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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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121.  蜂女の実験室 《ネタバレ》 
蜂女といえば、わが国では「仮面ライダー」シリーズのキャラクターとして記憶されていてファンもまだ一定数いるだろうが(多分)、それよりこの映画に出たのが人類史上初の蜂女である(多分)。しかし映画としては前年の「蝿男の恐怖」(1958)の二番煎じ的な感じもあり、その後の「蛇女の脅怖」(1966)などと比べても地味ではある。 話としては、社長本人の美貌を売りにしてきた化粧品会社が、社長の容色の衰えとともに業績が落ちて来たため、変な研究者の推すローヤルゼリーのようなものを使って見た目の若返りを図ったが、そのせいで社長が蜂女になってしまって大変だ、というだけの映画である。蜂女の登場場面はそれほどショッキングでもなく、そもそも黒いのでよく見えない。 発想の原点になったローヤルゼリーというものは今もあるだろうが、この映画の直前の1958年にあった出来事で世界的に有名になったようで、後の1966年には日本のTV番組「ウルトラQ」第8話「甘い蜜の恐怖」でも元ネタとして使われていた。この映画ではミツバチではなくスズメバチを使ったのがまずかったことになっているので、通常のローヤルゼリーを悪者にしているわけではない。  登場人物では、美貌の社長は薬を使う前後で容姿にちゃんと差を出していたが、主演の人はこの時点で32歳くらいのようで、会社創業時の若い頃と劇中時点の中間あたりということになる。また電話口で社名を言うのが主な仕事の?爪とぎ女が、「フラットブッシュ区(ブルックリン区の一部)のオランダ系」と言われていたのはニュアンスがわからないが、17世紀にオランダ人がニューヨークに入植した際の移民の子孫ということではあったらしい。ほか個人的には主要人物の社長秘書が愛嬌のある顔でけっこう好きだ。なお劇中研究者が入院した病院の医師役は監督本人とのことで、けっこう見た目のいい男だったのは意外だった。 ちなみに映画自体に関係ないが、今回見たネット配信サービスの字幕には誤記が多い。「それならもっと強力なローヤルゼリーま?」といったあからさまなものは呆れるしかないが、「世紀の発見をお見せてきますよ」などという微妙なのもある。漢字の字体が変なのがまたいかにもという感じだが、文章自体はまともなので、日本人が作った字幕の映像をもとにしてテキスト化を外注したようでもある。世界企業なわけだが日本人が見てチェックする体制がないということか。
[インターネット(字幕)] 4点(2022-08-20 19:27:49)
122.  4/猫 ねこぶんのよん 《ネタバレ》 
「一匹の猫が住みつく、とある駅を利用する市井の人を描く」という条件で若手監督4人が作ったオムニバスである。製作は「埼玉県/SKIPシティ 彩の国ビジュアルプラザ」とのことで、前に見た「埼玉家族」(2013)と同様の埼玉映画ということになる。なお「とある駅」とは明らかに西武秩父駅であって、撮影場所も秩父が多かったように見える。 登場する「駅猫」は同時期の映画「猫なんかよんでもこない。」(2015)に出演したのと同じネコとのことだが、結果的にネコ成分は薄いので、ネコ映画としては期待しない方がいい。  【ねこぶんのいち/猫まんま】 突然終わるので困惑する。ここで思い切りよく清算して決別したというだけでは単純なので、次の展開に向けて仕切り直しと仕込みをしたのかと思ったがそうでもなかったか。木南晴夏という人がかなりいい感じに見える。 【ねこぶんのに/ひかりと嘘のはなし】 意味不明で終わってしまう。変な男と話が通じた(物語を一緒に作った)体験をもとにして、自分の人間関係を主体的に構築していく気になった、と思えなくもなかったがそれでわかった気もしない。柴田杏花さんはこの少し前から役者として出ていた人だが、この映画では“いいこと思いついた!”の顔がよかった。ネコは後姿がよかった。 【ねこぶんのさん/一円の神様】 制作目的が不明瞭な終わり方だが、要は母の愛が信じられれば子は育つということ自体を表現したのかも知れない。終盤で母親が逃げるのは、同じ監督の「口裂け女VSカシマさん」(2016)を思わせたが関係ないか。役者としては山田キヌヲ+栞那(かんな、子役)のペアで見せているが、朝倉あきさんはあまり顔の見えない役で残念だった。 【ねこぶんのよん/ホテル菜の花】 結末がありきたりに見える。夫の考えはそれ自体として間違っておらず、「可哀想」とは確かに言い過ぎだが、しかし別にこの映画として正しい結論を決めていたわけでもなく、夫婦が真剣に悩んで納得したことの方が重要だったと思っていいか。ちなみにどうでもいいことだが夫は埼玉りそな銀行にでも勤めているのかと思った(根拠なし)。  時間は全部同じくらいなのでそれぞれ1/4ではある。理解困難なものが多いが雰囲気は悪くない。最終話だけそれらしい結末をつけたのは全体構成上の意図かも知れないが、個人的には菜の花畑の演出が過剰に見えて、前の3つが投げっ放しだったことの方がかえって清々しく感じられた。
[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:04)
123.  こねこ 《ネタバレ》 
