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プロフィール
コメント数 3957
性別 男性
年齢 53歳

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1.  見知らぬ乗客 《ネタバレ》 
原作P・ハイスミス、脚本R・チャンドラー、そして監督はA・ヒッチコック。豪華な顔ぶれというより、面子が濃すぎて空中崩壊しそうですが、実際、チャンドラーとヒッチコックはかなり折り合いが悪かったそうな。原作がどのように脚本化され、脚本がどのように最終的な作品に採用されたか、すみません全然把握してないんですけれども、この作品でも随所で見られる、いかにも「ヒッチコックあるある」なデフォルメされた演出シーン(「やり過ぎ」とも言う)が、何だかチャンドラーへの当てつけみたいに思えてきて。もちろんそんな訳無いのだけど、でも何だか嬉しくなってくるではないですか。そんな妄想を抱かせるのがまた、ヒッチコック映画のポテンシャルの一つなのではないかと。 冒頭、白い靴の男と黒い靴の男がそれぞれ車から降りて、駅に向かう。で、たまたま同じ列車に乗り合わせ、たまたま向かいの席に座り、一方の男がもう一方に馴れ馴れしく話しかけてくる。やがて男の話は恐るべき交換殺人の提案となり、当然のごとく断るものの、提案した男は勝手にそれを実行してしまう。提案された男にはアリバイが無く、追い詰められていき・・・というコワイ話。 二人の出会いは偶然でしかあり得ないはずなのに(まさにタイトル通り)、相手はなぜか自分のことを異常なほど知っており、自分を追い詰めていく、というのは、ちょっとドッペルゲンガーネタの変形のようにも思えてきます。実際、二人の男は、顔立ちは明らかに異なっているのだけど、背格好は何だかよく似ております。これで顔まで似てたら映画を見る側が混乱しかねないので、そういったことすべてを考慮したキャスティングなのかも知れません。いずれにしても、近くからあるいは遠くから、影のようにつきまとう男。テニスプレイヤーである主人公の試合で、観客たちがボールを追って顔を左右に動かす中、男だけがじっとこちらを見ている。だからそういうのが「やり過ぎ」演出だっての。面白いからいいけど。 男が主人公の妻を殺害する場面、地面に落ちた彼女のメガネに、歪んだ男の姿が映る。主の無いメガネだけがそれを目撃し、そのメガネを通じて我々がそれを目撃する。こういう演出の発想自体、歪んでますよね~。 夜、主人公と男が門扉を挟んで対峙するシーンがありますが、そこにパトカーが到着すると、主人公はつい、そこから隠れるように男のいる側へと回ってしまう。なぜ主人公が警察にすべてをぶちまけないのか、男のペースに巻き込まれるかというと、このシーンがあるから。男の側に立った、男の共犯者となったことを象徴するシーンだから。もう、逃げられない。 犯人は必ず犯行現場に戻る、という格言の通り(ほんまかいな)、クライマックスの舞台は、妻の殺害された遊園地へ。同じ舞台、同じシチュエーションが、作中で二度登場する。一種の変奏曲。今回は一体、何が起こるのか。 ここで、とってつけたように、大暴走するメリーゴーランド。はい、また「やり過ぎ」一丁いただきました。もう、絶対あり得ない状況の上、暴走メリーゴーランド上の格闘シーンが、やたら長くって、これ、このシーンにずーっと劇伴音楽つけろって、言われても、さすがに音楽が持たないでしょ、作曲家が困るのでは、と思っちゃうのですが、、、ちゃんとテンションが途切れない音楽がこの長いシーンに被せられています。ティオムキン自身が頑張ったのかアシスタントが頑張ったのか知りませんけど、いやほんと、作曲家って、エラいですね。 それにしてもこの暴走シーン、もはやメチャクチャなんですけれど、いやそれだけに、そのもたらす興奮たるや、無類のものがあります。まさに怪作にして快作。「やり過ぎ」大歓迎です。
[インターネット(字幕)] 10点(2024-11-02 07:18:40)
2.  マーフィの戦い
南米ベネズエラの大河を舞台に、Uボートの攻撃から生き残った一人の男が、Uボートに対する復讐の炎を燃やす(ピーター・オトゥールの狂気!)。彼には協力者がいるものの(フィリップ・ノワレがいい味出してる!)、巻き込まれたに等しく、事実上は主人公の孤独な戦い。欧州の戦況から遠く離れた地で、まさに人知れぬ戦いが、繰り広げられる。 なんで映画の舞台がベネズエラかというと、撮影の協力が得られたという純粋に製作上の都合みたいですが、実際のところ第二次大戦では、ベネズエラも含めた中南米の国の数々が、戦闘への参加はさておき、ドイツや日本に対する宣戦布告を行っていたのであって、そういう意味では地球規模の大戦とも言えましょう。地の果てみたいな場所、などと言っては現地の人に悪いけど、世界のどんな場所でどんな戦いが繰り広げられてもおかしくない状況の中、しかしだからと言ってこんな場所でこんな戦いが、何のために行われなければならないのか、異様とも言ってよい光景が繰り広げられます。 