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1.  追いつめられて…(1959) 《ネタバレ》 
 いわゆる「小さな目撃者」ものの初期的作品だろうか。  口八丁手八丁で鼻っ柱の強い跳ねっ返りの少女ギリ―は、幸せな家庭に育たなかった。そんな彼女がある時、アパートの一室での殺人現場を目撃してしまう。その犯人は彼女が偶然知り合った移民の船乗りだった。  この二人の「親愛」というべき関係をたて糸に事件の捜査が展開していくが、その核心となるギリ―の証言は犯人を庇って虚偽で繕われ、それに捜査は右往左往していく。そこには思春期に足を踏み入れつつある少女の「大人」に対する不信、拒絶、興味といった様々な心理が交錯しているかのようだ。  何といってもギリ―役を表情、声使い、そして全身を駆使して演じた当時12歳のヘイリー・ミルズがあってこその作品である。  そんな彼女の感情の機微を光と影とで彩りつつ掴み取るカメラワークが秀逸。彼女を取り調べる威厳たっぷりの警視を演じるのが実父のジョン・ミルズなので、ウソを平然とつきまくる彼女を厳かに叱責する姿はリアルに「父と娘」の図である。  また、犯人も被害者もポーランド移民であり、それゆえにともに生きづらさを感じていた。そして犯行時の二人の会話がポーランド語であった点も捜査のひとつの要点となる。このあたりは移民社会イギリスの影の部分を表している。  国際海洋法の抜け穴をうまく利用して、ギリ―と犯人をまさしく「海に放つ」ラストはまったくの想定外。良い意味で裏切られ、「こりゃ一本取られたな」とニンマリ。  観た後に吹き付ける涼風が半端ない逸品だ。
[DVD(字幕)] 10点(2025-04-13 21:43:41)★《新規》★
2.  アマデウス 《ネタバレ》 
 3度目の鑑賞。観れば観るほど、噛めば噛むほど色んなドラマの面白さが味わえる素晴らしい作品だ。  初見の時は、自分がクラシック音楽に明るくないこともあって、物語の荘厳さ、絢爛さにばかり単純に目を奪われがちに終わっていた感があるが、3度目となると主人公サリエリの人間臭さ、モーツァルトの才能に裏打ちされた傲慢さ、オペラの上演をめぐる宮廷内の権力関係など、総じてまだ「近代」という黎明期を迎える前のヨーロッパ社会の人間模様の機微がじっくり堪能できるようになった。  「天才は天才を知る」とはよくいうが、サリエリはおそらく「努力の人」であり、苦節の末に宮廷作曲家の地位を得たのに、ポッと出の無粋で幼稚で能天気な「天才」モーツァルトに一昼夜にしてその地位を脅かされそうになる悲哀。  だが、サリエリはそんな憎むべき怨敵であるはずのモーツァルトの突出した才能を誰よりも見抜いていた。それもまたサリエリの才も秀でていたゆえに他ならない。だからこそ、宮廷内で嫉妬込みの侮蔑の的になる彼を擁護することで、おのれの音楽家としてのプライドを「名伯楽」という自己満足で充たそうとする。そんな陰湿で屈折しまくっていながら、どこかモーツァルトに父性的な感情も覚えていくサリエリをしっかり自分なりに肉付けし、抑えた演技で造型してみせたF・マーリー・エイブラハムの力量は凄まじいの一言である。  人間がその時その時に置かれた環境のなかで何を選択し、何を主張し、何を保持したいか。そんな心理の動向を近代以前の世界において描き、かつ壮大なクラシック音楽の楽しみを存分に加味して超一級のエンターテインメントに仕上げている。  まさに「映画を観て幸せだな」という溜め息が絶えない20世紀が誇る傑作だ。
[DVD(字幕)] 10点(2025-04-05 06:38:21)(良:1票)
3.  夜歩く男 《ネタバレ》 
