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プロフィール
コメント数 2476
性別 男性
自己紹介 〈死ぬまでに観ておきたいカルト・ムービーたち〉

『What's Up, Tiger Lily?』(1966)
誰にも触れて欲しくない恥ずかしい過去があるものですが、ウディ・アレンにとっては記念すべき初監督作がどうもそうみたいです。実はこの映画、60年代に東宝で撮られた『国際秘密警察』シリーズの『火薬の樽』と『鍵の鍵』2作をつなぎ合わせて勝手に英語で吹き替えたという珍作中の珍作だそうです。予告編だけ観ると実にシュールで面白そうですが、どうも東宝には無断でいじったみたいで、おそらく日本でソフト化されるのは絶対ムリでまさにカルト中のカルトです。アレンの自伝でも、本作については無視はされてないけど人ごとみたいな書き方でほんの1・2行しか触れてないところは意味深です。

『華麗なる悪』(1969)
ジョン・ヒューストン監督作でも駄作のひとつなのですがパメラ・フランクリンに萌えていた中学生のときにTVで観てハマりました。ああ、もう一度観たいなあ・・・。スコットランド民謡調のテーマ・ソングは私のエバー・グリーンです。


   
 

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1.  美徳のよろめき 《ネタバレ》 
1957年に出版された三島由紀夫のベストセラー小説の映画化、この“よろめき”というフレーズは同年の流行語大賞と言えるほど巷では流行ったそうです。原作の内容は日本版『ボヴァリー夫人』という感じの姦通小説で、フランスの心理小説を思わせる三島由紀夫独特の文体なんだそうです(自分は未読です)。 代々続いた華族家庭出身の節子(月丘夢路)は実業家の倉越一郎(三國連太郎)と結婚し、住み込みの家政婦もいる鎌倉の豪邸で幼稚園に通う一人息子と暮らしている。夫はまあ普通の男だが、彼女にはその俗っぽさなんかが合わなくて段々愛情が薄れてきている。そんな時に街で偶然むかしちょっと関係があった男である土屋(葉山良二)と遭遇してお互いを意識するようになる。女学校時代の同級生で人妻なのに男漁りが激しい牧田与志子(宮城千賀子)にけしかけられて、節子は土屋と段々深い関係になってゆく。 脚本を書いたのは新藤兼人、三島由紀夫小説の脚色とは彼のイメージに合わない感じがするが、新藤のパートナーである乙羽信子が月丘夢路と宝塚歌劇団の同期だったという関係もあったのかもしれない。実は三島はこの映画を「これ以上愚劣な映画はちょっと考えられない」とまで酷評しているんです。たしかに調べるとストーリーは外見的には似ているけど「内容的には原作と別物」と評されるのも納得できるところがあります。出版されたのが57年6月、封切が同年10月下旬なのでさすがの新藤もじっくりと構想を練って書く余裕が無かったのかもしれません。月岡夢路の節子はその美貌といい雰囲気といい文句なしです。でも東宝には久我美子や河内桃子といった本物の華族令嬢だった女優がいたので、東宝で彼女らを起用して映画化したら面白かったかもしれません。 本作の最大の難点は、二人の不倫カップルにぜんぜん感情移入ができないところです。とくに土屋という男は、内面の葛藤はともかく子どもいる人妻を自分の昔からの思いを成就するために、関係を持つだけでなく離婚させようとまでする心理がなんか不快。家では素っ裸で飯を食うのが愉しいなんて言う、確かにちょっとヘンなところもあります。節子は土屋との関係を妊娠中絶をきっかけに清算する決心をする訳ですが、原作では夫との子供を中絶した後に土屋の子供を二回中絶するという展開なんだそうです。こりゃ原作の方がよほど凄い展開で、こういうところをマイルドにしたのも三島の怒りを買ってしまったのかもしれません。 宮城千賀子の愛人役で安部徹がマッシュルームカットのプロレスラー(!)や、ストーリーと関係ないところで西村晃が盲目の按摩師で出演したりというキャスティングも面白いところがありました。とくに按摩しながら「失礼ですが、奥様おめでたですね」と妊娠を言い当てるところは強烈な印象を残しました、お前は超能力者なのかよ(笑)。月丘夢路がシャワーを浴びるシーンでは、当然ボディダブルでしょうが裸身を影だけで見せるところなんか、テクニシャン・中平康の面目躍如でしたね。でも新藤兼人と三島由紀夫はあまりに喰い合わせが悪くて、中平康でもどうしようもなかった感がありました。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2025-01-10 22:35:16)
2.  宇宙大戦争 《ネタバレ》 
