161. 最‘狂’絶叫計画
《ネタバレ》 かなりおもしろかったです。笑いながら見られます。 このあと1と2も見てみましたが、あまりに下ネタがきつくて私には向いていませんでした。3の監督さんは限度を心得ているし笑いのセンスがあるし、私はかなり好きです。小ネタもいちいち面白いです。 アンナ・ファリスっていいですね~。今回は「リング」に合わせて金髪になっていましたが似合います。 例によって多少のダメ出しをさせてもらうと、「8mile」を組み込む必要はぜんぜんなかったではないか。これはもう単に作り手の趣味で入れたのでしょうが、邪魔している以外の効果はなかったし。あとは、タビサのコケが不満ですね。重要なコケが2回あったのですが、どちらも不完全なコケで、がっかりです。あれは少女と別人が演じたのではないかと思われますが、コケ慣れていないみたいです。 子役の少年が可愛い!ドツき回されてもけっこう平気というキャラがとってもいいです。それから、大統領ネタもいいですね。どうせならパパ・シーンにやらせたかったところですが、それはムリというものでしょう。マイケル・ジャクソンも意外性があって良かったですね。一番好きなシーンをあげるなら、たくさんあって難しいですが、アーキテクトVSシンディ(フロムマトリックス)でしょうか。メーターを見ないでコインを入れるところからもう好きです。おっさんが床にカタカタ足をつけながら振り返るところなんかたまりませんね。 他にも気の効いた小ギャグがいっぱいで楽しいです。女性の方は、1と2を見ないで3だけ見ることをおすすめします。4もあるらしいですが、CSで放送されるまで待つか~。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-11-02 16:08:32) |
162. タロットカード殺人事件
《ネタバレ》 老いてからのウッディ・アレン作品をいくつも見ていますと、ある知人の言葉がよみがえります~。 その人は広告デザインの仕事をしていましたけど、「人のクリエイティビティは20代で終わる。30代以降は、20代に貯めたアイディアをアレンジして食いつぶしていく」ものなのだそうです。 なんだかこの言葉が最もあてはまるのはウッディ・アレンなのではないでしょうか。 そら、「マッチポイント」のような異色作も出しましたが、アレとて「20代の遺産」だと思います私は。70過ぎて思いついたものではなかろうて。 さて、金髪で若くてガタイのいい女と絡むというマンネリパターンを繰り返しているここ数年ですけども、いいかげん飽きてきた感じは否めない。それなりに面白いですよ。もちろん他の作り手のものとは一線を画していますけど、ハッとするような場面もありますけども、この先何本撮ろうとももう「新しいもの」は出てこないということに今さら気がついたのでした。 アレン作品を見るたびに期待していたのだが、悲しいけれどもカレには一応の見切りをつけるしかない。70過ぎれば「20代の遺産」を食いつぶしても当然ですよね。 ジョー・ストロンベルのパートだけは非常に面白かったです。逆にヨハンソンとヒュー・ジャックマンが絡みだすと極端にスピードが落ちたうえつまらなくなりました。最も寒かったのはヨハンソンとアレンの絡み部分で、見た目がどうとかいうよりも「無理」という言葉が浮かんだ。 ジョー・ストロンベルを前面に出してカレを主役にしたらよかったのでは~?カレだけがキャラ立ちしていてあとは霞んでいましたね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-09-30 15:26:38) |
163. リング0 バースデイ
《ネタバレ》 「2」に比べればよっぽどマシでした。なるほど「予言」の監督さんですね。「予言」は悪くなかったです。 たぶん…監督さんは…仲間由紀恵を使わなければいけないことにさんざん苦しんだでしょうねえ。彼女もがんばっていたし、撮るほうも工夫をしていましたけど、しょせん「仲間由紀恵」ですから。 こういうホラーの主役に「仲間由紀恵」。よりによって、明るい日本元気な日本の旗印となっている彼女です。どういう配役じゃ。 どっちかといったら、麻生久美子でしょう。暗さは充分だし、全国的にはまだメジャーとはいえないし。ただし、受け口で顔が細いため長髪が似合わないという致命的な欠点が。 全体的には悪くなかったです。努力のあとがうかがえます。 しかし、貞子=仲間由紀恵。やっぱり無理です。 あとなあ、スーちゃんが拳銃を握って走っているほどミスマッチな画もないですよね。 スーちゃんのような純日本人体型の女性にはこの役はムリ…。スーちゃんにダークカラーのパンツスーツはダメです。スーちゃんが紋切り口調で話すのもダメ。なぜここにスーちゃんをもってきたのでせう。 ラストの一工夫も良かったと思います。努力賞、でもキャスティングがダメで賞。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2009-09-24 13:47:19) |
164. アトミック・ハリケーン<TVM>
