1.冒頭から精細なアニメーションが映し出される。
空と海に囲まれた風景が、キャラクターたちの表情が、眩いばかりにキラキラして、美しい。
だがしかし、なんだかとっても、“嘘くさい”。
その漂ってくる“臭い”が、まさしく鼻について、本来あるはずのエモーションの圧倒的物足りなさに直結していることは明らかだった。
20年来、岩井俊二のファンである。その崇拝する映画監督の“出発点”とも言える伝説的なテレビ映画の傑作が、二十数年の年月を経て、美しいアニメーションで甦る。
贔屓目だろうがなんだろうが、エモーショナルに浸る準備は万端だった。
しかし、そうはならなかった。そして、映画を観終わる頃には、“嘘くさい臭い”の正体は明らかだった。
端的に言ってしまえば、「商業主義」の一言に尽きる。
過剰なまでに明確であざとい“ビジネス臭”に、この映画を象るすべての要素が包み込まれている。
一概に「商業主義」を否定するつもりは毛頭ない。
映画はビジネスであり、巨額の製作費を投じて作品を作り上げる以上、観客を集めることが出来なければ意味はない。
嘘くさいビジネス臭に覆い尽くされていようが、集客に成功したならば、それは一つの勝利なのだろう、とも思う。
ただ、「打ち上げ花火、下から見るか、横から見るか」という、あのタイトルデザインを目にしただけで、鼻の付け根がツンときてしまう者としては、このリメイク作が放つ臭いの正体があまりに悲しくて、愚かしくて、腹立たしかった。
それっぽい舞台設定、オリジナルからの台詞の引用や、それ以外の岩井俊二作品からの安易なオマージュ的なあれやこれ……。
「こういうの散りばめとけば岩井俊二ファンなんてものはカンタンに喜ぶんでしょ(ニヤニヤ)」
という狡猾で安直な思惑が溢れ出ている。まったくもって馬鹿にしている。
9月1日のレイトショーでこの映画を観た。
夏が終わった翌日の冷ややかな空気が、体と心にしみた。
あの二十数年前の、奥菜恵が忍び込んだプールの消えた水平線の光が、遠く懐かしくて仕方なかった。