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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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161.  ハプニング 《ネタバレ》 
「なぜ起きたのか」「なぜ収まったのか」という説明は必要ない、「自然ってよく分からないね」という説明で十分だ。特別なオチや、どんでん返しも必要ない。 しかしながら、「何を伝えたかったか」は必要である。 「環境破壊」「自然の驚異」「地球温暖化」「人口増加」「ミツバチの必要性(=生態系)」といった面から、本作を眺めても何も感じられない。 「夫婦の絆の強さ」「壊れかけの夫婦の再生」「子ども(世界の将来)を守り抜く責務」といった面から、本作を眺めても何も感じられない。 何もかも中途半端な描き方しかできていない。 ただ単に、「植物が放出する毒素によって、人々が自殺する姿をショッキングに描いた」というだけの映画でしかない。 脅威となる存在がモンスターやゾンビなどの可視的ではなく、“風”から逃げるという点はユニークであり、珍しいパニックムービーを作りたかったのかもしれないが、その観点からも演出が足りなさすぎる。 本作を見る限りでは、脅威となる存在はやはり目に見えないと面白くないという結論になってしまった。 また、本作のラストがあまりにも酷い。酷いという言い方は語弊があるかもしれない。 本作の設定を踏まえて「一番批判を浴びないラストを考えろ」と言われたら、このようなラストになるだろう。過度な批判は浴びないだろうが、あまりにも安直であり、捻りもなく、冒険のないラストである。シャマラン監督は良くも悪くも記憶に残る監督だったはずではないか。野球選手に例えれば、三振を恐れずにホームランを狙って大振りするような選手だ。その大振りが、時には我々に驚きを与えたり、期待の大きさから、逆に落胆させたりもする。しかし、本作は三振しないように短くバットをもって、ボールに当てただけのような気がする。 毒にも薬にもならないような作品を作ることは、自分自身を貶めるだけではないか。 今度三振したらもうプレイすることができないという状況に追いつめられているのは分かるが、長い目で考えれば自分のスタイルを捨てて平凡なプレイヤーになるべきではない。 ジョーイというキャラクターを自分自身で演じているが、過去の作品に比べて、存在感のあるキャラクターではないのも批判を恐れて自分のスタイルを捨てた証しではないか。 「シックスセンス」から「レディインザウォーター」まで、彼の作品をそれなりに評価してきたが、本作は評価できない。
[映画館(字幕)] 3点(2008-07-30 09:37:54)(良:4票)
162.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
宮崎駿という監督をそれほど高くは評価していなかったが、鳥肌が立つほど宮崎駿の恐ろしさを味わった。 本作を作ることができるのは、恐らく世界を探しても宮崎駿一人しかいないだろう。 ひょっとしたら子どもには作れるかもしれないが、大人には作れない映画だ。 何かを悟ってしまったかのような境地だ。 CGアニメが精緻にリアルに描かれた西洋の油絵ならば、手書きのアニメは日本の水墨画のような仕上がりだ。 CGアニメは画面から得られる情報しか与えてくれないが、手書きのアニメはシンプルではあるが、見たものの想像を駆り立てるチカラを持っている。 西洋の美術は全てを描こうとするが、日本の美術は全てを描くことをあえて止めて、「余白」を上手く利用して、見たものに奥行きを与えている。 どちらが優れており、どちらが劣っているという問題ではないが、本作は非常に日本的な味わいが感じられる作品に仕上がっている。 手書きスタイルだけではなく、ストーリーにおいてもこの「余白」的な仕上がりを感じられる。余計なストーリーを一切廃しており、恐ろしいほどのシンプルさが逆に凄みを感じる。余計なストーリーがないというよりも、ストーリーらしきストーリーも存在しないが、それでも全く飽きることがない。 そういう映画を作ることははっきり言って難しいと思う。 映画に毒されている人ならば、ソウスケとポニョを引き離そうとする父フジモトの悪だくみを描いたり、ポニョを人間にするためにソウスケに試練を与えようとするだろう。 そういったことをあえて描こうとしていないのが恐ろしい。 この描き方は、観た者の想像力を喚起させるのではないか。 本作に描かれているのは、ソウスケがポニョを想う気持ち一つだけだ。 宮崎駿は鑑賞してくれた子ども達に特別なことは必要ない、気持ち一つで十分とでも言っているのだろうか。 また、誰も死なない、誰も傷つかない(ソウスケがガラスで指を切ったのは除外)、人間の悪意がほとんど描かれていない(ゴミで汚れた海は描かれているが)、優しさに満ち溢れた映画である。 これほど澄んだ映画が、他にはあっただろうか。心が洗われる想いがした。 子どものために、子ども目線で作られている映画であり、宮崎駿はストーリーよりも何か別のものを重視したのかもしれない。
[映画館(邦画)] 9点(2008-07-30 09:31:20)(良:3票)
163.  スピード・レーサー 《ネタバレ》 
