11.《ネタバレ》 久々に見直したが、やはり映画史上に残る名作だと再確認。もうちょっと若い時期のオードリーだったら、なおよかったけれど、それでも彼女の魅力は十分に発揮されていた。自分が年をとったせいか、最後のシーンは涙が止まらない。また、なぜか「I could have danced all night」のところでも泣けてしまう。お金でも宝石でもなく、ほんの少しのヒギンズのやさしさに、天にも昇るほどの喜びを爆発させるイライザの健気さに胸がいっぱいになるのだ。
エンタテインメントとしてもよくつくりこまれた作品だけれども、社会文化論的な視点から見ても興味深い。社会の底辺に属していた娘が、一転して王族にも見なされるシンデレラストーリーは、いわゆる「階級変換」がテーマとなっている。舞踏会のシーンにおいて、イライザは他の上流階級を圧倒する。イギリス階級社会の空洞性がさりげなく告発される。また、ここで描かれる社会は男性優位の社会でもある。つまり、ジェンダー的にも格差があるわけだ。しかし、ヒギンズはイライザや母の前では、その威厳は微妙である。ラスト近く、母の家でイライザと口論になり、イライザが出て行ったあと、「マザー!」と叫ぶほかないヒギンズのありさまは、「教授」という社会の最高位にある人間とは到底思えないもので、わがままがきわまってどうしようもなくなった駄々っ子の姿そのものである。貧富や性差、制度的階層の矛盾といった伝統的な社会問題が娯楽性を損なわない範囲で、しかし、しっかりと取り込まれているのは巧み。
これらを図式的に見直すと、すべて既存の秩序が一度崩壊したあとに、新しい価値観が見出され、それによって初めて幸福が得られるという筋道になっている。つまり、「崩壊」と「新生」の物語である。イライザにしても「花売り娘」としての彼女は消滅し、「レディ」として新生している。「崩壊」と「新生」というテーマで、なおかつ「階級変換」が絡んでくるとなると、(作者が意図したかどうかわからないが)これはもうニーチェの思想そのものである。となると、一見、コメディ的要素も持ちながら、その実、きわめて深い内容をも含んでいる恐るべき映画と解釈することもできるだろう。
ま、そんな見方はともかく、40年前にしてすでに一つの頂点に達している感さえある忘れえぬ一作だと思う。9点也です。 【delft-Q】さん [DVD(字幕)] 9点(2007-09-09 02:01:26) (良:2票) |
10.ミュージカルの嫌いな私の、唯一大好きなミュージカル映画。音楽もいい。この映画は“言葉”が大きな役割を果たしていて、コクニー訛りと正統派のクイーンズイングリッシュの対比がとても面白かった。その面白い対比を日本語で表現するのは大変な作業だったと思う。まだ綺麗な言葉を充分にしゃべれないイライザが最高にドレスアップして、最高に済ました顔して言う台詞の“それをおばがガメました。(盗みました)”という字幕に降参!この日本語訳に10点。 【Miranda】さん 9点(2004-06-09 10:21:22) (笑:2票) |
9.人間が喜ぶ時って、思考よりもまず体の動きが優先しますよね。例えばテストの合格発表を見た瞬間などは、喜びのあまり「ヤッター!」と飛び跳ねる人はいても、喜びのあまり歌を歌いだすという人などいません。仮に声は出すにしてもそれは「フォ~!」とかいった類の雄たけびのようなもののはず。てことは感情表現には歌うことよりも実は踊ることの方が大事。だから私は踊らずにただ歌うだけという行為には強烈な違和感を感じるんです。という前置きをしつつ……。 ヘップバーンファンの方には殴られるかも知れませんが、この映画のヒロインは、舞台通りにジュリーアンドリュースがやってた方が良かった気がします。元々それで大評判だった訳ですし。いや、もっと言うと、メリーポピンズの方をヘップバーンが、この作品の方をジュリーアンドリュースがやった方が、お互いにとって有益だった気がします。ポピンズというのは、ミュージカルという以前にまず映画としての完成度がメチャメチャ高い作品です。だから物語全体の面白さにおけるヒロインの歌唱力の比重がそれほど絶対的に高いわけでもありません。つまりヒロインが口パクだというだけで即「あ~残念」ということにはならない作品なわけです。でもこの作品は違います。本格的なミュージカル作品です。にもかかわらず、ヒロインは踊りません。唄いません。けしからん。とどのつまり、この両作品は「せっかく汎用性の高いヒロイン役の方に、当代屈指の歌姫をわざわざ起用し、本人が実際に歌うことが望ましいヒロイン役の方には、歌えない女優を起用する」という非効率な関係にあるわけです。想像してみてください、ヘップバーン扮するポピンズが宙を漂う姿を…。今頃はきっと「ローマの休日もいいが、やはりヘップバーンの代表作といえばメリーポピンズだな」となってることでしょう。