ネコだらけの映画である。主人公ネコの子猫らしい動きに和まされ、うちの♂♀もこんなだったかと思い出す。子猫の時期などほんの一瞬なわけだが、しかしそれなりに年を経てもなおその存在自体に愛嬌を感じさせるのがネコというものである。ラストの哀愁漂う場面で、下のネコが上のネコにネコパンチをくらわせていたのは笑った。 劇中時期は12月で、積雪はそれほどないようだが寒さは相当のものだろうと思われる。飼いネコでも昔は家を自由に出入りさせていたのは日本だけではなかったようで、行方不明のネコを呼んで歩くとか張り紙を貼るとかいう行動様式は、日本でいえば「うちのタマ知りませんか」という言葉を思い出す。 劇中ネコが街の人々に厚遇されていたのはネコ映画なので当然としても、やはりネコを愛する人々はどこにでもいるという気にはさせられる。満ち足りた一家でも孤独な男の家でも、それぞれにネコが人の心を和ませるからこそ、ネズミ退治の役目を超えてネコが世界で必要とされているわけである。人がネコ(や犬その他)に対して優しい気持ちを持てるようにするためにも、まずは人間社会の平和が保たれていなければと思わされる。 ネコ以外で特徴的なこととして、クラシカルな背景音楽が流れていると思ったら劇中音楽だったという場面が多かった。夫は音楽家で妻は設計士だったらしい。  ほか人間社会のことに関して、ペルシャ猫につけた「10万」という値段は、たまたま持っていた紙幣2枚で済んだのをみるとそれほど高額でもなかったと思われる。この頃は急激なインフレが起きていたとのことで、1998年には1/1000のデノミが行われている。 また夜に街灯が消えるという父親の発言が否定されていたのは意味不明だったが、これも時代の変化を表現したエピソードだったのか。昔はどうだったか知らないが、現代の大都会では深夜も明かりが絶えることがなく、日頃から早く寝ろと言われている子どもらもちゃんとそれを知っていたというのは、どちらかというと社会の自由化や解放感の表現かも知れない。今の世の中何が起こるかわからないという台詞(字幕)もあったが、世界が変わっていくのは当然として、できればいい方へ変わってもらいたいわけだがそうとも限らない。
[DVD(字幕)] 6点(2022-08-06 09:41:02)
124.  亡霊怪猫屋敷 《ネタバレ》 
ホラー映画というよりは、予告編に書いてある「怪談映画」がふさわしい。個人的感覚としてはそれほど怖いところはなく、ネコもそれほど邪悪な感じではなく、気楽に見られる大衆娯楽映画になっている。 劇中年代としては昭和30年代と20年代、さらに江戸時代(17世紀初めか)の三段階で、時間を遡ってからまた帰って来る。江戸時代がカラーなのは意外感もあったが、ここからがメインの物語だという雰囲気も出していた。現代部分も単純な白黒ではなく、青みをかけた深みのある色調なのがいい。  江戸時代パートは有名な鍋島化け猫騒動をもとにしていたようで、大村藩(実在の藩名)という設定は場所が若干ずれているが、殺された若侍の「竜胆寺」という家名はそれらしさを出している。囲碁の勝負で喧嘩するなどは大人気なく、また飼いネコに向かって末代まで祟れと言い聞かすのは荷が重そうで無理があると思った(そもそも人の話を聞いていたように見えない)が、これは原話からしてこういうものだったらしい。なお壁の死体は有名なエドガー・アラン・ポーだった。 悪役の家老が好色なのはお決まりの設定だろうが、若い腰元はともかく若侍の母親(眉を剃ってお歯黒をつけている)から手籠めにしたのは意外感があった。凌辱場面では刺激的な描写を避けていたようだが、帯を解いて着物を脱がすという定番の展開を別の場面で見せていたのは代替措置のようなものか(?)。化け猫の犠牲者が曲芸のような動きをさせられていたのが目についた。 伝統怪談の部分は当然救いのない感じで終わったが、現代に戻ってまた新たな展開があり、終盤は一気に文明世界の話に戻ったようでほっとさせられる。最後の最後にまた新手のネコが出現したのも悪くない。ちなみに悪気のなさそうな看護師の人がやられ役にならなかったのもよかった。  以下は個人的感想として、300年にもわたる呪い疲れでもうネコも人も成仏を望んでいたところ、子孫が来た機会にやっと供養してもらえて感謝したのではないか。最初のうちは、わざわざこんな屋敷に来て療養するなど意味不明と思っていたが、終わってみればちゃんと療養の効果が上がったらしいのは「猫の恩返し」だったのかも知れない。最終的にはネコ嫌いの人もネコ好きになる映画で大変結構だった。
[DVD(邦画)] 6点(2022-08-06 09:41:00)
125.  犬鳴村 《ネタバレ》 
地元PRに使えるネタではないはずだが、現地の自治体が実名を出して特別協力していたのはかなり驚いた。県警名と車のナンバーも実在であるのに電力会社だけ架空になっているが、ちなみに現実の犬鳴ダムは県営である。 ストーリーはかなり説明不足に見えるので、欠落部分を勝手に補うと次のようになる。 ***** 村人は昔から周辺住民に忌避され恐れられてきたと想像される。ダム建設なら金と脅しで立ち退かせれば済むはずが、皆殺しにまで至ったのは会社の意向というよりも、この機会に忌まわしいものを一掃したい、という周辺住民の集団意志があったからではないか。その先頭に立った旧家に主人公の母が嫁に来たのは、憎むべき家系の廃滅または乗っ取りの意図が背後にあったと思われる。また今回の事件がきっかけで、それまで知らぬふりをしていた周辺住民も、まるで全てが旧家のせいだったかのように責任転嫁を始めたようだった。 事件のあと、旧家は家庭崩壊を免れたようでもあったが、しかし村人の子孫は確実に社会に紛れ込んでおり、その異能はやがて周辺住民の脅威になっていく恐れもある。そうするとダム建設時の虐殺も、社会の多数派たる周辺住民にとっては一理あったことになるか。あるいは大した脅威でもなかったものを、脅威のように言い立てて差別し迫害した多数派への復讐が始まるということかも知れない。 ***** 家単位で見ると憑物筋の特徴も出ていたようだが、村単位ではネット発祥の怪談「コトリバコ」や、欧州でのポグロム(イェドヴァブネ事件など)を連想させられた。ちなみに実在した犬鳴谷村はこれとは全く違うものであり、上記はこの映画限りでの解釈である。 個別の場面としては、若年女子が股間を黄色くして歩くのが衝撃的だった。白い服に映る映像を振り払おうとする演出も悪くなかったが、終盤のトンネル内の揉め事は早く終わらせろと言いたくなった。なおラストのトンネル映像が本物だったとすれば、ここが一番怖かった。  人物関係では、三吉彩花嬢は長身で美形の医師かと思ったら臨床心理士だそうで、女性っぽさは抑えていたがすらりとした姿には終始見とれていた。ちなみに劇中の子役はこの人の子役時代とは似ていない。また村娘役の宮野陽名という人は撮影当時まだ中学3年生だったとのことで、若いのにプロ根性があるようなのは感心した。ほか突撃バカ役の大谷凜香という人は、「ミスミソウ」(2017)でも悪役だったが今回またひどい役だったので、今後もどうか頑張って演技者として大成してもらいたい。逆さになった一瞬の表情は輝いていた。 [2022/7/23変更] 突っ込みどころの多い映画だが、「牛首村」までのシリーズ3作の中では最も総合的なエンタメホラーになっていて悪くないと思ったので点数を+1にしておく。エンディングの空撮とテーマ曲が心に残る。
