Menu
 > レビュワー
 > かっぱ堰 さんの口コミ一覧。37ページ目
かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
616263
>> カレンダー表示
>> 通常表示
721.  魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's 《ネタバレ》 
TVアニメ「魔法少女リリカルなのは」シリーズの劇場版である。TVシリーズ第1期(2004年)の劇場版は「魔法少女リリカルなのは The MOVIE 1st」として2010年に公開されているが、この映画は第2期「魔法少女リリカルなのはA's」(2005年、全13話)の劇場版として2012年に公開されている。前回からあまり経っていない時期のようで主人公は依然として小学生女児だが、激しいアクションを伴う戦闘少女アニメであり、せめてもう少し大人になってから戦ってはどうかと言いたくなる。 物語としては、前回は母と子の問題が大きく扱われ、形の上では一般社会に問題を投げかけたとも取れる作りになっていたが、そのせいで話が大げさすぎて不自然に見えた。その点今回はこのアニメ内部で閉じた話のため違和感はないが、ますます現実から隔絶した架空世界に閉じこもったようでもある。前回に続いて“話せばわかる”というようなコンセプトが出ており、また最初は敵でも最後は友達になるという展開が基本構造のようにも見えるので、ここから無理にメッセージのようなものを読み取るとすれば“心を開いて仲間をつくるのが大事”というような話だろうが、しかしまあ現実にはキャラクター同士の個別の関係性を超えた一般化など求められていないのだろうという気はする。 なおreinforceというあからさまな英単語はファンにどう受け取られているのかわからないが、自分としてはreinforced concrete (RC)の印象が強いため人名に使うのは抵抗感がある。ほか個別の場面としては終盤で、ここは号泣するところだ!!!と明瞭に指定した感じの演出が印象に残った。  ところで前回はDVDをただでもらったという理由で見たが、今回は明らかに自分の意思で見た形であり、アニメファンでも何でもない一般人としての良識が問われることになる。日本アニメは少女嗜好と切り離せないところがあるにしても、変身シークエンスのフルバージョン?(かなり執拗)など見ていると、これはもう本当に限られた人々向けの特殊な創作物ではないかと思わされるが、それでもこういうものが日本のアニメを支えてきたからこそ「魔法少女まどか☆マギカ」のような、より一般向けに開かれたもの(間口は狭いが)も生まれて来たわけだと前向きに捉えておく。 ちなみに2017年夏には劇場版3作目が予定されているとのことで、なかなか息の長いコンテンツであるらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2017-02-16 23:13:59)
722.  天然コケッコー 《ネタバレ》 
夏帆の主演映画ということと、自分としては一生行かずに終わりそうな石見地方(飛行機の上から見たことはある)が舞台ということで見た。実在の風景を使って、今となってはファンタジックにも見える中山間地の景観が作られており、山に囲まれたようでいて少し歩けばいきなり海に出るという土地柄も生かされている。「山の音」の場面では、人物がいる手前の明るさと、背景の山のくすんだ感じの対比がよかった。また季節の変化もきれいに映像化されている。 生活圏内には小都市があり、結構な人出のある祭りもあったようで普通の一地方なのだろうが、主人公の住む場所はまるで隠れ里のように見える。交通幹線から外れていて、少し離れた鉄道駅だけが外界に接する出入口というイメージが持たれたが、その割に遠方に自動車道路が見えていた場面などはかえってボロが出たような印象もあった。全員が知り合いの小社会で、毎日朝昼晩と同じ顔ぶれの人々と付き合うのでは息が詰まる気がするが、そこはまあ創作の世界でもあり、また実際にこういう場所で生まれ育てばそれが普通になるのだろうと納得することにする。  物語としては連載マンガのエピソードをつないだ形で、最近見たものでは「この世界の片隅に」(2016)と同様ということになるが、それと比べても起伏が少なくひたすら地味なため121分が正直つらい。個別エピソードとしては学校を休んだ児童を見舞ったところとか、大失言してしまってから泣き出すまでの経過はよかったが、全体としてもう少し大きいドラマがないのかという気にはさせられる。 そういう面では、中学生から高校へ上がる年代の微妙な心境変化自体が一つのドラマだったと取るべきなのか。恋愛に関しては本格的な性愛感情などはなく、初めて親しくなった異性らしい異性への愛着という程度にも見える。それ以上に9年間通った学校への思いが強かったということなら、要は身辺や自分自身がいずれ変わっていくことへの哀惜が主題だったと思えばいいのかも知れない。 まあそのように理屈で考えなくとも、登場人物の心情に直接同調できるとか、劇中世界にそのまま入り込めるなら大絶賛かも知れないが、個人的にはそうもならなかった。劇中に共感できる人物が誰もいないのは困るが(中学生男子は論外、父親も除外、無理にいえば郵便局員の男か)、恐らく原作段階からして自分には合わないのだと思われる。ベタ褒めできなくて残念でした。
[DVD(邦画)] 5点(2017-02-02 19:29:34)
723.  絶叫学級 《ネタバレ》 
