1.わたしにはこの映画、なにが面白いのかわからない。そもそも、このタイプのウディ・アレンの作品が苦手。前に観た「ハンナとその姉妹」とか「ウディ・アレンの重罪と軽罪」とか、いつも同じことをやっている。「アニー・ホール」にしたってそうだっただろう。ちょっと知的なキーワードをちりばめてインテリジェンスを醸し出し、それでも気取ったバカをあざ笑う。そのあざ笑うのはウディ・アレンの視点と決まっている。で、彼の映画の中の彼自身も滑稽な存在なのだけれども、その滑稽さをどこまでウディ・アレンが意識しているのかがわからない。オレも滑稽だけれども、オレは許されるのだ、と思っているようにみえる。この作品のラストでも、勝手に捨てた元愛人に「よりを戻してほしい」とこれまた勝手に求愛するわけで、どうみてもこの作品の中でもいちばん滑稽な人物になるわけだけれども、なぜか映画の中で、彼には救済のチャンスが与えられる。その救済のチャンスが、わたしにはどうしてもウディ・アレンの自己愛によるものと見えてしまう(もしくは作者としての特権意識、だろうか)。そうすると、彼は映画の中であざ笑うために登場させる人物たちと、自分とは違うのだと言っているのだろうと思えてしまう。ヴァン・ゴッホをヴァン・ゴーグと発音する気取ったエセインテリ人物を陰で笑いながらも、自分は「カフカ以下の自尊心にされた」などと気取ったことを言い、そのことは許されるらしい。だいたい、なぜ彼はいつも人のことを「陰で」あれこれ悪口をいうのか。好きになれない。