1. オアシス
《ネタバレ》 なるほど巷の評価の高いこれは、ジャンルとしては「ロミオとジュリエットの韓国版」というべきものだ。 つまり「障害のある愛」。 ヒロインの障害を指しているのではなく、「愛」に対する障害という意味である。 そして、そのジャンルにおいても、特にこの作品は「当たり前のことは当たり前ではない」ということを表現することに、全力を絞っている。そこに特化している。 「愛への障害」というものはいろいろあるが、「当たり前のことは実は当たり前ではない」ということを表現するにおいて、これほど「濃い」手法というものも、ほかにないだろう。 「濃い」という意味では、「少しわかりやすすぎる」と言えなくもない。 言えなくもないが、他の二番煎じというわけではなく、そして作品に対する情熱は充分に感じられるので、私も、飛びぬけて質の高い作品という評価をしたい。 また、本作で数々の賞を受賞したムン・ソリについては、日本では寺島しのぶくらいしか匹敵する女優がいないであろうと私は思う。韓国の俳優層の厚さを感じる。 個人の好みで言えば、「障害のある愛」ジャンルでいうならば、「ブエノスアイレス」のほうが芸術性で優るとしたい。また、邦画では、くだんの寺島が主演した「やわらかい生活」も、「オアシス」に引けを取らぬものと私はしたい。豊川悦司がフェロモンを全開にしての渾身の演技が光るので。 「オアシス」は優れた作品であるが、足りなかったものがあるとしたら、それはおそらく「フェロモン」であろうと私は思う。 「ブエノスアイレス」におけるレスリー・チャン、「やわらかい生活」におけるトヨエツにあたるものが、ない、といえば、ない。 そもそも「オアシス」において「フェロモン」が必要だったのかというと、必要がなかったのかもしれないが、私はこのジャンルにおいては、ぜひとも男優のフェロモンを求めたい。 ソル・ギョングは優れた演技を見せたが、フェロモンが出ているとはいえない。 どんなテーマを追求しても、「濃い」という点においては、韓国映画ではほぼ共通しているようであり、それはそれで持ち味であるから、単に好みの問題である。 が、「殺人の追憶」におけるような、「かゆいところに手が届かない」程度に薄味な表現というものもまた、共存しているというところが、韓国映画の多様性、奥深さを感じさせるのである。 [DVD(字幕)] 8点(2012-06-13 21:56:41) |
2. フィリップ、きみを愛してる!
《ネタバレ》 実話だそうですが…「It really did」と念押ししないといけないだけのことはありました。 なんかこういう生き方もアリかなあと、なんかそんなんでもいいのかもと、ちょっとでも思わすことができたら作り手の勝ちなのかもしれません。 ん~、「ああもお何をどうやっても駄目だあ~死んでしまおうか」と思っているときに、爆笑しながら見るとよいのではないでしょうか。 やはりコメディは中途半端ではいけなくて、ここまでやるべし。 ユアン・マクレガーの美形(?)オカマ演技には脱帽です。少し体重絞ったでしょう。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-20 20:43:23) |
3. 瞳の奥の秘密
《ネタバレ》 なかなか見ごたえのあるサスペンスです。 個人的にはスペインの法制度がどうなっているのかに不案内だったため、わかりにくい点もありました。 冒頭の美しい朝食シーンが非常に印象的で、そしてただちに美しいものが徹底的に破壊され、25年後にあの美しい朝食に匹敵するほどおぞましいラストに収斂されていくと。 美しいものとおぞましいものがなぜ匹敵するのかと、いうことは表現しにくいのですがそれは代償というに近いのかもしれず、失ったものの美しさと、その代償のおぞましさは、匹敵するほどのものでなければならないのではないかと。 ひとつだけいえば、犯人が簡単に釈放された部分には、いささか強引なご都合が感じられました。あそこをもう少しなんとか説得力のあるものにできれば。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-05-20 20:36:18) |
4. 渇き(2009)