原作は当然読んでいないが、掲載された雑誌からして中学生以下の女子向けだったと想像される。この映画は結構シビアなので対象年齢はもう少し上かと思うが、特に前半ではマンガ原作の雰囲気を出そうとしたようにも見える。 内容としては一応邦画ホラー様式に乗っているようだが、実際は延々と学校内のイジメが続く話になっている。主に問題にされていたのはイジメの首謀者になるのがどういう人間かということかも知れないが、それとは別に、誰でもいいから自分以外の誰かを貶めたがるその他一般大衆も指弾されていたように見える。理科室にいた「黄泉」(優美)という人は、相手によって向ける顔が違うところが「大魔神」(1966)のようでもあるが、この孤高の存在に比べれば、主人公もわれわれ観客もみな「有象無象の人間ども」といったところではなかったか。  ところで波瑠という人は自分が見た限りでもいろんな映画に出てきているが(最悪だったのは「山形スクリーム(2009)」)、今回は美形で心優しく繊細な雰囲気の美術教員役で、序盤の生徒に挨拶している表情など見て少し惚れてしまった。ただ登場人物としてあまりいい所がないのは残念である。 また桐谷敦子役の松本花奈は、名前だけ見れば他の出演者と同じ美少女タレントのようでいながら実はとんでもない汚れ役をやっているが、この人はもともと映像制作の志望とのことで、現在は慶應SFCに在籍しながら映画も撮っている“女子大生監督”だそうである。誰よりも可愛いかどうかなどという価値基準にとらわれていない好例である。 そのほか主人公の友人役(松岡茉優)など見ても要所にそれなりの人物を配した印象があった。
[DVD(邦画)] 5点(2016-12-24 10:14:50)
724.  歓びを歌にのせて 《ネタバレ》 
大まかに何が起こっていたのかはわかったが、しかしそれで感動したかというと何とも思わなかった。世界が認めた良作なのだろうから貶めるつもりはないが、自分としては乗れなかったということである。ここを見ると自分だけではなかったようで安心した。 個人的印象を正直に書くと、劇中の田舎があまりに閉鎖的で人間関係が面倒臭い上に住民の感情の動きにもついて行けず、何となく冷ややかな目で見ながらラストに至り、そこでまたかなり人工的な感じのする出来事にも共感できるものがなかったという経過だった。また好きになれる人物が誰もいなかったというのも自分にとっては難点だった。  以上だけでは何なのでたまたま個人的に知っていることを書いておくと、スウェーデンの作曲家で音楽評論家のヴィルヘルム・ペッテション=ベリエル(1867~1942)がイェムトランド地方のエステルスンド市近郊に別荘を建て、当初は夏だけ通っていたがそのうち永住してしまい、そこで周辺の合唱団の指導もしていたとのことで、この映画もそんな感じかと思って見ていた…と書こうと思ったが昔の記憶のため今となっては出典不明で確認できなくなっているが、とにかくペッテション=ベリエルの場合は自らも合唱曲を書いていたので合唱指導というのも自然な気はする。
[DVD(字幕)] 5点(2016-12-17 10:51:21)
725.  学校 《ネタバレ》 
かなり昔の映画のように見えるが、劇中の事物(金のうんこなど)や登場人物の発言によると、劇中年代としても製作時期と同じ頃だったようである。 自分としての感想を正直に書くと、映画のかなりの部分は生徒の個人的事情を描写しているだけで、かつそれ自体に心を打つものは特にない。また後半では泣きを誘うためか、田舎~不運~貧乏~愚か~善人といった定型パターンを持ち出してきたようで鼻白むものがある。終盤に至ってまとめにかかるが、個別事情の一般化とか話題の飛躍で物語の流れを無理に導くのが気に障り、結果として出た教育論らしきものも素直に受け取れない。創作物でしか実現できない理想状態を描写しようとしたとすれば文句をいう筋合いではないが、そのまま乗れない人間も当然いるということである。 ラストでは、これだけ雪が降ると東京の人なら転倒して怪我をするのではないか、ということの方が心配だった(タイル張りなどの上を歩く場合は要注意)。  個別の場面としては、クライマックスで出た“しあわせって何?”の論議が聞きどころだった。ここではまず焼肉屋店主の発言に非常に説得力があり、これは民族性などと無関係に人生の真理を語っていた気がする。その後、萩原聖人がかなり高純度にまとめた台詞を言ったので、これで結論が出たも同然と思ったわけだが、なぜか言った本人がこれでわかったとは認めない。その上で中江有里が、この発言をどう処理すれば教員が満足するか知っている優等生のような発言で教育の意義ということに繋いだので、そこで話が逸らされたように感じたのは不満だった。ただこの場面での裕木奈江の語りは、この映画のような学校の根源的な効用の一つを語っていた気はしなくもない。 ちなみに個人的な思い出話として、この映画と同じ頃に勤め先で大規模なコンピュータシステムの導入があり、それまで手書き伝票しか扱ったことのない庶務担当の人々(主に年長の女性)への講習を担当したことがあるが、そのうちの何人かがその後に定年を迎えた際に、在職中に電子機器を使えるようになって感謝している、というようなことをわざわざ言われて恐縮したことがある。この映画でそれを思い出し、学ぶことの意味を少し意識したのは間違いない。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-15 20:52:45)
726.  人狼ゲーム プリズン・ブレイク 《ネタバレ》 
