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彦馬さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 450
性別 男性
自己紹介 大阪府出身、岡山県在住、阪神・下柳と同年月日生

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161.  チャンス(1979)
チャンスが持ち歩いているテレビのリモコン、これこそが彼にとっての唯一無比の武器なのでしょうね~。リモコンは剣よりもペンよりも強いのです。それは見たいモノだけを選び得ると同時に見たくないモノを一瞬に消し去る魔法のツールなのでしょうな。街中でからまれた少年たちにリモコンを向けるのは彼らを目の前から消し去ろうとしたのでしょう。そして見たいものだけを見るという身体的に忠実なる慣行により育ったチャンスは、身体と言葉に乖離のない<Being There>な人となり、ブラウン管の向うをまねるというカタチが彼にとっては全てとなって、よって大統領も女性の肉体も人の死も「テレビで見たことがある」以上でも以下でもないカタチとしてしか写らない。そしてチャンスのような人間に出会ったことがない周囲の人間たちの言動の中に「人間」を感じてしまうのは、私がその周囲の人間たちと同類であることの証明なのであります。
8点(2005-02-25 23:17:03)
162.  キャスト・アウェイ 《ネタバレ》 
生還後のパーティで「また釣りにでも行こうぜ」と言っていた奴がいたが、あまりにも能天気ではないだろうか。
6点(2005-02-24 23:30:47)
163.  ニワトリはハダシだ
【やましんの巻】さま、一足お先に失礼いたします。まあ2時間足らずの映画の中におもちゃ箱をひっくり返したような、これがホントのテーマパークではないかと思えるような多彩なテーマが散りばめられ、ストーリィもあれよあれよと広がっていきます。中心となる原田芳雄と知的障害児のサム父子がいい!ですな~。また舞鶴のロケーションがよくて、路地裏、水路、コロッケ屋など地に足がついた生活感が画面に出ております。サムと妹が背負う作り物の翼は、結局どんな人間も飛ぶことができないという意味でみ~んなおんなじだと言っているようでもあり、家族がバラバラに住んでいてもいつでも飛んで会いに行けるという希望のようにも見えます。そしてその翼が妹のかわいがる飛べない合鴨に重なると、翼はあっても飛べないものへの本能的な哀愁が感じられ、一匹だけいなくなった合鴨のひなへのサムの異常な執着が、人間どものドンパチと対比され、まことに清々しく見えるのであります。そして飛んでいくどころか、潜水士として生きるサムの成長を願うばかりなのです。
8点(2005-02-22 00:34:33)(良:2票)
164.  スイート・チャリティ
ボブ・フォッシーの監督デビュー作であります。ストーリィはシャーリー・マクレーン演じる男運のないチャリティがただ男とくっついたり離れたりするだけなのですが、そこに彩られる数々のナンバーは、150分ほどの長さをも忘却させるドリーミィな舞台。静止画や逆回転、一気のズーミングアップによるシーン転換など映像も飽きず、歌い踊るマクレーンが表現する身体的言語は、喜びや楽しさや嬉しさといった和音を奏で見る者の身体奥深くへも届いていくかのようです。サミー・デイヴィス・Jrが登場する新興宗教のダンスシーンは既存のミュージカルとは明らかに異質でそこに未知のものに対する昂揚感が生まれ、マクレーンがニューヨークの街中を行く躍動感と相成り、すっかりハイと化した身体はクールダウンを要求してくるのですが、その期待に沿うかのように切ない幕切れへと向かいます。しかしまた歩き出すチャリティに希みを感じ身体は再び静かに燃え上がるのです。チャリティの本名は「チャリティ・ホープ・バレンタイン」。素敵なバレンタインデーをお過ごしください。
10点(2005-02-14 12:13:07)
165.  ママの想い出
アイリーン・ダンのお母さんぶりがとにかく素晴らしいです。子供たちを深く優しく静かに大らかに包んでいて、見る者はいつのまにかお母さんのお腹の中にいるかのような心地いい感覚にとらわれていきます。舞台となるサンフランシスコの坂を行くように、平坦ではない一家の暮らしぶりはけっして楽ではないけれど、誠実に生きることのあたたかさが感じられこれまた心地いいのです。母が長女にブローチを譲り渡し、コーヒーを飲むことを許すことで大人の資格を認める場面に涙した後は、ストーリィテラーであるその長女の小説の行方をどうぞお楽しみください。