平日の最終回とはいえ、470人キャパの有楽町の劇場に20人ほどの観客しかいないという惨憺たる光景を目の当たりにするとは思わなかった。 観客の中には『「マッハGOGOGO」懐かしいな』と楽しそうに語っていたおじさんもいたが、自分は生まれてこのかた、元ネタを見たことは一度もなく、元ネタの情報を一切知らずに鑑賞した。 原作を知らず、ゲームもやらないのでこんなことを言っていいのか分からないが、誰も見たこともない世界・映画を構築しようという高い理想を感じられるようにはなっていると思う。 問題点はあるが、製作陣は一切妥協をせず、批判を恐れずに、真摯な姿勢で努力している跡が窺われる。 画面だけ見ていれば、それなりに楽しむことはできるだろう。 ただ、その世界観に上手くハマれず、乗り切れなかったというのが正直なところ。 やや、自分と映画の間に温度差を感じてしまった。 「この人たち、なぜ一生懸命走っているのだろうか?」「この人たち、なぜ戦っているのだろうか?」「主人公、なぜ家を出ようとしているのか?」と感じる冷めた自分が劇場にいた。 なんでもかんでも詰め込もうとして、まとまりが悪くなってしまったのが問題か。 世界観は豊かなのだから、子ども達が楽しめるようにもっと単純でも良かったのではないか。 「レースを金儲けの道具にしている悪い奴を倒す」「レースは八百長ではない」というだけでよく、株価がどうのこうのとか、ビジネスがどうしたとか、買収とか、訳の分からない、どうでもいい背景などは要らない。 余計なことを描きすぎたために、「スピードの兄が自分の身分を隠してまで本当にやりたかったこと」なども上手くは伝わってこず、「家族の繋がり」などの重要なメッセージも伝わりにくくなってしまった。 余計なストーリーだけではなく、余計なキャラクターも多いので、各キャラクターが生殺し状態に陥っている。 本作の描き方では、真田広之、RAINの扱いに合格点を出すことはできないだろう。 肝心のレーサーXですら、あの程度の出番では足りない。 「マトリックス」と同じく世界観を広げすぎたために、上手く収束させることはできなかったようであり、反省が活かされていないようだ。 優れたクリエイターではあるが、もっと単純にまとまりよく物事を伝えることができないと優れたストーリーテラーとはいえない。
[映画館(字幕)] 6点(2008-07-20 00:50:02)
164.  告発のとき 《ネタバレ》 
鑑賞中は「つまらない映画」と思っていたが、鑑賞後は「素晴らしい映画」と感想ががらりと変わった。 「アメリカがイラクで行った暴虐に対して告発する」という大きなテーマを描くのかと思って見てみたら、大間違いだ。 見終わった後は、それよりももっと大きく深いテーマを扱っていると気付くだろう。 “戦争が人間性を崩壊させる”というテーマを、感傷的にもヒステリックにもならずに、静かに怒りを込めつつ冷静に告発している。 見終わってから全てがみえてくるというポール・ハギスの計算された作風が見事だ。 息子を殺された父親と、その息子を殺した加害者が「パンスト話」で笑い合ったり、酒を飲んだりするというシーンの恐ろしさは、最後まで見ないと分からない。 息子を殺された父親に対して、ともに戦った戦友の殺害を冷静に罪悪感もなく語るシーン、戦友を殺して切り刻んで燃やしたあとに腹が減ってきたのでチキンを食べたと語るシーンには、言葉も出ない。 この“異常性”こそが本作の真相であり、その“異常性”を見事に描き切った。 戦争によって“異常”な人間になってしまったが、父親に対して送ったメッセージ、父親に対して贈った写真と国旗には、元の“正常”な心は完全に失われていないことも伝えている。 ポール・ハギスは、アメリカが異常な国になってしまったと告発しているが、正常な国に戻れるはずだという想いも込めたのだろう。 ラストに登場する青年兵士の姿、そして逆さにした国旗に込めた想い、どれもこれも深くて熱い。 原題のタイトルの由来となっている「ダビデとゴリアテ」の話が恥ずかしながらよく分からなかった。 「ダビデ」はシャーリーズ・セロンの息子の名前の由来なので、アメリカの若い兵隊を言い表しているのだろう。ダビデ(若い兵士)はパチンコ(現代に置き換えれば銃)をもって、巨人「ゴリアテ」に立ち向かう。 巨人「ゴリアテ」は、イラクを指しているのかもしれないが、この場合“戦争”そのものを指しているのかもしれない。 結果的には、ダビデ(アメリカの若い兵)は巨人との戦いには勝つことができた。 しかし、ポイントは小人が巨人に勝つことではなく、なぜそもそも小人のダビデが巨人と戦わなければいけないのかが問題ということなのだろう。 勝ち負けの問題ではなく、アメリカの希望ある若い兵隊が戦争に赴くことに対する問題とその矛盾を示したという解釈をしたい。
[映画館(字幕)] 8点(2008-07-16 20:13:10)(良:5票)
165.  イースタン・プロミス 《ネタバレ》 
男の理想ともいえる世界が構築されている。 男性ならば、この世界に酔うことができるはずだ。 善と悪の世界の狭間に生きる男の、美しくも不器用な生き様に引き込まれるだろう。 悪の世界にどっぷりと浸っているために、もう善の世界に引き返すことの出来ない辛さを抱えるとともに、悪の世界の汚れた美しさの魅力にも惹かれてしまっている。 ヴィゴだけではなく、ワッツも危険なものに手を出さざるを得ない状況に陥っている。 男性におススメの映画だが、本作に描かれているのは性別を問わない美学かもしれない。 絶対的に悪でもなければ、絶対的に善でもない。 好きな女に好きといえなければ、放っておくこともできない。 好かれた男に応えるわけでもなければ、放っておくこともできない。 組織にハメられたと知りながら、認められたことを喜ばずにもいられない。 何もかもニュートラルな状態が本作の魅力かもしれない。 ニュートラルにすることによって、優しさと残忍さを併せ持つ男の相反する二面性のようなものがきちんと描かれていたと思う。 ナオミとのラストのキスシーンで善の世界を捨て切れていない感情を表し、ラストのレストランでのシーンで悪の世界も捨て切れない感情を表している。 この二つのシーンが、非常に良い対比となっているのではないか。 また、ヴィゴとナオミとヴァンサンの隠れ三角関係がいいスパイスとなっている。 ヴァンサンのナオミに対する攻撃的な姿勢がいい伏線となっているのかもしれない。 父親に対して頭が上がらないはずなのに、ヴィゴをハメた父親と喧嘩するということは、ヴィゴに対して相当ホレ込んでいたのだろう。 ヴィゴとナオミも良かったが、ヴァンサンもなかなかいい仕事をした。 好きな男がゲイかどうかを調べるために、彼にヤラせて、その最中をずっと見続けるというところに彼の倒錯した感情が上手く表れている。 注目のサウナでのバトルシーンはバトルに夢中になって、さすがにあっちには全然目がいかなかった。
