1. どうすればよかったか?
《ネタバレ》 ポレポレ中野で鑑賞 とにかく混んでいたのでびっくり 基本中高年の人々で、何に興味があってこの映画を観に来たのか不思議に思った この映画?を評価するためには、色々な時代的な経験や知識が必要と思う 監督の姿勢は父母を断罪しているようにしかみえないのだけれど、まず本当にこの人に父母を断罪する権利があるのだろうかと疑問に思う 後知恵で一刻も早く治療を受けてもらえれば、という感想を多くの人が思うのではないか しかし、本当に当時の精神病院に彼女を入院させて、早期の寛緩や治癒がみこめたといえるのだろうか? 映画の中では、父は母が入院を拒んだと言い、あたかも両親が精神病に対する偏見があったからと捉えられるように描かれている。 しかし、両親が受けた医学教育の時代には、精神病院はアサイラムでしかなく、そこには荒廃した人々がいたはずだ 当時は結核同様シュープという概念があった 何回かの安定期の後の増悪期を経て人格が荒廃するという考え方であり、CPが用いられるようになってもそういう人々が精神病院の中に沈殿していたことは、当時の医療関係者の肌感覚で染みついていたに違いない(そもそも、医療関係者であればあるほど、精神疾患に偏見があるという、よく知られた事実は、沈殿してしまった人々に触れる機会が多いことが原因なのだろうと思う) つまり、父母が医学教育を受けた時代(なにせ二人とも基礎の医学者なので、臨床現場の経験は若い時に限定されるだろう)には、「娘は精神病だから精神病院に入院させて治療を受ければ、症状の改善、寛緩、治癒が期待できる」などとは考えられもしなかったのだろう だとすれば、まともな治療が期待できない精神病院に入れるより、自分たちのもとにおいて、なんとか平穏な日々を送らせたい」と考えるのは、当時とすれば、むしろ子どもを思う親の気持ち(そしてその親は、基礎医学研究者である医師)としては、十分理解できる気がする 長年治療放置されていた姉は、投薬に敏感に反応して、短い期間ながら、人生を取り戻したようにみえた 短い期間ではあったが、本当に、ほっとした だからこそ、長年治療放置していた両親を断罪するのは当然のことではある しかし、弟である監督が傍観者・評論家のように、この映像を大衆に晒すことの意義はなんだろうか? 映像に残すことだけで家族の一員として、この問題に真摯に向き合ったといえるのか? 父母が何をどう考えていたのかのにそういう点の考察もなく、一方的に父母を断罪してる行為こそが「家族の闇」なのではないだろうか? 本当にもやもやのたまる映画だった どうしても当時の精神医療(「精神科医療」とも呼んでいなかった。精神科病院ではなく、「精神病院」だった)のことを語らない限り、この映画をまともに評価することはできない 当時の精神医療がひどかったらから両親の対応はしょうがなかった、というのではない この両親は、当時のひどい精神医療を知っているからこそ、それに抗おうとしたのではないか 病気の偏見から子どもを自宅に閉じこめた親は当時は珍しくない しかし徹底して子どもを(自分たちなりに)守り抜いた親も少ない とはいえ、この両親は、ある時点から、完全に時間に取り残された 精神障害者をめぐる治療やケアの進化を知らずに娘を閉じ込めた そこは徹底的に断罪されるべきである そういう映画にしない限り、こういう映画は作るべきではないだろう [映画館(邦画)] 5点(2025-01-17 01:25:09) |
2. コーダ あいのうた
大変ベタなストーリーで展開が読めすぎてしまうのだが、それでもなかなかよいお話で、心が洗われた気持ちになります 親の気持ちの変化がうまく描けていますね [インターネット(字幕)] 7点(2024-12-18 22:33:59) |
3. オッペンハイマー
長い長い映画なのだが、そんな時間をかけても、歴史的背景や、登場人物の内面が薄い膜の向こうにある感じで伝わってこないため、ものすごい未消化で疲労感だけが残った 何が悪いのか分からない、ひょっとしたら見ている側(私)の察する力や理解力が弱いからかもしれない だけど、歴史が趣味でそれなりに当時の史実の背景を勉強してきた私がしんどい映画なんだから、そうでない人がみると、もっともっと未消化なんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-12-17 21:07:58) |
