1. 張込み(1958)
《ネタバレ》 せっせと主婦をするだけの女を観察するだけの前半が意外に退屈でないのは若い刑事の自らの結婚に関する思索が常にリンクしているからだろう。そしてもうひとつ。その女が高峰秀子だからだ。覇気のない女がどこかでごろっと変わるはずだと思わせるのは高峰秀子の力だ。そしてその変貌を見せることを予告する雨という演出に嬉しくなった。『浮雲』を想起させる雨だ。ここから物語は大きく動くのだが、ここからの尾行シーンが冗長。張り込みシーン同様にリアルを演出し小さなドラマを差し込むことで「尾行」そのものをドラマにしてしまう演出が少々くどい。それでも女をさらけ出す高峰秀子、その後現実に引き戻される高峰秀子の姿は美しかった。この手の映画に多いモノローグによる説明が足をひっぱる。 [DVD(邦画)] 6点(2011-12-14 13:50:58) |
2. 二十四の瞳(1954)
戦争というより貧困が怖い。貧困の元に戦争があるんだけど。貧しさが子供を犠牲にする。それが当たり前の世界。当たり前なんだけど人間としてそれは憂うべきことなのだ。大石先生は純粋に憂う。人として悲しむ。時代とか世相とかに関係なく。ただ泣くことしか出来ない先生は弱者でしかないのかもしれない。しかしその世界を当たり前と割り切るよりもただ泣く方がずっと人間らしい。人々はそれは悲しいことなんだと知るべきなんだ。先生は子供たちに悲しみ泣くという行為が間違っていないことを教えているのだ。いい先生だなあと思う。長いけどさ。台風接近で時化た海沿いを歩くシーンがあるんだけど、そのときの波の高さが尋常でなく高峰秀子にバンバンかかっててちょいと心配した。二十四の瞳映画村は私も行ったことあるんだけど、87年版(田中裕子主演)で使用したオープンセットなんだな。 [DVD(邦画)] 6点(2011-12-08 17:00:08)(良:1票) |
3. 警察日記
なんていうことのないお話の連なりだ。ほんわかといい話だ。でも人のいい警察官たちによって片付けられてゆくそれぞれのエピソードはけして解決することなくなんとかかんとかやり過ごすのみ。ほんわかと見せかけて実は残酷なお話でもある。人情喜劇の中にしっかりと社会派の刻印を残すその真面目っぷりがかえって映画をつまらなくしているところもあるが、ことごとくそこに結び付けてゆくというのもシンプルでいい。「日常」であることを示唆する淡々としたお話を森繁を筆頭とする俳優陣が牽引する。 [DVD(邦画)] 6点(2011-10-25 13:39:13) |
4. 必死の逃亡者
《ネタバレ》 ボギー久々の悪役はやっぱり様になる。この作品はどこにでもある一般的な中流家庭を襲うってところがミソ。だから当然主役のお父さんもまた一般的フツーのお父さん。映画を引っぱるだけの存在感なんてない。ここでハンフリー・ボガートの強烈な存在感が必要となる。抵抗することが強いのではなく家族を守ることが強いのだともってくる父と息子のアメリカ映画らしいドラマが退屈にならずに済むのも、父や娘が外出を許されるという緊迫感を阻害させるような展開でもそれをあまり感じさせないのもボギーから発せられる危険なオーラがあるからに他ならない。手下がゴミ収集車を追いかけに出たり娘と恋人のあれこれがあったりとドラマを盛り上げる各エピソードが多すぎるような気もするがそこから裾野を広げずにあくまで核は家族であり、よって舞台は家であるということを徹底しているところが好感が持てる。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-10-14 17:04:47) |
5. 復讐は俺に任せろ