[映画館(字幕)] 8点(2008-07-04 23:25:49)(良:1票)
166.  JUNO/ジュノ 《ネタバレ》 
作り物のような別世界のストーリーではなく、ナチュラルで身近に感じられる点が本作の良さではないか。 賞を狙って背伸びしてカッコつけるのではなく、ジュノたちのようにありのままの姿を自然体で描こうとしている点に好感がもてる。 本作には、映画やドラマにありがちな劇的な事件や劇的な変化があるわけでもない。 ただただ、それぞれの登場人物がゆっくりと前に向かって歩んでいこうとしているだけだ。 したがって、感じ方はなかなか難しいものとなっている。 つまらないと感じさせる部分は皆無だったが、「メチャクチャ感動した」「メチャクチャ面白い」「非常に共感した」というようなことはなかったのが正直の感想。 アカデミー賞で評価されるほどの作品かどうかはやや疑問だ。 ただ、男性と女性、又は年代(特にティーンかどうか)によって感じ方が異なる作品かもしれない。 個人的に強く感じたことは、人生においては失敗するということは何度もあるけれども、深く悲観する必要はないということではないか。 人生が完璧ということやパーフェクトということはあり得ない。 あの夫婦や、ジュノの父親も一度は失敗している。 失敗や何かを恐れて行動しないよりも、自分を偽らずにありのままの姿を晒して、自分らしく生きろということだろう。 あの夫婦のうち、夫の方はあきらかに自分を偽っていた。 そして、妻は夫に偽りの姿を演じさせることを強要していた。 自分らしく生きることができないと夫婦関係や恋人関係には歪みは生じるということなのだろう。 そんな欠点のある妻に、ジュノは自分の息子を託したのは、子どもを持ちたい・子どもを愛したいという彼女の気持ちには偽りがないとジュノは感じたからではないか。 彼女は子どもが欲しいという気持ちをありのままさらけ出していた。 分かりやすいコメディタッチの女子高生妊娠モノ映画と思われがちだが、演技・演出・脚本など、細かい部分を繊細に描かれているような気もする。 一般向けというよりも、やや玄人向けの映画と思われるので、自分には少々向かないところもあった。
[映画館(字幕)] 7点(2008-07-02 23:39:33)(良:2票)
167.  ラスベガスをぶっつぶせ 《ネタバレ》 
まさに起承転結通りの教科書映画であり、予想外には楽しめないが、予想通りに楽しめる。 友情あり、恋愛あり、親子関係あり、嫉妬あり、挫折あり、復讐ありのフルコースが描かれており、バランスも悪くはない。 ただ、“友情”以外は、どれもこれもやや中途半端に終わっており、“傑作”と手放しで誉める映画には仕上がっていない。  特に、本作のキーでもある「教授と主人公の関係」が弱すぎる点はもうちょっと補強した方がいいのではないかと思われる。 本作の描き方では、学生を利用するだけの強欲で冷酷な金にガメツイ教授としか映らない。それでは単純すぎるので、好ましくない。 師弟関係は磐石ではないものの、師弟の絆が相当に良好であることを示すエピソードをトレーニング中にもっと描いた方が、ラストのオチを考えるとより効果的になる。 二人の関係は良好だったが、感情に走らずマシーンのようになることを望む教授と、マシーンではなく、感情に左右される単なる人間であった主人公とのズレが彼らの関係にヒビを入れるということを上手く描いて欲しかったところだ。 教授をハメる作戦についても、しょせん教授も人の子であり、彼もまたマシーンではなく、ただの人間だったというような趣旨も加えてもよかったのではないか。 いくら大金を儲けても、チョコレートやシャンパンを盗んでしまうように、人間の本質は変わらないということを描く必要もある。  また、ブラックジャックがテーマでもあるので、ブラックジャックの勝負をもっと上手く描くことはできなかったか。 どんどんとコインが増えていくだけの演出は、はっきり言って二流の演出としかいいようがない。 カードカウンティングのシステムはよく分からないが、勝負すべきところと勝負すべきではないところを上手く描いて、彼らの神業的な凄さをより分かりやすく演出すべきだ。 そもそも本作の導入部分である「3つの扉の後にある新車とヤギ」のネタがピンと来ない描かれ方をしているのがもったいない。 カードカウンティングの説明を映画の中で事細かく描くことはできないので、こういったネタを一つだけでもしっかりと押さえておけば、その後のストーリーはなんとかなるはずだった。
[映画館(字幕)] 7点(2008-06-16 01:27:33)
168.  インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 《ネタバレ》 