《ネタバレ》 万人におすすめはしないが、力作。 いささか長すぎるけれども…。 ソン・ガンホはコミカルな役どころで本領を発揮すると思うが、今回はダークな役柄を体当たりで演じた。文字通り体当たりの、尻解禁。 ソン・ガンホ演じる神父が「祈りが無力になった」と感じて、つまり信仰の危機に陥るがそれでも自殺は罪であるから自殺をすることができず、自殺願望を抱いて治験に参加、死ぬことができずに吸血鬼として生きながら死んでいるという「罰」を負わされる、というような話である。 これを神父が「罰」と受け取ったということはいえると思う。 「人を助けたい」と願っていたのに、他人から奪わないと存在できないものにされてしまったという、そのことは信仰が揺らいでいても消えてはいなかった彼にとっては「罰」である。 親に捨てられた男女が、崩壊した秩序の中で、他人から奪わなければ己が存在できないとしたときに、死を選ぶということは果たして「殉教」なのか「自殺」なのか。 そのことで、この先犠牲になるであろう他者を助けたとしても。 神父は最後に「地獄で会おう」と言っているから、これを「殉教」とは思っていないか、またはこれまでの悪行を指して地獄に落ちると言っているのか。 けれども確かなことは、「地獄」があると思っているということは、「神」が死んでいなかったということであり、彼は「与えられた罰」を認識していたということに、なるのだな。 そして、「罰」に対する彼なりの答えがラストで示されて、果たして「神」はそれにどう応えたのか。それは映画が終わったその先にある。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-13 23:28:35) |
5. プレシャス
秩序が崩壊した状態=カオスを覗き込む「外部」は、それをどのように受け止めたらいいのかと。 答えはタイトルどおりに「プレシャス」なのであり、崩壊した秩序をオーガナイズしようとしたり、カオスの中に居る人を批難したり、罪を裁いたり、見ないふりをすることではないと。 個人をそのまま肯定し、大切にするということしか、答えはないのだと。 なんかそんなような映画なのかなあと思った。 …それはなんとなく、そういうことを言っているのだろうとは思うけれども、私にとってこの作品がキツいというのは、このような理念を受け入れるにはたぶん宗教的基盤が必要なのだろうが私にはそれが欠けていて、だからどうしても「秩序の再構築」とか「カオスの評価」をしたくなってしまうわけなのでそれが、俗人であるゆえんなのだろうと思う。 そういう意味では「宗教」というのはやはり「便利な発明品」であったのだなあと、いうふうに思ったりする。「便利すぎる」ともいえる。 「あなたはまごうことなきカオスを前にして、どのように対処できますか」「あなたにはどのくらい〝人間力〟がありますか」ということを問うている映画なのであろうし、また、カオスの内部の人に対しては「被害者として生きることが答えなのではない」というふうにも、言っているのだろう。 本物のカオスの中に居る人に対しては、「外部」はその個人を受け止めて肯定し、尊重するしかないのだと。いった場合には、宗教ほど便利なものはなく、それを発明した人は天才。というのが感想ですね。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2012-05-05 13:24:35) |
6. シェルター
《ネタバレ》 期待はずれだった。 …あの婆さんの年はいったいいくつになるのかということが、わからないのだった。 目隠シストさんのレビューを読んで、なんとなくストーリーがわかったような気がするのだった。ありがたいなあと思うのだった。 まず脚本がよくないうえ、演出もよくなくて、なんだかなあ。 首が反り返るシーンとかも、思ったほどの驚きがないのだなあ。見せ方に工夫がなさすぎる。 お定まりの「主人公が謎を解いて回る」という説明的なシーンの連続は、どうもなあ。 電話中に父親が犠牲になるとかいう、わかりやすいサスペンス的シチュエーションも、なんだかなあ。 いたいけな少女が犠牲になるとかいう、お涙ちょうだい的シチュエーションも、なんだかなあ。 それにしても、ヒロインはこれで夫と父親と弟と娘を失って、天涯孤独になったということなのだろうか。弟の死に悲しんでいるヒマがあんまりなかったようなところが、残念だが。 もしかすると、インテリ女性をいたぶって楽しむとかいう、そういう趣旨なのだろうか。 そうだとしても、あんまり面白くない。期待していたんだけどなあ。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2012-04-10 20:10:25) |
7. 人生万歳!
