1.《ネタバレ》 初日の六本木は老若男女で溢れていて、つくづく日本人は日常的にアニメに親しんでいる民族なんだなぁ、と。この映画はそんな日本人のアニメを見る能力「アニメ力」に安易に依存してしまっている気がしてなりません。茶色のトレスラインの花畑寝ころびによって一発で『魔女の宅急便』のオープニングに繋がるイメージ、『トトロ』のさつきとメイのように庭を駆けめぐり、みんなで大きな口を開けて笑う、それは監督のジブリコンプレックスと言うよりも観客の既視感、既に成立しているアニメというものに対するイメージに依存しながら映画を運ぼうとしているように思えるのです。そういう判りやすいアニメの文法をあえて無視して脚本や演出に目を向けると、この映画、隙間だらけという感じ。人の心の移ろいが悉く点で描かれていて、その流れは「観客に備わったアニメ力によって行間を埋めておいて下さい」という甘い作りになっている感じがします。母の子を育てる意志も、雪の人への心の目覚めも、雨の野性への目覚めも、村の人々が家族に向ける善意も、転校生の雪を信じる意志も、全部が隙間だらけで、それが善良なるアニメ文法の映像によって描かれる事で観客側で自動的に善良なる方向へ補完されてめでたしめでたし、みたいな。それでいいのか?と。誰かに褒めて貰いたいのかな。そもそも誰に見せたかったんでしょう? 先生に褒めて貰いたくて自分の言葉を失った作文みたいな映画だと思いました。