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ドラえもんさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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61.  香港国際警察/NEW POLICE STORY
長きに渡り多くのファンを魅了し続けてやまないジャッキーのアクションは、どんなに時代が移り変わろうとも、終始一貫変わることがない。子供騙しのようなCGには目もくれず、手作りという、あくまでも活劇映画本来の面白さを狙って生み出されたアイデアを、鍛え上げられた肉体が次々とものの見事に実践してしまう。そんな生身の体から発散される圧倒的な迫力に加え、観客に対する彼の旺盛なサービス精神に、我々は感動し拍手を惜しまないのである。それらの事がコミカルであろうとシリアスなものであろうと、ジャッキーの作品は筋金入りだと言われる所以でもある。しかし映画の中ではやはり時代が進むことにより、犯罪もより高度になり犯人像も複雑を極める。しかも対決するべき今回の相手は、警察の精鋭部隊がいとも簡単に血祭りに上げられてしまうほどの頭脳集団だ。ゲーム感覚で警察を手玉に取る、この序盤のシークエンスが映画的には最も面白く、凶悪犯が手強ければ手強いほど、映画としては面白いというお手本のようである。巧妙な罠にかかり警察官として挑発を受け、散々屈辱を味あわされたジャッキーが苦悩の挙句、酒浸りになってしまう哀れな姿は今まで見られなかったような役どころだが、後半、反撃に出る彼のアクションを際立たす重要なシチュエーションでもある。暗く重い前半から、ジャッキーの畳み掛けるようなアクション全開の後半は、一気に開放感溢れたものとなる。ジャッキーのアクションはアクションへの流れが自然であり、いわゆる見せ場の為のアクションではないと感じさせるところがこの人の凄いところだ。やがて一筋縄ではいかなかった筈の犯罪者グループの脆さが一気に噴出するのだが、中盤あたりまでがすこぶる快調だっただけに、彼らの失速ぶりが作劇としては惜しくもある。 また、ジャッキーの年齢を考えると、危険な目にあう婚約者といった設定にも、やはり無理がある。 それにしても、香港には超高層ビルの多いことを改めて感じさせられたことから、これからのジャッキーのアクションには、ますます好材料となるようだ。
[映画館(字幕)] 9点(2005-07-21 17:37:06)
62.  オープン・ウォーター
実際にあったコワ~イお話。こういう作品を制作する際に問題となるのが、災難に遭った当事者でもない限り、その場の状況は誰にも分からない訳で、同様の事故から生還した人のコメントを参考にする以外は、想像の域を出ないという事である。従って、ドラマチックな感動を呼ぶ娯楽作品に徹するか、あくまでもリアルさを追求したドキュメンタリー風の作品にするかは、製作者の狙いによって随分と違ってくる。こういった再現ドラマには以前公開された「運命を分けたザイル」という秀作もあるが、舞台が雪に閉ざされた山岳地帯という事もあって、ドラマを構築するには有利に働いたように思える。しかし本作は周囲360度が見渡す限りの海が舞台であり、そこにポツンと取り残された二人の男女の運命を描くには、画面的には単調にならざるを得ないのは自明の理。どう考えたって娯楽作にはなりようがない。 そこで、その不利な条件を逆手に取り、接写撮影に徹して、観客をも巻き込んだ同時体感ムービーにしたのは、正解だったと思う。いや、もはやその方法しかなかったとも言える。主人公たちを俯瞰で捉え、空間的な広がりを感じさせるショットも無くはないが、ここで問われるのは、あくまでも状況の迫真性である。彼らの足元に蠢くクラゲや鮫といった、海に生息するモノたちからの攻撃による恐怖も然ることながら、一方では、何も起こらない事の恐怖も同時に味あわされる。取り残されたという心細さが徐々に不安感に繋がり、やがて恐怖に変わっていくプロセスは、なかなか巧みだ。とりわけ、延々と波に揺られることで船酔い状態になり、嘔吐する生々しい描写や、感情が微妙にブレ続ける二人のセリフの遣りとりなど、真実味や臨場感からくる恐怖演出は十分に捻出されているし、さらに、無名の俳優たちの真に迫った演技も見逃せない。それにしても、単純なミスで災難を被る映画としては異色の本作だが、安手のリゾート・ツアーには気をつけようという、戒めが込められているようだ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-07-14 12:40:17)(良:1票)
63.  ダニー・ザ・ドッグ
