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101.  甘い夜の果て 《ネタバレ》 
元太陽族も、いつまでも遊んでいられるわけがなく、しぶしぶデパートの店員に納まって、でも、いつかデカイことしてやるんだ、と鬱屈しながらイキがってる。そんなリアリティがあった。自分ではいっぱしのワルのつもりで狼のようにのし上がってるイメージなんだろうが、外からはバレバレで座談の笑いにされてしまう。鋳物工場社長未亡人にも嵯峨三智子にも簡単に嘘をバラされ、そして自分自身は「結婚してあげる」の嘘に引っかかって笑われる。自分がからかわれること・馬鹿にされることに過敏なのに、ここにいない年寄りを笑うことでしかその鬱屈をはらせない。別に元太陽族に限らず、いつの時代どこにでもいた若者のタイプであろう。「むしゃくしゃしたのでやった」となったりする連中のひとり。自分では成功したつもりの勝利感に酔う場所が、デパートの屋上のちゃちな観覧車ってのがお似合いか。観覧車の回転性は、無人の競輪場でオートバイでぐるぐる回るところにもあって、外に向かえないエネルギーの空回りを思わせる。太陽族のシンボルだったモーターボートも、湖上で止まってしまうし。画面の外の音が神経をいらだたせるように強調されて入ってくるのが、効果的。
[映画館(邦画)] 7点(2009-06-26 12:01:20)
102.  左ききの狙撃者 東京湾 《ネタバレ》 
『東京湾』というタイトルだが、舞台は荒川沿いが主で、あそこらへん下町好きの人にとっては嬉しい映画だろう。山の手から麻薬犯罪が千住・立石・小岩に広がっていった、という設定。浅草松屋の屋上での金渡しから、押上までの逃走もある。街の喧騒から遠く離れておばけエントツの見える川辺にひっそりと暮らしている戦友。これらの町の捜査シーンを、ドキュメントタッチで見せていく。捜査官がこっそり撮影していた8ミリの映像なども出てきて、今でこそ珍しくないが、こういう映画内映像が緊張感を出すために使われ出した最初のころではないかな、『天国と地獄』よりも早い。仕事熱心で妻に逃げられた刑事がその戦友と繋がれるってのも、穏やかな家庭生活よりもまだ戦争の影のほうが濃かった時代を思わせる。サスペンス映画としてはもひとつ鮮やかなシーンが欲しい気もするが、いい映画でした。一番嬉しかったのはベテラン脇役のオンパレードで、タイトルが出る前に死んでしまう役が浜村純だったりと贅沢。最近の映画は脇役に魅力が乏しく、これは俳優のせいではなくてシナリオが痩せてきているのだろう。主人公とその周辺数人でドラマを閉じてしまう。社会を全体で捉えようという意思がなく、登場する他者とは、カーチェイスのとき逃げ惑うだけの個性のない他人の群れになってしまっている。これってかなりまずい傾向なんじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2009-06-21 12:03:25)
103.  雲の上団五郎一座
戦後喜劇史の本によく出てくる三木のり平の「切られ与三」は、現在この映画でしか見られないらしい。その記録としてだけでも重要な映画となった。で、もちろん三木のり平はいいのだが、のり平の笑いを引き出す八波むと志(こうもり安)のキレの良さにうなった。脇でじれったがって悶える八波のツッコミが素晴らしい。初期の渥美清にもあった凶暴さを秘めた魅力。のり平と八波の芸質の違いが見事に噛み合って、掛け合いの笑いとはこうでなければならない、という見本のような出来だった。あと佐山俊二も懐かしかった。田舎から出てきて都会で戸惑ってるおとっつぁんというような、オドオドした笑い、この種の笑いを受け継いでいる人はいないのではないか。というより喜劇人という人種が表舞台から消えてしまっているんだな。由利徹はあまり出番がなく勿体なかったが、西部劇のならず者タイガーがまあまあ。これらベテランに対してフランキー堺も頑張ってはいたけど(弁慶でデタラメ言う、旅の衣はスズカケの~、がスズカケの小径になったり)、やはり長年舞台で鍛えた喜劇人の粘度と比べると、サラサラして感じられる。切られ与三とドドンパ・カルメンでは落差ありありだった。舞台上で十分に練り上げられた時間の蓄積の違いもあろう。劇中の一座の芝居のあまりのひどさに、小屋主のアチャコがヨイヨイになってしまう。「笑わせようとしてないのに客を笑わせてしまう笑い」を、芸達者な人々が見せるから芸のある笑いになるのであって、現在はこれがそのまま通っちゃってるからなあ。とにかく喜劇人俳優名鑑のような映画で、エノケンからフランキーまでの豪華な顔が一堂に揃って見られるだけでも、お得な作品です。 
