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81.  日本の悲劇(1953) 《ネタバレ》 
随所に実録映像、時事ニュース映像、新聞記事を挿入し、戦後日本の混乱期の世相を伝えている。一家庭が崩壊する姿を描いて、「日本の悲劇」とはいかにも大仰である。その意図は、個人の悲劇を「世の中のせい、政治のせい、戦争のせい」とみなし、個人の不幸の責任を国家が負うべきだと考えているのだろうか。そこまで極端でなくとも、責任の一端は国家や政治にあると訴えたいのだろう。結論から言えば、実録映像等などは一切不要である。戦争未亡人春子一家の悲劇を粛々と描けば、それはそのまま国家批判、世相批判につながるからだ。そもそも個人の不幸と国家を同一には論じられない。 主題は家庭の崩壊である。春子にすれば、戦後の混乱期の中、女手一つで二人の子供を育てるのに死にもの狂いだった。二人を盲愛し、その将来を心配する余り、我武者らに闇屋をやったり、売春めいた行為に走ったり、子供達を義理の弟夫婦にまかせて住み込みで旅館の中居になったり、相場に手を出したり、気が付けば海千山千、世間の裏表を知り尽くした女丈夫になっていた。娘にすれば、闇屋や売春行為などをする母親を到底許せるものではない。また、従兄に強姦された傷心から人を信じることが出来なくなってしまった。一方で不倫相手との逃避行にも惹かれる。息子にすれば、大学には行かせてもらったものの、医師になれる将来性は無く、老医師の養子に入るしかない。母の婚前交渉による妊娠は不潔である。客観的に見れば、母親が二人の子供と別居したことが最大の問題である。これにより二人は母親に見放されたと思い込んでしまった。電話や仕送りでは愛情は伝わらない。膝下において育てることが重要である。二人に去られたことで、生き甲斐を喪失したと感じた母親は咄嗟に鉄道自殺してしまう。娘も息子も生きているのだから、自殺するほどの境遇では無いと感じたので意外だった。同情の念は浮かばなかった。演技は達者なものの、主演女優に魅力がなく、終始退屈に感じた。こうした役柄は同情を引きやすい、可愛い手合いの女優が演じるのがよい。この母親にして娘が美人過ぎる。
[DVD(邦画)] 6点(2014-09-06 17:49:02)
82.  白昼堂々 《ネタバレ》 
女掏摸(すり)が捕まったと思ったら、実は元掏摸が助けたという導入部は興を引く。元掏摸は伝説の箱師の銀三で、女掏摸の親分が綿勝、再会した二人は旧交を温める。廃炭鉱の無人宿舎に掏摸や万引きの常習犯が逃げ込む「泥棒部落」がある。綿勝はそこの首領で、四十人程の組合員を養っている。組合員は炭鉱閉鎖で行き場をなくして仕方なく悪事を働く朝鮮人、記憶喪失者、老人等で、同情の余地がある。綿勝は銀三を仲間に誘い、組合員を率いて大掛かりなデパート万引きを行う。これを追うのが嘗て二人を逮捕し更生させた老刑事森沢。仲間が逮捕された綿勝はデパートの売上を盗むという大勝負に出る。それを嗅ぎ付けた森沢との一騎打ちが最大の佳境。 義理と人情の狭間で悩む銀三の姿が描かれ、痛快な犯罪映画ではない。組合員の悲哀も描かれ、銀三の恋愛、若刑事と女掏摸の恋愛もある。犯罪、喜劇、社会派の入り混じった混合映画だ。犯罪映画としては、犯罪世界を見せる面白みに欠け、痛快さが無い。掏摸は洗練さを欠き、万引きの方法も目新しいものではなかった。社会派としては中途半端である。構成員の人物の掘り下げが浅い。老刑事も喜劇に組み込まれているので立ち位置が微妙である。人情喜劇としても物足りない。笑える場面もあるが、銀三と娘の逸話の“泣き”の比重が大きく、「泣き笑い劇場」になっている。分りやすく言えば、犯罪を背景とした二人の男の友情物語だろう。。 構成は悪くない。最初に魅力的な女掏摸や泥棒部落という奇抜さで興味をもたせ、構成員の哀れみを見せ、中盤から二つの恋愛を交えつつ、二人の友情と老刑事の執念を描き、最終対決に至る。要は均衡と落としどころの問題だ。最終対決は悪くないが、語り継がれるような水準ではなく、もう一工夫か、もう一波乱欲しい。何より森沢が二人の大勝負の相談の会話を立ち聞きするという安易な設定が興味を削ぐ要因となっている。犯罪者と刑事の知恵比べが見たかった。二人が看守から掏った煙草を吸い合う場面は一服の清涼剤だ。
[DVD(邦画)] 7点(2014-09-06 11:49:33)
83.  有りがたうさん 《ネタバレ》 
心が洗われるような隠れた名作である。低予算でも良い映画が作れる好例だ。伊豆は天城の二十里の街道を悠々と走る長距離バスでの道中物語。牧歌的で快活な音楽が流れる中、舗装道路も電信柱も一切ない、真に鄙びて閑閑たる山村風景が写しだされ、乗客はみな実に悠然たる語勢で会話をする。運転手は道を譲ってくれる総ての人に「有難う」を言うので、付いた綽名が「有難うさん」。鶏にまで礼を言う律義さだ。道行く人から言付けや買い物を頼まれれば快く応じる。心根が優しい上、街道一の二枚目なので、若い娘達は放ってはおかない。シボレーを買って開業するのが夢だ。 一見安穏として朴訥たる乗客の姿に見えるが、その背後には、昭和恐慌の深刻な不景気の影響をまともに受けた農村の疲弊という悲劇が隠れている。 その代表が、身売りに出される娘だ。娘は我が身を恥じ、知人の姿を見れば隠れ、母に何度も説諭されても泣く。東京見学帰りの裕福な娘から声をかけられるが、心は上の空。運転手を思慕する気持ちも見え隠れする。娘に対する哀憐の情を隠せない運転手だったが、簡潔な別れの言葉をかけるのが精一杯だった。 そこに居合わせたのが、酸いも甘いも噛み分ける流れ酌婦風の女。二人の想いを察して、運転手の肩を押すように言う。「シボレーを買うお金があったら、ひと山いくらの女がひとり減るのよ」 ここで大胆な省略法が使われ、次の場面は翌日の帰りのバスの中。身売り娘と母が乗っている。