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彦馬さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 450
性別 男性
自己紹介 大阪府出身、岡山県在住、阪神・下柳と同年月日生

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61.  理想の女
原作がオスカー・ワイルドの戯曲『ウィンダミア卿夫人の扇』といえば、ルビッチの『ウィンダミア夫人の扇』のリメイクということになりますが、この作品はサイレントと両極を成すかのように台詞が多い映画です。室内装飾、調度品の美術、屋内に差し込む光の揺らめきなどは見ごたえがありますが、「扇」の使い方があまりにも唐突過ぎやしないかな~と。ルビッチはシンボリックに「扇」のショットを巧みに処理していますが、この作品では伏線としての「扇」効果が弱い。序盤にアーリン夫人がウィンダミア卿に「こうすれば、キスしてよ、の意味よ」などと扇を使ったしぐさを解説しているんですから、そのしぐさを生かさない手はない。“要の扇”を生かせず“扇の要”を失しているように感じられたのでした。
[映画館(字幕)] 6点(2005-12-15 13:09:03)
62.  イン・ハー・シューズ
靴がどう生かされ描かれているのかに注目して見ますと、靴のヒールが折れて姉役のコレットがぎっこんばっこん歩くところは姉妹関係のぎこちなさを現しており、妹役のディアスが服を買いに行きながら靴を眺めているシーンは姉への思慕を現しており、足元のアップから引いたショットを多用していることからも、さて皆さん、この姉妹がしっかりと地に足をつけて生きることができるのかをよく見てくださいよ、といった感じの映像となっております。最後に姉が履いた靴、着たドレスを知る時、コレットとディアスとマクレーンと詩が一体となりなかなか感動的なのですが、総じて単調なカメラワークは少し退クツなのでありました。
[映画館(字幕)] 6点(2005-12-07 00:10:24)(良:2票)
63.  緋牡丹博徒
体に刻まれた緋牡丹を白い着物で包み、復讐の怨念=赤を白で鎮めていた“緋牡丹のお竜”の着物が弔いの黒を経て、ついに緋牡丹柄へと変わるその瞬間、内なる炎が外在化したその瞬間に、「よっ、お竜さん!」との声を発してしまったのあります。
[映画館(字幕)] 7点(2005-12-06 12:54:26)
64.  ココナッツ
『我輩はカモである』で初めてマルクス兄弟に触れた時は、そのほとんど荒唐無稽で理不尽な破壊力に全身を散弾銃で打ち抜かれたような感覚を憶えたものですが、何作か見るうちに、その造形が素晴らしく調和と均衡のとれた美的感覚に裏打ちされたものであるかのように思えてきます。登場するだけで胡散臭さを撒き散らすグルーチョは、マルクス三男であるにもかかわらず長男に見えてしまうことからも、そこにいるだけで信頼を拒み何も寄せつけない美すら感じさせ、そのグルーチョが喋りまくるのとは対称に押し黙ったままのハーポが繰り広げるギャグと、両者を繋ぎとめるチコ、それを傍観するように存在感のないゼッポ、そこには互いの引力により見事に均衡が保たれた宇宙が見えてきます。このマルクス兄弟の銀幕デビュー作『ココナッツ』は舞台で鍛え上げられた演目であり、二つの部屋を介して三つの扉が開閉されるシークェンスは扉が叩く音のリズムを持って反復の美に昇華されていて、合間合間のレビューシーンはここから始まる彼らの映画宇宙旅行の幕開けを祝い成功を祈る祝祭の儀式として見る者を魅了するのであります。旅立ちに乾杯![LD(字幕)]
[DVD(字幕)] 8点(2005-12-03 12:09:17)
65.  奇跡の人(1962)
