7.邦画の娯楽作品も、ここまでできるようになったんだなあ、と感じさせる一本。とは言っても、そもそも邦画人気が高い昨今からすると、おそらく私の基準、というか感覚の方が特殊なのかもしれなくって、たまたま自分が若かった頃の邦画の印象に引きずられている部分が多々あると思います。中高生の頃、すなわち80年代後半あたり、当時のハリウッドの大作(これも今思えば大した事ないのだけど)に遠く及ばず、ゴマカシばかりやってるようにしか感じられなかった当時の邦画娯楽作品を、見たくない、いや、ほとんど憎んでいたと言っても過言では無く。
で、時は流れ、例えばこの『亜人』という作品。邦画もここまでやるんだ、ここまでスケール感を出せるんだなあ、と。
原作コミックについては全然知りませんけれども、映画始まって早々、これ間違いなく、2時間弱の尺には収まらない内容なんだろうなあ、と。で。おそらくそうなんでしょう、映画はひたすら、突っ走っていくのですが、どこまでがセットでの撮影で、どこまでが既存の場所を借りての撮影なのか。大がかりな撮影をこれでもかと盛り込んでいて、圧倒されます。最初のラボのシーンでは、セットの中をカメラが移動していく長回しでもって、その規模感をアピール。さらにはその後も、果てしなく続くバトルシーン。CGキャラ同士の目まぐるしい戦いは、『デビルマン』などを思うと隔世の感がありますね。とにかく映画は突っ走る。内容が尺に収まらない云々以前に、内容なんて無いんじゃないの、と気づかせる前に走っていく。
いや、始終ドタバタしてるだけでは、ないんですけどね。ただ、もうちょっとエモーショナルな要素が多くてもよかったかな、とは思います。吉行和子のことを最後にもう一度、映画の中で思い出してあげてもよかったのでは、とか。
「亜人」という存在は、死んでも生き返る設定だけど、痛みも感じるし、死ぬ際はやっぱり苦しいらしい。だけど実際は、その設定は劇中ではそっちのけに近くって。だからある意味、ゲーム的な世界。設定はあくまで物語上のルールに過ぎず、登場人物たちもまた、どうやってそのルールの裏をかくか、に腐心してて、少し本格ミステリに接近したテイストもあったりします。
死んだ人間が易々と生き返る「可逆性」は映画とあまり相性がよくない、みたいなことを以前どこかで書いた気がしますが、この作品は「生き返る」というより、「不死身」の変形バージョン。敵がやたら強くって不死身なのは、大歓迎です。ターミネーターに接近したテイスト。
で、そのやたら強い敵というのが、綾野剛。何を考えているかわからない不気味さと、アクションシーンの見事な動き。脱いだら実はムキムキ、というのがまたポイント高いではないですか。そりゃま、女優さんが脱いだ方が話題性はありますけど、どうしてもそこには痛々しさも感じてしまう訳で。ムキムキが脱ぐのは、インパクトの割に害が無い(笑)。しかし佐藤健ともども、たぶんこのわずかなシーンのために、これだけの肉体に仕上げてきたのか、と思うと、うん、やっぱりハリウッドには負けてないですよ。