「渡り鳥ならまた帰ってくるがね」「あの人いい人だったわねえ」何があったかはっきりしないが、劇中に「有難うさんも嫁を貰わなくちゃ」とあることから、二人は結婚を決めたのだろう。清新な演出。娘も運転手も峠を越えるように運命を潔癖に受容する。それが「長生きのこつ」なのだろう。 最も憐憫の情を禁じ得なかったのが朝鮮女の逸話だ。流れの道路工夫だった父親が死に、信州に行くので、墓の世話を運転手に頼む。「一度日本の着物を着て、有難うさんの自動車に乗って通ってみたかったわ」駅まで送るというと、女は疲れ果てて山道を歩く同胞の姿を顧みて、「みんなと一緒に歩くの。みんなと一緒に」慎ましい願さえも叶わない、異郷で辛い仕事に従事する女の悲哀。この逸話で作品の重みがぐっと増した。 運転手があまrに現実離れしすぎている懸念があり、好みの別れるところ。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-06 03:24:34)
84.  喜びも悲しみも幾歳月 《ネタバレ》 
灯台守という特殊な職業を一般に知らしめた佳作。 灯台守に従事する夫婦が、長年に渡り、困難にみまわれながらも奮闘する姿を描く。仕事の性質上、責任は甚大で、疎漏や落ち度は許されない。勤務先は離島か岬の僻地に限られ、転勤が多い上、嵐の日も勤務、まとまった休みは取れずと、その労苦は察して余りある。特に子供の教育には支障をきたす。 主人公有沢四郎、きよ子を含めて四組の結婚が描かれ、同僚夫婦の挿話も多いことから分る通り、主題は夫婦愛だ。 ある夫人は、灯台守の寂しさと子供の事故死が原因で狂人となってしまうが、それでも夫は妻を愛していると言う。 後輩の野津と真砂子夫婦は、一度は破談したが、紆余曲折の末に結ばれた。きよ子と同郷の女は、きよ子に振られた男に冷淡にされ自殺を決意したが、翻意して、数年後その男と結婚した。だが結婚生活は不幸なものだった。有沢夫妻の娘は、海外勤務の夫と結婚してカイロへ旅立つ。 日本最古の観音崎灯台から始まり、日本各地を巡り、四季折々の風景を写し、戦争等の時事を交え、娘夫婦の海外渡航で終る。市井の人としては波乱に満ちた人生で、老いた二人が最後に人生を回顧する場面は感動的だ。物語を日本国内に留めず、海外にまで伸ばしたことで視点が広がった。練りに練り込まれた脚本で、賞賛に値する。 しかし、謹厳実直な夫と、よく従う妻という「夫唱婦随」を絵にした「教科書的な」夫婦で、どこか物足りない。 最大の問題点は、二人の出会いの場面が描かれていないこと。四郎は父の死に帰郷し、翌日見合いし、翌日結婚した。きよ子も迷わず結婚を決意した。尋常でない。その辺りの事情や心情が省かれている。説明する必要はないが、二人が出会って結婚する場面を描かないと、夫婦の始まりの部分が空白で、物語が完結しないと思う。もう一つの問題は、最大の波乱かつ遺恨である息子の死について。事件に至る経緯や刺殺事件の実態が一切描かれない。これは手抜きだ。夫婦の契りが試される最大の事件であり、これを乗り越えてこそ真の夫婦に至るのであり、この事件を抜きにして二人の人生は語れないと思う。息子の掘り下げをしなかったのは、時間の制約によるものだろうが、甚だ残念である。 最も印象に残るのは、きよ子とが真砂子が浜辺で再会する場面だ。演技力も演出も撮影技術も申し分ない。二人の老け演技も佳い。一方で、米軍機の機銃掃射場面は貧弱だ。 
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-05 14:07:58)
85.  U-571 《ネタバレ》 
独軍の暗号機エニグマの解読は、英軍のUボート鹵獲等の功績によって行われた。それをあえて、米軍が行ったことにするという意味が分からない。強引に史実を変える理由や必要があるわけでもなく、単なる娯楽映画に興を添えるために史実を拝借した程度のことだろう。浅慮である。 航行不能となったUボートが救難信号を発する。それを傍受した米軍はエニグマ獲得を目的に、潜水艦をUボートに偽装し、救助と思わせてUボートに乗り込み、敵艦を拿捕する作戦を立てる。作戦は予定通りに運び、艦内に乗り込んで占拠に成功するものの、独軍駆逐艦が現れ、偽装潜水艦を撃沈されてしまう。敵艦に乗り込んだ米兵達はUボートを操作して、帰還しようとする。これが前半だ。奇抜な発想で興味を引く。これに並行して兵員の絆、自己犠牲、副艦長の成長物語が描かれる。そつのない脚本で、合格点はつけられる。が、洗練されてはいない。副艦長の成長物語を描くのに急で、とってつけたような印象になってしまっている。駆逐艦との戦闘は御都合主義が目立つ。仕様を超えて深く潜るとか、魚雷が発射できないとか、捕虜がモールス信号を送るとか、死体と油を放出して沈んだと偽装するとか、手垢がついた演出だが、見せ方が上手く、悪くはない。艦砲一発で無線設備を粉砕する。魚雷一発で駆逐艦を撃沈する。この二つが気になる。戦艦は鋼板が厚く、二重壁構造で、艦内部も複数に区切られているため容易には沈まない。沈むにしても時間がかかる。商船と勘違いしていると思う。また爆弾が誘発しない限りあんなに爆発炎上しない。潜行可能な潜水艦を使っての撮影が功を奏して、写実的に描かれていたのに、爆発場面だけは現実味に欠ける上、CGも粗雑で残念だ。それに、真正面に進んでくる敵艦に対して魚雷を当てるのはとても難しい。船同士が無線で通信する場面が全く無いのも不自然。無線に答えられない時点でバレてしまう。無いものねだりを言うようだが、敵軍に対する尊敬が感じられないのが遺憾だ。名作「Uボート」にはそれがあったから、評価が高い。「勝った、万歳」で終っては底が浅い。戦争の凄惨さが描けていないということだ。英雄の影にも悲劇が付きまとうのが戦争だ。 
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-04 23:41:43)
