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自然の美しさや恐ろしさを描くとは何か。その美しい恐ろしいと思える風景をフィルムに定着させられることが重要なのか。それは違うだろう。それはただの映像だ。映画はその美しいと恐ろしいと思っている感情を描かなければならない。少し話はずれてしまうが、ヒッチコックの「北北西に進路を取れ」のラシュモアの崖のシーンが今見ればあのチープ感であれだけサスペンスなのは何故か。それは見事なまでの感情が撮れているからだ。モーションピクチャはエモーションピクチャでなければならないというダジャレを言うつもりはないが、正にそういうことだ。世に言われる美しい映像というのは映画にとってさほど重要なことではない。映画においての美しさあるいは恐ろしさとはひとの感情が露呈して初めて見ることが出来るからだ。
極論を言えば、役者は何もあの山に登らなくてもよいのだ。映画に何故セットが生まれ書割が生まれCGが生まれたのか。実現困難な世界観のために死を省みずに映画を撮りにいくなんて馬鹿げているからだ。機材が壊れ、人が怪我をする。ハリウッドではこの企画が通ることは難しいだろう。たかが映画じゃないか。測量に行くのではない。 物語自体にも大きな問題はある。一番言いたいのは、何故人が死なないのか。自然の過酷さを前に人の命の儚さを見せてはくれないのか。 しかしこの映画の俳優たちは、皆、素晴らしい演技を見せている。それは確かだ。特に宮崎あおいに関しては、彼女の登場シーンの安堵感は一体なんだ。勿論、他の俳優たちも素晴らしい。浅野忠信のいつも通りの何を考えているか全くわからない感じも、香川照之の泥臭さも、この映画を通して静かながらも一番変貌を遂げていく浅野の真似でもしているかの松田龍平も、何を演じても役所広司は役所広司でそれで納得できてしまうところも、仲村トオルの相変わらずの嫌味な奴っぷりもすべて立派だ。これだけの名優たちに支えられながらも、この映画は何かを欠いている。それは美しい恐ろしいと言われる風景映像と、彼らのそれらの感情が表裏一体ではないからだ。俳優たちがどんなに熱演しようとも木村大作はひとになんか興味がなく、興味があるのは山という風景ばかりだ。ひとと風景が表裏一体となった別の風景をフィルムに定着させることは出来ていない。 そういった風景が生まれることで、彼らの情熱が伝わってくるのではないだろうか。 【すぺるま】さん [映画館(邦画)] 4点(2009-06-26 15:11:20)(良:1票)
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