アーサー・ペンの舞台演出と主演2人の舞台演技、繰り返し繰り返し上演されることで丹念に洗練された良質な空間がそのままフィルムに転移しているようです。あの食事をしつける場面など即席のものではないです。名前を理解したヘレンが、鍵をサリバン先生に手渡すシーンで、舞台ではそれが鍵だとは確認できないような小さな鍵が映画のキーとなっていることは映画的です。前半にサリバンを部屋に閉じ込め、鍵を隠したヘレン、そのヘレンが鍵を手渡す。ここでは物理的な家屋の扉の開放と同時に、ヘレンの心の扉の開放が見えてきて、その扉の重みが見る者を圧するかのようでした。意味が加わり“ウォーター”に加わる水圧の重みに耐えていた体にはもう耐え切れないのでありました。
[DVD(字幕)] 8点(2005-12-02 12:47:24)
66.  暴力脱獄
無神論者として描かれているルークは、まるっきりイエスですね。卵50個をたいらげた後、テーブルに寝転んだ姿は、十字架の磔そのもの。となると食べることが可能かどうかをただ賭けの対象としてダシにしていた周りの連中は、最後の晩餐における使途たちに見えてきます。穴を掘るシーンは、賽の河原の石積みのように永遠に繰り返される物語、死と復活を語っているのではないかな~。となるとラストは必然的に見えてきますね。そういや草刈りや道路舗装といった繰り返しの単純作業もどこか暗示的です。キリスト教に精通していればその他にもイエスの物語を暗示するようなシーンが見えてくるはずですので、知り合いにキリスト教信者がいれば是非お薦めの一本です。
[DVD(字幕)] 8点(2005-12-01 12:51:14)(良:2票)
67.  紅夢
あの呪いの人形はぞ~~っ。冷徹な美しき画面はホラー映画の雰囲気を纏ってますね。そしてこの映画を支配するのは「四」。四人の姉妹、四季=春夏秋冬、麻雀=東西南北、死者の数・・・。春夏秋冬で無限の円環時間を、東西南北で全方位空間を表し、邸宅に入りこんだカメラが二度とそこから抜け出さないことで、その邸宅こそが彼女たちの時間空間の全てであることを語り、その四人姉妹が無限の時間空間そのものであると分かる時、見る者は悠久の哀しみに迫られるのです。ロングショットでしか写りこまない主は“四”の中心で、ただ哀しさを浮き立たせる存在です。エンドロールで、四女がひたすら同じ場所を虚ろにさまよう姿に、夢幻で無限な時空に浮遊する“紅”という悲哀が見えるのです。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-11-29 12:19:39)(良:2票)
68.  世界
この作品、北京の「世界公園」を舞台に、女性ダンサーと彼女を取り巻く人間模様を描き“いまの中国”を表現するという着想を得た時点で監督には勝ち組のゴールが見えたのではないかな~。“世界”で愛を求める孤独感、“世界”に日々いることの閉塞感、“世界”から抜け出せない焦燥感・・・ミニチュアの「世界公園」を比喩に後はそれらをどう切り取っていくか。全体を覆う寒々としたフィルム(デジタル→フィルム)の質感が孤独感を、ワンカットで長々と回されるカメラの前の沈黙した空気が閉塞感を、ダンスが華やかであればあるほど焦燥感を現前させているように見えました。主人公タオとロシア人アンナが沈黙したまま人力車に揺られるシーンの顔に射し込む光の美しさ、言葉の通じない二人が交わす会話の豊かさよ。タオの心象を現すアニメ、携帯電話のメール、まんま使われる「東京物語」の音楽もよしとしましょう。「今年は雪が降らない」世界を締めくくるラストのほのかな雪に、二人の世界が暖かく展ける・・・ミニチュアの世界がようやく等身大の世界を手に入れたように見えるその痛々しさに心惑わされる傑作です。
[映画館(字幕)] 9点(2005-11-27 23:42:37)(良:1票)
69.  都会のアリス