86.  ひめゆりの塔(1953) 《ネタバレ》 
原作「ひめゆりの塔」の他、数多の資料を渉猟し、体験者の聞き取り調査も行っているので、描写が細部にまで行き届いている。綿密な脚本が成功の要因だろう。予算の関係か、米軍の描写がほとんどないので、沖縄地上戦の肉弾戦の凄惨さや臨場感は伝わってこない。機銃照射が当っても血が出ない。が、それでも戦争映画の最上部類に入る。何より、洞窟を利用しただけの不衛生な野戦病院で、医薬品も水も食糧も水も乏しい中、懸命に声をかけながら負傷兵を看護してまわる乙女等の純真な姿が胸を打つ。この場面だけでも観る価値がある。他に感銘を受けたのは、「戦争の犠牲になって散った乙女達」という暗鬱な主題であるのにも関わらず、青春の真っ盛りである彼女達の無邪気さ、天真爛漫さ、そして肉感的なまでの生命の躍動感というものをみずみずしく描ききっているいることだ。歌を唄いながら行進する場面、友達のもの真似をしてはしゃぐ場面、沖縄民謡を舞う場面、川で水浴びをする場面、髪を解かす場面、久しぶりの朝日を浴びて 欣喜雀躍する場面、キャベツを投げあって遊ぶ場面、死を決意して敢えて制服に着替える場面など、結末がわかっているのでそれらの場面が一々胸に迫ってくる。その彼女達が次々と命を落としていくのだから、感情移入しないわけがない。被弾場面では、他のどの映画よりも至近距離で爆発しているように見える。体当たりの演技に脱帽する。監督も俳優も心血を注いだ作品だ。他にも印象的な場面が多い。最初の方で、ある母が娘に同行を頼む場面で、少女が「生徒は学校と行動を共にしなければならないの。私を卑怯者にしたくないでしょ」とさりげなく、当時の彼女等の置かれた立場を明らかにしている。軍医が少女らに「夜でも見えるようになる」と飴玉をあげる場面、これは覚醒剤入りだ。乙女達が自殺用青酸カリを欲しがる場面、持っている友人を羨みもする。死を願う程追い詰められた心理状態が伝わってくる。誰かが母親のことを言いだしたら、みんな泣きだす場面。強がっていても所詮はうら若き乙女に過ぎず、まだまだ母の懐に甘えたい年頃だ。洞窟に付いてきた孤児を乾パンを上げたのだからと突き放す婦長。幼子にとっても容赦ないのが戦争だ。優しかった軍医が洞窟を出て行こうとする乙女を射殺する。衝撃的だが、その後手榴弾が投げられ、壕内大爆発し、衝撃に拍車がかかる。奈良岡朋子に似た生徒が出ているのが気になった。
[DVD(字幕)] 9点(2014-09-03 23:12:18)
87.  キング・アーサー(2004) 《ネタバレ》 
有名な「中世のアーサー王伝説」ではなく、その伝説の雛型となった、まだイギリスがローマ帝国の支配下にあった時代の騎士達の創作物語。 騎士達がローマ帝国の傭兵だったという仮説を基に、騎士達が南進してくるサクソン人を駆逐して、アーサーがブリトン人とピクト人(ウォード)の王となる話。「時代考証はそこそこに、ただ話が面白ければよしとする」という製作姿勢なので、内容は粗雑となる。 ランスレットが傭兵となる場面で始まり、「語り」も彼だが、彼は途中で死んでしまう。生き残ったものが語るのが当然と思うが。 アーサーはペラギウスの弟子で「人は皆自由に生きる権利がある」などと近代的な思想の持ち主。異端を許さず、師を死に追いやったキリスト教に怒りを感じている。 アーサーの両親がウォード人に殺されたので、彼等に対しては強い憎しみを持つ。故にウォードの族長マーリンからサクソンとの共闘を持ちかけられても拒絶した。しかし、最後はいつの間にか、当たり前のように共闘している。この辺りは説明不足だ。作品は騎士達がサクソン人を駆逐する話だが、史実ではサクソン人がイギリスに定着して、中世になってアーサー王伝説を作った。つまりアーサー王伝説を作った人たちを否定するような内容になっている。矛盾は感じなかったのだろうか。氷河での戦いだが、氷が割れそうなら、氷の厚い川の端を通ればよいだけの話。誰だってそうすると思うが。騎士が遠矢でサクソンに味方する裏切り者を射殺するあたりから漫画的になってくる。裏切り者が木の上にいるとどうして知ったのか。 バドン山の戦いで、敵方の罠を察した族長が先遣隊を送り出すが、案の定全滅させられる。しかしその後、何の対策も立てないで全隊を突進させる。よくわからない展開だ。指関節を折られて衰弱しきっていたグィネヴィアが、急にアマゾネス化して勇猛な女兵士に変貌して、言葉を無くした。戦いに勝利し、アーサーとグィネヴィアが結婚して大団円だが、結婚式はストンサークルの中でというおまけつき。ストンサークルはケルト人以前の古代の遺跡だが、アーサー王伝説にも登場するし、見栄えがよいので使用したのだろう。政策姿勢がよく表れている。真面目に史劇に取り組むつもりは最初からないのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-09-03 16:35:47)
88.  アレキサンダー 《ネタバレ》 