ピアニストの母を持つお坊ちゃま少年ダニーが、自分の生い立ちを何故覚えていないのか、そしてどのようにして、これ程までに強靭な肉体を有するファイターに成長できたのか。さらに飼い犬の如く借金取立ての強力な用心棒として彼を育て上げた親方の思惑や真意など、基本的な部分に何かと説明不足な作品だ。「所詮アクション映画なんだから、クドクドと説明するまでも無いだろう!」とベッソンは言うかも知れないが、物語の根幹に関わる事だけに、もっとじっくり脚本を練って欲しかった。ディテールをきっちり抑えていればこそ、ドラマにも説得力が生じるというものだろう。しかし、本作はそういった脚本の欠陥をL・レテリエのテンポのいい演出で補っているのが救いだ。アクションにおけるスピード感溢れる歯切れの良さは「トランスポーター」で立証済みだが、主役を引き立てながら見せ場を作る上手さでは無類の才人だと思う。彼には是非とも「007」の監督をやらせてみたい。ただ、あの世へ行っている筈のB・ホスキンスがゾンビのように生きているのはどう考えたって不自然で、その部分だけはアクションの過激さが裏目に出たようだ。さらに周囲の観客に囃し立てられて、已むを得ず闘鶏場のようなリングで死闘を繰り広げるといった、使い古されたパターンや、J・リーの女性にはウブでストイックという設定には、もぅそろそろ卒業したい。
[映画館(字幕)] 7点(2005-07-13 22:39:31)
64.  リチャード・ニクソン暗殺を企てた男
人間、生きていくからには嫌な事も山ほどあるが、普通はそこを何とかして乗り越えていくものである。しかし中には生きる事に不器用で、上手く世間を渡れない人間もいる。真面目で正直者が損をするのが世の中の風潮ならば、この物語の主人公などはまさにその典型例だと言える。事の発端は妻との別離で、それ以来何をやっても上手くいかない(と思い込んでいる)彼は、彼女とさえヨリを戻せば全てが上手くいくと考えているフシがある。なんと単純な男だろうか。上手くいかない本当の理由は彼女との結婚生活以前のハナシであり、何ごとにも真面目すぎる反面、ネガティブな考え方しか出来ない彼自身の性格がそうさせているのだ。彼には会社の上司や同僚、あるいは親しい友人、そして何かと救いの手を差しのべてくれる兄の存在があり、決して孤独ではないはずだ。しかし彼は自分の殻に閉じこもるばかりで誰にも心を開けようとはしない。妻もそんな彼にきっと嫌気がさしたのだろう。男は唯一気持ちの拠り所として心酔するレナード・バーンスタインに、遣り場のない心の叫びを聞かせる。この世の中で信じられるものは自分とバーンスタインであって、それ以外は憎むべき対象でしかないのである。そして処世術に長けた者に対するヒガミ根性が、やがて彼を行き着くところまで行かせてしまう。しかし、本来最も身近な憎むべき人物すら殺せない小心者の行く末は、押して知るべしである。確かにこの被害妄想の塊のような男に同情の余地は無く、むしろ不快を感じるほどだが、映画的に良く出来ている事とは別の次元の話。クライマックスへ至るまでの細かい描写の積み重ねは、主人公の人物像にリアリティと説得力を生み出し、人生に行き詰まった男を演ずるS・ペンは、デ・ニーロをも凌駕するほどの凄味を魅せる。 実話をベースにしているだけに、妙に納得してしまう作品だ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-07-07 18:26:56)
65.  フォーガットン 《ネタバレ》 
自分のお腹を痛めてまで生み育てた子供が、実は最初から存在していなかったとしたら・・という発想から編み出された、「記憶」に纏わるサスペンス・ドラマ。これはもはや、記憶違いや物忘れなどのレベルの話ではないだけに、ヒロインの妄想すなわち、昨今流行の“あのパターン”の映画だろうと高をくくっていたが、同じ様なパターンの映画が通用するほど、ハリウッドもそう甘くはない。巧妙に仕掛けられた罠なのか、或いはやはり彼女の思い違いなのか・・・といったミステリアスな雰囲気は持続することなく、映画は中盤から様相が一変してしまう。当初、D・フィンチャーの「ゲーム」を連想していたのだが、謎の男が出現してからはかなり具体的に、しかも人知の及ばない“何か”の策略が蠢いていることが解かってくる。このあたりを「Xファイル」的だと指摘する声もあるが、私などはむしろ昔の米TVドラマ「ミステリー・ゾーン」のロッド・サーリングの世界そのものだと思っている。決して理屈ではなく、我々の日常周辺に生じる身近な出来事。奇異であり奇跡的であり、人知では計れない不可思議な現象を描いた本作は、小さな世界の話のようでいて、実に大きいスケール感を伴った映画だ。しかし謎の解明のプロセスが大雑把で、結論に至るまでが余りにも性急過ぎるのは、上映時間の問題だけではないように思う。とりわけ、信じ難い話にやたら物分りの良い女性警官や、何かを嗅ぎ回っていたフシのある連邦保安局員は、途中から登場しなくなったりと、何かにつけて不備が目立つ。要はせっかくのアイデアを上手く脚本化できなかった事が、本作の最大の欠陥とも言えるのだが、もう少しヒネリがあれば、もっと面白い作品になっていただけに、惜しい気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-06-30 16:16:57)