シリーズ4作目である。新作が出るたびに見る義理などないわけだが、今回は贔屓の若手女優が出ているからという理由が一応ついている。4作目にして初めて計画的な脱出を試みたのが特徴点だろうが、死角があるとか道具が備えられているとかは都合が良すぎる。 今回の主人公は最初から綺麗事(贖罪意識を含む)にとらわれがちで、自分としては第1作の桜庭ななみ嬢の再来かと思ったが、終盤に至ってもまだ情緒的な発言が多く、どこまでも現実を受け入れられない愚かな人物にも見えた。またラストでは、本物の愛で結ばれた2人だけが助かった、ということならかなりありきたりな展開で、かつ不自然である。 しかし好意的に見るなら主人公の行動も、状況に流されて悔恨を残すことは二度としたくない、という強い思いがあったからと取れる。またそのような純粋な思いに幼馴染が同調したからこそ、最後まで信頼関係を維持できたというならわからない話でもない。今回の主人公は単に生き延びただけでなく、最後まで屈することなく自らの意思を貫き、その上で本当に脱出してみせたというのが題名の意味と思われる。さらにそれが犯罪の摘発にまでつながるとすれば、単なる脱出ではなく文字通りのbreakということになるのかも知れない。そういう点でシリーズ全体の行方に関わる内容だったようでもあるが、次回もまたこれまでの繰り返しになる可能性はなくもない。  ところで余談として、エンドクレジットを見ているとゲームの参加者12人を役職別に並べていき、11人まで出したところで回想場面の子役2人が挟まって、最後を「ヒステリック女」役の山谷花純さんで締めていたが、ほとんど同年代の出演者の中でこの人だけを大御所のように扱うのが珍しい。実際この中では役者のキャリアが長い方かも知れないが、それよりこの人が最近の戦隊ヒロイン(手裏剣戦隊ニンニンジャー)、主役(小島梨里杏)はその前任者だったということで、この2人を並び立たせる扱いにしていたのかも知れない。 また眼鏡少女(岡本夏美)は、お笑いホラー「カルト」(2013)で悪霊に憑かれたかわいそうな少女役をやっていた人だが、今回も結局かわいそうな役で終わってしまった。劇中人物としては飛び抜けて理知的で、これからしっかり勉強してそれなりの人物(裁判官とか?)になりそうだったが残念なことである(悪いのは誘拐犯だ)。ほかの悲惨な死に方をした皆さんもご苦労様でした。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-10 20:34:31)
727.  手裏剣戦隊ニンニンジャー THE MOVIE 恐竜殿さまアッパレ忍法帖! 《ネタバレ》 
戦隊シリーズの第39作目とのことである。TVは当然見ていないが「忍ばない」というコンセプトは面白い。 映画といっても26分しかないのでTV放送の一回分と変わらないが、本物の城で撮影したという点が劇場版としての特別さかも知れない。公開時期にあわせた夏休みの宿題というのが今回の趣向で、ストーリーは極めて荒唐無稽だが嫌いでない。展開が早いので退屈せず、また毎度のことだろうがラストのダンスはノリがいいので嬉しくなる。とにかく観客を楽しませようという意図が前面に出ていたようだが、物語に込められた一応のメッセージとしては、“やりたいこと”と“やるべきこと”を一致させるのが大事ということだろう。多分。 ちなみにモモニンジャー/百地霞(ももちかすみ)役の山谷花純(やまやかすみ)という人は、他の出演作でも“かすみ”という役名で出ていることがあるが(「白魔女学園」白鳥かすみ、「劇場版 零~ゼロ~」野原カスミ)、これは事務所の意向か何かでこうなっているのか。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-10 20:34:26)
728.  燐寸少女 マッチショウジョ 《ネタバレ》 
マンガの映画化である。主人公の衣装やメイクを見るととてもまともな映画には思えないが、外見をマンガに似せただけで話の中身は真面目である。マンガ原作のため全体的には軽いお話で、途中までは普通にダークファンタジー調だが最後に泣かされてしまうのが意外な展開だった。 映画では原作の第1巻から複数エピソードを選んで構成しており、最初に全エピソードが始まって同時並行で進むのかと思っていたら途中で先に2つが終結してしまう。その後の展開に???と思って見ていると、最後に事情がわかって泣ける話になっている。???の部分はシチュエーション自体に変な印象もあるが、一点だけ明らかな疑問が生じる箇所があり、それがヒントになって最後の種明かしにつながっていた。ちなみに「5年」の辻褄は合っている。 小道具の「妄想燐寸」に関しては、病室の老人が説明書きの意味を自ら理解して使ったのはさすが年長者だが、大学生は目的がはっきりしているが視野が狭く、高校生は単なる馬鹿、といった形で年齢差がついていたのは少し面白い。「妄想」と「願望」の違いは解釈が難しいが、妄想は定義からして破綻が見えており、あまり大がかりなものにしないのが無難ということか。年長者だと寿命1年間は切実に思えるだろうから、その点でも病室の老人の使い方は有効だったと思われる。  キャスト面では、一応は佐藤すみれ(AKB48→SKE48)主演のアイドル映画になっている。ただ主演といっても狂言回し的な位置づけであり、実際は各エピソードに出る役者が頑張っている。 DVDの売り方を見ると、看板アイドルのほか各エピソードに出る男の出演者で女性の観客を引こうとした節もあるが、それぞれに対応するヒロイン役もいるわけで(上野優華、唯月ふうか+森迫永依、美山加恋)、これを目的にして見る男がいても変ではない(自分もそうだ)。 なお若手に比べると病院の老夫婦はさすがの重厚感がある。丘みつ子という人は久しぶりに見た気がする。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-04 20:32:20)
729.  復讐したい 《ネタバレ》 