アレキサンダーの幼少からその死までを丁寧に描き、知られた挿話をほとんど盛り込み、大王の足跡を辿るだけでなく、心の内面にまで迫ろうという姿勢には好感が持てる。CGによりガウガメラの戦い、バビロンの街並み、インドでの密林戦などが見れただけでも満足で溜飲が下がる。特に鷹の目線を交えて大俯瞰で描いたガウガメラの戦いは見応えがあった。しかしながら人物像に関しては違和感があった。大王の言動があまりにも現代的過ぎるのだ。「自由、人種の融合」など理屈っぽい上に、よくしゃべり、よく悩み、よく泣く。人物像の真に迫ろうとするあまり、表現に力みがあるように思える。新解釈で描きたいという気持ちは分るが、所詮古代の人物である。数少ない資料から人物像を掘り下げるのには限界がある。現代の価値観で解釈を加えたところで説得力に乏しい。両親の愛に餓え、腹心の裏切りに怯えるという英雄の弱みを強調するより、英雄は英雄らしく描いた方が受け入れられやすいのは自明の理だ。蛇信仰に熱中して夫を憎む母の狂気や暴力的な父に対する反抗心や男色趣味を殊更強調しても意味はほとんどなく、混乱をもたらすだけだ。大王の東征が「人種の融合と調和」なのか「征服と支配」なのかを映画の中で解釈する必要もない。東征の遠因を「母から逃れるため」「父を乗り越えるため」と精神分析的に捉えるのはよいが、それは示唆する程度に留めておけばよい。一義的な解釈を押しつけても反発されるだけだ。こういう人物だと決めつけても、畢竟詮無いことだ。曖昧模糊たる「アレキサンダー大王伝説」を多元的に描き、笑いを交えるくらいの余裕が欲しかった。描き方に余裕が無いので観ていて疲れる映画だ。事実を羅列するにとどめ、解釈は観客に委ねるのが好ましい。各地に築いたアレクサンドリアの様子や如何に統治したかが描かれていないのが不満だ。軍事面だけでなく政治面も描いて欲しかった。大王の妃やペルシャ王妃をわざわざ醜女に描く意図が不明だった。
[DVD(字幕)] 8点(2014-09-03 05:09:43)(良:1票)
89.  エル・シド 《ネタバレ》 
中世スペインの武将で、イスラム教徒からも「エル・シド」と尊称された男の英雄譚。 花嫁シメンを迎えに行く道中で、街に攻め込んできたムーア人と遭遇し、激戦の末、首長を捕えるが、憎しみの連鎖を断つため、平和を誓うことを条件に開放してやる。この行為が反逆罪として告発され、その審理中に侮辱されたエル・シドの父がシメンの父である最高戦士に決闘を申し込む。エル・シドはシメンの父に謝罪を要求するが拒絶されると決闘となり、殺害してしまう。シメンはエル・シドを憎むが、領土争いの一騎打ちを制したたエル・シドは王からの褒美としてシメンとの結婚を許される。ここまでは非常に劇的で、後半の展開を期待させる。だが良いのはここまで。異教徒相手の英雄騎士物語を期待したのに、恋愛、暗殺、王位継承争い、裏切り等、内輪のもめごとが延々と続き退屈する。内容はそれでも良いのだが、表現が薄っぺらで、人物像が一貫していないので物語に入り込めないのだ。エル・シドは異教徒に寛大で平和共存を望んでいるが、それ以上にスペイン王に忠実だ。追放されたり、妻子を人質に取られても王に忠誠を誓う理由が見出せない。鍵を握りそうなエル・シドの父は途中から登場しなくなる。シメンは結婚してもエル・シドを酷く憎み拒絶するが、彼が追放された途端に再び愛するようになる。まるで別人になっており、脚本の欠点だ。第2王子アルフォンソは複雑で、謀略を巡らしたり、強がったり、弱音を吐いたり、エル・シドを憎んだり慕ったりで、人物像がつかみにくい。信頼にたる人物でないのは確実で、この男にエル・シドが忠誠を誓うのは首を傾げる。ムーア人の王ユサフとの最終対決おいて、両国の大軍団が入り混じる戦闘場面は迫力があるが、一夜明けての決戦は何ともあっけない。死んだと思っていたエル・シドを前にするとムーア軍は一方的に潰走するのだ。馬の下敷きとなるユサフの死もあっけない。まるで漫画だ。もっと観客をじらせる「タメ」が欲しい。エル・シドは生きてていたのか、伝説のように死体を馬に乗せて駈けさせていたのか、不明のままだ。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 21:02:39)(良:1票)
90.  スパルタカス(1960) 《ネタバレ》 
冒頭から剣闘士が反乱を起こす場面まではまことに調子良く物語が進み、興趣をわかせる。死ぬまで苛酷な労働を強いられる鉱山奴隷の愍然たる実態、峻烈極まる剣闘士の訓練風景、命ぜられるままに剣闘士の慰みの相手をさせられる女奴隷の悲哀、会話を交わすことも叶わぬ奴隷同士の悲恋、気まぐれと好奇心だけで剣闘士の真剣試合を望む二人の女性の残酷さ、現代の価値では推し量れぬ古代ローマの側面をまのあたりにするようで、惻惻として胸を打つものがあった。古代のこととはいえ、理不尽に人権と自由を奪われた者の気持ちは想像に余りある。しかし、反乱が起ってからは調子がおかしくなる。反乱軍がスパルタカスを頭目に戴くようになる過程や彼のカリスマ性等が十分に描かれない。とりわけ軍の知識もないのにどうして正規軍を破るほどの軍事力を持ちえたか、どうして短期間で能率的な軍事訓練が可能だったか、数万人規模の寄せ集めに過ぎないのにどうして規律が保てているのか等、疑問に思うところが多い。「奴隷から開放されたい」という思いで一致しているのはわかると、思いと規律とは一致しないものだ。戦闘は何度も繰り広げられているのに二度しか描かれていないのは遺憾だ。スパルタカス軍が諸処の戦いに勝利しながら、各地の奴隷を吸収して勢力を膨らませていく過程で、彼の人となりやカリスマ性を描く、というのが常道ではなかろうか。彼の内面に迫る演出が欲しい。本作品の本質は、スパルタカスという人物を描くことだからだ。だが、それらの描写は簡略され、彼とバリニアの恋愛面が強調されている。最後に彼が処刑されても子供は残るという「希望」を描きたかったのは分るが、均衡を欠く。敵将のクラッサスがバリニアに異常に執着したり、元老院のグラッカスがバリニアを救出して自由の身分を与えてから自死するなど、不自然な展開で、どんどん興が削がれていく。彼女にそれほどの魅力を感じない。詩を吟じるアントナイナスの存在は無くてもよろしい。特に風呂場でのクラッサスとの妙な場面は意味不明だ。群集場面で奴隷の行進や生活の様子が幾度となく映し出されるが、それだけで感情移入するわけではない。映像だけでは不十分で、やはりきちんと群像劇として描く必要がある。剣闘士の試合をもっと見せるとか、残忍な二人の女性のその後を描くとか、クラッサスが復活させた十分の一刑を描くとか、盛り上がる方法があったろうと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-02 18:04:19)(良:2票)