《ネタバレ》 ある男が拳銃自殺をする。その場所からある場所に電話する。そしてまたそこから次の所に電話する。重要な三つの舞台と主要人物があっという間に提示される。しかも三つ目の部屋の屋内構造をしっかりと見せることがクライマックスをスムーズに見せることになる。そして最初の自殺現場に戻りいよいよ主人公の登場。この完璧な流れに唸る。幸せを絵に描いたようなある意味型にはまった家族が強烈な一撃にて崩壊する様は衝撃的。リー・マーヴィンのサディスティックな一面を見せたエピソードがグロリア・グレアムへのコーヒーにつながり、欲望のままに生きる女でありながらどこか憎めないシンプルな思考の情婦グレアムが女ゆえの、またシンプルな思考ゆえの、目には目を、コーヒーにはコーヒーを!となる流れの説得力も素晴らしい。唐突に孤独のヒーローの元に集まった義兄とその友人たちがカードゲームをする様はジョン・フォードの西部劇のよう。その後に合流する同僚と上司。しかしフォードっぽいのはこの一瞬だけ。サービスみたいなもんか。とにかく西部劇ではなく犯罪映画なのだと言う様に仲間たちの存在は消え去る。そして犯罪映画に相応しい銃撃戦をクライマックスに。傑作です。 [DVD(字幕)] 7点(2011-09-05 18:17:02) |
6. どぶ
新藤兼人は脚本した作品には楽しい作品が多々あるのにどうして本人が監督も兼ねちゃうとこう真面目くさいものになっちゃうのか。66年『本能』なんかは社会派としての厳しさをユニークな作風の中にうまく描いていてけっこう好きなんだけど、この作品のようにひたすらシリアスで来られるときつい。乙羽信子の衝撃のアホ顔は最初この映画の中できつさを和ませるユニーク担当なのかと思ったが、どうしてどうして、より一層のきつさを出すためのものだった。この人の作風に美人は不要なのかもしれないが映画なんだからもうちょっとなんとかならんか。 [CS・衛星(邦画)] 5点(2011-08-01 14:13:02) |
7. 地獄へ秒読み
アルドリッチのヨーロッパ映画。主人公のリーダー格と自分本位なサブ格が対立しながらも命懸けの爆弾処理をこなしてゆく姿はまさしくアルドリッチ的骨太映画。主人公を元建築家としているところに建築物を破壊する戦争への批判が込められているのだろう。主人公と反目する男が言いだしっぺの、爆死した者は生き残った者へ金を残すという命を金に換算したルールは資本主義批判が込められているのかもしれない。たしかにメロドラマ的展開がイマイチのような気もするけど、男と女のそれ自体はあいかわらずの硬派っぷりで悪くないと思う。むしろ男と女のドラマの部分をもうちょっと時間をかけて描いてくれたほうがしっくりくるような。とは言うもののジャック・パランスの顔はメロドラマ向きじゃないんだな。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-06-23 16:45:24) |
8. ノックは無用
アブナイ女を美人が演じるのは至極真っ当なんだけどマリリン・モンローには華がありすぎた。遺作『荒馬と女』では不安定な精神の女も実に様になっていたがこの主演デビュー作においては「華」が勝ってしまっている。冒頭から低いトーンでうつらうつらとしゃべることで「若さ」「明るさ」といった「陽」を消して「陰」を出そうとしているのはわかるが類稀なる「華」はそんなことだけでは消えはしない。というか作る側も作品の質よりも「華」を選んだのだろう。まあそれはそれでいい。そんなことよりも部屋の住人が戻ってくるかもしれないとか他の部屋の住人に覗かれてるだとか電話を盗み聞きされてるとかといったものがサスペンスにいまひとつ活かされていない、また重要な役どころを予感させるホテル探偵がこれまた全くサスペンスに寄与しないってことのほうがはるかに問題だ。 [DVD(字幕)] 5点(2011-05-25 13:46:09) |
9. 暴力団(1955)
モノクロであることを最大限に活かした映画。光と影のコントラストに魅入る。ラストシーンの光を帯びたスモークに立つ人影にはしびれた。さらにサーチライトが出てくるのだがその強烈な明暗の美しさは圧巻。刑事がギャングのボスの女に執着する流れがいまいち説得力に欠けないこともないが、そんなのどうでもいい。とにかくモノクロの美が半端ないです。大音量を使った拷問シーンの流れで殺しのシーンを無音にしているのにも唸った。演出が洗練されている。かっこいい。ある女に関わるサスペンスの見せ方はヒッチコック映画みたいだ。いやはや知らなかった。こんなのが(まだ見ぬ傑作が)まだまだごろごろしてると思うと嬉しくなる。 [映画館(字幕)] 7点(2011-03-07 14:27:56) |