ひたすら復讐への道を突き進む主人公の偏執狂的な姿、それを描くこの映画自体にも、偏執狂的な雰囲気が横溢しています。主人公が操縦するオンボロ水上機が、果たして無事に離水するのか、その飛ぶや飛ばざるやという姿を、これでもかとカメラが追いかける様は、まさに偏執狂的と言ってよいもので、これだけでも手に汗握るシーンになっています。主人公の「執念」の映像化。 このシーンに限らず、主人公がUボートに立ち向かっていく姿が、この映画では、これでもかと克明に描かれます。作品を通じセリフが絞られていて、とにかく「見せる」ということに重点が置かれる。主人公がボロ船でUボートに突撃する場面なども、なにせボロ船でスピードが出ず、その光景だけもで充分に異様ですが、遅さ故にその光景が時間的にも引き延ばされ、異様さは数層倍に。主人公の狂気もまた、数層倍。誰も見ていない戦い、誰のためのものかもわからない戦い、誰にも止められない戦い。 圧倒されつつ、虚しさが心に突き刺さります。
[インターネット(字幕)] 10点(2024-07-20 07:39:47)
3.  ヒッチャー(1985)
好きな映画、というのとはちょっと違うかも知れない。好きだから何度でも繰り返し見ます、というんじゃなくって、ごく、たまーに見ては、作品の不気味さに震え上がり、堪能したい。今回見たのも、果たしていつ以来だったっけか。やっぱり面白い。怖い。不気味。痺れます。 『激突!』の後で、どういう映画があり得るか。どこまでトンガレるか。トンガリまくった挙句、こういう映画が生まれちゃう。そのこと自体が、面白いじゃないですか。 雨の中、現れたヒッチハイカー。『激突!』における、顔の見えない敵、というのとは違って(もっとも、『激突!』ではタンクローリー自体が“顔”な訳ですが)、こちらはいきなり顔を見せちゃう。おいおい、顔、見えちゃってるよ、とワケのわからない心配をしてしまうのですが、ちゃんと不気味さを持続させ、恐怖を持続させるルトガー・ハウアー。本当に得難い俳優をこの作品は得ることができ、この時点で99%は成功が保証されたもんでしょう。などと言うと、C・トーマス・ハウエルが気の毒か。いや、その凡庸さもしっかり、この映画では活きてます。 とにかくルトガー・ハウアー。やっぱりこの人、品がある。そして、何を考えているかわからない(アタマ空っぽ、という意味ではなく)。その独特の持ち味を、徹底的に邪悪さへと振り切って見せると、こんなコワいことになってしまう。作品と俳優の、一期一会、絶妙の組み合わせ。などと『ブレードランナー』のことも同じようにホメてしまいたくなる誘惑を抑えつつ。 この作品、実に不条理なサスペンスですが、不条理ゆえに散漫になるようなこと無く、緩急つけて緊張感を高めていきます。 切り詰められたセリフの、恐るべき切れ味。 一方、劇中のところどころで展開される派手なアクションシーンが、サスペンスに不釣り合いで、ちょっと浮いた感じがあるのも事実なのですが、この不条理世界にそういう場違いなものが放り込まれると、さらに不条理感が倍増し、さらに不気味さが膨れ上がってきます。これ、計算されたものなのかどうか、わからないけれど、結果として異様な効果をあげていて、やっぱりこの作品、フツーじゃない。 さて、次は、何年後に見ますかね。。。
[インターネット(字幕)] 10点(2023-10-14 09:01:07)
4.  ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE
何だかよくわからんがとにかく、ここまでやってくれたらもう、10点でいいじゃないか、と思いました。 潜水艦のくだりはさておき、まず見どころは砂漠での攻防戦。すさまじい砂嵐の中で繰り広げられる銃撃戦が圧巻ですが、こんなのまだまだオープニングの一環に過ぎないよ、と。 次から次に展開されるアクションと、そこに仕込まれた意外性。ストーリー自体は、何やらしょうもない鍵の争奪戦に過ぎず、理屈もヘッタクレもない。メンドくさい設定をあれこれ映画の中で説明して失速するくらいなら、どうでもいい設定でもって一気に突っ走ってしまえ、というのが潔い。実際、ホントはどうでもいいのに、無理やりややこしそうな設定を持ち込んで尺を伸ばそうとする映画の何と多いことか。このシンプルさが、かえって新鮮です。 手錠でつながれた二人のカーチェイス。クルマの横転も意外なら、横転によって引き起こされる事態も意外で、映画の面白さが次々に引き出されていく。 トム・クルーズが実際にバイクで崖から飛び降りるスタントは、予告編でももっとも目を引くところですが、「そこからどうやって走る列車に乗り込むか」という大きな問題がまだそこには残ってる。それを、実にバカバカしくも意外性をもって、「これしかない」というタイミングで画面に再登場してみせるトム・クルーズ。いやホント、あり得ないしバカバカしいし、だけど最高。 そんでもって、列車を舞台にしたアクションをこれでもか、と。いやあ、列車モノにハズレ無しですね。どんなに例外が多くとも。 列車とくると、「駅」というのも昔から、映画の中にしばしば魅力的な舞台として登場する訳ですが、本作では「駅」を描かなかった埋め合わせのように、「飛行場」を舞台として取り入れ、サスペンスを展開します。 いやホント、サービス満点。お馴染みのメンバーもいいんですが、主人公を追う二人組、目立つ存在ではないながらも彼らが実にいい味出してるんですねえ。 PART ONEと銘打ってますが、某ワイスピ最新作のような愚を犯すこともなく、非常にキリがよく気持ちのよい終わり方です。最初から最後までワクワクさせてくれて、もう充実感しか残らないではないですか。