 数あるフィルム・ノワールの中では貴重な実録犯罪もの。  ロサンゼルスで起きた警官殺しの犯人を総力を上げて突き止めようとするロス市警。そんな警察の死に物狂いの奮闘をあざ笑うかのように捜査網をすり抜けて犯罪を重ねる百戦錬磨の(といっても若いが)主人公。  この男、凶悪だが冷静沈着で頭脳が冴えまくった知能犯(メカにも強い!)で、警察の動きをすっかり読み取り、決して無謀な動きには出ないので、警察もなかなか尻尾が掴めない。この焦燥感が爽快ですらある。  特筆すべきは、科学的捜査がまだ発展途上の段階にあった時代、銃弾の鑑識や犯人のモンタージュ(ただし似顔絵)作成といった当時として最先端であろう捜査のプロセスが克明に描かれている点である。このあたりは警察の事件ファイルに依拠して入念に作り込まれた充実感がある。  そして主演のリチャード・ベイスハートが美男ながらも時折みせる、自らの孤独を美酒を味わうかのような気色の悪い笑顔と、何を世間に対して怒っているんだろうという得体の知れない禍々しいニヒリズムを表現して絶妙である。ただし、動機も含めてこの犯人の人間像の掘り下げがほぼ無に等しいのが物足りなくはある。そこはこの映画の趣旨がロス市警の尽力による犯人追及に重きを置き、センチメンタルな展開に流されまいという制作側の意図の表れとみるべきか。  また、多くで指摘されているように、主人公のアップや自室、そしてラストの地下排水路における光と影を駆使した緊張感溢れる映像美も秀逸である。  あっけない結末といってしまえば身も蓋もないが、主人公に絶命の寸前で何か一言喋らせてほしかった。  
[DVD(字幕)] 9点(2025-03-29 03:34:03)
4.  レベッカ(1940) 《ネタバレ》 
 ヒッチコック作品の中でも、舞台と登場人物の設定に「暗さ」という点で十分な念の入ったサイコ・スリラーとして随一といえる。  若き富豪の再婚相手に見初められた、都会的な美貌ながら垢抜けない青臭さの残る主人公の「私」。彼女は目を見張る大邸宅で夫と暮らすことになるが、夫の亡き前妻の底知れぬ威圧感をたたえた影に悩まされる。その亡妻レベッカの影を増幅して「私」を恐怖の谷に叩き込む、亡妻に忠実だった筆頭女中の凍てつくような冷たい圧迫感が凄まじい。  そんなウワバミと対峙していくなかで「私」は情緒不安定な夫を支える強い「妻」へと成長していくのである。  天下のヒッチコックだけに、序盤で思わぬ玉の輿に乗った「私」の可憐な笑顔を見ても、「きっとこの先に大なり小なり不幸が待ってるだろうな」と予測させる、ある種の倒錯感がまたたまらない。  前妻への未練を断ち切れない夫のマキシムには、夫婦としての愛情というよりは出来過ぎて持て余し気味だった妻へのコンプレックスが見え隠れし、それが後半の主題となる「妻殺し疑惑」の伏線となっているように思える。そこにはまた英国上流社会ならではの家父長制的な家族関係のあり方もうかがえて、本当にこの作品は奥が深い。  弱冠22歳で、レベッカの幻影に翻弄される痛々しさと、それを振り払うようにマキシムへの愛を貫こうとする一途さを鼻につくことのない適度なエネルギーで表現してみせたジョーン・フォンティンは天晴れではないか。  そして、予想だにしなかった壮絶なラスト。炎に包まれる屋敷に籠るレベッカと筆頭女中の戦慄溢れる怨念にとてつもない鳥肌が立つ。  これからも何度も観て、そこにある恐るべき魔窟に陥る楽しさを味わいたいと思わせる逸品だ。
[DVD(字幕)] 10点(2025-03-26 03:38:59)
5.  闇の曲り角 《ネタバレ》 
 ニューヨークで探偵事務所を営む主人公。彼には、かつて冤罪で2年服役した過去があった。その彼が何者かにまた罠にはめられようとしていた。黒幕の顔は全く見えてこない。そしてその裏には、かつて彼を陥れた憎き男の存在が絡んでいた――。  後半、殺人容疑を晴らすべく敏腕秘書とタッグを組んで黒幕の正体を追及していく過程はなかなか実を結ばず、まさに主人公が吐き捨てるように到着点のみえない「曲り角」の連続で観る者をヤキモキさせてくれる。この焦燥感こそがフィルム・ノワールの醍醐味だ。  探偵ものによくあるようなスーパーマン的な探偵が快刀乱麻を断つという展開ではなく、どちらかといえば後手後手に回りっ放しで窮地に追い込まれていき、自暴自棄になりがちな主人公を可憐に勇ましくサポートする秘書の魅力が光る。  ラストは無理矢理に幕を下ろした感があるものの、全体を通してテンポが良く、加えて光と影の案配、小道具の使い方、「ワード」に隠された謎、さらに男女の色恋の罪深さ・・・とサスペンスの要素が詰まった逸品だ。
