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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1221.  ガメラ対大悪獣ギロン 《ネタバレ》 
公開時に映画館で見た(同時上映は「東海道お化け道中」)が、記憶にあるのは怪獣が出る場面だけで、ほかはおねえさん2人が悪役だったくらいしか憶えておらず、子どもの認識などその程度だというのがよくわかる。せっかく贔屓のギャオスが出たのに簡単にやられてしまうのは不満だったが、敵怪獣がギャオスを食おうとスライスした場面で、切断面に骨も内臓組織も音叉もなく一様に肉が詰まっていたのは当時の高級ハムのイメージだろう。ほか特撮面でそれほど見るべきものはないが、隕石や第十惑星の岩の表面に赤黄青の光る粒がついていたのは、宇宙の鉱物のキラキラ感を表現するための工夫と思われる。  ところでこの映画でも、前作に続いて異世界探検の要素が含まれており、過去映像が長いのとあわせて姉妹編のようでもある(…ギャオスの超音波で腕が切れる場面は、毎度のことだが痛々しくて見ていられないのでもうやめてほしい)。他の惑星を舞台にしたのは、映画公開の1969年にアポロ計画の月面着陸が予定されていた関係かと思うが、具体的な場所についても、少し現実味のある話にしようとして太陽系内に設定したのかも知れない。 また今回は、子どもとガメラの連係プレーで宇宙人と怪獣を退治する形になっていて、これも子ども向け路線の一つの表現に思われる。子ども2人は例によって小賢しい連中で、悪役のおねえさんにも「うるさい子どもだわ」と言われていたが、やはりみんなそう思っていたらしい。このおねえさんがいかにも悪役然として可愛くないのが最も残念な点だったかもしれない(前作の方がまだしもよかった)。  一方ドラマ部分では、わからず屋の教育ママというのは昔よくあったパターンと思うが、最後は子どもの側でも空想より現実問題が大事と悟り、両者が互いに歩み寄って終わりだったのは気が利いている。またガメラは子どもの味方というのが定着し切っているが、人間世界では大村崑氏が子どもの味方になってストーリーに温かみを加えていた。この人が終盤で「先手打ってきたな」と言う場面は面白く、ほか特に子役の女の子が好演だったこともあって、おおむね好意的に見られる映画だった。
[DVD(邦画)] 5点(2013-01-19 10:06:58)
1222.  ガメラ対宇宙怪獣バイラス 《ネタバレ》 
公開当時は見ていないが、トラ模様の宇宙船には幼少時から心惹かれるものがあり、また怪獣の頭部の三つ又がしなやかでいながらまとめると硬質になるという素材感(イラストで見る限り)も面白く思っていた。しかし、後にVHSのレンタルでガメラシリーズを順番に見たとき、この回からいきなり水準ががっくり落ちるので呆れてしまい、つい最近見たばかりの過去映像を長々と見せられるのも非常に苦痛だった。 またストーリーとしては、人類全体と子ども2人の生命を天秤にかけるなど、本来は世界的スケールかつシビアな内容のはずだが、実際は終始能天気な感じで話が進むので重みがない。登場人物に関しても、小賢しく無鉄砲な子どもにばかり焦点が当たり、せっかくの大映新人三人娘があまり活躍しないのには不満が残る(ここは残念)。  ただし、子どもの立場で宇宙船探検を楽しもうとするなら面白いと感じられるかも知れず、宇宙船の各室がみな同じに見えるのも大して気にはならない。また乗員はみな人相の悪い東洋人だったが、これが強面ながらわりと寛容で、子どもの狼藉に対しても穏やかに叱っていたのは大人の態度で感心した。こういう点には子ども向け映画としての優しさを感じる…というか、ちゃんとした大人が子ども向けに作った映画だと思える。 また今回は「ガメラは子どもの味方」というのが台詞にも出ており、実際に子どもが助けられる場面があったのは前作同様だが、加えて子どもがガメラと一緒に怪獣退治をしている雰囲気が強目に出ていたように思う。それがまた見ている大人にとって苛立たしい原因にもなっているが(いちいち指示出しするな!)、まあこれも子ども向け路線の一環ということだろう。  なおこの映画で可笑しかったのは、宇宙船の渡り廊下を跳躍するシステムを子どもが試しても使えず、外人の子どもが「Ben-riなものは、何でも大人用なんだからな」(んり、の発音が難しいらしい)と恨み言を言っていたことで、これは背伸びしたい子どもの心情を捉えていたように思う。
[DVD(邦画)] 4点(2013-01-15 22:03:31)
1223.  大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン 《ネタバレ》 