[インターネット(邦画)] 6点(2022-07-23 09:49:17)(良:2票)
126.  牛首村 《ネタバレ》 
「恐怖の村シリーズ第3弾」である。 今回は「坪野鉱泉」と「牛首トンネル」という2つの心霊スポットを取り上げているが、題名のとおり牛首関係の方が中心で、廃ホテルとはエレベータなど“落ちる”場面で本筋とのつながりをつけている。「村」に関しては実在の地区名があるようだが(江戸時代は牛首村)、八坂神社(祇園社)の祭神である牛頭天王に由来するのであれば別に呪われた地名などではない。ほかに牛首つながりとしては“そんな怖い話は誰も聞いたことがない”という「牛の首」説話とか、予言獣「件」(くだん)とかいうネタを出しており、また「七つまでは神のうち」など各種要素を積極的に(やたらに)取り込んでいるのが特徴的ともいえる。 この映画に何かまともなテーマがあるとすれば牛というより双子に関することのようで、昔あった「畜生腹」という言葉と、具体的な動物としての牛を無理やり結び付けた形かと思われる。現代日本で双子を忌み嫌う風潮などはさすがにないだろうが、それでも多胎児家庭は虐待リスクが高まるため支援が必要という声もあり、また世界的にはなぜか多胎児の多い地域があるようで(食物の関係?)、それが人権問題につながっている場所や時代もあったのかも知れないが、そういう社会的な問題提起のようなものがこんな映画に込められているわけもなかろうという気はする。 以上に関して無理にいえば、関連性の曖昧な各種要素を逐次投入して観客を眩惑させておき、最終的に真のテーマに導く意図だったと取れなくもないが、単にまとまりがないだけのようでもある。さらに今回は邦画ホラーらしい怖さも特になく、適度にふざけた部分もないので真面目に見えるが面白味がない、というのが素直な感想だった。  ほか今回は地元PRにも気を使っていたようで、Aクラスの蜃気楼が出た時は実際に魚津市役所がアナウンスするとの噂もある。映像面では魚津駅の大雨が印象的だった。 登場人物に関しては、芋生悠という人が全く可愛くない役だったのは残念だ(本人がよければいいが)。またレギュラー化した突撃ユーチューバーが「オカルト特集第3弾!」と言っていたので、この人が犬鳴村と樹海村から無事に生還できた世界での話かも知れない。せっかくなので、この人のYouTubeチャンネル「アッキーナTV」で定番だった「ハロー!アイムアッキーナ!世界の皆さんこんにちは〜!ども、アキナです!」をフルバージョンでやってもらいたかったがそうでもなかった。同行のミツキちゃん(演・莉子)も愛嬌があって可愛いので、次の機会にまた生き返って出てもらうのもいい。
[インターネット(邦画)] 5点(2022-07-23 09:44:01)(良:2票)
127.  風鳴村 《ネタバレ》 
原題は“風車の大虐殺”だろうが、日本国内向けには邦画ホラーの「恐怖の村シリーズ」を思わせる題名とイメージ画像(顔付き)を作っている。内容としては観光バスツアーに参加した客が殺人鬼に順次惨殺されていく展開になるが、見るからに作り物なので嫌悪を催すほどの残虐さは感じない。腹部から出た腸を胸部に戻そうとするなと劇中の外科医には言いたくなった。 オランダ映画ながら登場人物は外国人ばかりで台詞は英語だが(一部は日本語)、一応オランダらしく風車小屋が出て来て、そこへ行くまでの干拓地の風景も見られるのは有意義だ(チューリップは出ない)。水路沿いに丸い池が2つあって堤防上の道路が迂回していたのは何だったのか知りたい。ちなみにアムステルダムは売春宿の栄える頽廃の都のイメージなので地獄行きの出発地にふさわしい。 一応最後まで飽きずに見ていられる作りだが、風車以外はそれほど特徴的な点もなく、悪くはないが平凡な印象の映画ではあった。よかった点としては、オランダから逃げればいい、と子連れの男が言ったのがちょっと意表をついた発想で、これは本人が隠していたものが図らずも外部にはみ出てしまったことの表現として効果的だった。  ほか背景設定には不明な点が多いが、個人的に興味深かったのは悪魔と契約した男が、「風のない日も風車が回るよう」にして財を成したが周辺住民に殺されたという昔話だった。ここで風車はオランダ独自要素としても、同様の話はヨーロッパの別の場所にも伝わっているとのことだったが、日本でも憑物筋と言われたのは地域社会で富裕な家系だったという説もあり、それと似たようなものとすれば悪魔というより周辺住民の妬み嫉みがもとになった話とも考えられる。この辺は意外に邦画「犬鳴村」にも通じるところがある。 また拙い日本語を話す変な東洋人は日本語だったからには日本人と思うしかないが、この男が真言を唱えただけで悪霊が退散したのは、東洋の神秘的な力が欧州では無敵だというようで感心させられた。どうせこんなのは二番目くらいで無惨に死ぬだろうと思っていたらそうでもなく、祖母との関係性や終盤の行動を見ると、わりと肯定的に扱われた登場人物だったらしい(子ども・女性・有色人種を優遇)。最後は日本でいう「ほんとに怖いのは人間」的な結末だったようである。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-07-23 09:43:59)
128.  ブラックホーク・ダウン 《ネタバレ》 