再びインディ・ジョーンズと冒険を出来るのは、喜ばしいことだ。 過去のシリーズで良かったアイディアを流用している部分があり、好ましいと感じられるところもあった。 しかし、肝心の冒険の内容はあまり好ましいものではなかった。 ストーリーは分かりにくいものではないが、あまりに変な方向に大きく膨らましすぎて、付いていけない。付いていくことができないのではなく、付いていきたくないというストーリーだ。 あり得ないようなストーリーが本シリーズの特徴でもあるが、今回ばかりはちょっと間違えた方向に進んでしまったのではないか。 そういった存在をぼやかす程度ならば許せるが、ここまでモロにやられるのは困惑する。 また、キャラクターも多数登場するが、誰も使い切れていないのが問題だ。 敵役のケイト・ブランシェットは頑張っているものの、全体的に出番が少ないため、魅力や存在感が薄い。悪役としては合格点とは言い難い。彼女よりも「最後の聖戦」のエルザの方にまだ魅力があり、もっとイヤらしさを醸し出して欲しかった。 シャイア・ラブーフもロープアクションやバイク、ナイフなど頑張っているものの、こちらも存在感が少々薄すぎる。母親マリオンとインディの恋愛にヤキモチを焼く子どもっぽさは悪くないが、出番が足りない。 親が子のために、子が親のために命をかけるような展開に出来なかっただろうか。 親子愛という要素をもうちょっと工夫すれば、いい展開になった。 マリオンの同行は許せるが、マックとオクスリー教授は本当に必要なキャラクターなのかと問いたくなる。どちらにも確かに重要な役割はあるが、脚本を工夫すれば同行させる必要はない。同行させるならば、それ相応の役割を演じさせるべきだろう。 マックのとって付けたような退場のさせ方は酷すぎた。 主役であるハリソン・フォードのアクションは悪くないが、還暦近い考古学者のオヤジが殴り合いで屈強の兵士に勝つという設定よりも、歳を取ったなりにもっとアタマを使ったクレバーさやスマートさも身に付けて欲しいものだ。 アクションはもっとシャイア・ラブーフに任せてもよかったのではないか。 全体的に既視感のある演出・ストーリーであり、目新しさを感じることができない。 キャラクターも魅力ある活躍をせず、ストーリーもおかしな方向に進んでしまったため、高い評価はしにくい作品だ。
[映画館(字幕)] 6点(2008-06-15 02:54:11)(良:1票)
169.  ザ・マジックアワー 《ネタバレ》 
予想以上に十分笑える映画には仕上がっている。双方の勘違いによるシチュエーションを上手く利用したハイレベルの笑いが随所に盛り込まれており、その点は評価できる。 特に、「カット」の使い方などはハマった。 ただ、一本の映画としては高い評価をしにくいところはある。色々と詰め込みすぎたためか、“収まり”や“バランス”が悪くなったという印象をもつ。 結局、何が描きたかったのかという点が見えにくくなっているのが欠点だ。 監督が当初伝えようと思ったのは、タイトルにある通り「マジックアワー」だと思う。 昼と夜の間の一番美しい瞬間というような説明だったと思うが、その「マジックアワー」を人生にみたてたかったのではないか。役者として全く成功することなく、役者から足を洗うかどうか悩む佐藤浩市に対して、“きっと「マジックアワー」は来るものだ”と教えるのが本作の趣旨と思われる。 佐藤だけではなく、誰のところにもきっと「マジックアワー」は来るはずだということを伝えるのが落としどころと思っていたが、こういう趣旨が上手く伝わりきれていないのが惜しい。「今日はダメでも明日がある」という大事なメッセージが唐突になりすぎている。 そして、肝心のオチが悪すぎる。 俳優に現実の殺し屋を演じさせるという面白いシチュエーションを思いついたものの、オチは思いつかなかったようだ。 終盤に進むにつれ、面白みを失っていくのが残念だ。 本作はボスとデラ富樫への二段階のオチが用意されているがどちらも上手く落ちていない。完全にスベったのではないか。三谷は、スベり芸という高度な芸を披露したわけではあるまい。 例えば、二つの組の抗争に佐藤浩市が絡んでいき、映画だと思い続ける佐藤浩市が抗争にピリオドを打ってもよかっただろう(もう一つの組も佐藤がデラだと思うという設定にすれば面白くなったはず)。 または、佐藤が最後の最後に現実の出来事だと気付き、自分の命を守るために、役者らしい一発逆転の策を練ってもよかった。 もしくは、妻夫木を悪役にして、騙しているつもりが、最後には騙されてしまうというものでもいい。 確かに、随所で笑える映画にはなっており、評価も悪くない点に落ち着きそうだが、笑えるだけでは物足りないと思う観客もいるだろう。何かが足りないのではないか。
[映画館(邦画)] 6点(2008-06-08 01:49:42)
170.  アイリス(米英合作映画) 《ネタバレ》 
「ジョン」と「アイリス」を演じた4名の役者の素晴らしい演技の共演が見事である。 特に、ジュディ・デンチの演技は恐ろしいほど完璧だ。 同年のハル・ベリーはなかなか強敵ではあったが、このような演技にこそ、アカデミー賞を送るべきだろう。 演技だけでなく、映画としてもなかなか奥深いものがある。 ジョンからは、アイリスと分かり合いたくても、分かり合えない辛い気持ちが伝わってくる。 一緒に寝ている呆けた妻に向かって、何もしていないのにボロクソにけなすシーンなど本当に素晴らしい。 ただ単に献身的に介護するだけでなく、このような感情を露(あらわ)にするシーンがあるからこそ、彼の愛情の深さを知ることができる。 二人の出会いのときから、アイリスの死によって二人を分かつまで、あの二人は完全には分かり合えなかったのかもしれない。 しかし、「分かり合えなくても、一緒にいるだけでよいのではないか」ということが本作から伝わってくる。 本当の「愛」とはこういうものなのではないか。 アイリスもアイリスなりに、ジョンの愛情を受け入れようとしているのがきちんと現れていると思う。 ラスト間際の、車から飛び降りたジュディ・デンチの「I LOVE YOU」というセリフだけでなく、若い時代に出来上がった小説を見てもらおうとする際のケイト・ウインスレットの演技もかなりの出来だ。 また、若者の時代から老人の時代になり、アイリスが病気になることに伴い、二人の関係で変わってしまったもの、変わらないものも味わい深く感じることができる。 派手さは全くないが、いい映画とはこういう映画をいうのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2008-06-08 00:38:56)(良:1票)
