冒頭がF-16のスクランブルで始まるがすぐ終わってしまう。現代トルコの映画なのでやたらに戦闘場面があるわけもなく、終盤の合同演習が実戦代わりだったのだろうがそれほどの迫力もない。笑えないコメディとか唐突に死去する人物とか唐突に鳥さんたちがかわいそうな展開になったりするのは感心できないが、基本的に娯楽映画なので仕方ない。 全体的にはラブストーリーのようでもあるが、戦闘機乗りの物語としては凧の話が重要だったらしい。最初に教官が語った言葉自体はほとんど意味不明だが、そのうち主人公がその意味を自ら悟って自分のものにしていく展開になる。主人公にとって恋人の存在は中途半端に思われたが、最終的にはっきりした位置付けができ、戦闘機映画とラブストーリーの統合もなされていた。ちなみに整備士も彼女と同様の立場であることをアピールしていた。 なお最後がデモンストレーションチームへの配属を喜ぶ場面で終わったのは、戦うことよりパイロットとしての高みを目指していたということらしく安心できる。国の守りを固めるのは重要としても、やたらに戦争しないことが望まれるのは当然である。 登場人物としては、特に主人公の幼馴染は愛嬌があって世話焼きで感じのいい人物だった。卒業式で司令官に声をかけられている顔が可愛かったが、首席卒業だったとのことで侮れない。この人が一番好きだ。  [以下雑談] テーマ曲はサビの部分で「ギュレギュレギッチョヌーン」と聞こえるのが耳につくが、これは “Güle güle git canım” であって、愛しい人に別れを告げて送り出す言葉のようである。曲の題名は “Güle Güle”(さようなら)らしい。
[DVD(字幕)] 5点(2021-12-25 11:23:12)
594.  High Flash 引火点 《ネタバレ》 
映画紹介によれば「環境問題を深くえぐる社会派ミステリー」とのことで、そこに男女の人間関係をからめた構成になっている。場所は「熱帯魚」(1995)や「天空からの招待状」(2013)でも見えた西南部の海岸地方が中心になっている。  物語としてはミステリー調の展開だが、最後がありきたりな決着の付け方になっていたのは感心できない。ちなみに最初から胡散臭く見える奴は怪しいと思って間違いない。 環境問題に関しては前記「天空…」でも思ったことだが、日本人の感覚では20世紀的な印象のある公害問題と、どちらかというと21世紀的な環境活動団体が同時に存在するのは変な気もするが、それが現地事情の反映であれば仕方ない。あからさまな公害などは環境規制をちゃんとやってもらえば済むことである。 また社会的な面では、政財界を中心に今も存在する社会悪を告発しているようでもある。しかしエンドロールには台湾映画でよく見る「文化部 MINISTRY OF CULTURE」の名前が普通に出ており、また戦後日本の感覚だと権力側になる各地の市政府や警察局なども協力しているので、あまり尖った社会派映画という感じはしない。ちなみに解説によると現地の司法制度は国民にあまり信頼されていないとのことだが、マスコミはまだしも信用があるということらしかった。 登場人物については残念ながら誰にも共感できない。既にあっちの方へ行ってしまった感じの人物に、観客として惹かれるものが全くないのは困る。ラストは感動を誘う場面だろうが、自分としてはちゃんと前を見て運転しろと言いたくなった。なおむやみに残酷な殺され方をする人物がいたりするので、そういうのを好む観客には受けるかも知れない。検察官だけでなく新聞記者など、命知らずの人間ばかりで困ったものだと思わされた。 全体的に真面目な映画ではあるが通り一遍な印象で、正直それほど心に刺さるものはなかった。  ところで題名は意味不明だが、英語のHigh Flashとは引火点が高い、つまり引火しにくいという意味らしい。引火させるには温度を上げて点火する必要があるわけだが、社会も人もいわば引火点が高いので、人が死ぬくらいのことがなければ何も動かない、という皮肉だとすれば、確かにそれはそうだと思わせるものがある。またラストの空撮が冒頭と同じに見えたのは、それでも何も変わらないとすればそれでいいのか、という問いかけかも知れない。何にせよ民主主義だからこそ作れる映画ではある。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-12-04 09:26:06)
595.  幽幻道士2 《ネタバレ》 