そしてこの映画も「面白いんだけど、口パクじゃあね…」などと言われることもなかったはずです。え、なに?後半の良さはヘップバーンじゃないと…ですって? いや、私が思うにですね、へたにヘップバーンを起用しちゃったからこそ「せっかく彼女を使うからには…」とか余計なこと考えてgdgdな後半になっちゃったんじゃないかと。あと、ヘップバーンの悪口を堂々と言えるスタッフもそんなにいないでしょうから「この人は踊れないから…」という理由で泣く泣く没になった案も本当は結構あったんじゃないかな…。 【バーグマンの瞳】さん [地上波(字幕)] 6点(2014-09-10 21:46:30) (良:1票) |
8.尺が長すぎるのももちろん問題なんだけど、そう感じさせる理由は、第1に、それぞれの楽曲がつまらないこと。第2に、台詞の部分で、みんな舞台からそのまま持ってきたかのようにワーワーうるさいこと。映画にするのならばそれに即した作り方をしてほしかったと思います。見ていて疲れました。 【Olias】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2010-01-05 02:30:45) (良:1票) |
7.すごく大ざっぱだけど、ミュージカル映画はダンス中心から歌中心に移行してすたれた、って言えないか。この64年はもうダンスは付けたりで、踊ってても絶頂期のハレバレとした感じが出ない。「踊りあかそう」なんてどんどん狭い部屋へ入ってしまい欲求不満が残る。「時間どおりに教会へ」もいろいろやってるんだけど、コワザって感じ。競馬場での白黒の効果は見事だったが、『巴里のアメリカ人』ですでにやってるし、それにこれはミュージカルの味とは関係ない。いや、いい映画だとは思うんです、思うんですけど、峠を過ぎたジャンルの緩さも目立つ作品なんだな。かえって翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』は、もうミュージカルの形にこだわらないことで成功したと思うんだ、でもそれはまた別の話。あ、この2つの映画、手元の「ぴあシネマクラブ」によると、どちらも上映時間は172分だぞ。 【なんのかんの】さん [映画館(字幕)] 7点(2008-11-10 09:17:02) (良:1票) |
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6.《ネタバレ》 巷での高い評価は知っていたので、とっても期待しながら見ました。ところが、私には不向きだったのか、全然楽しめませんでした。理由は大きく2つ。1つはミュージカルの命である音楽が気に入りませんでした。これは好みの問題とも言えますが、ダンスらしいダンスが1つも出てこないなんて、演出を疑ってしまいます。もう1つは、ストーリーの繋がりのなさ。イライザと教授の会話ややりとりの中に、1つとして心を通わせる場面がありません。なのに、この2人を引き付け合わせるものは何でしょう。コメディとしては競馬場のシーンなど、楽しめる場面が多くあります。しかし、映画としては不満が残りました。 【shoukan】さん [CS・衛星(字幕)] 4点(2008-09-14 18:46:21) (良:1票) |
5.「世間でいう "名作" というものやらを、一度は観ておかないといけないだろう」 と、自分の趣味とはまったくの畑ちがいを観たのがマズかったかもしれない。観終わったあと 「いやぁ、よかった」 とか 「おもしろくなかったな」 という言葉が出るならまだしも、「つ、疲れた…長かった」 だから、映画の本質をどこまで掴めているのか、自分のことながら甚だ謎である。2時間以内にまとめれば評価も変わってくるだろうが、遅々として話も進まず、3時間も歌と踊りを見せられるのはやはりツライ。「もう一度観ろ」 と言われたら……お願いですから勘弁してください。 【マイケル・エリス】さん [CS・衛星(字幕)] 3点(2006-06-17 12:51:44) (良:1票) |
4.《ネタバレ》 この作品を観るうえでは、イギリスの階級社会というものを理解していないと映画の意味がいまひとつ分からないかもしれません。イギリスは中流意識が強い日本などと比べるべくもないほど厳然とした階級社会であり、その階級により使われる言葉が違います。だから、話し方だけでその人の出身階級がすぐ分かる、それがイギリスの階級社会です。そういう目で見るとイライザが最初に話すのは単なる田舎なまりなんかではなく、下層労働者階級の言葉であることが理解できます。ヒギンズ教授により話し方から所作まで上品なしつけを受けますが、まさにそれをできることが上流階級の証なのです。原作は皮肉屋で有名な劇作家のバーナード・ショーによる「ピグマリオン」(操り人形)。物語のいたるところに原作者の皮肉ぶりがみられますね。原作では映画と少し違う展開が見られるので興味があったら読んでみるのもいいかもしれません。何はともあれ大好きなミュージカル作品のひとつです。 【kainy】さん [地上波(字幕)] 9点(2004-03-28 23:00:05) (良:1票) |