公開当時は見ていないが、怪獣の姿には幼少時から書籍類で親しんできていた。「トカゲの怪獣」といえば身も蓋もないが、まあスタンダードな四足怪獣である。実際見ると跳躍したりして敏捷なところもあるのは意外で、また雨に降られて寝込んでしまった姿には愛嬌も感じられた。存在自体は迷惑でも本質的に邪悪な生き物というまでのことはなく、ただ無心に生きようとしていただけだったのに、最後は人間にもガメラにも目の敵にされて死んだようなのは少し哀れだった。  それで映画の内容としては、突っ込み所は多数あるが全体としては真っ当な娯楽映画である。子どもには怪獣を見せておいて、大人向けにはドラマ部分という形で、はっきり切り分けたようにも取れる(それにしては怪獣が出るのが遅いが)。 まず怪獣モノとしては、映像面の出来はいいと感じる。大阪城の場面などは横長のスクリーンをフルに使ってスケール感を出していたのが印象的で、怪獣の吐く息が見えていたり、前作に続いて建物内を走る人がいたりするのは芸が細かい。また人間側の対策としては、最初の遠距離攻撃には失敗したものの、琵琶湖まで誘い出して重傷を負わせたのはかなりの健闘であり、ガメラはその成果を引き継ぐ形になっていた。都合のいい展開ではあるが、無駄なことをやっている感じはしない。 一方ドラマ部分についても、困ったものだと思うのはニューギニア住民の描写くらいで(それも怪獣映画としては普通)、言葉づかいに気をつけろと言いたくなる場面も多いが、まあ気楽に見ていられる。悪役は徹底的に悪人で(主人公の義姉が哀れ)子どもの入り込む余地は全くないが、ダイヤを見た婦人自衛官?の反応と、博士の助手の扱いは可笑しかった。  以上、大人の目で見ればそれなりの娯楽映画だとは思うが、ガメラの位置づけが半端なためか、どうも愛着がわいて来ない。映画としてはガメラの方に肩入れしている雰囲気はあるものの、依然として世界中で大暴れしているのでは応援するにも気が引ける。このままでは以前のゴジラと同じであり、次回からはっきり子どもの味方という設定を取り入れたのは、個人的には理解できる。 なおヒロイン役の女優は、申し訳ないが個人的趣味の範囲から外れるため評価できない。キャストでも何でも、これは無条件で好きだ、と思えるものが一つでもあればよかったと思うが(無理に挙げれば怖がりやの村娘)。
[DVD(邦画)] 6点(2013-01-15 22:03:23)
1224.  大怪獣ガメラ 《ネタバレ》 
突っ込み所は多数あるにしても、基本的にはゴジラ(1954)並みの本格的怪獣パニック映画を目指した感じで、大作怪獣映画の雰囲気はある。カメをひっくり返そうとする人間側の発想は自然だと思うが、それをものともせずに回転ジェットでかわす展開や、最後に出たサプライズのZ計画は、公開時に知らずに見ていれば素朴な驚きがあったろうと想像する。また大人と子どものストーリーが同時進行していて、それぞれを担当するヒロイン役が1人ずついるのも豪華といえなくはない。映像面も当時としてはそれなりで、特に東京襲撃の場面で逃げまどう人々の姿を丁寧に描こうとしているのはまともな怪獣映画として評価できる。  しかし、ゴジラが水爆なのにガメラはなぜか原爆というのはスケールダウンに感じられ、なぜか白黒映画なのも時代を遡ったかのようである(どうせあとでさんざん流用するのだから、初めからカラーで撮っておけばよかっただろう)。冷戦が原因で大惨事を引き起こしておきながら「人類愛」で締めようとするのも安っぽい。 また子ども向け映画であれば子どもが出ること自体は変ではないが、この映画を見る限り、後の“子どもの味方”という発想がどこから出て来たのかわからない。東京の悲惨な情景を見てしまえば、少年のいう「カメはみんないい奴ばかり」も説得力皆無であり、幼少時にガメラに親しんだ立場からしても共感するのは難しい。 …ただし、この少年の成長という視点からのレビューが前の方にあったのは真面目に参考になった。なるほどこの映画を単体で見ればそういうことかも知れず、それならガメラ自体の性質がどうあろうと直接関係ないことになる。これは少し反省した。  全体としては正直それほど面白くないが、後世の目から一面的に判断するのは見当違いになる恐れがあり、また少なくともガメラ第一作としての歴史的価値はあるので普通の点数にしておく。なお登場人物(築地の住民)が隅田川を「大川」と言っていたらしいのは自分も少し驚いた。江戸情緒を感じる。
[DVD(邦画)] 5点(2013-01-15 22:03:19)
1225.  妖怪大戦争(2005) 《ネタバレ》 
