1. 情婦
とても上質な映画だと思います。 オチ自体は今になってみると、たぶんそれほど驚きでもないんだろうけど、やはりプロットがそもそもいいことと、ビリー・ワイルダーのうまさで、何度観ても面白い映画だと思います。ワイルダーのテンポも、際だってますね。 9点(2003-12-17 06:20:20) |
2. ハンニバル(2001)
《ネタバレ》 どうしても原作とのラストの違いが気にかかる。レクター博士とクラリスをつないでいたものが、クラリスの単なる羊の鳴き声という暗い記憶というだけではなかったはず。もっと本質的に惹かれ合っているからこそ、彼女はレクター博士を救うのではないのかな。そう考えるとああも簡単に暗い世界をクラリスが断ち切ることにどうしても違和感が。まあ、原作のラストはハリスだから出来たのかもしれない。ふつうはやっぱりちょっとね。そう考えると腕を切るか切らないかというシーンで、うまく最後を処理していたようにも。これはこれで一つの結末なのかもしれない。 フィレンツェの街の描き方は、リドリー・スコットらしかった。そこはやっぱり並の監督との違いでしょうか。 クラリスを演じたジュリアン・ムーアも、ジョディー・フォスターが全作を演ってたことさえ思い出さなければ、とてもよかったと思う。ジョディー・フォスターに足りなかった、タフさを彼女は持ってたし。でもどうしても比べてみるとなあ。なんか見た顔がいるなあと思いながら、ジャンカルロ・ジャンニーニだとずいぶん後まで気づかず、つまらないおっさんがシブすぎるなあと思いながら観てた。 6点(2003-12-17 05:35:14) |
3. わらの犬(1971)
ペキンパーは雑。細部をみても、全体をみても、この映画は決して出来のよい映画とは言えないと思う。でもペキンパーらしいアプローチで暴力を描いているところはさすが。 4点(2003-12-17 05:18:55) |
4. 惑星ソラリス
この映画はどのように観ようとするかで、ずいぶん印象が違う。 原作者レムはこの映画の出来に怒ったとか。 たぶんタルコフスキーのテーマがレムの描きたかったこととずれてたんだろう。「ノスタルジア」が好きな人なら、最高のSF映画だと思うんじゃないかな。僕は「ノスタルジア」好きです。でもあんまりSF好きじゃないんだよなあ。 8点(2003-12-17 05:12:49) |
5. 若者のすべて
ヴィスコンティだめです。僕。 4点(2003-12-17 05:07:13) |
6. 我輩はカモである
とにかく面白い。コメディだめな人でも、昔のものは面白くないってゆう人でも、素直に笑えます。こうゆう映画は、面白いでいいんだと思う。なんかいろいろ難しいこといわなくても。 8点(2003-12-17 05:05:22) |
7. わが命つきるとも
トマス・モアを描いています。 このての映画が好きな人には、傑作なのかもしれないけど、面白いなあと思いながら観た割には、退屈な印象が。 6点(2003-12-17 05:02:23) |
8. わが青春のアルカディア
ハーロック好きなんだけど、でもなあ。 この映画ちゃんと筋を考えてないよ。なんかかっこよさそうなシーンを集めてつなげただけって感じかな。でもハーロックは好きです。 3点(2003-12-17 04:58:53) |
9. ワイルドバンチ
ペキンパーの描く男は、なんだか男からみてもちょっとコアな感じ。 でもこの映画は、西部劇が成立しなくなった事情からうまれてきたんだろう、そう考えると、やっぱり最後のマシンガンを乱射するシーンは、とても印象的です。 西部劇が好きで、マカロニはいやな人のための西部劇の終着点って感じだと思います。僕はこの映画好きです。 でもちょっと雑ですね。 8点(2003-12-17 04:56:05) |
10. ワイルド・ギース
傭兵ものです。 とりあえず最低ラインはクリアできてたんじゃないかと思います。 やっぱり最後には感動しちゃいます。傭兵=死、どうしてもこれがないと。 5点(2003-12-17 04:51:20) |
11. もののけ姫
《ネタバレ》 世界観のスケールだけでかくて、尻つぼみ。 たぶん宮崎駿はこのスケールでは作れないんだと思う。それとも自分がどれだけ大きなスケールで映画作ったか気づいてないかどっちか。 外部、内部、境界ってゆう枠組を自分で作って、それに森、武家社会、タタラ場、を当てはめて、物語をそれを軸に回そうとして、どんどんその枠組自体が曖昧になっていく。そのいい例がタタラ場。ここはアシタカが最後にとどまるところからも、境界の役割を果たす場所なんだけど、ほんとにタタラ場は境界なの。文明の内部として扱われるから、自然と対立するんでしょ。実は外部でしたですまないよ。それに武家社会の周縁ってだけだし、周縁と境界はちょっとちがうよ。重なる場合多いけど、意味違うでしょ。こんな風に枠組が少しづつずれていくと、収拾つかなくなる野当たり前。 それに森とタタラ場、外部と内部の境界に、サンとアシタカが居るんだけど、この二人が最後に二つの場所に別れてしまうことからもわかるように、森=自然、タタラ場=文明という枠組の対立は、最後までいってもどうしても解決できない。まあ当たり前なんだけど。一応の決着としては、誰かが責任をとるしかないんでけど、エボシ御前に自然を侵した責任をとらせるかってゆうと、この人も女=弱者ってゆう図式の中で、腕を吹っ飛ばすのが関の山。で結局は、エボシ御前も内部ではなくマージナルなんです、実は内部は武家社会でしたってことで、武士をどっと殺して何となく幕引き。おいおい、武家社会、タタラ場、自然ってゆう連関の中の自然と文明の対立は、武家社会の批判で終わってしまうの。あまりにお粗末。ラピュタみたいに、もっと素朴な感情を根本に据えると素直に共感できるんだけどね。とにかく雑でした。宮崎アニメならなんでも、どんなでも好きですって人は観てもよいかも。 3点(2003-12-17 04:45:04) |