171.  ランボー/最後の戦場 《ネタバレ》 
“戦う”ことの意義を問うた作品に仕上がった。“戦う”ことに対して悩み続け、そして逃げ続けても決して“答え”は出ない。“戦う”ことに真正面から向かい合ってこそ、何かしらの“答え”が出るのではないか。故郷の地に戻ることができたのも、彼なりの“答え”が出たことの証だろう。 武装船を燃やすことによって“戦い”から逃げたいというランボーの心境を表すとともに、過去のシリーズをフラッシュバックさせることでランボーの傷が癒えていない事をアピールしている。そして、最後まで戦い続けた結果、人々に笑顔が戻ったことで、ランボーなりの“答え”が出たことを観客に伝えている。何も考えていない銃乱射のグロアクション映画ではなく、押さえるべき点をきちんと押さえているので好感が持てる仕上がりとなっている。 「ロッキー」シリーズもそうだが、「ランボー」シリーズも等身大のスタローンが反映されている。“戦う”ことから逃げてきたランボーは、「ロッキー」や「ランボー」の栄光から逃げてきたスタローンに似ている。演技派と認めてもらおうとイメージをいくら変えようとしても、結局は自分を偽ることにしかならない。 徹底的にハードなアクションにこだわった理由としては、「自分にはこれしか出来ない」という潔さを感じ取って欲しかったからではないか。この映画からは、“偽り”は感じられなかった。 スタローンという役者は実は凄い役者ではないかと感じた。 スタローンは決してジョニー・デップやトム・クルーズのようにはなれない。 しかし、ジョニー・デップらの名優が伝えることができないことをスタローンは我々に伝えてくれるのではないか。不器用(本来は監督・脚本・演技ができるので不器用ということはないが)で、才能がなくても、自分が出来ることを愚直なほどに真っ直ぐに貫けば、きっといつか輝けることができるはずだと教えてくれている気がする。誰かの真似をする必要もなく、自分自身を偽って背伸びをする必要はない。たとえ、誰もが認めてくれなくても、自分自身が最後には納得できるはずだと教えてくれている。これらのことが「ムダに死ぬか、何かのために生きるか」というセリフに凝縮されている。 スタローンの生き様には一目置きたい。本作はただのハードでグロいアクションばかりではなく、生き様、哲学、人生を語っている作品でもある。
[映画館(字幕)] 7点(2008-06-03 23:44:55)(良:3票)
172.  幻影師アイゼンハイム
この手の映画はネタが命なので、詳細なレビューは書けない。 端的に書くと、①このオチは個人的には好ましくなかった、②ストーリーは辻褄が合わず、基本的にはご都合主義満載、③イリュージョンは単なるCGにしか見えないので面白みに欠ける、④全体の雰囲気はそれほど悪くはない、というところか。  これら以外で最も気になったのは、ポール・ジアマッティ扮する警部の内面の変化だ。 キーパーソンは間違いなくポール・ジアマッティ扮する警部であり、彼の内面こそこのイリュージョンの成功のカギとなる。 胡散臭いアイゼンハイムを信用するのかどうかという問題は、ポール・ジアマッティ扮する警部の問題ばかりではなく、本作を見ている観客の問題でもある。 「ポール・ジアマッティ扮する警部の内面=本作を見ている観客の内面」といってもいいかもしれない。 この肝心のポール・ジアマッティ扮する警部へのイリュージョンが、そのまま観客へのイリュージョンに繋がるようには、上手くオチていないのがもったいない。 中盤と終盤のポール・ジアマッティ扮する警部の内面の変化がやや突飛すぎるところがあるのが少々残念だ。 ポール・ジアマッティの内面の変化にももう少し注意を向けて欲しかった。  冒頭にオチは好ましくないとは書いたが、工夫次第ではそれほど悪くはないものになりそうだ。 気になるご都合主義も細部を丹念につぶしていけば、クリアできそうな気がする。 オチで驚かせてやろうという根性を捨てて、もうちょっと全体を通して筋が通るものにすべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-28 21:31:28)
173.  ハンティング・パーティ 《ネタバレ》 
「言っていることは分かるけど、結局何が言いたかったの?」という映画。 ジャーナリスト魂を描きたいというよりも、「戦犯をCIAや国連は野放しにしている」という事実を伝えたいとしか思えない内容だ。 フォックス(実在のカラジッチをモデルにしている)はセルビアの英雄と目されている人物であり、そんな人物にアメリカのCIAが手を出したら、国際情勢が混乱するというのは明白だろう。そういった微妙なバランスが存在すると思われるので、CIAは手を出したくても手を出さない、手を出せるけれども手を出さないという政策的な判断をしているのではないか。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の背景を詳しく知らないので、偉そうなことは言えないが、彼が大虐殺に関わっていたとしても、彼を捕まえることで「万事解決」という単純なものではないはずだ。本作を見る限りでは、ボスニアには紛争の傷跡・悲劇の爪痕が色濃く残っているようであり、火種を再燃しないということに専念しているのではないか。 また、ドキュメントで行きたいのか、フィクションで行きたいのか、やや中途半端となったのも大きな問題か。トンネル後のストーリーは完全なフィクションと思われるが、本作のフィクション部分がかなり幼稚だ。ジャーナリストはあくまでもジャーナリストであり、警察でもなければ、CIAでもなく、ましてや正義のヒーローでもない。 