4. すばらしき世界
もうこういうステレオタイプでお金も時間も人も無駄に投入するのは、いい加減やめんといけんね こういうの信じられる人、ある意味幸せで不幸とおもうよ こんなもんじゃないよ、ほんとの世界は 邦画がダメになったのは、リアリティの問題でなく、ステレオタイプでしか物事をとらえられなくなった映画人や俳優たちのせいなんだね そして、映画を安定した投資にしようとした資本の人たち、俳優や女優の名前だけで映画をみる人たち、こういう人たちが邦画を貶めてきたんだね チーン [インターネット(邦画)] 0点(2024-11-14 23:23:21) |
5. 落下の解剖学
《ネタバレ》 そもそも凶器もなければ思い込み状況証拠しかないのに、なぜ起訴され裁判になるのかで混乱 フランスはそういう国なのか? 身長180cmの夫を高さ120cmの手すりを超えて、体格が劣る妻がどうやって突き落せるのかという最大の理不尽はさらっとしか触れられず、もっぱら夫婦の心理面の話になるのも、これもフランスだからか? そして、夫の死の前日の夫婦のいさかいは、夫がだめだめ人間っていうことが分かるだけで(しかも録音してるから、夫もわざと挑発しているわけだよね)、あの程度の喧嘩が殺人を裏付ける証拠として重視されるのは、これもフランスだからなのか? かずかずの疑問は、この作品をサスペンスだと思ってみるからで、心理描写に重きのあるフランス映画なのだから・・・と何度自分を諫めたか分からない 最終的には、私的に、説得力のないひどい脚本を、演技力でなんとか形にした作品、でしかなかった 色々賞をもらっているようですが、こんなひどい脚本を、よくぞまあ一応作品にしたなあ、ということでもらえたんだと思う。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-11-14 21:27:01) |
6. 名探偵コナン 緋色の不在証明
コナンの魅力の1つはは、あらゆるところにちょっとした伏線が落とされていて、それが一つとして矛盾なく、少しずつ回収していくところ。 その代表が、赤井さんの存在。その登場時点では、今の存在や家族の展開まではとても想像できなかったが、いろんな伏線を回収しまくって、いまや赤井さんはコナンを凌ぐ存在となっている。 この映画は、そういう巧妙な構造を上手に映画としてまとめて、「名探偵コナン 緋色の弾丸」の予習編と呼ぶにはもったいないくらいの出来となっている。 [映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2023-12-31 16:01:15) |
7. 私がやりました
オゾン監督の、ひさしぶりにシンプルにメジャーっぽい造りになっていて、気楽に楽しめる作品。 何よりも、オデット役のイザベル・ユペールの、ヒステリックで大袈裟な感じの演技に魅せられた。このオデットの解釈は、イザベル自身のものらしいが、これがなければ、オゾン監督の他の作品のように内省的過ぎて凡庸な人々には凡庸にしかみえない作品にしあがったであろう。 それにしても、ピアニストのエリカから、このオデットまで演じるというのは、驚嘆の限りだ。 [映画館(字幕)] 7点(2023-12-24 15:57:09)(良:1票) |
8. 過去負う者
邦画でもメジャー作品でないと、こんなにいい役者さんがいるんだなあ、としみじみ思いました。 ただ残念ながら、低予算も原因なんだろうけど、脚本、監督、役者、みんなこの問題に対する現実の理解が浅すぎる。 被害者支援の観点からみても現実から離れすぎたことが描かれていて、愕然としました。 おかげで、「名優はレストランのメニューを読むだけで人を泣かせる」という話を思い出しました。 レストランのメニューを読まれただけで泣く人は少数なんだけどな、とも思いました。 とはいえ、最初から最後まで1秒も寝ないで見られた映画は久しぶりです。 [映画館(邦画)] 6点(2023-12-11 00:26:30) |
9. 月(2023)