10. 悲しみは空の彼方に
《ネタバレ》 大混雑する海水浴場でこの映画の主人公たちが出会う。出会う前に一度すれ違っている。この多くの人たちにそれぞれのドラマがあるのだと言ってるようだ。その中のひとりである白人の未亡人と黒人の未亡人はここで出会う。そして独立した両者のドラマが描かれてゆくことになる。互いに助け合うときもあればただ傍観するしかないときもある。それぞれの母と娘の話がメインなのだが、黒人母子のドラマには人種差別問題が色濃く映し出されることになる。しかしそのシリアスなテーマゆえの説教くささはあまりない。そこはダグラス・サーク。社会背景は背景であって描き出したいのはあくまで母と娘のドラマ。そういえばドイツ時代の『思ひ出の曲』という映画もまた親子の絆を描いたお話であった。結果はそれぞれ違えど、どんな障壁をも越えてしまうのが親子の絆なのだというところに落ち着いているように思う。ストーリーを思い返せばかなりくさいような気もするのだが、見ている間は全くそんなことはなく、見終わったあとは「いい映画を見た」としみじみ思うこと間違いなし。 [映画館(字幕)] 7点(2011-02-08 15:57:58) |
11. 渚にて
映画製作時から見た近未来SFだが、映画がスター俳優たちのものだった頃のハリウッド映画らしく人物メインで映しているせいもあってロマンスものにしか見えない。エヴァ・ガードナーとグレゴリー・ペックがバルコニーで語らうシーンが最も力の入ったシーンで、それ自体はいいのだが「核の恐怖」の最中という設定を無視した演出はどうかと。切羽詰った感でも無常感でもなんでもいいけど、普通じゃないってところが全く描かれていない。無人のマンハッタンとかレースシーンの迫力とか随所にいい画はあるが、やはりスターの顔を引き立てるハリウッドスタイル、しかもオールキャストの弊害は否めない。 [DVD(字幕)] 4点(2010-12-02 14:08:02) |
12. 賭博師ボブ
原作があった『海の沈黙』『恐るべき子供たち』とは違いメルヴィルのオリジナル脚本ということもあって、後のフィルムノワール群を彷彿させるものになってます。『海の沈黙』では屋内の灯りに照らされる「顔」を美しく撮っていたアンリ・ドカエが今作では夜明け前の薄暗いモンマルトルの街並みを美しく撮りあげる。主役はこの街だ。街の顔役としてのボブのジャン・ギャバン的落ち着いた振る舞いがなかなかに様になっててかっこいいのだが、その貫禄はボブが発しているのではなく彼に対応する街の住人たちと、酒と女とギャンブルがどこか質素に、でも当たり前に存在するモンマルトルそのものがそう見せているだけのようでもある。だからちょっと微笑ましいラストの展開もすんなりと受け入れられる。まさに「賭博師ボブ」であった。この「ゆるさ」こそが古き良き時代のモンマルトルってことなのだろう。 [DVD(字幕)] 7点(2010-11-26 12:17:45)(良:1票) |
13. 稲妻(1952)
《ネタバレ》 目線を動かすだけで画面には映っていない人の動きを表現したりすることをいわゆる成瀬目線と言って成瀬監督の特徴的な演出として有名らしいのだが、単に目線を動かすに留まらず、高峰秀子が何かを見て表情を変える様子で画面に映らないなにものかを想像させている。あるいはバイクの音だけで小沢栄の登場が描かれる。常に画面の中の世界と外の世界が通じ合っていることを意識させている。描かれる物語の世界を広げると同時にこの作品に描かれる高峰秀子が言うところの「ずるずるべったん」なしがらみから抜け出す道があることを示唆しているようにも感じた。それにしたってこのネチネチとした世界には正直うんざりで、いくらなんでもこの陰鬱な気分のままじゃたまらん、と思ってたら終盤に来てようやく香川京子が登場。彼女の爽やかな笑顔が全ての暗雲を消し去ってしまうのだ。画面の外からはバイクの音ではなくピアノの音色。香川、根上の爽やか兄妹、この二人だってある意味「ずるずるべったん」だ。良い「ずるずるべったん」だ。そんなものがあるってことを知るだけで気持ちは晴れるのだ。 [CS・衛星(邦画)] 7点(2010-11-19 15:00:11) |