「彼に会って虐殺の真相や彼の信念をインタビューしたい」というものならば納得できるが、「何の策略や計画もないのに彼を捕まえたい、恋人を殺された復讐をしたい、金が欲しい」という内容に納得できる観客は少ないだろう。 何とか面白くしようと思い、脚色をどんどんと加えていくうちに、大切にすべき方向性を見誤ったような気がする。 見ている最中は、「ひょっとして、こいつらジャーナリスト魂なんてものは持ち合わせておらず、ただただ生死の狭間で体験できる独特のスリルを味わいたいだけじゃないのか。戦争や紛争がなくなった(実際にはまだまだ絶えないが・・・)ので、ただ危険地域に足を踏み入れたかっただけじゃないのか」と思っていたが、そういった意図もなさそうだ。 題材的には面白そうなのだが、「ジャーナリスト魂」を感じさせる内容になっていないのが残念だ。彼らは危険地域にわざわざ近づく、ミーハーな人間と同じではないかと思ってしまう。
[映画館(字幕)] 5点(2008-05-23 22:45:31)(良:1票)
174.  チャーリー・ウィルソンズ・ウォー 《ネタバレ》 
それほど悪くはないストーリーだとは思うが、悪い意味で裏切られる映画だ。 予告編や全体的な雰囲気から、トム・ハンクスが演じるトンでもない議員がトンでもない手法でトンでもない活躍するというコメディ的な要素を期待していたが、思っていた以上に真面目な社会派的な映画という仕上がりとなっている。 確かに、実在の議員を扱い、実際のソ連によるアフガン侵攻を描いているので、それほど不真面目に作るわけにはいかない。 ただ、真面目な映画ではあるが、中東の事情に全く疎い自分にも分かるようにかなりレベルを落として描いてくれている。たとえ知識がなくても、それなりに興味と常識のある人には楽しむことはできる仕上がりとなっているのは助かる。 「冷戦」「共産主義」「宗教」「政治」「議員」「金」という複雑で難しいテーマを平易に描き上げた点は評価できそうだ。 ただ、レベルを下げたことによる功罪も浮き彫りになっている。 分かりやすく描こうとしたため、“深み”や“重み”を完全に失ってしまっている。 チャーリーはかなり難しいことをやっているはずなのだが、その“困難さ”が見えてこない。大きな壁にぶち当たることなく、低いハードルを何度も超えているようなイメージであり、「グッジョブ」と彼の偉業を称えたいとは思えないのが残念だ。 様々なコネや恩義や人材を利用して、現地に飛び、人に会い、委員長を説得して、予算を増額するだけだ。 何もかも簡単に上手く行き過ぎており、それぞれの思惑もみえてこない。 本来の政治とは利害に絡み合っており、実に複雑なものだ。 国内の政治でさえ難しいのに、国同士が絡み合い、更に事態は複雑なはずだ。 近隣諸国のうち一部の人間にはソ連を支持するところもあるだろう。 そもそもチャーリーの内面もそれほど描かれているように思えない。 彼の内面や動機は「アフガニスタンでの悲惨なニュースをみました」「予算を500万ドルから倍増してみました」「難民キャンプを見て子ども達が爆弾で悲惨なことを知りました」というような単純なものではないとは思う。 アメリカ人が、「ソ連との冷戦」を振り返り、「アフガンでアメリカが行ったこと」を知り、「タリバンやアルカイダの誕生」の側面を知る映画としては悪くないが、日本人にはこの問題に対して、それほど興味がないと思われるので、トンでもない議員が活躍する映画だと思ってみると拍子抜けするだろう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-05-21 22:54:16)
175.  ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 《ネタバレ》 
ダニエル・デイ=ルイスの演技は完璧だ(完璧すぎて一緒に仕事をするのは大変そうだ)。彼の演技を見るだけでも、本作を見る価値はあるだろう。 ただ、“映画”としてはそれほど面白いものではなかった。 正直いって、個人的には作品には全く入り込めなかった。 これは作品の出来が悪いということはなくて、常人には入り込めるような余地がない、常人を拒絶するような作品なのかもしれない(音楽も拒絶する要因になっている)。 アンダーソン監督は、あえて挑戦的な映画を製作したように思われる。 「金よりも大切なものがある」「金中心の自分の人生を最後に後悔する」というような、ありきたりな甘い作品になっていないのもポイントだ。 「金のためならば自分の魂までをも売る」というのは、ある意味で人間の真理の一面でもある。 人間には善の部分も確かにあるが、悪の部分もあるのは間違いないだろう。 こういった人間の本質的な部分を描き切った点は非常に評価できる。 通常のハリウッド映画には到達できない境地といっていいだろう。 ダニエルは、冒頭の青年時代の金採掘時から、ラストの老年時代に至るまで、全くブレていないのかもしれない。 他人の成功を妬み、自分が成功することのみを追求し続ける。 それがある意味で人間らしく素晴らしい。 ただ、ブレる要素はあった。 思いもよらぬ息子や弟の登場により、彼にも変わるチャンスはあった。 ただ、実際に血の繋がりがない肉親ではないために、関係が脆いものだったのが不幸だったのかもしれない。 ダニエルなりに葛藤はあったが、他人に対して自分本位の物の見方でしか、接することができなかったのだろう。 息子が独立したいといえば彼の見方では商売敵になる、赤の他人が近づいてくれば彼の見方では自分の金を狙っている、神がいるという者は嘘つきだという考え方しか彼はできなかった。 ただ、この世の中においては、彼の見方も一つの真実であるので、タチが悪い。 他人の生き血を吸い続けるという彼の生き方が何もかも間違っていると断言できる自信は自分にはない。 彼を「勝利者」とはいえないが、「敗者」でも「可哀相な人」でも「破滅した人」でもない。 何ともいえない深さが本作にはあり、初見では全体が見えてこないかもしれない。 何度も見るべき作品だろう。 「ノーカントリー」よりも、将来的に語られる映画は、恐らく本作の方だと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2008-05-19 22:39:16)(良:1票)