66.  ニワトリはハダシだ
森崎東作品には、社会に対する反骨精神で貫かれている面が暫し見受けられるが、その姿勢は演出のみならず我々観客に対しても、決しておもねらない形で表れる。彼の言わんとする、あるいは描こうとする世界観は理解できるにしても、そのドラマツルギーは、一体いつの時代の話なのかと思うぐらい古臭く、表現方法は余りに稚拙である。これは演出レベルそのもを意味するものではなく、あくまでも彼独自の演出スタイルなのであるが、その散文的な演出法は、至って単純な物語を複雑で混沌とした物語へと変貌させていく。純真無垢な子供たちとカリカチュアされた悪い大人達、という単純な図式の割に、テーマが少しも見えてこないのである。だから捉えようによっては、焦点の定まらない印象の散漫な映画として見なされてしまう。いや、纏まりが無いのではなく、むしろ纏めようとしていないのだろう。人々の日常とはそういうものなのだと、ここでも彼の主張が聞こえてくるようだ。しかし達者な演技人があればこそ彼の映画の世界が構築できたとも言える。もともとは脚本家である彼の思想や哲学はプロであるが、それに見合う演出力は未だに備わっていないというのが、私の持論である。それにしても、これほど作風に変化の無い人も珍しいが、ベテランらしい演出の旨みやコクというものよりも、むしろ常に若々しい映像を提供してくれるのが、この人なりの魅力なのかも知れない。
[映画館(字幕)] 7点(2005-06-29 17:54:44)
67.  トニー滝谷
次々と繰り出される横移動のカメラによる平面的な映像は、どこか都会的でアンニュイな雰囲気を漂わせている。今の場面と次の場面との繋ぎの役割を果たしているのは柱や壁。それらの影から登場人物たちをそっと覗き見しているような感覚は、昨今のドマラ性のあるCMを観ているようで、CM界出身という市川準のセンスを存分に感じさせる映像表現である。すべてを忘れ捨て去ったときに初めて生涯で最も大切なものに気づくというテーマの本作は、しかしながらストーリーを語っていく作品ではなく、あくまでも映像で綴っていくタイプの作品だと言える。だからだろうか、研ぎ澄まされたセリフのひとつひとつには深い思いが込められ、少ないセリフだからこそ余計胸に突き刺さるのである。登場人物は基本的にイッセー尾形と宮沢りえの二人だけ。長年一人芝居でキャリアを積んできたイッセーの才能は、ここに於いて遺憾なく発揮され、彼にしか出せない味を体現してくれた。また「父と暮らせば」などで二人芝居づいている宮沢りえは、二役をさり気なくしかし絶妙に演じ分け、一段と演技力が増したように思う。演技力があればこその起用であろうし、二人とも見事それに応えている。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-29 11:10:55)
68.  宇宙大怪獣ドゴラ
数々の名作を世に送り出してきた特撮映画の東宝が、目先の変わった怪獣映画として生み出したのが本作。宇宙大怪獣と言っても人間には殆んど危害を加えず、エネルギー源である炭素を求めて地球に飛来してきた宇宙生物なのである。ただ、人間を襲わない未知なる生物は脅威ではあっても恐怖感などは生まれるべくもなく、本来ならその時点で怪獣失格なのである。しかし本作はそのあたりの不備を、ダイヤモンド・ギャング団と宝石Gメンと刑事との三つ巴のドラマを絡ませて、従来の怪獣モノとはひと味違う作品に仕立て上げている。単なるアイデア倒れに終わらせまいと脚本にも苦心の跡が窺えるが、ドラマ部分のコミカルな味わいがやたら面白くて、ズッコケ調のギャング団の間抜けぶりや宝石Gメンと夏木陽介扮する刑事との珍妙な遣り取りなどは、本多猪四郎監督のコメディ・センスを改めて感じさせる。中でも、宝石Gメンのヘンな外人ダン・ユマのすっ呆けた味わいは棄てがたく、肝心の「ドゴラ」が霞んでしまう程だ。で、この“主役”の影が薄いのも脚本や演出だけの問題ではなさそうで、やはり円谷特撮にもその責任の一端はあるように思う。クラゲとタコをミックスしたような、半透明でユニークな生物の造形力は素晴らしいが、いかに円谷英二と言えども着ぐるみ怪獣とは勝手が違い、この当時の技術では十分に表現しきれなかったようだ。