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前作「ザ・ファースト・アベンジャー」は、当時公開間近だった超大作「アベンジャーズ」の布石であり前日譚である要素が強く、単体としては娯楽映画の魅力に欠けていたことは否めなかった。
ただし、「前日譚」と割り切っている以上、この映画のあり方はまったく問題なかったと今となっては思うし、「アベンジャーズ」でのキャプテンの存在感を目の当たりにした後では、この一連のマーベル作品シリーズの中でも極めて重要な作品だと思える。 そうして、再びマーベルの“大祭”第二弾を控え、満を持しての続編。前作と同様に布石、前振り的な要素は大いにある。 しかし、今作は前作と比較すると圧倒的に主人公キャプテン・アメリカのキャラクター性が完成している。 彼が“アベンジャーズ”の中で最も「地味」なキャラクターであることは言うまでもない。 純粋な戦闘能力としてのタイマンなら、ソーは勿論のこと、アイアンマンやハルクの足元にも及ばないだろう。 ただそれでもチームのリーダーは、“キャプテン”を置いて他にいない。 それは、彼の最大のストロングポイントが、決して人体実験で生み出された超人的パワーなどではないからだ。 キャプテン・アメリカとなる前の一兵卒スティーブ・ロジャーズ本人が持つ揺るがない「正義感」こそが、このスーパーヒーローの最大のストロングポイントであり唯一無二の武器なのだ。 そのキャラクター性は、あまりに理想主義的で、あまりに青臭い。 でも誰も彼のことを否定などできない。 エネルギー破など出せず、飛ぶことも出来ない。 けれども決してひるむことなく、ひたすらに走り、ひたすらに盾を投げつけ、ひたすらに投げた盾を拾い、ひたすらに敵を叩く。 その姿を見て、どのヒーローも本質的な部分において「彼には敵わない」と思うのだろう。 勿論、弱みを突かれてのピンチには事欠かない。 ただしいつも彼には強力な仲間がいる。 真面目さが仇になるとあらば、ブラック・ウィドウが世渡りと危険回避の巧みさでフォローするし(あとガールフレンドの斡旋も)、空が飛べないとあらば、新戦力ファルコンが翼を与える。 自らが勝利する必要はない。結果として正義が悪に打ち勝てばそれでいい。 それが、キャプテン・アメリカというヒーローなのだ。 そういうことを、きっちりと“生真面目”に映し出すこの映画が面白くないわけがない。 (2018.5.12 再鑑賞) この「キャプテン・アメリカ」の第二弾が、MCUの本流ど真ん中を紡ぐ作品でありながら、映画単体として非常に高評価を得たのは、ポリティカルサスペンスとしてのテーマの鋭さに尽きる。 即ち、「正義」を司る組織として存在していた“S.H.I.E.L.D.”が、実のところその中核的なところから「悪」によって動かされていたという、あまりにも虚無的な事実。 もはや、何が「正義」で、何が「悪」なのか。その言葉の意味すら曖昧になり、濃く深い霧の中に入り込んでいくような感覚。 そしてそれが、荒唐無稽なフィクションである筈の映画世界を超えて、現実世界の実情とリンクしてくるという絶望感。 ただ、そんな混沌とした状況だからこそ、我らがキャプテンは最後の最後まで、「親友」を見捨てることが出来なかったのだとも思う。 その感情は、この無慈悲な世界において、あまりにも不確かで危ういことだけれど、人間に唯一残された希望のようにも思える。 それは、70年の時を経て、変わらぬ愚かな世界の混沌の中で、「正義」の意味を背負い続けるヒーローが語るに相応しいテーマ性だ。 【鉄腕麗人】さん [映画館(字幕)] 9点(2014-04-28 00:01:37)(良:3票)
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