殺人被害者の遺族に復讐を認める制度ができたという映画だが、とてもまともに機能しそうな制度にはなっていない。要は無法地帯を作って殺し合いさせるための設定であり、恐らく原作段階でもあまり突っ込んで考えてはいないだろうと想像する。 この映画から何らかの教訓を見出すとすれば、復讐は連鎖するのでよろしくない、という程度のことかと思われる。しかし現在の制度でも復讐は認められておらず、仮に死刑になっても公権力が行うことで連鎖は防げるのであるから、少なくともこれが現実の社会批判につながることはない。 また劇中のテロリストは実は原発災害の復讐をしていたとのことで、これは一定の問題提起だったように見えなくもないが、しかし原因者と被害者の因果関係を特定しなければ手段を似せても復讐とすらいえず、いかなる意味でも肯定できるものではない。劇中でも実在の国際テロリストを連想させる扱いだったことからすれば、この映画としても別にこういう活動を容認なり奨励していたわけではないと思われる。 そのようなことで、この映画が特に何らかの社会的なメッセージを導こうとする性質のものとは思われなかった。要は単純に死んでもらいたい人間が死ぬのを見ていればいいのであり、結果としてこの原作者にしてはそれなりに面白い映画になっていた。主人公もここまでやれればもう満足だったろう。  ところでキャストに関しては、若手の出演者(男)は基本的に中京圏のローカルアイドルグループの所属であり、要はこのグループのプロモーション映画のようなものらしい。 自分は男に関心がないのでその点はどうでもいいわけだが、女優に関していえば、ヒロイン役の女優はどうも顔つきに怪しさがある。特に序盤では真面目な人という設定と、信用できなさそうな顔のギャップに戸惑うものがあったが、しかし最終的に化けの皮が剥がれた時点でやっと本来ふさわしい役に落ち着いたようで安心した。また一方、復讐者役で出ていた上野優華さんはほんわかした和む顔で可愛い役が多い人だが、この映画では悪役のためヒロイン役とは逆のギャップがあるともいえる。 ほか序盤のニュースキャスター役は、東海テレビ放送のアナウンサーで本仮屋リイナという人である。女優の本仮屋ユイカという人の妹で、名前は知っていたが初めて見た。昔は演劇などもしていたようだが映画出演はこれだけらしい。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-04 20:32:17)(良:1票)
730.  みんな好いとうと♪ 《ネタバレ》 
福岡のローカルアイドルグループ「LinQ」(リンク)のプロモーション映画のようなものらしい。 最初のところで皮肉な顔の運営スタッフが出てきて突然解散を宣言するが、しかし実在のグループをネタにして解散だとか真顔でやられても茶番にしか見えないわけで、解散を回避するためメンバーがさんざんいろいろやった後、結局は解散が撤回されて普通に前向きな形で終わるのは拍子抜けだが当然である。ただ一応のハッピーエンドになってからも運営スタッフの態度が変わるわけではなく、どうやら運営側には茶番のつもりはなかったらしいという印象が残るのは意外感があった。成果が出なければ本当に解散だ、と冗談めかして脅しをかけて、それを何とかするために、ファンもいい加減な気持ちではなく本気で応援してもらいたい、というのがこの映画のメッセージかという気もする。 アイドルである以上は走り続けるしかない、というのはご苦労様なことで、若いうちなら頑張ってくださいと部外者としては言うしかないが、本来はそれぞれ人生全体の構図を頭の中で意識しておくことも必要だろうと思われる。しかしそんなことはみんなわかって迷いながらやっているわけで、あえて言うのは野暮と思えば少しコメントが難しい映画である。また人数の多いアイドルグループでは自分の存在意義を見出しにくいメンバーもいるだろうが、劇中ではそういう存在を取り上げて、博多ラーメンにからめて気の持ち方を語っていたのが少し面白かった。  ところで登場人物としては、この時点でのメンバー25人の名前を読み上げる場面があったので全員出たという建前だろうが、映像上はみな揃ったようでも実際は微妙に人数が少なかったようである。主人公の新木さくらという人は万人が可愛いと思いそうなタイプで、博多ラーメンでいえば麺に喩えられていたのもわかるが、個人的には特におーばちゃんを応援したい気になった。 また主人公のママ役の いとうまい子という人は30年前のアイドルであって、今も変わらず可愛らしい、と言いたいと思ってこの映画を見たわけだが、残念ながらこの年にしては可愛らしい、という程度の表現にとどまるのが実態だった。それでも昔の面影を十分残した(思い切っていえば昔のままの)姿でこのように出るのは嬉しくなくもない。
[DVD(邦画)] 5点(2016-11-01 23:16:06)
731.  のぞきめ 《ネタバレ》 
原作付き映画は原作の劣化版でしかないことが多いので、映画から見てしまって損した気分になるのを防ぐため、今回も原作を先に読ませてもらった。もしかするとこの映画でも、原作でいう「ホラーとミステリの融合」を目指していたのかも知れないが、実際見ればまあ普通のホラーになっている。 映像化という面では、表題のモノに憑かれるとどうなるか劇中でも説明はあったわけだが、実際は主にその辺の隙間から覗く形になっており、これでは菊地あやか主演「隙間女 劇場版」(2014)とどこが違うかわからない。まだしも地面の目の方がホラー映画の映像表現として受け入れやすいが、何にせよもう少し、じっと見られている圧迫感を即物的でなく表現すると面白かったはずだ。 それでも中盤まではおおむね黙って見ていられる内容だったが、終盤に入るとかなり羽目を外してしまった感がある。自分としては原作を読んでいる最中も何となく「八つ墓村」をイメージしていたわけだが、この映画では見た目もあからさまに1977年の映画を意識していてかなり興醒めだった。またラスト近くで原作者のフルネームと原作本の実物を出していたのもやりすぎである。 結果としてはかなり微妙なところだが、原作のおかげもあって「クロユリ団地」(2013)などよりはましだったという点数にしておく。  ところで主演の人物には個人的に全く関心がないが、この人の叫びというより唸り声は独特で、こういうホラーは初めて見た気がした。それより自分としては最初の犠牲者の彼女役の女優(入来茉里さん)に注目していたが、この人がなりふり構わず走って逃げる様子は可哀想だが可愛らしく、見ている側としても何とか助けてあげたくなる。ほかデビュー直後は馬鹿にしか見えなかった白石隼也も格好良くなっており、まことに隔世の感がある。 そのほか完全に余談だが、最初の犠牲者が通っていた大学の場面で、実在の麗澤大学(千葉県柏市)が実名そのままで出ていたのは少し驚いた。最初の映像は「生涯教育プラザ」の建物から図書館を見たところのようである。またついでにいえば、「総名井ダム」(これは架空)を検索していた場面で「ダムカード」の記事が出ていたのは現代日本の世相を反映していて面白い。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-25 19:59:47)