『地球防衛軍』製作より2年、東宝は初めて人類が地球を飛び出して宇宙でエイリアンと闘うという本格的なスターウォーズ映画を世に送り出しました。製作が1959年なので色々と突っ込むところはありますが、果たしてその評価は如何に。■ストーリー上のつながりはありませんが、登場人物の一部の名前が共通であるなどの拘りはあるみたいです。メカや宇宙船の設定は『地球防衛軍』と同じく小松崎茂、当時の少年雑誌の口絵や軍艦や戦闘機のプラモデルの箱絵で有名な昭和の大絵師です。月面探検車のデザインなどに彼らしい雰囲気があります。いわば本作のプロダクション・デザイナー的な存在と言えるでしょう。敵方の遊星人ナタール「地球を我々の植民地にする」なんて公言して観測できない月の裏側を基地としていきなり攻め込んでくる、まるで19世紀の帝国主義国家みたいな存在。ナタールの細かい説明は一切オミットしてひたすら人類vsナタールの戦いを見せるある意味雑な関沢新一の脚本ですが、まあ50年代のSFなんてこんなもんでしょ。■いちおう当時の一般的な知見に基づく科学考証が施されているが、ここは現在の常識からすると粗が目立つところです。ナタール人が使う“物質を無重力にする冷却線”なる武器は、”物質が絶対零度に近づくと核振動が弱くなって無重力になる”という今では否定されているトンデモ学説に基づいていたそうです。驚くのは月面探険車がホバークラフトみたいに気体を噴射して移動するところで、なんと当時には月面の一部には希薄な大気が存在するという学説があったからなんだとか。宇宙船内の無重力や月面で隊員たちがふわふわした動きをするというのは、土屋嘉男が「こうならなくちゃおかしい」とスタッフを説得した成果なんだそうです。文系がほとんどの映画人の中で彼は俳優になるまでは現在の山梨大学医学部を卒業したぐらいで、東宝俳優の中でもっとも博識と言われただけのことはあります。まあ間違った学説が多々あった頃なので仕方なかったでしょうが、正しい科学考証のもとに撮られたSFは『2001年宇宙の旅』まで待たなければなりませんでした。■興味深いことは40年代から50年代はハリウッドや他国でも宇宙からエイリアンやモンスターが来襲して地球が危機に陥るというプロットのSFが多かったけど、どれも自国の軍隊で対応して打ち勝つというところです。国連なのかは別としても東西両陣営が結束して共同軍を結成して立ち向かうという展開なのは、実は東宝特撮SFでしか観られない特徴なんです。これは当時の日本人に根強かった国連崇拝と敗戦国としての劣等感の表れだったと思います。まあ当時の軍事力に対するアレルギー反応もあったかもしれませんが、この映画でも日本の軍隊=自衛隊の存在は影も形もありません。その反面、千田是也を隊長とする探査チームは、とても科学者の集団とは思えない軍隊組織みたいでしたね(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-12-28 21:50:35)
3.  地球の静止する日 《ネタバレ》 
ハリウッド製映画には侵略系やモンスター系のSFしかなかった時代に、突如出現したハードSFの古典中の古典です。英国ではすでに第二次大戦前に『来るべき世界』のようなハードSFが製作されていたことを考えると、いかにハリウッドが遅れていたかがわかります。あまりに有名な作品なので観た気になっていましたがそうじゃないことに気が付き、初のフル鑑賞とあいなりました。 いちばんびっくりしたのは、この映画には“地球の静止する”シーンがないということです!強いて言えばクラトゥが全世界の電力や動力を三十分だけ止めるというシークエンスなのかもしれないが、飛行中の航空機には影響が及ばないようにしたり同時刻なのに世界中が白昼だったり、これはこれで突っ込みどころです。低予算だったらしくロボット・ゴートと円盤のセットぐらいしかSF的な要素はありません。クラトゥがもったいぶってラストになるまで地球に来た目的を明かさないのでてっきりそこで地球の自転を止めて見せてパニックになるのかと思いきや、受け取り様によっては単なるお花畑的な演説をして去ってゆくだけ。今の感覚からするとやけに説教臭い映画じゃないかと捉えられるかもしれないけど、本当のテーマは“核兵器の恐怖”だと思います。でも考えてみれば製作されたのは1951年、つまり朝鮮戦争の真っ最中なんだよな。同年に撮られた『遊星よりの物体X』が宇宙から来た生命体を共産陣営や異人種の暗喩として恐怖の対象にしていたのと較べると、その対極に位置するのが本作だと言えるでしょう。 当時はB級映画を手がける職人監督だったロバート・ワイズが初めて撮ったSF作品となります。劇中でバーンハート教授の研究室の黒板に書かれていたのは、物理学者を悩ましていた“三体問題”の正確な数式なんだそうです。こういう目立たないことにも拘りを見せるところはいかにもワイズらしいところです、まさに“神は細部に宿る”ですね。生涯で実に様々なジャンルの映画を撮ったワイズですが、やはり彼の真骨頂は後に『アンドロメダ…』を撮ったようにハードSFだったと言えるんじゃないでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2024-11-14 22:22:02)(良:1票)
4.  親不孝通り 《ネタバレ》 