91.  ミニヴァー夫人 《ネタバレ》 
戦争の悲劇を題材にしているが、反戦映画ではない。戦意高揚映画の範疇に属するのだろうが、正面切って戦争を扱っているにしては手ぬるい内容だ。 題材として二本の柱がある。ミニヴァー家の息子ヴィンとベルドン家の娘キャロルの結婚と薔薇の品評会である。 二人が出会って、結婚に至る経緯、ベルドン夫人という障壁、幸福な新婚生活の様子等は端的によく描けている。 しかし、最大の悲劇であるキャロルの機銃照射による死は眠るようなものであり、ヴィンの悲嘆にくれる様子や涙は映さない。 品評会で優勝したバラード駅長の死に至っては描かれることはなく、神父の口から死んだと報告されるだけだ。 ミニヴァー夫人最大の危機である逃亡ドイツ兵との遭遇も、あっけなく相手が気絶してしまうという幕切れで、緊張感が持続しない。 どこか現実味に欠け、喜劇めいてさえいる。戦時中のことゆえ、検閲を配慮してのことだろうが、これでは伝わるものが弱い。 物語がぶつ切れになっている憾みもある。 冒頭でミニヴァー夫人の買った帽子、ミニヴァー氏の買った車が後の話に活かされていない。 家政婦と、戦争が始まったとき真っ先に出征していった彼女の恋人が、その後登場しない。 ミニヴァー氏が船を避難させる作戦に参加するが、その詳細が描かれない。 仔細だが、気になることがある。薔薇の品種の名前をつけるのに、知り合いの夫人の名前をつけるものだろうか?勘違いされそうに思うが。又、キャロルが品評会にバラードの薔薇を出品させないように、ミニヴァー夫人にバラードの説得を依頼するが、これは筋違いだろう。直接バラードに伝えれば済む話だ。ろくに話もしたことない人の家に乗り込んで、厚かましい依頼がよく出来たものだ。上流者階級とはこういうものなのだろうか。品評会に出品が二つしかないというのも張り合いが無い。 脚本に一本筋が通ってない上に、戦争の本質にまるで触れようとしない“綿で包んだような”内容では感情移入のしようがない。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-01 22:27:21)
92.  チャップリンの独裁者 《ネタバレ》 
恐怖の独裁者ヒットラーを徹底的に茶化す。稀代の喜劇王チャップリンの面目躍如たる作品だ。 政治を風刺した映画の中で最も完成度が高く、永遠に語り継がれる作品だろう。 作品の本質は喜劇。そこは世界に冠たる喜劇王のこと、千姿万態の職人芸で何度も笑わせてくれる。最後の感動的な演説を度外視しても十分楽しめる作品に仕上がっている。特に世界地図の風船が爆発する場面はぞっとするほど風刺が利いている。 チャップリンは、喜劇と悲劇は表裏一体であることを信条として作品に体現してきた。ここでの悲劇は個人的なものではなく、「人類愛と民主主義の消滅」という人類の悲劇だ。 製作当時、民主主義撲滅と民族浄化を掲げるナチス・ドイツによる世界蹂躙戦争によって、人類愛と民主主義は危機に瀕していた。それに対する心の叫びが最後の演説となった。役を捨てて素をさらけ出すという禁じ手を用いてまでも訴える必要を感じたのは、それだけ危機感を募らせており、一有名人として世界に訴える責任を感じていたからだろう。いわば止むに止まれぬ良心の吐露だ。世界中に独裁主義の暗雲が吹き荒れる中、その心情は察するに余りある。 映画の成功の要因の一つに、最初と最後に演説を対比させる構成の妙がある。一方は意味不明のでたらめ語、一方は床屋役を捨て去って真摯に人類愛を説き、天国の母に希望を誓うチャップリンの心の声。この対比により両者の違いが際立つ。 映画は床屋の戦闘場面で始まる。これは被害者である床屋も、かつては戦争に加担する兵士だったという皮肉を込めている。政治に流されたままで、自ら声を出して民主主義のために戦わなければ、いつかは戦争に巻き込まれてしまうという危惧と反省の表明だ。 映画中盤で、ユダヤの女性が親衛隊に親切にされて驚く場面がある。人種は違っても、同じ人間だから同情もすれば、共感もする。困った人を見ると助けたい。そこには希望がある。最後の演説がなくとも、同様の趣旨がきちんと描かれている。 常に市井の人々の視線で作品を撮り続けてきた巨匠だからこそなしえた作品であるに違いない。躊躇せずに「偉大な作品」と呼べる。 気になる点は、床屋が20年間も保管されていた点、風船の場面の切り替えで足の位置が合わない点、ナチスを想起させるワグナーのローエングリンを演説の最後に使った点。 
[DVD(字幕)] 10点(2014-09-01 17:28:03)
93.  ローマ帝国の滅亡 《ネタバレ》 
ローマ帝国の崩壊が180年即位のコンモドゥス帝から始まっているという大胆な仮説には首肯しかねる。崩壊の三百年も前の皇帝に崩壊の濫觴を求めるのは無理なのではなかろうか。 史実のように謳っているが、ローマ帝国という舞台とローマ皇帝の名前を借りただけの創作である。 未婚皇女役を豊満な中年女優が演じている点で興ざめし、まともな悲恋物語として見れない。 コンモドゥスは闘剣試合に夢中で、政治には向かない暗愚な人物とされるが、闘剣場面が一度も登場しないのでどういう人物か推測しかねる。彼の心の内に狂気が宿っていたとして、その原因を少しは示唆してほしいものだ。最終場面で、突如として名乗り出た実の父を刺殺し、平和に暮らすババリアン人を虐殺させ、妹を焚刑に処すよう命じ、大衆の面前でリヴィウスと一対一の死闘を演じる。唐突感が半端ではない。コンモドゥスという人物を理解できるように描いてもらいたい。 対するリヴィウス軍指揮官だが、辺境国に対して融和政策をし、恒久平和を実現しようする先進的人物だ。しかし、その主張を元老院にするは部下まかせで、多くの戦闘場面に登場するので、その人となりと主張と行動が一致せず、ちぐはぐな印象だ。平和を主張させるなら平和的人物として描くべきだろう。少なくとも善人顔の俳優が演じてほしい。 巨大舞台装置や大群衆場面も心動かされるものがない。“見せ方”が尋常一様で、画面が迫って来ないのだ。戦闘場面も群集が騒ぐ場面も無難な仕上がりで、そこそこの迫力が出ているが、度肝を抜く演出はない。どちらも広がりがなく、閉塞感漂う印象を受ける。鑑賞後、時間を無駄にしたとも思わないが、佳い映画を観たという実感も湧かない。どの人物にも感情移入できないのはお墨付きだ。