[DVD(字幕)] 9点(2025-03-21 03:20:18)
6.  恐怖のまわり道 《ネタバレ》 
 久々に二度目の鑑賞。フィルム・ノワールの隠れた傑作だ。70分に満たない短尺で十分にハラハラドキドキの起承転結を味わわせてくれる。  物語は主人公がカフェの席で沈鬱に吐き出す回想の形で進んでいく。  恋人に会いに行くためアメリカを東から西へと大移動しようとする主人公は貧窮なためヒッチハイクという手段をとる。これが彼の運命を盛大に狂わせる元凶となる。そして運転していた車の持ち主が車中で突然死し、主人公は殺人と疑われるのを恐れて、その男になりすますという苦肉の策に出る。だが、その先でヒッチハイクで拾った謎の女がさらなる災難を呼び寄せることになる。  律義さがことごとく裏目に出る、とことん運のない男である。観ている側は自然に「そこはこうした方がいいだろ?」と思う場面で見事に(?)その逆の行動パターンを重ね、自らを窮地に追い込んでしまう展開は手に汗握るスリルに満ちている。ただ、せっかく結末で用意されたどんでん返しが、主人公のハッピーエンドに結びつくことなくアッサリ後景に退いてしまうところは、軽く説明が欲しかった。  そして何といっても、凄まじい眼力と圧力で主人公を振り回すファムファタール役、アン・サヴェージの存在を抜きにしてこの作品は語れない。サディスティックな性悪女でありながら、ひたすら闇に向かいがちな物語に妙に陽光を差し込む役目にもなっているのが彼女である。  主人公の不運を高見の見物で眺めつつも、「自分が主人公の立場だったらその時どうする?」という心理テストを突きつけているようで、80年経った今日でも色褪せない緊張感と面白さが短尺に詰め込まれている逸品といえようか。
[DVD(字幕)] 9点(2025-03-16 15:33:15)
7.  情婦 《ネタバレ》 
 久々に3度目の鑑賞。初見で味わった全身に鳥肌が立つような衝撃と興奮は3度目でも健在である。  富豪の未亡人を遺産目当てにたぶらかした挙句に殺害した容疑で起訴された男の裁判を物語の軸としたサスペンス映画の金字塔である。  とにかく被告人の「妻」とされる(←ここも重要なポイント)女が検察側の証人に立って繰り広げる前代未聞のパフ;オーマンスに判事、検事、弁護人、陪審員、そして傍聴人も度肝を抜かれ、藪の中へと引きずり込まれる過程がとてつもなくスリリングで面白い。そしてまさかまさかのラストに至るまで、すべてが彼女の掌の上で動かされていたという驚愕の真相。  ひとえにマレーネ・ディートリッヒという立役者がいなければ、この作品はここまで不朽の名作として世に名を轟かすことはなかっただろう。まさに千両役者、否、万両役者とは彼女のことだ。  老獪な弁護士役のチャールズ・ロートンも看護婦との掛け合いや法廷での狡猾なテクニックで魅せるが、彼の超肥満ぶりはユーモラスさなどを通り越して病的なそれで、観ながら心配になってしまったが、調べたら案の定、本作の6年後に他界していた。  多々批判の出ているこの邦題だが、法的に婚姻の手続きを経ていないカップルは「内縁」として蔑む傾向にある日本ならではのネーミングともいえるのでは。そう考えると、邦題にすでにひとつのネタバレが表れていることに苦笑してしまう。  その辺はさておくとして、観る者がどこまで騙されるかというのがサスペンスの醍醐味であるとすれば、こんなにも騙された感動を深々と楽しく嚙み締められる傑作はそうない。