日活の石原裕次郎&浅丘ルリ子と並ぶ、当時の大映のゴールデン・コンビ川口浩&野添ひとみ、この二人と増村保造は相性が良かったんじゃないかと思う。自身の出自もあるけど、川口浩は育ちが良いけどちょっとグレた若者や大学生を演じさせたらほんと自然な感じで上手いんだよな。本作でも賭けボウリングで稼ぎ銀座の裏通りあたりで毎晩飲み歩く卒業間近の大学生、でもマメに会社訪問をして就職活動は怠らないのである。「あの人は六大学のボウリング・チャンピオンなのよ」女子学生のセリフもあり、自分の勝手なイメージでは法政大生って感じかな。彼の姉=桂木洋子は服飾デザイナーで証券会社員の船越英二と結婚を夢見て交際するけど、妊娠してしまい中絶することに。面白いというか不思議なところは、桂木洋子には中絶することには大して抵抗がない感じでそれよりも船越英二に結婚する気がないという事の方がショックだったみたい。今ではちょっと考えられないことだけど、人口爆増中の高度成長期に入った当時の日本では中絶に対する社会の認識がけっこう軽かったみたいなことを何かの本で読んだ記憶が甦りました。それを知って激怒した弟・川口浩は、溺愛する女子大生の妹=野添ひとみをモノにし妊娠させて捨てて船越英二に復讐することを画策する。二人が出会って知り合うところはちょっとご都合主義が過ぎた気もしますけどね。思惑通りに野添ひとみを孕ませたけど、彼女の決断で事態は思わぬ方向へ向かう。 まあ予想が付きやすいストーリー展開だけど、増村保造流のテンポの良い演出と川口浩の好演でサクサクと観れます。脇では学生たちのたまり場になる居酒屋の主人=潮万太郎が良い味出してました。この人は当時の大映作品には欠かせない名バイプレーヤーです。銀座界隈には親不孝通りなんてものはなく、本家は福岡の予備校が立ち並ぶ通りのことなんですが、劇中では川口浩も野添ひとみも親は出てこないのは笑っちゃいます。けっきょく、どう転んでも船越英二が川口浩の義兄になるのが運命でした(笑)。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-27 23:38:51)
5.  顔(1957) 《ネタバレ》 
松本清張の最初期の推理短編小説が原作だが、調べると驚くほど頻繁にTVドラマ化されていて今年も後藤久美子主演で放映されています、知らなかったけど清張原作としては最多の映像化なんじゃないかな。もっとも原作とは設定等が大幅に改変されていて、犯人自体が男女逆転していてもはや小説『顔』の映画化とは言い難いぐらい、TVドラマ群も似たようなもんですけどね。 冒頭でのヒロイン岡田茉莉子の行動は、これが殺人かと言うとちょっと?でせいぜい過失致死ぐらいなんじゃないでしょうか。死んだのが無免許の堕胎医で岡田が堕胎希望者をこの偽医師に紹介していて、腕が悪い偽医師のせいで何十人も術後に死亡したという事がこのストーリー内での重大犯罪であるわけだが、あまりに昭和的な価値観なので現代の眼では違和感が強い。笠智衆が演じるのは田舎の刑事なんだが、彼が警視庁の捜査に参加して名探偵ぶりを見せるという展開もなんか現実味が薄い、縦社会の警察組織なのに他県の刑事が警視庁に出入りするなんてあり得ないんじゃないかな。でも岡田茉莉子と犯行現場に偶然居合わせた大木実はなかなか面白いキャラ設定だったと思います。見た目は純情そうなファッションモデルである岡田が実は裏ではスポンサーになりそうなスケベ親父には体を許し世話になっていた先輩モデルを蹴落とそうする、まるで『イヴの総て』のアン・バクスターみたいだし、組合活動家崩れの大木の小悪党ぶりもなかなかです。歳を喰ってからの彼女しか知らなかった自分でしたが、若き日の岡田茉莉子の美人ぶりは半端じゃなかったという事が知れたのは、大きな収穫だったと思います。黛敏郎の音楽やストーリーテリングには確かにシュールさを感じるところがあり、岡田が大木を電波塔みたいなところに呼び出して転落死させることを妄想する件なんかヒッチコックの『めまい』を彷彿させてくれるが、実は驚くべきことに本作の方が公開は先なんですよ。まさかヒッチコックの方が本作をパクったのか、そんなわけないでしょ(笑)。 岡田の恋人みたいな位置付けの野球選手の存在や大木のあまりにご都合主義な事故死など雑なところもありますが、なかなか大胆な脚色だったと思います。とにかく岡田茉莉子をとくとご堪能あれ、ですな。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-08-15 22:29:45)
6.  勝利なき戦い 《ネタバレ》 
朝鮮戦争はイメージと異なり後期の三分の一ぐらいの期間は北緯38度線を挟んでの塹壕戦に陥っており、両軍ともに休戦協定に有利になるように戦略的価値のない土地を取り合う闘いになってしまいました。そんな中で53年の休戦協定交渉中に起こったポークチョップ・ヒルの争奪戦の実話に沿ったストーリーです。監督が『西部戦線異状なし』のルイス・マイルストンで、塹壕にこもっての戦闘を描くことは昔取った杵柄という感じでしょう。全体的に淡々としたストーリーテリングで戦闘シーンはそれなりに撮れていますが、中隊長グレゴリー・ペックを始めとしてヒーロー的な派手な活躍を見せるキャラは皆無で、戦争映画としては地味としか言いようがないです。テーマは“価値のない土地を取り合う意味がない戦闘”だったというのが適切で、米軍上層部の指揮にもグダグダ感が目立ち、後のベトナム戦争まで続く米軍のコマンド・カルチャーの劣化ぶりが伺えます。音楽担当がレナード・ローゼンマンなので、『コンバット!』風味があるのが良かったです。 実は『トコリの橋』と『M★A★S★H マッシュ』そして本作と、ハリウッドで製作された朝鮮戦争を題材にした映画はたった三本しかないんですよ。米国では朝鮮戦争を“忘れられた戦争”と呼ぶそうですが、これじゃ米軍戦死者も浮かばれないですね。