《ネタバレ》 コレはなかなか拾い物です。 どうでもいいけど田村英理子がどんな英語をしゃべるのかと思って眺めていたら、ついつい最後まで見てしまった。…こういうのがけっこう拾い物な映画です。 そして、脚本も演出もなかなか「わかってるじゃん」なのです。 1、アメリカ映画なのに、アメリカらしいヒーローを1人も出さなかった。…パニック映画でこれをやるとは間違いなく意図的であり、そしてスゴいことです。 2、「どうせB級」であることを逆手にとって、大人にも通用する笑いを目指した。 3、パニックものだからといって人間関係を単純化せず、善玉悪玉の概念を排し、ラスティとリンダの複雑な関係を軽妙な会話で彩って楽しませた。大人~。 4、パニック映画にお約束のサービスラブシーンを排した。万歳!もともと要らないんだよんなもんは。 そんなわけで、いたく感心してしまいました。B級魂とはこうあってほしいものです。 さて、リンダ役のラテン系美女ジェイミー・ルナーは10年くらい前のロングヒットドラマ「プロファイラー」の最後のほうに出た女優さんです。だいぶ体型がゆるんでいましたが、顔の小ささが変わらないところはさすがに女優。 私はけっこうこの人が好きで、ほかのドラマに性転換した元男性の役で出ていたりして腰が抜けたりすることもありましたが、雰囲気のある女優さんだなーと思っています。 あとなあ、ラスティ役の俳優さんはなかなかのものですね。善玉か悪玉かわからないという微妙さを、うま~く演じました。それに、脱いだらいきなりマッチョだったというのも…とてもアメリカの男優さんらしい。 とにかく私はこういうの好きです。自分がB級ぶんの制作費しかもらえなかったら、こんな感じに仕上げるような気がします。これからもラブシーン反対運動を続けて行きたいです(べつになにもしてないけど)。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-08-11 14:15:25) |
165. リトル・チルドレン
《ネタバレ》 すごく疑問に思いますが、ボイスオーバーで丁寧に登場人物の気持ちを説明する必要があったのでしょうか。どうなんだろうこれ。なにか観客をバカにしているような気もする。 ボイスオーバーを全部やめてみたら、もっとミステリアスな感じになって質が上がったのではないかしら。 なかなか良く出来ていますし、俳優陣も女優は有名どころが2名出ています。が、男優はほぼ全員無名。 私は思うのですが、ケイト・ウィンスレットが出ると彼女の迫力にノックアウトされて逆効果になりやすいのではないでしょうか。あんまりにも存在感がありすぎるのです。 ジェニファー・コネリーだってじゅうぶん印象的な女優なのに、ウィンスレットと一緒に出てしまうとすっかり霞んでしまうというこのていたらく。バランス的には、ウィンスレットを出すのなら「アイリス」のように回想場面とかに短時間程度にしておかないと、こういうふうに全部食われてしまって「ウィンスレット以外何も残らない」という悲惨な状況に。 内容は…不倫を実行するまでの物語配分が短いので「非日常」というふうに捉えにくいかなと思います。それになんたってウィンスレットですから…何をやっても不思議ではない気がしてしまう。 不平不満を解消するために違う生き方を求めても、結局は新しい人生でまた不平不満にまみれた生活をすることになるのだよ、という話だと思います。サラだって、あの大きな家に越してくる時は、ブラッドと駆け落ちを決めた時のように幸せいっぱいだったはずですから、駆け落ちしたらしたでまた不平不満に満ちるのです。現状を変える努力をしないで新しい人生に乗り換えるのは単なる無駄といいたいのでしょうたぶん。 サラが求めるような絶対的な幸せなんてものはないのかもしれません。そこで思い出すのは変態ロニーのママのことです。息子は変態で治りません。彼女はそのことをわかっていますが、変態有りのまま息子が今より幸せになれる方法はないものかと、あきらめないで探します。絶望はしないのです。 息子の変態をどうにかしようとじたばたしたり、泣きわめいたりすることよりも、「それ込み」でより良い状況にならないものか、と行動にうつすのです。とてもとてもすごいことかもしれません。 さて変態夫を持つサラは今後、このママの生き方を学ぶのが良いでしょう。不平不満が他人を動かすことは決してないということなのですね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-15 18:00:37) |
166. モーテル
《ネタバレ》 すごく低予算なのではないでしょうか。2大スターも、あんまりギャラをもらっているとは思えません。そしてそのわりには、意気込みが感じられる、まじめな一作です。 夫婦の不仲も、迫り来る危機のためにわざと用意されたようではなく、うまく撮られています。この状態でスリラーにならずに延々と進んでも面白そうなくらいです。 妻の最後の戦いの驚異的さはともかく、途中はあくまで地味に、というかルーク・ウィルソンがスーパーマン並みの働きを決してすることなく進むのが良いです。 ただ残念なのは…やっぱり復縁してしまうのね、です。 危機が迫れば協力しあうのは当然ですからいいんです。でも、離婚届を出そうとまでしていたのに、愛してるわブチュって、それじゃー、ありがちなパターンだし男に都合が良すぎる…。 この危機を乗り越えても、夫婦の関係がうまく行かない、という根本的な問題が解決されたわけでは全然なくて、夫の性格が劇的に変わるということは無いのです。 できれば妻に「それはそれ。これはこれ。」と言って欲しかった。まじめな作品ですがツメが甘いような気がします。 [DVD(字幕)] 7点(2009-03-14 22:25:14)(良:1票) |