176.  パンチドランク・ラブ 《ネタバレ》 
何を伝えたいのか趣旨がよく分からないところもあるが、「狂っているのはオマエだけじゃない。世の中どこか狂っている。キレたくなる衝動は分かるけれども、どうせキレるのならば、いい方向にキレてみよう」というメッセージとして本作を受け取った。 恋愛にキレて、恋愛に狂ってみたら、ドンヨリと曇った世界も、虹色のような世界(ハワイ)になるということか。 彼が愛用している青いスーツも、ブルーの気持ちを代弁しているのかもしれない。  事故を起こす車、壊れかけのピアノ、マイレージのルールの歪み、応援しているのか苛立たせているのか分からない家族、H系の電話なども、世の中が狂っていることを言い表しているようにも感じるが、個人的にはそのどれも上手くはハマれず、共感するには至らなかった。 頭で理解しようとするのではなく、まさに感じる映画なのだろう。 個人的な率直な感想としては、共感しにくいので、あまり好きなタイプの映画ではなかった。 また、ストーリーを楽しむよりも、映像の面白さを楽しむのも手だろうか。 好き嫌いが大きく別れそうな映画だ。
[DVD(字幕)] 5点(2008-05-19 22:22:43)
177.  最高の人生の見つけ方(2007) 《ネタバレ》 
重くなりがちなテーマを、比較的軽めのコメディタッチに仕上げており、しかも軽い仕上げであっても、きちんと感動できるようになっている。 監督・俳優の高い技量の賜物だろう。 現実離れしたご都合主義という批判はあるかもしれないが、何もかも現実に即して描く必要はなく、ちょうどいい上手い具合に調理された映画だ。 いい年をしたオヤジたち二人の旅は本当に微笑ましい。 見ているこちらも、旅に出掛けたくなる映画だ。 旅に出掛けることももちろん意義があることだが、モーガン・フリーマンにとっては意識を改革することに意義を見出そうとしたのだろう。 病床で家族と向き合う期間をだらだらと過ごすことよりも、忘れてしまった妻への想いを取り返し、一瞬だけだとしても家族とかけがえのない時間を過ごすことによって、自分の人生に再び輝きを取り戻すことができると考えたのではないか。 妻への説得があっても帰ろうとせずに、ジャック・ニコルソンの色仕掛けのワナによって、ようやく妻への忘れかけた想いを再び感じられるようになるというのも面白い仕掛けだ。 ニコルソンにとっては、この旅は単なる道楽だったかもしれないが、旅を通して、かけがえのない親友を手に入れている。 女性にはモテるかもしれないが、本当の意味で親友と呼べる存在はモーガン・フリーマンだけなのだろう。 秘書とも深い絆で結ばれているが、対等の立場ではないので、親友とは呼べない。 親友だからこそ、誰もが言わないことを言ってやろうと思う(疎遠となった娘と会え)。 親友だからこそ、自分にとって難しいことを言われたとしても、それに応えてやろうと思う。 親友というのは、そういう関係なのだろう。 自分流の“最高の人生”とは、「自分の人生をできるだけ楽しむこと」だと思い、そういう生き方を今まで実践してきたが、それでは半分程度なのかもしれない。 自分の人生を楽しむことだけではなく、他人の人生を楽しませてこそ、本当の意味において“最高の人生”ということになるのだろう。 本作は、結構深いところを描いている。 妻(恋人)、家族はもちろんのこと、友人でも構わないという点がなかなか良い。 彼らは6ヶ月程度でそれを成し遂げたのだから、誰にとっても遅いということはない。 そして、誰でもそれはできるはずだというメッセージを込めたのではないか。
[映画館(字幕)] 8点(2008-05-18 14:12:04)(良:1票)
178.  ミスト 《ネタバレ》 
映画をみて、これほど“絶望”という想いを感じられたことはなかったと思う。 この点において、本作は評価されるべきだろう。 最後に巨大生物を登場させることによって、微かな“希望”にも完全なピリオドを打ったところも上手い。 ラストの行動に繋げるだけの決め手や動機付けにもなっている。 彼らにはもはや抗う姿勢すら見せていないほどの“絶望”を与えている。 問題はラストのオチだろう。 自ら死を選び、全滅するくらいならば、誰でも予想はできるオチだ。 まさか“死”よりも過酷な責苦を主人公に負わせるとは思わなかった。 なぜ、主人公にこれほどの責苦を負わせたのかが、最大のポイントではないか。 キングやダラボンの宗教観など実際には分からないが、個人的には本作を見て、彼らは「神はいない」ということを描くよりも、逆に「神はいる」と描いたような気がする。 人類が神に逆らうようなことばかり行っていると、“死”よりも恐ろしい“地獄”を味わうことになるという警鐘を描いたように感じてしまった。 庭に木を植えるというような人間の業にすら、罰があるというのは行きすぎな話だが、自然を破壊し、自然の摂理に逆らっていれば・・・という想いがあるのではないか。 「神はいない」ということを描きたいのならば、全滅させればいい話だ。 ホラーとしても面白い作品だが、この点の仕上がりはそれほど良くはない。 制作費18百万ドル(このラストで大金を使えるはずはない)と超低予算映画なので、CGの出来が非常に悪く、蜘蛛の糸の勢いのなさには苦笑してしまうほどだ。 ただ、本作のメインテーマはホラーというよりも、パニック時における人間模様だったのではないか。 “恐怖”に襲われた際の集団心理や陥りやすいワナを上手く描いている。 人々の恐怖を利用し、神を悪用することによってマインドコントロールされ、狂信的・暴力的なカルト集団の誕生の過程までをも描いてしまっている。 また、人々は協力し合えば助かったかもしれないのに、最後まで争いやプライド、己の信念を捨て去ることはできないというのも面白い。 こういった点についても、ダラボンは描きたかったはずだ。 その意味では、影の主役は間違いなく、狂信的な宗教家ミセス・カーモディを演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンだろう。 彼女の怪演がなければ、この映画の魅力は激減してしまう。
