1. ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド ゾンビの誕生
一通り後の作品を観てしまった後で観ることになったので、どうかな?とちょっとコワかったんですけど、いえいえどうして。ほとんどこれ一本で生きて行く羽目になったジョージ・A・ロメロの熱い情熱ほとばしる傑作だったと思います。やはり予算のない中での手作り感覚を多少身贔屓的に許してしまえるのは仕方のないことだと思うのですが、様々な悪条件をクリアしてこの水準を達成できることは素晴らしいと思いますし、インディーズ作品ならではの質の高さ、作り手の思い入れの高さが素直に伺われる良い作品だと思います。後に作られる一連のゾンビ物に比べるとやはりスケール感もミニマムだし大きな仕掛けはありません。ただロメロのルーツとも言える昔のホラー映画、「フランケンシュタイン」とか「ドラキュラ」等のゴシックホラー感覚は最も強く現れていると感じます。このホラー映画に対するひたむきな愛、そして彼の生み出した「ゾンビ」という新しいモンスターへのこだわりの記念すべき第一歩として、少しもその名に恥じることのない作品だと思います。やはり市井の一映画ファンとして、作り手がどこまで映画を愛してくれているかは重要な共鳴ポイントとなると思いますので、私はこれ、観て良かったと素直に思いました。ジョージ・A・ロメロは素敵です。 8点(2004-08-29 22:56:49)(良:1票) |
2. 大脱走
たとえば「映画はスターである」という意見があり、「映画は娯楽である」という意見があり、あるいは「歴史の一部を後世に伝える」という意義があり、さらに「人々に夢や感動を与える」という価値がある。この作品ほどあらゆる点で広く一般大衆が「映画」というメディアに求める要求を満たす作品は多くはない。これが実話であるという信憑性に確固たる裏づけを与える魅力溢れる主人公達のみならず、悪の象徴として通り一遍に語られかねないナチス・ドイツの軍人達にもそれぞれの抱える苦悩や人間味を持たせ、数々の悲惨なエピソードをちりばめながらも物語はポジティブに、知恵をめぐらし目的を遂げることの素晴らしさを、そして勇気を、戦時下という特殊な状況にありながらも決して人としての心を失わない捕虜と看守たちそれぞれの崇高な魂を見事に描き切っている。互いに異なる目的を持ち、ある者は脱出に命を賭け、またある者は失敗が即北方戦線勤務を意味する、究極の利害関係を背景に、双方が持てる知恵の全てを注ぎ尽くした騙し合いの小気味良さ、個性溢れる演技陣の活き活きとした表情の豊かさ、かの有名なマックイーンVSマックイーンの壮大なオートレースシーン、緻密なシナリオとダイナミックな演出、無駄なカットが一つもないとまで絶賛される完璧な演出は、3時間に及ぶ長尺を一瞬の飽きも感じさせずタイトに、しかも様々なドラマの一つ一つをあくまでも丁寧に描き尽くしている。何度失敗してもボールとグローブを片手に飄々と独房に入る独房王マックイーン、17本目のトンネルに命を賭けるトンネル王ブロンソン、書類の偽造のために視力を犠牲にした盟友を最後まで見捨てずにかばおうとする調達屋ガーナー。彼らの卓越した存在感に、全編を通して語られた男達の美しい友情と任務遂行への狂おしいほどの情熱に、人々は今なお拍手を惜しまない。「これが映画だ」と心の底から自信を持って言うことのできる、数少ない作品の一つである。 10点(2004-03-29 23:51:25)(良:2票) |
3. 荒野の七人