[映画館(字幕)] 10点(2023-08-10 14:36:27)
5.  静かなる男
私がこの作品に10点をつけない理由があるとしたら、「↓すでに何人も10点つけてるから、もういいか」ぐらいのもんで。いやホントにこの作品、見終わって何ともうれしくなり、何ともしみじみしちゃう。また10点を増やしちゃいますけど、勘弁してください。 アメリカから故郷のアイルランドの小さな村に帰ってきたジョン・ウェイン、これが実にイイ男。知り合ったモーリン・オハラは気の強いところもあるけれど、お互い憎からず、というわけでトントン拍子に結婚へと向かいたいところ、しかし彼女の兄が偏屈者で、ジョン・ウェインを滅法、嫌ってて。 そういう、人間関係やら、田舎らしい因習やら、主人公の過去やらが、物語に起伏を生じさせるのだけど、全体的な基調はおおらかで、なんと言ってもユーモラス。彼らを取り巻く面々のやることなすこと、とにかく可笑しくて、あともう少し誇張してやれば、ショートコントのネタにも使えそうな。 豊かな自然も見どころだけど、馬のレースなんかのアクションも交えたり。 見てると、ほとんどお膳立ては整っていて、義兄弟同士が殴りあえば解決しそうな雰囲気が漂っているのだけど、そこになかなか踏み込めないのが人間。人間だけが、最後の障壁。しかしもう、行くしかないよね。というわけで、あとはもう、盛大に殴り合い、盛大に馬鹿騒ぎ。この肯定感が、たまりません。
[インターネット(吹替)] 10点(2021-04-25 14:58:05)
6.  霧の中の風景 《ネタバレ》 
幻想性の中に、人間が生きていくツラさ・不安というものをそのまんま投影したような、タマラナイ気持ちにさせられる映画。空はどんよりと曇り、不安、また不安。 物語はシンプルで、ドイツにいるという、まだ見ぬ父(ホントは実在しないのだけど)を探し求めて家を出た姉弟の旅路が描かれます。2時間ちょっとの作品の中で、長回しも用いられ、ショットの数で言うと100弱くらいでしょうか。しかし、これ見よがしな長回しではなく、比較的自然に映画が進行し、決して取っつきにくい印象の作品ではありません。何より、子供たちを主人公にして、彼らの心細く危うい旅を描いていることが、見ている我々の気持ちを否応なく映画へと惹きつけます。 彼らの前には、「巨大なもの」が登場し、彼らを脅かします。工場の巨大な煙突。煙を上げる原子力発電所(なのかな?。ギリシャには原発無かったのでは??)。彼らの前に立ちふさがるように駆動する、巨大な掘削機。そういった「巨大なもの」の前に、彼らの姿は小さく、小さく描かれています。 海中から現れる、巨大な手の石膏像。それが何を意味するのかは作中では明かされていないけれど、巨大なその手の像は、ヘリで吊るされて運ばれていき、遠く小さくなっていくに従って、まるで救いを求める「手」のようにも見えてくる。 作中に印象的に配置された、人間の所作。それは、一つには「泣く」ということであり、もう一つは「抱き合う」ということ。その2つがクロスする、あの街灯にひっそりと照らされた夜道のシーンの、切ないこと。そして、感動的なこと。 生きるツラさ、と言えば、終盤の駅の場面に登場する兵士、彼の背景は全く描かれていないけれど、彼もまた生きづらさを抱えた人物であろうことが、感じられます。 あるいは、飲食店から追い出されるヴァイオリン弾きのオヤジ。それぞれが、いかにも不器用に、何とか生きている。ああ、生きるとは、こんなにツラいことなんだ。決して辿り着くことのない、霧の中の風景。 ラストの銃声は、彼らの死を想起させるけれど、映画は彼らをどことも知れぬ「霧の向こう」へといざない、そこに生えている一本の木と抱き合う小さな姿で、幕を閉じます。微かな慰め。それはあるいは、この苦しくツラい生との決別でしかないのか。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2021-02-27 09:30:34)
7.  ゾンビ/ディレクターズカット完全版