732.  猫なんかよんでもこない。 《ネタバレ》 
日頃ネコ映画を好んで見ているわけでないので比較できないが、動くネコ映像が満載というだけでなく、ネコを飼うことに関してもよくできた映画ではないかと思われる。 映画では子ネコを飼い始めるところから死期が迫った状態、及び死後のペットロスまでを短期間ながら一貫して扱い、その間にネコが引き起こす各種の出来事を入れてある。ほか人間側の心構えや気の持ち方も語らせており、こういうのは死んで初めて考えるよりも、生きているうちから考えていた方がいいことと思われる。 個人的に重要だと思ったのは、劇中で死んだネコはヒトの立場からすれば自分のせいで死んだと思われたかも知れないが、当のネコは自分の本能に従って一生を全うしただけだということである。台詞とは別の表現をすれば、過剰な思い入れを排してヒトの都合・ネコの都合と割り切った上で、たとえ同床異夢でも同じ空間と時間を生きることが大切だということが語られていた気がする。  一方でこの映画が好きになれないのは、主人公が本物の馬鹿に見えるからである。原作が30年前のため現代の常識が普及していないという言い訳もあるようだが、主人公は早い段階で外飼いをするな、避妊・去勢をしろと忠告されたのを無視して何もしなかったのであって、それで問題が起こって慌てる/泣くぐらいなら初めから対処しておけと言いたくなる。避妊した後で後悔していたのも考えが足りない。 こういうのはストーリー上で必要な教訓を導くための都合かも知れないが、それにしても現代日本では普通のことを、主人公はやっと最後になってわかるという展開は非常に苛立たしい。そういうお勉強の面でいえば、現に飼っている人というよりも、これからネコを飼いたい人が見るのがふさわしいともいえる。30年間の人類の進歩?を疑似体験する映画ということかも知れない。 ただ主人公は結局最後まで外出を許しており、これは家に閉じ込めることについて制作側(原作者?)の割り切りができていないのかと思ったりもしたが、何にせよこのために、周辺住民の生活被害という非常に重要な問題が扱われない形になっていたのはさすがに困ったことである。現代であればこの点は絶対に外せない。 ちなみに個人的な考え方を書いておくと、ヒトとネコの間で無理に上下関係を想定しなくてもいいのではと思う。ネコが自分を見下していると考える必要はない。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-18 19:41:29)(良:1票)
733.  携帯彼氏 《ネタバレ》 
携帯サイト「魔法のiらんど」で公開されたケータイ小説を原作とした映画で、同サイト発のものとしては「恋空」(2007)、「赤い糸」(2008)に続く映画化ということらしい。それを聞くととても成人男子がまともに見るものではないということになるが(「赤い糸」は見ていないが「恋空」で想像はつく)、しかし別に非常識で不道徳な過激描写が連続するわけでもなく、おおむね一般常識の範囲に収まっているので特に問題はない。 ストーリーとしては若年者向けのため他愛ないところもあるが、謎を解明していく要素もあったりしてあまり退屈しない作りになっている。自分としては続編の「携帯彼女」(2011)を先に見てしまったが、それよりはまだしも面白く見ていられる感じだった。特に主人公が小柄で可愛らしいので和むものがあり、「言ったらチョー寒いって絶対引くよ」とかいう今風の台詞が微笑ましい。 公開時には女子高生限定試写会などというものも開催されたようだが、そもそもの携帯サイトが「ガールズエンタテインメントサイト」とのことで、初めから女子が主な対象層だったらしい。この映画でも次の「携帯彼女」でも若手の女性監督を起用したのはそのせいだったのかも知れないが、しかしこれだけの各種美少女満載映画を男子に見せないつもりだったとは考えられない。自分としては前田希美さんという人が出ていたので見たわけだが、この映画では軽薄で可愛気がなく台詞が上滑りするような人物で、いかにも真っ先に死にそうな感じだったのが残念である。まあもともと死体になる役が多い人とのことで、この映画はその最初の例ということらしい。 なお興味本位で原作も読んだが(上記サイトで無料で読める)、主人公の女子(高校生ではなく卒業後の社会人)の考えがその時々の感情で簡単に左右されて不合理な行動に走る様子が見えたりして、そういうところが共感を呼ぶのかと興味深かった。 [2018-6-30追記]主人公の友人役で朝倉あきという人が出ているので再見。当時17~18歳くらいで可愛らしい感じで、若干のお色気担当で熱演している。またお話全体としても「言ったらチョー寒い」言葉がちゃんと生かされていて悪くないと思ったので、この機会に+1点としておく。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-09 22:56:10)
734.  独裁者、古賀。 《ネタバレ》 