《ネタバレ》 ラリー・デイビッドはドラマ「Curve your enthusiasm」で見ていましたが、考えてみたらウッディ・アレンの分身としてぴったりな人でした。 本業はTVプロデューサーなのではなかったでしょうか。 分身も分身、身長と頭部が余計に淋しいこと以外は、まさに同じ。 頭が緩くてガタイがよくて金髪の女にこだわるところも、いつもと同じアレン。 なんというか、新しい発見のようなものは特にないのですが、行きなれた名店のコーヒーを飲むような、そんな感じです。 男どうしの会話の絶妙さなんかは、ウッディ・アレンならではだなあ、と思います。男どうしの会話はロブ・ライナーもいいですが、ウッディ・アレンのほうが上だと思います。 やはりこの作品にしても「アニー・ホール」を超えるものではなく、彼は一生あれを超えるものを作れないということで、なんとなく損な感じもしますね。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2012-04-06 23:29:42)(良:1票) |
8. ブエノスアイレス
《ネタバレ》 いろんな相反する要素が、これみよがしに提示されている。 ということに圧倒されました。 愛と憎、接近と離反、束縛と解放、貞操と浮気、香港とブエノスアイレス、故郷と地の果て、ヘテロとホモ、執着と忘却。 これらは相反するようでいて、そういうわけでもないのだと、いう方向に全体が収れんしていく。のかなと。すごい力ワザであるといえます。 ヘテロ愛は一見全く描かれていないように見えますけれども、実は、ファンとウィンの関係を見ていくうちに、男と女でも、男と男でも、なんだかあんまり関係なくなってくるのです。 ファンとウィンのように抜き差しならないところまで行ってしまった個人と個人は、その性別がどうであれ、もうどうでもよくなってくる。 ウィンが女性であったならば、そのまま「魔性の女に翻弄される男」ということでいいわけですし、ホモ愛「だけ」を描いていながら、ヘテロ愛にも通じる普遍性も表現してしまっている。 しかしまあ…「別れよう」のあとに「いつかやり直そう」となどと続けて言うヤツは、男でも女でも魔性なのですわ。言われたほうは、たまらんなあ。ということです。虫がクモの網にかかったまま、放って置かれるというそんな状態なのですからして。 巧妙な省略によって、重要な部分を「行間」にしている作品でもあります。 結局、ファンとチャンの間に何かがあったのかなかったのかということは、観客の想像の中に置き去りです。省略されたのはこのシーンだけではありません。 香港に帰ったファンはもはやチャンのことしか考えていません。あんなに執着していたウィンのことはどこへ?…これが執着と忘却。 それにしてもまあ、やっぱりこの人は天才です。 [CS・衛星(字幕)] 9点(2012-01-15 21:42:49) |
9. ハンサム★スーツ
《ネタバレ》 …谷原章介でも見て目の保養をしますか~。 やっぱりいいわ谷原。どの角度から見てもハンサム。…まあ塚地と比べるからよりいっそうそう見えるわけだけれども…。 脚本は鈴木おさむでそこそこできていると思うのですが、演出が残念な感じでした。「間」やテンポに問題があるかなあと。別の監督さんで見てみたかったですね。 あと…間宮兄弟なんかもそうでしたけれども、日本映画界はちょっと塚地に期待をしすぎです。 塚地はやっぱり俳優ではありませんので、何に出ようが演技というほどのことをしていないわけですけれども、塚地であるだけで意味があると、塚地を出すだけで数字が取れると、そういう出し方はどうかと思いますね。周囲の俳優さんたちと塚地の演技に差がありすぎます。 私の想像と逆のオチでしたけれども、ちょっと納得がいかないかなあと。 塚地×大島ではグッドエンディングにはならないと、そういうことですよね。 男がブサイクでもいいけれども女がブスだと「終われない」と。 それはないんじゃないでしょうか~。 全体的な質の低さに目をつぶれば、懐メロいっぱいで谷原章介の美しさを楽しめる作品です。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2012-01-03 21:13:40) |
10. リダクテッド 真実の価値