NHKが明日、BSプレミアムでコレを平日の昼間っから放送するらしい。どういう視聴者層をターゲットにしているんだろう、と思いつつ、有難く録画させていただこうかと。そういや、私が高校生の頃、民放のUHF局で(奥様映画劇場だっけ?)平日の昼間っから聞いたこともないユーゴスラビア製の戦争映画を放送してたりして、エラく感心した記憶がありますけれども。 ディレクターズカットという響きには、何やら「本家本元」感がありますが、この『ゾンビ』に関しては必ずしもそうとも言えず、ちょっとまったりとしたバージョン。私が最初に見たのもコレなんですけどね。しかし、このまったり感が、まさにこの作品の本質なのかも知れないし、「平日の昼間」こそが、この作品のイメージにあっているのかも。 虚ろな表情でノソノソ動き回るゾンビ、というのは、前作の『ナイト・オブ~』と同様だけど、前作のゾンビが曲がりなりにもその背景に「夜の闇」の不気味さを纏っていたのに対して、今作ではあからさまに明るいショッピングセンターの中を動き回り、日常感の中のゾンビ、といった様相。で、このゾンビ、動きが遅い上に、ガラスドアひとつ破ることができず、SWAT隊員に押し返されるがまま、右往左往するばかりの、いわば最弱クラスのモンスター。SWAT隊員も結構冷静に対処して、こんなにモンスターと人間との距離が近いホラー映画ってのも、なかなか無い。距離が近く、しかしやたら数が多いのが、この作品におけるゾンビ。間違いなく異彩を放った映像となっています。 で、モンスターと言いながら、このゾンビ、見た目は人間と変わらない。ゾンビ退治の構図は、遠目に見れば、無抵抗の人間に対する虐殺と変わらない訳で。実際、ショッピングセンターに現れた暴走族から、ゾンビたちは一方的に蹂躙されたりして。「これは人間じゃない、仲間じゃない」という理由づけのもと「人間そっくり」の連中が蹴散らされ、殺戮される構図。それを見るとき、微妙な罪悪感が伴ったりもしつつ。安部公房が「笑う月」の中の一篇において、「人間そっくりだけど人間ではない(と言われている)食用の生物」の話を書いていて、この話には、ロメロの描くゾンビに繋がるものを感じます。 いずれにせよ、この作品におけるゾンビが何を象徴しているのかは、見る人それぞれ感じるものがあり、例えばもし反共の立場の人なら、無目的に増殖を繰り返すゾンビを「共産主義の蔓延」と見るかも知れません。主人公たち支配層が秩序をもたらすも、他の支配層の登場により、支配層間の争いとなり、結局は革命が起きてしまう・・・。 もちろんこれとはまったく逆に、消費社会に対する批判と見ることだってできるかも知れない。様々なもののメタファーとして見ることが可能だろうけれど、作品を独特の虚無感、終末感が支配していて、これが作品の魅力となっているのは確かでしょう。
[DVD(字幕)] 10点(2021-01-31 10:24:50)
8.  パリの恋人
これ、ホントいいですよね~。 ストーリーなんてほとんど無いようなもんですけれども、楽しくて楽しくて。楽しいんだけど、アステアももう60歳近くって、どうしても哀愁みたいなものが漂うんですけれど、でも楽しい。しっかり踊って、しっかり歌って。何だか、背景の風に揺れる木の枝すら、まるでアステアの歌声に合わせて揺れているかのような。 白眉はあの、アステアの投げた傘が見事にゴミ箱(?)に収まるシーン。どのくらい練習したのか、どのくらいNG出したのか、わかりませんけれど、仮に99回失敗したとしても、成功した1回がフィルムに収められ映画に取り込まれることで、それは「必然」という奇蹟になる。 相手役のヒロインはオードリー・ヘプバーン。彼女もしっかり踊って、しっかり歌って。バレリーナとしての素地がしっかりしてるだけに、ダンスが上手いんです。最近の映画でこのくらい見事なダンスを披露してくれた作品といったら、正確なタイトルは忘れましたが、『IT/イット “あれ”が見えたら放送事故』でしたっけか(多分違う)、あのピエロくらいのもんでしょうか。 オードリーのミュージカルの才能が花開き、一方でアステアはミュージカル・スターとしての最後の一花といった感じ。これだけでも充分に奇蹟を感じさせる邂逅、ではあるのですが、そんな勿体ぶった話なんかどうでもいいとばかり、あのオシャレの本場みたいなパリに負けじと、「これがハリウッドの“オシャレ”ってもんだぜ」と歌い踊りまくる。 カラフルに誇張された調度に衣装も映画に花を添え、終盤には夜だったはずなのにラストの舞台は昼の小川に様変わりするという、この何でもアリアリ感。 アステアとオードリーが川を下って去り行くラストシーンを見ていると、ああ楽しい作品だったなあ、と思う一方で、何となくこの二人の、俳優としての引き際の良さ、みたいなものも思い起こしたりして。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2019-12-08 21:33:30)(良:2票)
9.  死刑台のエレベーター(1958) 《ネタバレ》 
