6.《ネタバレ》 俳優人生の分岐点を迎えている木村拓哉が、新境地を開くべく力を込めた演技を見せている。
その“熱演”そのものに対しては時代を築き上げてきたアイドルとしての、俳優としてのプライドを感じたし、これからの出演作にも期待したいと思わせた。
が、同時に、役作りの上で力を入れすぎているようにも感じ、木村拓哉演じる主人公が、映画世界の中で空回りしているようにも見えた。
対する二宮和也が、映画俳優として軽やかな立ち回りと芸達者ぶりを見せるだけに、余計に、木村拓哉の必死さが硬さとなって滲み出ていたようにも思える。
同事務所の後輩との「競演」がプレッシャーになったとは言わないけれど、少なくとも「映画」という舞台においては、先輩後輩の立場を逆転させてしまうくらいの「経験値」の差が露呈してしまっていることは否めない。
映画としては、十分に面白みのある映画だったと思う。
ただ、木村拓哉の主演映画として「無理」なことかもしれないが、彼の出演シーンはもっと少なくてよかった。
それは映画俳優としての演技が他の俳優と比較して拙いからではない。もっと少ないシーンでも彼は主人公として存在感を放てたと思うからだ。
歳をとろうが、SMAPが無くなろうが、木村拓哉は木村拓哉であり、この国のスターである。
そのスター性を映画俳優としてどう生かしていくのか、そのことを木村拓哉本人がもっと正確に理解し、表現する必要があるのではないかと思う。
前述の通り、木村拓哉の演技は決して悪かった訳ではない。
しかし、あのような役どころであるのならば、もっと最後の最後まで主人公の「真意」と「罪」をひた隠しにしたストーリーテリングだった方が、彼の存在感が特別なものになったのではないかと思う。
木村拓哉と二宮和也の両者のファンに対する不必要な目配せがあったのかもしれないが、二人の描写が同等の分量で構成されているので、この映画のストーリーが追い求めるべきテーマ性がぼやけてしまっているように感じた。
ストーリーの軸としては二宮和也を据えて、彼の役どころを主人公然として話運びをすればよかったのだと思う。
そして、新米検事からも観客からも「完全無欠」に見えていた男が、最後の最後で見事に汚れ、堕ちる様を見せてくれたならば、どんなにニノが場馴れしたいい演技を見せようとも、この映画は“キムタクの映画”になっただろう。