大映の旧作をベースにしながらも、企画に関わった作家諸氏の作品世界や稲生物怪録などを加えてごたまぜにした感じの映画で、何か仲間うちだけで盛り上がったような印象がある。「手の目」とか「震震」といった、旧作に出ない妖怪が実写化されただけで感動するようなカルト的妖怪ファンがいればともかく、一般人としてはそれだけで乗るわけにもいかない。個人的には「網顔」というのが出れば少し喜んだかも知れないが、今回は採用されなかったらしい。 またストーリーも支離滅裂で圧倒的に面白くない。何が起こっているのかわからない割に変に意味ありげな台詞が入っているが、わからせようという意志も感じられず、小説版をわざわざ読んでみる気にもならない。形の上では泣かせる場面もあったが、真面目に泣かそうとしているようにも見えなかった。ほかキャストは豪華なようだが、砂かけ婆を演じていたのが誰だったのか、エンドロールを見なければわからない映画などあったものかと思う。 ただ、川姫の太腿の魅力に関しては皆さんのいうとおりである。男児ばかり狙うのかは不明だが、一度出会ってしまうと生涯心に棲みつく胸キュンタイプの妖怪らしい。少し客観的にいえば、多くの男子の心の深層に潜む“近所に住んでいた憧れのおねえさん”のようなイメージを外部化した妖怪と解釈できるかも知れない。また父親サービスとして見れば、古きよき昭和特撮映画の伝統に倣っているといえなくもない(ただしエロすぎて不健全)。
[DVD(邦画)] 4点(2012-11-12 22:10:49)(良:1票)
1226.  東海道お化け道中 《ネタバレ》 
いま思えば「ガメラ対大悪獣ギロン」と併映で見たのがこの映画だった。話の筋は忘れていたが、赤く染まる杯、刃物を捨てた場面と枯木の怪は憶えており、子どもにとっては十分怖い映画だった。個人的にはこれが妖怪映画の原点である。 この映画でも妖怪は集団化してしまっているが、場所にまつわる個別の怪異として現われる場面もあり、本来の妖怪談としての味わいが出ていたように思う。また今作でも妖怪は別に人間の味方をしていたわけではなかったようで(そう見えるのはたまたま)、妖怪は怖いものという前提を基本的には崩さない姿勢が感じられた。  それで、ストーリーの方は第一作の雰囲気に戻ってまるきりの時代劇である。画面で見る限り、登場人物は東海道を藤川宿(江戸から37番目)-浜松宿(29)-由比宿(16)-蒲原宿(15)と移動していたが、子役の台詞では掛川(26)の名前も出ており、またDVDの資料によると「八ツ墓山」は岡部(21)にあったらしい。ほか「蛇骨婆」の出身地は袋井(27)とのことだが、出たのは浜松の前なので出張していたと思うしかない。浜松から富士が大きく見えるとか、最初の藤川宿を「駿州」と言うといった考証的な問題もあるが、まあそういうのは大目にみるものだろう。 また古風な人情劇でもあり、特に子役の女の子が健気で、DVDの「索引の巻」十三の題名が「古城門昌美ちゃん名泣き芝居」とか書いてあるのは笑った。主人公の博徒としては、おれも堅気で所帯を持っていたらこんな娘がいたかもな、と思って世話していたのだろうが、最後は惚れて尽くした女にあっさり裏切られたように見えていたのが可笑しい。一時の夢に終わった悲哀感もあるが、まあ親の情をしっかり見せた方の勝ちに終わったのは仕方ないだろう。もう一人の少年もけっこう誠意をもって頑張ったのに報いがない感じで、あとは残った二人だけで親交を深めてもらえればと思う。  ところで「蛇骨婆」の話では東海道の宿場ごとに妖怪の一族がいるということだったが、天地開闢以来そうだったわけはないので、これはもともと全国各地に一定密度で分布していたのが、江戸幕府の五街道整備によって人の流れが活発になり、そっちの世界でも東海道沿いに横の連絡がついたと解釈すればいいのではないか。このへんな生きものは、まだ日本にいるのだろうかと思うが、いるわけないなどと言うと、いる、と言って出てくるかも知れない。
[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:03:36)
1227.  妖怪大戦争(1968) 《ネタバレ》 
前作に比べるといかにも変化球である。鬼太郎のマンガでも西洋妖怪との戦いはあったが(「バックベアード」が変に有名)、日本の妖怪に純粋な和風情緒を求める立場としては、いきなりバビロニア(当時はオスマン帝国領)では興醒めである。またこの映画だけのことではないが、妖怪の集団化というのも実はあまり感心しない。もともと妖怪は固有の場所と条件のもとで出現するものであり、その場から離して単なるキャラクター化してしまっては、怪獣総進撃とかウルトラ兄弟勢揃いとかいう企画と同じように、本来それぞれが主役だったものに対する礼を失する気がする。  そういうことから事前の印象はあまり良くなかったが、実際見てみればけっこう面白いのでまあいいかと思う。妖怪連中はほのぼのしており、特にろくろ首が意外と子どもに優しいのは感動した。なぜか土佐言葉なのも親しみを感じる(「わかっつろうが」でわざわざ検索して調べたが、ちゃんと土佐弁と書いたサイトがあった)。二面女も活躍の場が多く、人間側の清純そのもののお嬢さまと並んで二大ヒロインの趣がある。それから前作は落語だったのが今作は漫才になったようで、なんで伊豆の代官所に上方者が雇われているのかわからないが、妖怪連中のお国言葉が多様なのと合わせて全国規模のスケールをもった映画であることを示していた(のだろうか)。 