気弱な男子高校生が壁を壊して前に進もうとする話である。基本的には良作と思われるが、しかし自分としては登場人物が不快なために見るのが苦痛だったというのが正直なところである。 まず主人公は単なる馬鹿に見える。本当に臆病ならもう少し用心深いのではと思うが、攻撃される危険のある場所にわざわざ大事なものを持って来て、案の定奪われるのは普通一般の知能を備えた人間とは思われない。こういう度を越して愚かな人間は共感どころか憐憫の対象にもならないのであって、こんな奴の人生は初めから終わっているから今さら何しても仕方ないだろうという感覚が最後まで尾を引いた。これはもしかするとイジメを“する”側の立場に観客を置こうとする試みなのか。 また担任教員が優柔不断なのか大勢順応的なのかわからないが良心というものが見えない男で、そのため女子生徒の自己判断とされていたものも、実は担任教員が裏で圧力をかけたのではないかと疑われた。終わってみればそうでなかったことはわかるが、この男の人格自体を認めたくない心境になってしまってからではもう挽回できない。主人公(馬鹿)を含めて、過度の反感を持つことのない人物造形にしてもらいたかったものだと思う。 ちなみに主要人物以外では、小柄な女子生徒がどういう役回りなのかわからなかった。眼鏡っ子が差別されていたのも意味不明である。  ところで進学校という設定は何の役に立っていたのかわからない。もしかすると迫害側の女子生徒が妙な観念論を述べたり文語調の表現をしたりするところに生きていたのかも知れないが、自分としてはそういう小理屈のようなものは聞きたくない。この進学校という設定のため、それにふさわしくない様相を呈する登場人物や校内の状況がストーリーの都合で不自然に作られたものに見え、個人的にはこの映画への共感を一層妨げる結果になっていた。 ただ実は進学校というのは口先だけで、体面ばかり気にして内実が伴わない自称進学校だったのかとも思われる。そう考えれば、迫害側の女子生徒が本来自分のいるべき場所でないところに置かれていることで苛立ちを募らせ、それが馬鹿の虐待につながったとも取れるので、これは案外そういう理解でいいのかも知れない。 なお「独裁者」という言葉の最終的な意味付けはよかったと思われる(自分の理解が正しければ)。またヒロイン役の村上穂乃佳という人は、「人狼ゲーム クレイジーフォックス」(2015)で見たときは悪役風で好きになれなかったが、この映画では内向的な普通の少女役が好印象だった。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-01 13:44:27)
735.  恋の罪 《ネタバレ》 
とりあえずデリヘル事務所の顛末は単純に面白かった。派遣先での「ボケー!」の台詞も心に残る(笑った)。 ほか全体的なことに関しては、まずはいかにも頭の悪そうな人物が予定通り堕落していく話になっている。部外者としては目を逸らして見なかったことにするだけの相手であり(こっち見るな!)、おれは関係ない、で終わりである。 また途中で頭のいい人物が出て来て深淵な哲学を語りそうな雰囲気だったので、これは自分などの理解を絶した世界かと思っていたが、実際は普通の言葉でわりと簡単に説明できそうなことを難しくしただけで、結局最後は誰でも想像できる範囲に収まった感じだった。普通に生きることが難しい境遇だったとしても、そこを何とかカバーする知性をこの人物は備えていたはずで、その点で父親の行動はまだしも理性的な範囲にとどまっていたと思われるが、こういうのは性別によっても違うと言いたいのか。 以上の2人に関しては、こうなったことにもそれなりの事情があったらしく、全てが生来の体質によるものともいえないところがあるが、少なくとも次に生まれ変わった時には別の人生が期待できるわけで、その際は例えば修行して悟りを開いて仏になることを志したりするのもいいかも知れない。 そのほか警視庁の刑事には単純に失望した。劇中には全般的に変な連中が多いが、この人物は特に職業と人格の関係、また家庭環境に関する設定が支離滅裂である。またこの映画では三者三様のヘアヌードが出て、見た目でいえば胸の大きさの違いが明らかな特徴になっているが、この人物は中庸であって個性の表現にはつながっていない。別にそんな点は評価項目にならないのでどうでもいいわけだが、頭の良し悪しと胸の大きさに負の相関関係があると主張していたのであれば問題がある。多分そんなことも言ってないだろうが。 なお個人的には、この映画を見ながら大岡越前守の逸話と伝えられる「灰になるまで」の話を思い出したりしたが、それは関係ないか。何にせよあまり深入りしたくない映画だった。
[DVD(邦画)] 5点(2016-10-01 13:44:24)
736.  怒り 《ネタバレ》 
真面目に見たが釈然としない映画だった。見た後で原作を読むと、全体としては原作にかなり忠実に、うまく要約して作られているのはわかったが、それでもなお釈然としない理由は次の3つである。  ①題名と内容が一致しない 題名の意味について、どうにもならないことへの憤懣を「怒り」という言葉で表現していると考えれば、劇中の至るところに大小の「怒り」があることは理解できるが、しかし物語としては3つとも“人を信じること”を主題にしているように見える。これは原作段階でも同様の指摘があったらしく、それに対して映画では、ラストに追加した少女の場面(ギャーと叫んでいた)で「怒り」をより強く印象づけようとしたのではないかと想像する。 ②登場人物の心情に共感しにくい 千葉編と東京編に関しては、それぞれ相手を疑う理由が第三者的にも理解できるものであり、かえって当事者の悔悟と自責の念の方に共感できなかった。しかし原作を読むと、さすが小説では登場人物への共感レベルがまるで違っており、小説の情感が映画では失われてしまって無味乾燥になった感じがする。長さの関係もあるだろうから仕方ないが。 ③全体的に結論を出さず観客に投げる形になっている まず「怒り」の根源について、派遣労働や外国の駐留軍(現時点ではアメリカ軍)、あるいは母親が自堕落だとかいうことなど、大小各種どうにもならないことへのやるせなさがあったとしても、それを観客に訴えてどうしようというのかという疑問が生じる。