《ネタバレ》 この作品から伝わってくることは主に「オレ(デパルマさん)は怒っているんだぞ!」ということではないでしょうか。 …怒っている場合でも、作品として提供するとなると、そこには「オレの怒り」以外のものが注入されてエンタテインメントとして完成されていなければ、非常に痛いことになってしまうなあというのが「リダクテッド」ではないかと。 オレの怒り、それをモロに出しすぎ。 なんというか、作品としての「深み」に欠けるように私は思いました。 他人の怒りをそのまま見せられると、なんとも言いようがありません。 「そうですかあ…あなたはそんなにお怒りになっているんですね」終わり。 デパルマさんは、映画がエンタテインメントでなければならないことをちゃんと知っていますけれども、今回はそういうものは無視しました。 私はやはり映画として不特定多数の人に提供するのであれば、オレの怒りはもう少し抑えてもらいたかったと思います。 また、呼ばれもしないのによその国へ武装して乗り込んで強姦殺人をするということについて、「あの状況では仕方がなかった」とか「レイプについてはなんとも思わない」とか「殺したことだけが悪い」とかいうふうな感想を抱いてしまう一部の男性観客もいるようですから、そこまで作り手の狙いを外したおかしな感想を抱かせるということは内容に問題があるのであり、作品の作り方にももう少し工夫が必要ではないかと思います。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-12-19 18:08:25) |
11. ボーダー(2008)
《ネタバレ》 めっさ痛い作品でした。 …刑事ひとすじ30年となりますと、2人とも50代前半~中盤という年齢設定のはずなのですが、実年齢のほうは役柄年齢を十数歳上回っておりますから、ハンパなく痛い。 …デニーロさんの出腹なんか、目がチカチカするほどですし、パチーノさんのシワの深さといったらもう、海底2000マイルでございます。 そんなに無理してまで、2人の刑事ものを撮ることはなかったではないですか…やるなら10年前に…。 そういえば…もっと痛いことには、デニーロさんが50過ぎても絶倫なことになっていまして強引にセクシーな若い女をあてがってしまうところとか…パチーノさんにレイプをさせてしまうところとか…。 どっちかといいますと、デニーロパチーノに若い女…ときたら介護…というのがぴったりな雰囲気なんですわ。 そんな2人の筋トレシーンには異様な緊張感が。今にも「うっ」と言ってひっくり返るのではないかと…。60じいさんをあんまり酷使しないでもらいたいですね。 内容も非常にしょっぱかったですね~八月のメモワール…なんかはなかなかよかったんですけども。 なんといいますかその~白人て皮膚が薄いもんですから、老けも激しいのですよね。 千葉真一なんかは、彼らより年上だと思いますけども、モンゴロイドですから、若く見えますね。彼はちょっとお直ししているみたいですけれども、まあ。 千葉真一全然関係ありませんけれども、まあそういうことです、白人は男も女も老けるのが早いし老け方もハンパないですわ。 あと食生活も関係ありますね、動物性脂肪にまみれて生活していると老けも進みます。 魚をよく食っている国の人は肌が綺麗です。 …結局老けネタしかないという…。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2011-12-17 21:14:36)(笑:2票) (良:1票) |
12. ワールド・オブ・ライズ
《ネタバレ》 最初のほうはなんとなく「ブラックホークダウン」の続きっぽい感じがしたのだが。 リドリー・スコットは社会派映画(いちおうそういうジャンルーがあるとして)には向いていないのだなあと再確認したようなことで。 ブラックホークダウンは傑作でした。出来事に対してジャッジをしないということで。 しかしここまで作り手の主張が強く出るものは彼には向いていない。 リドリー・スコットのビジュアルと帝国主義批判は合わない。 というかビジュアルを提供するなら批判精神は必要ない。 さてあまりにもつまらないので勝手に別オチを考えてしまったほどだ。 それは、 「フェリックスは実はアラブ系アメリカ人で、ディカプリオ演じる姿はあくまでも〝自己認識上の己の姿〟であり、本当は浅黒い肌に黒い髪を持つ。 フェリックスが中東に派遣されているのはそのためなのだが、任務の関係上、アメリカ人としての自己認識が肥大しすぎて他人の目に映る自分を忘れている。ハニに信用されたのもアイーシャが好意を抱いて自宅に招いてくれたのも見た目がアラブ人だからであった。 自分の写真を見ても〝白人男性〟としか認識できないほど病んでしまったフェリックスに対し、最後のほうで、ホフマンが〝自分の姿をよく見てみろ〟と鏡の前に連れて行くが、自己認識とそぐわない姿は断片的にしか見えない。が、中東での出来事がフラッシュバックで蘇り、自分のアイデンティティを思い出す」…みたいなん。サイコサスペンスっす。 ちょっと「ビューティフルマインド」ぽいですが、「結末は絶対に話さないでください」ということでけっこうイケるんじゃないかな~。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-11-14 00:47:32) |