勿論、洞海湾上空での攻防戦は迫力十分で見応えはあるし、石炭を吸上げるシーンの凄まじさには、さすが円谷特撮と思わず唸らされる。とりわけ薄暗い上空から触手が降りてくる不気味さなどに、工夫の跡が窺える。しかしやはり「ドゴラ」の出番が少ない事もあり、それらの現象以外に観るべきものがないので、どうしても物足りなさを覚えてしまう。当時、劇場用ポスターや宣伝用のスチール写真が見事だっただけに、本編との落差に少々ガッカリしたことも憶えている。でも「ドゴラ」というキャラクターをこのまま埋没させておくのも勿体無い話で、今のCG技術で是非復活させて欲しいと密かに期待している今日この頃であります。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-29 10:54:59)(良:1票)
69.  サマリア
細かい状況設定を思い返すと、不可解さばかりが目立つ作品だ。例えば、援助交際の相手の連絡先を、一人残らず手帳に記していたという事。飛び降りて死んでしまったチェヨンの後日談には、さっぱり触れられていない事。しかも彼女の死顔の微笑みは謎を残したままだ。映画は彼女の死などまるで無かったかのような描き方をしているのは、チェヨンという少女がそもそも存在していなかったからではないだろうか。映画の中盤からは、主人公のヨジンとその父親のドラマへと収束されていく以上、チェヨンの存在理由はますます遠退くばかりだ。想像の域は出ないが、ヨジンは自らの心の空洞を埋める為に、もう一人の自分をチェヨンとして演じていたのではないだろうか。ヨジンにとっては理想の少女がチェヨンなのだ。思春期の少女の揺れ動く心は、シャワーを浴びるふたりの姿で表現される。それはまるで汚れを知らないかのような可憐で妖しい美しさ。男に体を売る自分と、それを外から見守る自分。分身である一方の自分が消滅すると現実に引き戻される自分がいる。映画はファンタジックな世界から、やがてリアリズムの世界へと変貌していく。後半、随所に出てくる生々しい暴力描写はギドクらしさに満ち溢れているが、父親の異常なまでの感情の爆発は明らかに常軌を逸している。彼の理解を超える行動は、娘のとった行為に苦悩していると言うよりも、まるでそれを正当化しているように見え、焦点がぼやけてしまった印象は拭えない。喧騒からやがて静寂の世界へと父と娘の癒しと懺悔の旅は続くが、父親がそうであるように、彼女のとるべき道も彼女自身すでに分かっている筈である。だから象徴的なラストは敢えて必要ではないとも思う。しかし現代人の抱えている問題を、どこまでも寓意に満ちた手法で描き切ったギドクにはやはり目が離せない。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-16 17:54:57)
70.  エレニの旅
アンゲロプロスの映像世界には、他の誰もが真似ることが出来ないこだわりとオリジナリティがある。今日に至るまで、死守され続けてきたこの人だけの映像スタイルは、黒澤とそして小津の影響が明々白々であり、その姿勢は愚直なほど一貫している。オープン・セットでは超望遠レンズを多用して映像に奥行きと重厚さを生み出し、室内シーンともなると固定キャメラで延々と芝居をさせる事などがその顕著な特徴である。本作はギリシア悲劇をベースに、繰り返される戦争の虚しさとそれに翻弄される民族、そして愛する者への慟哭を描いたものである。これはアンゲロプロスが作家として追い続けている永遠のテーマであり、また世界的に見ても唯一無二である事で、独自の地位を築き上げてきた人である。一大叙事詩とも謳われるその映像は、まるで能の舞台を観るかのような様式美で統一されていて、室内よりむしろオープン・セットにより彼らしさが表れている。それは彼の作品のモチーフでもある「河」に象徴的に描かれる。ときに国境として、あるいは祖国を分断するものとして、さらに民族の分裂から仲間や家族との別離といったシーンにより深い意味が込められ、今まで以上に大きな役割を担っていると言える。オープニングの難民たちに始まり、洪水に見舞われ水没する村々、あるいは多くの舟が整然と並び、漕がれる櫓が幾何学模様となって河を渡るシーンなど、それらはまるで静物画のような美しさで描かれる。また、木に逆さ吊りにされた無数の羊たちのショット、あるいは土手を挟んで二人の息子が再会する様子を、幻影として見つめる母親の姿を捉えた終盤のシーン等々、物言わぬ映像が多くの事を語りかけてくる。悲しくも美しい映像には枚挙の遑が無いほどだが、ひとつひとつのシーンはまさに芸術品であり、あたかも美術館を巡っているようである。細かなプロセスが省略されていても、個々のエピソードは十二分に理解でき得る。映像の持つ力とはそういうものなのである。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-15 23:21:36)(良:2票)