また“人を信じること”は一応の共通テーマのようではあるが、これも闇雲に“人を信じることが大事”などと訴えていたのではないらしく、映画でも沖縄編は少し複雑だが、原作では映画で省略した4つ目の物語がこの問題の難しさを示している。 答えが出ないようで不全感は残るが、元からそういう作りなのは仕方ない。観客の内なる「怒り」を期するということかも知れないが、あまり期待されても困る。  そのほか原作段階では真犯人の犯行動機がわからないのが不満との声もあったようで、それに対して映画では、犯人の行動と心境に関する台詞での説明を入れてある。またそのことに伴い、真犯人が必ずしも真の悪人ではないということも示唆されていたようで、つまり「怒り」は専ら米軍に向けよということだったのかも知れない(ちなみに原作では白人だったのを映画では黒人にしていた)。 なお出演者に関しては当然ながら広瀬すず嬢が圧倒的な印象を残す。二度は見たくない映画である。
[映画館(邦画)] 5点(2016-09-23 19:58:15)(良:1票)
737.  大海獣ビヒモス 《ネタバレ》 
放射能怪獣が大都市を襲うパターンは「原子怪獣現わる」(1953)と同じだが、前回からここまでの間に“放射能は怖い”という認識に至ったらしいのは著しい進歩である。食物連鎖をもとにした説明はゴジラにもなかった説得力があり、また怪獣の死体を「核廃棄物として安全に処理」する必要があると思っていたのもまともな感覚である(実際はそうでもなかったが)。最後はゴジラ並みに“最後の一匹だとは思えない”的な終わり方になっており、核の時代に警鐘を鳴らす形には一応なっていた。 またこの映画でも怪獣が出現するのは遅いが、その間のドラマ部分にあまり退屈しなかったのは大違いだった。積極派と慎重派の学者がある程度の緊張感を持ちながら、結構まともに見える検証を通じてともに怪獣の存在を確信するに至り、それを軍当局に通報したことで速やかに対策が始まるというのが理性的で、これはさすがイギリス人だとか思ってしまう。また放射能カレイ(日本なら放射能マグロ)が発見された時点で、慎重派の学者は市場に出ないよう関係機関に通報し、積極派の学者は原因究明に当たっていたのもそれぞれの個性を生かした分担で現実味があった。トロール船の船長と学者の会話もなかなか気の利いた感じで面白い。 ただし出て来た怪獣は基本が恐竜なので姿形に面白味がない。それでも何か武器を持たせなければならないと思ったのか電気ウナギからネタを借りたようだが、実際それで攻撃する際の効果音が極めて間抜けである。それでもやっとロンドンに上陸した後はそれなりの迫力があり、川岸からぬっと上がって迫って来るとか、お決まりの高電圧線の接触場面など面白く見せようとしているところもある。パニック描写としてはエキストラ然とした人々がとにかく走る場面が多かったが、街角で怪獣を見た老人が口をあけたまま固まってしまい、その後のポワポワ攻撃でやられてしまったのは気の毒だが笑ってしまった。 なお途中で出た古生物学者は低身長で威厳はないがユーモラスで、これから第三の中心人物として活躍するのかと思ったらすぐ退場してしまったのは残念だった。制作側としては、もし恐竜が生き残っていたらという子どもらしい夢を、この人物を通じて語らせようという思いがあったように思われる。日本のゴジラも出発点は恐竜ながら、その後は普通一般の生物を超越した存在になっていったのとは対照的である。
[DVD(字幕)] 5点(2016-09-17 19:59:36)
738.  ドロメ【男子篇】 《ネタバレ》 
一つのストーリーを男子、女子それぞれの視点から二本の映画にした「青春ダブルアングル・ホラー」のうちの【男子篇】である。男女篇が互いに不明部分を補完し合っているところがあるが、主に女子篇での謎を男子篇で解く形になっているため、順番としては女子篇を先に見るのが明らかに正しい(男子篇を先に見たのは失敗)。 男女篇とも冒頭からいわゆるポップな雰囲気を前面に出しており、特に男子篇はほとんどコメディでホラーらしくない(ママの顔だけ怖い)。コメディとしての可笑しさは、バカな男子連中のやらかすことを単純に面白がれるかどうかにかかっているが、しかし個人的感覚としては単にバカだと思うだけで全く笑えず、ボーイズラブ寸前のじゃれ合いも鬱陶しい。また過呼吸とか胡麻餡を垂らす場面がくどいため間延びしたように感じるのは男女篇共通だが、特に男子篇では無駄にしか思えない場面があったりもする。かろうじて前後篇でほとんど唯一の泣かせどころがあるのは男子篇の特徴だったかも知れない。 この映画が売りにしているのはクライマックスのドロメ退治だが、ここは爆笑とはいかないまでも可笑しさはわかり、また「終」を出すタイミングも失笑を誘う。そこからエンディングにつながって、花火ダンスの再現で盛り上がるのも映画の終着点として納得いくものになっていた。終盤の展開は東映戦隊シリーズの流れを汲むものに見えたが、ただしそのように見るとエンドロール後の追加部分が不可解ということになってしまう。実際ここは女子篇の方が本来のあり方であって男子篇は捻りを加えた形のため、この点でも女子篇を先に見るのが正解だという気がした。  ちなみに男女篇に共通だが、劇中の比嘉梨乃さんと岡山天音の関係性が非常に可笑しい(小道具製作とスパゲティの場面に注意)。これに関する舞台挨拶での話を聞くと役者の素顔も見える気がして面白かった。
[DVD(邦画)] 5点(2016-08-25 22:08:28)(良:1票)
739.  ウィンター・ウォー/厳寒の攻防戦 《ネタバレ》 