167. アイリス(米英合作映画)
《ネタバレ》 地味だけれど、しんみりとしたいい作品です。 ジョン役の俳優さんが、ヤングと現在で同じ人かと思うほど雰囲気が似ていました。クレジットをしげしげと見るとやはり別人ですよね。大したものです。 アイリスは…残念ですが小柄で釣り目(白人にしては)のデンチとケイト・ウィンスレットの顔には隔たりがありすぎる。これは別人です。デンチにこだわらなくてもよかったのではないか(どうせあんまりセリフないし)…ていうとウィンスレット優先思考みたいですが。 2つくらい言いたいことがありますが、認知症について。この作品を見ていると、認知症にかかるとは、まるでやりたい放題にふるまった若い時代に復讐されているかのようです。人生は必ず収支が合うようになっているのだと。 なんの根拠もありませんが、それはそうかもしれない、と思う。アイリスの奔放ぶりを見せつけられますと。いっぽう地道な性格のジョンはボケていない。地道に生きてもボケる時はボケるのでしょうが。 人が老いると、体にガタが来るか頭がボケるかどちらかのタイプだとよく聞きます。「徘徊老人」は体が比較的元気だから発生してしまう。もしも老化のタイプに選択の余地があったならどうしようかと迷う。認知と見当識を失うことはひょっとして快適なのだろうか。 もうひとつは男性の選び方について。アイリスは尻軽でしたが男性の好みは良かったのです。 男性を選ぶ基準はなんでしょう。スポーツや旅行やセックスはどうせ老いればできなくなります。見た目もいずれ衰えます。それなら当然お金です。 お金で選ぶのが嫌だとか、お金で選ぼうにも相手に選んでもらえないとかいう場合、アイリスのように選ぶのが正解ですたぶん。死ぬまでにどれくらい笑わせてくれるか、です。 アイリスが「笑い」基準で選んだということは、ラストのジョンの言葉に象徴的です。明日、妻が死ぬかもしれなくても、前の日にはすかさずジョークを用意するのです。…。ちょっと泣けますね。 日本のすべての女の子たちよ、お金はもちろん大事だが、アイリス基準で選ぶのもアリだぞ。その効果は数十年後にきっと出るぞ…。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-11 21:02:24)(笑:1票) |
168. 酔いどれ詩人になるまえに
《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) |
169. スタンリー・キューブリック ライフ・イン・ピクチャーズ
《ネタバレ》 管理人さま、キャスト等完璧に編集していただいて恐縮です。 トム・クルーズがナレーションを務めるうえ、2時間半にもおよぶという贅沢なドキュメンタリーです。初期の小作品から、遺作となった「アイズ ワイド シャット」まで、もれなく触れているうえ、大作には時間が割かれており、所詮はキューブリック礼賛フィルムとはいえ、誠実なつくりといえましょう。 出演者の言葉のうち、印象に残ったものをランダムに上げます。 「彼は自分以外の誰からも影響を受けない」アレックス・コックス。 「彼は人間に多くを期待しない」ニコール・キッドマン。 「現実的映画ではなく、映画的現実を求められた」ジャック・ニコルソン。 「彼の作品1本は、他の監督の10本分の価値がある」ウッディ・アレン。 「友達になったつもりでいたのに捨てられた」マルコム・マクダウェル。 笑えるのが、「ビル(アイズ ワイド シャットの役柄)は自分と全然違う」と言い切ったトム・クルーズで、「なぜならビルとは、感情を表さず閉鎖的で、日常性と安定を望み夫婦関係を無視し感謝の気持ちが無い」からだと語れば語るほど「それはまさしくあなたのまんまですね~」とほくそ笑みたい気分だ。そこんとこを当然ふまえていたと思うとなおキューブリックの意地悪さに感心する。 優しい両親がそろった裕福な生い立ちから、なぜキューブリックのように他人に期待せず、徹底的に神を排除するという突然変異的人格が発生したのか興味深いです。動物と病人にだけは優しかったというのも…彼にとって「非戦闘員」という意味なんでしょうね。 あたためていたが不発に終わった企画の件も、興味深い。「ナポレオン」と「ゲッペルスとホロコースト」だそうだ。ホロコーストのほうは、スピのシンドラーとかぶってしまったためボツになったというが、とんでもない話でスピのシンドラーなぞより何倍も価値があって〝残る〟作品が見られただろうに…見たかった、惜しい。「AI」だって、技術の進歩を待つために延期したことが悔やまれるなあ。「君のほうが向いている」と名指しされたと豪語するスピだが私は話半分だと思う。 なにしろ誰もがキューブリックを礼賛するが、俳優陣は口をそろえて「でも二度と一緒に仕事をしたくない」と言うのです。そうやって天才は傑作を編んだ、「だから天才」なのですね。合掌。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-04 16:32:23) |