71.  悪魔の発明
半世紀の時を経ての念願叶い、生涯最も観たかった作品とついに巡り逢えた。作品の素晴らしさは筆舌に尽くしがたく、そのイメージは想像で思い描いていた以上であり、これが五十年も前に創られた映画なのかと改めて驚くと共に、長年待った甲斐があったとしみじみ感じる。噂では知っていたけれど、実際には観たことがないカレル・ゼマンの世界は、まさしく「イメージの宝庫」と言えるものであり、それ以上に「斬新さと独創性」というものが強烈に印象付けられるものであった。作品世界は今で言う“SFファンタジー・アドベンチャー”だが、如何にも使い古された感のあるこのフレーズには全くと言って当て嵌まらない。私にとっては、まさに“未知との遭遇”なのである。その映像は“実写とアニメの共存”とでも表現すればいいのだろうか、例えば「ロジャー・ラビット」等とは対極にある、絵画で言う平面画にこだわりを見せている点である。アニメーションと言っても現在のイメージとは大きく違い、西洋の古き書物の挿絵あるいは絵画の下絵から抜け出てきたような、まさに“絵が動く”のであり、その新鮮な驚きは感動的ですらある。しかもそれらアニメ部分や実写との合成、或いは書き割りに至るまで、銅版を用いた線画で表現することに徹していて、さぞや気の遠くなるような手間隙かけた作業であったろう事は容易に想像できる。さらにモノクロ映像にしたのも功を奏したようで合成だと思っていたら巧妙に創られたセットだったりと、目を凝らしていても解からない。これらの、まるで騙し絵のような摩訶不思議な映像の洪水には圧倒されてしまう。もはやストーリーやテーマなどそんな事はどうでも良く、目の前で展開される予測のつかない、まるで玉手箱のような映像に身を委ねていればそれでいいのである。ミニチュアからセット・デザインに至るまで、映像のプロとしての緻密に計算され尽くした画面構成と、カレル・ゼマンの少年のような無邪気さと奔放な遊び心とが見事に結実したこの「悪魔の発明」は、「天才の発明」した、まさに世紀を超えた傑作であると、私は断言したい。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-09 11:07:02)(良:2票)
72.  ミリオンダラー・ベイビー
「ミリオンダラー・ベイビー」はそのタイトルからくるイメージとは程遠い、実に重みのある作品だった。もちろん途中までは、確かにアメリカン・ドリームを実現しようと奮闘する、いわゆるウエルメイドな痛快篇であることには違いないが、人生、好事魔多しで、奈落の底へ叩き落とされた途端、ドラマは後半急速に深刻さを帯びてくる。実の娘あるいは家族への想いが届かないもどかしさに、人生のほろ苦さを味わうフランキーとマギーは実の父娘以上の、まさに運命共同体である。そんな戦友とも言える二人が見た束の間の夢は、残酷な形で跳ね返ってくる。それはたまらなく悲惨で、ひたすら重苦しく、ほんの僅かな望みさえ奪われてしまう二人の無念さが、胸に迫ってくる。本作で表現される光と闇は他で類を見ないほど巧みであり、暗い情念の世界がスポットライトを浴びているファイトシーンとの対比で、悲惨さをより際立たせるには実に効果的だったと思う。そしてフランキーが応急処置のスペシャリストでもあることが、図らずも皮肉な形となって表れるのが終盤のシークエンス。その一部始終を暗闇から見届ける親友のスクラップの眼差し。神に背いて究極の選択をするフランキーに対し、スクラップのその眼差しは、まるで沈黙する神のようである。自らの運命を宿命として受け入れるスクラップの生き方に対し、見るに見兼ねてひたすら行動に移すフランキーのイメージは、「許されざる者」のマニーの姿とだぶる。そして、生きることに絶望した人間に一縷の望みを叶えてやるという魂の救済の物語としては、「ひとりぼっちの青春」のM・サラザンとJ・フォンダの関係に重なり合う。まさしくフランキーは“廃馬を撃った”のであるが、マギーの微笑と一滴の涙がすべてを物語るように、彼自身の魂をも救済されたと思いたい。これが本作が究極の愛の物語と言われる所以であろう。人間とは哀しく生きることは苦しいという使い古されたテーマが、これほど切実に心に響く作品も滅多にお目にはかかれない。どうやらアカデミー会員は最良の選択をしたようだ。
[映画館(字幕)] 10点(2005-06-08 23:05:41)(良:3票)
73.  コーヒー&シガレッツ