9点(2005-02-13 22:27:01)(良:1票)
166.  シンシナティ・キッド
キッドがクリスチャンの家でみせるカードトリック、圧迫感ある空間がカード一つで開放されたこのシーン。なにげないシーンのように見えますが、ここはカードが時にはギャンブルの緊迫感を生み出し時にはゲームの愉悦感を生み出すデバイスとなることが示され、この世はまさにカードの裏表、その両義性から逃れられないことを語っているように感じるのです。それはクリスチャンが『女だけの都』のあらすじを語るように<男と女>であり、キッドとランシーの対比による<若と老>であり、ギャンブルそのものが含有する<勝と敗>であり、キッドとシューターの<純と雑>であったりするのです。勝負への純然たる執着を見せるラストシーンは、キッドとランシーこそが最高のワンペアーであることが語られているようで、そのカードを手にした観客はただひたすらコールし続けるだけなのであります。
7点(2005-02-11 23:40:18)
167.  ガンガ・ディン
ガンガ・ディンとはなんぞや、というと人の名前でありまして、まあ段田男みたいなものだと思ってもいいかのかホントに。インドを舞台にイギリス兵3人を主人公にしたこの作品、ガンガ・ディンは現地のインド人でありまして、けっしてでしゃぱらないディンをタイトルにまでのし上がらせる脚本の出来の良さにはまいるのであります。そして狂信的殺人集団の根城となっている寺院のロケーションは素晴らしく、大勢の信者をロングショットで捉え、リーダーであるグルを浅黒い肌に目と歯を白く浮き立たせた不気味なアップの表情で捉え、見事に多対一のカリスマ性を表現し、戦闘シーンへ突入するとさらにロングショットのカメラが、寺院からのはるかな眺望と無数の人物を写し戦いのダイナミズムを見せます。バグパイプの音をさせながらスコットランド軍が徐々に近付き、ディンのラッパが対比のように鳴り響きストーリィは終末へと流れ、時を経て「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」へと流れていくのです。惜しみなくお金を投資したであろうこの作品、私も惜しみなく拍手を贈りたいと思うのであります。
9点(2005-02-05 21:56:16)
168.  ハーヴェイ
郵便配達人に名刺を渡そうとし受け取った速達を破り棄ててしまう冒頭から、ジェームズ・スチュワート演じるエルウッドの風変わりな人物像が描かれ、見ている者は後に登場するハーヴェイの<見える><見えない>の危うい皮膜をよたよた歩くことを予感させられます。エルウッドが会う人間会う人間に名刺を渡す行為は、名刺=名前とすると「名前」に対するこだわりが見えてくるのですが、自らの名前を誰彼に覚えてもらうこと、相手の名前を呼ぶことで自分と周りの人間との垣根を取っ払うシルシとなっているのではないかな~と。そして自らが常に親しみを込めて名前を呼ぶ象徴が「ハーヴェイ」であり、あの巨大なウサギが飛び越えていたのは、時間と空間と物質だけではなく、人と人との垣根、常識と非常識との垣根、現実と幻想との垣根でもあったりして、そう感じると、ハーヴェイがピョンピョンとしたウサギであることの必然性が見えてきて、人間が生み出すボーダーというのは、実に脆く不確かなものであることが語られているようで、私は以来ハーヴェイを偶像崇拝させていただいているのであります。
8点(2005-02-03 12:16:20)
169.  レイクサイド マーダーケース
「湖畔殺人事件」では狂気性が損なわれるのか、原作の「レイクサイド」だけでは、ピクニックのような、それこそほのぼのレイクになってしまのうを避けたのか「マーダーケース」をくっつけて怜悧な雰囲気を出しておるのでしょうか。豊川悦司と柄本明がその雰囲気を具現するような能面で引っ張っていきますが、突然怒鳴りだしたりして狂気と正気の狭間を突き破りながら真相が明かされ、それなりにそういうことかと感じさせてはくれますが、ライターや吸殻といった伏線の張り方に巧さを感じず、役所の愛人と妻が出会う場面でこれ見よがしの「何かが起こるぞ」的映像を射し込むのは感心できず、まして狂気はもっといくらでも映像にのせることができそうで、どうも時間のムーダーケース・・・とまでは言いませんがそんな感じの映画でありました。