磯村勇斗は、説得力のある演技をしていると思います。 宮沢りえもセリフ以外でみせる演技はすばらしいです。その分、セリフが入ると、もうなんだか浮ついてから回っていて残念です。 オダギリジョーと二階堂が下手くそなのは「ボランティア出演」だからなのでお愛想。まあもともとうまい俳優さんではないが。 俳優陣がそこそこ頑張ってるのに全体として全く評価すべきところがなくなっているのは、結局、この重いテーマを扱うには、原作と脚本が、力不足ということなんだと思う。 例えば、洋子がさとくんに「あなただって生命を選別しているじゃないか」(不正確)と指摘された場面で洋子は慌てふためいていたが、本来洋子はさとくんの言葉を否定し里君の気持ちを引き寄せることも可能だったはず。 うん、結局、この問題の本質を原作者も監督も1mmも理解することができず、「なんだかんだ難しいことあるよね~」的な感じでモヤモヤしたままで示せば、「映画」になると思った、、、というところにこの映画の駄作ぶりと、邦画のダメダメぶりが表現されているんでしょうね。 もうちょっとみんな考えようよ。 [映画館(邦画)] 4点(2023-12-03 14:39:24) |
10. アンダーカレント
《ネタバレ》 原作に丸乗っかりの製作委員会方式で、監督以下全員が原作を理解しようとしなかった結果出来上がる典型的駄作。 分かりやすいのは、脚本と脚色について:原作のほぼコピペで時間を短縮する意図もないのに、重要な場面がカットされているところ。重油のバーナーをもらいに行く帰途、原作では林の中に主人公が水面を見つけ、車をとめて水面を見つめるうちに何かがよみがえってくる場面が描かれている。この場面が重要な伏線になっているにもかかわらず、映画ではカットされている。 冒頭に銭湯の湯船に主人公自らが頭からつかる場面。原作では上半身だけが沈み脚は残っているところが、現在の主人公のメンタリティの重要な暗示になっているにもかかわらず、映画では水に全身がもぐってしまう絵をとっている。 ビル・エヴァンス&ジム・ホールのアルバムに影響されたのかもしれぬが、ちゃんと原作を読みこんでいれば、こんな絵を撮るはずがない。 俳優陣も、自分が演じている人物の内面をまったく理解できていないまま演じるから、単にぼーっと薄暗く演じているようにしかみえない。 こんな映画ばかりみせられる我々は本当に気の毒だ。 2023/12/24追記 ビル・エヴァンス&ジム・ホールのアルバムのジャケットは、もともとトニー・フリッセルという写真家がウィーキ・ワチーというフロリダ州の都市での名物である水中ダンスのワン・シーンなのだそうです(ほかにもクラシック等でジャケットでいくつか使われているそうです)。だとすれば、ますます、原作のアンダーカレントは、本来のアンダーカレントの意味に寄り添った内容なわけで、やはり完全い体を沈めていないところがポイントであると思います。 [映画館(邦画)] 3点(2023-10-12 20:26:20)(良:1票) |
11. 私たちの声
7つのストーリーがあるのだが、最初のほうはそれなりに考えさせられるものの、後ろに行けば行くほどわけわからなくなる。監督、脚本家やactorが短編の中で力を発揮することができなかったといえばそれまでなのだが・・・ [映画館(字幕)] 5点(2023-09-27 17:23:52) |
12. リファッション~アップサイクル・ヤーンでよみがえる服たち~
《ネタバレ》 3つの取組が紹介されます。①廃棄衣料から水・薬品を使用せず糸にし新たな服によみがえらせる、②子供服の古着を販売ネットワーク、③ペットボトルのリサイクル。 ①はともかく、②③は(その取り組みに敬意は払うものの)目新しいことはほとんどなく、いまや映画にするほどの内容なのかしら・・・これを映画にした意図はなんだろう???という感じでした。 [映画館(字幕)] 3点(2023-09-18 06:40:38) |
13. X エックス(2022)
今の時代にこれを見ても普通過ぎる、という感想になってしまうのだが、三部作全部を見てからでないと評価できない気もしている。 [インターネット(字幕)] 6点(2023-07-04 18:12:42) |