喫茶店などの喫煙タイムで、我々が日常よく目にする光景を掬い取ったのが今回のJ・ジャームッシュ作品。 11のエピソードから構成されているが、ここに登場する人物たちは必ずと言っていいほど複数であり、寸暇を一人で楽しむR・フレンチ嬢ですらウエイターが絡んでくると言った具合。それぞれのパートには実に個性的な顔ぶれが並んでいる。で、そのアトランダムな組合せから生じるミスマッチな会話の面白さが、本作の狙いなのかと問えば、否、会話そのものは大して面白いものでもなく、むしろ会話の噛み合わなさから来る気拙い空気を、コーヒーや煙草で間を持たせようとする、彼らのリアクションそのものに妙味があるという事なのだろう。エピソードとしてはS・クーガンとA・モリーナのパートが面白い程度で、それ以外は実に他愛ないものばかり。それにしても、ここに用意されている喫茶店あるいは喫煙室の無機質で殺風景なこと。モノクロだから余計そう感じるのかもしれないが、少しも楽しそうには見えないぞ。オセロの碁盤のようなテーブルクロス(カップが何故か余分にある)に、マルボーロとキャメルなど定番ものばかりで、忙しなく啜るだけのコーヒーと、ふかすだけの煙草など、まったく美味そうには見えない。コーヒーと煙草という本来の主役も、ここでは間を持たせる為の道具としてしか存在しないという、アンチテーゼともなっているようだが、旨みやコクといったことにはほとんど触れられない事で、「スモーク」でW・ハートがさり気なくお洒落に煙草をふかしていたシーンから伝わるものが、本作からは感じとれなかった。だから、少なくともこの作品を観た後で喫茶店に入ろうとは、私は思わなかった。
[映画館(字幕)] 6点(2005-06-02 18:34:58)(良:1票)
74.  ZOO(2004)
フルアニメを含む5話のショート・ストーリーからなるオムニバス作品。若手人気作家・乙一の原作が基になっているという事だが、私は知らない。いや、むしろ原作の世界観を知らないからこそ、映画として純粋に楽しめたとも言える。ホラー・心理サスペンス・近未来もの等々、内容はバラエティ豊かにチョイスされていて、しかも実にバランス良く配列されているため、些かも飽きる事はない。様々なジャンルで活躍する若手演出家にそれぞれのパーツを受け持たせて、個性のぶつかり合いの面白さを狙ったとも言えるが、押し並べて水準以上の作品に仕上がっている。全編に共通しているのは「人間の死生観」が色濃く滲み出ているという事なのだが、だからと言ってこの作品に哲学的なテーマを嗅ぎとる人などいないだろう。極めて限られた空間=小宇宙での物語だが、本作はあくまでもエンターティンメントなのである。個人的には、第1話の「カザリとヨーコ」のブラックさと、双子の姉妹を演じ分けた小林涼子の自然な演技、そして第2話「SEVEN ROOMS」の横並びの密閉された部屋が、狭い水路で繋がっているというアイデアを巧みに利用した点などがお気に入り。あっ!と驚くような仕掛けこそ無いが、それなりに演出上の工夫もなされており、ヒネリもスパイスも程よく効かせて、現代社会の抱えている問題をさり気なく提示している。そして本作は小品ながら、人間の心理というものを巧みに描出している点では何より傑出しており、出演者も見事それに応えている。ただタイトルでもある最終話「ZOO」だけは残念ながら誉めようが無いほど独りよがりな作品で、「恐怖」と「悪趣味」とを明らかに混同しているようである。
[映画館(字幕)] 8点(2005-06-02 15:52:06)
75.  コラテラル
ここに登場するT・クルーズは殺し屋だが、むしろ淡々と仕事をこなすビジネスマンといった印象で、従来の殺し屋のイメージとは大きく違う。初の悪役という事もあり、おそらく型通りの役作りを彼自身が嫌ったのだと思われるが、その為か、表層的には冷酷で非情な男ながら、かなり人間臭い面も表現できたように思う。そして一方、都会を仕事の場として生きている事では、J・フォックスのタクシー・ドライバーも同じである。違うのは仕事の中味。目的と手段とが異なる二人の男が一つの車に乗り合わせた事により生じる熱いドラマ。都会にささやかな人生の望みを抱いて生きてる男と、生きることに疲れ、こんな生き方しか出来ない自分に嫌気がさしている男。本作はそんな対照的な二人の男の生き方を通して、クライム・サスペンスのスタンスを保ちながら、都会で生きることの孤独を痛切に描いた作品である。とりわけ“街の片隅で野垂れ死にしても誰も気に止めない。都会とはそういうものさ。”というような意味のセリフは、自らの行く末を暗示すると同時に、父親の死に様の含みをも持たせ、都会の冷淡さと厳しさを痛烈に感じさせるエピソードとなっている。だからだろうか、生きていく事に執着するドライバーに対し、殺し屋は死に場所を求めて街を彷徨っているようにも見える。話が進むにつれて二人は、殺そうとする者とそれを阻止しようとする者として対立するのだが、孤立無援で闘いに挑むフォックスに対し、クルーズをターミネーターのような怪物に仕立て上げたのは、演出プランの計算違いというものだろうか。しかしそういったストーリーやドラマツルギーよりも、日常・非日常の世界が渾然一体となって息づいている大都会そのものが主役である事こそが重要なのであり、ロスの夜を舐めるように活写したカメラが見事な効果を上げ、そしてそれが美しく魅惑的であればあるほど、人間の寂寞感がより際立つ役目をも果たしている。終始都会的センスで描き切ったM・マンの力強い映像は、言葉よりも雄弁で、やはり凄いという他ない。