[DVD(字幕)] 5点(2014-09-01 05:29:29)
94.  アラビアのロレンス 完全版 《ネタバレ》 
映画という表現形式を芸術にまで高めた大作であり、間違いなく映画界の最高峰に位置する。とりわけその映像美には感嘆を禁じ得ない。 毀誉褒貶相半ばする歴史上の人物、ロレンスが主人公。非嫡出子で、考古学者で、軍人で、独創家で、反抗的で、アラブ贔屓でと一言では言い表せない複雑な人物だ。 そのことを冒頭、記者に「詩人であり、学者であり、偉大な戦士だった。同時に恥知らずな自己宣伝家だった」と言わせ、それに軍人が抗議するするが、実は彼は、過去にロレンスをアラブ人と間違えて平手打ちしているのだ。実に巧みな技法だ。英国からも、アラブからも、誰からも理解されなかったロレンスの孤独な半生を表象している。 彼は砂漠に放たれたとき嬉々として、「運命など無い」と吠えた。アラブ人を仲間に迎え、アラブ開放を理想に掲げ、戦闘で数々の武功をあげ、名声をもたらすが、それは彼の空回りでしかなかった。運命の皮肉により、彼の希望の象徴だったガシムと、無邪気さの象徴だった二人の少年の一人を我が手にかけなけれならなくなる。仲間の死、戦争の残虐さ、 野放図で勝手気侭でロレンス理想を理解しないアラブ人、部族間の対立、政治の欺瞞と老獪さ、理想と現実の狭間で、彼は人間性を失ってゆき、彼自身を恐れるようになった。映画はその変遷を服で表現している。アラブ式白衣はロレンス自慢のものだったが、徐々に汚れてゆき、血に染まり、汚濁にまみれ、遂には脱ぎ捨て、身丈の合わない軍服を着る。見事な表現方法だ。 全編を通じて映し出される砂漠は神がかっている程美しい。監督が砂漠に魅入られているのだ。砂漠は潔癖で人間を拒む。血も流れるがすぐに乾く。苛酷な砂漠の前では、人間は矮小な生き物でしかない。伝統的暮らしに埋没し、目の前の生活に汲々とする人達にとって、アラブ独立国家樹立等という理想は蜃気楼に過ぎない。そのことを映画は繰り返し、砂漠の大景の中の点景として人間を見せるで表現している。 それでも歴史の影は容赦なく忍びこんでくる。第一次世界大戦を戦う大国の前では、アラブ民族は、利用され、征服される存在でしかない。一石を投じたロレンスも歴史の淵に沈んでいった。一人の人間の力では、燐寸の火は消せても、灼熱の太陽は消せない。悲劇の歴史の一齣を、冷徹な眼でもって芸術的な抒情詩として描いて見せた点が、本作品の真骨頂である。
[DVD(字幕)] 10点(2014-08-31 19:19:04)(良:2票)
95.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
史劇の最高峰に位置する伝説の作品。ローマによるユダヤ属州の圧政、かつての親友への怨讐、ガレー船による戦闘、四頭馬車競争、癩病、キリストの奇跡と内容は盛りだくさんだ。変容の物語としても読める。 ベンハーは、友人メッサラの姦計により冤罪をこうむり、ユダヤ豪族からガレー船の漕ぎ手という奴隷身分に堕とされるが、臥薪嘗胆の末、海戦中に助けた司令官の養子に迎えられてアリエス二世となり、宿願の帰郷を果たす。ベンハーは、最初はメッサラとの再会を喜び旧交を温めることを望んでいたが、密告を要求されたため断交する。奴隷になってからはメッサラへの復讐心に燃えるが、メッサラの死後は圧政の根源であるローマ帝国への反抗へと怒りの矛先が変わる。しかし、磔上のイエス・キリストの「敵を許す」という箴言に触れ、心から怒りの感情が消えるのを覚える。魂の浄化である。変容は他にもある。ベンハーはメッサラに復讐するつもり、つまり殺害する気でいたが、それが四頭立て馬車競争にすり替わる。メッサラが事故死したので復讐を果たした結果となった。物語は途中までベンハーの復讐譚だが、終幕はキリスト受難劇へと変貌する。これらの劇的な展開が感動を呼ぶ最大の要因だろう。映画では触れられていないが、二人が短気なのが災いの元だ。密告をめぐる諍い程度で絶交することはない。かつての親友でもあるし、お互いに立場上の利用価値も高いのだから。瓦落下事件のとき、メッサラはベンハーに恩を売って友情を回復させることもできたし、母妹の助命を条件に密告させる方法もあった。短慮が身を滅ぼす結果となった。気になる点がある。ベンハーが奴隷になってもエスターからもらった指輪をはめている。エスターの父親が急に登場しなくなる。メッサラが、ベンハーが自分の母妹は死んだものと思っていることを知っている。キリストに帰依してないのに母娘の癩病が瞬時に治る。尚原作では、メッサラはベンハーの財産を奪い、エスターの父親に現金の在処を尋問して下半身不随にしてしまう。馬車競争の時アラブの族長が賭けを申し出たのは、財産を奪い返す意味があった。メッサラは馬車競争事故を生き延び、ベンハーに刺客を送る執念を見せる。ベンハーと、東方三博士のバルタザールの娘との間に艶聞がある。1925年映画ではキリストは死んだ赤ん坊を蘇生させる。
[DVD(字幕)] 9点(2014-08-30 14:55:18)
96.  世界大戦争 《ネタバレ》 