初見は2000年代のTV放送だったが(たまたま出先の札幌で見た)その時に思ったのは、何でこの連中はアフリカにまで来てこんな目に遭わなければならないのかということである。どこが自国のためなのかわからない戦いで、現場の兵隊が次々に死んでいくのが痛々しい。内輪で殺し合っている連中など放っておけばいいではないかというのが当時の感想だった。 加えて虚脱感を覚えたのが終盤の「仲間のために戦う」という言葉だった。現代の米軍では戦うための目的意識も大義もなく、戦う理由が軍隊内部で自己完結してしまっているということなのか。「一人も残さない」のは士気の維持のためには重要だろうが、それでさらに死者が増えていくのも虚しく見えた。  今回改めて見直したが、実録風の原作のある映画とのことで、実際に戦闘に加わった人々も製作に協力していたことからすると、基本的には苦難の中で勇戦した軍人を顕彰し記憶にとどめようとした映画かと思われる。 現地がこういう状況になった経緯は知らないが、この時点で国連平和維持軍も出ていたことからすると、米軍だけが極端に条理に反した行動をしていたわけではなかったようである。数字としては最後の1000対19が目立っていたが、単純な数の比較でいえば、最初に「30万もの民間人が餓死」と出ていたこととの関係をどう捉えるかということになる。 ここでアメリカの独善性に反発して、民兵リーダーの言った「この国の流儀」というのを認めてしまうと、例えば国内の特定集団などを弾圧する国家があっても内政問題と言われれば止めさせられないことにならないか。あるいは序盤で将軍が言ったようにgenocideといえば放っておけなくなるということか。簡単に善悪を分けられるものではなく、文字通り考えさせられる映画にはなっている。 何にせよ国家たるものに一般庶民的な善意などありえないわけで、どうせ何かの思惑や利害で動いているのだろうとは思うが、どちらかというと一般庶民に属するこの映画の主人公に関しては、当初思っていたような世界秩序の守護者たるアメリカの役割をもう信じられなくなっていたらしい。死んで英雄になろうとも思っていなかったようで、自分としても(戦争したことはないが)同感というしかない。  以下雑談として、その後のアメリカは世界の警察官をやめたのかと思っていたら、今年の5/16には一度現地から撤退していた米軍を再度駐留させる決定をしたとの報道もあった。それまでも周辺国やアフリカ連合などとともに関与を続けていたようだが、現実問題として過激派組織の活動には隣国ケニアも苦慮していたらしい。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-09 10:04:37)
129.  M★A★S★H/マッシュ 《ネタバレ》 
ポリコレ絶対主義の現代でもまだこんな映画の存在が許されているからにはよほどの名画であるらしいが、しかし全編通じた悪ふざけのため製作意図をわかってやる気に全くならない。世評によれば反戦映画だそうなので、これが反戦の表現と受け取れる雰囲気が当時はあったのだろうと思っておく。それにしても手前勝手で傲慢な連中だ。
[DVD(字幕)] 2点(2022-07-02 09:07:12)
130.  トコリの橋 《ネタバレ》 
朝鮮戦争中の空母艦載機のパイロットを主人公にした映画で、海軍の協力により発着艦や飛行中の場面は実写が使われている。攻撃の場面は特撮だろうが、結構リアルなのでこれは特撮だと自信をもって言い切れない出来になっている。 登場するのは主にジェット戦闘機のグラマンF9Fパンサー、ヘリコプターのシコルスキーHO3S-1である。F9Fは戦闘機ながら対地攻撃用に使われていたようで、劇中でも題名の橋の攻撃を行っていた。またHO3S-1は救難が主任務とのことで、発着艦の際は常に滞空して待機し、また敵地で孤立した友軍兵の救出に向かったりしていた。 空母に関して、艦橋に34と書いてあるのはCV-34(またはCVA-34)の「オリスカニー」であることを意味するが、劇中では「サボー号」(字幕)という設定になっている。この名前は、かつてアメリカがした戦争での激戦地の名前を空母につける伝統からすれば、太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島の島の名前(Savo Island)と思われる。劇中でこの空母がいたのは冬の日本海だったらしい。 なお「トコリ」は原作者が作った架空の地名とのことだが、少なくとも「リ」は「里」かと思った。場所としては港湾都市の元山の近くのようである。  この時期にも、大戦後期の主力だったエセックス級空母はまだ現役でいるが、既にジェット機やヘリコプターも搭載して時代が急速に変わりつつある印象を出している。少し前まで敵国だった日本も、戦後速やかに友邦になって人々も親和的であり(戦勝国に媚を売っていただけだろうが)、かつてアメリカ人が生命をかけて戦った敵はどこに行ったのかと思わされる。 その中で、本業は弁護士だという主人公は、前の大戦をせっかく生き延びたのに今どきまた戦地に駆り出されてしまっている。妻子を守るために戦うというならまだしも、自国が脅威にさらされている危機感など本国のどこにもなかったとすれば、この主人公が死地に赴くことの理不尽さは確かに感じられる。アメリカのやる戦争で、職業軍人は別としても一般国民が死んでいくことについて深刻な疑問を提起した映画なのかとは思った。「朝鮮にいるから戦う」とは、いなければ戦わずに済んだはずという意味だったか。  ところでアメリカ映画に出る日本人はヘンな連中ばかりというのは常識だが、この映画で特に呆れ果てたのが「御家族風呂」だった。素っ裸で居並んでお辞儀する一家など想像を絶するが、裸を気にしない子どもらが先に仲良くなったという展開は悪くない。戦争があっても人間同士が仲良くできるのはいいことだ。
[DVD(字幕)] 6点(2022-07-02 09:07:10)
131.  クナシリ 《ネタバレ》 
ソビエト連邦生まれでフランス在住の監督が国後島で撮ったドキュメンタリーである。クがKOUでシがCHIなのはフランス映画だからである。 日本人が普通行けない場所なので何かと物珍しいが、特に自然景観が美しく撮られており、爺爺岳(1822m)の姿が見事と思わせる場面があった。対岸には知床半島らしきものが長大な山脈に見えていたが、島は戦車とゴミだらけという印象も出している。 地元社会を映した映像もあり、戦勝記念日の式典ではちゃんと軍事パレードをしていたが、モスクワでやるのと違って貧弱だったのは微笑ましい。夜には貧弱な花火も上がり、地元民にとっては年中行事のお祭りのようなものかと思った。 登場人物では、戦後の一時期に日本人と一緒に暮らした記憶のある老人の、日本の文明度や文化性に対する評価が高かったのは驚かされた。昔を知るからこそのいわば親日派が最低1人はいるらしい。  全体構成としては老人が言った「共存すればいい」というのと、会社経営者?の「議論の余地はない」が対置されたようにも見える。