1.《ネタバレ》 「凶悪」とは一転してのコメディ色が強い本作。
それもこれも映画内で綾野剛がほぼ全てのシーンに出続け、常に主人公視点で話が進むため、綾野剛の人物描写がそのまま作品の性質となるからだろう。
ただそれが一本調子、緊張感の欠如にも繋がる。
銃の取り締まりの潜入捜査から、事が次第に大きくなり、状況としては緊迫していく。
しかし、作品全体の空気が緊迫するかと思えば、どこか緊張感を欠いたまま話しは進む。
幼児性を持ち純粋な存在である綾野剛が、緊迫化に歯止めをかけているからだろうし、それは意図的なものと取れる。
それに加え、アクションで魅せるでも、殺人描写があるわけでもない為、物語はアンチカタルシスの構造を保ち続ける。
そして銃が中心の物語であるにも関わらず、終始銃が道具として機能せず役割を失ったままで終わる。
機能しない事で不在の中心であり続ける銃、アンチカタルシスな物語が、煮え切らない居心地の悪さを生み出す。
その居心地の悪さこそがこの事件の本質であり、機能しない銃は良くも悪くも古くからあった男性性の消失を象徴しているのだろう。
そしてそれがドラマではない現実ということ。
終盤の、馬が走る→人が走る→自殺という、より動的なものから究極の静的なものへのスムーズな移行。
映画の観客=一般市民に向けられた挑発ともとれる、綾野剛の逮捕場面でカメラにぶつけられるペットボトル。
そのような細かい描写も魅力的だった。