なお本編を見ていても気づかなかったが、DVDの「索引の巻」三十の題名には大笑いした。  ところで、突然の外敵の襲来に対して人間の統治機構に対応能力がなかったのはともかく、権威ある神仏の力を借りても撃退できず、「神の零落した姿」とか言われる妖怪の活躍を待たなければならなかったのは情けないともいえる。この映画では、当時の怪獣映画のように妖怪が人間の味方のようにも見えているが、本来は人間を脅かす存在であって決して融和的なものではない。しかし、同じく本邦の住民として外敵に立ち向かう姿勢には素朴な郷土意識のようなものが感じられ、これには人間側の登場人物も素直に連帯感を覚えていたらしい。この映画の公開と同年にオリンピックがあったわけだが、この連中も日本が金をとれば喜ぶのだろうか(まだ江戸時代だが)。
[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:54)
1228.  妖怪百物語 《ネタバレ》 
劇中の噺家が初代林家正蔵の晩年と仮定すれば、時は天保年間ということになる。また悪役が覚書を交わした若年寄の「本庄安芸守」は、実在の大名で美濃高富1万石の本庄道貫と名前だけは一致している。堀田豊前守というのはさすがに実在しないだろうが、寺社奉行というからには大名であり、かつ幕政の出世株だったと思われる。  それで映画の内容は、特撮とかいうよりほとんど完全に時代劇である。大人としては、子どもが見る映画にふさわしくない要素が出ると気になるわけで、町娘が悪役の屋敷に奉公に上がる意味は子どもにはわからないだろうが、実際の屋敷の場面で少々微妙なところがあって(人払いしたように見えた直後に場面転換)、これは本当に手篭めにされてしまったのではないかと一瞬心配になった。しかし危ういところでちゃんと助けが入ったのは、予定通りなのだがホッとした。子ども向けの妖怪映画でそんなことを心配している自分が馬鹿みたいである。そのほか長屋のお仙(坪内ミキ子氏)が、主人公の男に寄せる想いを表情に出していたのがちょっと見どころかと思う。  一方、妖怪映画としては大人が見るとほとんど怖くなく、百物語で始まったはずがなぜか最後は百鬼夜行になり、一度に大勢出るのでユーモラスで賑やかな印象が強くなっている。ただ置いてけ堀の話は、ちゃんと和風情緒ただよう怪談としてまとまっており、もとの本所七不思議の話より怖くなっていた。また“再度の怪”に脅かされた男が、口に出してしまったら同じことが起こる、と考えていたのも面白く、伝統的な感覚を生かした正統派の妖怪映画という面を持っているのは間違いない。 それから、最後に悪人が滅ぶ勧善懲悪的なストーリーではあるが、寺社奉行を大目付組下の武士が摘発し、町人の方を妖怪が制裁したのが連携プレーではなく全く別行動だったというのは、人間と妖怪に慣れ合いなどない、という基本線を守ろうとしていたように感じられた。  なお劇中の噺家の語り口は本格的で興味深いが(本物なので当然)、この人の「言い伝えというものはそれだけの謂れがあって…」という台詞は、現代ではもう聞くことのできない名言と思う。俗信などあまり気にしてもキリがないわけだが、それでも無視して後悔するよりは、とりあえず従っておいた方が無難、という程度の感覚は持っていてもいい。
[DVD(邦画)] 6点(2012-11-12 22:02:11)(良:1票)
1229.  猫の恩返し 《ネタバレ》 
ジブリアニメとして期待すると落胆するというのはその通りだが、それ以前の問題として、ここまで原作を崩す必要がどこにあるのかわからない。舞台設定とかストーリー構成は原作の方がはるかにしっかりしている(けっこう泣かせる話だ)が、映画では猫の国の性質があいまいな一方、「自分の時間を生きる」という意味不明な概念が半端に出ていたりして、何がいいたいのかわからなくなっている。 しかし、そんな問題点などどうでもいいと思わせるのが主人公の存在である。普段のふるまいは のほほんとして可笑しく、ビジュアル的にも十分カワイイと思うが、特に猫になりかけの顔に萌えてしまって、個人的には日本アニメのベストヒロインに認定したくなる。問題は状況に振り回されやすいことだろうが、そこは町田君など比較にならないほど大人で知的でクールな紳士が適切にリードしてくれたことで、各種トラブルもふわりと乗り越えた感じだった。 それで、この事件を通じて主人公も何か変わったはずなのだが、どこが変わったのか正直よくわからない。ただ髪は短くしたようだし(美少女に対抗するのをやめたか)、とりあえず子どもの頃のように自然体で、自分の思うように生きていけばいいかもという感じである。別にシングルマザーを奨励するわけではないが、やはり母親の姿がひとつの見本なのだろう。ラストにかぶさるテーマ曲も軽快で、ああよかったねと気持ちよく終わるアニメだった。 ところで余計な話だが、ジッキンゲンというのはドイツに実際にいた貴族(男爵)の家系で(ただし綴りはSickingen)、一族の中では16世紀はじめに大活躍した帝国騎士フランツ・フォン・ジッキンゲンという人が有名らしいが、バロンのイメージモデルにしては少し粗暴な感じなのが残念である。