ただ会社経営者?の話はロシアの公式見解そのままだろうから、まともに聞けば誰でも同じことを言うだろうが、本音としてはみな老人のように思っているはずだ、というのが制作側の考えかも知れない。 一方でこれを日本人が見た場合、現時点の荒れた世論のもとではとにかくロシアとプーチンを悪として叩く、あるいは安倍元総理もセットで叩く、といった反応が出てきそうだが、さらに戦後以来の日本の風潮として、日露区別なく民衆を不幸にする国家の存在が悪だとする立場もありうるわけで、配給側としてはその辺に近いのかと思われる。個人的には特に考えがあるわけではないが、少なくとも現地住民のためだけに日本が一方的に譲歩する義理はないとはいえる。  なおこの映画とは別に、2016年に日本の読売テレビが取材した番組(最近YouTubeに上がっていた)を見たが、その中でも元島民の人物がロシア人とは仲良くしていたと語る場面があり、ロシア人の子どもらがとにかく可愛く見えたという話は印象的だった。この映画で語られていたのも単なる老人の繰り言というよりは、現実に人々が共存できた時代があったという証言と解される。 最終的には「共存」がこの映画の中心的なメッセージに思われたが、しかしこれを公式サイトのコメントのように否定的に言及して腐すのでは、映画を真面目に見ようとする気までが失せることになる。そもそも制作時点から世界情勢が変わり過ぎて公開適期を外した気もするわけだが。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:53)
132.  良いビジネス 《ネタバレ》 
アマゾン・プライムビデオで公開されている5分弱のショートムービーである。主に異星生物のCGと皮肉なストーリーが注目されていたらしい。 異星生物には大中小の3種類がいたようで、大は家畜か何か、中が普通の人、小は別種族か子どもかも知れない。世評でキモカワイイとか言われていたのはこの小のことであり、その他は「キモ」だけである(「第9地区」(2009)を思わせる)。  【以下は個人的解釈】 劇中惑星は地球人が普通に歩ける重力で、普通に呼吸できて適温という非常に都合のいい場所であり、こんな所まで普通に行っているからには相応の未来と思われる。言葉が英語で、武器は地球の20世紀に開発されたものだったようなので、地球人に見える生物は実際に地球人だったと思っておく(スターウォーズのような設定でなく)。 出ていた地球人2人は会社員のようで、相手に合わせて旧式の武器も売るといえば武器商人かも知れないが、業務として戦闘もするなら民間軍事会社のようでもあり、あるいは惑星の支配を企んでいるなら不動産開発業者かも知れない。グローバル企業というよりユニバーサル企業ということだ。 地球人も問題なく暮らせる場所だとすれば、会社としては人が住む前提での利用方法を考えていたかも知れない(知的産業の開発拠点とか、惑星まるごと富裕層の別荘地とか)。しかし問題なのは変な害虫が蔓延していたことで、これをどうやって駆除するかを考えたのが「会社の方針」ということになる。 地球と事情が違うのは害虫に知能があったことで、これに安価で使い勝手のいい武器を与えて害虫同士で駆除し合いさせれば、殺虫剤とか核兵器などで惑星環境を損なうことなく目的が達成できることになり、それで成功するなら会社にとっては良いビジネスである。なお劇中の社員が死んだとすれば会社にとってはコストだが、プロジェクト全体では恐らく微々たる損失である。  ちなみにこれを見て思い出したのは、第一次世界大戦時に地中海へ派遣された日本艦隊にイギリスから駆逐艦2隻が貸与されたが(「橄欖」と「栴檀」…読めない)、これはゴキブリが大繁殖してどうしようもなくなっていたのを日本海軍に押し付けたという説があったことである。ゴキブリに知能があれば老獪なイギリス人が分断工作をして自滅させただろうが、そうでなかったので真面目な日本人が駆除させられたということだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-25 10:27:52)
133.  シェラ・デ・コブレの幽霊 《ネタバレ》 
邦画「女優霊」(1996)との関係で名前だけが語られて来た幻の映画である。 大人が見れば最恐ホラーともいえないが、泣き声+背景音や幽霊の映像効果などはけっこう恐ろしげであり、また凄味のあるショッキングな場面が印象的だった。「女優霊」脚本の高橋洋氏のように、幼少時に見ればトラウマ級のホラーだったかも知れないとは思った。  ストーリーとしては意外にもミステリー風の作りになっている。怖そうな雰囲気を出す一方、訳あり風の家政婦とか電話線や小瓶といった小道具が単純な心霊ホラーに終わらない予兆を示している。 本来はTVドラマの試作版とのことだが、見ると登場人物のキャラクターが探偵ドラマらしく出来上がっていて、これは確かに連続ドラマの第1話にふさわしいと思わせる。主人公である探偵のところにオカルトじみた相談事が持ち込まれると、オカルトの対極にいるリアリストの探偵助手が仕掛けを疑って判断材料を提供し、それを受けた探偵が、現世的な因果も含めた全体像を解明して決着がつく、というのがシリーズを通じた基本パターンになりそうに見える。 主人公は超自然現象の存在を否定しておらず、むしろ心霊を侮る罪びとを破滅から救おうとしていたらしい。探偵助手も現実主義だからこそということなのか、実際起きたことは起きたものとして受け入れるスタンスだったのは好印象だった。“一番怖いのは人間”とはよく言われるが、それはそうとしても、だからといって心霊の存在が否定されるわけではないというようでもある。 最後はひっくり返った車をそのままにして終わりなどいい加減な締め方で、そもそも事の真相もよくわからなかったが(母親を死なせたのは娘だった?)、まあ次回もあるなら見たいという気にさせる内容ではあった。  登場人物では、今回のヒロイン役である奥様が美形で目を引かれた(脚もきれいに見せている)。また探偵助手の家政婦の人物像が見どころで、最後のやり取りはこのドラマの雰囲気を端的に表現していた。ほか渚の美女は正体不明だったが、これからシリーズの進行とともに主人公との距離が縮まってハッピーエンドに至るのか、あるいは主人公に重大な危機をもたらす存在になるのか(白は心霊のイメージ?)。何にせよドラマ化が実現しなかったのでわからない。 ちなみに冒頭で、墓標に見立てたビルの建つ平べったい都市景観は当時のロサンゼルスの風景だったかも知れない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-25 10:27:50)