“都会の”アリスが着ているジャンパーの“ALASKA”の文字がいいですね~。アメリカ、オランダ、ドイツ、中国語のような音楽が流れる店、イタリア人が住んでいる家。場所にいくら自分を刻みつけようとしても写真は現実のように写りません。どこにいてもどこにもいない彼がようやく出会った存在の場所、アリス。お母さん、おばあちゃんと男の臭いが全くなかったアリスが初めて出会った男、ウィンター。アリスが撮ったウィンターの写真にアリスが反射して写りこむショットの2人の重なりは爽快です。その後、ジュークボックスの少年や自転車に乗っている少年を見つめるアリスの視線もいい。存在すべきは場所ではないことを確認するように、ウィンターが再びインスタントカメラを手にしたのは船の上、ラストは当然のように列車の中。転石は苔むしたのでした。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-22 13:25:37)
70.  牡蠣の王女
ルビッチ鑑賞弾丸日帰りツアーからただいま帰還。ドイツ時代の作品4本と実に濃密な時間を過ごさせていただきました。結論、やっぱりルビッチはエロかった(笑)、そして足フェチだ~。艶笑コメディの萌芽どころか、熟たる果実が既に成っていたのを確認しました。さてこの「牡蠣の王女」、多数の召使を基調とした視覚的ギャグの連打は渡米後の作品にはちょっと見当たらず、今まで私が見たルビッチ作品の中ではオンリーワンなコメディ作品です。しかしその中にはちゃんと、「結婚」「女1人男2人」「ドア」という意匠がしっかりと配置されており、ルビッチブランドはメイド・イン・アメリカではないことも分かりました。鍵穴をのぞくとストッキングを脱ぐ女性の足、う~んエロい。牡蠣王を演じるのはヴィクトール・ヤンセンで、冒頭ヤンセンが葉巻をくゆらしていたシーンを思うと、この牡蠣王こそがルビッチの分身で、最後に鍵穴をのぞいていたのは実はルビッチだったということで、見事にルビッチな作品であったのです。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-20 01:28:14)(良:1票)
71.  子猫をお願い
それぞれの二十歳の今と五人の今が実によくフィルムに顕われています。個人の悩みや迷いが仲良し五人組という集団に収斂され解消された高校時代。そして、集団が個人を回収し得なくなった、今。そのことを五人がそれぞれに気づきながらも、それでも崩れそうな砂上の城、私たちだけの城、拠らざるを得ない城で誕生会を開いたり、携帯電話にメッセージを送ったり、誰かに会いにいったり。しかし、あっちへこっちへと楽しそうに写真撮影していた同じ方向に流れる彼女たちは存在せず、ショッピングセンターでバラバラになってしまう彼女たちがいます。割れたガラスに写った彼女たちがいます。その中でもがく彼女たちの姿に、案外友情って相手を思いやることではなくて、個々がエゴに振る舞ったその先にあるものではないかな~、などと思ってしまいました。テヒにしても、ボランティアを「好きでやってるんだから」と言ってるし。だから私には、個々の都合でお願いされる“MY CAT”が清々しく見え、ラストの飛行機にアカルイミライが見えたのでした。
[DVD(字幕)] 9点(2005-11-18 13:21:10)(良:2票)
72.  ガス燈(1944)
既レビューにも指摘がありますが、列車内のメイ・ウィッティはほんま『バルカン超特急』ですね。しかし本作ではフロイのように突然消えたりはしないから大丈夫・・・と思って安心していたらいけない。消えるどころか好奇心いっぱいに姿を現し、ラストまで締めくくってくれるのには笑いました。イタリアに移住するポーラは、後のバーグマンの運命を先取りしたようで、シャルル・ボワイエがロッセリーニに見えてきます。さてロンドンを舞台に、街路のガス燈が霧の中でぼんやりと灯る雰囲気と室内のガス燈の光の強弱をバーグマンの心理に絡めていく描写はなかなか幻想的で、徐々に衰弱していくバーグマンの不安げな表情は官能的でもあり、ソフトフォーカスで捉えたアップなどはさすがキューカーだなぁと思ったりもします。しかしこの真相、こりゃ~トラウマどころではないですよ、ポーラはちゃんと生きていけるのか・・・、彼女の心に暖かきガス燈が再び灯ることを祈ります。