前作の続きらしく登場人物はほとんど共通である。時代はやはり近代のようで、警察署とされていた場所の看板に「××鎮? 自治保安隊」と書いてあったのは正体不明だが(治安維持兵力か)、そういう近代軍隊のように見えるものとキョンシーが戦う戦争映画のような場面もあった。  今回はアクションに力が入っているが、コメディとしてはそれほど笑えない。しかし白人女性の後にキョンシーがついて来て、その後のドタバタアクションにも巻き込まれた場面はかなり笑わされた。またその女性が素肌を見せるなど保護者向けらしいお色気場面は今回も入っているが、しかし8歳くらいの女児が襲われて着物が破れて脚があらわになって隠そうとするなど、こんなロリコン趣味が許されるのかという場面もあった。 お話としては「変な外人」で変化も出しているが他愛ないもので、前回は人間味もあった親方が完全にバケモノ扱いなのは救いがない。また呆れたのはなぜか最後が悲劇になっていたことで、コメディだったはずなのにこんな場面で劇終なのか???と唖然とさせられた。デブキャラが美少女の気を引くには死んでみせるしかないというのも救いがないが、自分など美少女に見向きもされない立場と思う多くの観客が深く感情移入できる物語ではあったかも知れない。 しかし理不尽だったのは劇中人物が、自分が殺されそうでも他人に被害が及んでも、師や兄には絶対に逆らえない意識があったらしいことである。他の全てに優先する絶対規範など現代の日本人には理解不能というしかないが、ただ劇中少年は義と愛に引き裂かれて死んだのだと思えば、最終的には一定のドラマができていたと思えなくはない。  登場人物としては、テンテンちゃんはなぜか前より面長に見えるが、普通に子どもらしく可愛い姿を見せている。またベビーキョンシーなるものがいじめられて「あーん」と泣く声を聞くと、かわいそうだと親心を刺激されるところがあるわけだが、そのせいか縁もゆかりもなかったはずの親方までが完全にパパになり切ってしまっているのが変だった。 【参考】鳩ポッポの替え歌の歌詞は、ポッポッポのところを「爸爸爸」(パッパッパ)として、その後に「我愛爸爸」(好きだよパパ)と続けることでベビーキョンシーの歌にしているらしい。
[インターネット(吹替)] 5点(2021-11-27 11:27:50)
596.  幽幻道士 《ネタバレ》 
テンテンちゃんがかわいいという噂は知っていたが実物は初めて見た。 まずこれはいつの時代のことなのかが気になるが、劇中の町では映画興行などもしていたので近代なのは間違いない。警察署に五色旗のようなものが見えており(色と縦横が本物と違うが)、児童の保護育成の方針なども近代国家を思わせるので、例えば1912年の中華民国成立から20年代頃までの大陸のどこかと考えれば、製作当時の台湾にも連続性のある設定ということになる。ちなみにどうでもいいことだが、警察署の中にいろいろ掲示されていた標語のようなものは、後に別映画で見た現代の警察署にも似たものがあったので、実際にこういう習慣があるらしい。 なお鳩ポッポは文部省唱歌であるから本来は日本の歌なのは間違いない。これは現地の観客にとっても違和感なく受け入れられる歌だったのか。  物語としては適当な作りで、ドラマらしいものがあるのかないのかわからないが、それでも90分もあるのが大人にとっては正直長い。昭和の邦画に出るような肉付きのいい女性の下着姿などは本当に子どもに見せたのかと思うが、こういうのは保護者向けのサービスと思えばいいのか。 ホラーといっても子ども向けなので怖くも何ともないが、キョンシーというものの性質がいろいろ語られるのは勉強になる。要は火葬してしまえばいいらしいが、あえて故郷で埋葬するための運搬方法として考案したというのはなるほどと思わされた。なお「殭屍」とは硬直した死体の意味だろうが、それにしては動きが柔軟過ぎる場面もある。  テンテンちゃんに関しては、かわいいというより高慢な美少女かと思ったが、賢そうでいて分別が足りずに自ら面倒を起こしたところもあって完全無欠でもない。終盤の対決でも頼れそうに見せておきながら、突然の危機に驚いてキャーといって逃げ出したところは可愛かった。この美少女とキスした奴には嫉妬したが、その後に爺さんとキスする展開には笑った。 ほか今回は、これが現代の老人が子どもらに語った物語だったことを示す短い映像が前後についている。最後のオチへの子どもらの反応が微笑ましい(失笑)。
[インターネット(吹替)] 5点(2021-11-27 11:27:41)
597.  生き人形マリア 《ネタバレ》 
フィリピン映画である。場所についてはヴァレンズエラ市というところが協力していたほかケソン市の表記も見えており、要はマニラ首都圏での撮影である。言語はFilipinoだそうだが(タガログ語ベースの標準語?)、ときどき文章単位で英語が混じって聞こえたのは普通にあることなのかどうか(上流階級だけか)。ちなみに「人形」は「manika」だったらしい。 なおパクシウpaksiwというのは一般的な家庭料理らしいが、酢で煮るものだそうで個人的には苦手かも知れない(食わず嫌いはよくないが)。  内容的には、序盤の大仰で能天気な軽さ(バス事故の場面を含む)など見ていると、現地のTVドラマはこんな感じなのかと突き放した気分だったが、そのうちちゃんとホラーらしい雰囲気も出るので安心する。