[映画館(邦画)] 7点(2009-05-31 12:11:13)
104.  股旅 三人やくざ 《ネタバレ》 
どじょっこふなっこのコーラスで季節を分ける。「秋」が仲代達矢、股旅もののシルエットが土手を枯れ枝ごしに歩いていく典型的なカットから始まる、秋空から曇天へと。これだけで観客は股旅ものの世界に没入できる。桜町弘子の憎悪で噛んだ口が愛情を込め出す演出。ちょい役だが、人情家のまかない浪花千栄子がいい。「冬」は一転、志村喬・松方弘樹で室内劇のおもむき。一人もん同士、子を求めるものと父を求めるもの、が家庭を夢見かけ、松方の笑いが崩す。任侠道ってのは、己れの心のなかに幸せを求める気持ちを認めてはならないのだ。とストイックで渋い秋冬のあとで、明るく菜の花が咲く「春」、中村錦之助が自ら任侠もののパロディをやる。子どもの小便の下流で水を飲んだりして、錦ちゃんかっこいい役ではないと最初から分かる。腹すかせて農民に一宿一飯の恩義を受け、コロシを頼まれるの。「で、それどういう人?」なんてあたりの口調がうまい。相手のサッと蝶を斬る手腕に、錦ちゃんもカチャカチャッとまねるあたりも笑わせる。追いつめられれば意地を見せるってとこが、任侠ものの型で、いくじなしの主人公でも同じ、ワーワー刀を振り回し、奇跡の逆転に向かう。剣豪宮本武蔵演じた直後にこういう役をやらせる東映の洒落っ気も嬉しいじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2009-02-22 12:14:41)
105.  冷飯とおさんとちゃん
そうかこの1965年てのは東宝が『赤ひげ』東映がこれと、山本周五郎のはやり年だったんだな(まだ存命中)。中村錦之助によるオムニバス、三変化的な楽しみもあるわけ。二話の「おさん」が凝ってて、三田佳子は灰色のセットを背景に桃色の衣裳で置かれる。一人がたりの手法。ただシナリオはややセリフに頼り、職人らしくない言葉をしゃべらせたりしていた。大坂志郎が死んだように生きている男を演じ、変に凄味があった。壁を背にした顔のみのカットとか。三話「ちゃん」は筋だけ取り出すとクサいんだけど、ドラマとして見るとやっぱり泣ける。筋じゃないんだよな、山周は。そこに漂う空気というか。森光子ってちょっと苦手な女優さんなんだけど、ラストの長回しのやりとりが見どころで、その前の「お前さん、どこに行くんだね」と目を光らせて現われるとこに凄味があった。この頃は、脇にギラッと凄味を出せる役者が揃っていたのだ。そして三木のり平、のり平のシーンはついついささいな動作にまで見とれてしまう、銚子を動かすタイミングなど。末娘は藤山直美で、強引に上方弁を通していた。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-30 12:24:12)
106.  不知火檢校 《ネタバレ》 
勝新のヌルヌルヌラヌラした感じが最高に発揮されている。子どものときから自分の盲目をネタに言いがかりをつける悪いヤツ。世間は征服する対象としてのみ存在している。障害者のピカレスクが凄味を持つのは、世間との対立感覚がより際立つからであろう。差別かもしれないが、でもここには世間の側が持つ疚しさも関わっているから、見ているこちらにもジャリジャリと引っかかってくるのだ。しかしけっきょく女の心は得られず、自分の罪を他に転嫁しようとした過去の仕掛けによってアシがついてしまうという設定が皮肉。冒頭が祭りの風景で、そこで少年の杉の市が小さな罪を犯すところから始まって、ラストも、祭りを蹴散らしてゆく検校の駕籠が捕縛されるという対比。世間からのつぶてが飛んでくる。まったくひどいヤツだが、ずっとこの映画を見ていた一観客としては、このつぶての一団に加わるほどの真っ白な正義感も湧いてこない。そこにこの映画の価値がある。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-23 12:11:24)(良:1票)
107.  続・悪名 《ネタバレ》 