134.  私たちの青春、台湾 《ネタバレ》 
台湾を中心に、香港と大陸にわたる若者の社会運動を扱ったドキュメンタリーであり、台湾独立派の学生と、民主主義を実践しようとする大陸からの留学生の2人が主人公になる。2014年の「ひまわり運動」が中間の山場だが、それに続いた香港の運動は成功せず、また主人公2人も個人的な挫折を経験し、劇映画のように都合よくはいかない現実を映して終わりになる。 監督としては、主人公2人が国境を越えた社会運動を広げていく未来を想定していたらしいが、それが挫折したのを自分の挫折とあわせて捉えた結果、監督本人が終盤で第3の主人公のようになっていたのは意外な展開だった。挫折はしても3人の人生はまだ続いていくわけで、その一時期を切り出したこの映画が、それぞれの青春を映していたという形でまとめたらしい。いわゆるほろ苦い青春映画だが、しかし少なくとも台湾にとっての「ひまわり運動」が若者の独りよがりに終わらず、結果として多くの国民がその正しさを確信できたというなら現実的な成果があったといえる。 ほか個別の事項として、「支那」は台湾でどういうニュアンスで使われる言葉なのかが気になった。またネコを閉じ込めた場面は出来すぎのようだが偶然だったのか。性犯罪者の心理を本人に語らせるなどリアルな場面は苦笑した。  ちなみにこの映画は2018年の映画祭「金馬奨」で最優秀ドキュメンタリー賞に選ばれているが、授賞式での監督の発言に反発した大陸側が、翌2019年から映画祭への参加を連続ボイコットしているとのことで、同年からの個人旅行の停止とあわせて民進党政権への圧力と捉えられていたらしい。「ひまわり運動」だけでなく、この映画自体が思い切り実社会に影響を及ぼしたわけだが、それは多分監督の本意でないと思われる。 その他雑談として、「ひまわり運動」の場面で聞こえていた「國際歌」は、これがどういう歌かを知っていれば何だこれはと思わされる。しかし今年3月下旬からの上海ロックダウンで、市民の不満の表現としてこの歌(起て飢えたる者よ)や「義勇軍進行曲」の歌詞が使われたのを当局が問題視し、自宅で鳴らしていた者が警察に連行されるとか、SNS上で閲覧できなくなったという報道があった(2022/5/17ニューズウィーク日本版コラム)。そのように、当初想定と全く違う場面で歌本来の意味が活かされることはあると思えば、この映画での「國際歌」も、純粋に国境を越えた市民の連帯を呼びかけたものと思えなくはない。ちなみに個人的には、政治性はともかくこの歌自体は嫌いでない(歌える)。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-11 10:12:09)
135.  私の少女時代 Our Times 《ネタバレ》 
主演のビビアン・ソン(宋芸樺)は知らなかったがこの映画で人気が出た人らしい。2018年にはSNSでのちょっとした発言が大陸側で大々的に非難され、火消しをしようとしたら今度は台湾側で叩かれて、総統府の報道官がとりなしのコメントをした事件があったとのことで、やはり大陸での営業はリスクが大きいということだ。  それはそれとして映画そのものは青春恋愛映画であって、邦画なら少女マンガ原作かと思うがオリジナルらしい。主人公が90年代を回顧する話なので懐古趣味的なところもある。 時間が140分もあるのはさすがに長いが、前半のラブコメ部分にはけっこう笑わされる。恋愛に関する格言のようなのは日本の青春モノにもあるかも知れないが、日本にはなさそうな「水風船」の話もなるほどと思って感心した。また終盤の「順風満帆 一獲千金」(字幕)のところは笑い泣きさせられた。 ただ途中で嫌な感じだったのは、転任してきた指導主任の態度(と顔)を見て、これが中華圏の抑圧手法なのかと思わされたことだった。劇中では民衆側が勝っていたが、現実社会の政治問題なら権力側の実力行使もありうるのではという気もして、こんな映画で思うのも何だがかなり危なっかしく見えた。まあ今は台湾でも自由で公正な社会が実現しているはずで、劇中のイケメン優等生のいうとおり、誰が言ったかで正不正が左右されない世の中であってもらいたいと思った(日本もそうでなければと思った)。 登場人物として、主人公の林真心(英語版ではTruly Lin)という人は、中盤で髪型を変えてからいきなり可愛くなったように見せていたが、個人的感覚としてはそれ以前からちゃんと可愛く見えていた。自分としても大人の場面は同じ演者にして、最後に昔のままの笑顔がよみがえった形にしてもらいたかった。  ほか雑談として、主人公のプロフィール帳に「喜歡の人:??」「討厭の人:我哥」(私の兄)と書かれていたのは目についた。話によると台湾では「の」という字が変に好評で(形がカワイイか何かの理由で)、特に必然性なくやたらに使われているそうで、現地を知る人々には常識かも知れないが個人的には初めて見た。 また原語は全く知らないが、「私、かわいい?」という字幕のところは「我可愛嗎?」と言ったように聞こえた。「可愛」は漢字圏の共通語なのか。ちなみに「真心」は日本語のまごころというより“誠実”というような意味らしい。  [2022/06/04追記] 上では劇中の抗議行動が「危なっかしく見えた」と書いたが、その後に「私たちの青春、台湾」(2017)という映画を見た結果、この映画も劇中年代というより製作当時の社会の雰囲気を反映していたのかも知れないと思った。ただしその後のことを考えると、やはり場合によっては危ないというしかない。
[DVD(字幕)] 6点(2022-06-04 13:54:23)
136.  ヒトコワ2 -ほんとに怖いのは人間- <OV> 《ネタバレ》 