相互軍事陣営核ミサイル同時攻撃という第三次世界大戦勃発による人類滅亡の恐怖と惨劇を東京に住む一家族の日常の姿を通じて描いた作品。平凡な日常生活を送る市民が核爆発によって一瞬にして抹殺される様子を淡々と描けば、戦争の悲惨さは伝わると思うが、登場人物が自分たちの将来を知っているかの如く、いちいち平和の尊さや生きる素晴らしさなど、寓意や誡め、教訓めいたことを述べるので傾倒できない。平和の尊さ、生きる素晴らしさ、戦争の悲惨さなどはわかりきったことであって、説明する必要はない。最後の主人公一家揃っての食事場面が一入感動的なのは、そういった教訓臭が無いからだ。男が、幸福に生きている人間を抹殺する権利なんて誰にもない筈だと、怒りの感情を激白する。「原爆でも水爆でも来てみろ、俺達の幸せに指一本ささせないぞ」の心意気。学校を早引した子供が驚く両親に、「あら、何も知らないの?戦争が始まるんだって」と屈託無く言う場面も心に残る。これだけで十分で教訓や説明は不要。奇妙なことに、誰もが愚かしいと悟っている戦争に至る経緯に関してはほとんど描かれていない。軍事境界線地域での侵入や偶発的な小規模戦闘が拡大したものと理解できるが、それが局地的軍事行動に終わらず、どうして全面的核戦争に展開するのかという肝腎な部分が欠落している。関係各国首脳、国連なども登場しない。日本国に至っては国家首脳陣が「平和のために最大限の努力をしている」と会議室で熱弁するだけで、どんな努力をしているのかさっぱりわからない。又、どうして日本が攻撃されるのかも示されない。ただ軍事同盟に参加しているからでは理由が弱い。首相が病に冒されているなどの悲愴さを盛り上げる設定などはどうでもよろしい。戦争に至る具体的な経緯を描かないで、第三次世界大戦突入の不安と恐怖を描くことができない。一方で市民の日常的な生活を見せつつ、一方で彼等の預かり知らぬところでの政治的な駆け引きを見せることにより、我知らず戦争に巻き込まれてゆく無辜の市民の哀憫さが表現できるのではないだろうか。 主人公家族は歳の差のある姉弟にせず、三世代家族にすれば理解しやすかった。「小さな子がいる神経痛の老いた母親」は分りづらい。「人間は素晴らしいものだがなあ。一人もいなくなるんですか、地球上に……」は大袈裟すぎる。円熟期にあった円谷“和製特撮”は独創性に富み、高評価できる。
[地上波(邦画)] 6点(2014-08-29 14:15:54)
97.  GODZILLA ゴジラ(2014) 《ネタバレ》 
ハリウッドが本気で作った「ゴジラ(G)」に拍手。真実に迫る巨大怪獣の姿に恐怖を覚え、怪獣対決の醍醐味も十分に堪能できた。但し顔の造形は“大熊”似で、敵怪獣ムートー(M)も昆虫系生物で「怪獣美」に欠ける。暗い場面の連続には辟易し、「エイリアン2」そっくりの場面には驚いた。フィリピンの地底、化石ゴジラの胎内で孵化したMは海に入り、日本の原発に地中から侵入して、施設を崩壊させ、卵を産み付けた。15年後、孵化したオスMは飛翔、ハワイに着陸。米軍が攻撃するも、オスMが電磁パルスを発生させ、電子機器を無力化させてしまう。Mの宿敵のGもハワイに到来。両者は激突するもオスMは米国西海岸へ飛翔。ネバダ州の核廃棄物処分場にはフィリピンで発見された繭が保管されていたが、それが羽化し、メスMが誕生。二匹のMはサンフランシスコで合流、追ってきたGもそこに上陸。両者対決し、当然Gが勝つ。人間は仕掛けた水爆を解除するのに大童。水爆は海上で爆発。人間劇は家族愛が主題。妻が死んだ原発事故の原因を突き止めるジョーの執念は、本人死亡であっけなく終幕、後に続かない。ジョーの息子フォードは他人の子供を保護したりするものの、自分の子供とは疎遠で、妻とも疎遠。家族の気持ちが空回り状態だ。ジョーの執念の調査が怪獣退治に結びつき、フォードも父の執念に動かされて軍隊に復帰するという展開なら物語に繋がりができた。又、フォードの息子は母親と行動を共にし、Mに襲われたところをジョーかGに助けられる、あるいはジョーの犠牲で助かる、というようにすれば物語が深まった。ゴジラ第一作のような自己犠牲が見られないところが残念である。 GもMも放射能物質をエネルギーにしているが、Gは核施設を襲わない。核施設を襲い繁殖力の高いMは人類の敵で、各施設を襲わず繁殖しないGは人類の味方という構図だ。ところで最初に羽化したMは行方不明のままだ。日本も米国もMの繭を15年間も研究して、成果はほどんど無し。モナーク研究所は60年もGを追及して、成果はゼロ。このあたりも脚本の反省点だ。オスMが電磁パルスで電子機器を無力化する設定は面白いが、それが後半無くなるのは不自然だ。機能すれば核ミサイルの時限装置も無力する筈だ。フォードの日本の家にあった「○ニラ対ハブラ 火炎ビーム」という怪獣映画ポスターが気になった。教室に貼ってあった「蛾の一生」の絵といい、遊び心がある。
[映画館(字幕)] 8点(2014-08-28 05:29:58)
98.  愛染かつら 総集編 《ネタバレ》 
全編の主要場面をつないだ総集編ではなく、紛失を免れたフィルムをつないで編集した遺憾な総集編。そのせいで筋が滑らかにつながらない。かつ枝が浩三に魅かれる場面、浩三がかつ枝に愛を告げる場面、かつ枝が愛染かつらに愛の成就を祈念する場面、浩三がかつ枝のアパートを訪ねて子持ちだと知る場面、浩三がかつ枝を不実者として憎む場面、かつ枝がレコード会社の歌の公募に応じる場面、浩三、かつ枝、敏子の三人が愛染かつらの前にぬかづく大団円の最終場面。 登場人物は皆もの分りが良く、主人公二人に対して好意的で、意地悪な利害関係者や恋の好敵手も登場しない。二人の恋の障害は僅少だ。にも関わらず二人が結ばれないのは意志疎通を欠くのが原因である。特に、かつ枝が浩三に、自分が子持ちの寡婦であることを告げないのは罪が重いといえる。駅の待ち合わせの場面では、駅に電話して遅れる旨を構内放送してもらえばよかった。京都の滞在先に電報を打つこともできた。病院に復帰戻った浩三に会うなり、手紙を出せば済むような事だ。 