13. 主人公は僕だった
《ネタバレ》 もしも神さまに会いに行って、僕を長生きさせてくださいと頼むことができたら? なんかそういう発想でできた話ではないのかと。 書いた通りに物事が進むということは、その作者は「神」なのである。 そしてその「神」は、非社交的でスランプで悩んだりチェーンスモーカーだったりする。…神さまにしては、なんかちょっと冴えない。 なんかそういうことかなと思う。 「神」が人の運命を決めるのにいちーち迷ってしまったりするという、なんかそのへんも、「創造神」「絶対神」を念頭に置くと、これは一種の風刺なのかなと、神さまの風刺というのはむこうではあまりしないと思うのだが。 この話自体は、そんなに面白いとは思わない。 さて、不条理…でファンタジー…なのだが、なんというか、この手のものには、観客をとりこにするような俳優が主人公でないと、「もたない」と思うなあ。 とりこにする=ハンサム、ということではなくて、やはり「飽きた」と思わせることのない魅力のある俳優でないと、キツいものがある。ウィル・フェレル、つまらなすぎる。 今回はそういうキャラだからつまらなくしていたのかもしれないが、それを割り引いても根本的にウィル・フェレルはつまらない。この人を、金を払ってまで見たいとは思わないのだなあ。 フェレルがあまりにも薄いために、アクが強すぎて相手を食ってしまうので敬遠されるマギー・ギレンホールが生きてしまったという効果はあった。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-11-13 00:13:22) |
14. レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで
《ネタバレ》 壊れた人間関係や機能しないものを描くのが好きなメンデスだ。 ものごとが秩序立って気持ちよく進むのが嫌いなんだな。 さてエイプリルの取り付かれた「自分探し」というものは「夫が俗物化していくことを阻止しなければ」という強迫観念と混然一体となっていたようだと私は思うのだが、その「種」を撒いたのはキャシーベイツ演じる不動産屋の悪意…だったのかなあと、ラストでそんな気がした。 不動産屋の夫のアップで終わるというこのラストはなんなのかというと、たぶん「悪」を見た人の顔、という意味なのではないだろうか。 「あんたたちは特別よ」と7年間に渡って刷り込み続けることで、エイプリルの「生きがい探し」「自分探し」が始まってしまったのではないのか。 エイプリルがもともと「自分探し生きがい探しに目覚めてしまうような特別にやっかいな女」だったのかというと、それは映画内の描写だけではよくわからない。 が、隣のミリーはそういう〝病気〟にならずにすんでいる。同じように男児を2人産んで、郊外で主婦をやっているのに。 ウィーラー夫婦は共に、恵まれていることを自覚していないという点が共通していて、エイプリルの不幸は「俗物化していく夫を捨てられない」ということで、出奔することさえできれば悲劇は起きなかった。 この映画では「神」が決定的に欠如していて、たぶん「映画内での」神の欠如と子供の無視は同じ意味であって、「神の欠如」=「感謝の欠如」=「子供に対する無視」=「生きがいの喪失」なので、むこうの文化では「感謝」というのは「神」があってはじめて生まれる。 信仰を失っていること=感謝の気持ちの欠如=不動産屋につけこまれるスキを与える=「特別な体験をして特別な人間になれないこと」への欠乏感。 さてエイプリルの最後の行動の謎について触れたいが、これは「自殺」ではないことは救急車を呼んでいるから間違いない。とすると、「話すのも触られるのもイヤなフランクの妻として暮らしながら、なおかつ〝生の実感〟を得るにはどうすればいいか」というエイプリルなりの究極で唯一のソリューション、「死の淵から蘇る」ということだったのかと、私は思う。 死にそうになって助かると、生きている実感を得られる。ジグソーみたいだが。 彼女にとって一番問題だったのは「生きている実感が得られない」ということだったのだから。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-11-12 23:54:40)(良:1票) |
15. ターミネーター4