[映画館(字幕)] 9点(2005-06-01 23:01:54)(良:5票)
76.  血と骨
前作「クイール」とはまさしく対極にある、本来の姿に立ち戻った崔洋一の真価を問う問題作。一旗揚げる野望を抱きながら、朝鮮半島から日本は大阪へと出稼ぎにやってきた金俊平という男が、金儲けと暴力で明け暮れるという壮絶な生きざまで、昭和初期から末期までの時代を駆け抜けていく。一種の“ピカレスクもの”とも言え、暴れん坊一代記といった趣の内容である。とにかく凄まじい暴力シーンの連続で、観るに耐えないような過激さを有する作品だが、平穏な生活を破壊してしまう金俊平の行動は常人の理解を超えるものであり、感情移入を挟み込む余地が無い程の理不尽さである。このあたり自分の為だけに本能のままに生き、他を受け入れると言う寛容さには無縁の男として徹底的に描かれていく。ただ、人間と人間との感情のぶつかり合いから激しいドラマが展開されるも、崔監督自身が暴力描写に心血を注ぎ過ぎたのか、金俊平の傍若無人ぶりばかりが強調されたような印象を受ける。彼にとって未知の土地で生きていくという事が、闘う事と同義語なのは理解できるにしても、これではハミ出し者が単に暴れているだけにしか見えず、本来の生きるという意味からは大きく逸脱しているように思う。純粋に愛を育んだ清子との関係に重点が置かれ描かれたように、人間としての内面をさらに掘り下げてほしかった。ビートたけしはこの人なりの力演を見せるが、相変わらずの一本調子で、過激なシーンだけは、まるで金俊平のDNAと一致したかのような暴れっぷりで、本領を発揮している。また濱田マリやオダギリ・ジョーなどが強烈な存在感を示しているだけに、鈴木京香の描き方には今ひとつ食い足りないものがある。 オープニングに新天地へ向かう若き日の金俊平が、目を輝かせながら工業地帯を遠景に臨むシーンを、エンディングにも用意したことが余韻をもたらし実に効果的であった。
[映画館(字幕)] 7点(2005-05-26 11:52:12)(良:1票)
77.  TUBE/チューブ
「ヒート」を彷彿とさせる導入部の銃撃戦が迫力十分で見応えがあり、これからの展開に大きく期待を抱かせたものだったが、結局、見所はそれだけという実に無残な作品だったと言える。韓流ブームにも乗って日本の映画興業界は、今や韓国製映画が闊歩しているような感がある。たしかに優れた作品も少なくは無いが、やはり不出来な作品の方が圧倒的に多いのも、また事実。その代表例が本作で、とにかくアイデアのみで突っ走っているというだけで、物語の根幹をなす作劇や状況設定、あるいは登場人物の性格付けなどがまったくの未整理で、明らかに脚本の不備が指摘されて然るべきである。その欠陥を補えるほどの力量が監督にあればまだしも、この監督自身がほとんどシロウトのような人で、その演出力は学芸会レベルと言ってもよく、演出家の資質というものがまったく感じられない。 一番残念なのは、これだけ多くの人物を登場させていながら右往左往させるばかりで、殆んどドラマに生かせていない点である。主人公カップルなどは、愛だの恋だのというには余りにも幼く、また魅力の乏しいのが致命的。そもそも二人はどういう関係で何故同じ列車に乗り合わせたのか、何故彼は自己犠牲になる必要があったのか等々、多くの何故が噴出するばかりの、観客にとってはまったくの意味不明な作品である。今後、予告編やポスターからくるイメージだけで判断すると痛い目に遭うという教訓にしたい。
[映画館(字幕)] 2点(2005-05-25 18:22:48)
78.  交渉人 真下正義
皆さん、結構評価厳しいですね。個人的には大変面白く拝見させていただき真下。スピン・オフってハリウッドには多く見られるものの、日本映画では極めて珍しく、TV番組で好評を博し、その後の映画化でさらに圧倒的な支持を受けた「踊る」シリーズならばこそ実現できた企画ではないだろうか。だからと言って、決して安直さに堕することなく、むしろ本家をも凌駕するほどのスケール感と作品に対する熱気が感じられ、実にしたたかな作品に仕上がっている。見えざる敵から指名された交渉人とが頭脳ゲームを展開するという、コンセプトそのものは珍しくもないが、それを映画初主演のユースケ・サンタマリアが演ずるところに意外性の面白さがあり、本作が新鮮に感じるところ。