[映画館(字幕)] 7点(2008-05-17 14:40:33)
179.  NEXT-ネクスト- 《ネタバレ》 
質などを総合的に判断すると点数は低いが、個人的にはそれほど嫌いな作品ではない。 その理由は、ニコラス・ケイジが出演しているからだ。 とはいっても、ニコラス・ケイジそのものが好きなわけではない。 彼の醸し出す胡散臭さが妙に本作の胡散臭さにマッチしているから、面白く感じられるのである。 もし、本作の主人公がマット・デイモンだったら、「ふざけんな」とブチ切れていただろう。 ニコラス・ケイジだから、「何でもあり」「破綻していようが何でも許せてしまう」という気持ちになれる。 しょぼい能力に見合うだけのチープなオーラを備えているので、彼はある意味でいい役者だ。 むしろ、彼を活かすために、もっとカッコ付けずに、なぜB級っぽく全体を演出出来ないものかと逆に怒ってしまうほどだ。 一般の観客には合わない作品だとは思うが、ニコラス・ケイジのB級テイストを感じ取れる人には向いている。 核兵器の爆発という大きなストーリーの割には、胡散臭い男を巡るFBIとテロリストの小さいストーリーに終わってしまう辺りが最高だ。 途中までは悪くなかったが、最後の銃撃戦が少々イマイチか。 肝心のクライマックスとしては、あまり納得はいかない。 さすがに分身するのはやりすぎだ。 冒頭の「カジノ脱出」を超えるような神業を披露して欲しかったところだ。 「こいつはスゲエ」「こいつは神だ」と思えるような動きを上手く演出できないものか。 その神業の行き着く先は、絶対に「分身」ではないだろう。 ニコラス・ケイジの余裕の動きと、それに必死に応えるFBI・SWATの連携を、微妙な違和感をもって上手く演出できれば、絶対に面白い作品に仕上がったはずだ。 議論が分かれそうな、オチや終わり方も個人的にはそれほど嫌いではない。 エンドクレジットが始まる前に、「この辺りで終わらした方がいいだろうな」と感じられたからだ。 あれ以上描けば、「蛇足」になってしまう。 このオチのために最後まで取っておいたのかもしれないが、途中でも「失敗する未来」をもっと多用しても面白かったかもしれない。 「死んだ」と思ったら、それは現実ではなかったという展開がもっとあってもいい。 「バンテージポイント」のように、要所要所で何度も何度も巻き戻されると、一風変わった映画に仕上がったのではないか。
[映画館(字幕)] 5点(2008-05-05 14:54:44)
180.  紀元前1万年 《ネタバレ》 
テーマや設定は悪くはないが、あまりにも発想力、アイディアが欠如している。高額な制作費を掛けた割には、その費用に見合った内容には仕上がっていない。スケールの大きさではなく、もっとアイディアに金を掛けるべきだろう。金を掛ける部分が間違っているのではないか。 特に、主要メンバー2人が「瀕死の重傷を負った敵に背後から攻撃される」という同じような展開をみせられると、さすがに悲しくなる。 女性の方はあの描き方でも悪くはないが、男性の方はもっと派手に散らすべきだろう。 意味のある死に方を描けないようでは、質の高い作品とはいえない。 なんのために存在するのか分からないようなキャラクターが多すぎる。 また、通称“ゴッド”のあっけない最期と、ハリウッド的ハッピーエンドに至るラストが非常に不味い仕上がりとなっている。 “ゴッド”とのやり取りにはもう工夫必要だろう。あまりにもあっけなさ過ぎる。 例えば、“ゴッド”が奇術的なチカラを用いて、反乱を鎮めて、交渉を持ち掛けようとするが、そのイカサマトリックに主人公が気付いて、“ゴッド”の神格性を否定して倒すといった展開の方が面白いのではないか。 今では常識になっていることだが、当時では理解不能なことを利用して民衆を統治していたといったことを紹介することもできるだろう。 訳もなく交渉に賛同しておきながら、いきなり狂ったように槍を投げ付けるなど、あまりにも発想が貧困すぎる。 ハリウッド的ハッピーエンドもあまりにも強引過ぎて苦笑するしかない。 巫母が苦しむ姿が何度も出てきて、ウザイと思っていたが、まさかこんなことのために引っ張っているとは思わなかった。 強引に生き返らせるのではなく、サーベルタイガーかマナク(マンモス)が身代わりになるとか、ティクティクか主人公の父親が身代わりになるとかもっと膨らますことはできたはずだ。 そもそも、マナク(マンモス)を暴走させるだけで、反乱がほぼ成功するというのも、あまりにも敵側をナメ過ぎではないか。 実は、主人公の父親が生きていて、反乱の準備を着々と進めていた矢先といったような展開に持っていった方がよりスムーズだろう。 そして、息子のために、自分の身を犠牲にした方がストーリーとしては引き締まったはずだ。 今後はローランド・エメリッヒは監督に専念して、脚本は他に任せた方がいいだろう。 彼には作家性はないのではないか。 
[映画館(字幕)] 4点(2008-05-05 14:37:40)(良:1票)
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