[DVD(字幕)] 7点(2005-11-17 12:31:51)
73.  ゆすり(1929)
電話ボックスの内外など音の生殺に自覚的な作品ですが、殺人シーンにおいては殺される者の悲鳴や呻き声といった“音”を消すことで、殺した者の心理、臨場感を盛り上げています。そしてニョキッと出た腕と道化のような絵が視覚的に殺人者の心理を支配し、その緊張感に音がまとわりついてきます。大英博物館での追跡シーンは、後年の自由の女神やラシュモア山を想起させ嬉しくなってきますね~。ラストの絵はBlack Mailに添付された画像のようで、向けられた刃は彼女に、見る者に深く突き刺さり、差出人名を確認するとヒッチコックとなるのです。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2005-11-15 12:48:08)(良:1票)
74.  ストレンジャー・ザン・パラダイス
この映画なぜかついついまた見たくなる。見るたびに彼らの微細なしぐさがおかしくもあり、哀しくもある。TVディナーの肉には見えない肉、バカバカしいスポーツにしか見えないアメリカンフットボールで奇妙な「新世界」を目にしたエヴァのクールな視線。エヴァが去った部屋でただバドワイザーを飲むウィリーとエディ。彼らは動けば何かが変わるのではないかという期待に、雪のクリーブランド、常夏のマイアミへと場所を移していくが、何にも変わらない。三人のすれ違いがすれ違ったままであるのが愛しい。そんな彼らをコントラストの効いたモノクロで綴るフィルムが眩しい。J・ホーキンスの「I Put A Spell On You」の旋律がフィルムに憑依して美しい。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-11-12 00:28:19)
75.  ボー・ジェスト(1939)
評価の高いサイレント版『ボー・ジェスト』は未見なのですが、リメイク版トーキーの本作もいいですね~。オープニングから何事があったのだと一気に観客をスクリーンに引っ張り込み、幼少時にフラッシュバック、その当時のエピソードの重なりで描く兄弟愛と伏線が鮮やかに生きてくる展開は秀逸。夜の戦闘シーンにおける闇と光の砂漠の濃淡は詩情的な空気を美しく纏い、兄弟愛の美と同時に三兄弟の生死、明暗の予示を感じさせます。また風に舞う砂塵には戦う人間の業の儚さを思うのです。ヴァイキングの葬送ラッパの余韻がいつまでも耳に残る傑作です。
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-11 17:47:45)(良:1票)
76.  桃太郎 海の神兵
この作品は日本初の長編アニメーションで、おそらく作者は「海軍省後援」の戦意高揚作品でもなんでもよくて、とにかくアニメ映画を作ることができる幸せに満たされていたのではないかな~と思います。その意味では創意高揚作品とも言えますね。作画は丁寧だし、構図、アングル、カット割は豊かだし、伏線は効いているし、歌は楽しいし。「あいうえお~、かきくけこ~、・・・」なんて見た後ずっと口をついて出てきます。桃太郎を隊長に動物を擬人化、声はすべて子どもが担当し、牧歌な雰囲気が出ていますが、リアルな兵器、後半の占領作戦は結構生々しくて、おそらくパレンバン落下傘部隊やシンガポール陥落の山下パーシバル会談を下敷きにしたと思われるシーンなど戦史を学ぶ上でも大変興味深い作品です。歴史的に意義ある作品ですが、完成度の高い当時のアニメ技術にも注目したい作品でもあります。 
[CS・衛星(字幕)] 10点(2005-11-10 13:19:36)
77.  按摩と女