[DVD(邦画)] 8点(2012-10-15 19:34:38)(良:1票)
1230.  ラッキー・ガール 《ネタバレ》 
見ていてひっかかるところもなく軽快でほのぼのして楽しい。ヒロインは一応大人の女性なのだろうが、キャリアウーマンにしては可愛くていい感じだし、その友達も、下手すると不幸に巻き込まれそうなのにあくまで優しいのはうれしくなる。成功者への対抗心が感じられないのは自分の可能性を信じているからだろう。ラストはハッピーエンドとわかっていても一応ハラハラさせておいて、その後のコンサートで盛り上がるのは素直に気分がいい。 それで最後は“愛とは与えあうもの”ということになったのか、運不運をぐちゃぐちゃに混ぜてしまって余った分をおすそ分け?したらしい。これで多分2人とも普通の男女になったのだろうから、あとはツイてる時もあればそうでない時もあるし、いいことをすれば果報もある。その上でヒロインの友達と同じように、いつも前向きでさえいれば幸運をつかむチャンスもあるという、そんな おはなしなのかなと思った。普通にしあわせそうな2人で大変結構でした。Good Luck.
[DVD(字幕)] 6点(2012-10-15 19:27:30)(良:1票)
1231.  金星人地球を征服 《ネタバレ》 
 一つ前のレビューに微妙に心打たれてしまったので、おれもこういう見方ができないだろうか、と思って見直してみたが、初回の印象と同じだった。やはり自分は自分と思うしかない。 それで中身については、要は金星ガニの映画なわけだが、見てまず驚いたのは真面目な映画だったということである。劇中人物が夫婦愛について真剣に語るのは感心してしまったが、しかし主役と軍隊以外が全員死亡というのは何とも殺伐として救いがない。わが国では宇宙人が倒されると、操られていた人々が一斉に元に戻ってよかったね、というのが普通なのに、この映画では洗脳された人間はもう殺すしかないらしく、これには昭和特撮の優しさをあらためて感じた…というか日本の特撮は子ども向けだからだろうが。 ところで、この映画では洗脳で人間の感情を失わせることを問題視していたが、本当に問題なのは教育や宣伝で人間の感情を一方向に誘導することの方だろう。そもそも民主主義にとっては、感情というより自立した理性と意志の方が重要ではないのか(建前だが)。そういうことを考えているようにも見えず、何か平気で教宣活動をやっているようなのは天然なのか特に理由があるのかわからないが、とにかく力んだような外見の割には少しずれた感じのする映画だった。 しかし、そういう変な社会性とは無関係に、羽目を外さない程度の笑いが映画の印象を和らげており、特に洗脳されたはずの将軍が脱力系のジョークを言っていたのは笑った。これのどこが感情を失った人間なのか。また牛はダメだがニワトリは黙認というのもわけがわからず失笑してしまう。そのほか、最初のロケット打上げの映像が大昔の映画にしては斬新で、これは率直にほめていいと思う。
[DVD(字幕)] 4点(2012-10-15 19:09:40)(良:1票)
1232.  となり町戦争 《ネタバレ》 
原作既読だが、主演女優が目的で映画を見た。この映画には出てほしくなかったという思いが残るものの、とりあえずこの人のために2点つけておく。 内容については、最後が真面目な感じで終わったことから、基本的には真面目なことを語ろうとした映画だと想像するが、実態としてはドタバタばかり見せられて呆れ返る。役場が原作でいう“バカドモ”扱いなのは世間の常識通りとしても、ヒロインにまでコントの役を振るのでは真面目に見る気が早々に失せる。 もともと原作も完璧とは思えないが、それでもこの社会のありように対する作者の思いは確かに感じられた。しかし映画ではそれが全部抜け落ちて、その跡を空々しいセリフと取ってつけたようなBGMで埋めてあり、登場人物が真面目な顔で語るほど鼻で笑いたくなる。大変残念な映画化と思う。 [2012-09-02変更] 配点を変更し、主演女優のために2点、それ以外を-2点とする。
[DVD(邦画)] 0点(2012-09-02 19:55:00)(良:1票)
1233.  生きない(1998) 《ネタバレ》 