脚本は依田義賢。勝新てのは実に上方の匂いを漂わせている男だなあ、と思う。錦之助は上方でも江戸でも通るが、勝新の江戸っ子は似合わない。映画としては、正編の後始末めいて焦点が定まらなく感じる面もあるけど、「戦争いうたらナワバリ争いやんけ」というやくざの発想が、面白い戦争批判になっていた。「ごっつい出入りやなあ」という目で戦争を見てるの。金取ったぶん守ってやる、というやくざのナワバリの発想と、税金で戦争する国家の発想とどこが違うんじゃ、って感じ。こういう話には必ずダメ男がチョロチョロし、関西だと南都雄二がその役。田宮二郎のモートルの貞が殺される雨の俯瞰シーンがいい。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-21 12:22:39)
108.  沓掛時次郎 遊侠一匹 《ネタバレ》 
股旅ものの根本思想には、組織は悪くて個人はつらい、ってのがある。渥美清はバカを通して殺され、心が通じあう個人と個人は対決せねばならない。一旗あげたい農村青年が「やくざは虫けらだが、百姓はもっと虫けらだ、どうせ死ぬなら羽根を広げて死にてえ」という言葉が重い。さらに家庭という組織もからんできてるわけだ。股旅ものならではの寂寥感が随所に見られるいい映画だとは思うんだけど、錦ちゃんの長谷川伸三大名作の中では、作品のうねりに不整脈みたいなギクシャクしたものが感じられて、私はちょっと不満が残るの。これよりは『瞼の母』のほうが、さらに『瞼の母』よりは『関の弥太っぺ』のほうが純度が高いように思え、私は好きです。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-20 12:15:59)
109.  にっぽん泥棒物語 《ネタバレ》 
泥棒の話が映画で好まれたのは、それが声を出してはいけない状況を伴うからかもしれない。サイレント映画ではとりわけ好まれてたんじゃないか。で、この映画、泥棒が忍び込んでいくと、子どもがフトンからじっと見ているカットになる、お菓子でなだめて帰ろうとすると、もっと頂戴と泣き出す。サイレント映画にでもありそうなコント。でもやっぱり社会派監督だから、松川事件がからんできてコメディに徹してはくれないが、三国連太郎のトボケぶりと、伊藤雄之助検事のネチネチぶりが楽しく、そもそも裁判という厳めしい公の場で、こそ泥の話をしていくその対照が面白い。泥棒というのはなぜ滑稽なのだろう、コソコソしているからか。弁護士が千葉真一だった。室田日出男は当然泥棒の一味だろうと思っていたら、進歩的な新聞記者だった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-12-17 12:10:43)
110.  マイ・フェア・レディ
すごく大ざっぱだけど、ミュージカル映画はダンス中心から歌中心に移行してすたれた、って言えないか。この64年はもうダンスは付けたりで、踊ってても絶頂期のハレバレとした感じが出ない。「踊りあかそう」なんてどんどん狭い部屋へ入ってしまい欲求不満が残る。「時間どおりに教会へ」もいろいろやってるんだけど、コワザって感じ。競馬場での白黒の効果は見事だったが、『巴里のアメリカ人』ですでにやってるし、それにこれはミュージカルの味とは関係ない。いや、いい映画だとは思うんです、思うんですけど、峠を過ぎたジャンルの緩さも目立つ作品なんだな。かえって翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』は、もうミュージカルの形にこだわらないことで成功したと思うんだ、でもそれはまた別の話。あ、この2つの映画、手元の「ぴあシネマクラブ」によると、どちらも上映時間は172分だぞ。
[映画館(字幕)] 7点(2008-11-10 09:17:02)(良:1票)
111.  日本の青春 《ネタバレ》 
『壁あつき部屋』や『人間の条件』ともつながる“軍隊の内なる暴力”のテーマを扱っていて、でも60年代後半という、剛直より軟弱へという時代の流れを感じさせるとこが、いま見ると面白い(映画で言えば任侠ものから寅さんへという時期)。武満徹の音楽もフォーク調。藤田まことが軟弱な人間の真率さを演じるが、やや哀感過剰気味、これが60年代末のトーンだ。元上官佐藤慶は、時代がどう移ろうともその時代時代をちゃんと生きているという自負があり、バーの一角での対決が、セリフ劇として見応えがあった。しかしそれがこの映画の限界でもあって、図式が整いすぎて、イメージが膨らむ余地が少ない。主人公が家に帰って終わるってのはどうかなあ。それが、家にしか帰るところがないという絶望や苦みでなく、まだ帰るところがあるというニュアンスでまとめられていた。それでいいのかなあ。奈良岡朋子がカワイイやつになってしまっていたけど、そのカワイさの束縛ってのもあるんじゃないか。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-09 12:14:21)