[CS・衛星(字幕)] 5点(2024-08-06 23:32:31)
7.  波止場(1954) 《ネタバレ》 
当たり前ですけど、マーロン・ブランド、若いですよね。こうやって彼の顔をしげしげと眺めると、彼が当時の普通のハリウッド二枚目俳優とはかけ離れた面構えだったことが強く認識できます。彼が演じるテリーは元プロボクサーだった港湾日雇い労働者、腕っぷしは強いはずなのにレース用の鳩の飼育が生きがいで野心もなく日々を流されてゆく男、つまりとてもヒーローになるとは考えられない男なんです。この映画の醍醐味は、そんなどこにでもいそうな凡人をリアルに演じたブランドの演技力とエリア・カザンの演出力にあるんじゃないでしょうか。今じゃすっかり機械化・省力化されているので港湾貨物の積み下ろしが全て人力に頼っていた時代があったなんて想像できませんね、現代ではせいぜいクレーン・オペレーターぐらいしかいないんじゃないでしょうか。この日雇い労働者たちを喰いものにしているボス=リー・J・コッブは実在のマフィアのドンであるアルバート・アナスタシアがモデルなんだそうですが、現在日本最大の勢力を築いているあの組織ももとは神戸港で似たような事をしていたのがルーツであることを想起させられます。カザンの演出は極力リアル指向で、悪に立ち上がる単純なヒーローのストーリーにはせずに、最終盤になるまで仲間の労働者たちが誰もブランドを助けようとしないところがまたリアルです。まあブランド自身も兄=ロッド・スタイガーが殺されるまでぐらついてたから、無理もないのかもしれませんが。タクシー車内でブランドがスタイガーに言う「違う、タイトルは獲れたんだ。そしたら多少は大きな顔もできる身になれた、見ろ、今の俺はただのゴロツキだ!」というシーンは、“アメリカ映画の名台詞ベスト100”の選出で第三位にランクされているそうです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2024-06-16 22:39:38)
8.  大菩薩峠 完結篇(1959) 《ネタバレ》 
カオスの権化の様な大伝奇物語もいよいよ終盤、というか原作は中里介山の死去により決着がつかないストーリーの大漂流のうちに未完、それを映画としてどのように閉めるのかに興味が湧きます。 前二作に続いて相変わらずの怒涛の様に進行するストーリー、でも今作では新規の登場キャラがあまり多くないのでまだ判りやすいかなと思いました。駒井能登守=東千代之介の暗殺を謀る大悪役の神尾主膳=山形勲に雇われ机龍之介=片岡千恵蔵、その機会を狙って待機中でも入手した名刀を試したくて辻斬りに励む、ほんとこの人ビョーキです。今回も神尾主膳の悪辣ぶりはキレまくっていて清々しいほどでしたが、駒井能登守謀殺に失敗して失脚してからは全く出番が無くなってしまいます。この三部作ではいろいろなキャラが登場するのですが、どの人物も中途半端にストーリーから消えてゆくのはどうなのかなと思います。逆にこの物語は宇津木兵馬=中村錦之助の成長物語の要素が強かったのかなと思いますし、ラストではあれほど憎んでいた龍之介を因縁から救ってやらねばという親鸞聖人みたいな心境にまで達しますが、その手段はやはり斬ることだとなるところは、さすがブレません。対する時代劇史上で最悪級の怪物キャラ机龍之介ですが、暇になれば辻斬りが趣味の様なサイコパスキャラもブレなかったですね。そんな龍之介も終盤では黄泉の国の幻影に苦しんだり捨てた我が子への思いに苦しめられたり、因果応報が襲ってくる仏教的な描写が目立ちます。この三部作では肝心の龍之介のキャラの掘り込みが浅く、観る者にはこの男を理解するのは困難なわけですが、それがかえって龍之介の怪物性が濃くなる効果が出ちゃったのかなと思いました。 未完の原作なのでラストは当然オリジナルなわけですが、もうこれしかない、という幕の閉め方でした。
[CS・衛星(邦画)] 6点(2024-04-06 22:51:16)
9.  大菩薩峠 第二部 《ネタバレ》 
第二部が始まるとなぜか机竜之介は盲目になっている、これは前作のラストの爆破攻撃で傷を負った為らしい。相変わらずの超特急的なストーリーテリングだが、本作では盲人のくせに虚無僧姿で飄々と東海道を東へ向かう竜之介と追うお松・兵馬のロードムービーという展開です。この竜之介が盲人なのに随所で斬りまくるしラストでは槍技まで披露します。これはもう座頭市どころじゃない特殊能力ですが、座頭市みたいなリアル指向がないチャンバラなのでやっぱ怪物としか思えない。道中では後から後から女性がモーションかけてくるし、ここまで来ると眠狂四郎もシャッポを脱ぐでしょう(笑)。そしてさすがの竜之介も未亡人のお徳と捨ててきた我が子と同年齢の息子と接するうちにその山中の湯治所で静かに暮らそうかと達観するけど、槍を振るって血の臭いを嗅ぐと元の竜之介に戻ってしまう。竜之介はゆく先々で因果をまき散らせているようなものですけど、悪旗本=神尾主膳がなぜか竜之介の近くに引き寄せられてるような印象があります。この神尾主膳=山形勲の悪辣ぶりはなかなかのものです。 もう後から後から登場人物が増えるので筋を追うだけで必死になりますが、このカオスの様な物語、どういう結末を迎えるのでしょうか?