170. ロード・トゥ・パーディション
《ネタバレ》 この映画の核となるシーンを一つ上げるとしたら、それはまちがいなく聖堂の地下でジョン・ルーニーとサリヴァンがサシで話をする場面でしょう。 この短いシーンのルーニーのセリフにすべてが集約されていて、マイケルがどうしてこんなことになっているのかが簡潔に説明されているし、このさきのマイケルの行動はここでルーニーが言ったことを実行しているにすぎず、ここからさきのシーンは「ほらルーニーが言ったようになったでしょう」という説明のようなもの…になっている。 この話の人間関係はジョン・ルーニーを中心とした衛星群のようなので、彼がすべてのものごとの中心となっている。亡きニューマンを思いきりフィーチャーした映画…と私は思います。 人殺しを職業にしている人間が普通の幸せを達成する権利は無いのであって、いつもそのことを念頭に生きているはずなのにマイケルは自分にも幸福な家庭を営む権利があると勘違いしていたので、ジョン・ルーニーはそのことを言っています。「わかっているだろ。俺たちは天国には行けないんだ。」なんというシブくて重い言葉でしょう。カトリックの彼(やお仲間)がすでに天国に行けないとわかっている人生を生きているというのは、想像を超えるほど無茶なことなんでしょう。 基本的にルーニーにしろマイケルにしろ他にちゃんとした職業に就ける見込みがあったなら、好き好んで裏の世界の仕事をするようにはならなかった人間たちなのでしょう。 けれどそういう(天国に行けないような)人生を生きるならば、人並みの幸せはあきらめなければいけないのです。マイケルはプロとしてワキが甘い男だったのです。 天国に行けない彼らは、せめて息子を天国に行けるようにしてやることが務めなので、ジョン・ルーニーはすでにその望みは絶たれたが自分が罪を背負って墓の下に持っていこうとします。 マイケルはやはり最後にひとがんばりして禍はすべて自分が背負っていく。 とてもクッサい話…といえばそれはそうなのだが、罪深い二人の父の最期はなぜか心に残ります。特にニューマンは死んでいるし。トム・ハンクスは人殺し顔ではないので難はあるが、逆に意外なほどフツーぽいほうが闇の仕事人としては実践的といえなくもないかもしれない。 なぜか視聴後に後を引く作品です。 ジュード・ローはこれで頭頂部の毛を抜いたのがあとでたたったというのは本当だろうか。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-01-01 14:13:20) |
171. 28週後...
《ネタバレ》 言いたいことは3つくらいあって。 ゾンビ発生後の人類としての対処をグローバルに、ということは金使って、結構ちゃんと作ってあるところは感心する。ゾンビが出る映画は低予算ものやハンパなのが多いから、一応の満足感は、ある。 しかしー、もうひとつ言うならゾンビが全速力で走るということは、ゾンビ映画の醍醐味のひとつを失い、面白さを下げているのではないかと、やっぱり思ってしまった。 ゾンビ映画の醍醐味のひとつとは、「ゾンビがトロい」ことによってもたらされる効果である。思い出してもらいたい。スーパーの中で、さまようゾンビたちをなぎ倒すバイクの群れを。そしてまた、「トロいのに強い」というのは恐怖を増幅させませんか。あんなトロいのに、囲まれてひと噛みでもされたらもうオシマイ。 思い出してもらいたい。トロいからこそ、捕まえて実験してみたりするが、ちょっとでも油断すると逆にやられてしまったりする。 トロいから、「もしかしたら突っ切るなり逃げることが可能かも」という「希望」が生まれ、そこから名シーンが生まれる。 本作の登場で、定着にトドメを刺したかに見える「ゾンビ全速力」だが、私はあくまで反対だ。業界は考え直してもらいたいものだ。 最後に、「選別」の問題について。私はもう、「トゥモローワールド」を思い出してげんなりしてしまいましたさ。 「あなたや私の命よりはるかに重要」な少年の命、であってそのために自己犠牲が連発、どうでもいいメンバーはいつ死んだかわからないうちに居なくなってる、というお約束の展開だ。 これはもう映画の世界ではイデオロギーとして確立されたといってもいいのじゃないだろうか。「特別な命」と、「特別じゃない命」があって、後者は「譲る」べきである、というのがさあ。 それが必ず、「その個体が生まれながらに獲得している特性」を担保にしているところが、私はイヤなのだ。後天的に努力して獲得したものでは無いのです。私は医者や看護士や消防士や警察官や科学者に譲るのは仕方がないと思っている。 そういう「解消しようがない、どうしようもない差異」を理由にして複数の他人が進んで犠牲になるのが当然である、という展開に…とても違和感を覚えるし、やめてもらいたいのだ。こういうものは無力感を増幅させる以外にどんな意味があるというのか。それがあたかも人類の常識であるかのように、当然のように描かないでもらいたい。 [DVD(字幕)] 7点(2008-12-04 22:32:58)(良:2票) |
172. ディナー・ウィズ・フレンズ<TVM>