多分、初めて観たのは高校のころ、NHK教育の世界名画劇場ですね~。何だ、この映画は、と。何の説明もなく、いきなり殺人事件が起こり、いきなり犯人がエレベーターに閉じ込められる。さてどうやって、ここから脱出するか。もうこれだけでワクワク。なのに夜が明けると、あっさりエレベーターから出られちゃったよ、ってのが、さらにオドロキ。 冒頭のジャンヌ・モローの顔のドアップからして、「普通」じゃないですね。自殺を偽装した完全犯罪、でもロープかけっぱなしなのを忘れてないかい?と思ってたら、やっぱり忘れてて、どれだけお粗末な作戦なんだよ、と言いたくなるのですが、それもこれも主人公を早々にエレベーターに閉じ込めるため。主人公が動けなくなった分、周囲の人間たちが勝手に動き出す。行き当たりばったりの一夜が、ジャズの雰囲気に実にマッチしてます。タクシードライバー以上にタクシードライバーな、夜の雰囲気。 一方で主人公がエレベーターから脱出を試みて悪戦苦闘する面白さ。エレベーター映画というジャンルがあるなら(多分ないけど)本作をその嚆矢と考えてもよいのでは。『ダイ・ハード』も『マトリックス』も『デモンズ2』も「地震列島』も、皆、本作から生まれたんだよきっと。 で、朝が来て主人公は難なく脱出、だけど勝手に動き回ってた連中が、実はすでに彼の外堀を埋めてしまっていましたとさ、というオナハシ。ラストの提示の仕方も、ちょいと残酷で、ちょいとシャレてます。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2019-06-30 15:59:49)
10.  48時間
コレ、好きなんですよね~。テレビの洋画番組で頻繁に放送されてました。 捜査を通じて、白人と黒人の間に理解と友情が芽生えて・・・と言うと『夜の大捜査線』の80年代版、みたいですけれど、あの優等生顔のシドニー・ポワチエに対し、こちらは口八丁手八丁のチンピラ風、エディ・マーフィですから、もうほとんど真逆なんですね。 『夜の大捜査線』での黒人主人公は、町にそぐわない異邦人としての扱いを受けるけれど、コチラの作品では、すでに白人刑事の上司が黒人だったりする。犯人の一人も先住民だし、映画の舞台としてチャイナタウンも登場する。人種のルツボ改め人種のサラダボール、などと言いますけれど、本作の中では、多様な民族と文化がゴチャゴチャ入り混じり隣り合って存在してます。 だから、白人ばかりの店でエディ・マーフィが邪険されることもあれば、黒人ばかりの店でニック・ノルティが白い目で見られたりもする。しかしそもそも、この主人公ふたりともが、社会一般からズレてる鼻つまみ者みたいな存在なもんで、このふたりが動けば何かと騒動のもとになるし、そうやって既存の秩序に楔を打ち込んでみせるのが、本作の楽しいところ。 上述の、白人の店でエディ・マーフィが邪険に扱われる場面。やおらグラスを投げつけ、ガラスの割れる大きな音に、店内の喧騒が静まり返る、そのインパクト。 あるいは大勢の人々が行きかう地下鉄構内で、突如鳴り響く銃声。銃声とともに、それまで緊張感を煽っていたBGMがいったん止まる、ってのも印象的。当然っちゃあ当然なのかもしれないけれど、ゲリラ撮影じゃなくって、背景を歩いていた大勢の人々は、エキストラなんですよね。そのエキストラたちが醸し出していた整然とした空気が、一気に崩れてパニックとなる、これもなかなかのインパクト。 そして、本作の代名詞ともいうべきあの、バス相手の無謀かつ非常識極まりないカーチェイス。これも強烈な印象で、我々の脳裏に楔のごとく突き刺さってきます。 ラストの犯人との対決。蒸気がモヤモヤ漂うアヤシゲな雰囲気の中、最後まで「非常識」を貫いて見せるニック・ノルティ。無茶無茶な行動が、カッコいいシーンをさらにカッコよく見せ、キャラの魅力と雰囲気とアクションが見事にマッチした、魅力あふれる作品です。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2019-05-25 12:50:07)
11.  緋牡丹博徒
高倉健が男のヤセ我慢なら、藤純子は女のヤセ我慢。自分の人生を犠牲にしても父の仇を追う女と、それを知りつつ弟分をかばわねばならぬ男とが繰り広げる葛藤が、もうたまらんのです。二人の演技もその葛藤へとひたすら収斂していく。 だからこそ盛り上がる、クライマックスの殴り込み。ダイナマイトでも何でも持ってこい。 というワケで。 いや、素晴らしいです、ハイ。 何が? 清川虹子の溢れんばかりの貫録が。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2019-02-23 07:57:08)
12.  ひまわり(1970)
可憐なロシア娘を選ぶか、南イタリアの豪快なオバチャンを選ぶか、それが問題だ。 って、一体それのどこが問題なのよ、と言いたくもなるだろうけれど、そう簡単に割り切れないのが人生なのです。 戦争から帰らぬ夫を探し求め、ソ連を訪れた妻の前に、夫は彼の地で妻子を設けていたという事実が突きつけられる。戦争のもたらした悲劇。 冒頭、無数のひまわりが咲き乱れる中で、カメラがその一つの花へとズームしてゆくのが、あたかも、この映画で取り上げる物語は、無数の悲劇の中の一つに過ぎないんだよ、とでも言っているかのような。ラストも、無数のひまわりの花へと再びカメラが帰っていき、映画が終わる。 しかも、映画中盤でもひまわり畑が登場しますが、このイメージは、その少し後に登場する、林立する墓標のイメージにも重ねられます。本来であれば、「ひまわり」とは、陽光あるいは生命力を象徴するような花、にもかかわらず。 映画に何度か列車が登場しますが、画面の左から右に向かう方向への動きは不安な未来へ、右から左へ向かう動きは安寧の過去へ、の動きのように、感じられます。ロシアからの復員者を乗せた汽車は右から左へ。ロシアでマストロヤンニの姿を見たソフィア・ローレンが飛び乗る汽車は左から右へ。 そんな中で、ラストの別れは、左⇒右ではなく、右⇒左の動きであることに、ギクリとさせられます。もはや、すべてが取返しのつかない、過去へと封印されていくかのような・・・