最後の笑いの解釈にもよるのだろうが、何を意図した映画なのかは結局わからなかった。劇中で女子大生が言っていたことはまさに正論で、この人物でこの年齢ならそれで十分なわけだが、こういうのを叩きのめすのが目的だとすれば大人気ない。生きることの意味、存在の意味に疑念を抱く立場との間で相対化するなら納得できるとしても、ラストは結局後者のみを支持しているように見え、それなら一人で勝手にやれよと言いたくなる。あるいは単に破滅願望を満足させたいだけのようでもあり、それも世間的には一定のニーズがあるだろうが、他人を巻き込まなければ気が済まないというなら個人的には全否定する。 それから、世の中普通にしていても交通事故に遭わない人間の方が圧倒的に多いわけで、都合よく一度に全員死亡などというのは作為しか感じられず、TVの短編ドラマ並みの安易さである。これではとても世の無常などには考えが及ばず、死人の山ができて大喝采というようにしか受け取れない。シリアスな話でこれはないだろうと思うが、それとも最初からこの映画はブラックコメディだったのか? 何にせよ意図がよくわからない映画である。 以上、もしかすると優れた映画なのかも知れない(そのように取る人がいるのもわかる)が、クソ映画の懸念も払拭されないので念のため低評価にしておく。舞台版というのはまた違うのかどうか。 なお女子大生、及びその他の脇役の面々は好印象だった。映像面も音楽も悪くない。
[DVD(邦画)] 2点(2012-09-02 19:52:38)
1234.  ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない 《ネタバレ》 
笑って泣ける娯楽映画である。題名の「ブラック会社」というのは社長の言動で匂わされる程度で、実際にはどこの組織にもあることを誇張しただけのように思えるが、これは他のレビュアーも書かれているように、若い連中が自分の職場実態を大げさに語って笑い合っているような感覚だと思えばいいのだろう。ちなみに2chの当該スレッド(まとめサイト)に登場する会社は、映画よりさらにまともに感じられる。 それより自分としては、七五三と言われる若年者の離職率との関係の方が強く感じられた。病気になるほど合わない職場だとか、中の人間を腐らせるような本当のブラック企業でもない限り、少々きつくてもとりあえず今いる場所で頑張ってみろと言いたいわけで、いずれ転職するにしてもキャリアの有無が重要なのは劇中に出ているとおりである。それまでは、その場その場で自分なりの限界突破を重ねていくのが職業生活だろうし、それがちゃんと描かれているのはこの映画のいいところである。 ほかにも雇用関連の各種要素が盛り込まれているようだが、ただし主人公が高校中退で10年くらいも社会経験がないという設定では、本人がコミュニケーションスキルの問題を免れないのでさすがに無理がある。大学中退で数年のひきこもり体験という程度でも筋書きに支障ないのではと思うが、まあネット由来のストーリーに注文付けても仕方ないだろう。 なお余談として、「中西さん」役の女優は容姿端麗でいい感じだが、劇中人物としてはけっこう天然で微笑ましい。こういう人はプレッシャーを素通しにして、毎日が限界のような業界でもけっこう務まるかも知れないと思わせる。
[DVD(邦画)] 7点(2012-08-05 20:14:36)(良:1票)
1235.  宇宙大怪獣ドゴラ 《ネタバレ》 
むかしTV放送で見た時には、怪獣の姿がまともに出ないまま終わったので非常に落胆した。ポスターなどに出ているのはデザイン画の状態であって、撮影用の造形物は単純化されている(特に頂部の突起3本がないのは残念)が、それさえ映画ではろくに見えない。せめて発光するなら見栄えがしただろうが、成体は水中で動かす関係で無理だったか。  ただ、映像特典で特撮の中野昭慶氏が語るには「重力に反した怪獣」にしたかったとのことで、そういえばこれ以前に重力無視で浮いている怪獣というのは存在しない。飛ぶ怪獣は翼・飛膜・翅を使っており、この映画と同年のキングギドラも一応大きな翼がついている。空飛ぶ円盤が未知の科学力で飛ぶのは別として、生物でも怪獣なら重力無視で可という風潮の発端はこの映画だったようで、これは大変勉強になった。 また映像面では北九州市の風景が珍しく、洞海湾の周囲に広がる街の上空にクラゲが漂うような映像は印象的である。ぜひ北九州市の“市の怪獣”として制定してほしい。  ところで本編では、刑事、博士と調査官のやりとりが面白い。特に調査官は予告編でも「変な外人」とキャプションがついており、当時としても相当可笑しいキャラクターだったと思われる。防衛司令も真面目な顔を崩さないがコミカルな演出に貢献していた。これが事実上、この映画の最大の魅力と思う。  なおこの怪獣は「宇宙細胞」が放射能のせいで変化したことになっているらしく、初代ゴジラから10年も経って放射能ネタをどこまで引きずるかと思うが、ラストで博士が「宇宙細胞の平和利用」と言っていたのには笑った(少々意図不明だが笑うところなのだろう)。発電に使うつもりに違いない。核の脅威など感じさせない明るい雰囲気で終わり、刑事と秘書はこれから二人でお幸せに(多分)という感じだった。
[DVD(邦画)] 6点(2012-06-23 21:25:58)
1236.  サヨナラ COLOR 《ネタバレ》 