《ネタバレ》 みどころはトニ・コレットとグレッグ・キニアの壮絶夫婦ゲンカ…です。そのあとにオマケもあるわけですが、壮絶夫婦ゲンカに〝オマケ〟をつなげるところが、この作り手は「わかってる」なあと思わせる。 長谷川眞理子先生によると、ヒトのオスの睾丸は「一夫一婦制」を営む他の哺乳類と比べて少し大きいそうなので(体重における睾丸の重さの比率で比較)、ヒトというのは必ずしも一夫一婦制で生きてきたわけではないらしい。かといって、ライオンのような「グループ内乱婚」タイプよりは小さいらしい。「睾丸が少し大きい」ということは、「事情が許せば同時期に複数のメスと交尾が可能である」ということであり、「事情が許した」時のために、大きめの睾丸を維持しているということになります。 なぜこういう話をするかというとー、この二組の夫婦が倦怠期に迎えた状況なり辿ったそれぞれの道と、眞理子先生の話が関係あると思うからです。というか、それが根本的な原因なのではないだろうか。 若い女に乗り換えたトムはもちろんのこと、一見妻とラブラブで問題なしに見えるゲイブですら、何かをまぎらわすために「ピアノを初め」たりしています。何をまぎらわすのか。「大きめの睾丸」を維持しているがゆえの〝何か〟なのでしょう。 そして、本能に従って自由に生きることに決めたトムに対するゲイブの視線には、「羨望」が1%も混じっていないと言えるだろうか。どんなに妻を愛していても、更年期を迎えた妻と〝だけ〟この先一生セックスしなければならないことに、彼の「大きめの睾丸」は納得がゆかないわけです。 ゲイブとカレン夫婦は「自分たちの幸せを彩る小道具のひとつ」としてトムとベス夫婦を認識していたのですが、こうなってはじめてそのことに気付きます。トムの裏切り、そしてベスにも隠していた不倫歴があり、自分本位で友人を幸せの小道具扱いしていたことの愚かさ、に気付きます。 結局この先信じられるものは夫婦であるお互いしかないのね…というところで話は終わるわけです。 洗練された作品だが、トニ・コレット以外のキャストに不満が残る(それじゃほとんどだけど)。 軽めの脇役として活動してきたキニアは、これほど重要な役をまかされると役不足を感じる。 しかしあの4人の写真は誰が撮ったということになるのか? [DVD(字幕)] 7点(2008-12-03 21:13:33) |
173. 白バラの祈り/ゾフィー・ショル、最期の日々
《ネタバレ》 丁寧な作り方には好感がもてる。陰影を生かした映像や、折々に空を見上げて自由を確信するゾフィーを表現するなど、とーてもマジメな映画。そうドイツの映画って、いつも真面目さを感じてしまう。 若くて恵まれた境遇なのに、正義のために命を惜しまなかった若者たち、とくに女なのに勇気あるゾフィーはすごい…というふうには済ませたくない視聴後感だった。 なんというか、「死ねばいいんでしょ死ねば」という気がしませんか。 信念や正義のためには、潔く死んでいくことが美しい…というふうに、感化されてしまうことがこわい気がするのです。とくに若い観客のみなさんが。 「○○のために潔く死ぬ」というのは、日本の特攻隊と同じモーティブですね。私はどんな場合でも、「死ねばいいんでしょ死ねば」という見せ方をされたら肯定したくない。 「死んでたかもしれない」という経験をすると(事故でも病気でも)、日頃はなはだあやふやにして放っておいた「死」というものを認めざるを得ない。すると、「とにかく死なないようにしなければいけない」というふうに思いますフツーは。それで人によっては健康オタクになったり、サプリに凝ったり、外出しなくなったりする。 そういう目で見ると、抵抗運動というにはあまりに計画性に乏しく杜撰に見えるハンスらの行動や、「自分が犠牲になれば仲間が助かる」という甘い目算や、「あと99日以内には連合軍によって解放される見込み」をアテにしたゾフィーの強気の態度などは、「死の恐怖」というのものを度外視しているように私には見える。 彼らの「アテ」は見事に全部はずれて、どんな敵を相手にしているかという覚悟の不足をぬぐえない。 そして誰もがゾフィーのように泰然として断頭台に身を横たえるかといったらそんなわけはなく、「常人離れした特別に勇気のある女の子」の物語…というふうに見るしかない。 死んだら終わりなんですよ。ゾフィーはモーアと取引するべきだった。したたかな相手にはしたたかに対応しなければ。南アフリカのビコのように、自分が死んで英雄視され抵抗運動が盛り上がることを目算にあえて死を避けなかった場合もあるけれど、私はこの映画を見る限りは「恵まれた坊ちゃん嬢ちゃんのクラブ活動が度をはずした」というふうに見えてしまう。 とにかく、若い観客には「どんなことがあっても死なないようにしろ」と強調したいがわかってもらえるかしら。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-08-24 13:13:02)(良:1票) |
174. PTU