全5話のオムニバスである。 【ペットモニター】 最後にニッと笑ったが、すぐ真顔に戻ったので許されたかどうかわからないのは困る。しかし、ペット愛が他の全てに優先する人格を表現しようとしたエピソードと考えれば、やはり許されたのだということにはなる。ただしペットを貶められただけで殺人というのも単純すぎるので、そもそも不倫の件で恨みがあったことにして補強したと解される。 【ヘビと初恋】 小公園は埼玉県越谷市。オチがないようなのは困惑する。目撃者が他にいないと知って自らダークサイドに落ちたと見える(悪人メイク)がそれだけか。 【二人の約束】 男に対する女の執着が異常なのかと思っていると、その後にもう一段の展開がある。題名の印象からは、男が約束を守らないのが問題だということになるが、実はそれよりも、束縛を嫌っていきなり凶行に出るのが異常だということか。妻が妊娠中なのをいいことに遊び回っていたところ、浮気はしない約束のはずだと妻に咎められ、逆に妻が浮気して妊娠したのだろうと言いがかりをつけて殺したが、その後に遊びと思って付き合った相手までが、一途な遊女よろしくしがみついて来たので排除したとも取れる。 【自転車をとめないでください】 埼玉県越谷市で撮影したことを執拗にアピールしている(映像中に文字情報が多い)。「こうかい」だけでなく、その前のも「とめると」がブレーキの意味だったか。つまんねー。 【共通の趣味】 盗撮が異常なのかと軽く思わせておいて、実はさらに異常な性癖だったという展開かも知れないが、両者のつながりが弱いため単に散漫な構成に見える。彼氏が合鍵を提供したので入れたのはいいとして、入るタイミングが変だ。  「ヒトコワ」シリーズの2つ目である。初回の時点で2と3は見ないと書いておきながら、結局全部見てしまったのは阿呆だ。暇なのか。 別に怖くもなく面白味もないが、それほど極端にバカみたいなのはないとはいえる。しかし展開の意外性を優先したためか物語の芯になるものを素直に受け取れず、独自の解釈(上記)を理屈で考えて辻褄を合わせるのが面倒臭い。 また今回最悪だったのは、好意的になれる登場人物(男でなく)が誰もいなかったことである。それがなければC級ホラーなど見る意味もなく、芸能事務所のプロモーション上の意義もないことになる。個人の好みで今回は当たりがなかっただけかも知れないが。
[インターネット(邦画)] 3点(2022-06-04 13:40:36)
137.  エルミタージュ幻想 《ネタバレ》 
題名の美術館が宮殿だった時代を中心として、この場所にまつわる過去の記憶を映像化してみせた映画ということらしい。 最初が18世紀初頭なので帝政時代だけなら200年程度だが、街がゲルマニヤの大軍に包囲された時のことや現代らしき場面も見えており、そこまで入れれば300年近くということになる。撮影者が歩きながら部屋を回る形なので、歴史的な前後関係よりも場所の性質が優先のところもあったかも知れない。ちなみに終盤の楽団の指揮者はオセット人であるから、帝国の版図に属する諸民族の一員も活躍していたということだ。  歴史の流れに関して、細かいことはわからないが大まかに書くと、まずこの国がまだヨーロッパなどと思われていなかった頃、最初に人の耳を引っ張っていたオヤジが街を建設して強力に西欧化を進め(反発され嘲笑もされ)、次に出た西欧生まれのオバサンが宮殿に美術展示室を作り、これが後に一般公開もされて「艦隊の者」や多感な少年も見に来ていた。そのように時代が下るにつれて西欧(南欧含む)文明化が進んでいき、最後の場面に至って「ヨーロッパで一番豪華」な舞踏会だと認められたということらしい。 その後の革命で19世紀の宮廷文化も失われ、本当にこれが人生最後の舞踏会になった人々も多かったと思えば、物悲しさを感じさせる終幕ではあった。ただしこの映画自体に関していえば、20世紀にいったん途切れたヨーロッパとの結びつきを、21世紀の始まりに当たって改めて回復したいとの思いが表現されているとも取れる(いわば仲直りの申し出のような)。製作にはゲルマニヤやその他諸国(NHK、YLEなど)も協力しており、こういう融和的な雰囲気の時代もあったのだと若干遠い目にさせられた。  個別の場面では、ラストで舞踏会の人々が一斉に退出していくところは圧巻だった。これは18世紀からこの宮殿を訪れて去った人々の姿を全部重ねた映像のようでもある。また老婦人が雪の中を去る場面には見覚えがあったので、前に一度NHKでも見たことがあったらしい。以前から、この人物の名前を聞くとこの姿を思い出してしまっていたのはこの映画のせいだったことになる。お茶の時間に集まっていた家族もイメージ通りで、宮殿であるからには公務の場だけでなく、人々の住まいでもあったことが表現されていた。 なお絵の説明の中で鶏とネコが出て来たので「エルミタージュの猫」を思い出したが関係なかった。18世紀からいたはずだが。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2022-05-28 09:24:59)(良:1票)
138.  みかんの丘 《ネタバレ》 
製作国はエストニアとグルジア(今でいうジョージア)とのことである。エストニア人の登場人物はエストニアの役者が演じており、エストニア人同士ではエストニア語だったらしいが、他の民族と話すときは、いわば広域の共通語としてロシア語を使っていたように聞こえた。  この周辺については馴染みがないので、劇中の紛争に関しても、例えばグルジア対ロシアの関係と、アブハジア対グルジアの関係は相似形ではないのかといったことはよくわからない。しかしこの映画の立場として、要はロシアが背後で煽ったから紛争が起きたのだという前提なら、とりあえずロシアを悪者にすればいいのでアブハジアは敵扱いしなくて済む。登場人物としてアブハジア人も出て来ていたが、危険人物のようで実は何気に話の通じる地元民らしかった。一方でロシアに対しても、あからさまに名指しで反感を煽る形には見えなかったので、基本は融和的な姿勢の映画だったらしい。 それにしてもいまだに紛争が解決しない状況で、グルジア政府も支援してこういう映画ができたということは、グルジアとしてアブハジアを奪還する意志はもうないということなのか。紛争の頃には金がなくて映画も作れなかったそうだが、この映画は今やEU加盟国(NATOも)になったエストニアと共同で、欧州評議会の文化支援基金の支援なども受けて作られており、ロシアなどはさておいて、今後はそういう方面との関係を当てにしていける情勢なのかも知れない。 以上に関して、別に現地情勢に詳しくはないのでこの映画から勝手に思っただけである。  