《ネタバレ》 ターミネーター…シリーズにしては安かった。 なぜこんなに「安さ」を感じるのかというとやはり、今回の「主役」であるべき人造人間マーカス役の俳優が「薄」かったからではないかと思ふ。 今回は、カイル・リースが若すぎるために主役としてのボリュームを持ちえず、また、本来なら唯一のビッグネームであり絶対的スターとして物語に君臨するべきクリスチャン・ベールが、「ジョン・コナー」であるにもかかわらずその役割を果たすようになっていない。この理由は単純に出番が少ないからということだけではない。だいたい妻の出し方もあまりにも適当だ。これでは夫婦の関係もよくわからないので、ジョン・コナーという人を描くというふうには作られていないのだ。 この作品の主役は人造人間マーカスであるように作られているのだ。 けれども、肝心のジョン・コナーはクリスチャン・ベールであるわけだから、薄い俳優が演じるマーカスをヒーローとするにはそちらの引力が強すぎるというところもあり、そうかと思えばカイル目線になってみたり、どうも軸があっちこっちしているからマーカスに照準をしぼって感情移入するというところまで行くことができない。また、観客が「見たい」と期待している「コナーとカイルの関係」についても描写が少なすぎる。不完全燃焼型映画。 そして、マーカス役の俳優が予想以上に薄いことがとてもいけなかった。 ほとんど記憶に残らない顔をしている。 それならそれでそういう役柄があるだろうに。 クリスチャン・ベールと張り合って、自分のほうに観客を釘付けにするということには、なっていない。 するとこの話は「誰が」ヒーローなのか、ということがはっきりしないまま突然「心臓移植」に突入して終わるとかいう、お粗末な脚本なのである。 う~んなんというか、少ない出番でもクリスチャン・ベールを引っ張り出すことが出来なかったとしたら、「ターミネーター」という名前がついていようが完全なB級として消えていくタイプの映画。 作品全体としてはB級でいいのだが、ベールが出たことによって辛うじて「Bの上」くらい。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2011-10-16 00:34:36)(良:1票) |
16. 戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH
《ネタバレ》 清水崇マジすかね。 というのが正直な感想で。 こんなことでいいんでしょうか。 壊れてますこの作品。 う~ん話の整合性をつけろとかそういうことではなく、全体的に質が低すぎる。 時間と空間が入り組んだ話を見せるということはそれはまあそれでいいのだが、あまりにもひどい脚本(子供以外のセリフが全部舞台調)あまりにも安い美術、安いCGまで使っちゃって、なおかつ役者もなあ…子供とお母さん以外の役者は全部ダメだろ。演技のつけ方(つけたのか?)もひどいではないか。全員棒読み。妹だけは演技過剰。 ひどい。Jホラーの質はだいぶ上がったと思っていたけどこれはひどい。めちゃめちゃ輸出を意識した作りだがとても世界に出せるレベルではない。 [CS・衛星(邦画)] 2点(2011-10-09 00:47:16) |
17. パラノーマル・エンティティ <OV>
《ネタバレ》 う~ん「アクティビティ」と比べると説明が多い。役者が大根。というところでしょうか。 最初に「結末はこうなったんですよ。さてその経過はどうだったでしょうか、見てください。」というようなことにしてしまって、まあこれも賭けといえばそうですがあまり…効いているとはいえないか。 あと個人的にはこの手のものに「エロ」を持ち込むのは好きではありません。 10本くらい同じようなのを作ってその中に1つくらいはあってもいいかもしれないが、そういうことではないわけだし。いきなりエロなのかと。 あと、「アクティビティ」と同じように「博士」となかなか連絡が取れないとか来てくれないというような「お約束」ね、それもいけません。あと「屋根裏」とかね。真似をすればいいというものではない。 全体的にリアリティは「アクティビティ」のほうがある。有り得ないことが起こるまでの時間もちょっと短すぎる。 エロ反対。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2011-10-08 17:23:31) |
18. ザ・ウォーカー