《ネタバレ》 すべての登場人物がコソコソと何かしている話。誰もが自分のプランだけはコソッと済まそうと思っていたのに、とんでもない殺し合いになってしまってうわー、というラスト。 マーの殺害場面しかり、こういう一瞬で勝負するタイプの作品は、集中して画面を凝視しなければ途端にわからなくなるため、このごろ苦手です。疲れます。あ、夏だからバテているし。 これがもし2時間あったら、休憩入れないとキツいなあ、と思う。 なんというか、バラエティに富んだ拷問方法をこれでもかと見せられた感じがする。どいつもこいつも他人をいたぶるが、ハゲが息子の仲間を丸刈り裸にして極小の檻に閉じ込めていたのが最もキツかった。何か「西太后」を思いだす。中国四千年の歴史である。 ダメ刑事のサアが偶然から命拾いし、冷徹な美人警部は一発も撃てずに車の中でもだえているだけという皮肉な最後。誰の側にも立たないニュートラルさ。 拷問シーンが苦手な人を除けば一度は見て損は無い作品。あっ私は拷問苦手だった。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-08-11 12:37:03) |
175. キングダム/見えざる敵
《ネタバレ》 私は監督ピーター・バーグのファンなので、監督欄に彼の名を見つけたら迷わず見る。 ついに、こんな大作を任されたとは出世したものだバーグよ。けっこう金かかってるじゃん。 と期待に胸をふくらませ、いそいそと画面に向かうがバーグも最近のはやりに抗しきれず、一貫して揺れるカメラ大作戦になってしまっていた。目が、目が痛い。 明らかに「ブラックホークダウン」を意識した作品だが、一回りも二回りも小ぶりな仕上がりを見るとやはりリドリー・スコットは偉大な変態、変態だから偉大、彼に比べればピーター・バーグは良識の人、と言わざるを得ないかなあ…。資金面での差というだけでなく。 ただその精神は「ブラックホークダウン」を踏襲していると感じる。ピーター・バーグはバカではないので間違ってもアメリカ万歳では終わらなかった。 この架空のテロ事件については最初に国務省次官が言った「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」というのが正解で、「これ以上捜査員を送り込まないで静観し、サウジ当局に任せる。」というのが大正解なのである。 それをFBIは上から下まで「仲間の報復」で一致団結し、裏の手段を使ってまでサウジに乗り込んでテロの首謀者を捕まえようと大暴れする。その過程で「ブラックホークダウン(拉致された仲間の救出のために更なる危険を冒すこと)」が発生し、無茶苦茶な市街戦の最中でもアメリカ人には一発の銃弾も当たらず、ついにFBI仲間ではなくてなんとサウジ人の警察官が死んでしまうのである。…アメリカ人はなんて自分勝手で要領が良いんでしょうか。 仲間の一人を助けるために、彼らはいったい何人の現地人を殺したでしょうか。ここから導かれる明解な論理は「アメリカ人一人の命はサウジ人一人の何倍もの価値がある」です。 というようなシビアな目線をピーター・バーグは失っておらず、テロの首謀者を殺した上FBI全員が生還したという作戦の成功を、大喜びするシーンは一切ない。 その代わりに、テロリストの孫のセリフで「テロは終わっていない」ということを示す。 …で、話は「サウジにアメリカ人が居るのがテロの理由」に戻るのであり、冒頭のラッシュにあったように「石油を分けて欲しいばっかりによその国にずかずか乗り込んで現地の有力者と癒着してきたアメリカという国のあり方」に戻るわけだ。すごく徒労感が残る映画だった。 [DVD(字幕)] 7点(2008-07-18 16:09:18)(良:5票) |
176. 間宮兄弟
《ネタバレ》 原作を読んでいないで言うのもなんだが、江國は恋愛至上主義を否定する小説を何本も書いているから(と勝手に思っている)、「間宮」を見た感じでは同じ路線でいいのだと思う。 たぶん江國の目的というか目標は、日本全土に巣くった「恋愛至上主義」の希釈(撲滅でなく)なんだと思う。で、「女無しでも幸福に暮らしていける兄弟」を主役に据えるというのは、江國的にはかなり「本丸に近づいた」ということだろう。本音を出してきたと思う。 が、小説の原作者が女で、映画の作り手は完全に男だった、というところから、やっぱりミスリードが避けられなかった。映画を原作とは別物と考えてもいいのだが、江國の狙いと全然違うところに着地してしまったあたりは個人的にはトホホである。やはり女性監督(ゆれるの西川監督とか)に撮ってもらいたかった。 江國は「恋愛」の存在そのものは否定していないのだと思う。それは「ある」。けれど、今は「そればっかり」ある。人生の他の様々な要素の中で、それが重要視されすぎる。「濃すぎる」から希釈しようよ、というのが江國のねらいなのだと思う。「人生のベストパートナーとは、一対の男女であるとは限らない」ではないか? でもやっぱり映画では、「女にもてなくたって、楽しく前向きに生きようよ」というわかりやすーい大団円を迎えてしまった。そうではないのだ。それではセカンドベストというに過ぎない。 そこらへんが男性の作り手の限界なのか、作り手の感性の問題なのか、監督と視聴者の世代間ギャップなのか。 佐々木のクサみに対して素人の塚地を当てて中和したあたりはさすが老練な監督といえるが、それならなぜもともとクサい佐々木でなければならなかったのか?という疑問は残る。 セリフを言うのがせいいっぱいの塚地は全面的に監督の演出通りに一挙一動しているが、結果的に「自然に見えて」正解だった。おそらく塚地の世話にかまけて佐々木を放っておいたために、クサみを消すのに腐心した佐々木の演技は終始中途半端。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2008-06-27 14:17:53) |