戦前の女性は慎しみ深いことが美徳とされたが、逃避行の約束を反故にしたことを謝罪もせず、相手に勘違いさせたままというのは、思いやりに欠ける行為だ。それでも許せてしまうのは、ひとえに女優の可憐な容貌と柔かな物腰、言葉の丁寧さの所為だろう。 浩三も決して褒められるようなことはしていない。意に染まぬ相手と結婚させられそうになったから、手紙を残して家出するというのは分別に欠ける行為だ。病院の再建ももっぱら見合い相手の親に頼りっきりだ。軟弱で、気骨が無いのである。それでも許させるのはずば抜けた美貌の持ち主である所為である。 何といっても映画が大衆の心を掴んだのは、病院長の嫡男と看護婦の身分違いの恋、独身を装うが実は子持ち寡婦という秘密、愛の逃避行の失敗、接近するが会えないというじらし、看護婦から歌手への急展開、桂の木に愛を誓うという浪漫等々、複数の劇的な要素を盛り込んでいるからだ。また恋愛映画にありがちな嫉妬や策謀が無いので清々しいのも利点だ。メロドラマの金字塔の称号に十分値する内容となっている。 気になることが一つ。看護婦達はどうして、かつ枝の独唱会に制服姿で出席したのか。
[DVD(邦画)] 6点(2014-08-27 14:56:34)
99.  ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 《ネタバレ》 
人類を滅ぼして地球征服を企むアメーバ型知的宇宙生物の無謀な侵略物語。 探査ロケットに憑りついて進路を変えることができるが、その方法については詳細不明である。電子頭脳を操れるのだろう。 宇宙線の飛び交う宇宙空間で生息しているのに、超音波に弱いという奇妙な性質がある。その為、イルカと蝙蝠を極度に恐れる。生物に憑りついて、宿主を巨大化させて操ることができるが、巨大化した生物は総じて腑甲斐ない。 ゲゾラはガソリンの炎であえなく焼死。ガニメは誤まって崖から転落し、弾薬庫の爆破で爆死。カメーバは蝙蝠の超音波で錯乱し、同じく錯乱したもう一匹のガニメと同士討ちをしたあげく、偶々爆発した火山の噴火口に飛び込んで落命。 宇宙生物は人間にも憑りつけるが、完全に脳を管理することができず、宿主の人間が溶融した溶岩に飛び込んで運命を共にした。 尚宇宙船が帰還したのにどうして専門家が気づかないのか、島の原住民がどうして将来出現するゲゾラを伝説として予知していたのか、ゲゾラの体温はどうして零下なのか、蝙蝠はどうしてカメーバとガニメを襲ったのか、人間はどうして巨大化しなかったのか等の謎は残る。最も奇妙に感じたのは、島の娘が、ゲゾラに襲われて記憶を無くして正気でない男と急に結婚をすると宣言したことだ。たとえ婚約者であったとしても、男の回復を待つべきだし、正気を失くしている状態では男の両親が承知するとも思えない。怪物がいつ襲ってくるかもしれない中で、即島をあげての祝宴会というのも解せない展開だ。 宇宙生物に助言するとすれば、イカ、カニ、カメなどの小動物ではなく、ゴジラやキングギドラ等の巨大生物に憑りついて、それらを更に巨大化させなさいということ。それなら地球征服の可能性はあったろう。 怪獣造形はガメラ、エビラの劣化版で、火口に飛び込んで終るのは「フランケンシュタイン対地底怪獣」の二番煎じ。特撮はゲゾラの場面の出来は卓抜だが、残りは凡庸。絶品なのは音楽で、音楽だけでも鑑賞する価値がある。
[インターネット(字幕)] 6点(2014-08-26 21:32:48)
100.  ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 《ネタバレ》 
予算をかけた迫力のある特撮場面が売り物だった「ゴジラ・シリーズ」が「低予算・子供向けもの」に堕してしまった作品。 特撮部分は、壊れる建物などない怪獣島でのプロレスごっこに終始し、しかも多くが過去の作品のフィルムの使い回しという体たらく。最大の期待であった新怪獣ガバラの造詣に美しさは微塵も感じられない。愛嬌あるミニラが救いだが、人間と会話できてしまのはいかがなものかと思う。しかも大きくなったり、小さくなったりする。子供の夢の中という設定に甘えている。映画作りに対する自尊心、特撮魂、ゴジラ愛等は微塵も感じられない。 人間劇では、いじめられっ子が、夢でみた怪獣ランドのミニラに勇気づけられていじめっ子に立ち向かうという話に、間抜けな銀行強盗による子供誘拐未遂事件をこじつける。この強盗犯は首尾よく五千万円強奪に成功したにも関わらず、何をもたついているのだろうか?タクシーかバスか電車等を利用して、さっさと逃走すればよいではないか。予定では、どう逃走する段取りだったのか。敢えて車を盗む危険を負う必要は無いはずである。いじめっ子達との軋轢も、ガキ大将にぶつかっていってすぐ勝利、あっさり解決だ。ペンキ屋へのいたずらは、いたずらできる程元気になった、子供らしさを取り戻したという意味だろう。 このように全体を見渡して、観るべきものは無いといってよい。おかっぱのヒロインにも魅力がなかったと言い添えておこう。 唯一心証に残ったのは「怪獣マーチ」だ。「魔神バンダー」と同じ、佐々木梨里が力唱する。昭和の泥臭さが妙味になっている。映画にはないが三番の歌詞は「怪獣サマが泣いたとさ どうして地球は住みにくい ゴー、ゴー、ゴジラもおどろいた ミ、ミ、ミニラもブールブル ドッスン、ガッタン、ドッスン、ガッタン みんなこわしてしまうけど メガトン、スモッグ、排気ガス これが本当の怪獣だ」となっており、当時の子供の生活を脅かしていた排気ガス、工場排煙等の公害を批判している。「公害」「いじめ」「鍵っ子」「銀行強盗」という当時の社会問題を怪獣映画の中に盛りこもうとした意欲は買うが、無謀に帰した感がある。
[インターネット(字幕)] 4点(2014-08-26 13:45:32)
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