[CS・衛星(字幕)] 10点(2019-02-12 22:20:20)(良:2票)
13.  遊星からの物体X 《ネタバレ》 
これ初めて観た時って、エイリアン以上に覚悟しながら観て、エイリアン以上にコワかったなあ。人間だったはずのモノが、人間ではなくなり、異形の生物へと変化していくグロテスクさ。何が起こるかわからない、いつどんな形で襲われるかわからない、ありとあらゆることが起こり得る恐怖。 閉塞状況の南極基地の中で、一体誰がすでに人間ではない「何か」となっているのか。みんなアヤシイのよね~。何しろ、どいつもこいつも、みんな妙に顔色悪いもんで。あはは。 で、この作品、さらにコワくて不気味でイヤラシイのが、何かが潜んでそうな「空間」を描いているところ。誰もいない基地内がボンヤリ描かれて、何かがいそうで、実際、例のあやしい犬がうろついていたりする。あるいは、人物の背後で、ボンヤリと開いたドア。 そういう不安をさそいつつ、モンスターの描写はしっかりとグロに徹する。バカバカしいまでにグロテスク、だけどそこには、こんなのどうやって撮影したんだろう、という驚きもあって(ここでCG使うと驚きが無くなってバカバカしさしか残らない、という例が『~ファーストコンタクト』)。 なのに、最後にあんなハリボテのボスキャラ出すから一気にコワくなくなっちゃったよ、という声もありますが、うん、まあ、そうなんでしょう。否定はしません、ハイ。 ところでラストシーンで、「吐く息が白くない人物がいて、アヤシイ。実は体を乗っ取られているのでは」という話が昔からありますけれども、一説によると、南極というところは空気が大変に澄んでいるため、もともとあんまり吐く息が白くならない、という話もあります(行ったことないのでホントかどうか知りませんが)。だとするなら、このラストシーンでやみくもに白い息を吐いているヤツ(オマエだよオマエ)こそが、アヤシイのだ、ということになりますが・・・。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2018-10-14 16:59:07)
14.  かぐや姫の物語 《ネタバレ》 
つい、本人の将来のためとばかり、勉強しろ勉強しろと子供に言ってしまう日頃の自分に気づかされてドキリとし、本当にこんなことで良いんだろうか、なんて思ってしまうのですが、もちろん本作がそういう現代の風潮を寓話的に描いただけの作品ということはないでしょう。ただこれも一種の普遍性、と言えるのではないか、と。 なにせ、赤ちゃんから少女に成長する「かぐや姫」の、一挙手一投足までが、すべて愛おしい。 高貴の女性はめったなことで立ち上がったりはしない、などと言われるけれど、そして捨丸と再会した姫は籠の中の鳥のように身動きがとれないのだけど、二度目の再会では、振り返りながらスックと立ち上がって見せる、その姿の美しさ。 そしてラストで、記憶がない筈の姫が振り返る、まさに何を想うか、というその姿の美しさ。
[DVD(邦画)] 10点(2018-05-16 22:53:02)(良:1票)
15.  リメンバー・ミー(2017)
「あの世」に行ってみたら、そこはズートピアで、やたらとキラキラしていて、ロープウェイなんかもあったりする。 あるいはインサイド・ヘッドのアタマの中みたいな世界。 そういう過去のCGアニメーションと似たところがありつつも、決して二番煎じになっていないんですね。『ズートピア』みたいなサービスの行き届いた作品はそう簡単には現れないだろう、とか思ってると、こうやって勝るとも劣らぬ作品が早々に登場してくる、この驚き。 それどころか、テーマはますます切実になってきて、娯楽作品ながら我々をしっかりとシメ上げてくれます。昔、『死んでしまったら私のことなんか誰も話さない』なんていうタイトルの映画があって、内容とは別にタイトル聞いただけで泣きそうになっちゃうのですが(笑)、本作、真っ向からそのツボを突いてきます。他人から忘れられる、という残酷な現実。寂しいよね。そこには悪意すらも介在しておらず、しかも誰もにとって多かれ少なかれ避けがたい運命である、ってのがまた、残酷なんです。自分が周囲の人々からちゃんと認知されている、忘れ去られないでいる、という人間存在の根幹が、いかに不確かで果敢無いものであることか。本作を子供と一緒に観ながら、なんとなく自分と子供とを繋いでいる関係すらもが、何だかクモの糸のごとき頼りないもののように思えてまいります。 本作の主人公は、少年であるが故に、視線は常に未来に向かっており、過去というものもあくまで未来へと繋がるためのものとして捉えている。だから、過去の中に閉ざされてしまった人物であるヘクターとの関係は最初、まったく噛み合わないものになってて。 で、その後の展開については、ネタバレになるので迂闊な事は書けませんが、第一級のミステリ作品と言ってよいほど伏線のピースが次から次にハマるべき箇所にハマっていって、気味が悪くなる位によくデキたお話でして(笑)。もちろんアクションにも事欠かず、それが骸骨ネタなどの死者の世界ならではのものになっているのが楽しかったり。 で、楽しいんだけど、やっぱ泣けるのよね。 楽しくまとめてるけど、やっぱ、残酷なのよ。 ツラいのよ。