声質が明瞭である反面、少しトボケた言葉の響きから、交渉人と言うよりも、いかにも頼りなげなサラリーマンといった彼の風情が、本作のひとつのアクセントともなり、その屈託の無い表情や演技の上手下手とは関係ないところで魅力を放つ、不思議なタレントだと言える。そういう意味ではズバリ!彼の起用は成功したと言っていいのではないだろうか。彼以外にも国村準、寺島進あるいは金田龍之介など、プロフェッショナルに徹した男をそれぞれが好演し、存在感を示している。場面場面で登場人物の表情を的確にしかもカッコ良く捉えたカメラが素晴らしく、通称“クモ”と呼ばれる実験車両の冷たく光沢を帯びたマシーンの妖しい美しさや、動と静の呼吸の間が、まるで生き物のような不気味さを感じさせて秀逸。さらには煌びやかな光に彩られたイヴの夜を俯瞰で捉えた爆発シーンや、象徴的にカラスをうまく採り入れた演出など、都会的な洗練された撮影技術が効力を発揮している。緊張の連続の中でホッとするような笑いを入れるなど、本広演出のテンポも実に心得たもので、邦画としてまずは上々の作品ではないだろうか。粗や矛盾点は探せなくも無いが、難癖をつけだすと、このテの映画は楽しめないという事も心しておく必要がありそうだ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-05-22 16:20:06)(良:1票)
79.  ハウルの動く城
宮崎アニメの作画の細やかで丁寧な仕事ぶりは作品数を重ねるごとに一段と磨きがかけられ、本作もその映像の際立った美しさは相変わらずなのだが、琴線をくすぐる程度で、心が大きく揺さぶられる程の感動をもたらせてはくれない。原因のひとつに、やはり物語性の希薄さと曖昧さが指摘できようか。しっかりとしたドラマツルギーがあればこそ、映像も引き立つというものなのだが、映像だけが独り歩きして、ドラマが付いて行っていないのだ。まるで宮崎自身が製作途中で飽きてしまい、その為に物語の構築が頓挫してしまったような印象を受ける。とりわけ映画の後半、物語性が後退していくに従って、映像の輝きが急速に失せていく。何より様々なキャラクターや状況設定が混沌かつ曖昧であること。そしてそれ以上に宮崎アニメのモチーフでもある魔法の驚きや神秘性への憧憬、そしてその必要性すらも曖昧さに終始している。何かが言い足りない。何かが描き足らない。まさに必要不可欠なシーンがカットされているような気がしてならない。(これが本当のディレクターズ・カットと言うのかも知れない。)映像さえ美しければそれでいいのか・・・と、つい言いたくなる。しかし世界的に大成功を収めている宮崎アニメに、我々はいつからそんなクオリティの高さばかりを要求するようになったのだろうか。今年八十歳になる母親に本作を見せてやると、「話はよく解からなかったけど、映像が美しくて心が洗われるようだった。」と喜んでくれた。それいいのだと思った。
[映画館(吹替)] 7点(2005-05-19 23:11:17)
80.  ビヨンド the シー/夢見るように歌えば
「天は二物を与えず」の格言からすると「天は、ときには幾つも与える」という事なのだろうか。とにかくK・スペイシーの才能には改めて脱帽するしかない。その歌唱力の確かさは大向こうを唸らせ、堂々とした歌いっぷりには男の色気が漂う。さしずめ歌舞伎の大見得を切るイメージと言ったところか。とりわけ”♪Mack the knife”で颯爽とステージに登場するオープニングのシーンは鳥肌モノ。そしてこの人にもこんな面があったのかと、楽しげに踊るダンス・シーンの見事さにも感心する。“俺には生まれながらにしてこんな才能もあるんだぞ”と言わんばかりの自信満々ぶりが表情にも出ているが、決して嫌味にはなっていない。そして、これらがハードなレッスンの賜物であることも想像には難くない。 B・ダーリンに心底傾倒し、本人に成り切りたい一心で作り上げられた本作は、完璧主義者=K・スペイシー一世一代のお祭りムービーであり、作品に対する意気込みや熱意というものが、画面からビンビン伝わってくる。奇しくも同時期に公開された「Rey/レイ」とは、伝説のミュージシャンを扱った作品という点では同じだが、前者がしっとりとした湿り気のある作風であるのに対し、本作はより深刻なテーマを内包しているにも拘らず、むしろカラッとしたテイストの作品に仕上がっている。だから、ひたすら明るく楽しいエンターテインメントに徹して描いている点は、作り手側の潔さを感じるし、それと同時にまったく無駄というものがない音楽映画の秀作だと言える。
[映画館(字幕)] 9点(2005-05-17 23:02:49)(良:1票)
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