第二次大戦初期の1939年11月~1940年3月に、フィンランド共和国とソビエト連邦が戦った「冬戦争」の映画である。この戦争は基本的にソビエト側からの侵略で始まったもので、これに小国フィンランドがほぼ独力で果敢に抵抗したことは当時から賞賛されていたらしい。 字幕によれば「第23歩兵連隊の軍事日誌と、同連隊で戦った兵士たちの記憶に基づいて作られた」映画とのことで、開戦前の動員のところから話が始まる。部隊はフィンランド南西部のカウハヴァの周辺住民で編成されたもののようで、みな近在の知り合いばかりのように見えたが年齢差もあり、1918年の内戦に参加した者や、1932年のマンツァラ蜂起で動員された経験のある者もいたらしい。銃は自宅に配備されていた(日頃の訓練などでも使っていた?)ものを持って行ったようである。 当初はまだ「戦略的な動員」であったために人々の本気度も半端のようだったが、認識票に関わる一連の発言などは、自分が死ぬかも知れないという覚悟を少しずつ固めていく過程のようにも思われた。配属先は当然ながら地続きの自国内で、到着後にいきなり現地女性と親密になろうとしてみたり(慰安所はない)、長目の休暇を取ったりして気が緩んできた矢先、突然戦端が開かれて慄然とすることになる。 その後は大勢がよくわからないまま眼前の敵との戦いを強いられていたが、最後はまた突然に講和条約が締結されて戦闘が終了し、その時点で生き残っていた者が結果的に助かった形になっていた。戦闘停止が知らされた後の両軍兵士の反応の差は、無理やり動員されて来て終われば帰るだけの連中と、戦いの意義はわかっているが犠牲が多すぎたと思う人物の対比を示していたようにも思われる。 この戦争の結果として、フィンランドはソビエト側の要求を容れる形で大面積かつ重要な領土の割譲を余儀なくされたわけだが、しかしここで断固として屈服しなかったことで「独立を守った」(字幕)というのがこの映画としての見解になっている。そのような認識は恐らく、劇中人物が言及していたバルト三国でも共有されているものと思われる。  ところでこれを普通にドラマとして見ると基本的には退屈であり、最後の最後だけわざとらしい演出で何とか形をつけようとしたかに見える。上映時間が当初は199分あったのをInternational Cutで125分に大幅短縮したとのことだが(DVDではなぜか122分)、いわば当時の再現映像のようなものであるから、個別エピソードを落とすことでいくらでも削減可能な性質のフィルムだったのかも知れない。それにしても登場人物の間でそれなりにできていたはずの人間関係が短縮のせいでよくわからなくなり、それでドラマ性に乏しく見えていたとも考えられる。 そういうこともあって、日本人では基本的にフィンランドの歴史、または軍事関係に関心のある人以外にはお勧めしない。軍事マニアなら199分版の方を見たくなるかも知れない。
[DVD(字幕)] 5点(2016-08-13 22:28:28)
740.  バトル・オブ・リガ 《ネタバレ》 
第一次大戦中の1918年にラトビアが独立宣言して以降、外国勢力を排除して実質的な独立を勝ち取るまでの経過に関わる物語で、1919年11月の首都リガにおける攻防戦が中心である。劇中で記念日とされていた11月11日は現在も戦士を追慕する日とされているらしい。 この映画が言いたいのは、要は劇中の政治家(カールリス・ウルマニス、実在の人物)の発言にあったように“国家の存否を決するのは国民自身の意思だ”という考え方と思われる。これは国家の存在を当然の前提として反抗だけはしてみせる駄々っ子のような国民とは明らかに感覚が違っている。「国のためなら戦える」などという発言は日本ではまともに口に出せるものではないが、ラトビアのように国の枠組み自体を作るために苦闘した国では、本気でこれを大事だと思っているということである。  現実問題として当時の情勢はかなり複雑だったようだが、この映画では一定の整理を加えた上で現代の事情に合わせて脚色したものと想像される。 劇中では、もともと民族主義者で後に独裁者として知られるウルマニスをあえて公正で善良な指導者として中央に据え、その政敵でドイツ寄りのニエドラを政権内の懐疑派の扱いにして、その対極に、いわば国民全部を体現する存在として主人公を位置づけることで、ラトビア国民国家の縮図を作ってみせたように思われる。主人公が政府要人と友達づきあいなのは不自然だったが、そこはあえて作為を通したものと考えておく。 これに対してラトビア独立の敵はドイツとロシアだが、この映画ではドイツを主な敵役にする一方、ロシア人(白系のみ、赤軍は出ない)は下品な連中として笑い者にしただけに見える。そもそもリガはドイツ人が創建した都市であり、この時点でも結構な割合がドイツ人だったと思われるので、簡単にドイツ憎しで全市民が一致団結するわけでもなかっただろうが、現実にはその後、第二次大戦の終了とともにラトビアのドイツ人はほとんど退去してしまい、代わりに現代ではロシア人の比率が高くなっている(約3割)。そのような状況では、現在いないドイツ人を悪役にしておくのが簡単かも知れないが、しかし現地のロシア人にとっても見づらい映画ではあるかも知れない。その辺の現地事情はよくわからない。  ほか映画自体の内容としては、序盤は笑いを含んだ下町人情物のような雰囲気で、最後までこの調子かと思っていると後半は一転して深刻な話になるが、全体的にスケールが小さい印象があり、これがラトビア史上の重要な戦いだという感じはあまりない。しかし娯楽映画としてそれなりに楽しめるものになっており、また現在も存続しているラトビア国家の原点に関わる映画であるから、ラトビアに関心のある人々にはぜひ見ていただきたい。
[DVD(字幕)] 5点(2016-08-05 00:55:43)
0110.88%
1272.17%
2614.90%
3987.88%
418014.47%
532526.13%
628522.91%
717814.31%
8614.90%
9171.37%
1010.08%

全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS