30.期待通りの“駄作ぶり”に、怒りなんて感じる間もなく、なんだか安堵感すら覚えた。
小松左京風のタイトルからして、てっきりそれなりに売れた原作小説の映画化と思いきや、完全なオリジナル作品だった。
いや、オリジナルという表現にはあまりに語弊がある。国内を騒がした“パンデミック”に対しての危機感に便乗して、1995年の米国映画「アウトブレイク」をパクろうとした映画なのだから……。
「アウトブレイク」は言わずと知れた傑作なので、言い方は悪いがそれをパクること自体は、もはや問題ないと思う。
問題なのは、そのパクり方があまりに「下手糞」過ぎることだ。
なにも世界的な娯楽映画に勝ってほしいとか、主演の妻夫木聡にダスティン・ホフマンを彷彿とさせる演技を見せろとか、そんな無理難題を言いたいわけではない。
せめて、いい“お手本”があるのだから、多少工夫が無くてもいい所をしっかり真似て、なぞるぐらいはしてくれよと言いたい。
ここまで大筋を似せておいて、どうしてただ模倣することすらできないのか。本当に理解に苦しむ。
何もかもが悪いのだろうけれど、やはり最も目に余るのは、脚本の稚拙さだと思う。
どのキャストも、他の作品ではそれなりに良い演技も見せてくる俳優ばかりだったと思うが、発される台詞の一つ一つが嘲笑を禁じ得なかった。
俳優というものは、脚本や演出によってこうも素人臭くなるものかと、改めて思い知った。
どうやっても「良い映画」にはなり得なかったのかもしれないが、題材はやはりタイムリーなだけに、もう少し「マシな映画」に仕上げることはいくらでも出来たと思う。
檀れいが、選択の余地無く生存の可能性が断たれた人たちの呼吸器を無表情で外していくシーンは、描き方によってはもっと印象に残る名場面になったはずだし、国仲涼子の旦那役で登場する爆笑問題・田中裕二の決して上手くない泣き演技には、幼子役の子役の助力もあり泣かされてしまった。
ほんの少し真っ当な“センス”さえあれば、これほどまで“悲劇的”なことにはならなかったと思う。
あまりに不味くて我慢ならなかったので、間髪入れず口直しに「アウトブレイク」を見直した。面白過ぎた。
「アウトブレイク」の面白さをより引き立たせることにおいては、最高の映画だと思う。