112.  からみ合い
なにせ『人間の条件』と『切腹』の間に作られた作品なんで、どんなかなあ、という興味があった。遺産をめぐりニセの跡取りを作ったりするだまし合いの話で、もっとコメディタッチにしたほうが収まりがいい題材だったかもしれないが、そこは小林正樹、そして重厚な大作の間の作品、正攻法で攻めてくる。これはこれでいいのだろう。重々しさというのも、そういうものがまったく尊重されなくなった現在から見ると、美点である。話のほうより、美術の戸田重昌の仕事が記憶に残っている。中央に水槽があり奥に二つ扉がある左右対称の部屋や、冒頭、岸恵子と宮口精二がはいる喫茶室など、セットを味わえる映画だった。戸田は以後も小林作品(『怪談』!)や大島渚作品(『儀式』!)で、重厚なセットの記憶を日本映画史に残していく。音楽が小林作品で初めての武満徹、本格的なジャズであった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-07 12:19:37)(良:1票)
113.  今年の恋
ジャズを聞きながら勉強する高校生の田村正和は開けた横浜、それが友人の家である東京の料亭の古風な感じと対比される。またその彼ら若い世代とそのちょっと上の岡田茉莉子の世代との対比もある。ラストは京都で除夜の鐘を聞くという正月映画らしい流れだが、岡田が日本髪を結って特急に乗っているのが、ちょっと驚きだった。東京オリンピック前だと、正月ならそういう髪で娘(オールドミスになりかけといった微妙なところ)が特急に乗ってても不自然ではなかったのだな。でもたぶん田村正和の世代になると、ヘンだろう。またそれぞれの家に、東山千栄子、若水ヤエ子の婆やなり女中なりがいるのも時代か。こういう軽いスケッチ風の作品のほうが、時代を、その中の微妙な世代の違いも含めて、濃く残してくれる。
[映画館(邦画)] 7点(2008-09-12 12:12:38)
114.  欲望(1966) 《ネタバレ》 
トーキーの発明で、映画は無音の緊張を描けるようになった。主人公のカメラマンが公園に入っていき問題の男女を目撃する場の緊張、これは音が欠けているというより、葉のかすかなざわめきを埋めるようにどんどん無音が充満していく。あるいは彼の部屋に写真を順々に貼りめぐらし、昼の公園の時間と空間が再構成されていく場、夜の死体発見の場、など、ここぞというところで無音がこだまし緊張を高める。押し黙った労働者たちの群像、しゃべらないファッションモデル、シュプレヒコールを叫ばないデモ隊、ロック会場の異様に静まった客席も印象に残る。またそれらはしばしば喧騒と隣り合わせだ。冒頭のはしゃぐ白塗りの若者たち、闖入するモデル志願の二人組、エレキギターを奪い合う騒動、それらがより無音を際立たせている。この無音の緊張の果てに聞こえてくる白塗りのパントマイマー(無言劇)のテニスボールの音、冒頭の喧騒を裏返したような彼ら、なにかあそこで映画全体が表裏ひっくり返ったような、それがいいことなのか悪いことなのか分からないが緊張が解放されていくような、そんな気分がラストにはあった。
[DVD(字幕)] 7点(2008-08-17 09:32:14)
115.  弥太郎笠(1960)
映像のリズムの良さに、ほれぼれする。ひょっとこ面の連中が祭りの囃しにのって、ヨイヨイと手を振りつつ大河内伝次郎を連れ出していくあたりの凶々しさ。あるいは通り過ぎた弥太郎のあとで、ワラワラと三度笠が現われてくる場のリズム感など、これしかないという間合いで。ほとんど音楽を感じさせるのは、カタキのとこの土間口での殺陣。弥太郎がひとくさり喋ってはひと太刀浴びせ、と緊張をためては放つその緩急のリズムが絶妙。そして全体の構造としても、ラストにまた祭りとひょっとこが反復される大きなリズムとなる。アウトローものでありながら、実はいいとこの侍であった、ってのにはちょっとガッカリさせられたが、「おとっつぁん、弥太郎さんがいじめます」とか「冥土へ行くんなら静かに行ってくれよ」などもキメぜりふがピタリとハマってる。
[映画館(邦画)] 7点(2008-08-09 12:04:04)
116.  私が棄てた女