死んだ少年の性格付けなどよくわからない点も多々あったが、普通に娯楽として見られる映画ではあった。 物語的には、特にまとまったテーマのようなものは読み取れなかった。保護者3人は子ども/人形への態度に違いがあったようで、そこにドラマ的な意味があったかも知れないがよくわからない。一つ思ったのは、レオノーラの養父は養女を溺愛していたようで、本当に養女(幼女)を生きた人形のように思っていたことが結末の差になったのかも知れない(不明だが)。 ホラーとしては人形が主役だが、まつ毛の付け方などは観客の突っ込みを誘う意図としか思えない。怖さを追求しようとしたものでもないようなので、笑って見ているのが妥当な態度と思われる。ちなみに原題がマリア・レオノーラ・テレサの順なのがなぜかは不明だった(所得順ではない)。少なくとも日本人的には、マリア・テレサ・レオノーラの方が語呂がよさそうに見える(所得順にもなっている)。 なお監督はTV・映画界でかなり活躍していた人物らしいが、2016/2/29に死去されたそうで(49歳)、同じ監督で続きは見られないことになる。  登場人物としては、マリアの母(の体型)よりもテレサの母の方に目を引かれた。また悪気のなさそうなマリア家のメイドの人はかわいそうだったが、この人が寝る時に、枕だかクッションだかを股に挟んでいたのはどういう習慣なのかと思った(朝まで同じ格好)。しかし別に性的な意味があったわけでもなく、腰に負担がかからないとかよく眠れるという理由で、日本でもこれをする人々が結構いるらしい。映画に出すからには現地でも普通のことなのかも知れない。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-11-06 10:42:04)
598.  聖なる泉の少女 《ネタバレ》 
映像が美的で歌も印象的だが、わけのわからない映画である。 監督はジョージア人とのことで、撮影場所も劇中地図や文字からしてジョージア国内に見える。時代としては、主人公の自宅の雰囲気などは前近代のようだが、町の様子や自動車の普及、谷間の工事か何かを見ると現代のことらしい。兄の言っていた「祖国」がソビエト連邦からの独立後とすれば90年代以降ということになる。  主人公の家系は「聖なる泉」の「守り人」として代々続いて来たらしい。泉の水は怪我や病気を癒すものとして村人に頼られてきたが、現代では科学的な医療も普及しており、村人にとって必須とまではいえないものになっていたと思われる。その上に、谷間の工事か何かのせいで水が枯れてしまい、泉の伝統もここで途絶えることになったらしい。 主人公の父親にも引退の時期が来ていたようで、松明の点火に失敗したのはそういう意味かと思われる。そうすると泉が枯れたのも、それに先立ち息子がそれぞれの道に進んでいたのも、いわばタイミングよく事が進んでいたように取れる。しかし一人だけ割を食わされたのが主人公であって、泉が枯れて自由になるどころか存在理由まで失ったように、最後は自分で人としての実体をなくしていったかに見えた(皿は残った)。 これを何らかの社会批判と捉えようとすると安っぽい話にしかならないが、世界が変わっていくこと自体は仕方ないのであって、昔あったが今は消えてなくなったものは数多い。これから生きて前に進む者なら忘れていれば済むが、その忘れられたものを若い女性の姿にしたことで、消えていくことの悲哀を感じさせる意図があったのかも知れない。自分がいま住んでいるこの場所にも、過去には別の人々の暮らしや人間関係や感情や思いが存在していたはずが、誰も記憶しないまま消失したのは空恐ろしいといえなくもない。 そのように一応は思うところはあったが、しかし見ている自分との接点が少ないので、正直あまり深入りして考える気にならない映画だった。  以下雑談として、主人公は体型的に細身の人で、男と対面した場面で横から見ると胸が平たい人だと思ったが、実際どうなのかは直後の入浴場面で見せていた。また村の祝い事か何かの場面で、画面の右端にいた鶏と入れ替えに主人公が現れたように見えたのは、意図したかどうかは別として印象的だった(多分どうでもいいことだが)。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-10-02 09:12:44)
599.  バトル・オブ・ヒーロー 《ネタバレ》 