14. 欲望という名の電車(1951)
《ネタバレ》 テネシー・ウィリアムズの戯曲はとにかくタブーに塗れているので、映画化にあたっていかにそのタブーを隠し、いかにそのタブーを想像させるかがポイントになろうかと。でもやっぱりこの時代、間接的な、あるいは比喩的な描写でも許されなかったのだろう。『熱いトタン屋根の猫』の親友の同性愛の末の自殺が親友の自殺に改変されたように、夫の同性愛の末の自殺は夫の自殺に改変される。それでも小出しにしか言及されない女の過去という謎めかしとヴィヴィアン・リーの最初からどこか線が切れたような演技も相まって、何かが彼女の過去にあったのだということはなんとなく想像できるようになっている。脚本もテネシー・ウィリアムズらしいが、映画の制約の中ではほぼパーフェクトな脚色だったのかもしれない。それでも『熱いトタン屋根の猫』のほうが好きかもと思うのは色気の差か。濃厚な演技ばかりが前に出ている。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2010-11-12 13:26:15) |
15. 手錠のまゝの脱獄
面白いんだけど面白くない。あまりにも人種差別をモチーフにしたわかりやすいエピソードの連続とそのエピソードを通過する前と後のわかりやすい変化(タバコとか歌の扱いとか)が完璧すぎて面白くない(時代性を考慮するとまたべつの評価の仕方もできるかもしれないけど。)。でもお話の根本は面白い。白人と黒人じゃなくても、例えば白人同士でも黒人同士でもいいんだけど、仲の悪い男同士が二人で脱走して徐々に友情を深めてゆくという話は絶対面白いわけで、だからこそこの映画、根本のところは面白いんだ。社会派とは無関係に映し出される「追う者」の描写があるから根本のところで楽しめるんだ。シンプルな話をシンプルにまとめた手腕も評価したい。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2010-09-22 17:01:21) |
16. 第十一号監房の暴動
冒頭の刑務所暴動を報じるニュース映像がなんとも生々しく、その社会派色の強さに少々戸惑ったのだがその後の展開は社会派であることよりもハラハラドキドキが優先されている。主役が囚人たちと対峙する側の善の人ではなく、また囚人側の善の人である出所の決まっている元軍人でもなく、暴動の首謀者の一人という善とも悪ともつかない男であるところが後に『ダーティ・ハリー』を撮ったシーゲルらしくて嬉しい。全体的にはアルドリッチっぽいと特別な理由無く思ったりしてたんだけど、ここで書いてるうちにこれまたなんの決定的理由も無くやっぱりシーゲルの映画だなどと思ったりもする。首謀者といえば相方がいてこいつがかなり凶暴なんだけど、こいつがいるせいで展開が全く読めない。若い看守が殺されようかというシーン、爆破予定場所に裏切り者たちを括りつけるシーンなどのドキドキは全部こいつのせいだ。なにせいきなり議員にナイフ投げつけるシーンの唐突感といったら!このあたりなんかもなんとなくシーゲルだとか思ったり。シニカルなオチがまた「らしい」とか思ったり。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-08-17 17:21:07) |
17. 東京暗黒街・竹の家
