1.“彼ら”は、あの大戦中、何を信じていたのか、そして何を信じさせられていたのか。
あの日、あの時、この国の上層に座位していた幾人かによる喧々諤々の日々のその同日に、一体何万人の人々が命を落とし続けていたのか。
そう考えると、この作品で描かれるドラマの総てが、甚だ滑稽で、愚かしく思えてならない。
戦争を始めた人たちが、取り返しのつかない余りに悲劇的な代償を経て、戦争を終わらせようとする。
まったく、馬鹿馬鹿しい。
当事者の内の一体何人が、己の愚かしさを感じていたのだろうか。
この映画に登場する人物たちの対峙と葛藤が熱を帯びていくほどに、その同じ瞬間に失われていった膨大な命の数を思い、虚無感に襲われた。
この映画は、終戦までの四ヶ月間を描いている。つまりは、既に大戦の勝敗は決し、各地の戦闘は悲劇的に激化し、民間人も含め最も多くの命が失われた期間であろう。
にも関わらず、今作では戦争自体の描写や、実際に命が失われていることに対しての描写が、極めて希薄だ。
オリジナル作品を観ていないので、これが本来の狙い通りなのかどうか分からないが、“この日々”が戦争の真っ只中であることを、この映画の製作者も、この映画の登場人物たちも忘れてしまっているように見え、違和感を覚えた。
色々なことを考えさせられる映画であったことは間違いない。戦後70年のタイミングで今作がリメイクされた意味は確実にあったと思う。ただし、映画作品としての出来栄えとしては、岡本喜八版のオリジナル作品を観てみなければ何とも言えないように思う。
描き方そのものの是非は一旦置いておいて、今作の演者たちは皆素晴らしかったと思う。
特に昭和天皇を演じた本木雅弘は、非常に難しい役どころを真摯に演じきっている。
昭和天皇の存在感が際立つことがまた是非の対象になるのだろうけれど、本木雅弘の演技自体は賞賛されるべきものだったと思える。
その一方で、もう少し脇役や端役に存在感を与えて欲しかった。
宮廷侍従や女中、放送技師たちの“声”をしっかりと描くことが出来ていれば、もっと深い味わいが生まれていたと思う。
日本陸軍は、戦争を始め、それを遂行し、最後まで止めようとしなかった“暴走者”として描かれる。
実際、陸軍の愚かな暴走が、戦争という悲劇を無闇に拡大させていったことは間違いなく、その罪は大きい。
しかし、戦争という“大罪”における罪悪のすべてを陸軍を筆頭とする当時の日本の中枢に押し付けることも違うのではないかと思う。
妄信的に何かを信じ、戦争を始めてしまったのは、日本という国そのものだ。
“彼ら”という代名詞は、あの時代この国に生きた総ての人達を含んでいるのだと思う。