[DVD(字幕)] 10点(2025-03-15 02:09:50)
8.  ふるえて眠れ 《ネタバレ》 
 米国は日本と異なり、「家柄」だの「家を守る」だの「ご先祖様」という意識は希薄なのだろうが、さすがにこれだけの豪邸を代々受け継いできた家系となると、そうやすやすとは手放すわけにはいかないだろう。ただ、この物語では、「家を守る」意識よりも、過去にその邸内で起こった殺人の記憶が家を手放さないようにと主人公を呪縛している。  そうした観点からこの傑出したスリラー&サスペンスを観ると、より面白い見どころが掴める。  今作では孤独で病的な老女を演じたベティ・デイビスがいつもより一歩二歩引き気味の演技。そう感じさせるのは、もう一人の主人公オリヴィア・デ・ハヴィラとントの腹黒さをたたえた偽善者キャラがメリハリの利いた演技で大いにインパクトを放っているせいだろう。この人は年輪を重ねることで、どこかいわくありげな美貌と才気という稀有な存在感が際立ってきている。そしてアグネス・ムーアヘッドの鬼気迫るファナティックな芝居が物語に毒のある花を添えている。  一件落着したかにみえたラストでベティがみせる狼狽した表情が、観る者にまだ残る謎を投げかけてハッとさせる演出も心憎い。  観る回を重ねるごとに色んな発見が出てくるという意味でも必見の作品だ。
[DVD(字幕)] 9点(2025-03-13 02:22:51)
9.  野良犬(1949) 《ネタバレ》 
 十数年ぶりに観たが、やはり黒澤作品の中でも抜きん出て同時代の社会そして人間のスケッチが素晴らしい。闇市や復員兵もそうだし、共犯者を押さえるためにプロ野球の巨人-南海戦に刑事たちが張り込む場面では、現役時代の川上哲治の打棒が観られるのもお得感。  物語のタテ糸は、終戦からまだ間もない混沌とした時代、掏られた拳銃を強盗殺人事件に使われたことで苦悩する新米刑事が、拳銃と犯人の行方をベテラン刑事と協力してまさに「犬」のように這いずり回って追跡していく中で警察官としての責任意識、職業倫理を体得して成長していくというところにある。  そこにはまた「新米は先輩の言う通りにしていればそれでいいのだ」という儒教的なパターナリズムも見て取れるし、そして「戦争」によって人生を狂わされた者と、狂う寸前で踏みとどまった者との「モラルの持続」における対照性が色濃く投影されている。 ただ、三船敏郎が風格満々で新米刑事にみえないというのもご愛敬だが、やはり三船の精悍で雄々しい風貌と緩急自在の身のこなしは惚れ惚れする。  黒澤作品における犯罪サスペンス映画の金字塔として『天国と地獄』が挙げられるが、途中で犯人の顔が明かされる『天国~』に対し、本作は最後の最後まで犯人の顔を見せないところがひときわスリリングな演出でとにかく息を飲む。  そして主人公と犯人が対決する時に近所から流れる悠長なピアノの音色。犯人をようやく捕らえた時に犯人の放出する盛大な嗚咽。さらに被さるのが登校中の子供たちの天真爛漫な歌声。こうした「不穏」と「平穏」との絶妙なコントラストを表現する演出の妙。  そこには、苦難を乗り越えて陰鬱な連続殺人事件を片付けた後に訪れる、えもいわれぬカタルシスを感じさせる。  また、この時代の地道ながら綿密な犯罪捜査の過程についても行き届いた描写がなされていて実に面白い。  作品の設定と同じく、うだるような真夏に鑑賞するのも一興だろう。
[DVD(邦画)] 10点(2025-02-26 05:23:33)
10.  仇討(1964) 《ネタバレ》 