西部劇を学ぼうと思い立ち、右も左もわからないまま西部劇コーナーの前に立って真っ先にこれを選び出した自分の野生の勘を誉めてあげたい(笑)「七人の侍」を観たのは20年前のことなので正直、比較するほど覚えていなかったりするし、前作への思い入れが強ければ強いほどイメージが下がるのがリメイクの常なので、おぼろげに知っているぐらいの鑑賞姿勢はプラスに働いたように思われる。ジェームス・コバーン、スティーブ・マックイーンといった未来の大スターたちが、駆け出しの初々しさを持ちながらも後の成功を納得させるだけの存在感を醸し出しているのには率直に驚嘆させられる。特に75個しか台詞のなかったマックイーン(笑)、動く動く。とにかくどんな片隅に置かれていてもひっきりなしに何かやっている。このカウボーイハットが、後の「大脱走」で野球のボールに代えられて行くのですね。ユル・ブリンナーは大物の風格で当然圧勝といったところだが、この人の存在感だけに頼りながらも自分の強烈な存在感をはっきり自覚しているところはやはり凡人にはなし得ない一つの才能だろう。もちろん彼のカリスマ性あってのこの作品だと思うけど、これだけのメンバーが一堂に会して一点のブレもなく一本のベクトルにまとまっている訴求力は名作と言われるだけのことはある。西部劇の名にふさわしい、アメリカ大陸西南部独特の地形的なスケール感、低いアングルを多用した空と馬たちの躍動感、暗く湿った東洋の小国で初めてこれを見たおとうさんたちを、打ちのめすには十分だったに違いない。Sweet! 7点(2004-02-22 14:48:29)(良:3票) |
4. 小間使の日記(1963)
後の傑作「哀しみのトリスターナ」につながって行く前哨戦とも言うべき作品だが、こちらは一見してわかりにくいジャンヌ・モローの個性が際立つ。モノクロの映像の中で淡々と繰り広げられるヨーロッパならではのテンポに、決して若くはないお手伝いさんの色香にメロメロになって行く老いた雇い主。ありがちな展開ではあるが、貴族としてのプライドを保ちながらも愛に翻弄されて行く男の弱さ、金も力も若さもないが厳然たるプライドで男の前に立ちはだかる女、この二人の力関係の中にブニュエルの率直な女性至上主義が見える女性の視点からは楽しい作品と言えるだろう。彼の作品の中で女性の足が象徴するものは、すなわち美であり、男性を踏みつけるたくましい力であり、男性がひれ伏すための存在である。かくも力強くたくましい存在である女性に対して、涙ながらに愛を乞い、ひれ伏して行く富も名誉も権力もある男性という図式に、ひたすら女性を抑えつけて来た前時代的な価値観こそ、実はギリギリのところでバランスを保つために人類が生み出した種族保存の一つの方法であったのではないかとさえ思わされる。それほどに、ブニュエルの女性に対する賞賛は素晴らしい。 9点(2004-01-24 12:10:56) |
5. エル・シド
この手の映画ってわりと長尺にもかかわらずちゃんと楽しく最後まで観られるように出来ていて当たり外れが少ないように思うのですが、中でも比較的宗教色が薄くスペクタクルに特化した作品として扱われ方は地味ですが私は「ベン・ハー」よりこちらの方が好きです。たぶん聖書にあまり詳しくなくても楽しめるせいだと思いますが、あまりにも宗教色が強いとどうしても途中で辛くなる部分があったりするけどこれは「おおーっ」とか言ってるだけで楽しめました。たぶん我々の孫の世代はシュワルツェネッガーの映画を観てこんな風に感じるんじゃないかな?と思います。私は世間一般の評価に比べて「グラディエイター」の印象が比較的薄いんですが、たぶん無意識のうちにこれと比べていたんじゃないのかな?という気もします。映像的に古いというのはもはやどうしようもないことですが、圧倒的なスケール感というかエキストラ1000人とか平気で連れて来ちゃう機動力がこの時代の大作にはありますので、そういう部分はCGで何万人見せられるよりやっぱり満足感があるような気もします。まあ当時の人たちに「グラディエイター」を見せたら、やっぱり何万人の方が凄いと言うでしょうけど。古い=有難い、とは私自身はあんまり思わない方ですが、この手のスペクタクルを作らせたらこの時代の作品はやっぱり賭けてるものが段違いでしょう。本気を感じるというか、そういう情熱って観ていて伝わって来るものだと思います。 9点(2004-01-20 22:41:57) |
6. メリー・ポピンズ
