わりと多くの人が思い当たることかもしれないが、中学生くらいの .. >(続きを読む)
わりと多くの人が思い当たることかもしれないが、中学生くらいの頃、僕は結構トイレに“依存”していた。
特にお腹が痛いわけでもないのに、毎朝トイレに30分くらいこもっていた。その年頃特有の精神的なものだったろうと思う。
もちろん今はそんなことは殆どないのだが、以来、僕にとって「トイレ」という場所は、何となく精神を落ち着かせる場所になった。
この映画の中で、もたいまさこ演じる“ばーちゃん”は、トイレから出る度に深いため息をつく。
そのため息には、不安と安堵が入り交じったような何とも言えない心情が滲み出ている。
トイレで行う「排泄」という行為は、どうしても軽視されがちだけれど、僕たちが「生きている」ということの「証」を残すための行為とも言えると思う。
長く生きれば生きる程、その日常の行為から、今生きている自分自身の姿を鑑みることが出来るようになるのかもしれない。
だからこそ、“ばーちゃん”は、その度に深いため息をついているのではないかと思った。
母親を亡くしたアメリカ人の孫たちと、日本人のばーちゃんのささやかに奇妙な共同生活からは、人が人を思うほんの少しの温かささえあれば、人間はどのようにも生きていられるということをしっかりと感じることができる。
「自分らしく生きる」という簡単に言えて、決して簡単ではない生き方を、「かもめ食堂」、「めがね」の荻上監督らしい独特の世界観で見事に表現していると思う。
そして、この監督の映画に毎回登場するもたいまさこは、本当に素晴らしい。