 これほどまでに冷徹なリアリズムに徹しつつも「物語」としての面白さを堪能できる時代劇はそうない。  一般に「仇討ち」というと、「私怨」に基づいた「討つ者=善」「討たれる者=悪」という図式でとらえがちである。だが、今作を観れば、「仇討ち」が幕府や藩主の許可により行われるまでの過程には、仇討ちを果たさなければ互いの「お家」の面目を損なうという価値観、そして藩としての威厳や秩序を守ろうという保身的思考がはたらいているのが如実にわかる。  さらには家督相続が至極大事とされる武家社会にあって、主人公のように二男以下に生まれた者は能力や人格に関わらず当家に無卿の「部屋住み」という肩身の狭い立場に置かれ、挙句の果てには口減らし的に他家に婿養子に出されてしまうという悲哀。  結末の「仇討ちイベント」もそうした武家社会に孕む理不尽な「お家大事」の論理が無用の犠牲を生むのである。仇討ちの助太刀として動員され、斬られた武士たちはまさに犬死にそのものだ。つくづく武士の家なんぞに生まれないでよかったと胸を撫でおろしてしまう。  あえて注文をつけるならば、本作が無類の剣豪ヒーローを主役とするものではなく、武家社会の非道に翻弄された挙句に無残な最期を遂げる悲哀を描くものと考えれば、いかにも「THE武士」という屈強なイメージ満々の中村錦之介より、兄役の田村高廣、あるいはあまり出番のなかった小沢昭一のような「武士」の匂いの強くない役者を主人公にしたら、一層深みのある物語になったのではないか、などと思ったりもした。
[インターネット(邦画)] 10点(2025-02-23 02:35:56)
11.  毒薬と老嬢 《ネタバレ》 
 優しくて面倒見もよく、近所では聖女のように敬われている二人の老女が、13人もの老人男性を殺して屋敷内に遺体を眠らせている、希代の殺人鬼であった――。と聞けば、『サイコ』や『悪魔のいけにえ』も真っ青の恐怖ホラー映画と思いきや、その実は風刺やトンチの利いたドタバタ・コメディである。  第二次世界大戦もいよいよ大詰めとなる1944年、日本であれば国策映画しか製作を許されない非常時に、こんなに素っ頓狂な映画が撮れるというのは、さすがは自由の国アメリカならではと感心してしまう。  この時代、まだ高齢化社会の到来という緊迫感はなかったにしても、老人の孤独感と閉塞感というのは次第に米国社会でも問題視されていく流れが生れていたのかと感じる。  とにかく奇人変人大集合であるため、主人公ケーリー・グラントが負けじと奮闘している。グラントがここまで目をむき、奇声をあげ、ズッコケまくる役どころも珍しいのだろうが、長身でスマートな美男がとってつけたように過剰なコメディ演技でたたみかけてくるのが、途中で食傷気味になる。元々のキャスティングであったというボブ・ホープなら、もっと肩の力を抜いた自然体でドタバタを演じてくれたのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2025-02-18 07:14:18)
12.  女相続人 《ネタバレ》 
 近代国家は婚姻の自由を個人の権利として認めるようになった。しかし、やはり現実の家庭では家長の承認がなければ、いかに相思相愛だろうと結婚はかなわなかった。19世紀中葉の米国でも、少なくとも上流階級の家庭ではそれが当然であった。  裕福な家庭に生まれた主人公キャサリンは、容貌は人並み以上であるが、性格は暗愚で非社交的な娘である。そんな彼女が一途に愛する相手はどこの馬の骨ともわからぬ無職の青年モーリス。そんな二人の結婚を断固として認めない父親。家父長制の観念が根強い日本人には共感しやすい設定である。 実は財産目当てで近づいてきたモーリスの真意を見抜けず、キャサリンは父の反対も押し切って婚約しようとするが、結局は見捨てられる。  ここからが本作の見どころである。大きく傷ついたことでキャサリンは、うぶで純情可憐な娘から、ふてぶてしく冷厳な女性へと変貌を遂げていき、自分を騙した男に痛烈な報復を食らわせるのである。このプロットはその後、どれほど多くのサスペンスドラマで模倣されてきたことか。  また、キャサリンが覚醒するきっかけが、余命いくばくもない父から「お前は何の価値もない娘だ」と卑下された時であった。その際も、キャサリンは衰弱していく父に対し、これまで溜め込んできた父への反発を一挙に吐き出して追い詰める。