177. ある子供
《ネタバレ》 人は成長過程でどうやって「道徳心」を持つに至るのか? これは「道徳心の育たなかった人間は、社会で生きていけるのか」という実験的な映画に思える。 ブリュノは金髪で青い目、標準の知能と健康な体を持たされているが、これは偶然じゃないと思う。 「他人と同程度かちょっと上」くらいの条件を与えられていても、「道徳心」が欠如していた場合は人間社会で生きるに困難である、ということのためのあえての条件なのだ。 どういう理由からか、ブリュノには道徳心が育たなかった。 で、ブリュノは「他人の持つ道徳心」があまりよく理解できないので、他人が「怒ったり」「泣いたり」するタイミングが予測できない。だから、彼はしばしば「急に怒る他人」とか「急に泣く他人」とか「急に無視する他人」とかに驚かされてきた。 そして、他人の反応を「学習」して、それに対処しながら生きてきた。「嘘がバレた時は他人は怒る」「自分の物を盗まれた時は他人は怒る」「借りた金を返さなかった時は他人は怒る」とかいう具合にだ。だから、「嘘をついた相手には会わないようにするか、またはさらに嘘をつく」「盗んだ相手からはひたすら逃げる」「金を借りた相手には会わないようにする」とかいう、彼なりの対処をしてきたのだ。 けれど、「子供を取り上げて売ったら怒る」かどうかは、彼のこれまでの経験には無かった。学んでいなかったから、知らなかっただけ。 ブリュノが自首した理由は、「スクーターのガソリンがなくなって」「ごはんが食べられず」「寝るところがなく」「シャバに居れば日曜日ごとに借金取りにオカマを掘られる」のと、ムショ暮らしを天秤にかけたからである。道徳心がないかわりにケチな損得勘定ばかりが発達している彼は、「ムショ」のほうがマシだと判断した。共犯の少年のためならもっと早く自首している。 さて作り手はブリュレをムショに放り込んだところで映画を終わらせる。ブリュレも彼女も泣いている。なぜ?お互いの未熟さが情けなくて?今後はどうなるの? 私の予想はこうだ。ブリュレはひとつ学んだ。「母親から子供を取り上げて売ったら怒る」ということを。次の時は、子供がさらわれたことにしたらどうかな。いや、雑踏に連れて行ったら迷子になったっていうのはどうだろう。彼女を怒らせないために、次はうまくやらなくちゃ。 道徳心が急に育つものなら誰も苦労しないのだ。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-06-20 15:59:59)(良:1票) |
178. ロード・トゥ・ヘル
《ネタバレ》 あえて80年代を持ってきたあたり、「続編」志向が無い話ではない、と思うのは、これは「因果な一族」のストーリーであるからだ。ていよくショーンJrもいることだし。 犯罪学の先生によれば「人殺し」も能力のひとつで、訓練しなくても、最初からすんなり人を刺したり撃ったりできてしまう、そういうのが平気な人たちが一定の率で存在するのだそうだ。だからといって必ず人を殺してしまうわけではないが、戦時などにはそういう人が大変役に立ってしまうらしい。普通の人はためらってしまい、人を殺すことはなかなかできないそうだ。戦時には、普通の人にも人殺しができるように、軍は訓練をしなくてはならなかった。 で、サリバンの一家というのは、少なくともオヤジにその能力があった。そして、兄のフランシスも、血を受け継いでいて、父の教えにより能力を磨いた。 が、父はショーンに対しては大学に行って学問をつけ街を出てゆけと言って、家業について何も教えず、ショーンは父と兄が人殺しで稼いでいることを知らなかった。 それなのに、ああそれなのに、誰にも教わっていないのにショーンは無抵抗の敵を背後から3人も殺すことが「できた」。なんの警告も与えず、なんのためらいもなく。 どんな理由があっても、ショーンのような無慈悲な殺し方は、「能力」が無ければできることではないのだ。…つまり、ショーンは父よりも兄よりも「能力」に秀でており、なおかつ「罪の意識が欠如している」。 ヘルズキッチンの人びとの額に灰の十字架が常にあるのは、誰しも何らかの「罪」を自覚しているという意味だ。人を殺しても全く心が痛まない…ショーンの額に一度も印が書かれないことは「罪の意識が無い」ことをあらわしている。 劇中、身内をショーンに殺されたモランが「正当な裁きが行われたといえるのか」と問う場面がある。 実は、ショーンが3人を殺した「罪」は、「母親の命」によってあがなわれていた。神は母親を重病にすることによって、サリバン家に裁きを与えていた。フランは「そのこと」がわかっていたので、ショーンが墓参りすることを許せず激高したのだ。 さて、今回もサリバン家はボスのスミスの協力を得て首尾よく敵を始末した。けれど、また「裁き」は行われた…ラストでフランがショーンと間違われて殺されることで。 罪と罰の繰り返しの話なんである。まあ日本人ウケはあまり期待できない。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-06-18 18:01:10) |