3.《ネタバレ》 シンデレラストーリーという訳で、非常に設定はよく有るパターン。しかし、そこに極上の歌や踊りを織り交ぜるとどうなるか? 更に極上に愛らしい女優を起用するとどうなるか? 更に極上の吹き替えをほどこすとどうなるか? 素晴らしいんです。 ミュージカルでは「雨に唄えば」という非常に優秀な作品も有るのですが、歌や踊りのシーンは「雨に唄えば」よりもこちらのの方が好きです。「雨に唄えば」は非常にコミカルな動きが中心ですが、こちらは派手さは無いけど、古典的な良さの有る雰囲気です。 面白いシーンは競馬場。婦人たちとの会話で、最初は丁寧に喋っているのだけど、ところどころに「ヤッチマッタ」というような発言。徐々にボロを出してしまうイライザが非常に微笑ましく笑ってしまう。とどめは「ケツをひっぱたけ!」。失神している婦人もいました。 メッセージ性もなかなか良いですよ。ヒギンズ教授は、最初は事も有ろうに「賭けと実験」でイライザの教育を試みました。女性を小馬鹿にしていて「男性は偉い」という偏見の持ち主です。ところが最後にはイライザ抜きではいられなくなる。つまりは、女性(イライザ)の存在感を認識したことを意味しています。最後に教授は思い深げに、汚い言葉を使うイライザの録音を聞いていましたね。この描写での僕の勝手な解釈は「正しい言葉」よりも「人の存在感(心)」が大切だというメッセージだと思っています。 【おはようジングル】さん [映画館(字幕)] 8点(2003-12-19 18:00:50) (良:1票) |
2. 原作はジョージ・バーナード・ショーの戯曲「ピグマリオン」。これをアラン・J・ラーナーとフレデリック・ロウがブロードウェイ・ミュージカルにアレンジし(ジュリー・アンドリュース主演で)大ヒットした為、ハリウッドが映画化したのが本作。まぁ、音声学者ヒギンズ(レックス・ハリスン)が友人のピカリング大佐(ウィルフリッド・ハイド・ホワイト好演!)と賭けをして、言葉遣いも乱暴な下層階級の花売り娘イライザ・ドゥーリトゥル(オードリー・ヘプバーン)に正しかるべきQueen's Englishとマナーを仕込み、見事上流階級にデビューさせうるか?というメイン・ストーリーはほぼ原作通りである。が、女性映画に抜群の手腕を発揮するジョージ・キューカー監督は原作の再現度よりもヘプバーンの魅力を全開させることに傾注。原作では結ばれることなく終わるヒギンズとイライザをハッピー・エンドに改編したラーナーの脚本に一歩も引かず、歌曲の挿入のタイミングも絶妙で誠に堂々たる流石の演出ぶり。確かにジュリーも悪くはないが、画面を華やかに彩るチャーミングさでは当時のヘプバーンには今一歩及ばなかったので涙を呑むコトに。でも「メリー・ポピンズ」でオスカー貰ったから溜飲下げた?(マーニィ・ニクソンによる)口パクは確かに興醒めではあるが、こんなアトラクティブなイライザ・ドゥーリトゥルを拝めた素晴らしさに比べれば、些細な問題だろう。キューカー監督の真骨頂が遺憾なく発揮された本作に…8点。え?減点の理由?原作を安易に改編したからネェ…。 【へちょちょ】さん 8点(2003-02-09 23:07:14) (良:1票) |
1.イギリス映画を見る上ではイギリスの階級社会を頭に入れておくと面白さと理解度がだいぶ増します。「アッパークラス」「ミドルクラス」「ワーキングクラス」の3つですがこれは現在も歴然と存在します。特にアッパーとワーキングはお互いに「気の毒な奴等」と思っている人が多い(ように思える)です。と偉そうにうん蓄を並べましたが、この映画もそうすると単なるシンデレラストーリーではなくイライザが教養を身につけるまではよかったけれどその後行き場に困って困惑しますよね。それより大変なのはイライザのお父さんであの年までお金はないけれど自由にやってきた生活が180度変らされてしまう。一般的に上昇志向の強い日本人が見れば「お金持ちになって良かった。チャンチャン」ですがイギリス人が見たら「おやまぁ」とすごい悲喜劇になっているのです。若い頃この映画を見たとき、ヒギンズ教授は好きになれなかったけれど少々年を取ってから見るとどんなに偉い教授さんでも男っていつまでもガキなのね(そういう男性が多い)とまぁかわいくも思えると言うものです。私の1番好きなミュージカル映画です。 【Jade】さん 10点(2003-01-11 16:37:41) (良:1票) |