監督兼主演には何の思い入れもなく、主演女優が目的で見た。昔あこがれたマドンナが、今は普通に世間ずれした顔の大人の女性になっているのだが、心を開けば昔のままの(劇中人物というより主演女優の)笑顔がよみがえるというのがいい。筆談の場面は自分のことのように嬉しかった。  ところで、愛する者に生命を捧げるというのは本来泣ける話のはずだが、この映画の主人公が複数の女性を周囲に配した上、一番いいと思ったのだけに特別にこだわっているのは傍から見ると嫌味である。また自分の生命をヒロインに気前よく与えるならともかく、死んだ後まで出てきて恩着せがましく自己アピールし、一生かけて代償を払わせるつもりなのは自己犠牲どころか自分本位で、こうなるともうヒロインにとって本当によかったのかどうかわからない。別の医者にかかっても助かったのではないのか(執刀したのは中島みゆき先生だし)。これほど主人公のしつこさを徹底しなくても感動的な映画にはできたはずだが、そこを譲らないのが監督の自己満足映画ということか。 ただ、それでこの映画が気に入らないかというとそれほどでもなく、しょうがない奴だと笑って済ませるような感覚である。劇中にも出てきていたが、みんな笑って許しあえる同窓会のような雰囲気があり、本人が瀕死の白鳥のなりきりをやっていたのも、バカな奴が余興をやってみせたような印象だった。手放しでほめる気にはならないが、何か憎めないところがあるというのは認めざるを得ない。  なお編集で落とされた映像も含めて、この映画は海の風景に開放感がある。人が死んだら海の向こうに行くともいうが(自分の地元では山に行くが)、この映画は現世と来世の接点で展開したストーリーだったということか。本来この映画で提示するはずだった死生観のようなものがきちんと前面に出ていれば、主人公の身勝手な印象も少し薄められていたかも知れない。
[DVD(邦画)] 6点(2012-06-23 21:24:58)
1237.  宇宙水爆戦 《ネタバレ》 
 原題を直訳すると「この島 地球」としかいいようがないと思うが、少し意訳すると「宇宙の孤島、それが地球」というような感じでいいだろうか。内容的には、高名なメタルーナ・ミュータントが実は頭悪そうだとか、宇宙の場面が出るのが遅いとかいう不満はあるが、基本的には真面目に作ってあるので好印象である。  ところで、この映画を見て驚いたことが二つある。 一つは(些細なことだが)夕食の場面で、女性の研究者が「モーツァルトは美しいですわ」(字幕)と言っていたのがフィンランド語だったことである。なんで1955年公開のアメリカの特撮映画に突然フィンランド人が???と、ここで一瞬目が点になった。そのあとドイツ人の博士がドイツ語でしゃべっていたので、フィンランド人がフィンランド語でしゃべるのも不思議はないだろうが、そもそも劇中ではフィンランド人という説明も何もなかったようなので、ほとんどの観客は何語だったか知らないまま一生を終えるだろう。逆にフィンランドでこの映画が公開された際(米公開と同年)には、地元民も目が点になったのではないか。アメリカ人も妙な遊び心があるものだと思う。  もう一つは、敵の攻撃を受けているメタルーナ星が、遊星爆弾で攻撃されるガミラスのように見えたことである。さらに敵の本拠地はもと彗星だったという話まで出ていた。わが国の誇るSF風アニメの元ネタ(パクリネタ)がこんな所にあったということで、これは本当に驚いたが、それをいえばメタルーナ・ミュータントのデザインも、後に「ウルトラマンタロウ」の宇宙人にパクられている。日本としてもイマジネーションの源泉をこの映画に多く求めているようで、やはりこれは特撮の古典的名作だと思うしかない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-06-12 22:07:28)
1238.  ナースコール 《ネタバレ》 
タイトルからして通俗的な印象だが、「わたしたちは天使じゃない」などというキャッチコピーを見ても、今どきそんなこと初めから誰も思ってないだろうと脱力感を覚える。ストーリーはとりあえずキャッチコピーの通りに展開し、やがてモンスター患者が出てきてさんざん駄々をこねるが見ていて同情心がわかず、思わず他の入院患者の立場になって、看護婦さん方も人間なのだから自分だけの守護天使を求めるな、と突き放したくなる。  最後の場面はまたいかにも安易な感じのエピソードで、実際こんなことは病院内ではありえないだろうし、また心をこめたメッセージのように見えても、どうせ担当看護師がどうすれば格好付くかだけ考えて適当にこなした仕事だろう、という皮肉な感情がわく。 しかし、そうは思いながら不覚にも、もし自分が入院患者の立場でこれをやられたら、この時ばかりは目の前の看護師が天使に見えるかも知れない、と思えた。天使は、われわれ一人ひとりのことを(いつもではないが)ちゃんと見ていてくれるらしい。そう思うと、もうこの映画を悪くいえなくなってしまった。個人的にこういうのに弱いようだ。  なおこの映画の脚本家は看護師の経験者ということで、病院での勤務実態の描写のほか、ベテランが新米とは別の陥穽にはまるといったあたりも現実的なのだろう。コメディ要素もあるが控え目で、全体として極めて真面目な映画である。
