1.《ネタバレ》 俺は映画版に魅せられ、原作であるこうの史代さんの漫画も買ったクチでしてねえ。
すずさんやりんさんにもっともっと会いたくなりまして。読んで良かった、出会えて良かった。
この作品には、こうの史代が今まで描いてきた作品の要素も散りばめられている。
「ぴっぴら帳」の鳥たち、「こっこさん」の鳥と絵描きのはづき姉ちゃん、「長い道」「街角花だより」のタンポポ、「さんさん録」の料理…いや時代設定で言えば今までの作品はこの映画の“未来”であり、この作品は“過去”として諸作品に繋がっていくのではないか。戦争の無い平和な日常が続く未来に。
そして、“死”が未来を生きようとする人々に絡みつく「夕凪の街 桜の国」に対し、本作はひたすら“生”に寄り添い進み続ける。作者自身のアンチ・テーゼでもあるのだ。
1巻(前)と2巻(中)でしっかり描かれていた右手が3巻(後)で見切れ、満面の笑みでわろうてるあの人の姿も切なくて。でもカバーを折り返すと…!
原作はりんさんとの二度の再会や戦後の台風といった泣く泣く、それこそ壁や地面に腕を打ち付けるくらいの思いでカットしたであろう部分もたっぷりでして。
アングルといったカットの違いも細かい。漫画の方は気づくと「あっ」とか「あ…」とか「あああああああああああああああああああああああああああああああ」でね、歩いているとこをふと横を見ると…あああ。
1話ごとに冒頭で挨拶するように登場人物(主にすず)の全身像が描かれる演出は「ぴっぴら帳」を思い出す。
馬に乗って現れ胡坐で「まぢうまし」と飯をかっ喰らい去っていく楠木公(楠木正成)、種を土から盆栽・屋根の上まで一粒ずつ入れていく「試験栽培」、円を描くように吐き出される「くどくど」、月夜に伸びる植物、地平線に浮かぶ船を見て親子そろって手を振る光景を思い描き、密集する中から選ばれる取り壊し。
館の前で二人で座り、胸元から取り出す「従業員の名刺」、フクロウ、鍵、鈴(すず/りん)、ヨメのギムはなんかきりがないねえ(「古事記」感)、ベランダから見送る視線、風でなびく髪、うなじにかかった「おくりもの」を握りしめる笑顔。
野屋の二階で寝ていた「住民」、竹を切りながら見つけたとんぼ、「字」を見て知ってしまった「あの人」との関係、駆け込み机の中から取り上げたノートにあった「切れ端」、風呂場から覗かせた裸が夜の営みの裸へと繋がり、手と手、視線が向き合う相手を受け入れるべきか迷う表情。
姉さんへのご相談、不幸の手紙はちり紙に、障子の隙間から困り顔で見守る姉さま。
脚蹴にした袋から出てきた“脳みそ”、竹槍持って雪道を進み、出迎えてくれた人に冷たい雪を馳走し、雪原をキャンバスに竹で常夏の海を描く。
ちょっとどころじゃない栗本さん家の事情、道端に倒れた材木と亡骸。
お兄ちゃんからの贈り物と船の上を飛ぶ「落書き」、豊かな髪を櫛でとかそうとする乙女の色っぽさ、艶やかな着物姿で挨拶を交わす再会、細ばかまを下に履き桜の樹を登り贈られる紅入れ、中に舞い降りる桜の花びら。
台風の件なんてねー、いきなり写実的な「眼」がパッチリ(台風の目)で広島の真上に来やがりやがってで、土砂降りの雨の中を梯子で屋根の上に登るすずの強さ、倒れてもさり気なく支えてくれる周作さんの優しさ、空襲でも怪我をしなかった面々に降りかかる雨風、嵐、崖崩れ…そんな状況でも郵便を届ける女たちのたくましさ、轟音とともに叫ぶ解雇報告に笑って泣きそうです。
その後に「あの人」が居たかも知れない瓦礫の山、焼け残った黒髪、砕けた器の破片、静かに眠るように隣で微笑む「あの人」を思い描くとこなんてもうね…どうしてなん?生きてみんなでゼイタクしているとこを見たかったんやで…。
そんな気持ちを「ぴっぴら帳」や「ぼおるぺん古事記」を読んでほっこりさせた私でした(何の話だ)。
空を埋め尽くす板チョコ、鬼イチャン冐險記(冒険)、すずと周作が出遭った「あの人」の正体、灯りでもつけたかのように、白黒の世界が彩られ鮮やかに光り輝く帰り道。
こうの史代は後書きであんなことやこんなことを語っているが、この作品はその「だらだら続く」愛すべき日常の素晴らしさを改めて思い出させてくれる。とっても素敵じゃありませんか。