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《ネタバレ》 あんな陳腐な怪獣を出しておきながら、「トホホなB級パニック」にならずそこそこ見ごたえのある人間ドラマに仕上げたというダラボンの手腕はさすが。
主役のトーマス・ジェーンという変な名前のスティーブン・セガール似のタフガイは、パトリシア・アークエットのダンナだそうだが、この起用にはとても疑問がある。…その理由はおいおい以下に。 煽動や群衆心理の恐ろしさとか運の問題とかいろいろあるが、私は隠されたテーマがあると思っているのでそれだけ書きたい。 息子のビリーの描き方は、ちょっとヘンじゃないか。7歳か8歳の男児にしてはまるで無力なペットのごときで「?」と思わざるを得ない。いくらなんでも、「意図的」なものを感じるわけです。 ドレイトンはNYなどで認められた芸術家のインテリで、ブルーカラーの地元民(たとえばジム)からはイヤミに思われている。選挙では必ず民主党に入れるようなリベラルな人物として描かれているわけです。その息子のビリーは親から「伝統的なマチズム」を求められていないし、そのように育てられていない。ドレイトンが息子に求めるのは「のびのびと」とか「個性」とかいうものだったでしょう。ですから、ドレイトンはセガール似のタフガイではイカんのです。 その教育の結果、有事にビリーは怯えることしかできない。この姿は、従来アメリカ人の男の子に求められてきた姿とはかけ離れているわけです。 そして、ラストの心中は、この「腰抜けのビリー少年」が引き起こしたものなのです。 ドレイトンは同乗者は行きがかり上殺したまでで、「決して怪物に僕を殺させないで」という息子との約束を守るために、「寝ている息子を」撃ち殺した、なのですから。 さて、「フツー程度にマッチョなアメリカ人の親父」に育てられた男の子なら、こんなふうにパパに頼んだでしょうか?そして、この有事に、恐怖のあまり寝てばかりいるでしょうか? もしもビリーがこれまでに怪物と闘うパパを励ましたり、「僕も手伝うよ」とか「必ず助かるよ」とか「まだ希望はあるよ」とか「ご飯が食べたい」とか、一言でも言っていたとしたら、ドレイトンは息子を撃ち殺したでしょうか? 私はそうは思わない。原作はどうなっているのか知らないが、息子を「腰抜け」に育てたのはドレイトン本人であり、リベラルが裏目に出た結果である、という皮肉な構造になっているのだと思います。 【パブロン中毒】さん [DVD(字幕)] 8点(2008-12-04 18:05:51)(良:4票)
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