技術が古びても、ストーリーが古い時代の物になっても、古びないものってやっぱりあると思う。時代はどんどん過ぎて行って、もう子供たちは「ジョーズ」を観ても眠れなくなることはないのかも知れないし、次の時代の子供たちは「マトリックス」を観てチャチなSFだと鼻で笑うのかも知れない。でも、やっぱりどんな時代でも、小さな子供たちには空を飛ぶ夢を見てもらいたいし、絵の中に入っちゃう!指先をパチンと鳴らすと部屋があっという間に片付いちゃう!煙突掃除のおじさんたちと、街じゅうの屋根の上を駆け回っちゃう!そんなことが出来たらいいな~、と思っていてもらいたい。空想は、人類だけに許された最大のパワーです。この映画を観るたびに私は、どんな時代がやって来ようと、この映画だけは大人からも子供からも、愛されていて欲しいな、と思います。 10点(2003-12-26 22:57:38)(良:3票) |
7. 突然炎のごとく(1961)
最後まで観ると、なんとなくいい映画だったような気にはさせられるんですが・・・観ていて長く感じました。フランス映画の独特のテンポというか、だらだら長いなぁ、という感じでちょっと辛かったです。ジャンヌ・モローの存在感が素敵、と思えれば耐えられない長さではないような気もしますが。私は非常に正義感の強い10代の終わりにこの映画を観ましたので、二人の男性の間でどっちにもいい顔ばかりしてるジャンヌ・モローにちょっと女のズルさを感じてしまい、振り回されてる男も男だよなあ、とイライラ。でも観終わった後回りの人はみんな「素晴らしい」と言っていたので、そうなのかぁ、とキョトンとしました。映像がいちいち絵になっていてとても美しい映画ではあるので、雰囲気にノレる人は楽しめるんじゃないかな、と思います。 5点(2003-12-21 14:30:18) |
8. サウンド・オブ・ミュージック
このぐらいになると、もう何が良いんだかよくわからなくなって来ますね。子供の頃、眠いのを無理やり起こされて何かと思ったら「今日はテレビで良い映画があるから見なさい」とか親に命令されて観た記憶があります。近所の名画座でかかった時には、何故か自発的に観に行った覚えがあります。気がついたらサントラ盤まで持っているので、自分としてはかなり気に入った作品だったのでしょう。今、観てもたぶんそれなりに面白いだろうと思います。あまりにも当たり前すぎて、この映画を自分が本当はどう思っているのかよくわからなくなってしまいました。それぐらい、いつも身近にあって、わざわざ観たいと思うことも最近は少なくなってきています。これってもう、空気とか水に近い存在かも知れません。この家族の生き方がどうとか、マリアの魅力がどうとか、あれこれ言う気にもならないし、何も思わないんです。ただ、そこにある映画、という感じです。実は全曲、原語で歌えます。私にとって、かなり特殊な存在の映画という気がします。 8点(2003-12-18 01:49:33) |
9. 猿の惑星
私はこの映画が好きだ。好きだから正しいことは言えない。惚れてメロメロになっている男の欠点なんか見えるワケがないように、私にこの映画の欠点を見つけることなんて不可能だ。だから10点だ。多くの映画と同じようにこの映画にも欠点はいっぱいあるだろうし、不満に思う人もいるだろう。そのへんも、男と同じだ。違っているのは、私がこの映画を初めて観てから30年以上経っているはずなのに、私のこの映画に対する想いはちっとも冷めていないこと。そしてこの映画が私にある日突然心変わりを告げたりしないこと、それだけだ。かくして私と「猿の惑星」の相思相愛は続く。世の中では極めて珍しい、非常に幸せな未来永劫のハッピーエンドである。やれやれ。 10点(2003-12-14 17:49:48)(笑:1票) (良:3票) |
10. 去年マリエンバートで
空前絶後のつまらなさ。 0点(2003-12-13 01:22:45) |
11. キューポラのある街
吉永小百合って顔でかいなあ。と、日本人の美人感の変遷ぶりにちょっと衝撃を感じた映画でした。私がこの映画を見た当時は、小顔ブームが始まりかけの頃だったので。でもこういう映画に人々が夢や希望を与えられた時代って、ある意味とっても幸せだったんだよな、と思いました。頑張ることで誰もが生きて行けた時代。こういうシンプルな時代って、今の時代に生きてる人間からするとすごい貧乏話でもちょっと羨ましかったりします。 5点(2003-12-13 01:13:02) |