回想シーンがどれも美しい。海の景色、馬追いの夕景のシルエット、スターの家を見に行ったときの桜吹雪。原作のらい病院を老人ホームにして、宗教的な求道性を監督は社会性に置きかえている。これは監督の権利として許される範囲内。ただこの監督はちょっと余計なものを付けちゃうとこがあって(たとえば『青春の門』でガイコツの山を貨車に積んでみたりとか)、ここで終わってもいいのにってとこでオマケがついてしまう。まあ、つけまつげのない浅丘ルリ子の顔が見られるのも珍しくていいんだけど。河原崎長一郎は、渋谷での待ち合わせのあたりからして、うまい。 
[映画館(邦画)] 7点(2008-05-02 12:18:33)(良:1票)
117.  その場所に女ありて 《ネタバレ》 
私にとってこれは「はばはば」の映画である。ラスト、退社時の原知佐子が司葉子に「はばはば」と言うのである。そんな言葉聞いたことないから私はうろたえた。なのに周囲をうかがうと、お年を召した観客の方はうろたえず泰然とスクリーンを見ている。さらに退館時に「はばはばかあ」などと懐かしがってさえいる。ある世代にとっては謎の言葉ではないらしい。後で調べたら大きい字引になら載っている言葉だった。「ハバハバ『感動詞』早く早く。相手に対して促して言う語。第二次世界大戦後、駐留軍のアメリカ兵が伝えて、流行したもの」。勉強になった。その後、戦後のラジオ番組「日曜娯楽版」で使われていたのも耳にした。それはともかく、これ働く女性群像ものの映画。アネゴ肌の大塚道子、男に貢いで身を滅ぼす水野久美、金貸しやってる原、主人公の姉森光子は嬉々として男に尽くす古風なタイプ。こういった群像を散らしておいて、主人公の司が、接待マージャンでも本気で勝ちにいくシャープな性格。かっこいいんです。昭和30年代の風物も味わい。銀座には線を引いただけの横断歩道に、まだあるゴミ箱。御茶ノ水では花屋の移動屋台が出ていた。
[映画館(邦画)] 7点(2008-04-27 12:25:14)
118.  冬の光
とにかく渋い、冷たい金属の手ざわり。孤独な人間が手を伸ばすのに、それが何かに触れるとおびえて引っ込めてしまう、といういつものベルイマンの世界。見た日の日記には、せりふが書き抜かれていた。「あなた(神)は私を強く生まれさせて下さったけれど、私の力を使わせて下さらない。人生に意義を下さるなら、私はあなたの忠実なしもべになります」「私(トマス)は私だけの神を信じた。私を特に愛してくれる神を」「たとえ神が存在しないでも、それが何だ。人生は説明がつく」。神のテーマが前面に出されるとちょっと辛いのだが、それだけでなく「孤独と他人のわずらわしさとのせめぎあい」って方向に普遍化されるとこが、この人の映画がキリスト教圏以外の世界でも意味を持って見られる理由だろう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-04-01 12:18:54)
119.  非行少女
「本当はいい子なんだ、社会が悪いんだ」なんてメッセージは、たぶん今では無効だろうけど、その単純さに徹してあれこれいじらずに押し通されると、紋切り型は承知の上で、それを越えて感動させられてしまう。浦山監督のいいところは、前向きの人間を描いて嫌らしさが出ないとこだ。観客は若い二人の仲だけは絶対に信頼できるようになっている。窓越しに「俺のこと嫌いか?」「ううん」なんてやってるシーンに、今さら感動できるとは思ってなかった。最後の駅の喫茶店のシーンなんか、青春的でよかったなあ。前向きに生きる決意と、後ろにあるものを断ち切る勇気と、そしてレールに象徴される旅立ち! 単純なもの・陳腐なはずのものが、この人の映画では、素直にそうだそうだと見ていられる。人徳?
[映画館(邦画)] 7点(2008-03-25 12:27:40)
120.  血を吸うカメラ 《ネタバレ》 
精神科医との場で何かがプツンと切れてから後が怖い。覚悟が決まった、っていうか。自分のドキュメントの完成に邁進していく。これから犯行に及ぶ店と時刻(時計)を映し、二階から見張っている刑事を映し、ついに自分に迫る警官を映し、記録していく。フィルムってのは詰まるところ、やっぱり記録装置なんだな。記録するということの受動性と、映像作家としての能動性、この葛藤が映画には常にあって、この主人公はその裂け目を不必要に意識し過ぎてしまったのかもしれない。冒頭、目のアップで始まるように、見てしまうことの病いがずっと底でうずいている。ヒロインが犯行を知ってしまう映写のシーン、好奇心・笑み・不思議・不安・戦慄・恐怖と変化していくワンカット!
[映画館(字幕)] 7点(2008-02-24 12:26:37)
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