[映画館(吹替)] 10点(2018-03-27 23:08:25)(良:2票)
16.  タクシードライバー(1976)
ご多分に漏れず、私も学生の頃とかには、この映画にハマったもんです。カッコいい、あまりにカッコいい狂気。ああ、こんな映画を考え出すなんて、ホント、世の中には頭のいい人がいるもんだ、なんてね。 で、今見ると、何だか懐かしく、そして何だかちょっと恥ずかしい。過去の自分の青臭さと向き合う恥ずかしさ、ってのも当然あるんですけれど、それだけじゃなくって、映画自体が少々薄っぺらいような、やっぱりコレじゃあダメなんじゃないの、という気持ちも。トラヴィスという特異なキャラに寄りかかり過ぎていて、思い付きの一発ネタで作られた作品、という感じがしてくるんですね。で、「俺は誰にも理解されねえ!」「理解されなくて結構!」という映画を作ることによって、結果的に、世界の若者からの共感を得る、ってのも、何だか、ねえ。ラストの修羅場も、いささか露悪趣味が見え透いていて。 でもでもやっぱり、コレじゃあダメということはなくって、コレでいいんだよなあ、と思い直す(本作観て、大統領暗殺未遂みたいな暴走事件を起こさなければ、ですが)。単なる思い付きだろうと一発ネタだろうと、いいじゃないの。それで、映画がこんなにも光ってるんだから。カッコいいんだから。芸術作品のすべてがすべて、「老成」していなければいけない、などという事は無い訳で。今日もまた世界のどこかで、この映画にハマった若者がいるんだろうし、明日もまた、誰かが新たにこの映画にシビレるんだろう、そういう映画を、使い捨てのごとく悪く言う気には、なれないのです。さあみんな、一度はハマってよ、と言いたいのです。だからやっぱり私はこの映画を支持するのです。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2017-10-15 23:06:06)(良:1票)
17.  レイダース/失われたアーク《聖櫃》
映画の中盤、傷心のインディアナが宿敵ベロックと対談する場面、ハリソン・フォードの大写しの横顔の、目のあたりに何やらチラチラ目障りなものが。要するに、向こうの方にシーリング・ファンがあって、それが横顔と重なってチラチラ見えてるんですな。このシーン、どうしてこんな不細工な撮影をしてしまったのか。何とも残念なのですが。 でももしかして、こういうのも、テキパキサッサと撮影しまくった名残なのかしらん。どこか粗削りで、でも工夫に満ちてて、それが作品のスピード感に繋がってます。演出上の誇張や省略の数々も、実に小気味よくって、楽しいことこの上なし。 そして物語はもちろんドキドキハラハラの連続。冒険活劇に、戦争というハードな要素を加え、さらにはオカルト要素も絡めてきて、サービス満点とはこれのこと。 あらゆる危機に直面しながら、ヘビ以外は何も恐れないジョーンズ博士。間違いなく、映画史に残る名キャラクターでしょう。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2017-02-09 21:47:40)
18.  わらの犬(1971)
すみません、コレ、好きなんです。ヘンな映画ですけどね。バイオレンスを片田舎のフツーの家庭の日常に持ち込んだ、画期的(?)な作品。 何しろ、ヤな奴ばっかり登場する、この不安感。主人公ですら、そんなに好感もてるヤツじゃない。妻が村の男に暴行されるも、彼女の自業自得みたいな面がある上、その事実を主人公がまるで知らないってのがスゴイ。普通なら、クライマックスで展開される暴力は、この事件に対する復讐として描きそうなものですが、本作ではそうは描かない。暴行事件自体はこれでもかと我々の前で描きながら、一方、知らぬは亭主ばかりなり、あくまで哀れでマヌケな小心者として描かれる。そして、クライマックスの一軒家での攻防戦は、まったく別の事件をきっかけに巻き起こり、ここに至って主人公はブチ切れる。「ここは自分の家だ」という、ただその理由で迫りくる敵と戦い、言う事を聞かない妻に対しても暴力を辞さない(この点からしても、本作は「復讐譚」の真逆を行ってます)。もうここからは、ホラーかオカルトの世界。暗闇の中で周囲から隔絶された一軒家、ここではBGMも用いられず、霧笛だか何だか知らんけど不気味な低音が断続的に聞こえてくるだけ。無軌道な破壊が繰り返され、そして鮮烈な銃声が響き渡る。 外から迫りくる敵の狂気に対し、ダスティン・ホフマン演じる主人公も、完全にイッちゃってます。いったん暴力に踏み出せば、もう引き返すことはできない。ラストのセリフにもそれが表れていて、虚無感に満ちた余韻が残ります。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-12-30 09:17:29)