12. 奇跡の人(1962)
先に79年のメリッサ・ギルバート版を観ていたので「つまんなかったらどうしよ~」と要らぬ心配をしてしまいましたが、まったく比較の対象にするのもおこがましいほど素晴らしい出来でした。これまで数え切れないほどの「天才子役」を紹介されて来ましたが、天才というのは本当はパティ・デュークのような人にしか言ってはいけないことだったんですね。彼女のヘレン・ケラーがこれほどまでに語り継がれていることに心の底から納得できました。本当は目が見えるんですよ、って言われたらちょっと驚くぐらいの本物っぽさで。舞台出身のアーサー・ペンらしく、長回しも多く非常に演技力を問われる作品なんですが、有名な食事の特訓シーンなど、観ているこちらまでヘトヘトになってしまうすさまじさでした。アン・バンクロフトも女優然としてなくて良いですね。いかにも根性ありそうな、当たり役だったと思います。語り尽くされた感のある物語で、何を今さら、という感じはするかも知れませんが、百聞は一見にしかずと言いますので、まだご覧になってない方は是非観てみて戴きたいです。泣けますよ。 9点(2003-12-13 00:37:21)(良:1票) |
13. 気狂いピエロ
つまんなかった。監督の狙いは「映画にお金を払うことの無駄さを多くの観客に訴えたい」ということかと思った。そういえば「不味かったのでお金返して下さい」と言ったら本当にタダにしてくれたレストランはあったが、「つまんなかったのでお金返して下さい」と言って返金してくれる映画館ってあるのかな。コドモだったから言えませんでしたが、今ならためしに言ってみると思います。そのぐらいつまんなかったです。 0点(2003-12-13 00:19:03)(良:2票) |
14. 太陽がいっぱい
《ネタバレ》 音楽と映画って切り離せない存在である。ニーノ・ロータのあまりにも有名なテーマ曲を聴くたびに、あの美しい海の青と空の青、何も知らずに電話の呼び出しに応じるアラン・ドロンの、孤独な、なのに満ち足りた表情を思い出して涙してしまう。ただでさえ青と黄の強いこの頃のカラー映像は、最近の映画では滅多にお目にかかれないほど、この暗い個性の俳優の目と、海や空の色をどこまでも青く映し出してしまう。まるでその瞳の奥に隠された富への狂おしいほどの憧れを映し出すかのように。友を殺し、女を欺いてまで彼が欲しいと願ったものは、決して友の持つ財産だけではなかった。彼が心の底から望んでいたのは、たまたま運命のいたずらから太陽の当たる場所に生まれて来た友人の存在そのもの。アメリカから渡って来た貧しい青年は、ヨーロッパで豪勢な毎日を送る友人になり代わることを願ったのだ。羨望から殺人を犯す若者の卑屈な個性に、飢えた目をしたアラン・ドロンが見事にはまった。原作のトム・リプリーは、卑屈というよりはむしろ大胆不敵さが売り物の稀代の天才詐欺師だが、映画はその彼のキャラクターをどこまでも暗く、陰鬱なものに変えて人々の心に永遠の哀愁を刻み、パトリシア・ハイスミスの名声を確固たるものにした。それにしてもあの音楽がなかったら、この映画はこれほどまでの傑作になり得たのだろうか。 10点(2003-12-10 22:07:27)(良:2票) |
15. 2001年宇宙の旅