5点(2005-01-28 00:02:04)
170.  女優須磨子の恋
島村抱月と松井須磨子の激しく儚い熱情を描いたロマンスは、東宝と松竹の競作となり、監督は東宝-衣笠貞之助、松竹-溝口健二、須磨子役には東宝-山田五十鈴、松竹-田中絹代がキャスティングされ、これはどうしても見比べたくなるのであります。脚本と須磨子役は東宝にアドバンテージがあるように見ましたが、印象に残るシーンはやはり溝口作品でありまして、抱月が須磨子の家に上がりこみ、うちわであおいでいた二人がついに燃え上がるとそこで音楽が止み、微かに微かに風鈴の音がその火を静めるかのように鳴るのです。そして場面は転換し屋形船に揺られた二人が恋歌を詠むことでしっかりと懇ろな関係にあることを語り、抱月が島村家を捨てる場面に移るとコオロギの泣き声がここでも微かに聞こえ、深まる秋と深まる須磨子との仲を感じさせてくれるのです。「カルメン」のラストシーンから須磨子の死を予感させる俯瞰のショットが炸裂し、実演の幕が閉じられると彼女の人生も幕が閉じられるのです。しかし東宝版で脚本を担当した久板栄二郎さんを次作「夜の女たち」で起用しているのは、どこか溝口さんらしいですね~。
8点(2005-01-24 23:28:01)(良:1票)
171.  女優(1947)
山田五十鈴がときめくように舞台を見つめる須磨子のファーストシーンで、須磨子の純粋で激情な性質をその表情から見出すことは容易で、カメラはその後アップと切り返しを多用し、須磨子と抱月を語っていきます。本名「小林正子」から松井須磨子が誕生するまでの30分、抱月との蜜月60分、抱月死後の須磨子の苦悩30分といったバランスをもった脚本は、「死と其の前後」の舞台シーンと病身の抱月が息を引き取るシーンをクロスカットで描いたり、「カチューシャの歌」を効果的に流すことにより、どんどんと盛り上げていき、須磨子が死へと至るシーンは真に胸を打つものがありました。ただし須磨子の死の決意を、部屋に貼られていた「死と其の前後」のポスターのアップ、「死」の字のアップで語るのは見せすぎで、溝口さんなら絶対に採用しないようなカットでした。この頃の東宝はいわゆる東宝争議後の東宝で、衣笠貞之助と蜜月であった山田五十鈴は実生活でも清貧を心がけたとかで、抱月須磨子=貞之助五十鈴と見ることもでき山田の実生活での感情が画面へ引き継がれともいえそうです。
8点(2005-01-24 23:27:25)(良:1票)
172.  弥次喜多道中記(1938)
遠山の金さんと鼠小僧次郎吉がひょんなことから弥次さんと喜多さんになり東海道を旅するはめになる、という筋立てからして<面白そう>なこの映画は、静寂たる日本橋を鼠小僧次郎吉と追手が喧騒に包むオープニングをもって、きっと<面白い>に予感は変わるのです。ホンモノの弥次さん喜多さんを歌手の楠木繁夫とディック・ミネが演じ、そののどを存分に生かしたオペレッタでエンタティナーぶりを発揮し、ニセモノの弥次さん喜多さんを演じる片岡知恵蔵と杉狂児が旅の一座に出会ってからは、恋あり友情あり笑いありお涙ありの活劇へと突入しもはや<面白すぎる>状態に陥るのです。雄大な富士山のバックをはじめとするロケーションにセットを絡めたマキノさんの演出リズムと小国さんの発想豊かな脚本がオペレッタと揺るぎなく融合し、これこそが「エンタの神様」であると、泣き笑いで顔をクシャクシャにさせた私は、ただ呆然とそうつぶやくのみでありました。これにてレビューは一件落着~~。
10点(2005-01-20 17:23:46)(良:3票)
173.  カルメン(1918)
英語版VHSにて鑑賞。ルビッチのドイツ時代の作品を初めてみることができた ・・・すっかり遠い目であります。昨秋「なみおか映画祭」でルビッチの「花嫁人形」と「田舎ロメオとジュリエット」が上映されることを発見した時には、思わず青森までどうやっていくのがいいか真剣に調べたものです。結局日程的に断念したものの自らへの後悔の念と見た人への羨望の眼差しが交錯したままに、この「カルメン」を見る機会に恵まれただけに、見る前から♪ジャジャッジャッジャ!というあのカルメンのリズムが体内でブラウン運動を始めるほどでありました。さて作品は、いわゆるルビッチタッチといわれるようなセンスは感じませんでしたが、時々アップになるポーラ・ネグリの表情が妖しく艶っぽく迫り来て・・・見る者は吸い込まれそうになるのでありました。ルビッチのドイツ時の作品を見ることができた幸せとフィルムが残存している喜びに♪ジャジャッジャッジャ!と10点献上~!