温泉宿というのは湯上りの艶かしさから「男」と「女」の危うい関係を湯煙の向こうに垣間見せ、フィルムに湿った情感を貼り付けます。清水宏さんは、後年にも温泉宿を舞台に『簪(かんざし)』を撮ったり、温泉情緒が好きだったようですね。さてこの作品ですが、按摩さんを主人公に「目が見えない」ことを語るのは、今の世俗の価値観ではまぁ考えられません。『菊次郎の夏』でたけしが杖を振り回すような意味(ギャグ)を持つのではなく、ここでは按摩さんが実にのびのびと自然に杖を振り回し、そこには意味がないのです。「目が見えない」按摩さんが普通にいるのです。その按摩の前に登場するのが、高峰三枝子。そこにいるだけで「女」を意識させますな~、あの和服、傘。そして子ども。男女の機微に盲目な子どもの自然な振る舞いと台詞が「男」と「女」をさらに意識させます。目が見えないから心の目で真実が見えるといった常識に落ち着かず、ラストの雨。温泉場の湿った情感に、さらに潤いと艶を与えるこの雨のラストに「男」と「女」、そして清水宏を感じるのです。
[ビデオ(字幕)] 9点(2005-11-09 17:15:48)
78.  エノケンの近藤勇
高下駄の近藤勇、眼鏡の坂本龍馬、二役エノケンのその姿態を見るだけで満足ですが、ワルツ、オペラ、サンバ、クラシック、流行歌、講談・・・わんさかと音楽に合わせて歌い踊る新撰組隊員、勤皇の志士、女たち。お腹いっぱいの洒落て楽しいオペレッタ映画です。「ボレロ」に合わせてお膳を手渡しする女中と扇子を揺らす浪士から、ワンタン屋台のチャルメラに音が繋がれ、一呼吸おいた後のサンバ調リズムに合わせた殺陣、そして階段落ち、紙テープ。この池田屋騒動のシークェンスは何度見ても素晴らしい。加納惣三郎を女性が演じているのもいい。アニメが射し込まれるのも驚き。近藤勇のエノケンと坂本龍馬のエノケンの切り返しによる対峙がない(ニアミスはある)のは少し惜しい気はしますが、幕末の不穏な空気を笑いに弛緩させるエノケンワールドには“誠”に感服するのです。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2005-11-08 17:09:45)
79.  ALWAYS 三丁目の夕日
 ワケありの人間たちの人情話が展開していきますがどうも平板。それは曇天が多く光の少ない絵から来る印象かもしれません。家屋内の光の陰影も乏しい。感傷的な音楽の連なりも、感情移入を逆に拒むようでまいったな~。ラストの夕日も、肝心の吉岡秀隆と少年にはあまり差し込まず、自動車工場一家には全く当てられていない。もたいまさこに強烈な夕日を当ててどうするのだ・・・。夕日に少年の万年筆がきらめくとか、夕日に左手をゆっくりとかざして見つめる小雪などのシーンがあればな~。VFXに力が入るのは分かりますが・・・といった感じの作品でした。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-08 17:04:35)(良:2票)
80.  TAKESHIS’
マトリョーシカ人形のような叙述的トリックを駆使した作品ですが、トリックそのものを構造的に分析して楽しむような映画ではないです。そのトリックから見えてくるのは、あらゆる境界の不鮮明な流動性。二役以上演じられるキャスト、二挺拳銃の右と左、内山君と松村、ラーメン屋の親父と言葉を反復する組の若、テレビの向こう側とこちら側、そこに大した差異はなく、「ヨイトマケの歌」とクラブミュージックも等価に描かれ、虚構と現実、外在的心理と潜在的心理、素の自分と演じる自分の線引きが困難であることが露呈していきます。一見分かりにくい説話構造を拝借することで、二項対立的な分かり易さを崩す、そのために<ビートたけし>と<北野武>という身体が利用される、よって身体と心の境目をもぼやかしにかかったかのではないか。しかしだからこそ、銃器の前に一転ひざまずく人間の弱さ、惨劇の横でラーメンを食べる人間の無関心を反面として、自分を強く持たねばならない、他人を強く思わなければならないという声が聞こえてくるようでした。 ではまた夢で逢いましょう。
[映画館(字幕)] 9点(2005-11-07 13:23:22)(良:2票)
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