[DVD(邦画)] 8点(2012-06-02 09:57:01)
1239.  宇宙ショーへようこそ 《ネタバレ》 
宇宙旅行の目的地だったイヌの惑星は、りょうけん座(猟犬座)のM51銀河にあったらしい。けっこう遠いので驚いてしまうが、複数の銀河を含む広大な文明世界の中で、地球が辺境の惑星として知られているというのはかなりの知名度である。  内容的には、宇宙生物や小物の設定などに力が入っているのはわかるが、全体的にはどこかで見たような要素の組み合わせという印象で、大作の割にはセンス・オブ・ワンダー不足という気がした。また宇宙人側の背景事情が細切れでほとんどわけがわからず、力みすぎて破綻したようにも見えていたが、それでもまあ普通に面白い冒険ファンタジーだと思う。 銀河系外に出るような大冒険でも、子どもらにとっては夏の体験の一部に過ぎず(合宿の枠内にちゃんと収まっていた)、その後も普通に夏休みが続いていたらしいのが変というか微笑ましいのだが、5人それぞれに何か心境の変化はあったものと思う。特に最年長の少年は、大人の期待に応えようとするあまり狭い責任論ばかり語って情けなかったのだが、今回はみんなの力を借りて、あえて困難に立ち向かう体験をしたのはよかった。 また映像面では、朝陽の射すわさび田の風景と、彩度を抑えたイヌの都市の景観が印象的だった。  なお後半で敵役の登場人物が、拉致した人々を強制労働させて「弱い者を救うことこそ、宇宙の未来だ」と言ったのに対し、味方の登場人物が「自分の力で生きることが真の未来だ」と反論していたのは、“国民に雇用をあてがう大きな政府など不要”と言っているように聞こえて、これが新自由主義とグローバル化の時代の教育的観点なのかと苦笑してしまった。個人的には政府部門の役割はなお重要だと思うが。
[DVD(邦画)] 6点(2012-05-09 23:18:44)(良:1票)
1240.  フロントライン 戦略特殊部隊 《ネタバレ》 
第二次世界大戦中で、フィンランド史上の「継続戦争」(1941.6-1944.9)の開戦直後の話である。原題は「ルカヤルヴィの道」で、劇中の師団が攻略予定だった村(及び湖)の名前が題名になっているが、ストーリーは師団が駐屯していたレポラの付近で展開しており、ルカヤルヴィそのものは出て来ない。ただし史実ではその後(1941.9.17)実際に師団がルカヤルヴィを占領しており、この映画はそこに至る過程の一エピソードを描いたものということになる。ラストで主人公の分隊は半減以下になってしまい、残った人々も疲れ切った顔をしていたが、まだ戦争は始まったばかりである。  ところで冒頭に「皆、冬戦争(注:1939.11-1940.3)でソ連に奪われた領土を取り返すのだという、強い決意に満ちていた」との説明があったが、前回の戦争で奪われたのは主に南方のカレリア地峡とラドガ湖北岸であり、この映画の場所は実はそうではない。師団のいたレポラ地区と隣接のポラヤルヴィ地区だけは以前にフィン=ソ間の係争地だった経過があるものの、それ以外の東カレリア(ルカヤルヴィを含む)は歴史的にロシアの版図に属しており、あくまで独ソ戦開始直後の勢いに便乗して攻め込んだだけの場所である。その後は敗戦により当然のようにソ連に奪還されたわけで、もしかすると従軍した人々にとっても結果的に徒労感の大きかった戦場なのではないかと想像する。  ただソ連領とはいえ、主に住んでいるのはフィンランド人と同系のカレリア人である。分隊の目的地はいかにも狩猟・漁労で生計を立てているような貧しげな村だったが、かつてエリアス・レンロートが民族叙事詩「カレヴァラ」の材料となる民族詩を採集して回ったのもこのような場所だったのではないかと思わせるものがあった。いわばフィンランド人の心の故郷ともいえる場所だったはずなので、この点は他人事ながら一応弁明しておく。  それで映画の内容は、主人公とその恋人が上記のような戦線へ出たばかりに、微妙に悲惨で何ともやるせない境遇に陥ってしまった、という話である。戦争の行方を左右するエリート部隊の活躍を描く、というような戦争映画では全くなく、戦争に翻弄される個人の運命、という感じの人間ドラマなのだが、そういう映画にこういう邦題をつけて売るのは看板の偽りも甚だしい。しかし、そうしなければ邦訳付きのDVDが国内で見られなかったのだろうから、まあ仕方ない。
[DVD(吹替)] 8点(2012-05-09 23:10:14)
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