映画自体のテーマとしては、国家や民族に関わりなく人間同士はわかりあえる、ということだろうが、基本的に素直でストレートな作りのため、あらかじめ思っていたことを再確認して終わりという印象だった。新しい発見があるかどうかという面からすれば、今までこういうことを考えたこともない素朴な人々(登場人物の若者のような)向けに、西欧感覚で教え諭す啓蒙映画のようでもある(または西側への勧誘映画とか)。ちなみに歴史教育の害悪などは嫌になるほど思い知らされている。 なお主人公が現地を離れないでいた理由ははっきり言わなかったが、「自分たちの土地を守る」と言った息子のために、その土地に縛られてしまった状態だったのか。誰かが埋まった場所からはもう離れられないという感覚が、当事者にはあるのかも知れないがよくわからなかった。ほか「全部作り物だ」という台詞は一般的な戦争映画への皮肉だったかも知れない。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-05-21 09:53:36)
139.  とうもろこしの島 《ネタバレ》 
基本はグルジア(今でいうジョージア)の映画だろうが、その他いろいろな国から支援を集めて作ったらしい。役者としては、祖父役はトルコ出身のクルド人のようで、また孫娘役は名字からしてグルジア人に見える。いずれにせよアブハズ語の話者ではないだろうが、台詞が少ないのでボロが出ないで済んだかも知れない。 題名の島は、最初に全貌が見えた時点では本当に小さい中州だが、やがてそれなりの畑地ができていくのは見事と思わせる。撮影は2013年の4~9月とのことで、季節が変化すると作物が伸びて人の衣服も変わっていた(体型が透けて見えすぎだ)。  ところで他の映画レビューサイトを見ると、最後に出た男は全く別の登場人物と思うのが普通らしいが、個人的には祖父によく似た人物かと思った(鼻など)。ただし少し若く見えるので、これは例えば祖父の息子(孫娘の父)が、最初にここで人形を見つけた時点まで遡ったと思うこともできる。この人形は娘にとっていわば父親の形見なのかも知れないが、祖父が最初にここで発見したのも息子の遺品だったのではないか。土地は耕す者のものだという言葉そのままに、祖父は息子の土地だったこの場所を、いわば自分の領土として守り抜こうとしたと取れる。 「戦争でのうても人は亡くなる」という別映画の台詞を思わせる結末になってしまったが、しかしそれほど柔な男でもなく、しぶとく生き延びて孫娘の成長を見届けたはずだと個人的には思いたかった。よくわからないところもあったが結果として、戦争があっても自然の猛威があってもこうして人間は生きている、ということを訴えたかったようではある。あるいは国家も耕作者も区別なく、人間の土地に対する支配など永続するものではない、というのが真意かも知れない。  ほか個別のこととして、負傷したグルジア兵に対しては祖父としても思うところがあったらしい(ポケットの遺品に手をやっていた)が、最後はもうこの男を軍隊には戻したくないと思っていたようだった。 また思春期の孫娘が変に色気づいていくのは心配させられた。トウモロコシ畑でつかまえて状態で翻弄されまくった男は哀れだったが(バカみたいだ)、その後の収穫時に孫娘が手を切ってしまい、軍手とかはしないのか、と思っていたらいきなり泣き出したので笑ってしまった(笑ってごめんなさい)。こんな乙女心には付き合いきれない。祖父も大変だ。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-05-21 09:52:03)
140.  花咲くころ 《ネタバレ》 
1992年のグルジアの話である。ソビエト連邦から独立した次の年だが、独立しただけで人々が幸せになるわけでもなく、内戦が起きたりして不穏な情勢が続いていたらしい。 季節は春から夏にかけてとのことで、領内で独立を求めていたアブハズ人、オセット人とグルジア国家との間で紛争が起きた時期に当たる。冒頭から民族意識を高揚させるラジオ放送が聞こえ、その後の字幕でも「スフミ」「アブハジア」「ツヒンヴァリ」といった紛争地の地名が出ていた。  劇中で見える現地は殺伐とした雰囲気で、国家と少数民族が戦う一方、近隣社会も家族もみな苛立って争っている。また権威主義とか男尊女卑といった社会の体質も問題視されており、略奪婚などというものに加え、嫁に行ってしまうと学校に行かない(やたらに外出しない?)風習も残っていたようで、義務教育は一体どうなっているのかと呆れる。 物語としては、結末がどうなったのか正直わからなかった。途中まではとにかく男が悪いと言いたいのかと思ったが、最後に主人公が父親のところを訪ねたのはどういう意味だったのか。結婚を無理強いされた親友が、実家の父親の方がまだましだという場面もあったが、主人公としても自分の家族を見直すために、まずは父親の実像を見極めようとする決心がついたということか。民族同士や人間同士が争う中では家庭が年少者を守れる場でなければならず、それによって/そのためにも、社会全体を穏やかな方向に変えていこうという意味と思えなくはない。 また武器に関しては、暴力の抑止のために持つのはやむを得ない状況があるにしても、殺すために使ってはならないという割り切り方だったかも知れない。冒頭のラジオでは国民が「武器を備えるべき」と言っていたが、いずれは誰もが武器を捨てる社会(少なくとも国内では)を作ろうとするのは当然のことである。  以下余談として、グルジア側の要請により日本政府は2015/4/22から英語由来のジョージアという名前でこの国を呼んでいるが、グルジア側としてロシア語由来の名前を嫌うのはわかるとして、何で現地語のサカルトヴェロでないのかと普通は思う。 これに関して最近思ったのは、あえて英語名にすることで西側に近い国だとアピールし、ナショナリズムよりもグローバル志向のイメージを出そうとしているのかと思った。この映画で見る限りはとても親近感を持てそうにない国だが、この時から30年も経って現地の状況も変わってきているものと思っておく。
[DVD(字幕)] 5点(2022-05-21 09:46:42)
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