ここには、近代の個人主義が浸透しつつある時代において、娘の自立志向が家父長制の崩壊を呼び込むという構図がはっきり示されている。  104才という驚きの長寿の末にみまかったオリビア・デ・ハビランドは、訃報では判で押したように“『風と共に去りぬ』の”という枕詞が付けられていたが、2度目のオスカーを獲った本作がもっと語り継がれるべきである。それにしても、この人は笑っている時も眼が笑っていない。ベティ・デイビスのようなあからさまに毒と色気を含んだ目とはまた異なり、人の心を見透かしたり試しているかのようなささやかな底意地の悪さが感じられる。  そんな彼女からモーリスが痛烈なしっぺ返しを食らうラストは悲痛にして爽快。こういう幕の下ろし方で魅せるのも希代の名匠ウィリアム・ワイラーならでは。
[DVD(字幕)] 10点(2025-02-18 06:43:05)(良:1票)
13.  小原庄助さん
 何度観てもとおかしさとぬくもりを感じる名作だ。  ムラ社会における人情ともたれ合いが紡ぎ出す「共同体」の構造がユーモラスに描き出される。  「小原庄助さん」といえば、民謡『会津磐梯山』でおなじみ。「朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身上潰した」「もっともだ、もっともだ」と歌われるように“放蕩の権化”というべきイメージが独り歩きしているが、単純に考えれば、ギャンブルや女遊びに耽るのでないなら「朝寝~」くらいで身上潰れないだろう。  本作の主人公は旧家の大地主で村人から「小原庄助さん」の愛称で親しまれているが、戦後の農地改革で一気に左前になってしまった。にもかかわらず、野球、ミシン、ダンスなど習い事教室など農村の文化振興に借金までして積極的に寄付をするなど建設的な金の使い方に余念がなく(客人が来たら必ず酒をふるまうのは散財かもしれないが)、決して放蕩にうつつを抜かすような人物ではない。  その篤志家ぶりに加え、何より名家の出ということから村人から村長選挙に推されるも、これを固辞するように政治的野心もない。というよりは、「人柄」より「家柄」が立身出世の源となっていた従来の日本社会が敗戦後になってもはや転換してしまったことを彼は理解していたのである。  大河内傳次郎の現代劇というのはかなり貴重。その彼が抑えた演技で旧態依然にみえる農村社会にも押し寄せる「戦後改革」の波を屈託なく体現してくれる。  思わず吹き出しそうなエンディングの粋な遊び心も素晴らしい。
[DVD(邦画)] 10点(2025-02-14 02:25:04)
14.  赤西蠣太
 二度目の鑑賞になるが、回を重ねて観る度に楽しい発見がある。   仙台藩の伊達騒動といえば、何度も映像化されている山本周五郎の『樅の木は残った』が一般には思い浮かぶに違いない。だが、リアリズムに徹して幕藩体制の非道さや武家社会における「お家」の大事さを描いた『樅の木』とは異なり、本作においては伊達騒動の顛末はむしろサシミのツマというべきであり、仙台藩に送り込まれた冠者ながら、愚鈍で朴訥な赤西蠣太という親密感溢れるキャラクターを通して、型通りに秩序化された武家社会における人情や恋愛の右往左往を見事なまでにポップでユーモラスに描いているのがミソである。  ギクシャクしたお家騒動の後に蠣太が迎えるハートフルなラストが心地良過ぎる。こんな素敵な時代劇を作れる伊丹万作にはもう少し長生きしてほしかったと組まれてならない。
[インターネット(邦画)] 10点(2025-02-04 06:14:47)
15.  貸間あり