1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻時に、自由都市ダンツィヒ(現在のグダニスク)で起きた「ヴェステルプラッテの戦い」を題材にした映画である。この戦いがポーランドでどう扱われてきたかは知らないが、当初は12時間しか保たないと思われていたのが7日間も健闘したことで賞賛されたということかも知れない。現地は第二次世界大戦の始まりを象徴する場所として、今も建物などが保存され記念碑も建っているらしい。 戦争映画としては、ポーランド陣地が散発的に攻撃される場面が続くだけで、大した盛り上がりもないので一般の期待には全く応えない。わずかに目立つのは序盤で、停泊中の戦艦が艦砲射撃したのと、街の方から水路を越えて急降下爆撃機が来襲した場面くらいのものである。なおこの場にいたドイツ戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は1908年就役の前弩級艦で、当時すでにとんでもなく旧式なので浮き砲台の役目だけをしている。  登場人物としては、実在の人物であるヘンリク・スハルスキ少佐とフランチシェク・ドンブロフスキ大尉(劇中の「クバ」)のダブル主人公になっており、見る側の気分もこの2人の間で行ったり来たりさせられる。なお女性は出ない(写真だけ)。 当時の自由都市ダンツィヒは、名前の通りポーランド領ではなく住民もほとんどドイツ人だったようで(Westerplatteという地名自体がドイツ語だろうが)、そこにいたポーランド部隊には別に街の住民を守る使命はない(最初から敵方)。こんな場所に生命をかける意味があるかと正直思うが、国の尊厳を守るために抵抗してみせるという象徴的な意義はあったはずである。そのような条件のもとで、最初から引き際を探っている少佐と、徹底抗戦しかない大尉との対立を通じて、何のためにどこまで戦うのかを厳しく問う映画に思われた。 この戦いで攻撃側が多数の死者を出したのに対し、ポーランド側の死者はわずか14人だったとのことだが、その死者をたった14人と済ませていいのかは写真を燃やす場面で表現されている。一方で最後に国章の鷲を眺めてから歌っていたのはポーランド国歌だったが(現在と同じ)、国のためには死ねばいいのでなく、生きて命をつなぐことが将来にも役立つと諭す形になっていた。 さすがに現代の製作らしく単純な祖国バンザイ映画ではなかったが、単純に非戦を訴えて終わりでもないようで、当時や現代の人々の複雑な思いを詰め込んだ映画なのかと思われた。
[DVD(字幕)] 5点(2021-09-25 10:57:53)
600.  吸血鬼ノスフェラトゥ(1922) 《ネタバレ》 
まず題名は、今となっては使い古された感のあるドラキュラよりも得体の知れない不気味さがある。またその語義の「不死者」というのも、「吸血鬼」よりかえって根源的なものの表現に思われる。ちなみにうちに取ってあった91.7.23の新聞の切抜きによると、ルーマニアで一度埋葬された71歳の男が蘇生して運よく掘り返してもらったが、自宅に帰ったところ家族が恐れて家から締め出されたという出来事があった(ロイター=共同)。ルーマニアでは89年まで独裁者のチャウシェスク政権が続いていたが、その間の社会主義体制下でもずっと不死者というものが恐れられていたのかと当時思った。  本編に関して、自分が見たのは「アメリカンバージョン」だそうだが(64分)、全体的には原作を大まかに簡略化したようではある。 たまたま新型コロナウイルス感染症の流行下で見たわけだが、この映画も終盤が感染症映画のようになっていたのは意外だった。しかし外国から来た船が災厄をもたらすということ自体、原作段階でも疫病のイメージだったかも知れないと思わされるものはある。吸血鬼の犠牲者がまた吸血鬼になるというなら感染症にも似ているわけだが、この映画ではそういう伝染性の設定は特になかったらしい。 なおネズミが棺から湧いて出ていたのは面白かった。今ならコウモリが宿主という設定でも通用しそうだ。  映像面では、伯爵の姿がなかったところに現れてからまた消える、といった特殊効果を見ると、映画の歴史の初期からこういうことが試みられてきたのだとは思わされる。しかし技術的な制約があるのは仕方ないにしても、昼夜の区別がわからないのはさすがに困った。伯爵が出た場面は全部夜だったのだろうが、ほとんど真昼間にしか見えないのは開き直りのようでもある。日中に棺を自分で抱えて歩く姿は格好悪かった。 ホラーとしても正直それほど怖いところはなかったが、ドアを開けたら廊下に立っていたのと、向かいの建物の窓際にいた場面は少し気味悪い。こっちが気づく前から相手はずっと見ていた、という状況は怖いかも知れない(例:部屋の中でネコがどこにいるかと探していたら向こうは最初からこっちを見ていたなど)。ほか参考文献によれば終盤にエロい場面があるとのことだったが、実際はそのように見えなくもないという程度だった(そんなところを触るなとは言いたくなった)。 現代人の立場で褒めるにはちょっと厳しい映画だったが、名匠の作とのことで最低限の敬意を表した点数にしておく。なお主人公の妻がネコを構っていた場面は和んだ。
[DVD(字幕)] 5点(2021-09-11 09:34:59)
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