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-03-05 23:07:14)
10.  地獄門 《ネタバレ》 
長谷川一夫が演じるのは、後に出家して僧侶文覚として平安後期および鎌倉初期に活躍した遠藤盛遠です。この盛遠がいくら田舎武士とはいえやってることがムチャクチャ、その行動は匈奴か鮮卑族かと思うぐらい、自分の思い込みで独身と誤解した同僚の妻である袈裟を無理くりに奪おうとして夫や親族までも皆殺しにしようとするヤバい奴です。これを美男スターの代表である長谷川一夫が演じるのはミスキャストのような気がしていましたが、その眼力と風格でこなしてしまったという感があります。そのストーカー侍に狙われるのが京マチ子、この人はケバい顔つきのヴァンプ的なキャラというイメージがありますが、やはり平安美人を演じさせたら右に出る者はいないと断言しちゃいます。『羅生門』を超える妖艶さ、まさに“グランプリ女優”の称号に恥じません。もちろんカラーでスクリーンに映しだされたのはこれが初、さぞや当時の観客は魅了されたことでしょう。大映としてもこれが初のカラー映画、その色彩の鮮やかさは現代の眼で観ても息を飲むほどで、「自分は産まれてからこのかた、こんな美しいものを見たことがない」とまでジャン・コクトーが激賞したというのも納得です。 この映画は同じ『門』でも『羅生門』と較べれば最近では映画ジャーナリズムでも取り上げられることが滅多にない感じですが、後にも先にもアカデミー賞で二部門受賞した日本映画は本作だけなんですよ。決して忘れられてはいけない重要作なんだと思います。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2024-02-26 22:49:03)
11.  大菩薩峠(1957) 《ネタバレ》 
時代劇映画できってのダーク・ヒーロー机龍之介、オープニングでいきなり通りすがりの老人を何の躊躇もなく斬捨てる、もうサイコパス人斬り魔でしかない。演じるは“山の御大”こと片岡千恵蔵、机龍之介役としてはやはりこの内田吐夢版の千恵蔵がやっぱいちばん有名でしょう。このキャラの鬼畜ぶりは眠狂四郎でさえも正義の味方に思えるぐらいで、そのニヒルぶりもかなりのもんです。千恵蔵はこの時すでに齢五十を超えている半ば御老体で龍之介を演じるにはちょっと老け過ぎの感もありますが、その貫禄と威厳はさすがとしか言いようがないです。中里介山の原作は超長編のうえに彼の死で未完という問題作、映画化されると長編の尺で三部構成というパターンが主流ですが、それでもストーリー展開は超高速でダイジェスト感があるのは否めません。やっぱ完全映像化となると、アヴェル・ガンスの『ナポレオン』ぐらいの尺が必要でしょう。 第一部しかまだ観ていませんが、とにかく一つ一つのエピソードが短く次々に繰り出されるので、参考資料を片手に観ないと着いていけなくなります。その分どうしてもキャラたちの掘り下げが甘くなりがちで、とくに龍之介が単なるぐうたらにしか見えないところが残念でした。近藤勇や土方歳三なんかとつるみ出したんでどうやら新撰組に龍之介は参加したんだなと判りますが、どうして彼がその気になったのかはまったく描かれていないので?でした。あと『用心棒』以前の古い時代劇にはいわゆる斬撃音がないので、どうも迫力が感じられないのは私だけでしょうか?
[CS・衛星(邦画)] 5点(2024-02-17 22:31:36)
12.  ダイヤルMを廻せ! 《ネタバレ》 
グレース・ケリーはヒッチコックが思い描いた理想の女優、女優としてだけなく女性としても良からぬ感情を持っていたとさえ噂された存在、もっとも彼女には一顧だにされなかったけどね(笑)。そんなミューズがヒッチコック映画に出演したのは54年から55年にかけてのたった三本しかないけど、本作ではヒッチが彼女に密かに抱いていた妄想(?)をさらけ出した感がありますね。そんな風に言いたくなるほど本作での彼女の所作は優雅でセクシー、シミューズ姿でスワンに絞殺されかけるシーンは官能的でさえある。女性を絞殺するというのはヒッチの拘りが最も感じられるプロットでその集大成が『フレンジー』となるわけですが、ほんとはグレース・ケリーの絞殺シーンを撮ってみたかったんじゃないかな、実はヒッチコックは変態だったんですよ。 舞台劇が基のストーリーだけにミニマムな登場人物で、ヒッチ映画でも屈指のスピードのストーリーテリングです。また英国が舞台だけに登場キャラがみな上品で優雅、男性陣のスーツ姿も決まってます。グレース・ケリーも優雅で気弱そうなキャラだけど、しっかり不倫はしているというところは官能的ですね。そしてまるで連立方程式のように組み立てられている殺人計画・その破綻・鍵を巡るトリック、この複雑なプロットをこのスピードで観せられたらご都合主義的なところも気にならなくなります。スワンは庭から窓を通って侵入したと警察に思わせるはずでしたが、仮に殺害が成功しても室内に足跡が残っていないことから侵入経路を怪しまれることになったはずで、計画が失敗したからこそレイ・ミランドがケリーに罪を被せることに方向転換したのは咄嗟の反応だったわけですね。いわばプランBですらなかったわけで、これこそご都合主義と言えるでしょう。当時の英国の住宅事情は知るべくもないけど、全然別の家の鍵の見分けがつかないってあるんでしょうかね? 不倫をネタに脅迫してきた男を殺したという容疑でマーゴは死刑判決が下されるわけですが、これは死刑制度がある日本の眼から見てもあまりに厳しい司法判断ですね。けっきょく彼女は執行前日に真相が解明して助かります。これはちょうどこの頃冤罪で死刑執行されたティモシー・エヴァンス事件が英国では大問題化していたので、この悲惨な現実からのガス抜きのような効果があったのかもしれません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2024-02-14 22:46:44)
13.  ぼくの伯父さんの休暇 《ネタバレ》 
山田洋次がフーテンの寅のキャラを思いつくきっかけとなったムッシュ・ユロ=ジャック・タチがスクリーン初登場となった作品。でもユロ氏は挙動不審だけど礼儀正しいし根っからのジェントルマンで、テキ屋の車寅次郎とは大違いなのが面白い。どちらかと言うと、自分にはユロ氏のあの長身の容姿からはシャルル・ドゴールのカリカチュアだったような気もします。 フランス人と言えばバカンス(偏見か?)というイメージ通りの、ノルマンディー海岸でのホテルに集う人々の一夏をスケッチしたような作品です。劇中でともに宿泊しているユロ氏はまるで背景の様に動き回っている感じですが、彼なりにバカンスを愉しんでいたみたいです。彼は決して部外者というわけではなくて他の宿泊客もユロという名前は認識して話しかけたりしていますが、彼は好きなように行動して意図せずに騒動を引き起こしてしまいます。タチはその長身を生かしたまるで機械仕掛けのような一種のパントマイム芸で、これは彼じゃなきゃ出来ないまさにフランスのエスプリの体現という感じの名人技です。これは絶対ドリフや志村けんのコントは影響を受けていると思います。とくに私にはテニスをするときの珍妙な動作がツボでした。またユロ氏とマルチーヌの間に淡い恋愛感情が芽生えるところも良かったですね。 ちなみに『ぼく』って誰だと?という疑問ですが、これはシリーズ三作目の『ぼくの伯父さん』の方が日本では先に公開されていたのでつけられた邦題です。『ぼくの伯父さん』のユロ氏は若干キャラが変わって能動的な感じになったような気もします。宿泊客の中にいるパリから頻繫に電話がかかってくるビジネスマンとその一家も、『ぼくの伯父さん』の妹夫婦としてスライドしているような感じですね。
[ビデオ(字幕)] 7点(2024-01-10 22:44:31)
14.  影なき声 《ネタバレ》 
松本清張の原作の映画化なんだけど、昭和の推理小説にありがちな妙にトリックをこねくり回して事件を複雑化させるパターンは現在の視点からはどう見ても古臭い。300人の声を聴き分けることが出来る電話交換手というプロットも、ストーリーには活かされていないとも感じます。だいたいからして、押しこみ強盗真最中に掛かってきた電話に出る強盗犯なんていますかね?まあこれは原作小説の持つ弱点なんでしょうがないかもね。 鈴木清順がまだ日活で職人監督として大人しくしていたころの作品だけど、編集やカメラカットには独特の清順節がそれでも垣間見れます。前半でフェードアウトしちゃうけど、若き日の宍戸錠の禍々しい悪役ぶりが印象的です。警察の取り調べの乱暴さもまた強烈で、これは当時の現実が反映していると思いますが、これじゃ現在まで尾を引くような冤罪事件が起こったのも無理ないかと思います。二谷英明が演じる新聞記者が警察よりも有能な名探偵というありふれたストーリーでした。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2023-12-17 21:51:24)
15.  太平洋の鷲 《ネタバレ》 
この作品は1953年公開、つまりあの『ゴジラ』が世に出る前年の映画なんです。つい2年前まで日本はGHQの占領下、もちろんそんな時には時代劇すらダメで大作戦争映画なんて製作させてもらえるわけもなく、やっと太平洋戦争の海戦ををテーマにした映画が撮れるようになったころです。ちなみに新東宝の『戦艦大和』も同年の公開。 この映画は山本五十六が主役で戦死するまでを描いたストーリーで、いわばこの作品をリメイクしたのが68年の『連合艦隊司令長官 山本五十六』だったという感じでしょうか。大河内傅次郎が山本五十六を演じているのですが、三船敏郎なんかよりも雰囲気自体は出ていたような気がします。しかし時代劇の大スターですから演技自体は時代劇風で、おまけにセリフが滑舌が悪くて聞き取りにくい、もっともミッドウェイ海戦以後のシークエンスではセリフすらほぼなかったですけどね。また戦闘シーンは戦前の東宝戦争映画からそのまんま流用、冒頭の山本五十六が新型艦上戦闘機を視察しているシーン、『翼の凱歌』の一式戦闘機・隼が飛行するところをそのまま使っているのでどっちらけです。その他にも『加藤隼戦闘隊』や『雷撃隊出動』の戦闘シーンも使われて、真珠湾攻撃はほとんど『ハワイ・マレー沖海戦』の映像でした。要は新規に製作したのはミッドウェイでの空母被爆シーンだけのようなものです。あとは記録フィルムも使われていますがこれまた繋ぎがデタラメで、大戦後期の艦上機がバンバン出てくるので、これではあの底抜け超大作『ミッドウェイ(76)』を笑えませんな。まあこれには『戦艦大和』の大ヒットに東宝が慌てて便乗した事情もありまして、本格的な東宝の太平洋戦争海戦映画は60年の『太平洋の嵐』ということになります。ドラマとしてもただ時局の推移をなぞっただけのような薄い脚本で、観るべきところもなかったです。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2023-10-24 23:14:39)
16.  青春群像 《ネタバレ》 
フェリーニ初の成功作であり、あのキューブリックが“マイ・ベスト・フェバリット”に選んだことでも有名。フェリーニの作風もまだネオレアリズモの影響が色濃く、後の強烈なフェリーニ的世界観からすると淡白なストーリーでもある。北イタリアの海岸沿いに位置する田舎町で気ままな生活を送っている五人の若者たちのエピソードを繋いでゆく構成は、後の『アマルコルド』で再構築されます。五人のリーダー(なのかな?)格のファウストは仲間のモラルドの妹を孕ませて出来ちゃった結婚、演じたフランコ・ファブリーツィは髭を蓄えたところなんかは若き日の宝田明になんか似ている。五人の中で唯一インテリで劇作家志望のレオポルドは、『ニュー・シネマ・パラダイス』で神父を演じたレオポルド・トリエステの若き日の姿。そう言えば劇中でアルベルト・ソルディが労働者を侮辱するシーンも、『ニュー・シネマ・パラダイス』での上映映画として使われていましたね。まだ“フェリーニがフェリーニになる前”の作品とは言っても、カーニバルのシーンにはその片鱗が伺えます。けっきょくモラトリアム生活にどっぷり浸かっていた五人の中でもモラルドだけが故郷から訣別するのがラストですけど、自伝的要素があるというこの脚本の中でフェリーニは自身の姿をモラルドに投影していたのかな? 観終わってみれば、真底の悪人はこの映画の中には一人も出てこなかった感じがします。考えてみれば、これは後のフェリーニ作品群にも共通する傾向なのかもしれません。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2023-06-30 23:02:29)
17.  悪魔のような女(1955) 《ネタバレ》 
有名な作品だけどほとんど題名だけしか知らず予備知識なしで観ましたが、これがなんと驚愕レベルの大傑作であることに気づかされました。 小規模なブルジョワ家庭の男児だけを預かる全寮制の私立学校(小学校か)。教師は四人しかいなくて女性教師は二人、そのうち一人(ヴェラ・クルーゾー)は実質学校のオーナーで、そのいけ好かない夫が校長だが彼は実業家タイプで教師ではない。もう一人の有能な女教師(シモーヌ・シニョレ)はなんと校長の愛人、つまり妻妾同居というわけです。生徒はともかく他の男性教師や使用人はその関係を知っているという、実に不思議な空間というか学校なんです。横暴極まりない校長は二人の女性を日常的に虐待していて、二人は共謀して校長殺害を計画して実行する。首尾よく彼を溺死させて水死を装うべく学校のプールに沈めますが、自然に発見されるはずの死体はプールの底から消えてしまった… 心臓病を患っていて終始弱気なヴェラ・クルーゾーと、颯爽とした金髪ボブカットで沈着冷静なシモーヌ・シニョレのキャラ造形の対比が見事です。この映画は死体が消えてしまった後半からの展開は、まさに息も尽かさぬという表現がドンピシャリなんです。「これはサスペンス映画のはずだ」と判っているはずなのに、クリーニング屋や集合写真の背景の窓に映る影の件などが続くと「まさかオカルトもの?」と劇中のヴェラ・クルーゾーと同様に観てるこっちまで疑心が湧いてきてしまいます。このストーリーテリングの特徴は、絶対にこれは伏線だと思うようなシークエンスを散りばめているのに、それがみな観客を惑わす地雷になっているところでしょう。こうなると、騙すテクニックに関してはヒッチコックをクルーゾーが凌駕していると考えざるを得ません。 ラストのどんでん返しの展開も、近頃の映画で観られるしつこい説明過多が無くて余韻が強烈です。それにしてもヴェラ・クルーゾーの死にざまは、実際に自分は見たことはないけど、心臓麻痺で死ぬ人はこんな感じなんだろうな、というリアルさでした。そしてラストシーンの子供の言葉、これはホントにゾッとしますね。このテイストはやっぱヒッチコックには無いものなんだよなあ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2023-04-19 22:44:53)
18.  熱泥地 [短縮公開版] 《ネタバレ》 