 久々に2度目の鑑賞。  いやはや、このブレーキの壊れた登場人物のハイテンションっぷりでいえば、川島作品の中で一、二を争うのではないか。  誰からも愛されている何でも屋の主人公を軸に指折りの奇人変人たちが、高度経済成長期の日本を投影するかのように「イケイケドンドン」とバイタリティ全開で繰り広げる狂騒曲。そこには同時代の日本人が「戦後民主主義」の旗の下、個人の自由をやりすぎといえるほど謳歌している爽快さが見て取れる。  とりわけ小沢昭一演じる受験生(!)の人を食いまくりながら終始あっけらかんとした図々しさは恐ろしいほど。  とにかく、そうした「戦後」になってこそ放出された人間の欲望のぶつかり合いをテンポの良さで畳みかけるように嫌味なく届けてくれる逸品だ。
[DVD(邦画)] 9点(2025-02-03 03:59:30)
16.  日本春歌考 《ネタバレ》 
 3度目の鑑賞。  受験のため上京してきた7人の男女高校生。そのうち中心に描かれる男子4人が受験会場のそばで出くわした「紀元節復活反対」デモに対するシニカルな反応に、この映画のコンセプトは表れた。  彼らの念頭にあるのは性欲であり、大人たちがふっかけてくる政治の話題にはほとんど興味がない。否、興味がないというより、大人が押し付けてくるイデオロギーへの嫌悪感から、担任教師から教わった猥歌で対抗するのである。  つまり、この映画の主題は「政事」vs「性事」という人類史における「現実」との向き合い方をめぐる対立ではないか。  何しろ男子高校生たちの性欲の標的となる「469」(受験番号)の姓は「藤原」である。したがって、彼女を凌辱しつつ歌う猥歌は古代日本国家における一大権力者にして、その後の日本社会において「血筋」や「家柄」という価値観を至上のものとして根付かせた元凶に対するプロテスタント・ソングという意味が込められているのであろう。そうした精神は反戦フォーク集団の偽善的な「革命」のスローガンにも向けられる。  ことに青春のニヒリズムの権化というべき荒木一郎の存在感が素晴らしい。だが、そんな彼が同級生・金田の歌う「慰安婦」の歌の意味に真っ先に気づくという感受性を持っていたりするのが面白い。  戦後日本の「民主主義」における旧態依然さや、隔靴搔痒ぶりに対する大島渚の反抗的主張が最も色濃く煽情的に表現された作品ではないだろうか。
[DVD(邦画)] 10点(2025-01-31 06:37:54)
17.  人情紙風船 《ネタバレ》 
 二度目の鑑賞。江戸時代の貧乏長屋でその日その日を朗らかに生きる人々の物語だが、主人公である新三と又十郎は、片や世を綱渡りしている遊び人、片や妻を持ち健気に仕官を求め続ける浪人という生き様のコントラストが絶妙。  ことに新三は権力(この場合、当地に縄張りしているヤクザ)に盾を付いてギャフンと言わせることで生きがいを覚えると同時に、その命を縮めることにもなる。ラストの親分との一騎打ちにしても、そうなる前に尻に帆をかけてどこかに雲隠れしてしまえばよさそうなものを、そうしなかったのは新三なりのダンディズムを体を張って貫徹しようという思いか、単純に長屋の住人とずっと一緒に居たいという隣人愛的な感情もあったのか。  そうして少なくともおのれの面目を守り通した新三に対し、日陰者の浪人として生き続け、悲惨な結末で終わる又十郎の救いようのない悲哀。これも武家社会にしがみつくように生きようとする者の末路として致し方のないものなのか。  時あたかも、日本が戦時体制へとのめりこんでいく時代。新三と又十郎の運命は日本が無謀な戦争へとめくら滅法に突き進んでいく愚かさを反映しているかのようである。
[DVD(邦画)] 10点(2025-01-27 09:11:34)
18.  切腹 《ネタバレ》 