冒頭の列車強盗から警察の現場検証までことごとくバックに悠然と在る富士山の美しいこと。当時と今とじゃ富士山自体はそう変わらんのだろうからまわりの景色の差なんだろうけど本当に美しい。貴重な画だと思う。噂のヘンテコなニッポンはさほど気になりませんでした。『キル・ビル』のようにあえてそうしている映画がウケている現代ではむしろアバンギャルドという褒め言葉で受け入れられる範疇にあろうかと。実際、踊る芸子(?)さんらが着物からドレスに早変わりするところなんかはその方向を狙ったものなんじゃなかろうか。とはいうものの『ブラックレイン』とは違って主役も敵役もアメリカ人なのでニッポンを舞台とする必要性ってのは物語的には全く無かったりする。それでもあまりにもアメリカと違った世界には当然ながらアメリカにはないアイテムに溢れ、結果アクションシーン一つとってみても実にオリジナリティ溢れるシーンとなって我々を楽しませることとなる。その点においてこのニッポンは実に魅力的な舞台として効力を発揮している。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2010-07-15 14:40:58) |
18. 遊星よりの物体X
ジョン・カーペンターが4歳のときにコレを見て衝撃を受けたことが映画の世界に入るきっかけだったとか。なるほど、たしかに未知への物に対する興味と恐怖をストレートに見せるこの映画は頭でっかちな大人以上に子供の好奇心を刺激するかもしれない。恐怖もさることながら科学者側の見地なんて子供の視点そのもののような気がする。密室劇は恐怖演出以上にストーリーをシンプルに進ませることに一役買っている。その中で強い男がリーダーシップをとってそのシンプルなストーリーを引っぱるといういかにもホークス的な展開がいい。硬派だ。紅一点の女は当然その男に惚れるのだがまわりの男たちも当然そうあるべきのことのように振舞う。女もまたサバサバとしていて硬派なのだ。一人の強いリーダーと一人の美しい女、そして仲間たち、で締めるラストカット気持ちいい。 [DVD(字幕)] 7点(2010-06-25 16:30:59)(良:1票) |
19. 地上最大のショウ
セシル・B・デミルといえばやっぱり『十戒』を思い浮かべるんだけど、『十戒』もこの『地上最大のショー』もデミル監督の最晩年の作品。実はそれよりもずっと以前、1910年代から超大作をバンバン作ってきた人で、映画=スペクタクル=ハリウッドという図式の礎の人でもある(もちろん『十戒』が極めつけであることは間違いない)。サーカスってのは映画以上に=スペクタクルなわけでサーカスの見所をたっぷりと見せることがそのまま映画のスペクタクルとなっている。花形スターもいれば道化役もいる。仕切り役もいれば裏方もいる。スペクタクルを生み出す大サーカス団はデミル監督にしてみればまさに映画製作チームと同じだろうと思われる。プライベートよりもひたすらサーカスのことだけを考える座長はもちろんデミル監督の分身なのだろう。だからこそその意志を一番の理解者であるヒロインが引き継ぐラストシーンが爽快なのだ。男女の掛け合いがストーリーに埋没してしまい、それ単体で楽しめないのがもったいない。 [DVD(字幕)] 5点(2010-06-10 15:44:00) |
20. 浮草
大映というだけでこうまで変わってしまうのか。それとも宮川一夫の影響か。いや、脚本の時点でいつもの小津映画ではない。それはこの作品が大映であるからであり、大映であるからには宮川になるからということなのかもしれない。映画冒頭の灯台を映した画。それだけならいつもの風景から始まる小津映画だ。しかしその灯台を構図とアングルを変えて何カットも見せてゆくとなると話は違う。意味はわからないがそこからしていつもの小津ではなく、ゆえにそれはいつもの小津映画ではないことのノロシとしてあるのだと思う。男女が罵倒しあう様を小津独特の切り替えしで見せるとどうしてもどこかコミカルになるところを中村鴈治郎と京マチ子と激しい雨が泥沼のような感情の暴露にしてしまう。キスシーンはアップで撮っちゃうし、若尾文子は感激して大袈裟に涙を流しちゃうし、いちいちドラマドラマしている小津らしからぬ躍動ぶりに驚かされる。釣りをする親子の後姿や杉村春子の合いの手のような会話はいつもの小津調であり安心感がある。するとこの安心感を提供する世界の崩壊はまさに小津がよく描く家族崩壊なんだけど、その崩壊の担い手として大映的抑揚のドラマを持ち出したのだろうかなどと勘ぐってみたりするのもまた楽しい。 [DVD(邦画)] 7点(2010-06-07 15:10:01)(笑:1票) |