19.  エイリアン
コワい映画を、ちゃんとコワく不気味に作ってる、というまさにその点で、称賛に価する作品だと思います。 まずタイトルの出し方がやけにカッチョいいんです。というのはさておき。 ノリはオバケ映画で、まず冒頭の無人のノストロモ号がどう見てもオバケ屋敷。実に不気味でヤな感じですね。誰もいないのに勝手にチャカチャカ動き出すのがまた気持ち悪い。で、別に無人だった訳ではなくって、長期睡眠中だった乗組員がポツポツと起きてくる。彼らは何事もなかったかのように会話を交わしながら食事をとり、まるで映画のカメラも無視してるみたいな白々しさ、朝のボンヤリした雰囲気。 ノストロモ号はどこもかしこも古びた感じでオバケ屋敷っぽい。蛍光灯が頼りなくパチパチッて灯ったり。しかし「マザー」の中だけはきらびやかで、神秘的というか、怪しい宗教を思わせるような。で、やはりといった感じで、「マザー」のご神託は乗組員に危機をもたらすことになります。 この映画、子どもの頃は「映画全編にわたり、エイリアンが宇宙船の中で殺戮を繰り返す」という印象を持っていましたが、実際には、ショッキングなチェストバスターのシーンまでで、すでに映画のほぼ半分が経過してます。前半、次から次に変なモノばかり見せられるから時間の経過が早く感じられたんですね。未知の生物のグロテスクさ、その一方で体液がメチャクチャ強い酸、だなんて、急に理系チックなところを見せたりして。勿論、この生物を簡単には倒せない、という秀逸な設定でもあるけれど、床を溶かして見せるだけならともかく、下の階までブチ抜いて溶けていくところを見せつけるのが、念が入っててこれまたイヤらしい。 後半は、まさにオバケ屋敷同然のノストロモ号の中で、オバケそのもののエイリアンが襲い掛かってくる展開。映画も残り半分ですから(ラストに少しお時間を頂くので、まあ、半分弱ですね)、実にスピーディに展開していきます。エイリアン以外に、ロボットのオバケも出てきますから、なかなか忙しい。ノストロモ号内部、ただでも迷宮のような廃工場のような不気味さなのに、さらに船内は実にヤな感じのノイズ音にあふれていて神経を逆なでし、そこに登場人物の緊迫した息遣いの音なども加わって、聴覚からも不気味さを訴えかけてきます。ああ、ヤだね。コワい映画たるもの、こうでなくては。 ラストの思わぬオマケの展開も秀逸。超自然的なオバケ映画だった作品を、気持ち悪さマックスまでいったん高めた後、合理性でスパッと終わらせる。これ、何となく気持ちいいのです。ただ、ここでなぜかハワード・ハンソンの交響曲第2番が流れてくる(全3楽章のいずれにも登場するメロディですが、第一楽章終盤かな?)。ちょっと和やか過ぎる音楽で、張り合いが無い気もするのですが。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2016-10-31 14:33:35)
20.  じゃりン子チエ
見事なマンガを、見事にアニメーション化。何度見ても最高です。笑えます、感動します。 とにかくキャラクターが活き活きしている点、アニメに限定せずともこれを超えるものはなかなかないんじゃないですかね。キャラの設定が秀逸なら、細かい動き、表情や仕草の描き方も見事。複数のキャラクターのセリフと表情の変化が同時並行的に描かれるうまさ、いや、単にうまいんじゃなくって、そこにひとヒネリもふたヒネリも加えてきて、絶妙の可笑しさを醸し出します。 声優陣は映画版とテレビ版で一部(いや大半か)違っていて、芸人さんが大量動員されてます。テレビ版の方がしっくりくる半面、この映画版での芸人さんの起用の仕方が、すべて「なるほど」と思わせる配役で、これもちょっとした楽しさ。いやホント、このメンツでそのまんま舞台化できたんじゃないかと思わせるくらい。 『ゴジラの息子』が実写のまま挿入されるシーンなど、テレビ版との違いは声優以外にもありますが、背景画も映画版の方が凝っているようですね。チエちゃんのホルモン屋に、バクチ屋時代の「お好み焼き屋のオッチャン」が子分を連れてやってくる直前の場面で、テツの噂話をする客の一言にチエちゃんがズッコケると、そこで映し出されるカウンター下の背景画、テレビ版では特にこれと言ったものは描かれていなかったように思うのですが、映画版では遠近感をもった深みのある背景になっていて、こういう部分にもしっかり手をかけているんだな、と。 母と会う場面、天王寺の風景は今では変わった部分もありますが、やはりこれはまぎれもなく天王寺公園。 もう一度言いますが、最高です。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2016-10-28 15:20:37)(良:1票)
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