 二度目の鑑賞になるか。  天下泰平の徳川時代。いくさがないのはよいことだが、それによって武士の「兵士」とぢての矜持が失われていった。加えて幕府による容赦ないお家取り潰し政策で江戸には食い詰めた浪人が溢れていた。彼らが窮余の一策として講じたのが「切腹詐欺」。腹を切る気など毛頭ないのに、大名の藩邸に出向いて「禄を食むこともかなわず、窮状に陥るばかりで、このままでは武士としての面目が立たないから・・・」などと理由をつけて切腹をしたいので庭先を貸してくれ、と願い出る。藩邸側としては神聖な庭先を血で汚されるのは御免なので、浪人に適当な扶持を与えて引き取ってもらうという対応をとらざるを得ない――という流れを見込んでの「切腹詐欺」が横行していたのは、「侍」としての倫理の退廃を反映するものであった。  本作はそうした「武士道」のあり方はもちろんのこと、「切腹詐欺」を逆手に取られて竹光による屈辱の切腹を強いられた息子の仇討ちに藩邸に乗り込んできた主人公への家老の冷徹な対処にみる官僚主義をも痛烈に風刺している。この一作で「天下泰平」とは裏腹な武家社会における矛盾や非道がよくわかる。  それにしても仲代達矢は撮影当時まだ二十代だろうが、この満座を圧する貫禄は凄まじい。その仲代と火花を散らす家老役の三國連太郎の緩急自在の演技も素晴らしい。観終わってつく溜め息の深いこと。
[DVD(邦画)] 10点(2025-01-26 01:53:44)
19.  にっぽん昆虫記 《ネタバレ》 
2度目の鑑賞になる。  東北の寒村で生まれ育ち、東京に出て女工となった女が不倫、新興宗教、売春経営・・・と次々と身を持ち崩していくかにみえて、図太くがめつく生きていくさまを激動の近現代史を反映しつる描く力作。  泥水をすすり、血を吐いて七転び八起きの人生を歩んできた主人公・とめだが、そこは今村作品だけにそれほど悲壮感はなく、むしろユーモラスささえ醸し出しているのは、左幸子の飄々として太々しい存在感に負うところも大きい。  せわしない商業主義の下、大の大人たちが騙し騙されというまさに生き馬の目を抜く都会の人間模様。それは明治大正あたりで時計の針が止まってしまったような前近代的な風土の色濃く残る(近親相姦も含めて!)、とめの故郷との絶妙なコントラストになっている。  そして魑魅魍魎のひしめく都会に母を追って出てきた信子が肉体を武器にパトロンからまんまと大金をせしめ、自分の夢を実現する資金に充てる。つまり、世間を出し抜くという点で一番上手をいったのが、ウブな小娘であった信子というのも面白い皮肉である。  こうして、いかに人間が欲深くて往生際の悪い「動物」であるかを赤裸々にえぐり出すことで、とどのつまりはタイトルにあるように「昆虫」並みに地を這うかのごとくしぶとく生息している存在なのだという痛烈なメッセージはしかとインパクトを放って、脳裏に焼き付く。
[DVD(邦画)] 10点(2025-01-16 01:23:05)
20.  彼岸花
 年頃になった娘の結婚をめぐる父親の葛藤という日本のホームドラマではお約束となった筋書きだが、本作品の時代は昭和30年代である。周知のように新憲法により「婚姻は両性の合意に基づく」として、戦前までのように家長の合意を婚姻の要件とする「家の秩序」否定されてから十年そこそこの時期である。  子どもが結婚するとなれば、親が用意した縁談→見合い→結婚というプロセスがまだまだごく自然であったわけである。  佐分利信演じる昔気質の父親が恋人との結婚を言い出した長女に対して、やれ相手の家柄だの家計だのをあげつらって結婚に反対したり、最終的には娘の結婚に同意するもそこに至るまでに結婚相手の氏素性を興信所に調べさせるといった光景はあながち昔の話ではなく、近年までみられたものであり、「結婚とは個人同士ではなく家同士のもの」という日本ならではの結婚観(日本よりも儒教倫理の厳しい中国や朝鮮ではもっとそれが鮮明なのだろうが)が色濃くて本作を辛辣なものにしている。  これが、見るからに家長オーラバリバリの佐分利信の役が、今回は脇役に回っている笠智衆であったなら、もっとユーモラスで憎めない父親像になっていたに違いないが、その上でどういう家長的キャラを表現したのかという興味が沸く。
[DVD(邦画)] 8点(2025-01-14 00:22:12)
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