10点(2005-01-19 18:50:49)(良:1票)
174.  群衆(1928)
アメリカ映画、サイレント期の傑作と称される今作は、日常誰もに起こり得る人生の禍福をスターではない二人を起用することにより、より無色へと近づけることを狙いとした映画です。見ている観客のすぐ隣りの人かも知れない手の届きそうなドラマを切り取っていくという手法を映画に取り入れたキング・ヴィダーとゴーサインを出したタルバーグにはやはり感嘆符をつけずにはおれませんね~。ビルの外観から窓へと流れ、フロアへと吸い込まれていくカメラは、多数の机が整然と並べられたオフィスを捉え、主人公が群衆のワンオブゼムに過ぎないことを印象づけます。それは赤ちゃんが生まれた時の多数のベッドを捉えたショットに受け継がれ、累々とした歴史が刻まれていることを語ります。2階建バスの2階からサンドイッチマンを見下ろしあざ笑うシーンを伏線とした浮き沈みを際やかに描きあげるセンス、ナイアガラの滝でロケーションされたラブシーンも楽しく、ラストの劇場で主人公のアップからカットが割られるごとに大勢の観客へと引いていくカメラは、彼らがたんなる群衆であると同時に、かけがえのない人生を生きる個人の集合体が群衆であることを語っているようで、それぞれに生きる意味と希望を高らかに謳いあげた本作はやはり傑作なのであります。
10点(2005-01-16 08:58:06)(良:1票)
175.  キートンの大列車追跡
キートンの映画を見る楽しみの一つは、こりゃ~どうやって撮っているのだ、という<HOW?>に満ち溢れているところにあります。鉄橋が崩れ機関車もろとも川へ落ちていくシーンは、河童に尻子玉でも抜かれたような、放心へと誘います。前半追うキートン、後半逃げるキートン・・・通信線を切断したり、線路にモノを放置したり、ポイントを切りかえたりといった鮮やかな反復のリズム、走る機関車を横から捉えたスピード感覚、縦から捉えたディープ感覚、機関車を線路をあっちへこっちへのアクション、ユニフォーム一つで笑いと感動を呼ぶセンス、そしてラストのラブシーンをお得意の大群ネタで締めます。なにくわぬストーンフェイスで尻子玉を抜いていくキートンは、サイレントコメディの流れの中を自在に泳ぐ河童だったのであります。
10点(2005-01-15 23:11:16)(良:3票)
176.  お気に召すまま(1932)
お~、ガルボにシュトローハイムが接吻しておる、電灯をバックにしたシルエットで・・・そのシーンを見るだけで西宮戎の福男のような気分になることができます。ってよくわからんことを言ってないで次へ進めますが、次もやっぱりガルボの接吻。前半でタバコをスパスパやっていたガルボの伏線をいかした、「私にもタバコをくれる」からダグラスの咥えているタバコがガルボの咥えているタバコに火が移り、そのまま両者のタバコは床に落ち口と口が触れた時のガルボがダグラスを受け入れる意思表示と愛の高揚。ここで間違っても、火のついたタバコを床に落として危ないじゃないか、というツッコミは入れてはいけません。と書くこと自体がツッコミを入れているじゃないか、というツッコミも入れてはいけません。ラストのどんでん返しのどんでん返しを楽しんだ後は、情熱的なキッスの練習をし、愛の賛歌に備えるだけなのです・・・むむっ。
8点(2005-01-11 13:14:13)
177.  突貫勘太
のっけからドーナツ工場を彩るゴールドウィン・ガールズの面々がセクシーないでたちでせっせと仕事をしており、「さあ体操の時間よ」の一言からダンスが始まります。さあこのダンスですが、途中からスティックをもったダンスへと流れていき、一列に並んだガールズを真正面から捉えた千手観音ショット、そして俯瞰の万華鏡ショット・・・健康的なお色気たっぷりのガールズダンスにすっかり瞳を奪われている者に「映画を見よ!」と言わんばかりのショットです。そして千手観音チックな偶像を崇拝するインチキ占い師へのシーン転換はユーモアセンスたっぷりです。その後はエディ・カンターの女装あり、ミンストレルショーあり、恋愛ありの活躍ぶりですが、途中にも池の鏡面を利用したガールズのダンスがあり、ここではなにやら丸い物をもったダンスへと流れていき、花が咲くような万華鏡ショットに時間が割かれ、気分はすっかりフラワーパーク。花の妖精と化したゴールドウィン・ガールズ・・・花博はここにあったのであります。
10点(2005-01-09 22:20:02)(良:1票)
178.  ファウスト(1926)
広野を行くような「サンライズ」、沃野に浸るような「最後の人」の映像表現に触れた者としましては、もはやムルナウは信仰の対象として奉る存在として生きていることをこの「ファウスト」をもってまたまた再確認するのみなのです。ドンドコ飛び出す視覚効果には圧倒されますが、そういった魅せる技術をしっかり支えているのは、構図であり光でありセットの造形美であり出演陣の表現力であり衣装でありメイクであります。この映画は頭のてっぺんから尻尾の先までアンコが詰まったタイ焼きのような豊満さ、アメ細工のような繊細さ、とろけるようなクレープの芳醇さ、それらが始まった瞬間から終わる瞬間まで一時も減じられることなく包み込んでいるのです。川や滝、山や森のミニチュア、宮殿の祝宴シーン、メフィストのつり上がった眉毛、カミルラ・ホルンの麗しき肢体、ラストの雲間の太陽の輝き・・・、この映画には魂を売ってしまう価値があるのです。まだまだ映画が見えていない自分に自戒と自省を込めて。
10点(2005-01-07 19:49:06)(良:2票)
179.  水着の女王
「ザッツ・エンタテインメント」を見る→エスター・ウィリアムズの映画が見たくなる、ということで見たのがこの作品。しか~し、お目当ての水中レビューシーンは最後に少しあるだけ・・・。しかも「ザッツ~」で紹介されているシーンが本作にないとはどういうこった。ま~、レッド・スケルトンをポロの馬に乗せようとするドタバタシーンには大笑いしましたが。ストーリィは勘違いものの教科書にもできそうなシンプルなコメディですな。しかしこういう貴重な水中レビューを見ることができるのはエスター・ウィリアムズのおかげです、感謝。しかし真冬に「水着の女王」のレビューというのもいかがなものか。でも今日は水曜日だから許してね。
6点(2005-01-05 21:53:14)
180.  ハムレット(1948)
まったくもっての舞台劇がまったくもっての映画になっていますね~、これは。とにかく広々とした宮殿のセットを<見上げる><見下ろす><回り込む><移動する人物を追う>というようにXYZ軸の座標をカメラが見事に行き来します。また奥行きの深みには感嘆しますね~。ハムレットとオフィーリアとの絶望的な距離感を表現したかのような切り返しのツーショット、オフィーリアが遠く屋外から走りこんできてそのまま宮殿内のカメラに突進し、通り過ぎて切り返され遠く吸い込まれていく遠近感・・・シビれます。またオフィーリアの兄と王がよからぬ相談をし出した時に「わ~怖い」とばかりに数度に渡って引いていくカメラも見ていて実に楽しいです。そして全編に渡る照明の陰影、これまたモノクロームの雰囲気を存分に生かしうっとりとさせられます。オリヴィエさんにあらためて喝采を叫びましょう・・・オリオリオリOH!オリオリオリYEAH!
10点(2005-01-03 21:56:37)(良:1票)
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