映画は大衆の娯楽であるべきで、よっぽどのばか以外はそれなりに支払った代価に見合う楽しみが得られることを前提とするべきです。そういう制約の中で、優れた主張や価値あるメッセージを一部の知性ある人々に向けてきちんと発信できる作家も大勢います。わからないばかは帰れ、という姿勢は、映画という芸術そのものが歩んで来た道のりを否定するものであり、映画という存在そのものを否定するものであります。仮に私一人が理解できる作品に出会ったとして、その感動を分かち得る相手がこの世に一人も存在しなかったとしたら、映画を観る楽しみはほとんどなくなってしまうでしょう。この映画に感動する人々を私は非難しませんが、この映画を理解できなかった私にもきちんとわかるような説明を与えてくれる心優しい人を私は知りません。たとえばロダンの彫刻であっても、無人島に置き去りにされていればただの石ころであるのと同じように、映画も多くの人が楽しんでこそ、初めて成立するものであると私は信じます。これまでこの映画について現実的に私にも理解し得る解説をしてくれたのは、今年還暦を迎えた私の母ただ一人です。「この人は死んだから星になったのよ。人間は死んだら星になるっていう映画じゃないの」というのが彼女の意見ですが、そう言われてみればそのようにも受け止められます。私は「メリー・ポピンズ」を観ていて長いと感じたことはないですが、この映画はいつも非常に長く感じられます。幸いにして、この映画があるおかげで私が不眠に悩まされることはありません。そういう意味では、使える映画であるとは思います。 2点(2003-12-09 00:30:28)(笑:3票) (良:8票) |
16. イージー・ライダー
《ネタバレ》 ここ20年くらいの間に映画を観始めた世代にとっては何ということもないのだが、実はオールロケ撮影という撮影方法自体が言語道断だったこの時代、今となっては誰も驚かないこのロードムービーがどれほど衝撃的だったかは想像に難くない。正真正銘のダメ人間たちが自堕落な主張を振り回して彼らにとっての実に一方的な自由を追い回す、というストーリーだが、保守的な「常識人」による銃撃という問答無用の制裁を受けるラストの意味するものは、「キャプテン・アメリカ死すとも自由は死なず!」と叫びたいのか、はたまた安易に猟銃を振り回す常識に対しての痛烈な批判なのか、それとも単にデニス・ホッパーがラリッていたからワケわかんなくなったのか。ちなみに筆者は最後の説を信じる。ヤク中はハッピーだが、ヤク中は一方的だ。この映画、デニス・ホッパーが最初に編集した時には6時間半だか7時間あったと聞いている。そのまんま公開されていたら、最後まで観るのはデニス・ホッパーぐらいのものだったに違いない。でもまあ、何と言っても初のオールロケ作品である。「すごいなあ」の一言ぐらいは、言ってあげてもいいと思う。 8点(2003-12-06 22:14:35)(笑:1票) (良:3票) |
17. 俺たちに明日はない
世に「アメリカン・ニューシネマ」という言葉を登場させたという意味では文字通り歴史に残る作品。ケチな小悪党のクライドに飛び着いて行かざるを得ないほど、退屈し切ったボニーのけだるい眼差しが良い。独立小資本による低予算、スター不在、アンチ・ハッピーエンドの作品がハリウッドの大作志向に一石を投じたという点は評価できるが、残念ながらこの映画により突破口を開かれたニューシネマの後続作品からこれを上回る傑作が続出したために作品そのものの価値は埋もれてしまった。この作品がアメリカン・ニューシネマという一つのムーヴメントに果たした役割はあまりにも大きいが、アンチ・ハッピーエンドがそれほど衝撃的な珍しさを誇らなくなった現代においては、いささかストーリーの陳腐さは否定できない。実際には大女優シャーリー・マクレーンを姉に持つウォーレン・ビーティが道楽で撮ったままアメリカ国内ではほとんど葬り去られようとしていたところが、ヌーベル・バーグの下地を持つヨーロッパの観客の目にたまたま止まったにすぎないのがこの作品。初めの一歩、という意味では確かにエライが、実は不運にも埋もれてしまっただけでこの作品の代わりになる物はいくらでもあったんじゃないだろうか、と思う時がよくある。たとえばロジャー・コーマン&フレンズの当時の作品など。そうやって考えると、「普通に面白い」という以上の価値をこの作品に見出すことは案外難しく思えて来たりする。かの有名な「死のダンス」は、女優フェイ・ダナウェイの底力を見せつけられるという意味で一見の価値があるとは言えるのだが。 7点(2003-12-05 01:50:03)(良:1票) |