179. 隣人13号
《ネタバレ》 ・監督のセンス・力量は確かである。音楽やカットの多さでごまかさず、ずばりを映し出す手法には自信を感じる。人物描写にも手を抜かず、ヤンキー一人一人に対しても存在感を吹き込んだ。 ・沈黙したまま数秒以上経過させるなどの演出を多用したことにより、冗長さを感じさせる。テンポの早い場面と、静止場面のバランスがあまり良くない。 ・グロ・スカトロ場面の思い切りが良すぎて残念。 子供の虐殺場面により、海外での公開は望めないこの作品。しかし、監督の並々ならぬ才能を確実に示している。だから、スカトロ場面が残念なのだ。宮崎勤事件以来、悪評高まったグロ・スカトロ系のとんでも映画との違いを示しにくくなってしまう。 「隣人13号」がその手のとんでも映画と同じなのかと聞かれれば、誰でも「それは違う」「なぜなら有名俳優が出演しているから」と言うだろう。けれど、小栗旬や中村獅童を知らない観客が見たらどうだろう。グロ・スカトロ以外の描写がいかに優れていても、とんでも映画との違いを説明するのが難しい。この監督に、日本では珍しいセンスを認めるからこそ、私はグロ・スカトロからは手を引いてほしい。井上靖雄はリドリー・スコットではないので、アンソニー・ホプキンスやジュリナン・ムーアを起用することができないのだから、同じくらいにグロい場面を撮ったときでもそこには決定的な違いがあるということを意識しなければいけない。「貴族の芸術的お遊び」と「特殊な愛好者向けの供給物」という違いが。 もうひとつ、過去のいじめられっ子の怨念を昇華させ、現在のいじめられっ子へ救いと問いかけを投げ、現在のいじめっ子に対してはある種の脅しとなり、過去のいじめっ子の良心を問うという映画の目的が明確すぎる点。 例えば、「麻薬はこんなにおそろしい~ドラッグの恐怖」という中高校生向けの啓蒙映画があったとしよう。そこにはどれだけの芸術性があるだろうか。「飲酒運転の恐怖~飲んだら乗るな」はどうだろう。「悲惨ないじめ~見て見ぬふりはやめよう」とか「みんな同じ人間だ~手を取り合って」とかいういじめ撲滅啓蒙映画があったらどうだろう。 目的が明確すぎるということは相対的に芸術性が落ちるということなのだ。 だから「昇華」を目的に作品を作るのは私はあまり感心しない。これはなかなかわかってもらいにくいことだが。 今後におおいに期待する。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2008-06-16 15:02:35) |
180. ジョージ・マイケル 素顔の告白
《ネタバレ》 スカパーでやっていたので、ほとんどミーハー的興味のみで見始める。 確かに、日本も巻き込んで一世風靡した彼の「素顔」が垣間見られる作品だ。(新作のPR的匂いもラストでぷんぷんするが) それにしてもジョージ・マイケル、この人興味深いわー。 80年代の男性版セックス・シンボル(かたや女性はもちろんマドンナ)として女子の皆さんの萌えに堂々のアピールをしていた彼がゲイ。女性として裏切られた気持ちは否めない。 ゲイであるのに、女性の萌えに訴え稼ぎまくるということは、彼の内面でどのように処理されていたのか非常に興味がある。ジョージはそれを決して語らないが…。 そして、驚くべきは彼のような完全右脳人間が、ドラッグやアルコールや犯罪や肥満や宗教でつぶれることなくエイズで死ぬこともなく、芸能界でサバイバルすることができている(現在進行形)という事実である。 クラウス・ノミのように、ジョージ・マイケルも翼を持つ者。翼を持つ者は、現実処理能力に欠けるのが常であり、各種依存症に陥りやすい。彼らには有能な補佐役(お守り役)が常に必要だ。 それが、トイレで逮捕とか、ブッシュを攻撃してバッシングにあうとかいった程度で済んで生き延びていること。これって、奇跡的なことだと思うのだが…。もっと驚くべき、と思う。 見るに耐えないボーイ・ジョージの肥満ぶりや、アンドリューのオヤジ化と比べると、40過ぎてもルックスを維持しているジョージ・マイケルの自己管理能力は、意外にもけっこう高そうだ。 私は完全右脳人間ジョージがサバイブできた原因について考えてみる…という無駄な事ばかりに頭を使うのだが、「強運」はもちろんとしてどうやら正解は家族、特に母親のようだ。 多くの芸能人と比べて、彼は比較的まともな家庭に育ったらしい。両親が揃っており、母親はきれい好きで掃除が得意。成人してからも、ジョージの身の回りの面倒を見てくれた。なんて幸せなジョージ。 その分、後年母親の死で大打撃を受けるわけだが、やはりマトモな家庭に育ったというのは、芸能人が身を持ち崩さないための最後の砦と言って間違いなさそうだ。 そしてもうひとつ、宿題が出来てしまった。飛びぬけて才能あるアーティストはなぜほとんどゲイなのか。 なにか右脳と関係ありそうな無さそうな…。(続く。) [CS・衛星(字幕)] 7点(2008-04-09 17:45:24)(笑:1票) (良:1票) |