二本立て・三本立て興行を維持するために、末期の新東宝は旧新東宝(大倉貢体制になる前の健全なころ)の作品を尺をぶった切って短縮版にしたうえで改題して再公開するという荒業というか禁じ手を使って配給作品を増やしました。50年代とはいえさすがに監督協会からは抗議されましたが、「脚本の著作権は原作者やオリジナル脚本にあるが、映画としての著作権は資金を出して製作した者、つまり映画会社にある」という強引な主張で押し切っていました。後にお昼の時間帯に東京12チャンネル(今のTV東京)が放映したいわゆる“東京12チャンネルver”の先取りみたいなものですね。『現金と美女と三悪人』という身も蓋もないタイトルに変えられた本作は、オリジナルの尺は100分余りで、つまり三分の一程度がカットされているわけですが、許せないのはこれらの短縮版たちは杜撰な体制だったのでオリジナル・ネガが喪失してしまっていることでしょう。まあどの作品も映画史的に貴重というわけではないのも確かですけどね。 さて本作、三分の一カットされている割にはストーリーは破綻していなくて、まあ編集としては上手いと言えるかもしれません。藤田進が酒浸りの現金強奪犯というキャラを演じているのは珍しい、まだ若いのに既に老け顔の東野英治郎のふてぶてしい悪役ぶりも板についています。唯一の女優である利根はる恵はデビュー直後の出演ですが、とても終戦直後の女性とは思えないそのグラマーな肢体には驚きました。でも細かい描写はほとんどカットされているので、やはりぶつ切り感は否めないかと思います。だいいち、“三悪人”とは誰なのか?という疑問が、二人は判るんですけどねえ。 監督・市川崑、音楽・伊福部昭という組み合わせは珍しいかも、でも伊福部昭の音楽にはすでにゴジラ風味があって笑ってしまいました。
[CS・衛星(邦画)] 4点(2023-03-13 21:49:58)
19.  知りすぎていた男 《ネタバレ》 
前半部は謎めいた展開で引き込まれますけど、中盤から伏線回収というか謎解きが始まると突っ込みたくなるところがだいぶ出てきます。まず言えることは、諜報員ルイ・ベルナールの行動が謎というか穴だらけなんじゃないでしょうかね。ジェームズ・スチュアート夫妻に接触してくる動機もなんか辻褄が合わないし、あんなに群衆でごった返している広場でスチュアートに出会ってダイイング・メッセージを残すなん偶然が過ぎるでしょ。彼はロンドンの公安部が差し向けた諜報員らしいけど、誰にも漏らしていないはずの息子が誘拐されたという情報がスチュアート夫妻がロンドンに到着する前に公安が把握しているというのはどうしてなの?誘拐犯夫婦がスチュアートたちに接触してきた理由に至っては理解不能。まるでベルナールがスチュアートに死に際に接触するのを予知していたみたいです。 とまあかなり穴が見える脚本ですけど、名匠ヒッチコックの手にかかるとけっこうハラハラドキドキさせてくれるのが憎い。ジェームズ・スチュアートはもちろんマッチョな活躍を見せるヒーローというタイプじゃないので、こういう冷静なようでいて役に立たない行動で右往左往するキャラがイメージ通りです。やはり奥さんのドリス・デイの方が序盤から鋭い観察力を見せる名探偵みたいで、悲鳴で要人暗殺を防ぐし最後は『ケ・セラ・セラ』を歌って息子を救い出すし、もう大活躍ですよ。二階で息子が吹く口笛があんな遠くまで響くってのは、ちょっと盛り過ぎですけどね(笑)。 ところでヒッチコック御大はどこで顔を出してましたかね?判らんかったなぁ…
[CS・衛星(字幕)] 6点(2023-01-22 21:50:11)
20.  ベン・ハー(1959) 《ネタバレ》 
『タイタニック』も『ゴッドファーザー』も存在していなかった昔、ハリウッド超大作映画の代表と言えば間違いなく本作『ベン・ハー』、なんせ試写会では昭和天皇・皇后までご覧になっているぐらいですからね。そして『ベン・ハー』といえばやはりチャールトン・ヘストン、本作の前も後もノミネートすらされていない彼の唯一のオスカー受賞作で代表作、じっさいのところヘストンの他の代表作は?と問われてとっさに思い浮かばないから困ったもんです(あとは『猿の惑星』ぐらいかな)。そう言えばどっかの医薬品メーカーが“ベン・ハー”という商品名の水虫薬を販売してましたよね、今でも店頭に並んでいるのかは知りませんけど、このネーミングはどういうセンスなんでしょうかね(笑)。 戦車レースのシークエンスがあまりに有名ですけど、サブタイトルにある通りにかなり宗教色が濃厚な物語です。たしかに超大作に相応しい美術関係の造りこみ具合ですけど、スペクタクル・シーンは戦車レースの他は意外と少ないというかほとんど無い。その分役者の演技を的確にコントロールするウィリアム・ワイラーの力量のおかげで、文芸大作として立派に成立しています。ユダ・ベン・ハーはイエス・キリストと同時代人という設定でまるでイエスを狂言回しの様に見せるストーリーテリングですけど、イエスの姿は後ろ姿か遠景でしか見せずセリフすら一言もなし、これは大映の『釈迦』でお釈迦様の見せ方にそっくり真似されていますね。まあキリスト教信者には素直に琴線に触れて納得がゆくんでしょうが、信仰に縁がないこちとらなので復讐の鬼となったユダがイエスの姿を見ただけで普遍の愛に目覚めるというお約束の展開にはついてゆけませんでした。ワイラー自身もユダヤ系の人なので、ユダヤを過酷に支配するローマ帝国にユダヤ人を虐殺したドイツ第三帝国を想起させるような意図があったんじゃないでしょうか。 三時間半もある長尺なのでなかなか見直すチャンスが少ないんですけど、お正月休みにのんびり観るには向いているのかもしれません。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-01-04 22:00:10)
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