《ネタバレ》 ネタバレますのでご注意。 ふむなんといいますか、「はじめにオチありき」で作られた作品ですね。 オチそれは、イーライはもともとは全盲であったこと、だから点字が読めたということ、神の奇蹟によって突然見えるようになったということ、そして「お告げ」を直接聞くことができるという「預言者」になったということですら。 日本人にはイマイチピンと来ないところですが、これでいいんですよ宗教映画だから。 この映画の主役はデンゼルでもイーライでもなくて決して登場することのない「主」でありますから、それがたまたま「終末」を背景にしているというだけであって、べつにそれがBC時代であっても内容は変わらないのです。「ベン・ハー」と同じような映画と言ってもマチガイではないのである。 まーそーゆー映画を作ってくれても別に私には影響はないからどうでもいいのだが、ちょっと興味があるのは製作にもかかわっているデンゼル55歳が「なぜ今これだったのか」ということかなあ。 これはけっこう低予算だと思います。デンゼル本人のギャラさえ抑えれば、とても安く作れたのではないでしょうか。デンゼルが出る映画としては…ちょっとなあ、かなり違うのではないか。 デンゼルは己のギャラを抑えてでも、このような「神様宣伝映画」を作りたかったのですら。 その心理は私などにはよくわかりません功成り名遂げたデンゼルにして何かの「回帰」現象ということかもしれませぬ。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-10-04 13:24:11)(良:1票) |
19. 母なる証明
《ネタバレ》 結局、血筋だったというオチなのかなあと。 カッとすると凶暴になるという遺伝なのではないのか。 そういう意味で「やっぱり親子」だと。 …危険な親子だ。 作品中には描かれていないが、ストーリーが成立するために必須であると私が思うのは、「父親」のことだ。 父親の話は全く出て来ないが、父親はいたはずである。 「妊娠したくて(漢方の)薬を飲んでトジュンがデキた」と母は言っているから、妾とか不倫でなくて普通に結婚していたということでいいだろう。 先に死んだのなら、母親は父親の話をするものだ。 しないということは、妻子を捨てたということなのである。 すると「なぜ捨てたのか」という答えは実は作品中に明らかなので、息子が知恵遅れだということが判明したから出て行ったのである。 すると、母親の心中未遂の理由もおのずからわかるというものだ。 なおかつ、「なぜ〝バカ〟と言われると凶暴になるのか」という謎も、一緒に解ける。 「こいつのバカはお前の遺伝だ。オレには似ていない。」と言って父親が出て行ったあとに、母親に殺されかけたために、そのトラウマから「バカ」と言われると「また何かひどい目に遭うのではないか」という恐怖感から凶暴になってしまうのだ。 トジュンが殺されかけた年齢が、「知恵遅れ」であることがはっきりしてきた年齢なのである。 こういうことは一切説明されていないが、作品を見るとそういうふうな前提になっているので、作り手はそこまでの理解を要求しているのだと私は思う。 そうすると「凶暴」の種は母親が蒔いたものであったのだし、カッとなると凶暴になるという性質も母子で似ているので、父親の「お前に似た」という言葉を母親はさぞ思い出したことであろう…というのがたぶんこの作品のオチ。 鼻血とか鍼のツボとか伏線もちゃんと張ってありましたがまあ…なくてもよかったような気はするが。 …しかし、殺される少女にありがちな「淫売」という設定は、やはり発想が安易かなあ。 ご都合ではないかと思う。 私は「母もの」にはあまりピンと来ないほうなので、やはり「殺人の追憶」に軍配を。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2011-09-20 21:51:30)(良:1票) |
20. ダウト ~あるカトリック学校で~
《ネタバレ》 時代設定はケネディ暗殺の翌年ということになっています。 原作ものらしい。 メリル・ストリープとフィリップ・シーモア・ホフマンの両芸達者の激突が見どころです。 孤立無援でも、誰にも感謝されなくても、「善」を達成できるかどうか。 というようなテーマだと思います。 善はもちろんキリスト教の神さまの決めた「善」です。 少年愛がいけないのかどうかは、時と場所によって違います。 これはキリスト教の話なので、キリスト教の神さまがいけないと言っていればそれは(ここでは)いけないことなので、いいのかいけないのかについての「ダウト」というものはそもそもない。 校長は国が決めた法に対して忠誠を誓っているからここまでの行動に出たというわけではありません。 で、話のゆくえとしては、自分さえ目をつぶれば四方八方丸く収まるのであって、誰も協力してくれなくて、騒いでも誰にも感謝をされないという場合の「善」について、それをできるかどうかということが、シスターアロイシスに信仰上の試練として問われていて、彼女は見事にそれを成し遂げた、ということになります。 どこまでも宗教的な話で、まあ大した話ではないのにここまで仕上げたのは2大芸達者俳優をブッキングできたからかなあ。 ホフマンのいかにもな変態神父はいやらしすぎて見ていられません。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2011-09-14 23:06:34)(笑:1票) |